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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


空虚なる闇

●序

 一瞬、ただの一瞬だった。どうやっても抜け出せぬ闇が降りかかってきたのは。

 草間興信所に、神妙な顔をした中年女性が訪れた。顔はやつれており、目の下にはクマが化粧の上からでもはっきりとある。
「飯田・香(いいだ かおり)と言います。……こちらは、何でも不思議なことを解決してくださる所だとか」
「……不本意ですけどね」
 香の言葉に、あえて草間は突っ込む。これだけはゆずれないといわんばかりに。だが、そんな草間の言葉を香は溜息でかき消す。
「先日、私の上の息子が亡くなりました。次は、私の夫が」
「……それは、ご愁傷様で」
「いえ、私が言いたいのはそのような事ではないのです。二人とも、交通事故で亡くなりました。立て続けに、同じ場所で」
 香の言葉に、草間の顔に緊張が走った。
「上の息子は、先日刑期を終えて出所したばかりでした。……人身事故を起こしたのです。スピードの出しすぎで、曲がりきれずに……相手の少年を殺してしまったのです」
 草間は何も言えず、じっと香を見つめて次の言葉を待った。
「その瞬間から、私達の生活は変わりました。夫も私も必死になり、被害者の方の家族に何億ものお金を払う為に働きました。下の娘である真奈美さえも高校を辞めて働いています。……上の息子も酷く反省し、出所したら一緒に働いて罪を償うと言っていました」
 香はそこまで言い、ハンカチを取り出して涙を拭う。
「でも、息子は自分が人身事故を起こした現場で亡くなりました。赤信号だというのに渡ったのです。夫も、同じように」
「それは、もしかして……」
「偶然と呼ぶには、どうも違和感が拭えませんでした。もしかすると、これは復讐なのでは、と。被害者の方が私達家族に復讐をしているのでは、と。私は構いません。息子の責任を私が担うのは仕方のない事です。ですが、娘は関係ありません。……娘だけは」
 香は一気にそう言い、ぎゅっと手を握り締める。
「被害者の方は、母子家庭で母一人息子一人だったそうです。謝罪しに行っても全く相手にされず、賠償金でさえ一円も受け取って貰っていません。それが逆に、私達には辛く思えてなりませんでした」
「……つまり、その人からあなたの娘さんを守って欲しい……そういう事ですか?」
「そうです。被害者の方は、黒木・綾子(くろき あやこ)さんと仰います。すいませんが、お願いいたします」
 香はそう言ってぺこりと頭を下げた。草間は香が出ていった後、煙草に火をつけて深く溜息をついた。
「嫌な依頼だ……」
 そう、小さく呟きながら。


●信号

 誰が分かるというのだろう。この闇を、誰が一体知り得るというのだ。闇の中に差した光がまた、闇である事も。

 シュライン・エマ(しゅらいん えま)は草間興信所にいつものように行きかけ、足を止めた。
「あら」
 小さく呟き、見つめた青の目の先にあったのは花であった。道路の端に置かれた花は、空き缶で作られた花瓶にさしてある。
(ここで、事故があったのね)
 居た堪れない気持ちになり、シュラインはそっと近付いて手を合わせた。結い上げた黒髪がはらりと風に踊るのも、気にしないままに。このカーブは、急なものだということで事故が絶えない場所だという事を思い出す。花を手向けなければならない事故が起こってしまったのか、と厳粛な気持ちになる。
 顔を上げると、そこに女が一人立っていた。呆然と手を合わせているシュラインの方を見ていた。
(何かしら?)
 見たところ、50代くらいであろうか。手には何か本のようなものをしっかりと握り締め、ぼんやりとシュラインの方を見ていた。
(私を、見ているのかしら?)
 シュラインはそう思い、その女性に話し掛けようかと足を向け、やめる。女性の視線の先が、先ほど自分が手を合わせていた花に在ると気付いたのだ。
(ああ、だから見ていたのね)
 実際、シュラインが女性に向かっていこうとしても、女性は全く反応が無かった。視線がシュラインではなく、花のほうにいっていた事は明確だ。
「行きましょうか」
 シュラインはそう呟き、歩き始めた。花を見つめていた女性が、じっとシュラインの方を見ていたのも知らずに。


