|
呪いのマフラー【朱塗りの鬼編】
◆
「まず、そのマフラーは本当に数枚あるものなのでしょうか?」
響きのよい声で最初に切り出したのは、都築・秋成(つづき・あきなり)のほうだった。
大人の雰囲気を持つ穏やかそうな青年だ。浅く日焼したような肌にがっしりした体躯をしていて、いざというときは頼りになりそうだ。
しかし、その知的な黒い瞳はなぜか少し困っているようにも見えた。
「そうじゃ……ないとしたら?」
問い返したのは、きらきらと光る銀色の大きな瞳。
少し舌足らずの高い声。
喫茶店のソファに腰掛けているその足は床に届かずに、ぶらぶらと揺らされている。
「そもそも1枚しかなかったということです……」
答えながら都築は小さく苦笑した。微笑のつもりだったかもしれない。
ゴーストネットの瀬名・雫から指定された、待ち合わせ用の喫茶店。
彼女の幅広い交友関係はきっと誰もが把握しきれないだろう。だから、そこに向かってみなければ彼女の依頼に参加した同行者を図ることは出来ない。
とはいえ。
30過ぎの都築の目の前に腰掛けているのは、小学1年生の海原・みあお(うなばら・−)だった。
銀色のおかっぱ頭のとても可愛らしい少女だ。テーブルにあるいちごのショートケーキを食べる仕草もとても愛らしく瞳を奪われるよう……ってそうではなく。
「……」
ちょっと困ってみる都築であった。
「みあおもね」
「ん」
その都築の表情も知ってか知らずか、みあおが彼を見上げていた。
「赤いマフラーはより“赤く”なろうとして買ってくれそうな人を呼んで、赤くなっていっているんじゃないかなって思ったの」
「どういう事です?」
血吸い?
脳裏に閃いた言葉は多分そのままだろう。都築も考えた。
殺人を呼んでいるのはマフラーだろう。犯人にとってそのマフラーは特殊な意味を持つのだ。
「単純に考えれば、そのアンティークショップのご主人が赤いマフラーを買って行った人を殺して回ってるかな、って。マフラーに発信機か何か仕込めばできるよね」
「……なるほど」
都築は頷いた。
そしてようやく、彼女への評価を一新した。
都築は普段単独行動を好む方である。その方が身軽な気がするからだ。
しかしけして人嫌いな訳ではない。話好きだし、聞き上手と自分でも思う。多分、相手を受け入れるまでの時間が長いのだ。
彼は持ってきていた封筒をテーブルにのせた。
「ここに来る前に図書館で調べてみたんです。事件の発生した日時などをね」
「うん」
封筒から出されたのは、事件に関する新聞の記事のコピーであった。
11月1日 32歳主婦。
11月4日 28歳OL。
11月6日 19歳専門学生。
11月14日 23歳無職女性。
11月18日 34歳主婦。
11月21日 17歳学生。
それぞれの事件発生場所は江東区が4件、江戸川区が2件。荒川周辺で起きているものが多い印象を受ける。
江東警察署に置かれている捜査本部の名称は、【荒川河川敷連続通り魔殺人事件】だった。
ゴーストネットに書き込みのあった錦糸町から、荒川まではさほど離れているわけではない。しかし、徒歩にすると30分は歩かねばならないだろう。
「被害者のそれぞれの住居については、あまり詳しくは公表されていないのですが……」
実はこれについては簡単に分かった。
図書館でコピーをとった時に、彼がこの事件を調べていることに気づいた、中年の女性が話しかけてきたのである。
そして彼女はテレビ報道などで会得したさらに詳細な情報を彼に提供してくれた。暇を持て余した近所の主婦であるようだ。
「江東区や台東区、江戸川区、住んでいる場所は割りと広範囲らしいのです」
「あんまり荒川に行く用事は無さそうなのかな?」
「一人ずつについて個人的に詳しく調査したわけではないから、そこはなんとも……。しかし、何か変な感じはしますね」
荒川周辺には人を集める建物があるわけでも、交通手段があるわけでもない。
事件が起きた範囲には、地下鉄都営新宿線やJR総武線などがあるのだが、それぞれの駅からは離れた場所で事件は起きていた。そもそも街の外れにあたる場所で、夜となればひっそりと静まりかえり、人気も少ない筈だ。
「それに荒川もそうですが、錦糸町もそうですね」
都築は苦笑した。
学生の二人は錦糸町から近い学校に通っているそうだし、そこそこ賑やかなこの街ならば全員がここに立ち寄っていた可能性は、荒川に比べれば高いだろうけれど。
