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<東京怪談ノベル(シングル)>


暖力


 びゅう、と木枯らしが容赦なく吹きつけてくる季節となった。
「……寒いですね」
 ぽつり、とマリオン・バーガンディは呟く。研究所の中にいるというのにも関わらず、窓を打ち付ける風が冷たさを感じさせてならない。思わず金の目を閉じて、くしゅん、とくしゃみをしてしまう。口元に添えられた手は、冬の気質に晒されて、ほんのりと冷たい。
「ちょっとこの前まで暑いと思っていたのに、あっという間に寒くなるんですね」
 誰に言う訳でもなく、マリオンはそう言って溜息をついた。
 春夏秋冬、様々な風景を作り上げる日本の季節は実に見事だ。それに伴って生まれた風習や日用品、芸術作品などは素晴らしい。それは充分に理解はしているのだが、実際に季節の移り変わりを体験するのとは話が別だ。黒髪のセットが崩れるのにも無関心な木枯らしが吹き付けてくると、思わず体を縮めてしまう。そんな時には日本の季節――主に冬を恨みがましく思ってしまうのだ。
「去年は、こんなにも寒かったですかね?」
 ふと、マリオンは漏らす。毎年、その年によって季節の移り変わり様は変わる。しかし、去年の方が今よりも寒くなかったという事はないだろう。おそらくは、去年も同じようにマリオンは漏らした筈だ。
(もう少し、暖かい場所に行った方がいいかもしれませんね)
 マリオンはふとそう思い、にこ、と笑う。時計を見ると、昼前。丁度良い時間だ、とマリオンはほんわかと笑ってしまう。
「今日は、良い天気ですし」
 窓を打ち付ける木枯らしは寒くとも、降り注ぐ太陽は暖かい。当然といっては当然なのだが、実際外に出ると木枯らしの冷たさが目立ってしまい、太陽の温かな光を感じる事は出来ないのだ。
 そこで見つけた場所があった。木枯らしの冷たさを感じさせない、だが太陽の温かな光を十分に感じる事のできる場所を。
「となると、これはまた後にしましょうか」
 マリオンはそう呟き、修復しなければならない絵画を倉庫へと持っていく。勿論、修復はしなければならない。それが仕事なのだから。ただやる時間が異なるだけだ。今はそれよりも大事な仕事が舞い込んできた。仕事というか、欲望が。
「仕方ないですよね、寒いのが悪いんですから」
 誰に言い訳をするのでもなく、マリオンは呟く。倉庫の中はほんのりと冷たい空気で支配されており、マリオンが今からしようとする行動の後押しをする。
「……ちゃんと、後でしますからね」
 マリオンはそう言うと、にっこりと笑って倉庫のドアを閉めた。がちゃん、というきっちり閉められた音を確かに耳にすると、くるりと踵を返して歩き始めるのだった。


