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<東京怪談ノベル(シングル)>


『楽譜』


 そうだ、曲を作曲しよう、と想ったのはただの思い付きだった。
 だけどそれでもそれは別に単なる暇つぶしというわけでもない。
 クリスマスプレゼントだ。
 母親の知り合いで教会が運営している孤児院でボランティアで子どもたちの面倒を観てる女性が居て、その彼女に頼まれたのだ、演奏してくれ、と。
 うーん、でも何を演奏しようかしら?
 それが難問だ。
 彼女が普段弾いてるような曲はおそらくはその場にはそぐわないと彼女は想った。
 せっかくのクリスマスパーティーだ。だからとても楽しくって、優しい気持ちになれるようなそんな曲を。
 そう、それに……
「普段いつもシスター様が弾くオルガンに合わせて歌を歌ってるっていうし、だったら硬い音楽はもう嫌だと想ってるだろうしね」
 日和はくすりと笑う。
 扱う楽器はオルガン。チェロ。
 日和はオルガンも難なく演奏できるから問題無い。
 クリスマスにはお決まりの歌を演奏して、それから神父様やシスター様にも演奏をプレゼントしよう。
 それから子どもたちと大人、双方が喜べて、それでいてやっぱり今までに誰も聴いたことの無い音色を。
 作曲する曲のテーマは何にしようか?
 クリスマスといえば……
 日和が涙を流したのは昔大好きだったアニメを思い出したからだ。世界名作をアニメにした物で、貧しくっても挫けずにがんばっていたのに、しかし天に召されてしまった少年。せめてもの救いはずっと観たかった絵を最後の最後で見られた事と、大好きな愛犬と一緒にいれた事。幼心に天国で愛犬と遊びまわり、幸せそうに暮している彼を日和は想像したものだ。
「うーん、ダメね。いいアイデアが浮かばないわ」
 気晴らしに日和は愛犬のバドを連れて散歩に出た。もちろん、庭に置かれた犬小屋の中で丸まっていたバドがリードを持った自分を見て嬉しそうにわん、と鳴いた時はあのアニメの主人公と犬を思い出して、また涙を流した。
 零れ落ちた涙を手の甲で拭って、日和はリードをバドの首輪に繋げた。
 日和は想う。この愛犬も自分と一緒に教会で死んでくれるであろうか?
 または3本足になる覚悟で車にひかれそうになる自分を救ってくれるであろうか?
 もしくはパンがなければお菓子を食べればいい、と口にしたあの彼女が飼っていた犬のようにもしも自分がギロチンにかけられたら川に身を投げてくれるであろうか?
 小首を傾げる日和に愛犬のバドは無邪気に「ばう」と吠えた。
 空はどんよりと曇っている。
 鉛筆色の雲からあとちょっとすれば雪が降ってくるかもしれない。
 雪、真っ白な雪。雪はすべてを覆い尽くす。
 雪の色は白。白は何もかも塗り潰す。
 ………。
「ダメだわ」
 日和は自分の中にある固定観念に気付いた。
 彼女はとても幸せな家庭で育っている。
 家は上流階級。
 祖父母、両親、兄三人、愛犬のバド。
 温かな人たちに囲まれて、
 そして彼氏も居る。
 夢も順調だ。
 他の楽器だって奏でられる。
 そういう自分を自分自身でもとても幸せな娘であると日和は想っている。
 ―――そう、そこだ。そこなのだ、問題は。
 彼女はチェロの教師に言われた事を思い出す。


『その心を知らなければ、その心が込められた曲は弾けません。楽譜をただ音にするだけならば機械にもできます。そう、そのうちにできるでしょう。楽譜を読んで楽器を演奏する機械が。そういう機械的な音楽は誰の心にも触れません。もしもあなたが人の心の琴線に触れられるような音楽を奏でたいと想うのなら、それならばあなたはたくさんの心を知るべきです』


