コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


ピースチャイム



「ハイ、レオーネ。夢にも思わなかったわ、あなたとこんな形で向かい合うことになるなんてね」
 安全装置を外す冷たい金属音が耳に届いた瞬間、無様に慌てふためいて額の脇に穴を開けるのが大抵の傭兵である。
「・‥…――なんてのは、きっと嘘」
 慌てぬ傭兵は、良く訓練された傭兵だ。
 ジーザス。
 最期の瞬間には、神への祈りのみを言葉に乗せろ。
 みたま――海原みたまは、非常に良く訓練された傭兵である。傭兵であった。
 彼女のブロンドの後ろ髪を見て戦慄く戦士は数知れぬ。今なお伝説のように口から口へと語り継がれる雌獅子、レオーネ。
 故に彼女は、背後に響いた盟友の声にも金属音にも慌てふためかない。
 勿論、神への祈りも口にしない。
「待っていたの、レオーネ……あなたをここで」
 女はみたまに告げている。短く刈り込んだ髪は褪せた茶色に変化していた。
 強い日差しを浴びすぎた髪は痛む。女はこの数年、故郷で家族とクリスマスを過ごしたことがあったのだろうか。
 傭兵同士が、自らの名を教えあうことは稀だ。
 女はみたまをレオーネと呼ぶ。
 みたまは女を、何と呼んでいただろうかと思い出している。
 雇い主と戦地が変わるたび、その呼び名も変わる女。
 女はひとところにとどまらない。とどまらないままで、それでも女は戦地においてみたまと最も近く、判りあう存在であった。
 銃口は今もみたまの後頭部、うなじに向けてまっすぐに狙い澄まされている。
 エムフォーティーン、前世紀の遺物のような銃。
 みたまは祈った。
 どうか一発目の弾がジャムって、彼女のプライドを傷つけることがありませんように。
 ジーザス。
 みたまは自分のためにではなく女のために、心の中でそう囁く。
 最期の時が近づいている。
 近づいているのかもしれない。
 最期。
 それは、何の最期だろう?
「――ハイ。あなたを自由にするためにわたしは来たわ」

←■

「革命派? 独裁体制? どうせなら両方とも全部ぶっこわしちゃえばいいのよ、どっかあんって具合に」
 喧嘩両成敗って昔から良く云うじゃない?
 カラードグラスの奥で赤い瞳が楽しそうに細められた。
 受話器は小首にはさんだままで、腕時計の時間を確認する。
 時差は丁度、4時間。
 東京は夜の7時――そんな歌を脳裏に掠めながら、みたまは笑んだ口の形でガムを噛んでいる。
 ――ん、ん。
 勿論、わきまえてます……あなたが選んでくれた「奥さん」が、そんなに思慮が浅いわけないでしょう? 冗談よ、冗談。
 からからと大きな声で電話口に笑うと、通りすがった男とちらり目が合う。
 逞しく浅黒い肌の男たちが行く街並みで、ブロンド色白の黄色人種は目を引くのだろう。
 が、あからさまなアプローチを掛けてくるような無能な男はいない。
 幾年前だか知れぬほどに古い教典に、いまだ縛られた生活を送る者たち。
 この国には日本語を理解する者もない。ラクダの胃袋をなめして作った月形の水筒から、みたまは咽喉を鳴らして水を呑む。
「どうして? 面倒なんてないわよ。彼女のことは気にしないでちょうだい」
 内乱鎮圧。
 良くある話だ。
 ただ今回、みたまが与えられた任務のターゲットに、旧知の戦友の存在がある。
 金で雇われ、金で去っていく傭兵にとってクライアントの信念などはどうでも良い。
 傭兵を雇ってまで成し遂げたい何かのために、クライアントは傭兵に金を払う。
 自分の命をかけてまで成し遂げたい何かのために、傭兵は金を受けて戦地に赴く。
 そこにあるのは、自分自身に立てた信念のみである。
 それも良くある話、だ。
「挟む私情なんてないし、むしろ挟んだ方が失礼だと思わない? ――判ってくれるわよね」
 うまくやるわ。みたまは乾燥して乾いた口唇を舐めながらつぶやいた。
 お仕事も――友情も。
 あたしはあたしのやりかたで、失いたくないものを失わずに生きるやり方を知っている。
 だから愛するダンナさま、あたしのお願いを聞いてくれる――?

