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天竜之背、壱 − 発 −
彼、菱・小平太は、息を荒くさせ、時に煙に咽ながらも駆け続けていた。
あちら此方で人の悲鳴が上がる。敵兵は既に城内のあちら此方に姿を現し、女、子供とて構わず、目に付く限りの人を切り捨てていく。彼の周囲を護衛する者達は、それらと切り結ぶうちに一人、また一人と数を減らして行った。
彼は胸に小振りの刀を大切そうに抱え、既に煙が充満しつつある廊下を駆けに駆けた。
「小平太様!」
仲の良かった小姓が顔を出す。あちこちに返り血を浴び、頬を煤に汚しながらも、尚槍を手放しては居なかった。
「通れるのか!?」
「大丈夫です、こちらが手薄で…」
直後、その胸から刀の切先が突き出していた。
完全に不意を付かれた形だろう。しかし、彼は振り返るや否や即座にその相手へとしがみ付く。その眼が、小平太へ先に行けと叫んでいた。
「く……行くぞ!」
兄が先を駆ける。
「兄上、アイツが……」
「そいつを連れて行け、止まるな!」
助けようと振り向く小平太を、兄の声に呼応して護衛が押し留め、更に先へと走っていく。先頭を駆け始めた兄は、鉄斧を握り直した。行く手に立つ敵兵を、斬れる限りに斬り倒して駆け、その後ろを護衛の一団と小平太が駆け抜ける。
護衛の半ば無理矢理の駆け足に、彼は押し流されるように走り続けた。視界が晴れ渡る。廊下を抜け、彼等は今、城の裏門を突破しようとしていた。
「其処を通る者、誰か!」
だがその裏門を通り抜けたが直後、煙の中を駆ける一団を前に、黒い鎧に面当てを取り付けた侍が飛び出した。
「某は神楽雪之梅!、かの菱源六の倅と御見受けします!」
「菱源六が倅、信達だ!」
短く声を吐く相手を前に、目の前で兄が飛び上がった。手にしっかりと握られた鉄斧が、勢い良く振られる。相手の武者はとっさに刀で防ぐがそれは弾けるように折れ、兄の鉄斧は相手の面当てにしたたかに打ちつけられた。
「今だ、行け!」
「兄上は……」
「俺はこれより我が身を壁とする! 子平太を殺すな!」
彼の言葉を遮り、叫んだ兄の言葉に、護衛の兵達が勢い良く応える。
「こちらへ!」
最早子平太の意志を半ば無視するような形で、護衛の兵たちは子平太を抱え込んだ。
それを見、兄は返す刃を振るい、更に相手へと襲い掛かる。最早、これより先は共に生きる事は諦めたと、そう言いたげな戦い方であった。その背中に、最早生への拒絶すら浮かんだ、死に兵としての、最期の戦。
自分でも何を叫んだのか、覚えていない。それ程までに心の底から叫びながら、子平太は後ろを振り向いた。兄は、迫り来る雑兵を次々になぎ倒し、返り血を浴びてどす黒く染まりつつあった。その兄が、護衛に押し包まれてその場を離れる子平太を見、微かに笑っていた。厳しかった兄の、穏やかな笑いだった。
だが、その兄が写る視界に、何か別のものが写り込む。
先程の武者だ。既に武器も何も持っては居ないその武者は、素手を兄に向けて伸ばす。
「兄上!」
叫ぶ彼の声を前に、兄は振り向く。だがその振り向いた顔を、相手は掴んでいた。その伸ばされる腕の肩先に、女性のように繊細な顔を見せていた。
女性のような顔が、きっと兄の目を睨む。腕から、薄く赤い光が漏れる。
「渇!」
あっという間の事であった。兄が腕を振り解くよりも早く、兄の身体は炎を吹き上げていた。いや、性格には炎では無い。破裂したかのように、兄の身体は爆発を引き起こし、幾つもの肉塊と成り果てていた。
何故、兄がこのように。せめて武士らしい、誇り高き死に方を与えてくれる事ぐらい、許される筈だ。
それが何故、まるで火薬か竹筒のような終りを迎えねばならないのだ。
余りの惨劇に、声も出ない。ただ叫ぶしかなかった。だがその子平太は、周囲の雄叫びによって現実に引き戻された。
歩兵数人による槍の壁の中へ、護衛の武者たちが遮二無二突っ込んで道を切り開いて行く。ある者は討たれ、ある者は手傷を負いながらも、その壁を突破する。
また目の前で、親しかった者達が死んで行く。
忠節篤かった者が、死に兵と化して行く。
突如、脇腹に痛みが走った。誰の得物かも解らぬ小槍が、子平太の脇腹を捕らえていた。
「子平太様、えぇい!」
槍を突き出していた雑兵を、護衛の一人が切り払う。
「子平太様!」
「騒ぐな修理、俺は平気だ!」
老臣から添えられる手を、振り解くように拒む。
俺はこの程度の事で、止まってはならないのだ。今、彼らが守り、兄が命を掛けて守ろうとした己自身を、この程度の痛みで止めてしまってはならないのだ。
そう言い聞かせ、彼は痛みを忘れながら、突破した雑兵の群から踊り出した。
牽かれて来た馬に素早く跨ると、堀の立てかけられた板橋を、一息に駆けさせる。
