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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


伝説の男


 ――プロローグ

 草間・武彦は海岸を犬の死体をずるずると引きずっている少年に会っていた。
 その少年は夕日に照らされて頬が光っていた。涙が流れているのだ。草間は少年に声をかけたが、彼は振り向かず前を向いて去って行った。
 ……男は黙っていくもんかもしれないな。
 草間は少年の背中にそんなことを思った……りしてみた。
 そうなのだ、男は背中で語らなくてはならない。と、ハードボイルド小説を立ち読みしてきた草間・武彦は思うわけである。
 煙草を買う金を握り締めて、ついレジに並びそうになったが、煙草一箱分の銭ではとても買えないことに気付き戻してきたところだ。哀愁漂う男の背中……ではあっただろう。本を諦める草間の背中は。
 ふんふふん。しかし草間はそのシーンだけで満足だった。ハードボイルドの真髄を極めたような気さえしていた。
 そして興信所のドアを開けた。
「ただいま」
「ただいまか、懐かしい響きだな」
 草間はゆっくり顔を上げる。そこには、ずいぶんと見ていなかった兄の姿があった。兄の声は低く、そして何かを含んでいるようだ。
「あ、兄貴っ」
 年子なので背格好も髪型も眼鏡もほとんど変わらない。
「よお、武富士元気にしてたか」
 兄はそう言った。
 キッチンからお茶を持って出てきた零が驚いた声をあげる。
「やっぱりお兄さんのお兄さんでしたか」
「俺はディテクターだ、そう呼んでくれ」
「はい。ディテクターさんですね」
「兄貴、俺の名前はタケヒコだ」
 ディテクターはからからと笑った。
「わかってるぜ、武富士」
「……だぁかぁらぁ!」
 草間がいきり立つ。
「俺は兄貴のなんでも屋じゃない。ご都合主義で頼られても困るんだよ、うちだって苦しいんだ」
「何を言ってるんだ。男なら望まれたそのときにそうなれ」
「意味わかんないしっ」
 零が二人の間に入る。そしてソファーを指差した。
「お兄さんお客さんです」
「あ、すいません、奥さんですね。今回のご用件は……不倫調査とのことでしたが。――そういうわけだから、兄貴帰ってくれ」
「まだ金をもらっていないじゃないか。それに、俺達は八人っきりの兄弟だろう、水臭いことを言うな」
「いません、俺達に八人も兄弟はいません」
 ディテクターは依頼人に対して渋い横顔で言った。
「ははは、こいつちょっと妄想癖があるんだ」
「それはあんただよ!」
 
 
 ――エピソード
 
 シオン・レ・ハイは現在行き倒れている。
 街はクリスマスのネオンに彩られ、カップル達が楽しそうに歩いていた。つまり今は十二月……十二月の風は冷たい。東京のクリスマスには雪はあまり降らないから、なんとか耐えられるぐらいだった。
 昨日まで近くの公園にダンボールハウスを作って住んでいたシオンだったが、年末に向けていっせい撤去が行われた為、今は宿無しなのだ。なんという政策だろう。だが、シオンは選挙権を持っていないので恨みを晴らすことはない。
 とぼとぼと東京の街を歩き回り、そして大きなクリスマスツリーの立つデパートの前で、ついにシオンは行き倒れた。理由は空腹の一つである。シオンの場合、どんなに寒かろうが暑かろうがどこでも寝られるので寝不足ではない。
 今年の冬は越せないのだろうか……と、身体をもたげるとそこには女の子が立っていた。
「大丈夫ですか、シオンさん」
 茶色い髪を肩丈で切った活発そうな女の子が立っている。大きな瞳をくるくるさせて、彼女は鶺鴒のように小首をかしげた。
「ともえさん」
 葛城・ともえである。彼女は神聖都学園に通う高校生だ。
「どうしたんです?」
 シオンに手を差し伸べながらともえは言う。シオンはうるうると目を潤ませながら、手袋をはめた彼女の手に捕まった。
「実は、おなかがすいたのです」
 よいこらと立ち上がりながら言うと、ともえは目をぱちくりさせてからにっこりと笑った。
「寒くないですか?」
 彼女は立ち上がったシオンを横目に、スクールバックに手を差し入れた。ゴソゴソと中をあさって、ラッピングされた袋を取り出す。それはきっと、誰かへのクリスマスプレゼントなのだろうと思わせた。
 シオンは慌てて首を横に振った。
「プレゼントはいけません。……お、おなかはすいていますが」
 ともえはくすくす笑いながら首に巻いているピンクのマフラーを外し、背伸びをしてジャケットとシャツ姿のシオンの首にかけた。
「いいんです。食べ物だし」
「そんな……」
 断ろうとシオンはかぶりを振ったが、いかんせん腹は大きな音で食べ物を求めていた。
 シオンは一瞬静止してから顔を赤くして、俯いた。
「すいません、いただきます。お礼と言ってはなんですが、お茶でも……」
 お茶でもご一緒したいところだが、空腹でぶっ倒れるほどシオンにはお金がないのだ。もちろんシオンはそれを十分知っていたので、迷わず言った。
「草間興信所で、お茶を」
 ともえは元気よく返事をした。
「はい、それ草間さんに持って行こうと思ってたんです。ご一緒できますね」
 シオンはピンクのマフラーに顔をうずめて微笑んだ
 
