コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


夢に楽土求めたり



◇1

 チリン、と涼やかな鈴の音と共に店のドアが開いた。
 カウンターで商品リストの整理をしていた蓮はその音に視線をあげ、ドアの前に立つ人物を認めると、
「なんだ、あんたかい」
と詰まらなそうに呟く。
「悪かったね、俺で」
 そんな蓮の様子をさして気に留めた様子もなく、その客──津森明生は店内に入ってきた。
「あんたのところに関係するようなシロモノは今ないよ。商品も情報もね」
 分厚いファイルを書棚に戻しながら蓮は無愛想に告げる。
 彼と彼の主である女性……津森彩子は、彼女の祖父に纏わる作品を集めるコレクターだった。
 彩子の祖父がそうだったように、その作品もいわくありげな事象に巻き込まれることが多く、様々な理由でこの店に持ち込まれていた。
 結果、彼らは蓮の店の上客となった訳なのだが、生憎今のところ、それらしい品も情報も全くない。
「今回は買い物に来たわけじゃない。何人か人を集めてくれないかな」
 その言葉に作業を続けていた蓮は手をとめ、青年の目をまっすぐ見つめる。
 いつもと変わらぬににこやかな表情だったが、その笑みはどこか微苦笑に近い。
「……何があった?」
 蓮の言葉に明生は軽く眉を顰める。
「うちのお嬢さん、例によって例のごとく情報(ネタ)を仕入れて、とあるお宅の蔵に行ったんだ。美術品を処分されるってことだったから。アレの祖父さんとも交流のあった家だし何か見つかるんじゃないかってね。結局目的の物はなかったんだけれど、どうやらその時に彼女、何かに”捕まえられた”みたいなんだよ」
「どういうことだい?」
 青年の言葉に今度は蓮がその柳眉を顰める。
「一昨日から眠りっぱなし。一度も目を覚まさない。いくら睡眠好きでも異常だろう?」
 小さく溜息をついて、明生はカウンターに肘をつく。
「何かの付喪神(つくもがみ)に好かれてしまったんだと思うんだけど、そういうのに耐性はあるはずなのに、アレは帰ってこない」
「じゃあ、迎えにいってやればいいじゃないか。何もたもたしてんだい」
 明生が人間とはかけ離れた存在であることを知る蓮が呆れ顔で言い放つと、出来るものならやっていると、目の前の青年は不貞腐れたように呟いた。
「拒否された。どうやら”魔を祓う”類のものらしい。だから人間の力を借りたいんだ」
「おやまあ、あんたほどの奴がねえ」
 蓮は一瞬目を見開き、けれども次の瞬間口元ににやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「そうさねえ。じゃあ、何人か声をかけてやろうじゃないか。……高くつくよ?」
「はいはい、覚悟してますよ」
 電話に手をかけた蓮を見つめながら、明生は溜息と共に肩を落とした。


◇2

 クリスマスソングが流れる広い店内を綾和泉汐耶はゆったりと歩いていた。
 初めて足を踏み入れた今冬オープンしたばかりのこの書店は、活字中毒者の上、図書館勤務である汐耶が見ても、おや、と思わせる書籍を取り揃えている。
 なかでも商品構成に工夫を凝らしているのは絵本のコーナーで、ちょうどクリスマス時期というのもあるのだろうが、他では見ない小社から刊行されているものや外国のものがよく目に付いた。
 売り場はそれらを楽しそうに眺める子供たちとその家族で溢れている。
 一方、大人が多いのは文芸書のコーナーだ。こちらはここ最近各誌で発表になったミステリの本年度ベストを大々的に展開し、上位ランクには其々簡単なPOPがたてられている。
 面陳された本の装丁に視線を注ぎ、汐耶は気になった書籍に手を伸ばした。数ページに目を通すと表紙を閉じて小脇に抱える。文庫も含め、既に4冊が腕の中に収まっていた。
 その時ジャケットのポケットに入れてあった携帯電話が、虫の羽音のような音を立てた。
(……誰かしら?)
 訝しく思いつつ、汐耶は抱えていた書籍を手近な平台の上に置き、通話をしても邪魔にならない場所まで移動した。
 小刻みに震え続けるディスプレイに表示されているのは、アンティークショップ蓮の主、碧摩蓮の名前だ。
「もしもし?」
『汐耶かい? 休みのところ悪いね。今大丈夫かい? ちょっと手伝ってほしい件があるんだ。都合はつくかい?』
 馴染みの女主人は名乗ることもせずに問いを重ねる。彼女からの電話はいつもこの調子で、汐耶も戸惑うことなく蓮の言葉に応える。
「これと言った用事もないですから構いませんが……私にお呼びがかかったということは『封じ』関連ということですか?」
『モノはまだ確定されてないが、その可能性が高い。依頼人は付喪神が絡んでいると云っている。詳しいことは……そうだな』
 近くに依頼人がいるのだろう、電話の向こうで何やら話し合われている気配が伝わってくる。
『これから云う場所に行ってもらえるかい? そこで依頼人から詳しい説明がある。住所は……』
「ちょっと待ってもらえますか。……はい、どうぞ」
 汐耶は鞄の中から手帳を取り出すと、蓮が告げた場所を書きとめた。
 
