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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


□■□■ 続き続ける階段(後編) ■□■□


「なんとなく予想がついた――かね」

 ぼんやりと『それ』を眺めながら、草間は呟いた。
 ふぅ、と吐き出した紫煙が霧に紛れる。気付けば、また階段の上に戻されていた。また上り続けろ、と言うことらしいが――黙ってそれを聞いてやるほどに彼は暇でなければ、お人好しでもない。同じ幻影に囚われているだろう助手達を、さっさと叩き起こさなければならないのだから。

「何かの具現か暗喩、だとは思っていたが、なるほどな。中々に簡単だったな。人間の思念ってのは質量こそ無いが――『力』は持っている。それはちょっとした矛盾だ。そんな矛盾を溜めていく次元が在るから、界鏡なんて現象が起こる。それはいわば、世界の矛盾の皺寄せみたいなもんだ。臨界点に達すれば何かが生まれてさまよい歩く――こんな感じにな?」

 ぐら。
 ぐらぐら。
 ぐらぐらぐら。

「化けの皮剥がされたのが癪か? 悪いが俺も苛々してんだよ――さっさと俺の助手を返しやがれ」

 階段が揺れる。
 揺り落とそうとするようにうねる。
 ステップでも踏むようにそれをいなす草間は、ぺっと煙草を吐き出した。

「武彦さん!!」

 助手達の声が聞こえる、どうやら合流出来たらしい。纏めて片付けるつもりか――湧き出た冷や汗に、草間は口元を引き攣らせて見せた。それは笑っているようにも、少しだけ見えた。

「いくぜ、化け物?」

 階段の中腹に、巨大な穴が開いた。

■□■□■

 過去の幻影の唐突な収束と共に、場面は階段に戻っていた。音の無い、物理的な制約の無い場所。見付けた草間に駆け寄ろうとして、だが――階段の中腹にぽっかりと空いた穴に飲み込まれ、シュライン・エマはチッと軽く舌を鳴らした。
 見えたはずの草間も、他の助手達の姿も見えなくなる。一度会わせてから引き離すというのは中々に意地が悪い。真っ暗と言うよりも真っ黒な空間の中には、掴みどころが無い。足が付く感触すらない――感覚の全てが閉じられていると言うのは、不安感があった。

 何も見えない、聞こえない、触れない。
 聞こえない? 本当に?

 役に立たない目を閉じる。意識を集中させて、場所に満ちた言葉を掻き集める。何かが聞こえる、何かが。過去から聞こえる言葉達が、ある。



 あんたが彼を
 あんたのせいよ
 あの子がさあ
 いいだろ?
 こわいよね
 大丈夫だよ
 私になんでも言ってね
 結構きつい事言うもんね
 いいだろ、なあ


「悪いけれど、ね」

 シュラインは努めて無感情な声で、言葉を発する。
 眼を閉じたままに、感覚を閉じられたままに。聴覚を刺激する様々の声の記憶に晒されたままに。それは階段――草間の言ったことが正しかったのならば、人の感情が持つ力が違う次元に溜まったものの具現――が、彼女の精神を崩壊させようとしているのだろう。そう、人を壊すのなんて簡単なことだ。傷を抉って抉ってズタズタにすれば良い、恐怖や悲しみを引き出して切り裂いてしまえば良い。簡単に、人は崩壊する。壊れ尽くすだろう。
 本当に?

 くす。
 シュラインは笑う。

「人はそんなに簡単に壊れたりしないの。そんなに簡単に、死んだりしないの。そんなに簡単に――生きてなんか、いないわ」

 空間が歪んでいく感覚がある、響く音達の変化でそれが判る。それでも彼女は目を開けない。今はまだ必要ない、感覚を開かずとも良い。
 感覚で漂う。感覚の中に、漂う。その中で色々なものを見付けたから? その中で縋るものを見付けたから、信じられるものを見付けたから? ――違う。
 過去は過去でしかない。堆積した時間の層、その底辺にあるものでしかない。そう割り切れるほどの強さを持っては居ない――それは、きっと、誰だって同じだ。誰だってそうやって割り切れない。だからこそ複雑なそれを飲み込んで成長していく。だから、人は楽しくて面白い。自分だって、観察しているのは面白い。もしかしたら。自惚れかもしれないけれど、少しぐらい、許される。許してもらわなければ割に合わない、こんな世界。

 体感。身体だけで空間を、感じる。
 時間を、感じる。
 過去を、現在を、ほんの少ししか確実な予測の立てられない不確定の未来を。

「何か劇的な変化があるなんて事もない。人生はいつだって当たり前に進んで行く。当たり前の事ばかりが起こるわ。現実の範囲内でしか、起こるべき事は、起こらない。それで良いと私は肯定している。どんな声が過去にあっても、どんな音が過去にあっても、それは変わらない」