 草間興信所には、6人の男女が集結していた。草間に呼び出されたわけではなく、偶然に居合わせた者達である。
「色々な検討ができるわねぇ」
 シュライン・エマ(しゅらいん えま)はそう言い、小さな溜息をついた。いろいろな検討、の中にはあまり考えたくないものも混じっているのかもしれない。
「そもそも、事故というのは起こそうとして起きるものではありませんしね」
 同じように溜息をつきながら、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ かーにんがむ)はそう言った。会社を経営していく上でも、不慮の出来事というものは起こる。その事を思い出したのだろう。
「息子さんとお父さんが同時期になんて、本当に辛いだろうね」
 藤井・雄一郎(ふじい ゆういちろう)の顔も、曇っている。自分も親である立場のせいか、思いが重なるのかもしれない。
「復讐だとすれば……止めないといけませんね」
 桐崎・明日(きりさき めいにち)はそう言って微笑んだ。他の誰とも違う表情が、不思議な感じを受ける。明日は他の誰よりも哀しそうな顔をしてはいなかった。
「うん、止めないとね!くーちゃんもそう言ってるし」
 ぐっと拳を握り締めながら、肩にハムスターサイズのイヅナを乗せて鈴森・鎮(すずもり しず)はそう言った。明日の微妙な表情は気にしていないようだ。
「まずは把握しないといけないよな。んで、早目に動いた方がいいだろうな」
 もぐもぐと応接にあった饅頭を食べながら、影崎・雅(かげさき みやび)はそう言った。緊張感がないといえば無いが、その表情は全くないというわけでも無さそうだ。
「おや、これは桜壺の饅頭じゃないですか」
 明日が気付き、手を伸ばす。
「お、知ってるのか?通だな」
「知ってますよ。餡子が美味しいですよね」
「いいなー。俺も食べたい」
 雅と明日の会話に、鎮も手を伸ばした。それにつられ、雄一郎も「俺ももらおうっと」と言いながら手を伸ばす。
「皆、今こぞって食べている場合じゃないんじゃないかしら?というか、それは誰かが武彦さんのために持ってきたんじゃないの?」
 シュラインが苦笑しながら牽制し、そう言いつつも手を伸ばしながら言う。
「持ってきたの俺。草間にも食べさせてやってもいいけど、今日いる皆で食べようと思ってさ」
 にかっと笑いながら雅が言った。向こうで草間が渋い顔をしている。
「私も頂きましょう。……力を蓄える為にも」
 セレスティもくすくすと笑いながら、手を伸ばした。
「まずは分かれて動かないか?調べるのと、守るのと」
 饅頭を食べ終わった雄一郎が、皆に提案する。それを受け、饅頭を食べつつ皆が頷いた。
「……お前ら、一つくらいは残しておいてくれよ?」
 草間の寂しそうな問いかけには、皆頷く事は無かった。


