コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


■石の双子■

 そこにあったのは荒削りながらも、何かを訴える様なルビーの瞳を持つ石で作られた女性の像であった。
 女性像は高さ二十センチ程度で、充分手で持って歩くことが出来る程の大きさだ。
 それを手にしていた女性が像をマジマジと見て、溜息を吐いた。
 煙管を口に運ぶ気にすらならない。
 「まさかこのあたしが、毎晩夢に魘されるとは思ってもみなかったね」
 気怠げに椅子の背もたれへと身体を預けるその女性は、アンティークショップ・レンの店主、碧摩蓮(へきま れん)であった。
 二十代後半に見える彼女は、普段通り深くスリットの入ったチャイナドレスを着込み、参ったとばかりにまたもや溜息を吐いている。
 この石の像についての曰くを、勿論蓮は知っていた。
 知っていて手に入れて来たのだが、まさか自分がその曰くの一端を垣間見ることになるとは、思っていなかったのだが。
 実はこの像、本来であれば二つあったのだ。
 当然ながら蓮としても、二つ一緒に手に入れたかったのだが、片割れは見失って久しいと言うこともあり、取り敢えずこの片方を手に入れれば、きっともう片方も手にはいると言う予感があったからこうして手元に引き取ったのだ。
 「こうなると、予感もへったくれもありゃしない」
 毎夜毎夜見る夢は、何処か寂しげな洋館を舞台に繰り広げられる日常だった。寂しげと言っても、別段荒れ果てている訳ではなく、ただ人の気配が感じられないことから来る印象だ。
 その夢に出てくるのは二人だけ。
 黒い髪に青い瞳の少女と、栗色の髪に紅い瞳の少女だ。
 そしてご丁寧に、夢が覚めるその瞬間『お願い、私のところに帰って来て…』と少女が涙を流しつつ呟くのだ。姿を見ているのに、それが二人のうちどちらであるかは解らない。もしかすると、実は第三者がそこにいるかもしれないとも思えてくる。はっきりしないそのことも、何となく苛々とする要因の一つだ。
 仕方ない、と蓮は思う。
 「片割れを探してもらおうかねぇ…」



 最近の悩み事は、彼女の主が日に日に疲労の色を濃くして行くことだった。
 普通であれば、彼女の主がそんなことに陥る様な状況になる訳がなかったのだが、いかんせん、現在はそうではなかった。
 その理由は、何やら夜毎魘されることにある様だ。そしてその魘される原因を作っているのは、先日何処ぞで手に入れてきた、一体の石像にあるのだと言うことも、彼女には解っていた。
 まるで亡国の皇女の様な憂いをその顔(かんばせ)に浮かべているのは、長い黒髪にルビー色の瞳を持つ少女、鹿沼デルフェス(かぬま・でるふぇす)だった。
 中世に宮廷でダンスを舞い踊っていたと思える姫君の様な衣装は、デルフェスのすらりとした肢体に良く似合う。襟ぐりの大きく開いたドレスには、手の込んだ編み模様のレースが幾重にも飾られては揺れていた。
 童話の世界より現れた様なその彼女は、極寒の地で永い眠りについていたところ、蓮に見いだされてここにいる。
 そう。
 彼女は人ではなかった。
 少々レトロな衣装を纏っている為、そこここに闊歩する少女とは一線を画するも、普通の人と見分けがつかない。けれど彼女は真銀(ミスリル)ゴーレムであった。
 デルフェスは、このアンティークショップ・レンにて働いていた。買い付け時には、その彼女の本性、錬金術より生み出されたゴーレムであることを生かして、鑑定士兼護衛としても同行する。
 この石像の時もそうで、その時には曰くが気になったもののあまり悪い気は感じなかった為、手に入れることに同意したのだ。
 しかし。