 
 草間興信所には、梅・黒龍と神宮寺・夕日がいた。
 そしてディテクターと草間・武彦がいる。
「ところで、お前警察官じゃないのか。こんなところで何やってるんだ」
 黒龍が眼鏡を片手で直しながら、じとっと夕日を見た。夕日は煎餅を食べながら、ディテクターをまじまじと眺めている。
「え? 私? 私はそうねぇ、なんていうのお茶しにきたっていうのかしら」
 エリート刑事とは思えない台詞だ。夕日の興味は依頼人にも黒龍にもないらしく、彼女はともかくディテクターを気にしている。
 そしてディテクターは夕日を振り返ってまず言った。 
「京子さん、お江戸でござるを録り忘れないようにしてくれ」
 夕日はぽかんとして、口を開いた。
「えーと……お兄さん、私は」
「俺はディテクターと呼んでくれ」
 きりりと締めた口許で、ディテクターは夕日へそう言った。夕日は髪を撫でて、サングラスをかけトレンチコートを着ているやけにハードボイルドな雰囲気の男を見つめてつぶやいた。
「いい線いってるのよねえ。いい線……」
 兄にかかりっきりの草間に代わって依頼人の前に座っていた黒龍が言った。
「弟が弟なら兄は兄か……」
 それではさすがの草間もかわいそうだ。
「それと京子さん、半熟タマゴが食べたいんだが、まだかな」
 ディテクターが言う。夕日と黒龍は目を合わせて、草間・武彦にそっくりなディテクターをまじまじと見つめた。
「今」
「半熟タマゴとおっしゃいました?」
 意味ありげな沈黙が流れ、ディテクターは表情を崩さず夕日を見ていた。外でカラスがカーカー鳴いている。流しっぱなしのテレビからはマツケンサンバが流れている。だが誰もつられてステップを踏むことはない。
「草間は半熟タマゴが死ぬほど嫌いだったな」
 黒龍は哀れな眼差しで草間を見た。草間は、口をすぼめてなんとも言えない表情だ。
「お兄さん、いえ、ディテクターさんは半熟タマゴを好まれるのね」
「昔からうちは半熟と決めてある。なあ、武富士」
 ディテクターが草間を振り返る。草間は机の前に立ち尽くしたまま、両手を広げて、いっそマツケンサンバを踊りださんばかりの状態だ。
「じ、実は……聞いてくれ。あ、兄貴も、みんなも……、実は俺達兄弟が生き別れになった事件のせいで、俺は半熟タマゴを食べられなく……」
 草間が至極真剣な顔で語り出したにも関わらず、残念ながら誰一人聞いていなかった。
 黒龍は半熟タマゴなど放り出して依頼人奥・正人と向かい合っていたし、依頼人の前のソファーへ歩いていこうとするディテクターを夕日は止めていた。
「俺達が共産主義独裁政権の中国から亡命を試みたあの日。兄貴覚えているだろう。俺達の船は難破して、なんと兄貴はバチカン市国に俺は埼玉に流れ着いた……」
 うわ言のように言葉を発する草間に、夕日が気の毒そうに突っ込んだ。
「どちらにも海はないわよ」
 だが、草間の途方もない言い訳がどうやって半熟タマゴに絡んでくるのか気になるところではある。
「なんでもいいから、草間さんも奥さんの話を聞いたら?」
 ディテクターを部屋の隅へ追いやりながら、夕日は言った。草間はもごもごと口を動かしていたが、やがて諦めて黒龍の隣に座った。