目の前に広がる光景は、嘘だと思いたいものだった。
其処は、全てが燃えているようだった。
「之が奴等の戦のなのか!?」
気の強そうに作りこまれた瞳に、一面に広がる地獄が写っていた。
統率者を既に失った友軍は、多勢の敵を相手に右往左往し、離脱もままならぬまま、次々と討たれて行く。敵は情け容赦無く、撫で斬りに斬り殺して行く。
逃げ惑う味方の兵が、期待の眼差しをこちらに向け、即座に絶望、そして怨恨の眼へと変えていった。
当初は、救出の為、城から打って出た騎馬隊だとでも思ったのであろう。だがそうではない事には、即座に気付かされる。部隊は極少数で、しかも中央の子平太を決死の覚悟で護衛する為、小さく纏まって何者にも眼をくれず、駆け続けて居たのだから。
何故俺達の頭は、これほどに弱いのだ。
何故、敵の軍勢に勝てないのだ。
これじゃあ、俺たちはただの巻き添えじゃないか。
死ぬ兵の悲鳴や、迫る敵兵の雄叫びが、まるでそれそのものが非難の声であるかのように、子平太の背へと突き刺さる。だが、反論のしようが無かった。
敵の家に靡かず、戦を決めたのも父ならば、戦の指揮を執り行ったのも父だ。その父は敵の策にまんまと嵌められ、打って出たが為に逆に押し包また。城は、搦め手の軍勢によってあえなく火の手をあげた。
子平太にとっても、父の采配は拙かったと思う。だが、大切な親族だ。子平太自身もその一族なのだ。
自分達には力が無かった。例え彼に実権が一切無くとも、その事は否定のしようも無い。
だが……
「どけェ、雑兵ども! 俺の行く手を阻むなァ!」
だが、一方では、これほどまでに精強な大軍を動員出来る組織が存在する。自分たちは、元から石高も低ければ、動員出来る兵の数も限られている。それなのに、奴等は、奴等はこんな小城を大軍で押し包んで殲滅する。
行く手に見える敵の徒歩武者や足軽を、次々に跳ね除けながら、馬を駆けさせた。
(何故、これほどまでの差が有るんだ!)
後から、彼を押し包んでいた護衛の者達が、遅れまいとして追いすがる。
「子平太様、我等はこれより取って返し、時間を稼いで参ります。後はこの者以下数名がお供致します」
老臣が、その白髪を血に染めていた。もう、返り血なのか自らの血なのかすら、判別しかねる。
「かくなる上は、必ずや落ち延びて再起を図って下されぃ」
「待て、修理!」
老臣は最早、既に遠かった耳を頑ななまでに遠ざけて、子平太の言を聞きはしなかった。
「追う敵を蹴散らしてこそ武勇の誉れ。我こそはと思うものは、濃に続けぇい!」
「応!」
取って返した修理の後を追い、数人の者が馬首を翻した。後ろへ追い縋っていた、真赤な騎馬隊が死に兵を前に速度を落す。赤揃えの武者達が掲げる、柊木勢の旗が動揺に揺れていた。
(皆死んで行く……)
敵との圧倒的な差の前に、それを覆す事も出来ず。
(何故、俺はこんな力の無い家に生まれた……)
一方では、あのように精強な家が存在するというのに。
「菱子平太、逃げるというのか!」
右側に別の騎馬隊が姿を現した。皆黒く染め抜かれた鎧に身を固め、一直線に子平太を目指して駆けている。その先頭に、先程の、女性のような神楽とか言う武者の姿が踊り出ていた。刀を子平太の一隊へ向け、周囲の騎馬隊へ声を発している。
これ程に鍛え上げられた騎馬隊を、子平太達の数十倍の数で、敵は揃えているというのか。
「矢を番えよ! 狙いを子平太一人に絞ります!」
やはり、将の身分なのであろう。神楽が左右の兵に命令を発していた。
(何故だ)
俺は、こんな地位の低く、弱い家に生まれた。
それなのに……何故、何故一方では……。
「放て!」
左右の護衛数人が、子平太を庇うように飛び出し、針鼠のようになって馬から転げ落ちた。
子平太達は、それを後ろに見ながら、森の中の狭い街道へと馬を進めて行く。数騎も横に並べば、それで道幅を覆い尽くしてしまう程であった。
残った数少ない護衛の一人が、左右の二人に目配せをした。三騎が、徐々に馬を抑えて速度を落していく。
「子平太様、お先へ! 各々二騎と斬り結べ!」
最早、子平太は止める術を知らなかった。止めても無駄なのは、既に修理の時に理解した。
彼等は追いすがる黒染めの騎馬武者どもと切り結び、僅かでも喰い止めようと刀を振るう。だがその直後、その努力すらも空しく感じられた。左右の兵は討たれ、それでも尚馬を転倒さえて敵勢を足止めせんとしたが、中央の一騎は、ものの見事に一撃で切り殺されていた。
奴、神楽雪乃梅だった。
子平太は自分の馬を見た。もう泡を噴き始め、速度は徐々に衰えつつある。自分自身は、左腕も動かなければ、脇腹からは止める事も出来ずに血が流れ続けている。護衛の兵は、既に一人も居ない。
