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<東京怪談ノベル(シングル)>


call off

 神鳥谷こうは、琥珀の瞳で周囲を見回した。
 辺りは塗り込められたような闇である……奥行きも高さもなく、のっぺりと均一な空間は、自らの肉体の輪郭が唯一、こうと空間との存在を隔てる因である。
 こうはこれを夢かと思う。
 先程まで、彼と居た筈だ……こんな個性のない闇ではない、陰影に暗くそして明るく鮮やかな闇色をして存在を求めて見つけ、そしてその手を取った。
 来るかと問われて頷いた、求められた喜びのまま傍らの在ったその筈が、その姿がない。
 そして同時に不思議にも思う……傀儡も夢を見るのだろうかと。
 胸の中心に宿るが如く、痛みは彼の傍らに在れば忘れられたというのに、また鼓動の如き明滅がこうの中の虚を、そして周囲の情景とを映し出す。
 それはこうの知らない風景だ……否、知識としては知るが、こうがこうたりえてから一度も目にした事のない景色が拡がっていた。
 天高く聳える鉄筋コンクリートのビル群ではなく、木で出来た家々は低く、紙を貼られた障子や格子、その間から人々が生活する様が見て取れた。
 時代の古さを思わせて誰もが皆、和装である。
 丈の短い着物に膝を覗かせた子供が、風車を手に駆けていく。手拭いを髪に巻き、手桶に野菜を入れた女が井戸に向かう。
 笑いを伴った会話より遠くから聞こえる赤子の泣き声に、あやして低く歌う声が重なる……心地よい、生活の喧噪にこうはしばし耳を澄ませた。
 自分は何処かでこれと同じ風景に、音に出会った事があるのだろうか。
 既視感を伴って胸を満たす、暖かな何かの去来を判じようと、こうが風景に向けて足を踏み出したその時。
 びしゃりと足下に暖かい、液体が拡がった。
 見下ろせば、変わらずに闇色の地に鮮やかに映えて拡がる、紅。
 つ、と滑るように拡がるそれは水面の如く、それを見下ろす人間の姿を映した。
 ……覗き込む、自分の位置と重なる影はこうが、こうとして知る姿ではない。
 自らの頬に指で触れれば、赤に映る像も同じ動きを取る……それを訝しく、思う間もなく響いた悲鳴に弾かれて顔を上げれば、唐突な惨劇が其処に在った。
 人の姿をした影が、手にした白刃の煌めきばかりを色として其処此処に時に鮮やかな、時に鈍い赤を撒き散らす。
 逃げまどう女を背から斬られて倒れる。子供の首が刎ねられ落ちた。両腕を落とされた老人の叫びは、喉を貫かれてゴボと泡を吹く音に変わる……乳飲み子を胸に抱いた年若い娘は
恐怖に表情を強張らせ、それでも子をしっかと抱えて歩み寄る影から逃れようと腰が立たぬまま足だけで必死にいざる。
 娘に切っ先が向けられた。
 止めろ、と。
 こうは自らの喉から放たれた声に驚き、咄嗟首元を押さえた。
 しかし声は届かないのか、影はゆっくりとした動きで刃先を娘に……否、その胸に抱かれた赤子に埋めた。
 乳飲み子は火が付いたように泣くが、影はそれを楽しむかのようにゆっくりと、時間をかけてその小さな柔らかい命を貫いて行く。
 狂気に支配されたかのように、そしてその一言しか知らぬかのように、娘は止めてと叫び続けるが、それも不自然に途切れた赤子の泣き声と共に、ぷつりと途切れる。
 瞳に力を失って、呆然と座り込んだ娘にも影は刀に籠める力を緩めない。赤子と、娘とを縫い止めるように指し貫いた刃が赤にまみれた切っ先を背から覗かせるに、娘の口元から静かに鮮血が溢れて滴った。
 こうの、身体は動かない。
 傍らに行って止めたい、そう願うのに足は動かず眼前に繰り広げられる虐殺の風景を眼に焼き付けるだけだ。
 そしてふと、思う。
 この後に火が放たれるのだ……骸すらも酷たらしい様に変えて、絶望を刻み込む為だけに奴等は、火を放つのだ。
 そうだ、自分は知っている。
 こうは両手を広げるように翳した。く、と指先を僅かに曲げる、同時にこうの視界の風景を鮮やかに、黄金の炎が埋め尽くした。
 炎に巻かれた影がくるくると踊り、逃れ得ぬ炎の領域に僅か赤みを帯びさせる様に、こうはほんの少し口の端を引き上げた。
 その他は木と紙で出来た家々も、物言わぬ哀れな骸と化した人々のも、全て静かに輪郭を溶かすように灰となり、火の粉を伴って天へと上っていく。
 ……やはり自分は知っている。この光景を。この魂に焼き付いて、刻まれた憎しみと悲しみを。
 しかし、こうは淡々と、その焔の如き痛みを見詰めた。
 深すぎる嘆きに、瞋恚の炎は未だ魂の内側に燃え盛って絶えずにいる……けれど、この痛みと怒りは、今の自分の物ではない。
『こう』の哀しみではない。
 こうは絶えぬ焔から目を逸らし、まるで悼むように一度だけ目を伏せてそして、背を向けた。
 目覚めなければ、とこうは思う。
 こうは彼に壊される為に存在している……彼の手で最後の時を迎えるまで、その最期の瞬間まで彼の傍らに在る為に。
 こうは目を閉じた。
 ふ、と意識が浮上する感覚に、闇にのみ満ちていた周囲に気配が蘇るのを感じる……傀儡の身体に、こうの魂が重なる。
「……こう?」
そして自らの名を呼ぶ声に、瞼に力を込める。
 早く目覚めなければ。
 早く、目覚めてそして彼の……。