 脚が付く。音は特徴が無い、きっと、あの階段だろう。まだ目は開けない、開けずとも良い。

「だから私だって、何もドラマチックな事は無かった。そんな展開を期待してもいなかったしね。ただ、気付くだけ――否定して、拒否して、それでも、やっぱり好きなのよ。誰に傷付けられても、何に傷付けられても。私は私のままだし、何も変わったりしない。音や声にどれだけ傷付けられたって、私はあの子を嫌いになれないし――言葉という文化を否定するつもりにも、なれなかった」

 風が吹く。閉じられた空間の中に大気の動きを感じる。閉塞されていない感覚がわかる――それでも、目を開けない。まだ早い。急がなくて良い。時間がまだまだ長く連なっているかなんて判らないけれど、それでもまだ――動く必要は、無い。機は見計らうものなのだから。それを逃がさなければ、きっともっと成長できる。それは楽観でも達観でもなく、経験則。知っているから、分かっているから。
 まだ眼を閉じていられる。響くのを止めていく過去を感じていられる、敏感に。聞こえる声が刃を持っていても、まだ平気でいられる。
 信じるものも、あるし。

「確かに、自分が縋る場所はあるけれどね。それがあると強くなれるかもしれない。だけど、それが無いからって弱いわけじゃないわ。歩けなくなったら這いずって、聞こえなくなったら手を伸ばして。触れる事をやめずに、学ぶことをやめずに、だから私はこうして立っていられる。あの人の隣に立っていられている。過去があったからこうしている自分の事、嫌いじゃないわ。だから痛かったことも、辛かったことも、――嫌いだけれど眼を反らしたいわけじゃない」

 人の声が聞こえる。知っている声もあれば、知らない声もあった。
 階段が揺らいでいる。時間が揺らいでいる。まだ、目は開けない。

 鼓動が刻む力強いリズム。大気が動く音、動物達の声。人の声。全ての音を拒否していたなら、きっと感覚を失っていたのはもっと違う場所だっただろう。それでも、失ったのは自分の声だった。内側に向かっていた刃。それも、決して無駄にはならなかったけれど。
 知識と共にたくさん吸い込んだ。酸素のように吸収を繰り返した。そして零れた。瞬間の感動だって、同じ過去のこと。辛いことも楽しいことも、同じ過去というカテゴリの中に混在している。過ぎ去った時間が必ずしも辛いものではないという証明に、似ているのかもしれない。
 傷が生まれて。癒しが生まれた。介入できない悲しみを見せ付けられて、壊そうとされた。だけど壊れなかった、それは、それで充分の事実。

「立ち止まったって振り返ったって、誰も責めたりしないわ。私の時間は私の時間。私が肯定しても否定しても、それは私の歴史。進み続ける。戻れなくてもね。恐くても、上がり続ける。そこにまだ続く道が在るのなら、進むのよ」

 誰かが、手を、握った。
 ささくれ立った手。荒い指先。憶えすぎるほどに憶えている手、過去が無ければ出会うことも出来なかった、だから肯定する? それもある、かも、しれない。まだ目は開けない、吐息を近くに感じているだけで良い。

「階段って、そういう意味では中々に興味深い所ね。上がり続ける。stepを、up。自分がどんどん成長していけると言うこと――止まっていては出来ないことだわ。不安や恐れの段を上って、確立された足元に安堵するの。そして次の一歩を踏み出す。それは楽観じゃなくて、勇気ね」

 目を開ける。
 疲れ果てて蹲っている人々が、見えた。
 広い広い階段の上。皆同じ段にいる。座り、歩き、続く。隣には草間の姿があった。予測済みに繋がれた手を軽く上げ、シュラインは小さく微笑む。草間は笑わず、ただ視線をそらした。ハードボイルドぶりたい性格なのだ、まあ許そう。肯定しよう。過去のように、傷のように、自分のように。

「一番暗い場所のすぐ隣に、一番明るい所がある。薄暗さの隣には仄明るい光景が広がっていると思うわ。そういう相反するものを持っているのって、私達、人間よね?」

 薄暗がりを歩く。
 ゆっくりと歩く。
 昇っていく。
 介入できない時間を重ねて。
 二度と反芻出来ない幸福を重ねて。
 それでも続き続けていく階段を上るように。
 もしかしたら、昇っていく。
 たまに止まりながら振り返りながら停滞しながら。
 それでも――『自分』を、続けて行く。