その時、喫茶店のドアにつけられた鐘が、勢いよくカランカランと音をたてた。
入ってきたのは栗色の長い髪のセーラー服の少女である。彼女は急いで駆けつけた様子で、息を軽く乱しつつ、店内を軽く一瞥すると、まっすぐに二人のテーブルに近づいてきた。
近づくと、とても印象的な美少女だとわかる。活発そうな大きな瞳と、セーラー服が子供っぽく見えるほど、発育のいいスタイル。他の卓の客が何人か振り返っているのは、その派手な登場の仕方だけじゃないだろう。
「……もしかして、ゴーストネットの皆さんかな?」
「ええ、そうですが……」
「お姉ちゃんも?」
都築とみあおが見上げて言うと、彼女は胸に手をあてて、ほっとしたような表情をしてみせた。
「ごめーん、学校で先生に捕まっちゃって! 少し遅刻しちゃいました。ボクは森永・ここ阿(もりなが・ここあ)っていいます。どうぞよろしくね!」
そう言いながら彼女はみあおの隣に腰掛けた。
「海原・みあおだよ」
「都築です」
「よろしくね!」
彼女は近づいてきたウエイトレスにココアを注文すると、テーブルに広がった新聞記事を見つめ、手にとり読み始めた。
「……さすがに新聞記事には、赤いマフラーのこととか書いてないね」
「後から加わった噂のようなのです」
都築が答えた。
現場から赤いマフラーは一度も発見されていないらしい。とはいえ、被害者にまつわる証言のなかには幾つか、事件直前赤いマフラーをしていた被害者を見た、というものがあった。
「それから……」
「それから?」
「被害者は皆、長い髪だったという話も。他にも、左肩にほくろがあったとか、大根を買っていた、とか。そりゃもういろいろ」
話してくれた主婦のとまらないお喋りを思い出し、都築は苦笑した。
「色々あるわけね」
ここ阿は苦笑する。
ゴーストネットの掲示板の書き込みもあるし、赤いマフラーという噂が一番信じられているのは事実のようです、と都築も苦笑しながら付け加えた。
その時、不意にみあおの持っていた携帯が鳴り出した。
慌てて取り出し、電話を耳にあてるみあお。
「もしもし、みあおだよ……あ、雫お姉ちゃん? うん、うんっ……えっ、あ、そうなんだ……うーん、残念だけどしょうがないよね」
ゴーストネットの雫と話しているらしい。
やがて電話を切ると、みあおは少し浮かない表情をしていた。
「どうかしたの?」
「あのね、掲示板に書き込みをしたみずきさんと連絡が取れないかな、って雫お姉ちゃんに頼んでいたの。でも、怖いから行きたくないって言ってるんだって」
その代わり、「乃木」の詳しい場所は教えてもらった、とみあおは続けた。
「それは仕方ないかもね……お友達が殺されたばっかりなんだし」
ここ阿が慰めるように言う。
目の前の新聞記事にある女性達。女性ばかりが狙われた事件。それが許せなくて、この事件にかかわることを決めたのだ。
「とにかく、そのお店に行ってみない?」
ココアを飲み終わり、彼女は微笑んだ。
都築も、みあおも頷いた。
いくら話していても、やはり現地に赴くのが一番の近道だろう。
◆
ちょうど同じ頃、錦糸公園の一角を弓道部の道具を抱えたブレザーの制服の少女が帰り道を急いでいた。
肩にかかる程の髪。前髪はカチューシャでおさえている。一見してどこにでもいるような女子高生ではある。
「……」
彼女……凡河内・絢音(おおごうち・あやね)は少し心細そうな表情にも見えた。
夕暮れに包まれていく人少ない公園。確かに浮かない時間ではある。
最近、たてつづけに起こっている事件の話を女子高生達が知らないはずはない。近所の小中学校では、集団登下校が当たり前のようになっていた。
絢音の学校でも、なるべく一人で帰宅しないようにと重ね重ね言われている。それで先ほどまでは同じ部活の仲間と一緒に帰宅していたのだが、一人忘れ物をして、取りに帰ったのだった。
まさか自分の身に何か起こるなんて思っているわけではないが、それでもさすがに気味が悪いような気がする。
足が急いでしまうのも無理はない、と自分でも思った。
公園を出て、路地を二つ曲がった。
薄暗い公園から出たのに、夕暮れがまして、やはり薄暗い路地に出る。
細い人気のない裏通り。
「あれ?」
そこに知らない店ができていた。
『乃木』
灰色の看板に黒文字でそう縦に書かれている。
黒塗りの壁に、深い茶色の扉が見える。扉は開かれていて、中からは白い蛍光灯の灯りがもれていた。
(あんなお店あったかしら……?)