 
◇3

「今の子は?」
 受話器を置いた蓮に明生が尋ねる。
「綾和泉汐耶。封印能力の保持者だよ。付喪の宿った本の管理なんかもしてるから、今回の件にはうってつけだろう」
 パラパラとファイルをめくりながら視線もあげずに応える主に、青年はそうだね、と苦笑を浮かべた。
「でもそれじゃあ、俺の方が封じられないように気をつけないとな」
「全くだね。今のあんたからは不穏な気配がこれでもかって漂ってるからね」
 自覚はあるのだろう、蓮の言葉に明生は大きく肩をすくめると、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、俺はお客様を迎えるのに一旦家に戻るよ」
「ああ。あとのメンバーは多少なりとも彼女やあんたとつながりのある人間にするよ。あの子の夢の中に入り込むならその方があの子にも調査員にも負担が少ないし……調査もしやすいだろう」
 蓮が挙げた名前に明生は、明生はもう一度肩をすくめ、
「怒られそうだなあ」
と呟きながら、来た同じようにドアの鈴を鳴らして店から出ていった。
 その後姿を目を細めて見送りながら、蓮は頬杖をつきながらニヤリと口角をあげる。
「それはまあ、あたしの知ったこっちゃないねえ」


◇4
 
 そのマンションは閑静な住宅街にひっそりと立っていた。
 汐耶は手帳と目の前の建造物とを見比べ、蓮が告げた住所と建物の特徴、名前が一致するのを確認すると、エントランスへと足を踏み入れた。
 今日の空が曇天ということもあるのだろうが、薄暗いエントランスだ。
 採光が悪いのかもしれない。
 そのせいというのでもないだろうが、汐耶の心にも薄っすらと靄が掛かるように気鬱さが広がる。
 出来るならこのまま引き返してしまいたいような気分だ。
 何を馬鹿なことを、と自分らしくない思いに内心首を傾げながら、汐耶は軽く頭を左右に振ると背筋を伸ばし、足をエスカレーターへと向けた。
「……あれ、汐耶さん?」
 不意に背後から声をかけられ振り向くと、そこには顔見知りの少女が安堵したような表情で立っていた。
 初瀬日和。都内の高校に通う学生であり、汐耶はまだ聴いたことはないが友人曰く『将来有望』なチェリスト……、そして彼女もまた、汐耶同様、あのアンティークショップや草間興信所に出入りをする人間の一人だった。以前、同じ調査に携わったこともある。
「こんにちは、日和さん。あなたも調査、ですか?」
「こんにちは。……も、ということはやっぱり汐耶さんもなんですね」
「ええ。蓮さんから突然電話が来まして」
「私もです。……よかった。知らない方の家にお邪魔するのって、ちょっと緊張するからどきどきしていたんですけれど」
 心強いですと微笑まれて、汐耶も笑みを浮かべる。
 世間擦れしていない小柄な少女は、十六歳という歳もあってか、汐耶に妹を思い出させた。我知らず、笑みが深いものになる。
「こちらこそ心強いです。宜しくお願いしますね」
「私の方こそ、宜しくお願いします」
 ぺこりといった表現が合う仕草で頭を下げた日和に、ええ、と汐耶は頷くと、二人はエスカレーターへと乗り込んだ。