 奥・正人は平凡な話しをした。
 妻奥・智寿子の帰りがだんだん遅くなり、そして今は失踪してしまっていること。失踪前は、どこかそわそわしていて、いつも落ち着かず、夫婦仲は冷めていたこと。
 草間はいつものようにもっともらしい顔をして事情を聞いていた。
「では……不倫調査というよりは、人探しでよろしいですか」
 草間は聞いた。
 正人はじいと耐えるように下を向いていた。黒龍が息をゆっくり吐き出して小さな声で言う。
「探し出したところで、幸せかな」
「おい」
 草間が黒龍を睨みつける。黒龍は困ったように両手をあげてみせた。
「人探しのご依頼ですね、わかりました」
 怪奇でなければなんでもよいのだ。草間という男は。
 
 
 夕日がドアの前でディテクターの話を聞いて、依頼人の元へ行こうとするのを足止めしていた。ディテクターは外見こそ若干夕日の好みに近いようであったが、言うことは兄級のボケ加減だった。
「京子さん、真っ赤に萌えいずる紅葉の彩りに過去の古傷が癒されるような気がするのは錯覚だろうか」
「はあ?」
 ディテクターはサングラスをゆっくりと押し上げて、目を細めた。
「もう忘れたことだ、わかっているのにな……」
 いやあ、なにもさっぱりわかりません。
 ともかくディテクターはどうやら悦に入っているらしいので、夕日はこめかみをトントン叩いてこのボケ野郎をどうしてやろうか考えていた。
「お兄さん、とにかくですね」
「ディテクターと呼んでくれ」
「……ディテクターさん、ともかく弟さんは仕事で忙しいので」
 夕日が少々青筋を立てながら言うと、ディテクターは驚いたような顔をした。
「そうか、もう飯か京子さん」
 目を丸くされても困る。ところで、京子さんって誰なんだ。
 いい加減ドタマ思いっきり殴りつけてやろうと夕日が踏ん切りをつけたところへ、興信所のドアが開いた。
 そこには高級スーツが若干薄汚れているシオンと制服姿にベージュのダッフルコートを着たともえの姿があった。二人はドアの前に立っていた夕日とディテクターをきょとんと見つめている。夕日はシオンに目を止めて言った。
「いらっしゃい、シオンさん。それと……お友達?」
「葛城・ともえです。こんにちは」
「こんにちは」
 夕日が余所行きの顔で笑う。シオンもともえも、ディテクターが気になっているようだ。
 夕日は困りながら、ディテクターを紹介した。
「彼は、見たとおり草間さんのお兄さんの」
「ディテクターと呼んでくれ」
 彼は渋い横顔でそう言った。サングラスが蛍光灯の光を反射して光っている。
「草間さんのお兄さん、ディテクターさんですね! すごい、なんだか映画に出てくる探偵さんみたい」
 ともえは無邪気に手を叩いた。シオンもうんうんと大きくうなずいている。
「探偵になんか憧れるもんじゃない」
 ともえから顔を背けるようにして、ディテクターは低い声で言った。
「ろくな男はいないからな」
 夕日とディテクターは今までおやつのアンパンとお夕飯の話をしていたので(因みに、ディテクターが飯はまだかと舌の根が乾かぬうちに聞くのだ。それを回避するとアンパンの話題になるという次第である)ディテクターの、哀愁漂うモードについていけず、訝しげに顔を歪めていた。
 ともえはそんなことは露とも知らず、両手を握り締めている。
「さすが草間さんのお兄さんですね!」
 いや、たしかにそうしているディテクターは草間・武彦に比べれば遥かに格好がついているのだが、そういう問題なのだろうか。
 夕日が考えあぐねていると、ディテクターは言った。
「京子さん、おやつのアンパンだが本当に一個食べてしまってもいいかな」
 なぜだか夕日に話しかけるときは、ディテクターはよぼよぼしているように見える。
 ボケ方から言っても、ボケ老人を髣髴とさせる。
 ボケ老人……とハードボイルド? 意味がわからない。夕日は頭を抱えたまま、草間を振り返った。草間は依頼人を立たせていて依頼は終わったようである。
 シオンは目をきらきらさせながら、興信所のキッチンへ走って行った。
 夕日はお腹でもすいているのかしら? と頭の中でスルーする。
「草間さんの子供の頃の話、聞かせてください」
 ともえがディテクターの袖を引いて言った。ディテクターは一瞬静止して、ほんの少しだけ口許を笑わせる。
「俺が物心をついたとき既に、俺達の両親はいなかった。大したことじゃない。組織の抗争に巻き込まれたんだ。俺達は彼等から逃れる為に武富士の手を引いて街を出た。俺は平気だったさ、親父とお袋が俺達を守ろうとしたのを知っていたからな。だが、武富士は違う。なにもわからない弟を連れて、街を彷徨うのは辛かったよ。こいつにはまだ両親のぬくもりが必要だったんだ。知っていた、しかし現実は無情にも俺達に襲い掛かった」
