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闇よ、光に打ち克て
生は希望だ。
命は光だ。
けれどそれは単なる一般論でしかない。
生は愛され、命は喜ばれ、……死は、汚れている。
けれど生も命も、死に行くものだ。
―――どんなに綺麗なものだとしても、いつかは穢れるものだ。
『生と命』そのものである我宝ヶ峰・久遠は、確かに色々な意味で特別だった。
しかも生み出すことにかけて天才である彼女は、良い意味で特別だった。
生が愛されるように彼女は愛され、命が喜ばれるように彼女の存在は喜ばれた。だからこそ生が希望であるように、命が光であるように、彼女は綺麗な心のまま真っ直ぐに育った。
綺麗な心。けれどそれは、穢れゆくものだ。
生は滅びる。命は尽きる。本当に綺麗なものなど在りはしない。久遠は常にそう考えている。
―――先に待つものが穢れた“死”でしかないのに、どうして“生”が綺麗だなんて云えるの。
久遠の内に潜む『生と命』は、汚れた穢れたキタナイものだ。
久遠は“死”を見てから、そう思うようになった。それは彼女の内に根付く“生”を流し、嫌悪感さえ抱かせる“死”だった。
―――“生”はこんなにも汚いのに。いつかは死に行く“生”は、間違いなく“死”と変わらず穢れたものなのに。
そう薄っすらと汚れを追いかけているうち、久遠はいつの間にか己の姿かたちでさえも曖昧な暗闇に立っていた。黒ばかりで何も見えないはずなのに、何か得体の知れないものが這いずり回っている気がする。それは久遠に厭な感じを与えたけれど、その一方でこの蠢く流れに身を任せてしまいたいとも思った。
身を任せれば、或いは―――
この身も穢れに染まることが、できるかしら。
何時だって久遠は汚れたかった。どんなに愛され喜ばれ慈しまれたとしても穢れたかった。
あの子が自分を汚れていると思うのなら、久遠だってきっと汚れているに違いないのに。どうしてあの子だけが汚れていると苦しまなければならないのだろう。
あの子は今もこの暗闇の何処かで、蹲りこの闇の淀みに苛まれているのだろうか。
言葉を放とう、と闇に蠢く穢れをぼんやりと見ながら久遠は思う。声を掛けよう。言葉を解き放とう。
“生”だって死に行くものなのだから、私も汚れているのだと。今は綺麗かもしれないものでも、穢れるしかないものなのだと。
そう声を掛けて、闇の呪いを断ち切り、鎖を解いてあげよう。
そうすればきっと、あの子の枷は外れることだろう。
そして私は代わりとなって心に禊をしよう。汚れゆくものが純粋であってはならない。穢れゆくものが純真であってはならない。若しくは、純粋さも純真さも穢れゆくものだ。
生命は汚れ穢れ淀み濁り、死ななければならないもの。
それは綺麗な心を、侵すもの。
だから私は穢れているの。
―――ねえ、だから貴方も肯定して?
久遠の予想した通り、闇を歩くと人影のようながぼんやりと浮かび上がっていた。それは周りの闇にほとんど溶け込んでしまっていて、久遠の声が届くかどうかは判らなかったけれど、彼女は決して諦めようとは思わなかった。だって、久遠だってすぐに同じ場所へ行くのだから。
根気強く、蹲るその子に声を掛ける。
「貴女が貴女を信じなくて、一体他の誰が信じてくれると言うの?」
その言葉にやっと、その子が顔を上げてくれた気がした―――けれど。
瞬間、今まで欠片もなかった光が何処からかパッと散って、気付けば闇は霧散し久遠は光に包まれていた。
朝陽だ。
その中に闇は微塵もない。さきほどまでの汚れも、総てこの光に殺されてしまった。
ああ、どうして、と思う。
―――ああ、どうして。
いっそ久遠も一緒に光に灼き殺されて闇へ堕ちてしまえば良いのに、それだけを願っているのに、どうして今こうしてこの光の中、私は息づいているのだろう。
光に包まれてまた今日一日の生を得て、それで―――
まあ良い、と久遠はベッドから下りた。
着実に生は死へと向かっている。光への後ろめたさはない。もっともっと、光を眩しく感じるようになれば良いと思うだけ。
こんな光に満ちた命を抱えた生も、いつかは滅びゆくのだと知っている久遠にとって、朝の――生の――始まりは憂鬱でしかない、と溜息を吐いた。
END.
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