◇5

「意外と早かったのね」
 依頼人の部屋のインターホンを押してほどなく開いたドアから現れたのは、汐耶の友人であり草間興信所の事務員でもあるシュライン・エマだった。
「あなたも調査のメンバーなんですね」
 肩から力を抜いて呟いた汐耶に、そうよ、頷きながら彼女は艶やかに微笑んだ。
「こんにちは、日和さん」
「あ……こんにちは、シュラインさん」
 見知らぬ依頼人の家ということで多少気負っていたにもかかわらず、内から現れた人物がシュラインだったことに驚き、目を大きく見開いていた日和は、柔らかな声をかけられて我に返り、慌てた様子でお辞儀をした。
「二人の到着で調査メンバーも全員揃ったわ。明生さん……ああ、今回の依頼人よ、あとセレスも中で待ってるわ」
 シュラインを先導に汐耶と日和は部屋の中に足を踏み入れる。
「随分と親しそうな口振りですが、今回の依頼人はあなたと既知の間柄なんですか?」
 コートを脱ぎながら汐耶が問いかけると、シュラインは一瞬沈黙した後、ええ、と頷いた。
「会った回数なら汐耶や日和さんの方が俄然多いんだけれど。二人とも武彦さんのご友人だし、二人がらみの調査依頼もウチでいくつか取り扱ったことがあるの」
「そうなんですか」
 神妙に頷いた日和の様子に、シュラインが茶目っ気のある笑みを浮かべる。
「そういえば日和さんは『風待ち』の調査にも参加したんだったわね」
「風待ち……あの絵のですよね? はい」
「じゃあ、明生さんを見たらちょっと驚くかもしれないわ」
「え……? どういうことですか?」
 それは会ってからのお楽しみ、と告げてシュラインは部屋の奥へと二人を導いた。


◇6

 まるで死んでしまっているかのようだ、と汐耶は思う。
 通された部屋のベッドの上に青白い顔色をして横たわる女性は身じろぎもせず、瞼を閉じている。
 だが、よく見てみれば浅い呼吸が繰り返されているのが分かり、汐耶は目を細めた。
「今回はお集まり頂き有難うございます。津森明生です」
 眠る彼女の傍らに立つ青年がにこやかに微笑み、汐耶と日和に小さく会釈をした。
 彼の隣には汐耶とも日和とも面識のあるセレスティ・カーニンガムが立っており、二人の姿を認めると優美な仕草で頭を下げる。
「蓮からだいたいの概要は聴いていらっしゃると思いますが、要点だけ俺の方から再度お話させて頂きます」
 いつから彼女がこのような状態になったのか、何が原因と思われるか、理路整然と話す青年の言葉に耳を傾けながら、汐耶はどうしてここの空気はこんなにも重いのだろうかと、周囲へと視線を這わせる。
 照明は皓々と室内を照らし、室内の家具も明るめの色調で統一されているにも係わらず、部屋を漂う空気が……そう、まるで要申請特別閲覧図書たちと居る時と似ているのだ。
 永い時を経て、時の抱えた闇さえも吸い込んだ、軽く肩にのしかかるような気配。
 何から発せられているのか、一通り部屋の中を見渡し、汐耶は明生へと視線を戻す。
 そして合点がいった。
 これは彼から発せられているのだと。外見こそ自分とそう変わらない年齢に見えるが、彼は人ではないのだと、汐耶は悟った。
「ということで、今回は彩子の精神に係わって頂くので、彼女と何かしら縁のある方に集まって頂きました。カーニンガムさん、エマさん、その節は有難うございました。初瀬さんも『風待ち』の調査、ご尽力頂いて有難うございます」
「あ」
 汐耶の隣で訝しげな眼差しで明生を見つめていた日和が、合点が云ったという様子で声をあげた。
「『夜明け』の……」
 微笑を浮かべたまま頷いた青年をまじまじと見つめたあと、日和は口元に手をやり考え込む仕草を見せた。
「綾和泉さんは今回初めてお会いしますが、蓮より封じのエキスパートだと伺っています。宜しくお願いします」
 小さく頷く汐耶に、青年も頷き返し、では、と言葉を繋いだ。
「このメンバーでしたら二手に分かれて頂こうと思います。エマさんと初瀬さんには彩子の夢の中に入っていただき、カーニンガムさんと綾和泉さんには付喪の品の方からアプローチしていただきたく思います。異存のある方は?」
 四人から否やの声は上がらず、それでは調査についてお話します、と明生は静かにその先について話始めた。


