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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『ピース一箱10本入り』

 煙草は体に悪い。それは皆が知っている。
『出来て』1年、つまりまだ1歳でしかない幻・−(まぼろし・−)別名『ゴースト』だって、そんなことはよくわかっていた。ましてや、食事中に吸ったり、二本いっぺんに吸ったりは良くないと思う。女性が吸うと、将来胎児に影響が出ることや、酒と煙草を両方やっている人は発癌率が高いことや、そういうことも知識としてはあった。
 だが、ゴーストは、グザイ・−(ぐざい・−)の喫煙を止めようとは思わなかった。グザイはホムンクルス・・・人間では無いから。
 ログハウスの開け放した窓から、枯葉が迷い込み、壁にもたれて座っていたゴーストの靴先に落ちた。そして、フローリングの床の上を、カサコサと数回踊ってみせた。
 秋は深く、こんな山の奥地では、それはもう殆ど冬を意味した。風の冷たさに、ゴーストは、被っていたフードをさらに下へさげた。
 寒いのに窓を開けているのは、チェーン・スモーカーのグザイが、このアトリエでスケッチを取っているからだ。空気を入れ替えないと、すぐに煙で息苦しくなる。まるで、マウスが、紫煙の充満するビーカーに閉じ込められて、小さな赤い前脚をガラスに擦すっている時のように。
 グザイの前のめりになった背が、ゴーストのフードの縁から見え隠れする。彼女も床に直接座り、やはり床に置いた木の実の枝を描いていた。彼女・・・黒の作業ツナギ姿でアグラをかいているが、グザイの外見は女性だ。それも、15歳くらいの、まだあどけなさの残る華奢な少女だった。ただし『外見は』だ。ホムンクルスに生理学上の性別があるのかどうか、ゴーストは知らない。ゴーストには、そんなことはどうでもよかった。自分だって、同じ年代の少年の姿をしているわけだが、自分の染色体がXYなのか、いや染色体などという人間と同じモノがあるのかどうかも怪しい、『不老不死らしき体を持つ何か』としかわからないのだ。
「わリィ、ゴースト、少し寒いな。閉めてくれるか?」
 グザイは煙草をくわえているので、発音が不明瞭になる。髪を掻き上げ、灰皿替わりの欠けた小鉢に灰を落とした。右手の方はステッドラーの6Bを握ったまま、膝に乗せたスケッチブックの紙の海をゆるやかに泳いでいる。
 グザイの頼みに、ゴーストは交換条件を出した。
「いいよ。でも、煙草を少し休んでくれる?」
「俺がか?・・・ちっ、わかったよ」
 グザイが、フィルターの無い煙草を小鉢の底に押しつけて消した。小鉢の中では、ニコチンの死骸が白い屍をくねらせて、山のように重なりあっている。ゴーストは、立ち上がって、開いていた窓を閉じた。入り損ねた枯葉が、桟にぶつかって、またどこかへ飛んで行った。

 煙の消えたグザイのすぐ後ろに立ち、スケッチ画を覗き込む。肌を切りそうな尖った葉に、丸い実。チャイニーズ・ホーリィだ。グザイの絵は、モノクロなのに、床に放られた実物よりも、葉の緑の濃さ、実の紅さを感じさせた。人嫌いのゴーストがグザイと行動を共にしているのは、一緒に居て楽なせいもあるが、描く絵が好きだからでもあった。
 当のグナイの方は、煙草を数分手放しただけで、アグラを組み直してみたり、再び髪を掻き上げてみたり、落ち着かない。小鉢の横に置いた薔薇のラベルのボトルを取り、グラスに注いだ。ちろちろと滴り落ちた歓喜の水の量は少なく、たった一口で飲み干された。グナイは空のボトルをゴロリと転がす。
『やれやれ』と、ゴーストは空のフォアローゼズを拾い、ドアの外へ向かう。廊下に置かれた木の箱に空瓶を収め、新品を探すが・・・。
「無い、な」
 もう1ケースを飲んでしまったらしい。
 ゴーストがアトリエに戻ると、案の定部屋は紫煙で満ちていた。
 床には、濃紺のパッケージがねじられて捨てられてあった。平和の象徴であるはずの金色の鳩も形無しで、無残に一緒に捻り潰されていた。自分たちの体に害のあるモノに『PEACE』なんて名付ける、人間の気が知れない。グザイの胸ポケットの一箱も、最後の一本だったようだ。ちなみに、この煙草のパッケージは、アメリカのデザイナー、レイモンド・ローウィ氏の手によるものだとか。アララト山の頂上にノアの箱舟がたどり着いた時、水が引いたかどうかを確かめるためにノアが放った鳩。その鳩がオリーブの葉を持ち帰ったエピソードを元にしている。
「ゴースト。俺の煙草、知らねぇか?」
 スケッチを続けながら、グザイが尋ねた。
「煙草?」
「いや何。棚に、カートン買いしたヤツを入れてあっただろ?置き場所を、あんたが移動したかと思って」
「いいや。単に、無くなっただけだろ?」
「え?」
「吸えば、無くなるだろう?」
「だって・・・この前、10カートンをまとめ買いしたばかりだぜ?」
「まとめ買いしようが煙草屋ごと買おうが煙草畑ごと買おうが、吸えば煙草は無くなるんじゃないか?」
「吸ったのか、俺が全部?」
「他に誰が吸うんだ、二人しかいないのに。熊がこっそり入って来て吸ったとでも言うのか?」
 ゴーストは煙草は吸わない。ちなみに熊も吸わないだろう。
「・・・もう無い?」
 世界の終わりを目の当たりにした者のように、グザイは悲嘆で眉を寄せた。鼻の上を走る、古い傷跡が引きつった。
「ほんとに?」
「そんなことで、嘘をついてどうする?」
「今吸っているのが、最後の一本だってぇのか?」
「そうみたいだな」
 ゴーストの言葉を聞いて、グザイは立ち上がった。絵を描いている途中に彼女が中座するのは、珍しいことだった。
「煙草を買いに行って来る」
 まるで、都会の真ん中にでも住んでいるようなことを言う。この山奥の丸太小屋から、煙草を売る商店のある麓の村までは、徒歩で二時間かかる(舗装道路が無いので、徒歩以外の移動手段は無い)。杉並区の方南2丁目の家を出て、ローソン方南町店に煙草を買いに行くのとはワケが違うのだが。
 しかも、今日は水曜日。
「村へ降りる気か?今日はあの店は休みだよ」
「え・・・」
 あまりの失意に、グザイはがくんと膝を折って、力なく座り直した。グザイの金色の瞳は、いつもはきつい光りをたたえているが、今は情けないほど悲しげに目尻を下げた。ゴーストの胸までが、キリキリと痛くなるほどに。
「仕方ない、明日までは絵は中止だ」
 ピースをくわえていないと、絵へ集中できないのだ。集中力の無い絵なら、描かない方がマシだと思うグザイだ。
「こうなったら、ひたすら呑むぞ。フォアロゼのお替りをくれ」
 酔っぱらって、目が醒めたら翌日で。その足で煙草を買いに行こうという算段なのだろう。じりじり焦がれるような時間を消化しなくてはいけない時、確かに酒は役に立つ。だが・・・。
「酒も、もう無い」
「え?」
「飲めば、無くなるだろう?」
「だが、ボトルをケースで買ったんだぞ?」
「ケース買いしようが酒屋ごと買おうがトウモロコシ畑ごと買おうが、飲めばバーボンは無くなるだろ」
 さっきも、同じようなやり取りをしたような。
「・・・もう無い?」
「ああ」
「・・・。」
 グザイは大きく煙を吐くと、「くそっ」と悪態ついて、床に大の字に寝ころがった。

