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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


彼と彼女と秘密の夕暮れ


 特に人恋しくなったから足が向いたわけではないと思う。それは既に体に染み付いた散歩コースとも言うべきルートで、見知らぬ土地で置いていかれた犬が迷う事無く自分の家へと戻る帰巣本能にも似ている―――かもしれない。
 全くの無意識、本能に近い行動であるが故に、ふと気が付いて顔を上げた視線の先に見慣れたいつもの後ろ姿を見つけて、藍原・和馬は我ながら少々驚いたのだった。
 これもいわゆる病気の症状なのだろうか。お医者様でも草津の湯でも治らないというあれだ。道の真ん中で木枯らしに吹かれながら自分の行動を何となく分析してみたが、はっきり言って自分と彼女には死ぬほど似合わない言葉のように思う。たまたま帰る方向が同じだっただけだよな、と考え直し和馬はいつもと変わらぬ態度で声をかけた。
「おーす。何してんのー」
「……それはこっちの台詞だろ」
 和馬の呼びかけに振り返った藤井・葛は風に乱された真っ直ぐな黒髪を軽く整えながらそっけなく言い返した。
 葛の言い分は尤もだろう。何故ならここは葛の通う大学の目の前で、こんなところで何をしているのかと問うならば、それは和馬ではなく葛の方が立場的に合っている。
 大体にして、授業が終わった大学生達の集団の中、黒いスーツの和馬が紛れているのは目立つ。秋も深まり並木の葉が綺麗な赤や黄色に色付いている周りの景色のせいもあって、黒一色が更に浮いて見えるのかも知れない。彼の姿が目に付くのはそれだけではないのかも知れないが、葛がそれをしっかり自覚するのはまだまだ先のようだ。
「授業終わったんだ」
「うん、今から帰る。和馬も仕事帰りか?」
「ま、そんなとこ」
 和馬が近付くのを待って、葛が歩き出す。和馬もそれに合わせて葛と肩を並べた。特に何も言わずとも、自然と二人で同じ方向に歩き出した。
 他愛のない世間話をしながら歩いているうちに、話題は二人が参加しているネットゲームの話になった。MMOと呼ばれる類のもので、二人はその中でパーティを組んでいる相棒だった。
 ゲーム内だけの相棒はいまやリアルでも相棒だ。それ以上に発展するかは―――さて、どうだろうか。
「葛、今度いつ上がる?」
「そうだな……課題は終わったから明日くらいから上がれるよ」
「あー、助かるわー。アイテム取りに行くのにやっぱ一人じゃ辛くてなあ」
 葛が学業に忙しくネットに上がれなかった間、和馬はレアアイテムを探す事に重点を置いてゲームに参加していた。しかし、レアと言うだけあってそう簡単に出現する物ではないし、入手できる場所もレベルの高いモンスターが徘徊していたりして、余程自分のレベルが高くないと単独でアイテムを持ち帰るのは難しい。
 そんな事は承知のはずなのにわざわざ「一人じゃ辛い」と言う和馬に葛は質問を返した。
「俺の代わりに誰かと組んでなかったのか?」
「いや一応一回だけ誘ってみたのよ。それが外人でさー。言葉がロクに通じないからスムーズに意思疎通できなくてさ。打ち合わせした作戦無視するわ、回復する前に突っ込んで自爆するわでもう散々。二度と外人とは組まんぞ俺は」
 盛大に溜息を吐くと和馬は笑って葛を見た。
「やっぱりパートナーはお前じゃないとな」
 その言葉に葛は一瞬ドキリとする。さらりと言われた言葉にどれほどの意味が込められているかは分からないが、自分が彼にとっては一番頼れるパートナーであると言われて、素直に嬉しかった。
「俺の大切さを実感したか」
「ハイそれはもう十分に。葛様のおかげで生き残れてます」
 おどけたように深く腰を折る和馬に葛は顔を綻ばせた。そして、ふと前方を指差す。
「じゃあ感謝の印にあれ奢ってよ」
「ん?」
 葛が指した方向へ顔を向けると小さな児童公園の入り口に石焼き芋のトラックが停まっていた。人間の感覚というのは不思議なもので、石焼き芋のトラックを認識するまでは特に何も感じなかったのに、それを目にした途端、そこから流れてくる煙と香ばしい芋の香りとに寒さと少しの空腹を感じた。
「おー、美味そうな匂いがしてると思ったら焼き芋か」
「公園で食べてこうよ」
「そうだな」
 葛の提案に頷くと、和馬はトラックに寄りかかっている焼き芋屋の親父に「甘くて大きいやつ二本ね」と手を振った。