 重低音で語られる驚くべき過去に、夕日にともえはじっと聞き入っていた。
 あの草間・武彦にそんなハードボイルドな過去があったなんて。あの絵に描いたように半熟タマゴの草間が、まさか……!
 しかし、ともえは一言言った。
「武富士って……誰でしょう」
 まあ、その通りだ。誰だかわからなければ感動のしようもない。
 ディテクターはそんな突っ込みなど聞いていないのか、ナチュラルに無視をして話を継いだ。
「なあ、武富士。あのときお前は、よく泣いたっけ」
「俺達年子じゃないか」
「お袋の残したオルゴールが壊れたとき、あのときは……」
 ふっとディテクターが窓の外を見る。
 室内では正人が泣いていた。どうやら飲み込まれやすい性質らしい。
 そこへ、ぴぴぴぴと電子音が鳴った。ディテクターは迷わずコートのポケットから携帯電話を取り出し、普通の声で出た。
「もしもし」
 そして、やけに明るい声に変わった。
「あ、母さん? どうしたんだよ、電話なんか。元気元気、そっちこそ寒いけど風邪なんかひいてない? 俺は元気でやってるよ。こないだ米十キロありがとう。ホント助かったよ。せっかくだからさカレー作って。あははは、そりゃーお米きたらカレーだろ。いやいや昔とは違う大人なカレーを作ったって、バーモントじゃなくてねじっくりことこと煮込んだカレー使ってさ。父さんにかわる? いいよ、こないだもメールもらったし。そうそう、今武富士のところにいるんだけど。え? 誰かって? ひでぇなあ、武富士だよ。代わろうか? いい? そうわかった。じゃあ正月には帰るから。オセチそんなに気張るなよ」
 ピッ。
 ディテクターは素知らぬ顔で携帯電話をポケットにしまい、真面目な顔で全員を見渡した。
「網走に入った親父は冤罪だったんんだ。もちろん、お袋だってそれを信じて……」
 てりゃぁと黒龍が思い切りディテクターの肩を殴った。ディテクターはパシンとそれを受けて、にやりと笑った。
「まだまだだな、小林少年」
「誰だそれ!」
 黒龍が眉間にシワを寄せて口を尖らせる。
 草間はがっくりとうなだれながら言った。
「つか母さん俺に米送ってくれたことなんかないじゃん!」
「そもそも覚えてもらってるのか怪しかったわね、あの電話の内容じゃ」
 夕日は呆れ顔で言った。草間は半べそをかきながら、俯いている。
「ううう、なんて哀しいお話なんだ。お父上が冤罪だなんて」
 正人は流れる涙をハンカチで拭うのに忙しい。しらけた顔で草間も夕日も黒龍も正人をじっとりと眺めていた。その反対側で、ともえが言う。
「あたし感動しました。草間さんが冤罪に立ち向かってるなんて知らなくて」
「いや、よく話を聞け」
 黒龍が冷静に突っ込んだ。
 そしてなんと一番まとめて欲しくないディテクターが、呆れるような顔で言った。
「ともかく奥さんの、いや、奥さんの旦那さんの家に行かなくては事件は解決せんな。武富士、これが俺達兄弟のはじめての共同作業になる。感慨深いじゃないか。お前のおしめを変えた日々が懐かしいぜ」
「だから俺達年子だから」
 ディテクターは草間の言うことなど聞いてもおらず、夕日を見つめてこの間もらったらしいもみじ饅頭の話題を振っていた。
 そこへ台所からシオンが登場する。両手に茹でタマゴを持っていた。片手に持った茹でタマゴをモゴモゴ食べながら、一方の草間・武彦(ディテクター?)の絵の描かれたタマゴをディテクターに差し出す。
「あー! うちのタマゴ!」
 草間は案外ケチらしい。
「見事な半熟タマゴです。ディテクターさん、どうぞ」
 差し出されたタマゴを受け取りながら、ディテクターはサングラスをずらしてじっくりとタマゴを睨んだ。そして一人、哀愁を漂わせながら言った。
「心憎い演出を……」
 黒龍が頭を押さえながらつぶやく。
「お前が憎い」
「同感だ」
 草間が半熟タマゴを睨みながら答えた。
 ディテクターは憎い演出の筈のタマゴを遠慮なくその場で剥いて、モキュモキュ半熟タマゴを平らげた。どうやらシオンと同じく腹がすいていたらしい。たしか、彼は草間に金を借りにやってきたらしいからありそうな話である。
「さあ、奥さんの旦那さんの家へ急ごう」
「はい」
 ディテクターの横にいた、ともえが元気よくうなずいた。
 だから、あんたが行くと色々なことが無茶苦茶になりそうな気がすると、草間と黒龍そして夕日は茫然と考えていた。