店の前を興味深く見ながら通り過ぎる。
そこに、赤いマフラーが見えた。
「わぁ」
溜息のような声が漏れた。
赤いマフラーの噂は知らないわけじゃない。しかし、どれも噂に過ぎないよね、と友人は笑っていた。
それよりもそんな噂があるのに、あんなに堂々とマフラーを売ってるなんて。
なんとなく引き寄せられるように絢音は店に入っていった。
静かな店内。
どこか異国のジャズだろうか。聞いたことのないメロディが流れている。
店内に入ると、お香のような香りがした。
その中に漆塗りの時計や、西洋人形、外国の洋食器なども見える。アンティークショップなのだ。初めて絢音は気がついた。
店主は店の奥にいるのか姿を見せない。
絢音は店頭にあるマフラーにそっと手をのばした。
ふうわりと柔らかいロングマフラーだ。タグが無いので手編みかもしれない。毛糸は太く柔らかで、しっかりときめこまやかに編みこまれている。
「500円?」
安い。それにフリンジがとても可愛くアレンジされていて、それがさらにとても気に入った。
「色も良いし、今月はまだお小遣いも……」
彼女は微笑んだ。
そうだよね、学校につけていったら周りの友達は驚くかもしれないけど、事件の犯人が逮捕されればそんなこと気にする必要もないんだし。
「すみません、これ下さい!」
店の奥に声をかける。
奥からバタン、と何かぶつかる音がした。
のろのろと現れた店主は、毛糸の帽子をかぶった灰色のヒゲを顔中にたくわえた初老の男だった。
目深にかぶった帽子の下には、小さな目があり、それといくらか横に広い鼻以外は髭に覆われていて表情が読めない。
「500円になります」
ボソボソと無感情に彼は言い、絢音から硬貨を受け取ると、代わりにとでもいうようにビニール袋を差し出した。
「あ、このままでいいです」
「じゃあ値札を切ろう」
ハサミを取り出し、店主はマフラーの値札を切ってくれた。
絢音はぺこりと急いで頭を下げて、足早に店を出た。何となく気味の悪い店主だと思ったが、アンティークショップってどんな種類の人間でも少し気味が悪く思えるものかもしれない。
それよりも手に入れたマフラーの柔らかな手触りがたまらず嬉しかった。
こんな安価で素敵なものを手に入れたと思った。
(この所寒くなっていたし、こういう感じのマフラー欲しかったんだよね」
目を細めて思う。
まだ他のマフラーを手に入れなくてよかった。待っていたわけではないが、偶然の出会いを喜んでしまう。
にこにこしながら、店の外に出たところで、彼女は、店の前に不思議な3人組を見つけた。
一人は男性。大人の男の人って雰囲気。左手に下げた数珠はお洒落なのだろうか。
一人は少女。店の中にあった西洋人形のような可愛らしい銀髪の少女だった。小学生だろう。
そしてもう一人は絢音と同じくらいの年頃のセーラー服の少女だった。見たことの無い制服で、栗色のふわふわな髪をしている。
どんな団体だろう。
一見しただけではとても検討がつかない。
しかし、彼らは絢音に用事があるようで、特にふわふわ髪の少女が彼女に血相を変えて話しかけてきた。
「ちょっと!このマフラー買っちゃったの?」
「え? ……ええ、はい」
「! 信じられない」
彼女は目を丸くして言った。よく見ると、とても綺麗な大きな瞳をしている。
「まあまあ、ここ阿さん」
男が近づいてくる。
「驚かせましたね、私は都築といいます。……最近このあたりで起きている殺人事件について個人的に調査をしていまして」
「……はぁ」
「海原みあおだよ。ねぇお姉ちゃん、そのマフラー、このお店で買ったんだよね?」
「ええ、そうですけど……」
「よかったらそのマフラー、ボクに売ってもらえないかな?」
ここ阿が言った。
「え、困ります」
絢音はマフラーを両手で抱いた。
せっかく見つけたお気に入りのマフラーを人に譲ることなんてできない。