●交差

 思う事だけならば誰にでもできる。知る事だけならば誰にでもできる。単なる知識は決して必要とされていない。必要なのは、理解だ。

 話し合いの結果、綾子の調査がセレスティ・雅・明日・雄一郎の四人が、真奈美の護衛にシュライン・鎮の二人が行く事になった。
「真奈美さんの護衛はやりたいけど……香さんにも話を聞きたいのよね」
 家に向かう途中、シュラインがぽつりと漏らした。
「じゃあ、俺が捨てフェレットのふりして近付くよ。それだったらずっと一緒にいられるしさ」
 な、くーちゃん、と言いながら鎮は言った。
「そうねぇ。……真奈美さんに聞きたい事はあるし」
 シュラインはそう言い、じっと鎮を見つめる。すると鎮はにかっと笑い、姿を鼬に変えた。ふわふわの毛が、なんとも愛らしい。
「まあ、可愛い!」
 シュラインは大喜びで鎮を抱き上げる。
「な、これならいけそうだろ?」
「そうねぇ。……捨てフェレットとしてペットになるのは難しいかもしれないから」
「え、何で?」
「ペットを飼うという事は、責任が発生するからよ。それに、ずっと一緒にいられないかもしれないし」
「あ、そっか」
 買い物に行く、と言われても一緒に出かけることは難しい場合もある。下手をすると、籠に入れられてしまう可能性だってあるのだ。
「だから、私が護衛としてつける事にしましょう?そうしたら、自然と傍にいられるわ」
「あ、そっか!」
 鎮はにっこりと笑う。シュラインも思わずなでなでと頭を撫でる。そうしていると、飯田家に到着してしまった。チャイムを押すと、依頼人の香が現れる。
「草間興信所から来ました」
「これはこれは……有難う御座います」
 香はぺこりと頭を下げた。疲労と心労が目に見えて分かる。
「真奈美さんはいらっしゃいますか?」
「ええ。……どうぞ、上がってください」
 香はそう言うと、シュラインに上がる事を勧める。そして、シュラインが抱いている鎮に気付き、ほっと顔を和ませる。
「まあ、可愛らしい」
「鎮君は、真奈美さんの護衛をしてくれますから」
 シュラインがにっこりと笑って言うと、香は「まあ」と言って鎮の頭を撫でた。撫でられている鎮も満更では無さそうだ。
「お母さん、その人たちは?」
「ほら、前に話したでしょう?草間興信所の人よ」
「ああ。……初めまして、真奈美です」
「シュライン・エマです。こっちが、鎮君」
 シュラインがそう言って紹介すると、鎮はぺこりと頭を下げる。真奈美は「わあ」と言ってそっと鎮を抱き上げる。
「可愛いですね」
「その子、護衛なの。一緒にいてもらっても良いかしら?」
「勿論、いいです!こんなに可愛いんですもの」
 真奈美は嬉しそうに鎮をぎゅっと抱き締める。鎮が少しだけ苦しそうに「うっ」と唸った。
「それで、少しだけお話をきかせていただきたいのですが」
 シュラインがちらりと鎮と真奈美の方を向いて言うと、鎮は小さく頷いて真奈美をどこかに連れて行こうとした。が、真奈美はぎゅっと鎮を抱き締めたまま動かない。
「駄目よ、鎮君。私は、シュラインさんとお母さんの話を聞きたいんだから」
「真奈美さん」
「真奈美」
 シュラインと香が同時に言った。鎮もじっとつぶらな目で真奈美を見つめる。
「私にも関係のある話なんでしょう?私……というより、お兄ちゃんと」
 シュラインはじっと香を見つめ、互いに頷きあう。
「じゃあ、一緒に話をさせてもらいましょうか。いいかしら?」
 香と真奈美、そして鎮もこっくりと頷く。
「まず、真奈美さん。高校を辞めて働いているのよね?」
 シュラインが言うと、真奈美はにっこりと笑って「ええ」と頷く。
「私もともと頭よくなかったし、早く働きたかったから」
「でも、本当はやりたかった事とかはないの?」
 シュラインの言葉に、香と鎮が一斉に真奈美の方を見た。真奈美は「うーん」と唸り、苦笑した。
「まだ、何も考えてはなかったの。だから、どうしてもやりたかった事とかはないんだけど……あえて言うなら、遊びたかったかなぁ」
 真奈美はそう言い、続けて「あ」と付け加える。
「でもね、職場の人はいい人だし。ちゃんと定時で帰れるし。週休二日だって守られてるから、凄くいいんだ」
 シュラインは口元に手を当て、考える。もしかしたら、真奈美がストレスを溜め、無意識のうちに行ったのでは、とも検討していたのだ。だが、見たところ真奈美がそのようなストレスを溜めているようにも見えず、また先ほどの言葉が嘘のようにも感じられない。耳は良い方だと自負しているから、恐らく間違いは無いだろう。
「あと、辛い事を聞いて申し訳ないんですけど……香さん。旦那さんと息子さんの事故について詳しく教えていただけますか?」
 シュラインの言葉に、思わず香と真奈美の体が固まった。シュラインはぎゅっと手を握り締める。
「……ごめんなさい。きっと、あまり話したくないことだとは思うんですけど」
 真奈美と香は顔を見合わせる。小さく震える真奈美の腕の中で、鎮が励ますように体を摺り寄せる。それに気付き、真奈美は小さく苦笑する。
「いいえ、いいんです。きっと、いつかは通らないといけない道だと思うし」
 真奈美は鎮の体を撫でながらそう言い、香も小さく頷く。
「そう、ですね……。お話します」
 香の話によると、二人とも日にちや時間は違うものの、同じ場所の横断歩道を渡ったらしい。それも、赤信号で。そして、二人ともそれぞれの目的地に出発する時にその場所に立ち寄っているのだという。父親は会社に、息子もコンビニに行く途中に。そのどちらに行くとしても、あの横断歩道を使う必要は全く無いのだという。
「だから、本当に不思議だったんです。偶然とも思えなくて」
「お父さんもお兄ちゃんも、お兄ちゃんが事故を起こして以来、交通ルールを異様なくらい守ってたの。青信号の点滅でも渡ろうとしないくらい」
 香と真奈美は交互に言う。そうすると、どんどん綾子の方が疑わしくなっていくのだ。
「くーちゃん、呪いの痕跡の可能性は?」
 誰にも聞かれぬよう、ぼそりと鎮がくーちゃんに尋ねる。が、くーちゃんは首を一つ捻っただけだった。全く皆無ともいえないが、現時点では何もいえないのだと。やはり、現場に行ってみるのが一番早いのかもしれない。
「……私、行ってみたい」
 突如、真奈美は口を開く。その言葉に、シュラインや鎮、そして香が目を見開く。
「私、事故のあった場所に行きたい。だって、今日は草間興信所から来てくれているから、大丈夫でしょう?」
「でも、危険だわ」
 シュラインは止め、鎮も首を激しく振った。しかし、真奈美はにっこりと笑ったまま、真っ直ぐと皆を見渡すだけだった。香が溜息をつく。
「分かったわ。……皆さんを信用しましょう。勿論、私も行きますよ」
「お二人とも……」
 シュラインと鎮がじっと二人を見つめていると、香と真奈美は顔を見合わせて悪戯っぽく笑う。
「このままずっと、怯えているのも困りますから」
「そうそう。守ってもらうから」
 にこにこと笑いながら言う二人に、思わず鎮とシュラインは顔を見合わせる。そして、負けたよう互いに苦笑しあうのだった。