◇7-1

1時間後。
セレスティと汐耶は蔵の前に立っていた。
曇天に向ってそびえる黒漆喰の建造物は江戸時代に建てられたものだそうだが、修繕を繰り返し行っているためか、重厚さは感じるものの、悪い意味での旧さは感じない。
『先方にはもう連絡を入れてあります。こちらの状況をご説明したところ快く調査に承諾してくださりました』
『お二人には彩子の意識をあちらが側に繋ぎ続けるモノ、の本体を探し出して頂きたいんです』
 耳奥によみがえる明生の言葉に、まずはモノが何であるか確定しなければ、と汐耶は思う。
 セレスティと汐耶の前では家主である老婦人が白い息を洩らしながら、施錠された扉へと手をかけている。
「まさか、彩子ちゃんがそんなことになってるなんて。悪いことをしてしまったわねえ」
 呟きを洩らす婦人にセレスティが柔らかな笑みを浮かべ、慰めの言葉をかける。
「奥様が気に病まれることはありませんよ。旧いモノは時折このような悪戯を起こすものなのです」
「いいえ、私がもう少しばかりきちんとすればよかったんですよ、本当に」
 小さく頭を左右に振る女性に、セレスティは、何か心当たりがあるのかと問いかける。
「ええ。……うちの主人が亡くなってもうだいぶ経つから、そろそろあの人の集めたガラクタ……この蔵の中にあるものなんだけれども……処分してもよいだろうと出入りの骨董商に見に来てもらったんですよ。その時に気をつけるようにねえ、云われていたの。一度御祓いの類をしてもらった方がいい物がありますよって。まさかそんな大層な物あるとは信じられなくて。何もしないまま、彩子ちゃんをここにあげてしまったの」
 老婦人の手元で、カチャリと小さな音を立てて鍵が外れる。
「津森彩子さんがこちらにいらっしゃった際に、何か気付いたことはありませんでしたか」
「いいえ、特には。ただ帰る際にちょっと、そうね、寂しそうな表情をしていたのが印象に残ってるわねえ。ほら、あの子、いつも明るいから」
 そういって婦人は小さく溜息をついた。


 蔵の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っており、そのなかに様々な物が雑然と並べられていた。
 山積みになった書籍、小さな仏像や石像、蝶や甲虫類の標本、陶器……。中には貴重な物もあるのだろうが、こう未分類ではその価値も分かりかねる。
 母屋へと帰っていく老婦人の姿を見つめながら、さて、と汐耶が呟く。
「思ったよりは狭いけれども。どこから手をつけましょうか」
「そうですね……」
 頷きながらセレスティはゆったりとした歩調で入り口近くに置いてある和箪笥へと手を置き、そっと目を閉じる。
「依頼人……正確にいうなら、人ではないんでしょうけれども。彼が言うには、魔を祓うもの、でしたよ。私は初め鈴や弓を思い浮かべていたんですが……。そういえば、シュラインは守り刀とか香炉といっていましたね。彩子さんはお祖父さま由来の品を探しにきたということですから、まずは書籍の周辺から……セレスティさん?」
 応えのないことを訝しく思い、声をかけると、セレスティは我に返ったという風情で顔をあげる。
「ああ、すみません。コレが何か見ていないかと思って」
 セレスティの応えに汐耶が目を見開く。
「物の記憶を……読み取れるんですか」
 セレスティは肯定を伝えるために口元に小さな笑みを浮かべ、瞼の裏に浮かぶ景色へと再び意識を向ける。
 断片的に現れる過去の情景。それらの中から自らが必要とするものへと神経を集中させていく。
 ……いくつかの書棚が並ぶ一角へと手袋をはめながら進んでいく女性。
 床に積んである書籍の題名を一冊一冊調べ、印字されていないものは手をとり内容を確認するという作業を根気よく続けている。
 そして彼女は書棚と書棚の間にあるそれに気付き、不思議そうな面持ちで手を伸ばす。
 複雑な模様の刻み込まれたそれは──。
「あちらの書棚の方に鏡があるはずです。彼女はそれを覗き込んだ」
「鏡、ですか」
 汐耶は明生が用意してくれた懐中電灯にスイッチを入れながら、セレスティの言葉に従って書物の山へと足を踏み入れる。
「彼女はじっとそれを見詰め……端の小ぶりな棚の上にそれを置いています」
 埃にまみれた書籍は紙が劣化しているのだろう、旧い本特有のすえた匂いを周囲に漂わせている。
 ぞんざいに積み重ねられた本たちの姿に眉を顰めながらも、汐耶は視線を周囲に走らせる。
 ──木製の小さな棚。埃を被ったその棚の上に、その鏡はあった。
 鏡とはいってもそれは年季が感じられる銅鏡で、永い年月を経てきたためだろう、唐草模様が刻み込まれた鏡背(きょうはい)には、埃が付着している。
「ありました。セレスティさん」
 セレスティに声をかけると、汐耶は鏡を凝視し……、それへと手を伸ばした。
「触ってもよいのでしょうか?」
 傍らに歩み寄ったセレスティに、汐耶が厳しい表情のまま頷く。
「……この鏡は今、その力を封じられています。そうですね……別の言葉に言い換えるなら、眠っている状態といっていいでしょう」
「付喪の……本体もまた、眠っているというのですね」
 セレスティはそっと手を伸ばし、指の先で銅鏡に触れる。
 流れ込んでくる膨大な情報。銅鏡の持つ旧く、あるいは新しい記憶が走馬灯のようにセレスティの頭の中を駆け巡る。
「……この鏡は覗き込んだ者の過去や願望を読み取り、夢の中で再現してみせる力があるようです。その昔は祭祀に使用されていたようですね。けれど人の意識を夢の中に留めるなどという力はない……。つまり」
 セレスティは肩から力を抜いて汐耶を見つめると苦笑を浮かべた。
「今回、真の被害者はこの鏡の方なのかもしれません」
「こういうのもミイラ取りがミイラになった、っていうのかしら。……彼女の夢の中に入った二人は、もう一人連れ戻さなくてはならないモノが増えましたね」
 汐耶の言葉にセレスティは頷き、
「明生さんにその旨連絡を入れて、私たちはマンションに戻りましょう」
 汐耶の手の中で眠る銅鏡に微笑みかけた。