それに対して奴はどうだ。後方に百騎は下らない騎馬武者が後を追い、それに対して自由に命令を発している。
「菱子平太!」
刀を抜いた神楽が、左脇に迫りつつあった。その刀が、何ら躊躇われる事無い鋭さをもって、子平太目掛けて振られる。
「何故だ……」
抜かれた刀が、辛うじて神楽の刀を弾いた。
胸に抱えていた、小振りの刀だった。
「何で俺はこんな身分の低い侍の子として生まれてきたんだ!」
「何をッ!?」
子平太の突然の叫びにも怯まず、尚神楽は刀の刃を返した。
「それなのに……一方ではお前みたいなのがいる!」
叫ぶ子平太は、相手の刀が振られる前に、勢い良く刀を振った。神楽の前髪が数本、薙がれて散った。
身体中に力が入っていない。もう、脇腹の怪我によって、血が流れ過ぎたいた。目の前が霞むかのように、揺れ動く。
「それは貴殿の理屈だ!」
腰を捻った大勢から、神楽が突きを繰り出す。それは子平太の肩を確実に捕らえ、貫かれた肩から激しい程の血飛沫が飛び散る。彼は、子平太の事などまるで労わりもせず、無理矢理刀を引き抜き、再び、固く刀を握り直した。
「貴殿には、天命が足りなかったのだ!」
一体どういう理屈だと言うのか。全ては天命次第だとでも?
ならば、何故その天命の差が、こんなにも顕著に表れるというのか。何故、自分が之ほどまでに小さな家に生まれたというのに。その一方で、城主が百騎近くの騎馬隊を従え黒揃えの騎馬隊を駆るのだ。
「この世は不公平だ!」
「全ては、乱世!」
振り下ろされた刀の漸激を受けて、子平太が突き出し、盾となった右腕が勢い良く宙を舞う。
血は、視界全てを埋め尽くすように飛沫を上げていた。脇腹の傷はますます開き、刀を掴んだ右腕は、今しがた胴体を離れていった。何故こうも世の中の不公平に、俺は押しつぶされる? それは、心からの叫びだった。
「絶対生まれ変わって、お前を討ってやる!」
叫ぶ子平太の胸を、神楽の刀が貫き通した。
討ち取った。神楽が頭でそう感じたその刹那、神楽の首に鈍い重みが掛かった。子平太の伸ばした左腕が、片腕で神楽の首を絞め付けている。眼には憤怒などではない、凄まじいまでの憎悪が、世に対する憎悪全てが、瞬いていた。
「そして必ず、国主に……なっ、や……る……」
子平太の意識は、其処で途切れた。
だが、痛みも苦しみも、それだけは永遠に続くような、そんな苦しさを残したまま、意識が途切れていった。
「有難うっさいっしたぁ!」
元気な声を出して本日最後の客を見送り、神楽龍影は暖簾を畳もうと手を伸ばした。
だが、その暖簾が引っ掛けられている金具に、一枚の紙が挟まっていた。
「紙……手紙かな?」
紙を手に取り、何気なくそれを見た彼は、顔色を変えた。そこには一文、単純明快な言葉が書かれていた。オマエを討つ、と。菱”子平太”の名を沿えて。
やや忘れかけていた記憶を掘り起こした神楽は、暖簾の隅を、黙って掴んでいた。
「思い出しちゃったしな、昔の事を。傭兵は止めだ、悪ぃが三河は、神楽、御前や北条に代わって俺が獲る。この今弁慶、菱賢がな」
誰に言うとでもなく、ぽつりと呟く。
同じ時間、別の場所で、菱賢は……いや、菱子平太は、一人で天竜川を眺めていた。
― 終 ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC3070 / 菱・賢 / 男性 / 16歳 / 高校生兼僧兵 / 菱・子平太(ひし・こへいた)
NPC / 神楽・龍影 / 男性 / 19歳 / 居酒屋店主 / 神楽・雪之梅(かぐら・せつのうめ)
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■ ライター通信 ■
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もう、先に謝ってしまいます。
申し訳有りません(平伏)
プレイング上では、河原で神楽に切りかかるとの事でした。
前回の猿渡廊下終了時に、私、戦闘以外でもと言っておりました。
ですがが、菱賢さんのプレイヤーさんが書いて下さったプレイングに余りに興味をそそられた為に、
落城シーンとなり、因縁描写の為に必死扱いて戦闘シーンを描きつづけてしまいました。
それで描いている間に文章は長文化していき、それに引きずられる形で、そのまま追撃、
神楽と菱の戦闘となってしまいました。
しかしその分、戦闘は可能な限り綿密に描かせて頂きました。
それだけでも満足していただければ、幸いかな、と思います。
それでは、稚拙ながらこれにて……。
今回も有難う御座いました。
追伸 : もう、毎度毎度4000文字をオーバーしてます……(滝汗)
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