「だって、それ持ってると危ないんだよ!?」
「どういうことですか?」
「……これ、お姉ちゃん持っていてくれる?」
みあおが青い羽を一枚絢音に差し出した。
「?」
「お守り」
「……ありがとう」
何となく受け取った。
「マフラーはお姉ちゃんのものだけど、よかったらみあお達に協力してもらえないかな? そのマフラーを持ってると危ないかもしれないの」
「……少しだけお借りしてもよいでしょうか?」
みあおの後ろから都築が穏やかに微笑んだ。
なんだか変なことに巻き込まれた気分だが、気おされたのかもしれない。
「は、はあ……」
心配と不満を少し表情に表したここ阿も、仕方がないというように息をつく。
「ともかくここで話すのは、よくないと思うな?」
件のアンティークショップの前で話す話でもあるまいと、4人はその場から立ち去った。
◆
冷たい風が吹く。
気づくともうあたりは暗くなり始めていた。
マフラーを首に巻きたいと思ったけれど、あやしい3人組に見守られて少しやりづらい。
錦糸町駅の近くの鯛焼き屋の軒先で、暖かい餡子を味わいながら、絢音は小さく息をつく。
それに……。
「つまり、このマフラーを持ってると危ないのですね……」
ゴーストネット。
彼らはそこから来たといった。
その名前に聞き覚えはあった。確かホラーやオカルトなどの投稿情報が寄せられる巨大掲示板のあるサイト。
そしてそこに集う人々はどこか不思議な能力のある人たちが多いという噂。だからこの人たちはそういう人達なのかもしれない。
「そういうこと。……どうする?」
同じく鯛焼きを食べながらここ阿が尋ねた。
彼女がマフラーを購入するつもりで、あの店を訪れたのだという。確かに3人の中で被害者達に一番近いのは彼女だろう。
でも、呼ばれた人しか買えないのではないか、とみあおは言った。
だから、絢音が買ったのは、マフラーに呼ばれたからだと。
「呼ばれた……うーん」
確かにあのマフラーを見たときから、吸い込まれるように店に入った気はする。
「少しお借りしていいですか?」
都築がマフラーに手を伸ばす。
絢音は彼にマフラーを渡した。
都築は拝み屋をしているのだと先ほど語った。そして、物にある残留思念を読めるのだという。
マフラーを片手に抱き、都築は数珠を持つ左手に拳を作る。そして瞼をつむり瞑想した。
脳裏に赤が広がった。
どこまでもどこまでも広がる赤。
いや、赤ではない、朱。
床も壁も天井もすべてが朱。
ぬめぬめと赤く光る朱。
「……!」
「どうしたの?」
みあおが顔を上げる。
脂汗が浮かんでいるのがわかった。都築は口を軽く押さえ、息を吐いた。
「……残念ながら、犯人の手がかりのようなものは見えなかったですね。このマフラー自体には意思がない」
意思はないが、ただのマフラーでもない。
何か呪いのようなものがかかっている。しかしその正体は見えない。
「ともかくあんまり暗くならないうちに、どうするか考えないとね」
ここ阿が言った。
彼女は空に目をやる。
数羽のカラスがそこに止まっていた。彼女が呼び寄せたのだ。
「どうする? もし怖かったら、ボクにそのマフラーを渡してくれたら……」
「私にも……手伝わせてもらえますか?」
絢音はここ阿を力強く見つめた。
「私、自分の身くらいは守れます」
得意の弓道の道具を力強く握り、彼女は頷く。自分にも不思議な能力があるとしたら、これだ。
彼女の弓は狙ったものを外さない。それは練習の成果もあるが、彼女はそれにとても自信があった。
「そうお姉ちゃんが言うなら、そうしたほうがいいってみあお思う」
少女がにこにこしながら言った。ここ阿もそれなら、と頷く。都築も納得した。
多分、3人はそれぞれ自分の力に自信があるのだろう。
その表情をみて、絢音は思った。私を守ってくれる自信だろうか。それとも、私もまた能力者と思ってくれたのか……それはないかもしれない?