◇7-2

 セレスティと汐耶が家の外へと出て行くと、明生はコンポへと手を伸ばし、再生ボタンを押した。
「ドヴォルザークの……」
 日和の呟きに明生が頷く。
「ええ、『新世界より』です。さすがですね、初瀬さん」
「その曲が何か今回の件に関係あるのかしら」
 彩子の顔を覗き込んでいたシュラインが小首を傾げて明生を見つめる。
「ええ。これからお二人には夢の中に入って頂きます。彩子の夢の中に二人を送り込むのは、実はそう難しいことではないんです。俺……私と彼女の精神の間にはある種のホットラインが出来ているので、お二人の意識をそのラインに乗せればいいだけですから……言葉にするとこんな感じの作業で、さほど労力を要するものではないし、危険な作業でもないので安心してください。……この曲はですね、お二人のための道標と考えて下さい。この曲は夢の中に入っても聞こえます。もし不測の事態に陥ってしまった場合、あるいは彩子の意識を目覚めさせた場合、この曲に意識を集中させて戻りたいと願っていただければ、こちらに戻ってこれますから」
「つまり、この曲が彼女の夢と現実世界とを結ぶ糸、ということね」
 シュラインの言葉に、はい、と明生は笑顔を浮かべる。その笑顔を見つめながら、シュラインはああ、そうだ、と呟く。
「ねえ、明生さん、夢の中では彩子さんがどんな姿でいるか分からないと思うの。幼い頃の姿が写っている写真とか……アルバムはないかしら。よければ見せていただきたいんだけれど」
「そうですね。私も彩子さんにはきちんとお会いしたことがないので、見せて頂きたいです」
 日和もシュラインの言葉に同意を示す。
 二人の言葉に明生は、あー、と唸り声をあげて少し困ったような表情を作った。
「お見せしたいのは山々なんですが、残念ながら、彩子の幼い頃の写真はないんです。彼女はそういう……子供の姿を撮って残しておくような家庭では育たなかったので。大丈夫、昔からコレの顔はそう変わっていませんし……夢の中で一番変な絡み方をしてきたのが、多分彩子ですから」
「彩子さんて……そういう方なんですか?」
 大きな瞳を不安げに揺らして尋ねる日和に、シュラインは肯定も否定の言葉も口にはせず……苦笑を浮かべる。
「大丈夫です、一之瀬さん。コレは可愛い女の子が大好きですから。そうひどい悪さはしないでしょう、多分」
「はぁ……」
 彩子の寝顔に慈愛に満ちた眼差しを向けながらの明生の発言にも、日和は素直に頷くことが出来なかった。