「私は、自分を否定したりしないわ」

 階段の下。
 ゆっくりと、人々は落ちていく。
 見えない霧の中に、身を投じていく。
 肯定した過去の中に飛び込んで、それを突き抜けていく。
 ――帰って行く。

「じゃ、帰りましょうか、武彦さん?」
「……そうだな」

 背中から霧の中に飛び込む。見えたのは懐かしい顔。聞こえたのは罵る声。それを突き抜ければ、楽しかった時間が身体を包む。懐かしい時、一緒に過ごせたあの頃。今も大切で、それは、汚されていないし否定されていない。何も変わっていない。思い出は不可侵。楽しかった事実は、変わらない。変わってしまうのはいつも現実の、現在の自分の心。
 だから、肯定する。何もかも肯定する。傷付いた、だからどうした? その程度で否定するものを築いた記憶こそ、ない。どこにも無い。悲しい結末や別れがあっても、楽しかった記憶は何時までもそこにあって変わらない。

 過去に介入しようなんて、思わない。
 肯定しているのだから。

 確かに涙は、時々、零れるけれど。

■□■□■

「それで――結局、あの階段の目的はなんだったのかしらね」

 草間興信所のソファーの上。
 草間とシュラインは、コーヒーを飲みながらそこで向かい合っていた。
 零の協力もあって空間は興信所の前に固定されていたらしい。時間はそれほど長いものでもなく、あの中ではその感覚すらもずれていたのだろう。人々は憔悴していたが、深刻な状態に陥っているものも無く、一刻も早く家に帰りたいとばかり言っていた。
 帰る場所がある。帰る場所に帰って行く。自分を受け止めてくれる場所があるから、自分を肯定出来るのかもしれない――シュラインは苦いコーヒーを喉に流し込んだ。

「目的や意思は無かっただろうな。アレは――堆積した感情の塊だ。『こうだったらよかったのに』『こうしていれば良かった』、そういう過去を眺めるときの後悔の集積物。だから取り込んだものに対して、一番介入したい過去を見せ付ける。そうすることでこうだったらという感情を喚起させ、自分の存在を繋ぐ――オートマティックなもんだ」
「随分確定的に言うのね?」
「まあな。腐った名探偵らしいから」
「流石だわ」

 クスクスと笑う。
 草間は笑わない。

「ねぇ、聞いても良いかしら。二つぐらい」
「半端だな。奇数にしろよ」
「じゃあ百一個ぐらい」
「二つで良いです」
「ん。何が見えたの? 武彦さんには。介入したくて、だけど出来ない過去」

 ふっと、草間の表情が曇る。だがそれは一瞬で、すぐにポーカーフェイスがそれを覆ってしまった。ただコーヒーが苦すぎただけとも思わせるような、だけど、確実に違う表情の変遷。鼓動の変調に気付かない振りをして、シュラインは彼を見詰める。

「――貧乏脱出出来なかった様々のチャンスだな」
「あ、そ」

 笑い合う。

「で、もう一つは?」
「ん――私、ここに帰って来て良いわよね」

 草間の笑みが深くなる、差し出された手に何と無く重ねる。鼓動が変化しない彼の様子が少しだけ癪に障った、自分は少し乱れたというのに。

「今更だろ」

 手を引かれる、バランスを崩す。片手はカップを持っている所為で、テーブルに手を付いて身体を支えることも出来ない。倒れると思って目を閉じれば、支えられる。ささくれ立った手、大きな掌、煙草のニオイが染み付いた指先。肩に触れる体温は、もう何度も感じたことがある。
 介入できない過去、時間の積み重ねの中で、何度も感じた事がある。
 未だに慣れないけれど。

 近付いてくる距離、まだ目は開けない、開けなくとも良い。

「お兄さん電話ですよ、依頼人さん、今からいらっしゃ、る、そ……」
「…………」
「…………」
「し、失礼しましたっ!」
「ああッ待て零!」
「れ、零ちゃんちょっと!!」

 これもまた介入できない過去の始まり。
 静かに佇む階段は、まだ何処かで彷徨っているのかもしれない。
 過去にばかり固執する人々を探して。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 大変なお待たせと共にようやくの後編と相成りました、『続き続ける階段』をお送りいたします哉色です。中編の時点で階段が何の暗喩だかばれてしまっていたことに冷や汗だったと今更の告白です(笑)
 今回はなんとなく不条理ちっくに、精神崩壊狙いの恐いものを描いていこうと思ったのですが……いかんせん技量が足りず、こんな感じになってしまい。オチぐらいは! と思ったら本当にただのオチに……この後は考えない方向です(笑)
 ともあれお付き合い頂きありがとうございました、少しでもお楽しみ頂けていれば幸いと思います。それでは失礼致しますっ。