◆
マフラーをまく。
暖かな感覚が首のあたりにおさまる。冷たい風は頬だけを冷やした。
あたりはもう暗くなっていた。
高層ビルの上に大きな月が出ている。
「荒川に向かってみる?」
ここ阿が都築に尋ねる。
「そうですね……」
彼が答えるのが聞こえた。しかし、その声は絢音には少し遠く思えた。
足が動く。
なぜか水の香りがした。
都会の雑踏の中で、どうしてそんな香りがしたのかわからなかった。
「あれ、絢音お姉ちゃん?」
みあおは一人歩き出した彼女を振り返る。
まるで何かに操られているかのように、絢音は一人歩き出した。
「……絢音さん!」
ここ阿も気づいたように声を出す。
絢音が振り返って、何か言った。よく聞こえなかった。
しかし、彼女は自分の意思で歩いているようだ。意識が朦朧としているという様子はない。
「どうしてか、向こうに行かなくちゃいけないんです」って言いましたね、と都築が言った。
「どうしましょう、行かせますか?」
「それがいいかもね。……危険だけど」
ここ阿は空で待たせたカラス達を先行させる。
都築とみあおも辺りを用心しつつ、彼女のあとを追った。
◆
錦糸町の繁華街を抜け、彼女の足はまっすぐに国道を歩いていく。
どこに向かっているか、多分本人もわかっていないはずだ。
錦糸町駅から亀戸駅までを歩き、さらに千葉方向へと同じ歩調で行く。
「やっぱり荒川に呼ばれているのかな」
ショーウィンドウに置かれたゴリラのぬいぐるみに目を奪われつつ、ここ阿がつぶやいた。
「そうでしょうね……」
都築がつぶやく。
「発信機……」
みあおが小さくつぶやいた。
あのマフラーにやっぱり何か仕掛けがあったのではないかと疑っているようだ。
「見た感じでは何もありませんでしたけどね」
「太い毛糸だったから、とても小さなものなら毛糸の中に隠せたかもしれない」
「なるほど」
ここ阿に言われて都築は納得しそうになる。
何か電波か音波か、人を操る周波というものがあるならばそれを操り、人を操作することが出来るかもしれない。
そんなもの聞いたことはないが、全くないとは言い切れない。
「もしそれならば、彼女を操っている人がこの近くにいるってことになりますよね。遠隔操作で呼び寄せている可能性もありますが」
「うん」
みあおは頷いた。
どちらかというと、至近距離からラジコン操作のように操る方が簡単だろう。
だが、注意深く辺りをうかがうけれど、そのような人物は見当たらない。
「ボクに任せて♪」
ここ阿は瞼を閉じた。
意識を集中する。
彼女の耳は1キロ先の囁き声を聞き取ることだって出来る。
人の多い場所ではかえって悪く出るけれど、用心深くすれば……。
しかし、特定するのはやはり難航した。
賑やかな町並みを過ぎ、絢音の足はやがて、荒川の付近で住宅街の方向へと吸い込まれていく。
◆
夜ではもう目が効かなくなる為、ここ阿はカラス達を巣に開放した。
ボディガードに野良犬達を召還する。……否、ここは住宅街である。野良犬の代わりに迷い犬が2匹現れただけだった。その代わりに野良猫だけはいっぱい集まった。
「……まあ、いいか」
さっきからの繰り返しの集中力を使ってきたせいで表情に疲れをにじませながら、ここ阿はそれを絢音の周りに放した。
◆
水。
……水の香り。
絢音の鼻にずっと香るそれは、けして気分のいいものではなかった。
しかし、逃れられない。
この香りはあの大きな川のものだ。
でもそこで、私を待つものは……。
死。
怖くは無かった。
元々そうなのだ、とさえ思えた。
私は大きな川の懐に抱かれ、そして、死ぬのだ。
私の中の赤い川が、清涼な水の中に混じり、そして、一つになる。
しかし、その一方で、絢音は叫んでもいた。
「どうして私こんなことを考えるんだろう。おかしい!」
マフラーをほどくしかないと思った。
しかし腕が上がらない。
マフラーはとても心地よく、彼女を守るかのように暖かく包んでいる。
◆
男は、彼らを見下ろしていた。
高いマンションの上で、双眼鏡を手にして。
赤いマフラーにつけたマイクロチップは特殊なものだ。それは繊維に直接埋め込んだものだった。
元はどこかの外国の軍部が使っていたものだという。興味本位で手に入れ、多少組み合わせを工夫したら、素晴らしいものを作り上げてしまった。
それは2種類の情報を発信することができる。一つは発信機。これはGPSと同じ仕組みで、衛星を使って位置を確認することができる。
もう一つは特殊な音波であった。
催眠波と名づけたい、と男は思う。