◇8
 
 目を開けると眼前は一面の銀世界だった。
 日和は数度瞬きを繰り返すと何事もなかったようにぼんやりとしていたが、次の瞬間、我に返ったように慌てて周囲を見渡した。
 そこはどこかの邸の中庭のようだった。
 白い雪を被った常緑樹や未だ紅葉のあとを残す庭木、あるいは葉が落ちきって枝ばかりになってしまったもの、石灯籠……玉砂利の敷かれた小道などが日和の目に入ってくる。
 日和自身はその庭に臨む広い縁側に腰掛けている状態だった。
(明生さんに言われたとおり、彩子さんの手を握って、目を瞑って、音楽に集中しただけなのに)
『次に目を開けたとき、そこは夢の中ですから』
 そう事前に云われていたけれども、やはり驚かずにはいられなかった。
 日和は今にも再び雪が降り出しそうな曇天を見つめる。
 雪の替わりに、静かに、穏やかにドヴォルザークの音色が降って来ていた。
 
「あれぇ、初瀬さん、どうしたのー?」
 彩子さんを探さなくては、と日和が縁側から腰を上げたその時、傍らから少女の声があがる。
 ……今の今まで、誰もいなかったその場所から。
 見るとそこにはオカッパ頭に着物姿という少女の姿があった。日和の顔を見ながら、楽しそうに笑みを浮かべる。
「きゃ」
 日和が小さな叫び声をあげると、少女は鈴を転がしたようにきゃらきゃらと笑い声をたてた。
「咄嗟に、きゃって叫べる女の子は可愛いよねー。やっぱり」
 うんうんと自らの言葉に頷く少女は可愛らしい姿をしていたが、言動が何やら子供らしくない。
「あたしなんて、うわっとか、げ、とかだもの」
(この子は……もしかして)
「あの……彩子さん?」
 戸惑いつつ投げかけた言葉に、少女は大きく頷く。
「ビンゴ!」
(……なんとなく、シュラインさんが苦笑を浮かべた気持ちが分かるような気がするわ……)
 満面の笑みを浮かべて日和を見つめる少女に、日和は内心溜息を洩らすのだった。
 
「あの、彩子、さん?」
「はい、なんでしょう、初瀬さん」
 日和は背筋を伸ばし、居住まいを正して少女の姿の彩子に向き合う。
「ここで、何をしているんですか?」
「何をしてるように見える?」
 問いかけに問いで応えられ、日和の眉間に皺がよる。その様子に彩子は小首を傾げながら、ごめん、ごめんと呟き、少し寂しげな笑みを浮かべた。
「あたしねえ、ここで番をしているの」
「番……?」
「そう」
 彩子の眼差しが日和の背後にある障子へと向けられる。
「兄さんがね、この部屋の中で眠っているの。兄さんは具合が悪い。だから、いつでも、何があっても兄さんを助けられるように番をしているんだよ」
 静かな、人の気配のない閉ざされた部屋へと愛しげな視線を注ぎながら、彩子は柔らかに笑った。