■→

 そしてみたまは、背筋をまっすぐ伸ばしたままで背後の息遣いをじっと聴いている。
 エムフォーティーンが火を噴くか、それとも。
「・‥…あなたを、自由にするために」
 みたまは再度、今度はゆっくりと告げる。
 女が息を呑む音がした。
 大丈夫。
 自分も彼女も、傭兵としての勘は少しだって狂ってはいない。
 エムフォーティーンが火を噴くか。
 それとも。
「勝つ為に戦う――あなたはいつもそう云ってた」
 女は逞しい。
 男の傭兵連中と並んでなお逞しく、さながら戦神のように敵を討ち、蹂躙する。
 勝たねば戦いは意味をなくす。
 今この瞬間、生きているという事実を喜ぶために戦う。
 命の危険と引き換えに。
「どうして革命派についたの? ――最初から勝ち目のない戦いだってことは、あなたには良く判っていた筈」
「……………」
 女は、女は女で躊躇っている。
 互いに戦地では、背中を預けあうことのできた唯一の盟友――女友達に弾丸を引くことに。
 エムフォーティーンのトリガーに指をかけたままで、女はみたまのブロンドを凝視している。彼女にはない豊かな金の髪を、そして細く華奢な白い二の腕を。
「びっくりしたのよ、最初は…‥・最初だけはね。でもすぐに納得……しちゃったわ」
 じんわりと額に汗しているのは、空気の灼熱のせいだろうか。
「……どう納得したっていうんだい」
 女が問う。
 浅い息に胸がわずかに上下する、その理由は。
「――やっぱりあなたのこと、また見直しちゃった。本拠地は14マイル西の砦裏、ってとこだったかしら」
 時間を稼げ。
 女に自分の言葉を聴かせろ。
 気づかせろ。
「おかげでクライアントからの経費、かなり使い込むことになっちゃったわよ。こんなに《兵隊》を失う戦いなんて、何年ぶりだったかしら」
 攻めは最大の防御たる。
 それがみたまの持論だ。
 そして女は、そんなみたまの戦いを知り尽くしている。
 革命派の本拠地に乗り込んだつもりが、女の陽動作戦にまんまと引っかかってしまった。
 流石、と云う他はない。
 みたまは背筋をまっすぐ伸ばしたままで、今なお背後の息遣いをじっと聴いている。
 だが。
「でも」
 ゆっくりと、振り返る。
 遠くから鈍く、長く続く爆音のような轟きが聞こえてくる。
 女はトリガーを引かない。
「チェックメイトね。銃を下ろして――後で後悔したくないのなら」

 轟音が2人の間の空気をつんざき、煙幕のように互いの気配を消しあう直前。
 軽快でまぬけな電子音が鳴り響いた。
 ハローベトナム。携帯電話の着信音である。
 ちらり。
 上目遣いにみたまが見上げると、女は小さく頷いた。
 ゆっくりとした動作で、みたまは自分のポケットから携帯電話を取りだす。
「――ハイ」
 そのまま、受話器の向こうの言葉に耳を傾ける所作。
 再度、みたまが女を見上げて首をかしぐ。
 その眼差しが、煌々と燃えるように赤く輝いている。
「そう、有り難う。助かったわ、これでエムフォーティーンに撃ち殺される心配はなくなったみたい」
 チャオ。
 受話器の向こうの相手に投げキッスをしてから、みたまはぱくんと携帯電話を半分に折り畳む。
 轟きはいまなお遠くの空に鳴り響き、それは機数を増したようである。
 数機のヘリのプロペラが空気を裂く音だ。そのヘリに先導されながら、あと十分もすれば戦車隊も到着するだろう。
 金さえ惜しまねば、傭兵が雇える。
 先進諸国で従軍した経験のある将校も、下士官も技術者も雇える。
 みたまは、金を惜しまない。
「クライアントのお財布の紐が緩いのよ――ほら、あのヘリ」
 真っ青な空の一点、建物に1番近い場所に滞空しているヘリをみたまは顎で差す。
「この国の革命家って若いのね。アッシュブロンドの前髪の下から、可愛い目で睨まれちゃった」
 女は乾いた溜め息を吐く。
「幼いころに、病気の両親を亡くしたって云ってたわ。薬を買うお金もなくて、国にはスラムの家庭を救済する措置もなかった。たった1人の肉親が、彼を学校に通わせるためのお金を稼ぎ続けていたらしいの――彼はこの国の誰にも負けないくらいの努力で勉強を続けた」
 ガチャリ。
 エムフォーティーンの銃口が床を向く。
「そのうち、ただ1つの結論に彼の思いは終結していくことになったのね――この国の独裁政治では、貧しい人達にスープ一杯飲ませることができない。失わなくても良い命を失い続けなければならない。学ぶ意欲のある子供を通わせる学校が少なすぎる、働く意欲のある大人をアルコールから救うための雇用が少なすぎる」
 ――ハッ。
 女が自嘲めいた笑みを吐いた。
 そしてみたまと共に、空を見上げる。
 そこにはおそらく、今回の内乱を引き起した張本人、革命家――彼女の弟が乗っている。
「あたしにはあたしのやり方がある。あたしにはあたしのやり方で、あたし自身の命を守る権利がある。あたしのやり方で――クライアントから課せられた責務をこなす義務がある」
 今まさに崩れ落ち、床に両膝をついた女を見下ろしながらみたまが続ける。「あたしはあたしのやり方で、あなたたちの国の内乱を治める必要があった。ただそれだけ」