 「あの、マスター…。わたくし、そのもう一つの石像を、探して参りますわ」
 「え?」
 「毎晩マスターが、あの、マスターが魘されているのを存じ上げておりますの。それで、わたくしに出来ることがありましたなら、お手伝いしとうございます。毎晩マスターが見る夢を、直接どうにかすることは出来ませんけれども、原因となる石像を探すことなら、わたくしにも出来るかと思いますわ」
 「まあ、こっちは魘されることがなくなりゃ、有り難いけどさ」
 デルフェスにまで心配をかけていたのかと言った風に、蓮の表情が言っている。
 『わたくしを見いだしてくれたマスターですのに、そんなお顔をなさらないで下さい…』そう、デルフェスは心で言った。
 けれどそんな思いは、逆に蓮の重荷になるだけだろうと思い、顔には出さない。
 「この像と対になっているものは、青い瞳の像でしたわね」
 「そうだねぇ。青い瞳の石像だったね」
 買い付けた際、そんな話を耳にしている。蓮が本当は二体揃って欲しかったのだが、片割れが行方不明になっているとかで、結局手に入れたのはこの一体だけだったと言う事情を、一緒にいたデルフェスは知っていた。
 その時は、蓮の方も『片割れを呼ぶ石像』と言う曰くを知っていた為、何時かこの店に来ることがあるだろうと、悠長に構えていたのだが事情が変わったのだ。
 夜毎魘されては、常日頃閑古鳥が鳴いている店であったとしても、流石に障りが出るだろう。
 「それを探せば、魘されることもなくなるのではないかと、わたくし思いますの。ですから先程も申し上げました通り、わたくし、もう一つの石像を探したいのですわ」
 蓮の瞳が、デルフェスを見て和んだ。
 「デルフェスの気持ちは、ありがたいねぇ」
 「では!」
 両手を胸の前で組み、デルフェスは声に喜色を混じらせた。
 「頼むよ。あ、そうそう。なら人を付けようかね。一人じゃ、色々と大変だろうしね」


 「来たね、猛獣使い」
 蓮がそう言うのを聞き、デルフェスはどんな恐ろしげな者が来たのだろうと、こっそり奥から顔を覗かせた。しかしちょうど蓮の陰になって、あまり良くは見えない。
 「えー、蓮姐さん、人を呼んどいて、それはないでしょう」
 声は可愛らしい女性を想像させるのだが…。
 「何言ってんだい。あの性悪馬鹿の手綱引き締めてるヤツが」
 「ああ、性悪馬鹿を否定出来ないワタシが悲しい…」
 「全く。人のことを、ババアと呼ぶなんざ、あの馬鹿くらいだ」
 テンポの良い会話だなと、デルフェスは思う。打てば響くとは、このことだろう。
 「あの……マスター」
 何時までも隠れていても仕方ないと思ったデルフェスは、ゆっくりと姿を現した。
 「ああ悪かったね、デルフェス。これが『異能者互助会』のアルバイト、更級マリ(さらしな まり)だよ。あんたの助っ人だね」
 「お噂はかねがね伺っておりまーーっす。ぴっちぴちの女子高生、更級マリでーーっす」
 そう言って元気よく死語を言い放ち、デルフェスの前に現れたのは、高校生にはとても見えない女性だ。身長はデルフェスと同じくらい。すらりとした体躯は、スポーツをやっている様にも見えるが、おそらく黙ってにっこり微笑んでいたならスポーツなどには縁のないお嬢様に見えるだろうと、デルフェスは観察してみてそう考えた。長い黒髪をポニーテールにして、愛想も良くデルフェスを見ている。
 今回、デルフェスが己のマスターの為に、この石像の怪を解決しようと奮起したのだが、いかんせん人手が足りないだろうと蓮が彼女を紹介したのだ。
 「もう見事なまでに、すれ違ってたんですよね。今日は会えて、嬉しいでーっす」