 
『新世界から』の第二楽章と共に、子供の泣きじゃくる声が聞こえて、シュラインは目を開いた。
 そこは先程いた彩子の寝室ではなく、十畳ほどの薄暗い和室だった。
 シュラインは一瞬目を見開いたものの、大きく一度深呼吸をすると、状況を確認するために周囲を見渡した。
 文机と小さな箪笥、それ以外は何もない部屋だった。
 あまりにも物がなさ過ぎて、どんな年齢のどのような人物の部屋なのか推測するのも難しい。
 シュラインは困ったように肩をすくめ部屋を出ようとして……部屋の隅で小さく蹲って「それ」に気がついた。
「そこで何をしているの?」
 声をかけると「それ」の肩が小さく震えた。
「オマエ、ワレが見えるのかえ」
「見えなければ声なんてかけないわ」
 シュラインの言葉に身の丈は三十センチメートル程度、童女の姿をしていた「それ」はほっとしたように息を吐いた。
「助かった。ワレが見えるということはオマエは外から来たものじゃろ。このオナゴを起こすためにきたのじゃろ」
「そうだけれど。あなたは……彩子さんではないわね、いくらなんでも」
 シュラインの問いかけに当然、と「それ」は頷いた。
「ワレは鏡の神じゃ。とはいってもただの鏡ではないぞよ。永く祭礼をつかさどった、それはそれは、それは尊いものなのじゃ」
 胸をはり誇らしげに語る童女の稚(いとけな)い姿に、シュラインは小さく笑みを漏らした。
「鏡……。ではあなたが彩子さんを捕らえた付喪神ね」
「……違う」
「何が違うというの」
 鏡の神は居心地が悪そうに体を揺らすと、覗き込むようにシュラインの顔を見つめる。
「ワレは尊い鏡なのじゃ。優れた巫女がワレに触れて祈願すれば神託を夢に映し、未来をも映すことが出来るのじゃ。だがの、タダビトが触ると過去や触れた者の願望が夢に映るだけなのじゃ。普段の夢となんら変わることはない。ワレは尊い鏡じゃからの。力のある者にしか使いこなせないのじゃ。が……このオナゴ、彩子というのかの、は、巫女でもなかったがタダビトでもなかった。この夢は確かにこの娘の過去であり願望であったのだが……そのう」
 徐々に声が小さくなっていく「それ」に、シュラインが眉を顰める。
「何?」
「怖い顔をするでない。ワレはこの娘の願望を夢に映した。娘はその夢に執着して、夢を見せたワレごと、この夢に縛り付けたのじゃ。ワレはこの一人ではこの部屋から出ることもできん。……娘は娘が目覚めぬのは、ワレのせいではない。娘が望んだことなのだ」
「それであなた、戻れなくて泣いてたのね」
「泣いてなどおらぬわっ」
 目の端を赤くしながら鏡の神は喚くが、シュラインはそれには頓着せず、話を進める。
「今回の騒動はやっぱり彩子さん自身の問題ってことね。目覚めさせるにはやっぱりあれかしら。これが夢であると気付かせればいいのかしら。それとも意識を外界へと向けさせればいいのかしら」
「この娘は」
 鏡の神はそこで一旦言葉を切ると、視線を畳みの目へと這わせ、ぼそぼそと呟くように告げる。
「徐々に疑問に思い始めているはずじゃ。おそらくオヌシたちが現れたことで、さらにの。夢を砕けば娘は目覚めるはずじゃ。現実から逃げるのではなく、娘はこの夢にこそ、固執したのじゃから」
「……彩子さんは……何の夢を見ているの?……」
「先程までな、オヌシの立つその場所には寝床があった。青白い顔をした男が横たわっておったよ。娘は障子の向こうから、何度も声をかけておったよ。兄さん、気分はどうですか。白湯でももってきましょうか。とな」
「お兄さん……?」
 童女姿の神はそっと目を伏せる。
「この娘は死んだ兄の夢を見ているんじゃよ」



 障子の向こうから何やらぼそぼそと話し声が伝え聞こえる。
 それもどうやら男の人の声ではなく、女性のもののようだった。
「彩子さん、部屋の中にはお兄さんの他に誰かいるのかしら?」
 日和が尋ねると、彩子は一瞬考え込むような仕草をみせ、頭を左右に振ると、いない、と答えた。
「じゃあ、誰かが看病するのに入ってきたのかもしれないわね」
「そんなはずない」
「でも声がするわ」
「声なんて聞こえない。兄さん以外、誰もいないわ」
 いらだったように頑なに否定する彩子の姿に、日和はあれ? と疑問を持つ。
 のらりくらりとした受け答えだった彩子が、顕著な拒否反応を示している。
 もしかして、この部屋の中が彩子を目覚めさせるためのキーポイントなのではないだろうか。
「じゃあ、確かめてみよう、ね」
 日和はすっとその場を立ち上がり障子へと手をかける。
「駄目。兄さんは具合が悪いの。それに知らない女の子に寝てる姿見られたらきっと困る」
 追いすがって止めようとする幼い彩子を宥めながら、障子を開けようとするが、何かで止めてしまっているかのようにまるで動かない。
「初瀬さん、駄目だよ、駄目」
 彩子の声に耳も貸さず、日和は両手に力を込める。
 すると。
 今度は拍子抜けするほどあっさりと、閉ざされていた戸は開かれた。
 その反動で日和は廊下にしりもちをつく。
「あっ……大丈夫、日和さん」
 部屋の中から現れたのは、自分と同様に夢の中に入ったシュライン・エマの姿だった。
 内から彼女も障子を開けたらしい。
 「だ、大丈夫です」
 そういいながら、彼女の背後にある部屋の中へと日和が視線をやると、そこには彩子のいうような人物は……それどころか、誰もいなかった。
 ただ薄暗い部屋があるだけだった。
 


