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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


□■□■ Holiday Holyday Horrid day ■□■□


「ッ、そ」

 七枷誠は小さく毒づきながらも身体を跳ねさせた。幸い夜に差し掛かった夕方という時間のため、公園には人気も無い。他人を巻き込む心配が無いのは良かったが、現状ではそんな事を考えていられる余裕も無かった。呼吸は上がり、シャツも汗で身体にところどころ貼り付く。だが相手は体勢を立て直す暇など与えずに、彼に向かって黒い腕を振り下ろした。爪を避ける何度目かの動作、着地に失敗し地面を転がる――

「誠さん!」

 夜木幸が叫ぶ声に、黒爪の獣は赤く光る眼を彼女に向けた。目隠しを上げて片目だけを外気に晒していた幸はそれに気付き、一瞬だけ小さな声を上げる。狙われているのは自分だ、それは判る。だが理由は、判らない。混乱した頭の中でそれでも友人を傷付けないため、彼女は立ち上がった。最初の一撃を避ける際に誠に突き飛ばされ、へたり込んでいたのだ。茫然としている場合ではない、逃げて、せめて彼から奴を引き離さなければ。

「ッ誠さん、逃げて下さい、俺が引き付け」
「――内に熱を秘め蠢きながらここで静寂を保つ地よ、今その大口を開けて彼の者を飲み込むことをここに『命じる』!」
「ひぁあっ?」

 幸の言葉を遮って誠が繰り出した言霊が音も無く浮かび上がり、獣の足に集まった。正確にはその足下の地面にである。丸い光の塊が消えると同時にその足下が崩れる、地割れ――衝撃に幸が再び体勢を崩し、逆に立ち上がった誠はチッと軽く舌打ちをした。もう少し精神を集中する間があれば多少は規模の大きい亀裂を生めただろうに、現実にはその片足を挟む程度である。すぐに脚は引き抜かれ、爪は再度彼に襲い掛かる――

■□■□■

 誠が教会を尋ねてきたのは、丁度幸が牧師の留守を預かっている時だった。お茶でも出しましょうかと申し出る彼女を誠は街に誘い、社会見学のように色々な場所を歩き回っていた。
 目隠しを少しだけ上げて片目を晒し、幸は物珍しげに辺りを見回す。その様子がなんだか外見にそぐわず小さな子供染みているのが少し笑いを誘って、可愛らしかった。

「なんだ、そんな外に出ないのか?」
「は、はい……ほら、俺ってこの格好でしょう? 牧師の服は仕方なくても、目隠しに枷だと……やっぱり変かなぁ、と」
「妖怪やらたまには宇宙人やらが闊歩してる東京じゃ、インパクトは弱い方だと思うけどな」
「う、か、からかわないで下さいよ誠さんっ。色々、俺の事狙ってくる悪魔も居ないわけじゃないらしくて、やっぱり怖くもあったんです」

 ふ、と幸は俯く、零れかかった黒髪が一瞬その顔を陰鬱そうに見せて、誠は彼女の手を少し強く引いた。手枷が小さく音を立てる、足枷も同時に。わ、と慌てて足を踏み出し、幸は誠を見上げた。小さな苦笑を見せて、少し落とした速度で彼は脚を進めていく。幸は苦笑の意味が判らず、それになんとなく続いた。同じように歩いて行く人々が脇をすり抜ける。何と無く視線を向けたショーウィンドウの中の自分達は、やっぱり少しだけ似合わない組み合わせかもしれないと、彼女は思った。

「例えば、だ。すぐ隣のショーウィンドウを覗くと、俺達が見えるな」
「え? あ、はい、そうです……ね」
「黒装束に目隠しに手枷足枷、確かにちょっと変わってる姿が映る。それは現実」
「う……い、言わないで下さいってば」
「じゃあ通りの向こう側のショーウィンドウには?」

 言われて、幸は顔を傾けた。眼を露出させている方ではないので、顔ごと傾けなければそれは見えない。片目が隠れていて遠近感が掴めない所為か、ガラスに映った像は見えなかった。誠はそちらを見てすらいない、幸が首を傾げると、誠は小さく笑って見せる。