 奥・正人の家は白い壁で赤い屋根の冗談のような家だった。子供もいないのに庭には小さなブランコがある。
「ご立派なお宅ですなあ」
 呆れ半分に草間は言った。
 黒龍も夕日も同じように家を見上げていた。ともえは嬉しそうに手を叩いている。
「すごいすごい! ロマンチックな家ね」
「本当です。どこかの興信所と違ってとってもあたたかそうですね」
 シオンも満面の笑顔だった。草間はカチンときて、シオンを見た。たしかに興信所は隙間風吹く切ない我が家だが、ホームレスにコケ下ろされる覚えはない。
 しかしディテクターは違っていた。
「これは……まさか……」
 彼は家庭菜園を見つめて驚愕している。なんとそこには季節外れにもナスが生っていた。珍しく普通のことに驚くことがあるのだと、草間は思った。
 正人が玄関を開ける。
「どうぞ、探偵さん」
 なぜか正人はディテクターへその言葉を向けている。草間はワナワナしながら、口を開こうとした。
 隣の黒龍が忠告する。
「無駄だ」
 文句を言おうと草間が彼を見ると、その後ろからともえが弾んだ声をあげた。
「草間さん、あんな頼りがいのありそうなお兄さん素敵ですね」
 どこがやねん、だ。
 思案深げにシオンが言う。
「でも……ですよ」
 ともえに両手をあげて賛成しそうなシオンだったので、草間は驚いてシオンを見つめた。
「草間さんのお名前は武富士じゃありません」
 そうなのだ。草間の名前は……
「タケノコです!」
 シオンは両手を握り締めそう言い切った。クルックークルックーと鳩が鳴いている。誰も発言をすることなく、ディテクターに続いて家の中へ入って行った。シオンだけ握り拳で置いてけぼりにされていたので、ともえが戻ってきて彼を呼んだ。
 全員はリビングに通され、正人はお茶を用意しにキッチンへ入っていった。そしてすぐに、彼の大声が響き渡った。
「うわぁ!」
 正人の大声に、全員が顔を見合わせる。ずらずらと連なってお洒落なキッチンへ入っていくと、そこにはゴミ箱に屈みこんだディテクターが大きな改造拳銃を片手に潜んでいた。
「兄貴、何してるんだ!」
 草間がいきり立って怒鳴る。
 しかしディテクターはそんなことはまったく気にせず、真面目な顔で一枚の紙切れをかざした。それは……レシートだった。
「これを見ろ。これが……奥さんの奥さんが残した暗号だ」
 草間がレシートを受け取る。後ろから全員が覗き込んだ。
 そこには、ゴボウ、ニンジン、鶏モモ肉、豆腐、生ワカメ、ダイコン、おいしい牛乳などを買った記録があった。どうやら、鳥とゴボウのささがききんぴら風とお味噌汁らしい。そこに何の疑問の余地もなかった。
「レシートに暗号はないでしょう」
 夕日が難しい顔で言うと、ディテクターは鋭く言った。
「裏を見ろ」
 黒龍がレシートを草間から取り上げて裏をめくる。すると裏には、またも食材が書いてあった。
 キムチ、ダイコン、白菜、ニラ、エノキ、豆腐。松平健、公共料金、十六茶、パスタ。
「これは、キムチ鍋の用意ね」
「すごい、松平健ってスーパーで買えるんですね」
 目をぱちくりさせながらともえが言う。買えない、買えない。
 シオンはお腹を押さえてつぶやいた。
「お腹減りました……」
 これが何なんだと全員がディテクターを見ると、彼は不敵に笑った。
「これは奥さんの……いや、奥さんの奥さんが残した暗号だ。驚くべきことに、いや、もしかしたら必然と言ってもいいかもしれない。奥さんの奥さんは、勇者だったんだ」
 全員がまたレシートの裏を覗き込む。それからディテクターの無駄に渋い顔を見つめる。そして一斉に言った。
「はあ?」
「ここにはこんなことが書いてある。奥さん……いや、奥さんの旦那さんよく聞いてください。『あなた、いいえ、私の愛しい正人。私はあなたに隠していたことがあります。私は、いいえ、私とあなたはアトランティス大陸の末裔であり地底人なのです。私達にとってあなたは希望の光でした。私はたしかにあなたを愛していましたが、私があなたと夫婦になったのは理由があります。私はあなたを守る役目を仰せつかったのです。私とあなたが暮らした十数年間、とても夢のような暮らしでした。あなたは言いましたね、太陽が俺達を狂わせたと。そうかもしれません。私もあなたもきっと幸せでしたね、そう信じさせてください。私は今日、旅立ちます。帰ってこられるかどうかはわかりません。あなたを守るという役目を果たせないことだけが私の気がかりです。地底は今悪の帝王に支配されています。私は勇者の家系、私が倒さなければ地底に平和はこないのです。あなたは私達の大事な希望の光です。私がいなくなったあと、よからぬ輩があなたを狙うかもしれません。そのときにあなたの隣にいて、守ることができないなんて。でももう私は行かなくてはなりません。どうか、無事でいてください。愛しい正人、いつか……今の私にいつかという言葉を使う勇気はありません。でも、希望を込めて言わせてください。いつか、あなたの隣に私の姿がありますように。 かしこ あなたの智寿子 追伸、あなたが趣味で買い漁ってくる冷凍ラーメンの賞味期限が切れそうです。その酔狂をいい加減にしてください』」
