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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


鏡は何故泣く

「おや、いらっしゃい」
 真迫 奏子(まさこ・そうこ)が店を訪れた時、店主の蓮は丁度電話をかけようとしていたようだった。受話器を戻そうとする蓮に、奏子は気にしないでと片手を上げた。アンティークショップ・レンは気に入っている店の一つだが、今日は何かを探しに来た訳ではない。
「ちょっと暇つぶしに寄ってみただけだから…気にしないで?」
 と言うと、蓮はニヤリと笑った。嫌な予感と期待を感じさせる微笑に、奏子は自分がかなりタイミング良く登場してしまったらしい事に気付いた。案の定、蓮はカウンターに腕をついて、言った。
「ちょこっと、手伝って欲しいんだけど。いいかい?」
 つい身を乗り出した奏子に、蓮が頼んだのは、返品される鏡の回収。
「ちょいと難ありでね。本当なら自分で行きたいとこなんだが、生憎と客が来ちまうんだよ。頼めるかな」
「返品ねえ・・・」
 何となく興味がわいて、二つ返事で引き受けたのは良かったのだが…。

〜鏡よ鏡〜

 微かなすすり泣きを漏らしながら、はらはらと涙を落とす『それ』に、奏子は溜息をつきつつ拭いてやった。昼前の公園にはまだ人気がなく、お陰でベンチに腰を下ろしたまま泣き続ける『それ』と並んでいても、幸い注目する人は居ない。全長約20センチ。丸い鏡面は美しく磨かれ、縁取りは手の込んだ銀の細工。柄の太さも申し分なく、女性の手に馴染む良い品だ。バタ臭いのは好みではないが、これなら一つあっても良いかも知れないと、奏子も思う。…泣いてさえいなければ、だが。
返品主の若い女性は、蓮の代理だと言うとほっとしたような顔をして大きな包みを差し出した。タオルでぐるぐる巻きにされ、更にはビニール袋にくるまれた物体をそのまま持ち帰る程、奏子はいい加減ではない。ちゃんと中身を確認しなければと思ったのが仇となった。止めた方が、と言う女性の言葉を尻目に梱包を解き、何故かじっとり濡れているそれをひっくり返した瞬間、奏子は思わず硬直してしまった。美しく輝く鏡面に映し出されていた彼女の顔が、何故かぽろぽろと大粒の涙を流していたからだ。更にすすり泣きすら聞えて来ては、ちょっと平静ではいられない。一瞬ぶち割ろうかとも思ったが、堪えた。返品主によれば、鏡が泣き出したのは買って2日後の事だったという。以来、鏡面を覗けば泣いてもいないのに泣き顔が映り、声に至っては鏡を伏せていても微かに聞えてくる。それでは返品も致し方ないだろう。代金を返し、泣き濡れる手鏡を持ってその家を出るとすぐに店に電話を入れた。
「ちょっと、蓮さん、この手鏡、どうなってるのよ?ずうっと泣きっ放しなんだから」
 抗議すると、くっくと笑い声が聞えた。
「やっぱり、覗いちまったのかい?」
「・・・まあ、ね。でも、あんなままじゃ、店に戻してもダメなんじゃないの?返品以前に売れないわよ」
「ああ、それなら平気だよ。しばらく封印しときゃ泣き止むさ。ただそいつはどう言う訳だか、泣き虫でね。前にも2回ほど出戻って来てる」
「2回も?!」
 話している間にも、鏡面には新たな雫が伝っていた。それをじっと見つめている内に、奏子の胸をふとある思いが過ぎった。
「この鏡の…前の持ち主は、どんな人なのかしら?」
「詳しい所は知らないが、持ち込んだのは若い男さ。お前さんも名前くらいは聞いた事があるだろう…」
 そう言って蓮が教えてくれたのは、とある新興財閥の御曹司の名だった。奏子も一度だけ、彼の父親の座敷に出た事がある。確か、婿養子だと聞いた。金が全てと言う感じの冷たい顔をした男だったが、まだ十代だという息子の評判も芳しくない。遊ぶ金欲しさに家の物でも持ち出したのだろう。
「売りに来た奴は気に食わなかったんだが、物は気に入ってね。とても大切に使われてきた物のようだから」
 蓮の言葉に、奏子も頷いた。銀の手入れは面倒だが、縁の銀細工には少しの黒ずみも無い。それが何故、ドラ息子に売られてしまう事になったのだろう。
「ねえ、蓮さん」
 決意するより早く、言っていた。
「この鏡、ちょっと預かっても良いかしら」
 携帯を切った奏子が鏡と共に向ったのは、ドラ息子…もとい、御曹司の自宅だった。何と言って訪問するかは、既に決まっている。