彼がマフラーに預けたのは、水の香りを思わせる音波だ。江東区には水場は少なくない。しかし、大きな流れといえば、両国の方向にある隅田川か、荒川しかない。
別にどちらでもよかった。
その音波を聞かせれば、目的の人物は水場へと引き寄せられていく。
最初の数人で実験した時は、橋から川に身を投げてしまった。いささか強すぎたらしい。
マフラーの回収も無駄だった。大切なチップを失い、彼は落胆した。しかし、研究の成果もあり、同じものを再び手に入れることは出来た。
幾度かの失敗のおかげで、対象の人物は「川に行きたい」と思い、河原へ近づくという条件をクリアすることができた。
後はマイクロチップの操作を遠隔操作で切り、われに戻ったところで、彼自身の手で朱に染めてやるだけだ。
女の悲鳴が好きだった。
女の絶叫する顔が好きだった。
ホラー映画などの作り物などではとても気に入らない。
のどを切り裂かれ、ひゅうひゅうと風を出す、あの絶望の表情が何よりもたまらない。
自分は狼男だと思う。
その切り裂かれた体から流れる血を飲み干し、月に吼えるからだ。
今宵も美しい月がある。
あの少女はもう自分のものだ。
◆
「!」
ここ阿は空を見上げた。
「どうしました?」
都築が同じ空を見上げる。
高いマンションがそびえているのが遠く見えるだけだ。
「……あそこから誰か見てる」
「本当?」
みあおが聞き返す。ここ阿は大きく頷いた。
「今、ぞっとする程冷たいものを感じた。……誰かいる。笑った!」
都築とみあおは顔を見合わせる。
「みあお、見てくるね」
「えっ!」
ふたりの返事を聞く前に、少女の姿は青い小鳥に変化し、まっすぐにマンションの方向へと飛び上がっていく。
「わぁ」
「……そんな能力のある人だったのか」
しかし、驚いている暇はない。絢音はその間にもひたすら川沿いに歩いている。
さすがにこの時勢だ。パトカーが十数分置きに巡回している。しかし、まだ深夜ではないせいか、車も多く人通りもまばらというほどでもないので、厳重な警戒とまではいかない。
◆
小鳥に変化したみあおはマンションに向かってまっすぐに飛んだ。
夜風が全身を流れて少し寒かった。
あのマフラーみたいな長いマフラーが欲しいと、お姉ちゃん達にお願いしてみようか。
マンションの窓に男の人がいるのが見えた。
その後ろには毛糸の帽子と、つけヒゲが落ちている。
アンティークショップの店員はそんな人だったと絢音が言っていたのを思い出した。
どうしよう…。
彼女には他の形態に変化することで彼を攻撃することだって出来る。
しかし、彼が犯人だという証拠は無かった。だから……。しばらく見張ることにしよう。
◆
「あれ……」
絢音はふと、目を覚ました。
否、眠っていたわけではない。
ずっと意識はあった。この身の自由を思い出したというところか。
彼女は大きな橋の上にいた。
真下には荒川の大きな流れが広がっている。
水の香りがして、風に吹かれていると心地よかったのだ。……一瞬前まで。
でも今は……。
辺りを見回し、ここ阿と都築の姿を探す。
少し離れた場所で二人はそ知らぬふりで佇んでいた。足元には小さな猫がいる。
猫を拾い上げ、絢音は微笑んだ。
その時だった。
どくん。
心臓の音が高鳴る。
恐怖。
それは突然彼女を襲った。
「いや……」
橋が崩れて川に落ちるような気がした。
不安に満ちて、彼女は橋の袂へと駆け出す。
「えっ、絢音さんっ!」
「追いましょう!!」
ここ阿と都築は驚いて彼女のあとを追う。
橋の袂へ着いても不安は尽きなかった。
地震が起きて、皆崩れ落ちるような着がした。だから、河原へと走り出していた。
河原に行けば、落ちてくるものは無い筈だから。
そして、そこには待ってるものがある。
「いけませんね!」
都築が叫んだ。
「どうしたっていうの?」
「私の分野のようです」
数珠を握り締め、都築が叫ぶ。そして、一気に腕を振るった。
ぶわぁぁ、と強い風が吹く。
その風に足をとられ、数十メートル先にいた絢音がよろけた。
しかしそのよろけた先に佇む者の姿を彼女は見上げ、再び高い悲鳴をあげた。
「きゃあああああ!!」
まるでどこかの映画よろしくなアイスホッケーの仮面をかぶった男。
片手にはナタを手にしている。
「危ない!!」
ここ阿が駆けた。
空に伸ばした手に、突然空気から現れたぴこハンが現れる。
都築も数珠を片手に駆け、絢音を支えに走った。
「な、なんだ、おまえらっ!!!」
男が叫ぶ。
しかしその恐ろしい姿にけしてひるむことなく、ここ阿は威勢良くぴこハンを振り下ろした!
