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戦う、理由
「姉さん!」
川沿いの道を、一人の少年が走っていく。
会ったことはないはずなのに、よく知る誰かになぜか似ていた。
彼の前方には、姉と呼ばれた細身の女性。
少年とは少し年が離れている感じもするが、不自然すぎるというほどでもない。
彼女の方も、なぜかどこかで見かけたことがあるような気がした。
「やっぱり姉さんってすごいんだね。みんなそう言ってる。
僕たちが平和に暮らせるのは、姉さんが悪いヤツをやっつけてくれてるおかげだって」
無垢な瞳を輝かせながら、少年は姉への賞賛の言葉を口にする。
その言葉を、姉は複雑な面持ちで受け止めていた。
やがて、少年はこんな事を言い出した。
「僕も、大きくなったら姉さんみたいな退魔剣士になって、悪いヤツをいっぱいやっつけるんだ」
それを聞いたとき、姉は一瞬悲しそうな目をした。
けれども、それに気づくには、少年はあまりにも幼すぎ、また、興奮しすぎていたのだろう。
姉も、すぐにそれを優しそうな笑顔で覆い隠すと、少年の頭を撫でながらこう答えた。
「じゃ、いっぱいお勉強して、いっぱい修行して、それからいっぱい食べてうんと強くならなきゃね」
あこがれの姉に直接励まされたことがよっぽど嬉しかったのか、少年は照れたような笑顔を浮かべて走り去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、姉はぽつりと呟いた。
時音、と。
あの少年は、きっと幼き日の時音の姿。
だとすれば、これはきっとまたいつもの夢なのだろう。
そんなことを考えていると、まるでそのことを立証するかのように、突然場面が変わった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
荒れ果てた街を、時音は全速力で走っていた。
崩れかけたビルの横を駆け抜け、行く手をふさぐ瓦礫の山を飛び越えて。
だが、そんな時音の前に、武装した人間たちが立ちふさがる。
「異能者め!」
降り注ぐ罵声と銃弾の雨をかいくぐり、囲みの一角を切り開いて、時音はなおも走り続ける。
戦い続けることが、こんなに辛く苦しいなんて。
少年の頃の時音が知らなかった、姉のあの悲しげなまなざしの意味。
今になって、時音はようやくそれに気づいた。
戦い続けることは、こんなに辛く苦しいのに。
それなのに、彼女は、弱音一つ吐かず、辛そうな顔一つせずに。
いや、違う。
彼女に弱音を吐くことも、嫌な顔をすることも許さなかったのは、無責任に彼女を賞賛した周囲の人々と、そして、自分だ。
知らなかったこととはいえ、自分は姉を追いつめていたのだ。
自分も退魔剣士となって、ようやくそれに気づいた。
だから、もう一度会って――謝りたい。
そのためにも、今は急がなくては。
間に合わなくては。
どうか、どうか間に合って――。
目の前で起きたことを理解するのに、数秒かかった。
目指すキャンプの辺りに、突如現れた爆炎の正体を。
その意味することを理解するのに、さらに数秒。
自分は、間に合えなかった。
そのことを認めるのには、さらに長い時間を要した。
姉は死に、彼女に謝るチャンスも永遠に失われた。
残ったのは、自分。
そして、姉のいないこの世界。
彼女が愛し、その身を削ってまで守ろうとした、この世界。
今の自分にできるのは――彼女に代わって、この世界を守ること。
それが、少しでも彼女に対する贖罪になると信じること。
それしか、なかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そこで、歌姫は目を覚ました。
目を開いて最初に目に入ったのは、コンクリートの天井と、ところどころにあるライト。
どうやら、眠っている間に地下鉄の線路脇にあった通路のようなところに運ばれていたらしい。
「歌姫さん! 気がついたんだね」
通路の入り口付近を見張っていた時音が、歌姫に気づいて駆け寄ってくる。
……が、それに応えて歌姫が立ち上がると、時音はなぜか急に視線をそらした。
不審に思いつつ、歌姫は改めて自分の格好を確認して、あることに気づいた。
いつの間にか、着物の胸元がだいぶ緩められていたのである。
それでも、普通にしている分には「やや大胆」ですませられるかもしれない。
しかし、姿勢によっては、それではすまない可能性もある。
時音の様子から判断する限り、ひょっとすると、今立ち上がろうとしたときに……?