●刹那

 方法が分からなかった。理解もされなければ、光も無かったから。だから、見つけようと必死になった。そうして見つけた。ただ、それだけだ。

 横断歩道には、再び皆が集結した。さらには、香と真奈美の姿もある。
「あ、真奈美ちゃん?グッドタイミングというか、バッドタイミングというか」
 苦笑しながら、雅は第一声をあげた。不思議そうにシュラインと鼬姿の鎮、香と真奈美が首を傾げた。
「どうしたっていうの?」
 シュラインが尋ねると、セレスティが辺りを見回しながら尋ね返す。
「こちらに、綾子さんはいらっしゃいませんでしたか?」
「綾子さんって……黒木さんですか?」
 香が尋ねると、セレスティは頷く。
「さっき、こちらに向かう途中の彼女に会ったんですよ。ですから、先にこちらにきていると思ったんですけど」
 明日はそう言いながら辺りを見回す。だが、綾子らしき女の姿は何処にも無い。
「先に、これを供えさせて貰おう。……せっかくだからな」
 ぽつりと雄一郎はいい、花を手向ける。亡くなってしまった命を、少しでも慰められるように。
「……くーちゃん?」
 ぽつり、と鎮は呟く。突如胸に抱きかかえていたフェレットだと思っていた鎮が喋り、真奈美は驚く。
「まあ、鎮君は喋られるのね」
 真奈美の驚きよりも、イヅナのくーちゃんのざわめきに、鎮は神経を張り巡らせる。
「……参ったな、精霊までもが逃げ出すとは」
 ぽつり、と花を手向け終わった雄一郎が呟いた。気付けば辺りに人影は無く、ただ車だけが無機質に走っているだけだ。
「嫌な空気だ。霊道が変な形で歪んで来ているみたいにさ……」
 実際に通っては無いけど、と付け加えながら雅が言った。
「来たようですね、綾子さん」
 明日はそう言い、くつくつと笑った。シュラインははっとして、香と真奈美をとっさに横断歩道から遠ざけるように腕を引っ張った。
「……どうして、邪魔をするの?」
 ふらふらと、綾子が姿を現した。先ほど雅・セレスティ・雄一郎・明日の四人は会っているというのに、それすらもどうでも良さそうな口調だ。
「どうしてって……あなたこそ、どうして?」
 シュラインが尋ねると、綾子は口元だけで笑い、大事そうに抱えていたものを取り出す。それは本だった。真っ黒な表紙の、グロテスクな表紙の分厚い本。
「私には、方法があると分かったから」
「方法?何の方法だと言うんです?人を呪殺するための方法ですか?」
 セレスティがそう言うと、綾子はくすくすと笑い出す。
「いいえ、いいえ、いいえ!……私の心を軽くする為の方法よ」
 綾子はそう言い、じろりと皆を見回す。
「酷く怒った時や哀しい時、辛い時や苦しい時……心は重く圧し掛かるのよ」
(そうね……)
 シュラインは思う。それは、綾子ほど重くは無いが経験はある。
(でも、アイスを食べたり……むくれて寝てみたりだとか……辞書の読書だとか家事仕事とかすれば軽くなるわ)
 シュラインはそう考え、はっとする。まさか、綾子にとってはそれが呪殺だというのだろうか?
「……分かったようね?」
 綾子が満足そうに微笑む。
「ですが、それは逃げているだけではないですか。現実を直視する事が出来ないからでしょう?」
 セレスティが言うと、綾子は笑みを保ったまま口を開く。
「それがどうだっていうの?」
「そんな事をしても何もならんだろう?亡くなった息子さんも、そんな事は望んでいないんじゃないのか?」
 雄一郎が言うと、綾子は「あはははは」と大声で笑う。
「何もならない?そんな事は分かっているのよ。ただね、ただ……私の心が軽くなっていくのは確かなのよ!」
「だからって、そんな事が許される訳がないじゃない」
 シュラインが言うと、綾子はぎろりとにらみつける。
「許される許されないは、関係ないのよ」
「んじゃ、俺たちが邪魔しようがすまいが、関係ないじゃん」
 雅が言うと、綾子は大声で「黙れ」と叫ぶ。
「関係ない?あるに?決まっているでしょう?もう少しで、忌まわしき血がなくなるというのに!」
「そんなのおかしいよ。絶対に、変だよ!」
 鎮が叫ぶと、綾子は本を開きながら大きく溜息をつく。
「変?おかしい?それは誰が決めるって言うの?」
「復讐は仕方ない事かもしれませんが……俺は関わった以上は止めますよ」
 明日が言うと、綾子はにやりと笑って本を大きく開く。
「止める?止めるですって?……そんな事、やらせるものですか!」
 綾子は本を見つめ、ぶつぶつと何かを唱え始めた。すると、ふらふらと香と真奈美が歩き始めた。横断歩道の信号は、赤。道端でこんな事をやっているというのに、誰も何も言ってこない。走っている車ですら。
「この空間、変だよ」
 ぽつり、と鎮が呟く。「あのおばさんも、変」と付け加えながら。
「ああ。……あの女性が、ここを歪んだ空間に変えているんだ。だから、精霊たちが逃げ出した」