〜 鏡は何故泣く 〜

「あのう、私、アンティークショップの者なんですが」
 インターフォン越しに答えた明るい声は、多分使用人か誰かだろう。奏子は名乗ってから、少し声を落として続けた。
「実は…。こちらの息子さんが私どもの店にある物をお持ちになられまして。身元のしっかりした方でしたから、一応買い取りはさせていただいたのですが、失礼ながら未青年の方の場合、保護者の方の許可を頂かなければならないと言われまして」
 しばらくして、門が開いた。案の定、御曹司は親には内緒で鏡を持ち出していた。家族もドラ息子には相当手を焼いているようだ。奏子はこつこつとパンプスの踵を響かせて、石畳の小道を抜けた。

「それで、その…品と言うのは?」
 通された応接間に居たのは、中年の女性だった。実業家夫人としては少々地味ではあるが、品は良い。彼女は奏子が持ってきた鏡を一瞥した途端、苦々しげな表情を浮かべ、言った。
「それならば、構いません」
「よろしいんですか?少々難はありますが、見た所かなり高価な」
「いいんです。母はもう、それを使う事も無いと思いますから」
 夫人の言葉に、奏子は少し眉をひそめた。
「失礼ですが、お母様は…」
 奏子の言わんとする所を察して、彼女は首を振った。
「忘我状態、と言うのでしょうか。意識はあるのに、何にも反応しないのです。…それ以前から、似たようなものではありましたけれど、ね」
 そう言って誰にともなく苦笑すると、彼女は真っ直ぐに奏子を見上げた。
「ですから、引き取っていただいて結構です。勝手に持ち出した息子には呆れますけれど、お恥ずかしい話、今に始まった事ではないのです」
「けれど、お母様が大切にされた品では?」
「だから、と申し上げた方が宜しいかも知れません」
 ぴくりと眉を上げた奏子に、彼女は少し悲しげに笑って、奏子の傍らに置かれた鏡を見た。鏡はいつの間にかしっとりと湿る程度に乾いており、ひっきりなしに聞えていたすすり泣きも止んでいた。奏子は鏡を覗いてみたい衝動に駆られたが、やめた。夫人は話を続けた。
「綺麗だけれど、冷たい。その銀細工みたいな人です、母は。いつも美しく装って、微笑みを浮かべて。…父が死んだ時もそうでした。手鏡を見ながら、微笑んで。一筋の涙も流さなかった、そんな人なのです」
 静かな口調だったが、それだけに母親に対する不信と嫌悪も強固なものに感じられた。
「父にも…問題が無かったとは言いません。その、女性関係のトラブルもありましたし。でも、そんな時ですら母は微笑んでいたのです。私はそんな母が、嫌で堪らなかった」
「そう…ですか」
「だから、それはどうぞお引取り下さい。仰る通り、良い品ですから。…それとも、何か問題があるのでしょうか?」
「いえ、貴女がそう仰るのなら…」
 無理に返す必要は無い。だが、気になる事があった。断って携帯電話から一本だけ電話をした後、奏子は言った。
「一つ、お願いがあるのですが」
 この鏡の持ち主であった、貴女の母親に会わせて欲しい。出来れば貴女も一緒に。怪訝そうな顔をしながらも彼女が案内してくれたのは、規模は小さいが中身の豪勢な事で有名な、とある病院だった。