「あ、いや、その、呼吸しやすいように、と思って……ごめん」
視線をそらしたまま、謝罪の言葉を口にする時音。
辺りが薄暗いせいで顔色まではわからないが、きっと真っ赤な顔をしているのだろう。
そう思うと、歌姫は何となくおかしくなった。
時音にそんな下心がないことくらい、わかっているのに。
歌姫が笑うと、やがて、時音もつられるように微笑んだ。
それから、どれくらい経っただろうか。
「そろそろ、移動した方がいいかもしれない」
時音のその言葉で、二人は再び移動を開始していた。
「足下に気をつけて。この辺りには電線はないと思うけど、万が一ということもある」
細心の注意を払いながら、線路脇を歩く。
一度も列車を見かけない事から判断するに、恐らく地下鉄はまだ運行を停止したままなのだろう。
周囲に細心の注意を払いながら、歌姫の前を行く時音。
そんな彼の後ろ姿を見ているうちに、歌姫はふと先ほど見た夢のことを思い出していた。
いつか話してくれた、時音が家族を失った日のこと。
けれども、その時の時音の思いまでは、話してくれていなかった。
時音が戦い続けている本当の理由は、あの時の誓いなのだろうか?
もしそうなら。
彼女は時音に贖罪など求めてはいなかっただろう。
それどころか、時音に自分と同じような思いだけはさせたくなかったのではないだろうか。
歌姫が意を決してそのことを伝えると、時音は少し考えてこう答えた。
「僕は、自分の家族も、故郷も守れなかった。
「その時の光景は、今でも僕の脳裏に焼きついている。
それが、全てに重なって見えて……」
そこで一度小さく息をついてから、今度ははっきりとこう続ける。
「でも、誰かの命を救うたびに、少しだけど、その悪夢の影が薄れていくような気がするんだ」
自分の大切なものは守れなかったけれど、他の誰かの大切なものなら守れるかもしれない。
帰ってきたのは、結局は、あの時と同じ答え。
そうして戦い続けた結果を、歌姫は知っている。
仲間の一部の裏切りに遭って、他の仲間たちもろとも敵の大群に囲まれ、それでも最後まで仲間をかばって戦って……。
「もちろん、あの時と同じような結果に終わらないという保証はない」
歌姫の思いに気づいていたのか、時音は自分からそのことに触れ、そしてこう言い切った。
「でも、僕はそれを恐れたりはしない。僕は、すでに一度死んでいるんだから」
時音がどんな気持ちでそう言ったのか、歌姫にはわからない。
だが、その言葉が歌姫にもたらしたのは、強い不安だった。
そう言ったときの時音の表情が、死を覚悟しているというより、自分の死をすでに予期しているかのように見えてしまったから。
と、その時。
「一度死んでいるなら、そのまま死んでいればよかったものを。
なまじ生き返ったりするから、無用な災いをまき散らすことになる」
そう言いながら、通路の奥の闇から一人の男が姿を現す。
すらりとした、細身で長身の男だ。
「……式、か」
時音が歌姫をかばうように前に出て、光刃を構える。
それに対して、式と呼ばれた男は背中から長めの棒のようなものを取り出した。
その両方の先端から、槍の穂先のようなものが飛び出し、それを闇色の光刃が覆う。
「この世に生きているということは、地獄にいることとほぼ同義だ」
そう言い放つと、式はゆっくりと槍を構えた。
「特に、キミのように望まれない存在と、不幸にしてそんなキミと出会ってしまった人々にとっては」
式は強かった。
その上、時音は先ほどまでの戦いで消耗しきっていた。
攻防そのものは、あまりにも速すぎて歌姫の目ではとても追いきれない。
しかし、それが一段落つくたびに、時音の傷だけが増えているのははっきりとわかった。
「そろそろ、無駄な抵抗はやめにしてはどうかね」
式が嘲るように言う。
「苦しみが長引くだけだ。そのくらいはわかるだろう」
それでも、時音は一歩たりとも退こうとしない。
その様子を見て、式がこう口にした。
「なるほど。その女を守るためか」
その女。
状況から考えても、その言葉が歌姫を指すのは間違いなかった。
「無駄なことだ。すでにIO2の増援がこちらに向かっている。
いくら時間を稼いだところで、彼女が逃げ切れる可能性は万に一つもない」
