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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


鈍色のエリマキ


 そう言えば、去年、もらったものがある。
 犬歯がやたらに大きいあの男は、それに限らず、多くのものを葛や蘭にもたらした。
 バイト代にめずらしく色がついたのだと言っては食材を、ビンゴで当てたと言っては化粧品を、その辺で拾ったとぬかしてはかわいらしいぬいぐるみやクッションを。
 無邪気な蘭のことだから、誰からのどんな贈り物でも、大喜びで受け取るのだ。対して葛は、もう考え方もだいぶん大人になっていて、時折贈り物に猜疑心じみたものを抱くようになってきている。
 だが、もらうというのは、大概嬉しいことだ。
 去年のころ時期にもらったものは、すべてが、嬉しいものであった気がする。
 ――贈り物、プレゼント、貰い物、贈り物。
 頭の中がそんな類義語でいっぱいになるのも、無理はない。
 藤井葛は、居候の蘭を連れて、クリスマス色に染まった商店街に来ているのだ。

 そこかしこから聞こえてくる鈴の音とジングルベル、ぐるりと周囲を見渡せばサンタクロースが目に入る。建物の間を縫って吹き込んでくる風は、植物には残酷なほど冷たい。空は晴れ渡っていたが、夏の群青ではなく、氷じみた薄青だ。
 それでも太陽が出ているだけで、蘭は元気だ、いつもの通りだ。
 いや、いつも以上に元気かもしれない。
 12月に日付が変わった途端、商店街の姿は一変したようなものだったのだ。1週間ぶりの買い出しとあって、蘭は町の変化に驚き、喜んでいた。
「クリスマスなのー! もう1年たったなの!」
「おいおい、まだあと3週間もあるんだよ」
「3しゅうかん? ……うと、えと、いち、にい……21回ねたらもうクリスマスなの! すぐなの!」
「す、すぐ……か?」
「すぐなの! だからもちぬしさん、じゅんびしようなの! じゅんび! じゅんびーぃ!」
「だーもううるさい! 今日はまだ準備しないよ! 今日はシャンプーとかリンスとか……ドラッグストアに用があるんだから」
 蘭は何も言わなかった――うむー、と頬をふくらませたからだ。しかし、そこでフグに化けられたところで、葛の予定は変わらない。
 今のところクリスマスに予定は入っていないが、きっと、何もせずに過ごすことにはならないだろう。必ず予定が入って、蘭とともに準備をすることになる。葛に予知能力はなかったが、能力などなくても葛には未来が見えていた。
「蘭、よく聞いたかい? 俺の言葉。今日『は』、って言っただろ」
 思わず苦笑しながら、葛はふくれっ面の蘭に言った。
 たちまち、緑の居候の機嫌は直った。
「わぁ! じゃ、明日! 明日じゅんびするなの!」
 明日でもまだ早い、という文句は呑みこんだ。とりあえず、今日をしのいで、明日もしのいでいけばいい。葛は微笑み、ぴょこぴょこと冬風を縫ってはしゃぐ蘭を巧みに誘導しながら、ドラッグストアに入るのだった。


 ドラッグストアでの買い物は多少手間取りながらも無事に終わった。手間取った、というのは、蘭が跳ねて跳んで転び、素晴らしいバランスで積み上げられていた洗剤の山を崩したからなのだ。駆けつけた店員に頭を下げ、葛は買う予定がなかった洗剤をひとつカートに入れるはめになった。蘭の頭をひっぱたいておこうかとも思ったが、蘭はすでに膝や腕や額にあざを作って泣いていたので、結局「バカだね!」と叱るだけに留めておいた。
 店を出る頃には、蘭のその身体のあざもすっかり消えていたが。
「アタマ打ったみたいだったけど、大丈夫かい?」
「へーきなの! ぼく、ふじみなの! ふじみのスーパーヴァリアブゥタフガイなの!」
「不死身……」
 蘭にその辺りの余計な知識を与えたのが誰であるか、サイコメトリー能力がない葛にもすぐにわかった。あえて名前は言うまい。
 ややこしい称号を完璧に覚えているようであるから、本当に心配はしなくてよさそうだ。葛は重いビニール袋を持ちかえて、帰路につくことにした。

「あっ!」

 しかし、蘭は、いつも帰り道に限って面白いものや珍しいものをみつける。この日もその銀の目に、とらえたものがあるようだった。
 おーい、と声をかけながらその背中を追うのも、慣れたもの――
 葛が緑の道標を辿った先に見たのは、色とりどりの丸い玉だった。

「あ……」
 蘭がきらきらと目を輝かせて見つめ、手に取っている丸い玉は、近づいて見てみると――毛糸玉であったのだ。いまどき、完全な球形に巻いてある毛糸玉はめずらしいかもしれない。どうやら古いものの処分セールであるらしく、毛糸玉は店先のワゴンに入れられて、木枯らしの只中であるのだった。
「ふうん」
 毛糸玉を手に取って、思わず声を漏らす葛のコートが、くいくいと引っ張られる。
 蘭の輝く瞳は、次いで、店の中に向けられたようなのだ。
 葛は、古びた店の看板やドアを見た。いつもなら見向きもしない手芸用品店だ。カウンターの奥では、品のいい老婦が異国の織物を裁断している。
 ファンタジーだ、と葛は思った。蘭が目を奪われるのも無理はないと思えた。
 その店は、日本の中にあって、どこか古びた異世界の小道具屋のような、温かい雰囲気につつまれていたのである。
 知らず葛はワゴンの毛糸玉をいくつも持ったまま、蘭に引っ張られるままに、店の中に入っていた。