 ぽつり、と雄一郎が呟く。
「皆、いいから早く何とかしないと!」
 シュラインが横断歩道に向かおうとする香と真奈美の腕を掴みながら叫んだ。セレスティもそれに荷担し、水の結界で二人を包み込む。これ以上、横断歩道に近付かぬように。
「いざとなったら運命を変えますが……できるだけそんな事はしたくないですから」
 セレスティはそう言い、小さく微笑んだ。それを受け、雅と明日が頷いて綾子に向かって行く。
「俺も手伝う!」
 鎮はそう言い、風を操って水の結界を歩道側に押す。雄一郎は手向けた花の傍に座り、じっと目を閉じている。
「明日君、あの本を取れる?」
 走りながら、雅が尋ねた。明日は微笑んだまま頷く。
「じゃ、俺が気をひくから宜しくな」
「分かりました」
 雅はそれを確認し、近くにあった郵便ポストを持ち上げて綾子の近くに向かって投げつけた。突如飛んできた赤い物体に綾子は思わずびくりと体を震わせる。
「すごい事をしますね……!」
 明日はそう言い、極細の糸を操って本を掴み、綾子の手から奪う。
「ああ……あああ!」
「花の精霊……すまんが手を貸してくれ」
 雄一郎は手向けた花を一本取り、すっと綾子に向かって投げつける。すると、花の蔓が膨大に延び、綾子を捕らえる。
「ちょっと、まだ?止まらないんだけど!」
 シュラインが叫ぶ。セレスティの水の結界と、鎮の風圧を以ってしてもまだ二人の歩みは止まらないのだ。
「……これ、止まらないって書いてある。一度発動したら、止まらないって!くそ!」
 雅はそう言い、本を投げつけて二人を止めるのに加勢する。明日もそれをちらりと見、それから綾子の方を見た。止める方法は一つだけ。術者の死を以ってしてだけだ。それはつまり、綾子が術者であるのだから……。
「私を、殺せば良いじゃない。それで全て、終わるんじゃないの?」
 綾子がくつくつと笑いながら言った。明日は冷たい目で綾子を見つめる。手には、飛針が握られている。
「そうよ……そうすれば、私も悪夢から開放されるわ」
 だが、明日は飛針を投げつけなかった。変わりに、雄一郎の手が綾子の頬を叩いたからだ。
「そういう問題じゃないだろう!ここにいる誰もが、あんたの死なんて望んでないんだよ!勿論、あんたの息子さんも含めてな!」
「……私の息子が、関係あるっていうの?」
「あるでしょうね!……あなたの行動は、彼の死が原因なのですから」
 水の結界を保ちながら、セレスティは叫ぶ。
「そうだぜ!簡単に死ぬとか言えば楽かもしんねーけどな、そうは問屋がおろさないってんだぜ!」
 雅が自らの力を使って、香と真奈美の体を横断歩道より先に行かせないようにする。結界が効かない体質の為、直接二人に触れることができる。
「そうよ!悪夢?悪夢なんて、この人たちが見ていないとでも思ってないの?」
 シュラインは叫ぶ。綾子はただ呆然と、その場を見詰めている。
「おばちゃん、生きてるじゃん!何で簡単に死ぬとか言うんだよ!」
 鎮も叫ぶ。綾子は小さく「だって」と呟く。
「だって……?だって、どうしたというんです?それが正当な理由なんですか?」
 明日が静かに尋ねると、綾子は心の奥底から叫び声をあげた。
「だってだってだって……!苦しいのよ哀しいのよ辛いのよ!私が何をしたっていうの?私の息子が何をしたっていうの?どうしてあんなに簡単に奪われないといけないの?その報いを与えてどうしていけないっていうのよぉ!」
「……辛いのは、苦しいのは、哀しいのは……あなただけじゃない」
 ぽつり、と香が呟く。操られているだろう意識の中で。
「……私は仕方ないかも……しれません。でも……真奈美は……娘は……関係ないでしょう?」
「娘……?」
 綾子のぐしゃぐしゃになった顔に、ぽつりと呟かれる。
「お母さん……」
 操られた意識の中、真奈美も呟く。
「母……娘……」
 綾子は再び叫んだ。今度は言葉とも分からぬ声で。ただただ、吼えるように。
「娘……!そう、そうだわ……憎くても……血が汚れていても……人の……」
 親、と綾子は言ったようだった。涙声に紛れて、全く分からなかったが。綾子はふらふらと明日に近付き、手を差し出した。明日は何も言わず、ただ首を振った。だが、綾子は奪うように明日の飛針を取り、迷う事なく自らの心臓を突き刺した。途端、異空間が解除される。
「……ごめんなさいね」
 綾子は呟き、小さく微笑んだ。呪術的な力から解放され、皆はばたりと歩道側に尻餅をつく。それに加わっていなかった雄一郎が慌てて救急車を呼び、明日は小さく溜息をつきながらしゃがみ込む。
「……一人、満足そうな顔をしていますね」
 ぽつり、と言葉を漏らす。見開かれた目の瞼を、そっと下ろしてやりながら。
 そうして、横断歩道は青へと変わった。