 ぐいと両手を引き寄せられ、上下に激しく揺らされる。それにつられてデルフェスの身体も揺れた。
 「あ、あの。…初めまして。鹿沼デルフェスと申します。この度は、ご助力のほど、宜しくお願い致しますわ」
 そのデルフェスの挨拶を聞き、マリはきょとんとしている様だ。何か変なことを言ったのだろうかと不安になり、蓮の方を見るも、彼女はにやにやと笑っている。
 「びっくりしたー。ホントに丁寧ね。あ、あたしのことはマリって呼んで。デルフェスちゃんって呼んでも良いかな?」
 そんなに丁寧に言った覚えはない。これが彼女にとって普通の話し方だからだ。
 「はい。結構ですわ」
 にっこりと笑うと、マリが破顔した。
 「ホントお姫様みたいに可愛いーっ」
 可愛いを連発するマリに、デルフェスは少々恥ずかしさを覚える。助けてとばかりに蓮を見るが、やはり先ほどと同じ、その様子を楽しんでいる様だ。
 『マスター……』と、涙目になるも、マリは話すことを止めない。
 「デルフェスちゃんのお洋服って、可愛いっ。あたしもこう言うお洋服着てみたいんだけど、なーんか似合わないのよねぇ…」
 しみじみ言うマリは、デルフェスの衣装をしげしげと眺めている。
 「さあ、もうその辺で良いだろ? デルフェスも困ってるよ。仕事しとくれ」
 漸く蓮が助け船を出してくれた。マリが、忘れてたとばかりに表情を改める。
 「あ、ごめんなさい。そうよね。あたし、ここへは仕事で来たんでした。事情はある程度聞いてます。でも、もう一度聞かせてもらえますか?」



 奥に引っ込み、デルフェスが話す間、マリはじっくりとメモを取りつつ聞いていた。
 まずは蓮が夜毎魘されること。そしてその原因が、先日この店にやってきた赤い瞳の石像であること。
 この石像には対になっているものがあり、そちらは青い瞳であること。
 蓮が魘されるのは、夢の中で石像と関係のある誰かが呼びかけているからで、その呼びかけている少女は『帰ってきて』と言っていること。
 夢の中の舞台は、洋館であると言うこと。
 等々。
 所々質問を挟むも、漸く話し終えると、彼女はデルフェスに向かって確認する。
 「えーと、今回の仕事は、この対になる石像を探すと言うことでOK?」
 「はい。まずは、最近石像を買った方をリストアップしてみたいと思っておりますわ。それからその方々に、最近夢に魘されていないかを聞いてみたいと思いますの。そしてマリさまには、お願いが御座います」
 「何かな?」
 「あの…、そちら様は、少々特殊な力を秘めた方のデータをお持ちであると同時に、過去に起こった怪異などのデータも集めておいでだとお聞きしておりますわ」
 「えーと、…あったわね。確か」
 「申し訳ございませんが、そのデータの方を少々調べて頂きたく…」
 「成程。こう言った話が、以前なかったかってことよね」
 「はい!」
 デルフェスは両手を胸元で組んで、嬉しそうにそう返す。
 「OKー。お姫様のご希望通りに」
 「お、お姫様…。あの、わたくしは……」
 「ストーーップ。あたしがそう思ってるんだから、野暮言わないでよー」
 マリがにっこり笑う。
 「は、はぁ……」
 毒気を抜かれた様に、デルフェスは曖昧な返事をした。
 確かにそう言ったお姫様の様な衣装は大好きで、色々と集めてはいるのだが、実際そう呼ばれると気恥ずかしい。先程の出会いの際もそうだが、けれどマリにはからかう様子も、嫌みで言っている様子もない。ただそう思ったから言ったと言う、何とも率直且つ、飾り気のない気持ちであると言うのが解る。
 「んじゃ、ちょっとパソ子ちゃん貸してもらっても良いかな?」
 「それは構いませんが…」
 ここから別の場所にあるものを見ることが出来るのだろうかと、デルフェスは思う。