ぴこんっ☆
いやな明るい音が響いた。
「なっ……」
体から力が抜けていく男。へなへなと座り込む。空から青い小鳥が降りてきて、男の背後で少女に戻った。
「110番しておいたよ☆」
「えらい、みあおちゃん」
ここ阿がウインクを返す。男はぱくぱくと口をあけて、そのうちひゅるりと仰向けに倒れこんだ。
◆
「私……」
絢音は都築の腕の中で再び我を取り戻した。
「危なかった。マフラーに宿る思念に操られかけてました。このマフラーは霊的な機能もあるのです」
都築は彼女の首からマフラーをとろうとしながら微笑む。
「……あの男が何か仕込んだかもしれないが、それ以上のものがあるのです」
「ええ……」
絢音は頷く。
そしてゆっくりと立ち上がった。
「分かります」
地面にだらしなく座り込んだ男を見る。
「……みんなの無念が。悔しさが。怖さが。……私は許さない」
絢音は弓を取り出した。
そして男に向けて、弦を引く。
「ひいいいいい……」
男は後ずさろうとする。
しかし、脱力した体は動かない。
「ちょ、ちょっと絢音さ…・・・」
ここ阿は止めようと腕を伸ばした。しかし、その手をみあおがそっと押さえる。
「えっ」
「……」
みあおは小さく微笑んでいた。
「許せない……どうして私たちが死ななくちゃいけないの!?」
絢音の頬に涙がこぼれた。
それは同じマフラーをした女性たちの思い。
いたずらに命を失わなくてはならなかった人々の・・・・・・。
だから。
弦から指が離れる。
びぃぃぃぃん!!!
空気を震わせ、矢はまっすぐに男の眉間に伸びていく。
「ぎゃあああああああああ!!!」
醜い悲鳴が夜につんざいた。その音に混じって、タクシーのサイレンの音が聞こえ始める。
「えっ……」
絢音は呆然とつぶやいた。
矢は地面に突き刺さっていた。
眉間の1センチ手前で、何かに当たったのだ。
矢を拾い上げ、都築は苦笑した。
青い一枚の羽が矢の先に突き立っていた。
「……こんなことで絢音お姉ちゃんが不幸になっちゃいけないよね」
みあおが目を細める。
少し表情が青ざめて見えたのは、気のせいだろうか。
パトカーのサイレンの音はだんだん強くなる。
やれやれ、と都築が呟いたのを最後に3人は黙り込み、互いの表情を見合わせるのだった。
おわり。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0801/森永・ここ阿/女性/17歳/私立高校の2年生
1415/海原・みあお/女性/13歳/小学生
3228/都築・秋成/男性/31歳/拝み屋
3852/凡河内・絢音/女性/17歳/高校生
-------------------------------------------------------
◎ライターより◎
このたびはご参加いただき本当にありがとうございました。
大変納品が遅くなってしまい、心苦しい思いでいっぱいです。
こちらは店主が犯人編『朱塗りの鬼編』です。マフラー編というのもありますので、
拝見していただけるとまた違う展開になっております。
それではまた機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。
今回は本当にご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
鈴 隼人
|
|
|