「口を火傷する。危ないから、もうよしなよ」
 ゴーストが警告するのと、「アチチ!」とグザイが煙草を唇から吹き飛ばすのは、殆ど同時だった。
 さっきの最後の一本は、指を焦がしそうなギリギリまで吸い、さらに針金を刺して吸い切った。その後は灰皿の中から吸殻を一本ずつ拾い出し、針金で刺して吸っていたのだが、そのラストの吸殻ももう限界の長さだった。

「ゴースト、紅茶は無かったか?」
 数分して、グザイがふと思いついたように言った。そうなのだ。口寂しいなら、紅茶でも飲めばいい。ゴーストは、グザイのまっとうな考えに感心した。
「アールグレイでいいならあるよ。入れようか?」
「いや、紅茶の葉を、辞書のペナペナの紙で巻いて吸えないかと・・・」
 ゴーストは、『そうだった』と肩を落とした。グザイと『まっとうな考え』とは、五人囃子にタキシードを着せるくらいに似合わないものだった。
「ここに辞書は無いけど?」
「・・・そうか。そうだな」
 判断能力が低下してきているらしい。ゴーストがそう注意すると、「だろうな」と認め、「目の前を、金の鳩がぐるぐると飛んで見えるぜ」と肩をすくめてみせた。
「そうだ、思い切って隣の村へ煙草を買いに行かねぇか?」
「隣の村って、下の村の隣のってこと?だって、村からクルマで20分かかる距離だって聞いたよ?」
 村の者達は制限速度など守ってはいない。時速100キロ出しているとして、30キロ以上距離があるということだ。
「徒歩だと、7時間半かかるんだけど。往復15時間。今は昼の2時だから、下の村に4時頃着くだろ。その15時間後って、朝の7時だよ。店は、8時に開くんだけどな」
「・・・すまねぇ。聞かなかったことにしてくれ」
 グザイは、再び大の字に寝ころがった。

「なあ。店は休みだが、店の中には煙草はあるわけだよな」
 数分して、また、グザイがいきなり起き上がった。
「まあ、そうだろうね」
「斧か何かで扉を壊して侵入できねぇかな?いや、ドアの修理代と煙草の代金は置いて帰るけどよ」
「・・・壊すまでするかぁ?」
 だが、それはグザイにしては名案に思えた。いや、ドアを壊すところがでは無い(侵入するところでも無いが)。閉店していると売って貰えないというのは、都会での考え方だ。こんな田舎の商店なら、ドンドンうるさく叩けば、家に居さえすれば開けてくれるに違いない。
 それに、村には30戸ほどの家がある。何の銘柄にせよ、数個の煙草の買い置きはあるはずだ。よろず屋が不在で煙草が買えなかった場合でも、村人に頼めば、1箱くらいずつは売ってもらえるかもしれない。
 人との接触を嫌うゴーストが、そんなことを考えていた。自分でもおかしくて、ふっと唇を歪める。
「グザイ、爪は噛まない方がいいよ。絵筆が握りにくくなる。
じゃあ、出かけようか?」

 そうして二人は、山道を下って行った。ノアが方舟の甲板で、狂おしい祈りのもとに放った鳩。あの鳩を、手からはばたかせた時のように、願いを込めて。二人は、肩を並べて小枝と枯葉を踏みながら降りて行く。
 やがて鳩は、オリーブの葉をくわえてノアの手に戻るのだ。下の村で、グザイの手に金の鳩が戻った時の笑顔を想像し、ゴーストは微笑む。
「ん?なんだ?」
「いや、別に」
 グザイに笑みを(そして笑みの理由を)悟られないよう、フードを深くかぶり直すゴーストだった。

< END >