それを聞いて、かすかに時音の肩が震える。
「守ってみせる」
ただ一言、時音はそう答えた。
「私を倒して、か?」
「そうだ」
静かな、しかし、強い決意を秘めた声。
こんなに傷ついているのに。
こんなに追いつめられているのに。
それなのに、時音は彼自身のことより、自分のことを。
歌姫の目に映る時音の姿が、涙でにじんだ。
「ならば、できるかどうか試してみたまえ」
そう言い終わるやいなや、狙いすました様子で式が突きを放つ。
その攻撃を、時音は防ごうとはしなかった。
それどころか、自ら式の刃へ飛び込んだのである。
相討ち覚悟の、捨て身の一撃。
さすがにそこまでは予期していなかったのか、一瞬式の反応が遅れた。
二人の刃が、お互いの身体に突き刺さる。
次の瞬間、身体を離したのは式の方だった。
そのまま後ろに向かって大きく跳び、そこでがくりと膝をつく。
かろうじて急所だけは外したようだが、少なからぬダメージを受けたことは間違いなさそうだ。
だが、時音が受けた傷も決して浅いものではなかった。
こちらも飛び込むときに急所だけは外したものの、式の刃は確かに時音の脇腹を切り裂いていた。
「死ぬ気かね?」
そう言って、式が半ば呆れたように笑う。
「あいにく、こんなところで死ぬ気はない」
時音はきっぱりとそう言うと、その後で一言こうつけ加えた。
「けど、命を惜しんで戦える相手かどうかくらい、僕にだってわかる」
しばしの沈黙の後。
先に口を開いたのは、式の方だった。
「なるほど……いったん退くか、それともここで差し違えるか。選択権は私にある、ということか」
不気味な薄笑いを浮かべながら、幽霊のように音もなく立ち上がり、再び槍を構える。
それに応じるように、時音も戦闘態勢をとった。
にらみ合ったまま、どれほどの時が流れたのだろう。
不意に、式が構えをといて、小さくため息をついた。
「私も、キミ一人と差し違えるわけにはいかない。ここは退かせてもらおう」
そう言って、槍の穂先を納め、ゆっくりと背を向ける。
「勘違いしてもらっては困るが、これは決してキミの勝ちを意味しない。
どのみちキミの末路は決まっている。そこにたどり着くまでの苦しみが、ほんの少し長引いただけだ」
それだけ言い残すと、式の姿は闇の中へと溶けるように消えていった。
と。
突然、時音がその場に倒れた。
式が撤退したことで、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。
(時音さん!!)
慌てて時音を抱き起こす歌姫。
すると、時音は少し弱々しく笑って、静かに歌姫の手を握った。
それと同時に、辺りの景色が歪み始める。
気がつくと、二人はあやかし荘に戻ってきていた。
おそらく、時音が時空跳躍の力を使ったのだろう。
ひどく傷つき、弱り切った身体で。
どうにかして、歌姫を助けるために。
どうして、そこまでして。
たまらずに、歌姫は時音を抱きしめた。
「……使命だから、だけじゃない……」
不意に、時音がかすれた声でそう言った。
「歌姫さん、だから……僕の、大切な女、だから……だよ」
途切れ途切れの、喘ぐような声。
けれども、彼の顔に浮かんだ表情は、とても満足げなものだった。
「よかった……今度は……間に合え……た」
それだけ言い終わると、時音は意識を失った。
そんな時音を、歌姫は強く抱きしめ続けた。
今離したら、時音の魂がどこかへ行ってしまうような気がしたから。
二人が他の住人によって発見されたのは、それからおよそ数分後のことである。
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<<ライターより>>
撓場秀武です。
まずは、今回も遅くなってしまって申し訳ございませんでした。
以前に書かせていただいたものとある程度整合性がとれるようにしようと思いながら書いたのですが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
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