●結

 空だった。結局は、何もなかった。ただ虚ろなる闇に抱かれていただけだった。

 横断歩道に設置された空き缶は、四つに増えていた。そこには、溢れんばかりの花が、毎月生けられている。
「仕方なかったなんて、絶対に思わないわ」
 ぽつり、とシュラインが呟く。
「ええ。……そんな事は、決して思いません」
 セレスティも大きく頷く。
「確実な阻止がしたかったけど。……後悔先に立たず、って奴か」
 ちっ、と舌打ちしながら雅が悔しそうに呟く。
「復讐は止められましたけど。ただ、それだけですね」
 明日はじっと花を見つめながら呟く。結局、綾子の胸に刺さった飛針は、そのままにしておいてしまっている。
「でもさ……最後は、笑ってたよね?」
 鎮はそう言い、そっと手を合わせた。静かに、そっと。
「この花で、慰められると良いな」
 雄一郎はそう言い、自らのフラワーショップから持ってきた花を手向けた。様々な色の花が、風に揺れる。
(本当に……心に幸いを……)
 シュラインはそっと心の中で祈る。密やかに、そして静かに。

<思いは空へと昇り・了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 2072 / 藤井・雄一郎 / 男 / 48 / フラワーショップ店長 】
【 2320 / 鈴森・鎮 / 男 / 497 / 鎌鼬参番手 】
【 3138 / 桐崎・明日 / 男 / 17 / 最悪(フリーター) 】
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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハです。霜月玲守です。この度は「空虚なる闇」にご参加いただき、有難う御座いました。
 これは、車の免許更新に行ったときにネタを思いつきました。交通事故って怖いな、と思ったことがきっかけで。安全運転は大事です。
 シュライン・エマさん、いつもご参加いただき有難う御座います。真奈美の心情まで気にかけてもらえて嬉しかったです。頼りなくないですよ。怒りの解消法は可愛らしくて素敵です。
 今回も、少しずつですが個別の文章となっております。宜しければ他の方の文章もあわせて見てやってくださいませ。
 ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。