「あーあ」
 背後で大きな溜息をつく音が聞こえて、日和はゆっくりと振り返る。
 そこに座っていたのは、幼い彩子ではなく、成人した女性の姿をした彩子だった。
「終わらせちゃったね」
 微苦笑を浮かべて日和とシュラインを見つめる。
「いい夢だったのに。もうちょっと見ていたかったな」
「彩子さん」
 眦をあげてシュラインが彩子の名を呼ぶ。
「どれだけ人が心配したと思ってるの。これ以上ぐーすか寝続けているつもりなら……今回の調査に参加した皆で寝てるあなたに悪戯しちゃうわよ。そうね、ついでに武彦さんも呼んじゃおうかしら。彩子さんには煮え湯を飲まされてるみたいだから、これ幸いと何をするか分からないわよ」
「……エマさん?」
 まくし立てるシュラインを呆然と見つめる彩子に日和も声をかける。
「あの、依頼人さん……明生さんもすごく心配してるんですよ。自分じゃ連れ戻せないからって調査依頼、蓮さんに出して。それに……眠ってる彩子さんをとても優しい瞳で見て、……待ってるんです」
「それに早く起きないと体が衰弱して死んじゃうわ。彩子さん、以前、私に覚えていてって云ったわよね。忘れてほしくなかったら、さっさと起きていらっしゃい。ずっと忘れずにいられるほど、私たちそう長い付き合いじゃないでしょ。私があなたを覚えているのも忘れるのも今後のあなたの努力次第だわ」
 二人の言葉に彩子は視線を一旦床へと落とし、次の瞬間にはぷっと吹き出す。
「何笑ってるのよ」
「なんていうか、人が自分のために必死になってくれるの見ると、嬉しくて……笑っちゃうなあって」
「みんな、彩子さんが目覚めるの、待ってるんですよ」
 少女姿の彩子とずっと話していたせいか、子供に対するように、めっ、と顔を顰めて告げる日和に、彩子の笑みは深くなる。
「そうだね、帰ろうか」
 告げる彩子の耳元にシュラインはそっと口を寄せる。
「──帰っておいで」
 その言葉は本来のシュラインの声ではなく、明生の声を模したもので告げられた。
 彩子は何かを噛み締めるように目を閉じて、うん、とゆっくりと頷いたのだった。
 
 
◇9
 
 眠る三人を見つめながらセレスティはそっと溜息をついた。
 夢の中にいる三人がどのような事態に遭遇しているのか分からず……また、ただ待つしかない己が歯がゆくて仕方がなかった。
(何事もなく帰ってこれるとよいのですが)
 そう思いながらセレスティは自らの手の内にある銅鏡へと視線を下ろす。
(……?)
 不意に、心なし質量が重くなったような気がするのは気のせいだろうか。
「あ……」
 自分の傍らにいた汐耶が声をあげる。
 何事かと視線を走らせると、ベッドの傍らに突っ伏していたシュラインと日和が、小さなうめき声を上げてゆっくりと頭をあげた。
「大丈夫ですか」
 頭に手をやりながら立ち上がろうとしたシュラインにセレスティが手を差し出す。日和には汐耶が手を貸す。
「大丈夫よ……私たちも。そして彩子さんもね」
 口元に笑みを浮かべるシュライン。
 そして。
 ベッドの中で静かに眠っていた女性の口からも声が漏れ、硬く閉ざされていた瞼がゆっくりと開いた。
「おかえり」
 明生の柔らかな声が目覚める彼女を優しく出迎えた。

 
 部屋の中では『新世界から』第二楽章が静かに流れていた。

                            END



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1449 / 綾和泉汐耶 / 女性 / 23 / 都立図書館司書
0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 草間興信所事務員・翻訳家・幽霊作家
1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
3524 / 初瀬日和 / 女性 / 16 / 高校生


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

こんにちには。あるいは初めまして。ライターの津島ちひろです。
2004年、最後の納品作品が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした……。
少しでも楽しんでいただけると幸いです。
短いですが、皆様に一言ずつ。

汐耶さま
はじめまして。今回、物語の主要部分は汐耶さま視点で描かせて頂きました。
スッと背筋の通っている女性は描いていて楽しかったです。

シュラインさま
いつも有難うございます。姉御のようなシュラインさんに彩子も私もいつも助けられています。
有難うございます。(深々)

セレスティさま
いつもありがとうございます。今回は物の情報を読み取る力をおもいっきり活用させて頂きました。
リーディングの部分が書けて楽しかったです。

日和さま
いつも有難うございます。可愛くて芯の強いところがある日和さまを上手く描写できているとよいのですが。
彩子との会話、楽しく書かせて頂きました。


みなさま、今年は本当に有難うございました。
叶いましたら、来年も宜しくお願い致します。
よい年の瀬・年初めを迎えられますように。