 ……あのメモからそんなに長い暗号が!
 んなアホなっ。
 じとーっと草間と夕日と黒龍はディテクターを見つめている。すんすんと鼻を鳴らしているシオンが言った。
「マダガスカルの、マントヒヒヒ」
 そしてともえも涙声で言った。
「よくわからないけど、なんだか感動しました」
 どうやらディテクターは作家の才能があるようだ。
 驚くべきことに、何の変哲もない中年男性であり尚且つ常識人であろう正人も泣いていた。
「智寿子……智寿子が、勇者だったなんて」
「奥さんの旦那さん、冷凍ラーメンより生ラーメンの方が魅力的です」
 至極真面目な顔でディテクターが言った。正人は同じく真剣な顔で答えた。
「生麺の方が賞味期限が早いと智寿子に言われておりますので」
 会話が成立している。
 おそらくディテクターは、ゴミ箱をあさるついでに冷蔵庫もあさって勝手に情報を収集していたのだろう。だから、合致した情報を提示できたのだ。その前の勇者やアトランティスや地底人や悪の帝王などの件はとんだ三文小説である。
「もしもし、そんなことあるわけないでしょうが! どうせ奥さんはどっかの男と蒸発したんですよ」
 草間はいよいよ実も蓋もないことを言う。
「刑事事件に巻き込まれたと考える方がまだ現実的だわ」
 夕日も同意した。黒龍も続ける。
「怪奇事件に巻き込まれたと考えた方がいくらか現実的だな」
 しかしシオンは興味津々にディテクターに訊いた。
「あの、奥さんの旦那さんの奥さんは旦那さんで、えーと、希望の光ってなんのことなんでしょう」
 ディテクターは窓へツカツカと歩いて行って、シャーっとカーテンを閉めた。それからヒソヒソ声で言った。
「奥さんの旦那さんは、羊飼いなんだ」
「?」
 全員の頭にハテナが浮かぶ。羊飼いとは、ニュージーランドに多くいる?
「驚くのも無理はない。実はな、武富士。地底には一兆もの羊が飼われている。こないだの大地震も、この羊が暴動を起こした際に地上に影響が現れたのだ」
 黒龍が両手をあげてディテクターの話を折った。
「そんなことあるか。人間より多いじゃないか、地底がいくら広かろうとそれはありえん」
「あるのさ」
 眉根を寄せてディテクターは言った。
「地底には太陽光がないからな。羊達はやせっぽっちなんだ」
 そうか、やせっぽっちの羊達だから、そんなにいることができるのだ。なんて納得できると思ったら大間違いだ。意味がわからない。そもそも何が哀しくて地底人はそんなに大量の羊を飼わなくてはならないのか。
「奥さんの旦那さん、あなたは、そのあまりにも多くの羊を統べる羊飼いの家系なのです。今地底では羊飼いが連続殺人に遭い、羊飼いが無人なのです。実はそれには、レジスタンスが関わっています。悪の帝王の独裁政権に自棄になったレジスタンス達は、羊の暴動を利用して地底人そのものを壊滅させようとしているのです。だから、羊飼いが邪魔になった……そして奥さんの旦那さん、あなたは狙われている。レジスタンスの目は今地上に向いています。勇者がいなくなった今、あなたを守るのは俺の仕事だ」
 草間は目をしょぼしょぼさせて大欠伸をした。頭をかいて、黒龍が動き出す。
「どこへいくんだ?」
「トイレ……へストレスを発散しに……」
 夕日は彼に手を振って送り出しながら、窓に近付いた。あまりにも暗いので、カーテンを開けようとしたのだ。
「窓に近寄るな! 狙撃されるぞ」
 気圧されて夕日は窓から離れた。正人がディテクターを心配そうに見上げる。
「わ、私は、地底を、救えるんでしょうか」
 ずいぶんとノリのいい男だ。飲み込みも早い。
「救えますとも。さあ、あなたは羊達の元へ向かうのです」
 そこへ存外にすっきりした黒龍が戻って来た。
「行くぞ、小林少年!」
 ディテクターが正人を連れて玄関へ走り出す。彼は玄関から銃口を突き出して、バンバンと二発発砲した。
「きゃあ、すごーい。でも怪我人は出てないでしょうか」
 ともえが心配そうに駆け出す。シオンは嬉しそうに駆け出した。
「あの銃に触ってみたいです!」
 草間はあの頭のイカレタ兄と依頼人が連れ立って出て行ってしまったので、致し方なく後を追うことにした。


