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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢から覚める 必要なのは魔法の言葉?


 まっさらで気持ちのいいシーツ。
 フカフカのお布団。
 柔らかい枕もとても気持ちが良くて蒲公英は好きなはずなのに、今日は少しだけ違う。
 ゆったりとした目覚めではなく、胸がとてもドキドキしている。
 夢を見ていたのだ。
 すごくしっかりとしていたのに今はとても朧気で……全ての事に霞がかかったようにあやふやな。
 だからこそ夢なのだろう。
 薄れいく記憶の中でも覚えている事もある。
 夢の中の蒲公英はもっと大人で背も高くて、どこかの学校の制服を着ていた。
 見た事もない廊下を歩いて、知らない場所で当たり前のように生活している蒲公英。
 授業を受けたり。
 図書館で本を読んだり。
 今と変わらないけれど……何処か違う。
 親しい人も、知らない人も沢山居た。
 それだけの事なら、きっとこんなにドキドキしない。
「………」
 時計を見ればまだとても早い時間。
 目覚ましが鳴る時間より二時間も早い。
 もう一度寝ても平気なぐらいだったけれど……目蓋を閉じる気にはならず、暖かい布団の中から出てもまだ。
 蒲公英の心臓の音はとても大きくなり続けている。
「……なんで?」
 どうしてあんな夢を見たのだろう?
 知らない人と、あんな事を。
 ぎゅうっと自分を抱き締めるように肩を抱き締める。
 はっきりと覚えている所もある。
 何事もなかったはずの日常なのに、不意に混ざる予想もしていなかった出来事。
 想像した事もない『何か』
 寝ていた……そう、夢の中でも蒲公英は寝ていた。
 ウトウトとして意識のはっきりしない蒲公英に、金色の髪をした男の人が体や髪に触れ撫でたり……もっと色々な事をされたよう気がする。
「………」
 フルフルと首を振り、ソロリとベッドから抜け出す。
 その時に枕元にあるヌイグルミを抱き締め朝の挨拶をするのは忘れなかった。
「……おはよう、ございます」
 柔らかい感触に、ドキドキは少しだけ治まった気がする。
 ホッとして部屋から出た蒲公英は、まだとうさまが帰ってきていない事に半分だけ寂しくて、半分だけホッとした。
 誰にも言えない事なのに、今の蒲公英を見たらきっと何かあったと気付いてしまう。
「………」
 歩く度に身長と同じぐらいに伸びた髪が軽く揺れるのに、夢の事を考えるとどうしたらいいのだか解らなくなってしまう。
 頭をスッキリさせようとスリッパを履き、お風呂に行く事にした。
 まだ寝ている家族達を起こさないようにそっと歩く。
 お風呂場の電気を付け、パネルを操作してちょうどいい温度になるように調節してから着替えとタオルを用意し、髪をまとめて服を脱ぎ始めた。
 一つ一つボタンを外し、服の裾を持って胸の辺りまでまくり上げる。
 これじゃあ脱ぎにくいと腕を交差させて頭を通し、袖を抜いて乱れた髪を背中へと流す。
 脱いだ服はこのまま洗っても平気なものだからと洗濯機に入れ、同じく下着も脱いでからお風呂場のドアを開ける。
 ひんやりとしたタイルを足の裏に感じながら、手を伸ばしてシャワーを出してお湯になるのを待つ。
 体に水がかからないように気を付けながら、掌で暖かくなるのを待って腕、肩の順にシャワーをかけていく。
 暖かさにホッとした途端、夢の内容を思い出してしまう。
 足や胸をそっと撫でる大きな掌。
 とうさま達が優しく頭を撫でるのとは全く違う。
 いつもなら頭を撫でられたら嬉しい気持ちになるのに、夢の中では信じられない程にドキドキしていた。
 こんなに早く心臓が動いて大丈夫なのかと不安になってしまうぐらい早く。
 よく解らない夢を見たり、痛いと思うほど早く動く心臓に、蒲公英は自分がどこかおかしくなってしまったのだろうかと心配になってくる。
「………っ」
 どうしてこうなったのか解らないし、理由も解らないけれど誰にも話せないとキュッと固く口を閉ざす。
 大丈夫、あれはただの夢なのだから。
 縮めていた体の力を抜いて、何処かでドキドキしていた時にはこうすると良いというのを聞いた事を思い出す。
「………すう、はぁ」
 大きく深呼吸を一回、二回、三回。
 きっと、これで。大丈夫。
 シャワーを壁にかけてから椅子に座り、石鹸を泡立てる。
 真っ白になったスポンジで体を洗い始め、届きにくい背中から足のつま先まで丹念に洗い流していく。
 体の次は髪も洗う。
 きれいにするのは時間もかかるし大変だったけれど、ゆっくりと時間をかければきれいになるから好きだった。
 シャンプーを手に取って頭のてっぺんから横に流し、下の方で風呂桶に付けた髪の先まで、ゆっくりとした手つきでシャンプーを泡立てていく。
 甘くて柔らかいシャンプーの香りがお風呂場に広がる。
 とうさまが好きだと言ってくれたこの香りや、きれいにした方が良いと言ってくれるこの髪が好きだった。
 シャンプーを何とか終えて、ここまでで半分。
 かなり時間が立ってしまったけれどリンスが残っている。
「……ふう」
 もう少し、頑張ろう。
 とうさまの力を借りなくても一人でやってみたい。
 シャンプーの時と同じように、蒲公英は髪を洗い始めた。



 お風呂から上がる頃には、時計の針はかなり進んでいた。
 濡れた髪をタオルに包み、小さいバスローブを身につけてドライヤーを捜す。
 このまま歩いたら床が水びたしになってしまうし、服も濡れてしまう。
「どこでしょう……あっ」
 五分ほどして見つけたドライヤーは、昨日使った時に急いでいたようでそのままにしてしまったのだろう?
 蒲公英には手の届かない、高い場所に置かれてしまっていた。
「えっと……」
 少し考えてから、何か椅子を取ってこようと廊下に出た蒲公英に声がかけられる。
「どないしたんや、蒲公英?」
「……あ、とうさま」
 なにか変わった所を指摘されないかとドキリとしたが、その心配はないようだった。
「一人で風呂はいっとったんか、えらいなぁ? ちゃんと洗えたみたいやし」
「はい……」
 ふわりとタオル事に頭を撫でられ、ホッとする。
 優しい手。
「髪濡れたままやと風邪引くから、すぐに乾かしたるな」
「はい、とうさま」
 きゅっとしがみついてから、蒲公英は顔を上げる。
「悪かったな、ドライヤーここにあったら届かんかったやろ?」
 ドライヤーを置いていった事に気付いて謝るとうさまに、小さくだが首を左右に振った。
「来てくれたから……だいじょうぶ、です」
 もう、大丈夫。
 言うべき事を一つ忘れていたのを思い出した。
「……おはようございます、とうさま……」
「おう。おはよう、蒲公英」
 夢の話はもうお終い。