* * *

 午後も夕方に近い時間になると、公園で遊ぶ子供の姿も少ない。それでも、寒さを物ともせずに敷地内を走り回る小さな歓声を聞いていると自然と笑顔になる。
「子供は風の子。元気だよな」
「年寄りくさいよその台詞」
 焼き芋を手にしみじみと呟く和馬の表情に、なんだかオヤジ臭さを感じて呆れながら言うと、
「お互い様だろ。背中丸めてるとババァに見えるぞ」
「失礼な事言うな」
 寒さで縮こまる葛にお返しとばかりに年寄り発言をする和馬の頭を軽く叩く。
「傷付いたから飲み物も買ってきてよ」
「俺も傷付いたんだけどなー」
「早くしないと焼き芋冷めるから」
「へーへー。わっかりましたあ」
 しっしっと犬を追い払うように手を振る葛に不満げな顔をしつつも、和馬は自販機の方へと歩き出した。

* * *

 公園の端にあるベンチに並んで座ると、和馬は買ってきたホットの缶コーヒーを葛に渡し、代わりに焼き芋を受け取った。新聞紙の中から焼き芋を出すと半分に割る。石の中でよく焼かれた芋は閉じ込めていた熱い湯気を外に解放し、見るからに甘そうな黄金色の中身を見せた。
「お、こりゃ美味そうだ。いただきまーす」
「いただきます」
 熱さを冷ましながらかぶりつくと、やはり甘い。これは当たりだったな、と二人は顔を見合わせて笑った。
 暫く焼き芋に没頭したあと、先に食べ終わった和馬はベンチの背にもたれかかった。
 気が付けば子供達は既に帰ってしまい、夕陽が半分地平線に沈みかけている。夕暮れ時の空の色はどうにも気分を切なくさせる。日が沈み始めるのと同時に急激に冷える空気が、楽しかった一日が終わってしまう寂しさとともに身に染みるからだろうか。
 そして舞い落ちる枯葉に冬の到来を思えば、一年の終わりもまた見えてくる。
 和馬は温くなってしまったコーヒーを一口啜ると、小さな溜息を吐いた。
「しかしまあ、早いよなあ。もう年末だぜ」
「そうだな。なんかあっという間だな……」
「葛はどうすんの、年末」
「ああ、実家に帰るよ。去年は卒論で缶詰だったけど、今年は余裕あるからさ」
「ちびすけも一緒にか?」
「うん」
 和馬の言う『ちびすけ』というのは葛の家にいる居候の事だ。緑色の髪をした人懐こい笑顔の幼い男の子だが、実は人間ではなく、オリヅルランの化身だったりする。妖精とかそういう類のモノらしい。葛の家に行くたびに「おにいちゃん遊ぼうなのー」と懐かれ、和馬も弟のように可愛がっていた。
「そうか、アイツも一緒か。ちょっと寂しくなるなあ」
「でも、和馬も帰るんだろ」
「え? どこに」
「実家」
「あ、あー……実家かあ……んー……」
 会話の流れから自分にも振られるであろう事は分かっていたものの、実際言われてみて和馬は思わず言葉に詰まってぎこちなく視線を外した。
 和馬は外見こそ普通の人間だが、その体にはワーウルフの血が流れている。能力を解放すれば黒き獣へと姿を変える異形の種族だ。
 人とは違う血を引く和馬は、年の取り方も違う。三十前後の外見はしているが本来の年齢は九百歳を超えている。普通の人間よりも遥かに長く緩やかに生きているのだ。
 だから、実家と言われてもどこを指せばいいのか分からない。気の遠くなるような人生の中、いくつもの場所でたくさんの人々と暮らし、その場所や人が朽ちて無くなるのを見てきた。生家と呼べるものも実の親と呼べるものも、和馬の記憶の中では既に風化して久しい。
 そして和馬はまだ、葛に自分の事を話していない。親しくなればなるほど、話す気持ちが尻込みしてしまう。いずれは分かってしまう事実なのだから自分から言い出す事はないと思う反面、黙っていたらいたで後で文句を言われそうな気もする。
 しかし、葛が自分の秘密を受け入れてくれるかどうかは分からない。もし拒絶されたとしても、お互いの距離がまだ曖昧な今のうちに話してしまった方が傷は浅いのだろうか。
 でも、いや、それとも―――――。
「実はな」
 和馬は迷いを振り払うように一つ深呼吸をすると、これ以上ないくらい真剣な顔で葛を見つめた。
「実は生き別れの親がアルゼンチンに出稼ぎに行ってるんだ。その為に俺は日夜バイトして、親を探しに行く旅費を貯めてたりするわけだ。まだ予定額に達してないから今年も会いにはいけないんだよ」
 あまりにも真剣な表情に一体何を言われるのかと緊張して和馬を見つめ返していた葛は、次の瞬間思い切り脱力した。
「それ、『母を訪ねて』じゃないか」
「これからはマルコと呼んでくれ」
「バーカ」
 焼き芋を包んでいた新聞紙を未だ真剣な表情を崩さない和馬に投げつけると、葛はベンチから立ち上がり出口へと歩き始めた。
「おーい、待てってば」
 地面に積った落ち葉を踏み散らしながら公園を出て行く葛を、和馬は慌てて追いかけた。