 ディテクターと正人は姿勢を低くして進んでいた。ここは下町である。
 ともえとシオンは駄菓子屋に入って、飴のクジを楽しんだりしていたが、草間達は気が気ではない。ディテクターは近所の十円ハゲ丸坊主にまで発砲しそうな勢いだったし、街角のタバコ屋をレジンスタンスと勘違いをして、打ち殺しそうになったりしていたのだ。
 危険だ、危険すぎる。
 しかし、その二人はあろうことか銭湯へ入って行った。
「おい。ここ、銭湯だよな」
 草間が夕日に聞く。夕日は草間を見返して、こくりとうなずいた。
「銭湯にしか見えないわね」
「あーストレス溜まる」
 黒龍はどこから出したのか人間型のぬいぐるみを出して、ガンガン殴っている。背中には八つ当たり成功くんと書いてあった。なんだか殴られている側は痛そうである。
 シオンとともえは顔を見合わせて、嬉しそうに同時に言った。
「銭湯入ってもいいですか?」
 草間は一瞬の間も開けず言い切った。
「ダメだ」
「そんなあ、ディテクターさん達は中で楽しそうに遊んでいるのに!」
 シオンが草間に食らいつく。
 ともえもうんうんとうなずいているが、この際そんなことには構っていられない。
「いいか、あんなバカ兄貴に付き合ってたらギルガメッシュサイトがはじまっちまうんだよ。あーバカバカしい。依頼人もバカだしやってられん。帰るぞ、お前等」
 ギルガメッシュサイトとは真夜中に放送されるちょっとエッチな民放番組だ。この歳になってまだ見ている草間の寂しさが伝わってくる。
 しかし、ディテクターが途方もなくアホな話をしていたのは事実だったので、草間に促されるまま全員は帰宅した。


