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<東京怪談ノベル(シングル)>


青海の誘言

「ねえ真紀、真紀ったら」
「え、あ、なに?」
 少し意識が飛んでいたらしい。女友達に揺すられて、春日・真紀は慌てて振り向く。少し怒ったような顔の女友達がそこに居た。
 ごめんごめん、と手を合わせて、ようやく女友達の表情が緩む。
「なに、仕事のネタでも考えてたわけ?」
「オフの日にそんなこと考えないよ」
 高校生にして漫画家、そして小説家でもある真紀は、結構忙しい。しかし、忙しさにかまけて人と会わないと気が沈んでしまう。そろそろ危ないな、と思ったときに、女友達に声をかけられて、海水浴に向かう途中だった。
 海水浴に行くのなど、何年ぶりだろう。趣味はクラブで踊る事、という不健康な生活を送っていたので、バスの窓越しに降り注ぐ光がやけに眩しい。
「やっぱり海なんだから、いい男見つけないとね」
「だよね〜」
 真紀が独考モードに入った間に、女友達は一緒に来ている友人達と話はじめた。女三人集まれば姦しい、とはよく言ったもの。乗り合いバスでもお構いなしに話し始める。
 がやがやと騒ぐ女友達たちを見つつ、真紀は物思いにふける。普通の生活、普通の毎日、それが、なんだかありがたい。しかし、自分は人とは違う、普通、ではない。
 そうこうしている内に、バスが目的地へとついた。真紀、と呼ぶこえにうなずいて、荷物を持ってバスから降りた。


「わぁ」
 青い、どこまでも青い海を前にして、真紀は感嘆の声を上げる。
 東京の海はどうしても汚れている、それで、少し遠出してみたのだが、ここまで綺麗な海に出会えるとは思えなかった。
 呆然と立ち尽くす真紀の肩を、女友達が叩いた。振り向くと、海の家に隣接した更衣室を指差される。早く着替えろ、ということらしい。
 すこしぎくりとしつつ、ビニールのバックの中のそれに視線を向ける。久しぶりの海なのでちょっと張り切ってしまったが、やはり普通のにしたほうがよかったか。
「真紀?」
「あ、ううん、何でもないよ」
 もってきたものはしかたがない、気合だー、と内心呟きつつ、真紀は更衣室へと向かった。


「おぉ」
 更衣室から出てきた真紀を見て、先に着替えていた友人たちがため息をつく。
 何かおかしなところでもあるのだろうか、と体を見回して、ようやくそれがいい意味のため息だと気付いた。
「に、似合ってる?」
「真紀って結構そういうの似合うよね、胸ないし」
「こらっ!」
 顔を赤くして怒る真紀を見て、女友達が、冗談、と笑った。むぅ、と怒りつつ、真紀は再び自分の格好を見る。
 細身の体に身に付けたのは、黒のビキニ。しかも、フリル付き。売り場の店員に“お似合いですよ”と言われて買ったのだが、今思えばちょっと恥ずかしい。
「さ、泳ご」
「うん」
 女友達に連れられて、真紀は海の中へと入っていく。ひんやりとした水が、体を包み込んだ。


「ふぅ〜」
 砂浜にたたずんで、真紀は一人息を吐く。普段あまり運動していないので、ちょっと泳いだだけで疲れてしまった。しかし、悪い気はしない。
 女友達たちは、まだまだ泳ぐと意気込んで海の中。それを遠目に見る真紀に、背後から影が重なった。
「君、一人?」
「え?」
 振り返ると、ウェットスーツを着た少年がこちらを見ていた。脇にはサーフボードを挟んでいる。何で声をかけられたのかな、と疑問にかられ、ふと、一つの解答に行き着く。
 もしかして、これってナンパ?
「今、暇?」
「あ、えっと」
 こういう時、どう反応すればよいのだろう。ナンパなど初経験なので、どうすればいいか分らない。
「ああ、えっと」
「暇なら、ちょっと付き合わないか?」
 ちょっとだけ、ついていってもいいかな、と思う。しかし、これは危ないのではないか。ああ、でも……。
 混乱する真紀の脳裏に、兄の姿が浮んできた。
「あの、その……兄が待っているので」
「あ〜、そうなんだ」
 少年の顔が、とたんに落胆の顔に変わる。それじゃあ、と手を振ると、すたすたと歩み去っていった。
 少年がしばらく離れたところで、真紀は、ふぅ、とため息をつく。もしかして、女友達に見られたかも、と周囲を見渡すが、その様子はない。
 再び一人になり、真紀はぼんやりと海を眺める。
 ナンパされたことは、兄には言えないな、そう内心呟く真紀の前で、波は静かに揺れていた。