〜 鏡の中には 〜

 老婦人を見た時、奏子は素直に『美しい人だ』と思った。ベッドの上に身を起こし、真っ直ぐに前を見詰める瞳は澄んでおり、顔立ちには老いても尚漂う気品があった。だが、二人が部屋に入っても、ベッド脇の椅子に腰掛けても、彼女は全く反応を示さなかった。
「母がこんな状態になったのは、半年ほど前だと聞いています。手鏡を息子が持ち出したのは、こうなった後だったのか、それより前だったのか私には分かりませんけれど」
 母の病室を全く訪れていない事を隠そうともうせずに言うと、夫人は奏子のバッグをちらりと見た。
「お分かりでしょう?こんな状態の母には、そんな鏡、あってもなくても同じなのです。だから」
「いいえ」
 奏子は静かながらもぴしゃりと言うと、夫人を見、少しだけ微笑んだ。
「彼女にとってとても大切なものなんですよ、これは」
 奏子はバッグの中から、今は新聞紙で簡単に包んだだけの手鏡を取り出した。
「貴女から、返してあげて下さい。出来ればこう言って…」
 奏子が口にした言葉に、夫人は驚いたように目を見開いたが、やがて頷くと奏子の手から手鏡を受け取った。ゆっくりと母親の前に立ち、手鏡を彼女の手に握らせる。そして、彼女に目線を合わせるように屈んで、言った。
「お母様、貴女の涙をお返しします」
 娘の声に弾かれたように、母親が顔を上げる。その瞳から涙が伝って落ちると同時に、鏡に残されていた水滴が、すうっと消えて行く。鏡の中に封じ込められていた母親の涙が、解放された瞬間だった。涙を流しながら娘の名を呼び両腕を伸ばす母親を、彼女はそのまま抱きしめた。しっかりと抱き合う母娘を残して、奏子は病室を後にした。鏡はもう、泣かないだろう。

「それで、置いてきちゃったのかい、物は」
 カウンターに肘をついて、蓮が先を促した。奏子が戻ったのは、閉店時間を過ぎてからだった。二人の前には、彼女の淹れたお茶が置かれている。
「…ごめんなさい」
 謝る奏子に、蓮はいいよと手を振った。
「よくある事だし。…ちょっと面白い鏡だと思ったんだけど。まさかそんな事情があったなんてねえ」
「娘が思ってたような冷血女じゃなかったのよ、あの人。本当はずっと長い事、一人きりで泣いて来たのね。…心の中で」
 夫人の話を聞いた奏子は、すぐに返品してきた女性に電話を入れた。鏡が泣き始めた二日前、何か変わった事は無かったかと聞いたのだ。案の定、彼女は恥ずかしそうにこう答えた。『笑顔の練習をしていたんです』と。彼女の場合は、ただ単に写真撮影の為の練習だったようだが、多分、あの老婦人はずっと一人でそうやって笑顔を作り続けてきたのだろう。娘にも、夫にも知られる事無く。そして彼女が心の中で流した涙は、愛用してきた鏡の中に封じ込められたのだ。心の一部…涙を封じた鏡を取り戻して、母親は正気を取り戻した。娘はきっと、母の真実に薄々気付いていたのだろうと奏子は思う。だからこそ、彼女の提案を受け入れたのだ。彼女もまた、心の中で涙を流し続けてきた一人なのかも知れない。そして…。
「で、どうだった?」
「何が?」
「自分の泣き顔見た感想だよ。久しぶりに見たんじゃないのかい?」
 にやりと笑いながら言う蓮に、よくお分かりで、と心の中で呆れながら、奏子はうーん、と考えてから、言った。
「ちょっと、新鮮だったかもね」
 蓮の言う通り、鏡の中とは言え、涙を流したのは久しぶりだ。最後に泣いたのはいつだったか。思い出そうとしても思い出せない。自分で言うのも何だが、結構気は強い方で、他の人ならば泣いて諦めるような場面でも決してくじけたりはしないと言う自信はあるし、実際その通りにやって来た。けれど…。鏡に涙を封じ込めた老婦人を見ていて、ふと思ったのだ。もしかしたら自分も、知らぬ内に流す涙を、どこかに封じ込めているのではないだろうか、と。
「どうかしたかい?」
 ふいに黙り込んだ奏子に、蓮が意味ありげな視線を送る。全てを見通したような瞳を軽く睨み返してから、
「何でもないわ」
 と微笑んだ。

<終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1650/真迫 奏子(まさこ・そうこ)/女性/20歳/芸者】
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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターのむささびと申します。依頼参加、ありがとうございました。涙を封じ込めた手鏡、お楽しみいただけましたでしょうか。真迫さんには、前の持ち主を辿っていただきました。姉御肌で強気な姐さんにも、もしかしたらどこかに封じ込めてきた涙があるのでは?と思い、こんなラストになりました。もっと気風の良い所など書いてみたかったのですが、ネタがネタでしたので。すみません。
いつかまた、お会いできる事を願って。