* * *
 
 公園を出て暫く歩くと葛のアパートが見えてきた。それを見て何か思い出したのか、和馬は足を止めて「あ」と一言呟いた。立ち止まった和馬より、二、三歩先で歩みを止めて葛が振り返る。
「どうした?」
「いや、ちびに買ってかなくて良かったのかなーと思って」
「何を?」
「焼き芋」
 留守番中の葛の小さな同居人は、二人だけでおやつを食べた事を知ったら怒りそうな気がする。和馬はそう言って葛を見た。
「でもあそこから買って帰っても冷めちゃうから。それじゃ美味しくないだろ。仕方ないよ」
「そっか。じゃあ俺たちが二人だけでおやつ食ったのは秘密な」
 納得したようにうんうんと頷くと、和馬は口元に人差し指を当てて軽く片目を瞑って見せた。
「そうだな。秘密だな」
 葛は和馬にそう答えると笑顔を見せた。

* * *
 
 自分の家に入っていく葛の背中を和馬はじっと見つめていた。
 中に入る寸前、扉に手をかけたまま一度振り返ってこちらを見た彼女にもう一度「内緒だぞ」と声をかける。
 葛が小さく頷き片手を挙げて室内に消えていくのを確かめると、和馬はそのまま視線を上げてすっかり暗くなった空を見上げた。
 今は寄り道して買い食いしただけの小さな秘密しか共有していないが、いつか自分の中の大きな秘密も二人で分かち合える日が来るのだろうか。その時彼女は自分を受け入れてくれるだろうか。
 星の瞬き始めた空を見上げて吐いた息は、熱々の焼き芋から出る湯気と同じく白かった。


[ 彼と彼女と秘密の夕暮れ/終 ]