 ここから専用回線を引いている訳でもなく、まさかそう言ったものがWeb上のサーバにあるとも思えない。完全に閉じられた空間内でのネットワークだろうと、デルフェスは考えたのだ。
 「種明かしはね、これ」
 マリがバックの中から取りだした黒い箱。
 「うちの技術部から出た、努力の結晶よ」



 「うーん。一応ね、これかなーと言うのはあったのよ」
 「本当ですか?」
 色良い返事に、デルフェスの胸が躍る。
 これで蓮が、夜毎魘されることもない。
 結局先程出した箱のことは、マリ自身構成が良く解らないとのことで教えて貰えなかったのだが、目当てのものがあったと言うことで、気にしないことにする。
 「ただねぇ…」
 「?」
 言いにくそうに、マリが上目遣いになってデルフェスを見る。
 「この話が本当だとすると、ちょっと可哀想かなぁ…って」
 「どのようなお話ですの?」
 「……泣かないでよ。泣かれるの、弱いんだから」
 「はい…。努力してみますわ」
 「この石像。実のところ正体は、二人の姉妹なの」
 「…あの、それはもしや、人が変化したものであると言うことなのでしょうか」
 「そう」
 「では、戻して差し上げなくては」
 「言うと思ったのよ…。デルフェスちゃんなら」
 そのマリの表情は、何処か困っている様に見える。
 「マリさま、もしやその仰り様は、それが出来ないと言うことなのでしょうか?」
 自分なら、もしかすると石化を解除出来るかもしれないとは思う。何故なら、自分は錬金術を使用して、換石することが出来る。ならば逆も出来て然りだと思ったのだ。
 やったことはないけれど、魔法陣の構成を考えてみれば、何とかなる筈。
 「デルフェスちゃんなら、きっと石化の解除は出来ると思うんだ。デルフェスちゃんって、蓮姐さんから聞いてるんだけど、換石の術…言ってみれば石化の術が使える訳よね? だったら逆がダメなんて、一方通行の道路じゃあるまいし、そんな融通の利かない交通ルールみたいなもんとは違うと思うの。きっとね」
 デルフェスと同じ考えをマリは示す。ならば、何故? と言う疑問が、デルフェスには起こった。
 「では、何故マリさまは、お困りなのでしょう…」
 「この子達は、自分の意志で石化したのよ」
 「自分の、意志、で…?」
 デルフェスにはどう言うことか、暫し理解が出来なかった。
 何故そんなことをしたのか、いや、石になろうと考えたのか。
 「理由…、理由はなんですの? マリさま」
 「プリントアウトしたから、デルフェスちゃん読んで。読んでから、それでも石化を戻すって言うなら、あたしは止めない。ちゃんとバックアップするわよ」
 すっと目の前に差し出された紙を見て、逡巡は束の間。
 ありがとうございます、と消え入りそうな声で受け取ると、デルフェスはそれに目を通した。
 デルフェスは、一番最初を見る。
 タイトルは『石の双子』だ。
 おそらく、それがこの石像の名なのだろう。
 舞台は明治時代にまで遡る。
 海を越え、この日本と言う国に、ある一家が渡って来たと言う。父母、そして二人の娘と弟の五人家族だ。最初は異人と言うことで、好奇の目に悩まされたものの、次第にそこに住まう人々とも上手くやっていける様になり、一家は幸せな日々を送っていた。
 だが、その日々も長くは続かず、妹の方が不治の病を患ってしまう。
 悩みに悩んだ末、彼女たちは共に石化の道を選んだと言うのだ。
 その犯された病の治療法が見つかる未来を待って。
 その石像は、元々弟が所有していたのだが、彼が死亡してから売りに出され、そして十年の間、様々な者達の手を巡り巡ってここにやってきた。