 自分は知らない。教会の孤児院で暮らす皆の心を。生活を。
 そして幸せな家庭で暮らす彼女にはあってしまうのだ、孤児院の子どもたちはかわいそうな子どもたちだ、という偏見と傲慢、エゴ、差別、見下し……そういう高みから見下ろすような嫌な感情が……
 きゅっと日和は下唇を噛んだ。
 だから彼女は孤児院の皆のために作曲しようとして、だけどそういう感情があるから空回りしてしまう。これがいいのでは? と想っても、でも、ダメなのだ。そういう感情があるから怖い。知らぬうちに傷つけてしまうのが。傷つくのが。
 だから彼女は教会の孤児院に行った。
「あの、こんにちは。初瀬日和です」
 日和は教会の前をほうきで掃除していたシスターに挨拶した。
「日和さん? ああ、初瀬日和さん。聞いてますよ。それで今日は、お散歩?」
 日和の足下にいる犬を見て微笑むシスター。
「はい。実は今日は一日、孤児院で働かさせていただきたいんです」
 日和は真っ直ぐにシスターの瞳を見つめながら言った。シスターはこくりと頷く。
「それでは一緒に神父様のもとへ行きましょう」
 そして日和は神父に許可をもらい、孤児院の子どもたちと触れ合った。
 犬のバドも一緒に子どもらと遊んでいる。
 それを日和は最初はにこにこ、途中からおろおろと見ていた。どうも子どもらにバドが遊んでもらってるのか、それとも苛められているのかわからないのだ。だけどどうもバドが困っているようなので、日和は急いで愛犬を救った。
 そうやって日和は皆と遊んだのだ。鬼ごっこ、隠れん坊。箱当て。サッカー。バレーボール。リアルお飯事。絵本を読んだりもした。そしてお絵かき。
 日和が孤児院を出たのは子どもらが寝てからだ。
 外はもうすっかりと夜で、しんしんと白い雪が降っていた。
 そして彼女は家に帰って、すぐに眠って、それで朝起きた。
 庭に出ると、葉に朝露が溜まっていて、それがぽとりと落ちて、その音色が日和の耳に届く。
 彼女はにこりと微笑んだ。
 そこら中の葉に溜まった露を落とす。
 そう、子どもらと過ごして知った事。
 それはこの平和で満ち足りた家庭に暮す自分が想うほどには彼らは自分を嘆いてはいないということなのだ。
 日和は気付いた。孤児院の子どもたちもそうなんだって。彼らは強い子だって。
 ―――でも寂しさは抱いている。存在を認めてもらいたい、って想っている。温もりを求めている。
 うん、いいよ、と日和は想う。
 子どもらに教えてもらった事すべてを込めて、日和は作曲した。
 露の奏でた音色を楽譜にしていく。
 そしてクリスマス当日。
「それでは、最後に私の大好きなチェロで私が皆にプレゼントとして作曲した曲を奏でます。これは露の落ちる音色を集めて作曲したものなんですよ」



 それには意味がある。
 子どもらは何でも遊びにしていた。だから露の落ちる音色も遊びにすると想ったから。


 露となって消える、という意味にもかけてある。
 子どもが抱く悲しみが、寂しさが消えればいいという願いをこめて。


 そして露は一滴でも、大地に落ちて集まれば大きな水溜りになる。
 皆が教えてくれた。ここが彼らの家庭だと。
 孤児院で暮す子らは家族。
 神父様やシスター様が親、兄姉。



 そういう想いを込めて、日和は奏でた。
 故にそれは皆の心に届く。心の奥底にあるモノに触れる。
 日和の奏でる音色は、聖夜に静かに優しく響き渡った。
 確かな心の温もりと一緒に。



 ― fin ―


 ++ライターより++


 こんにちは、初瀬日和さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 やっぱり何かを作るにはそれを知らないとダメだと想います。
 小説はもちろん、知ってる事が書きやすいです。
 主人公の性格とあとがきに見える作者の人なりがそっくりなのもそれと関係があると想います。
 演じるのだってそうですよね。絵も音楽もそうだと想います。知らなければ演じられない。表せない。
 だからこそ日和さんには飛び込んでいってもらいました。^^
 結局の所、優しさ、というのはどれだけの辛い事、悲しい事、苦しい事を知ってるか、という事だと想います。
 そういう感情の無い優しさはいつか、人も自分も滅ぼすんじゃないのかな、と。
 自分が知ってるから他人の痛みを想像できる。けどそれを想像できない人の優しさは自分の心が優先されますから。
 だから本当に強いというのは、優しいというのは、どれだけ苦労したか、というのに関わると想います。
 ほら、あの人は華がある、と言いますよね?
 でもその華、というのは苦労してないからある物です。苦労してなければ華がそがれる事はありません。
 大切なのはそこ。
 苦労したから華が消えた…と、落ち込む。だけどそこで落ち込んでもいいのです。落ち込んで、だけどそこで何かを見つけられた時、その時、苦労を知らないだけの華よりもより素晴らしい花はその人の心に咲くのです。
 蓮の花は泥の中で咲くのですから。
 だから日和さんには本当に苦労してもらいたいなーと想うのです。真の音楽家になるために。
 苦労してても笑える事、それが大切で、そういう人こそが真に優しさを知ってると想います。先進国の人の笑みよりも、貧しい国の人たちの笑みの方が心にぐっときて、とても綺麗だ、と思えるのは僕はそういう事だと想います。
 貴族の華よりも、庶民の花の方が僕は好きですね。^^



 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。