「何も見えない、でも多分俺達は映ってる。でも小さくてその詳細部分は判別しない。群衆の中の一人にしか見えない。どんな格好してても、むしろこうやって広い場所に出ると判らなくなるものなんだよ」
「え、っと……つまり、そんな気にしなくても良いってことですか?」
「そういうことだな。まあ単純な比喩で戯言扱いされても仕方ないかもしれないけれど、憶えておくと少しは楽だろうと思う。こうやって楽しむ時間を、純粋に楽しめるからな」

 足を止めた誠が、店先に出されていたカートの中に手を突っ込んだ。後ろを歩いていた幸が何だろうかと覗き見ようとしたところで、その顔にふわふわしたものがぽすっと当てられる。わぷ、と慌てて顔を離せば、ウサギのぬいぐるみだった。見ればファンシーショップの店先である。
 手をふりふり、ウサギは幸の髪にぶら下がる。重さからして機械仕掛けではないのだから、誠が何か言霊でも吹き込んだのだろう。あわあわ、昇られるのに慌てる幸を、誠は少し意地悪い顔で笑った。だがその眼には、小さく優しい光が宿っていた。

 商店街をただ歩いているだけでも、幸は楽しかった。牧師はあまり外に出歩かないし、買出しがあっても彼女は自然と留守を任されていた。店先に並ぶ様々な商品を最初は眺めるだけだった幸も、やがて手にとって遊ぶようになり、誠に悪戯も仕掛けた。

 不穏な気配の無いのどかな休日の様相だった。結局買った最初のウサギを膝に乗せ、二人は公園のベンチに座る――時刻は夕暮れ。歩き回って多少脚が疲れた感はあったが、それでも、楽しかった。

「誠さん、今日はありがとうございました。街に出ることって本当になかったので、とても楽しかったです」
「ああ――そろそろ帰るのか?」
「はい、もう牧師さんも帰っている頃だと思いますので。俺が居ないと判ったら、多分怒ると思うんですよ……心配より怒りのイメージです」
「……フォローは出来る限りしよう」
「切実にお願いします」

 くすくす、笑い合う。ぴょんっとぬいぐるみのウサギが跳ねた。ピンクのそれは夕日を浴びて、更に明るい色合いに変わっている――ふっと、それが黒く染まった。否、影に覆われた。
 誠は幸を突き飛ばす、突然のことに受身の取れなかった彼女は地面に転げた。そしてベンチの彼女が座っていた位置が、抉られるように粉砕される。飛んだ木片がウサギに刺さった。

「ッ、な」
「――悪魔」

 舌打ちをして誠は、小さく息を吸った。

■□■□■

 定型のないそれはただ単純に殺傷能力に優れた生物の形を取っていた。物理的な攻撃は何よりも強い、生物なんて所詮殺せばそれまでなのだから。精神体という傾向の強い悪魔も、物理的に形を持つものとして具現化されれば、それは生物である。誠は様々の言霊をぶつけはしたがスタミナの違いがあった。そして、何よりも、生物に言霊を向けることで――彼の身体は更なる疲弊に追い込まれていた。

 だからかも知れない、閃く爪に一瞬反応が遅れ、肩を抉られる。
 どこか大きな動脈を傷付けられたのか、それとも単純に傷が大きかったのか、血が噴出す。
 ばたばたと、舞い上がったそれが、幸の前にも落ちた。

「――――――ッ、あ」

 ざわり。

 赤い色。赤。紅。朱。血。血液。血流、出血。噴出す、それは、赤い、人の中、流れる、命、たくさん、身体に、纏わり付いて。汚くて、振り払って、だけど――空耳なのか現実なのかわからない哄笑が幸の頭の中を支配する。フラッシュバック。思い出せない過去が身体を支配する一瞬に、彼女から『幸』としての意識は堕ちた。