 ――エピローグ
 
 帰った草間達は、ともえがクリスマスプレゼントに買っていたベッキーおばさんのクッキーを囲んでお茶を飲んでいた。テレビの前に零が真面目な顔で座っている。全員はやれやれと溜め息をつきながら甘いクッキーに手を伸ばし、夕日の淹れた紅茶を飲んだ。
 そしてテレビを見ると、なにやらSFらしきものがやっている。いや、ワイドショーが謎の円盤を映し出し、外国人のレポーターがなにやら喚いていた。
「……なんだ? どうしたっていうんだ」
 熱心に見ていた零に草間が訊くと、零は画面から目を逸らさずに答えた。
「アトランティス大陸が復活するんです。地底に暮らしていた皆さんが、ようやく地上に」
 零は涙すら浮かべている。
 草間は呆気に取られて全員を振り返った。夕日などは、クッキーを膝の上に落としている。
 黒龍は草間に向かってアトランティス大陸のウンチクを披露しはじめた。
 ともえは紅茶を両手に持ちながら、ぼんやりと言った。
「ディテクターさん、守り切ったんですね。伝説の羊飼いさんを……」
 まさか今更新大陸が出現するとは……。まさか、まさかだ。
 シオンがお腹がすいたと騒ぎ出したので、さすがに客の夕日に何かを作らせるわけにもいかず、草間が腰をあげた。
「あたしハンバーグがいいです」
「私はチャーハン」
 ともえがニッコリと、シオンが手をあげて言う。
「アホか。お茶漬けだ」
 草間は苦い顔で言ってキッチンへ入って行った。
 テレビは突然巻き戻し画面になっている。零が小さな声で言った。
「はー……面白かった」
 だが今のところ、誰も気付いていない。
 

 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3356/シオン・レ・ハイ/男性/42/びんぼーにん(食住)+α】
【3506/梅・黒龍(めい・へいろん)/男性/15/中学生】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
【4170/葛城・ともえ(かつらぎ・ともえ)/女性/16/高校生】

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■         ライター通信          ■
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 伝説の男 にご参加ありがとうございます。
 コメディということでしたが、笑っていただけましたでしょうか。心配です。
 
 ご意見ご感想お気軽にお寄せ下さい。
 
 文ふやか