 最近の寒い気候のせいか、マリオンはその場所で一番暖かな場所、というものを見つけるのが上手になっていた。行きつけの図書館では、どこが一番日当たりが良い席なのかを熟知しているし、初めて足を踏み入れる喫茶店でも一目で何処が一番日当たりの良い席なのかを見つけ出す事ができる。
(これは最重要事項ですから)
 マリオンは周囲に誰もいないことを確かめ、にっこりと笑う。マリオンのいる研究所内でも暖かい場所というのは存在している。だが、マリオンが今求めているのはその場所において暖かな場所ではない。マリオンが知る限りの中で、一番暖かな場所だ。
「では、行きましょうか」
 マリオンはそう呟くと、手をすっとあげる。少しだけ意識を集中させ、別の場所をイメージする。すると、マリオンに誘われるかのように別空間が繋がるのだ。マリオンは自分が思い描いたように空間が繋がった事を確認し、その歪にすっと入る。そして再びその歪から出たときには、目的地に着いてしまっていた。
「やはり、ここが一番ですよね」
 降り立った場所を見回し、マリオンは微笑む。辿り着いた場所は、自分の館の屋敷内にある、サンルームであった。
(冬は、いかに暖かな場所で過ごすかが、大事ですから)
 木枯らしの冷たさを遮断し、だがしかし太陽の温かな光を十二分に与えてくれる場所である。マリオンは一つ満足そうに頷き、サンルームの一角に隠してあった大きな箱を取り出す。その中に入っているものを一つ一つ丁寧に取り出していく。肌触りの良いブランケットに、お気に入りの本。何処でも寝られる事を前提としている枕まで入っていたのだ。これらはこの場所に常備してある。
「いつも通り、準備は万全ですね」
 マリオンはにっこりと笑い、そのサンルーム内でも一等気持ちの良い場所にそれらを持っていき、ごろりと横になる。太陽の優しい陽射しが、マリオンの体を包み込む。
「気持ちいいですね……」
 至極自然に出てきた言葉を口にし、うーんと大きく伸びをする。伸びた体がより一層気持ちよさを実感させる。
 暖かな空気が支配する場所。
 温もりが包み込んでくれる場所。
 優しくマリオンを迎え入れ、極上のもてなしをしてくれるサンルームは、今まで見つけてきたどの『暖かな場所』よりも素晴らしく、幸せな気持ちを提供してくれるのだ。
 ふわ、とマリオンは欠伸をする。ブランケットを体にかけ、枕に頭を預けて本を読んでいると、容赦なく眠気が襲ってきたのだ。
「眠いですね……」
 閉じようとする目をごしごしと擦りながら、マリオンは考える。自分は今こうしてこの場所にいるが、それは仕事を抜け出しての行動なのだ。本当ならば、仕事をしなければならない時間に、眠ろうとしている。
「何か理由を、考えないといけませんね……」
 うとうととしてくる頭で、マリオンは必死に考える。
(急用を思い出したから……では、急用自体を考えないといけませんね)
 一つ目の案は、却下。
(忘れ物に気付いて……でも、忘れ物を見つけないといけませんね)
 二つ目の案も、却下。
(ああ、どうしましょう。……どうすれば……いいでしょうか……?)
 三つ目の案が出ることも無く、頭の中はだんだんと真っ白になっていく。既に目を開けていることすら困難になってきているのだ。
 温もりが、暖かさが、眠気を容赦なく誘ってくる。
(今は……そう、今はそんな事を考えている場合ではないかもしれません……)
 大事なのは、今置かれた自分の状況である。肌触りの良いブランケットは、気持ちよくマリオンの体を包み込んでいる。読まれていた本は、読みかけの部分を開いたまま次のページを捲る事なく置かれている。頭の下に置かれた枕は、マリオンの頭を柔らかく受け止めている。そのどれもが、マリオンに言っているのだ。
 寝て、ゆっくりしなさい、と。
(あとで、考えれば良いですよね?)
 マリオンは小さく、ふふ、と笑う。
(あとで、ゆっくりと考えれば良い事ですよ。……今は、こうして)
 ごそり、とブランケットに包まる。温かな陽射しと空気が、より一層マリオンを優しく包む。
(こうして、私は……いれば……)
 うつらうつらと、夢の世界へと誘われる。マリオンの持つ空間を繋ぐ能力にも似た、現と夢が繋がっていく力である。温もりと暖かさが後押しをする。
(……全ては、あとで……)
 マリオンはすう、と目を閉じた。暫くすると、すうすうという気持ちよさそうな呼吸がサンルーム一杯に響く。静かなサンルーム内中に。
 夢と現の狭間はやがて、完全なる夢の世界へと変わっていった。マリオンが手をあげることなく、ゆっくりと、当然のように。その世界の中、マリオンは夢の世界で小さく微笑んだ。
 自らを包み込む暖かな世界を、体中で感じながら。

<暖かな力は優しく夢へと誘い・了>