 空気が変わる気配に、悪魔も誠も一瞬その動きを止める。前肢を上げて誠に止めを刺そうとしていたはずのそれは、身体を大きく跳ねさせた。そして空中で姿を散らす――再び形を失う。誠は息を呑んだ。普通の少女の様相をしていたはずの幸が、気配とともにその姿を変えていく。
 自然と、その黒い眼帯が地面に落ちた。すり抜けるように手枷と足枷も抜ける。束縛が外れたことを歓喜するように、彼女の背から炎が噴出した。それは翼のように燃え立ち、黒々と、光を放つ。どこか、どころか、どこまでも、まがまがしい気配。鳥肌が立つような威圧感。
 口元をほころばせて、魔物が顔を上げた。長い黒髪の奥から細い顔とは不釣合いに巨大な角を生やし、牧師服の長い裾を持ち上げる獅子の尾が覗く。

 にぃっと吊り上げた口の中が赤い。
 誠は、戦慄、した。
 そこには知らないモノがいた。

「は――――はぁッ、雑魚が調子くれてんじゃねぇよ。この俺をてめぇごとき一匹で殺せるとでも? 封印で力が弱っているとでも? この俺がその程度の小物だとでも?」

 三対六枚の羽が広がり、その威圧感を更に強いものにした。空中に散らばっていた悪魔は怯むように一瞬全体を引かせたが、すぐに、彼女――『黒妖』に向かう。だがそのタイミングを狙ったかのように、彼女の翼が大きく広がった。
 それは檻のように、向かってきたものを包み込む。一筋一片も逃さないように、地獄の炎が気配のすべてを閉じ込めた。勿論それだけで済むはずも無く、次に翼はゆっくりとその領域を縮めていく――広がっていられなくなった悪魔は、次第にその力の気配を一転に集中させだした。
 にやにやと彼女は笑い続けている。その顔を目掛け、悪魔は、突進した。
 だが彼女は軽く手を挙げ、それを受け止める。鮮やかでしなやかな動作が、その力をいとも容易く受け止めて見せるのは、異様な光景ですらあった。そのまま硬直し動かない相手の様子に、彼女ははぁっと巨大な溜息を吐いてみせる。

「この程度この程度この程度――この程度の力、この程度の可能性、この程度の機転。おいおい俺を見縊るにも程がねぇか、クソ低級がよぉ」

 みし。
 集約されたそれを、『黒妖』が握り締める。

「まあこの俺に手ぇ使わせたんなら、上等ってところか? 敬意を表して手ずから――八つ裂きにしてやんよ」

 それは一瞬のことだった。
 彼女の両手が集約した悪魔、その気配の塊にずぶりと差し込まれる。そして引き千切るように腕を広げれば、力は霧散することなく、断末魔を上げた。笑いながら手に纏わり付く残滓を炎の翼で焼き尽くし、彼女は、哄笑する――高笑い。圧倒的で絶対的な力。
 誠は、背筋にぞくりと悪寒が走るのを感じた。
 見たことの無い生き物が立っている。知らないモノがそこにある。圧倒的で残酷で残虐なものが今、目の前にいる。目の前にただ単純にどうしようもないほどの簡単さで、そこにある。威圧される。動けないほどに、声も漏れないほどに。そんな悪魔が近付いて来る、歩み寄ってくる。

 逃げられない。
 目の前に、迫って、

 ――そして彼女はしなだれかかるように彼に覆いかぶさり――

「ッぅあ」
「……ん、むー……」

 眠っていた。
 緊張が一気に解ける。
 長い長い、溜息が漏れる。
 まるでこの一日のように長い溜息が。

「……びびらすなよ、『幸』」

 誠は苦笑し、彼女の手枷と足枷を戻す。肩の傷は、とりあえず止血だけを言霊でしておいた。それから、落ちていたウサギのぬいぐるみを拾い上げる。小さく言葉を紡いで破けてしまった部分を補修し、幸の髪にぶら下がらせた。そして、彼女の身体を抱え上げる。
 すっかり落ちてしまった太陽に代わって空を照らす支配権を得た月が、教会へと向かう誠の足下を照らしていた。



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