 ヘリが砂ぼこりを巻き上げるので、みたまと女は目を背けずにはいられない。
 女は昇降口から降り立った革命家の身体をなで回し、それから強く、強く抱きしめてやる。
 噛みしめる口腔には絶望という名の味覚が滲んでいるのだろう。
 勝つために戦うのだと、女はかつて云った。
 彼女が信じ、そして手にした敗北は彼女を打ちのめしているのだろうか。
「――これであたしの仕事は終わり」
 みたまは革命家の代わりにヘリへと乗り込み、2人に向けて呟く。
 砂塵が舞っている。プロペラが辺りの空気を裂いている。
「最後の最後に、2本の足でしっかりと大地に立っている者こそが勝者なのよ。そしてあなたの戦いはまだ終わってない。そうでしょう?」
 女はみたまを見上げた。
 轟音の中、みたまの声が彼女の耳に届くとはとうてい考えられないにも関わらず、だ。
「勝つ為に、戦う。――まったくその通りだわね」
 アデュ。
 みたまを載せたヘリが宙に舞う。
 砂ぼこりに頬を汚れさせた女2人が、離れ行く距離の中いつまでも見つめあっている。
 勝つ為に戦う女。
 守るべきものを守る為に戦う女。
 絶望に汚れようと、確信に口許を引き締めようと、その姿は美しい。

■→?

 日本。
 晴天の冬空のもと、雀がせわしなく鳴くありきたりな朝である。
 食卓には、淵を黒く焦がした目玉焼きが2皿。
 ただの炭化物にまで進化を遂げさせなかっただけ、みたまにしては偶然の快挙である。
「――おお。」
 赤とピンクのフリルをあしらったエプロン姿のままで、みたまは朝刊の一部に目を留めた。

『Z国 政権交代 民主主義を高らかに宣言』

 なるべくしてなった結果である。
 そうさせるべくしてさせた結果、と云った方が正しいだろうか。
 Z国が形ばかりの独裁政権を保持しようとやっきになっていたところに、決定打を打ち込んだのは他でもない、みたま本人だったのである。
 可愛らしいまる文字でサインされた領収書は千々に破られ、いまごろどこの川に流されて海に辿り着いているだろうか。
「あんなめちゃくちゃな請求書を送るあたしもあたしだけど、サインする向こうも向こうよね」
 失いたくないものは、少なければ少ないほど人を強くさせる。
 失うものをもたない者が最も強い。
 聡明で敬愛なる女友達はやがて知るだろう。
 友情と仕事を守るためにみたまが成した、彼女の本当のやり方を。

 かろうじて人が口にできるものとなった目玉焼き。
 朝の一番から、愉快なニュース。
 幸せの鐘が鳴り響いている。
 みたまの朝は朗らかである。



 請求書
 Z国独裁政権殿

 基本手数料            $○○○○○○-
 死んだ傭兵の家族に対する手当て  $○○○○○○○○-
 革命犯捕獲に関する諸費用     $○○○○○○○-
 その他、迷惑料          $○○○○○○○○○○-

 支払い方法:キャッシュ
 期日(当日)を過ぎた場合の措置に関して:
 まことに遺憾ではありますが、国ごとまるまるぶっつぶしちゃうぞ★