 いらっしゃい、とやさしい声がふたりを迎えた。


 なぜか、言葉はいらない気がする。静かな店内に、ふたりが木の床を踏む音が響く。好奇心旺盛で、先ほど洗剤の山を崩したほどやんちゃな蘭も、そのあたりの布をむやみに広げたりはしない。ただ目を輝かせて、毛糸玉や、生地を見回していた。
 カウンターの向こう側の老婦は、裁断の手を休めた。目が合って、葛は毛糸玉を老婦のもとに持っていった。
「この毛糸なら、編み棒は11号がいいよ」
「え?」
「11号の編み棒。……持ってるかい?」
 老婦のやさしい笑みに、葛はこまった笑顔を返した。編み棒に号というものがあるのを初めて知った次第だ。老婦は微笑んだままで店の奥に入り、すぐに戻ってきた――手に、「これぞ編み棒」と言わんばかりの見かけをした編み棒を持って。
「2回くらい使ったものだけど、これもつけてあげるから」
「あ、そんな……」
「いいのいいの。若いお客さんは久し振りだわ」
 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、老婦は古びたレジを打った。葛は、感熱紙ではないレシートを久し振りに受け取った気がした。老婦は葛が買った毛糸を紙袋に詰めながら、ビロードをぺたぺたと撫でている蘭に微笑みかける。
「ぼく、それが気に入った?」
「すべすべなの! きもちいいなのー」
「そう、それじゃ、同じ生地をおまけでつけてあげようね」
「え!」「わあい!」
 葛は驚き、蘭は無邪気に跳ねて喜んだ。葛が見たところ、そう安くもなさそうな生地だったのだ。だが老婦は、またも「いいのいいの」で済ませてしまった。古い大きな裁ちばさみが、翠のビロードを手早く裁断した。


「もちぬしさん、毛糸でなに作るの?」
「オーソドックスにマフラー」
「きっと、すっごくあったかいなの!」
「うん、そうだね」
 根拠はない。だが、あの店で買ったもので何を作ろうとも、きっと出来上がるのはあたたかいものだ。……そんな気がする。
 葛には、編み物の趣味などなかった。だが、蘭が持っていた毛糸玉を見たときに、ふうっと思い出したのだ。

 そう言えば、去年、もらったものがある。

 と。

 いつももらっているばかりのような気がする。自分は贈ってもいるはずなのだ。しかし、脳裏にのこるのは、もらった記憶ばかりだった。少なくとも、葛はクリスマスにプレゼントをもらったとき、返すものがなかった。準備や蘭にかまけていて、すっかりプレゼントのことを忘れていたのだ。
「おかえし、するの?」
「そう。あいつマフラーなくしたはずだから。11月に入ってもいっつもスーツばっかりで、あいつ、コートもなくしたのかねえ」
 木枯らしに肩をすくめる男の姿も、記憶の中によみがえってくる。
 戻った自宅は、少し寒かった。


 適当に掴んで買ってきた毛糸玉は、蛍光灯の明かりを浴びて控えめに輝いていた。灰の糸に、翠の糸が混じっているのだ。鋼色のラメが少し入っているらしい。
 袋の底の編み棒を取り出して、葛は記憶を手繰り寄せる。いちばん最後に編み物をした日は、ずいぶんと遠い昔のようだ――だが、手は、覚えていた。
 変わった編み方も、しゃれた編み方も葛は知らない。家庭科の教科書や、『はじめてのあみもの』といったタイトルの本に載っているような編み方ひとすじだ。ただ延々と、長く長く編んでいくことしか出来ない。
 逆に言えば、それだけでいい。
 蘭はじっと葛の手元を見つめていた。たどたどしいが確実に、不思議な色合いの毛糸は編みあがっていく。蘭の口は、知らず、ぽかんと開け放たれたままになっていった。

 いつもならそろそろテレビのスイッチが入り、深夜まで番組を流しっぱなしにされる。今日は、日が傾いて、沈んでいるのに、テレビの音はなかった。葛は無言で編みつづけ、蘭は首をかしげながら、葛の手元を見つめている。見つめているうちにだんだんと長くなって、いよいよマフラーのかたちを成してくる頃になると、蘭の目はきらきらと輝いた。
「きれいなの――ぜったい、あったかいなの」
 翠のビロードをかぶって、蘭は小さな歓声を上げた。
 それを受けて、はじめて葛は、自分がずいぶんと長い間編み物に没頭していたことに気がついた。
 きゅう、ころころと――蘭の腹の虫が上げた悲鳴にも気がついた。
「ああ、ごめんごめん。もうこんな時間だったか」
 葛は編み棒を置くと、時計を見て苦笑した。今から米をといで炊くと、夕食は少し遅くなってしまう。確か、ラップに包んで冷凍しておいたごはんがあるはずだ。葛が台所に向かって冷凍庫を開けたとき、ようやく、テレビの音が生まれた。
「あんかけチャーハンでいいかい?」
「わあい!」
「ああ、あいつが置いてった鶏の竜田揚げもあった。おかずはこれだね」
「たつたあげ、好きなの!」
「支度、手伝ってくれるか? 俺もすぐ食べたいからさ」
「はーい!」
 蘭は毛糸の玉を飛び越えて、キッチンに駆け寄ってきた。
 振り返った葛の視界に、翠のビロードが入った――
 縫い合わせて、綿を詰めて――
 頭の中を、次々にあたたかいイメージが満たしていく。マフラーを編み上げたあとにも、予定が出来た。ビロードのクッションをつくるのだ。それからマフラーをしゃれた感じにラッピングして、何でもない日に渡そうか、それともクリスマスに渡そうか……。他の色のビロードを、あの店で今度こそ金を払って手に入れるのもいい。
 ――そうら、予定は埋まっていくのさ。
 微笑みながら、葛は鶏ガラスープの素を取り出した。




<了>