 その石像を手にした者は、蓮が見たのと同じ夢を見て魘される為、皆手放してしまうのだと言う。
 「……石のままの方が、良いのでしょうか」
 「うーーん。病気が問題だと思うな…」
 「マリさまは、その病をご存じなのでしょうか?」
 「一応は…。もう一枚、後見て」
 言われるまま、デルフェスがページを捲り、内容を読む。
 「これは……」
 デルフェスはそこに書いてあることに、胸を痛める。
 「何処まで進行しているのか解らないの。彼女のは。後遺症みたいなのが残るとね…。像を見る限りでは、そこまで酷くないとは思うんだけど、何とも言えないから」
 確かに手段は解らないでも、石化を行ったのだ。少々姿を変えることが出来ても不思議ではない。
 綺麗な頃のままで…と言う願いを持ったとしても、不思議はなかったのだ。
 そこにあったのは『ハンセン病』の文字。
 確かに昔は不治の病と言われていた。けれど今日の化学療法においてであれば、完治させることは難しくはないだろう。ただそれは、症状が軽かった時の場合で、重度であれば後遺症が残ってしまうのだ。診断と治療が早ければ、現代であれば治療によっては確実に軽快する。けれど皮膚だけでなく、この病気は知覚麻痺なども引き起こす場合がある。それが手足ならば、熱さや痛みを感じない為、怪我をしやすくなり、更に悪化させて変形を残すことにもなる。知覚麻痺が起こっている場合、早期治療が必須であり、もしもそれがなされなかった場合、現代でも完治は難しいのだ。
 女性なら、それもまだ若い少女であれば、後遺症の話は深刻だろう。
 昔は差別も酷かったから、一家は大変な思いをしただろうことは、想像に難くない上、彼女を診てくれる医者がいたかどうかも疑問で、その事情を知っているからマリの口から、後遺症と言う言葉が出たのだと、デルフェスは知る。
 「酷いですわ…」
 デルフェスの瞳から、涙が零れ落ちた。
 「デルフェスちゃん、泣かないでよー。あたしも泣きたくなるから」
 困った顔のマリを見て、デルフェスは頬に落ちる涙を拭う。
 ここで自分が泣いたからと言って、状況が上を向くとは限らない。
 『しっかりしないと…』と、デルフェスは自分で自分を叱咤する。
 「申し訳ございません。もう、泣いたりいたしませんわ」
 「良かった。あ、そうそうデルフェスちゃん、蓮姐さんからはその魘されてる夢の内容って、さっきの話聞いたくらいなのかな?」
 「はい。……あ」
 「どうかした?」
 デルフェスは蓮から聞いた内容を思い出し、先程のマリの話との相違に気が付いた。
 「マスター…、いえ、蓮さまは、二人の少女が出てきて、その片方が泣いていると」
 「あ。そう言えば、そう言ってたわよね。…あのさ、もう一度聞いたこと言ってみてくれる?」
 マリにそう問われ、聞いたことを思い出しつつデルフェスは話す。
 「確か…。人気のない洋館に、蓮さまはいらっしゃるそうです。そこには二人の少女が住んでいらして、その二人と言うのが黒い髪に青い瞳を持つ少女、そして茶色の髪に赤い瞳を持つ少女だそうです。何をするでもなく、蓮さまは、ただその少女達の日常を見ていて、夢から覚める時、『お願い、私のところに帰って来て…』と少女が涙を流しつつ呟くのだそうです。たった二人だけなんて、お寂しいでしょうに、可哀想ですわ…」
 デルフェスは頬に手を当て、ほうと溜息を吐く。
 「弟くんの存在はないわよねぇ」
 「その様ですね。わたくしは、夜に店内の警備をしておりましたところ、蓮さまが魘されておりましたのでどうしたのかをお聞きしました。その際、簡単な説明を頂いたのみで、詳細には聞いてはおりませんの」
 「うーん、じゃあ一応聞いてみた方が良いかもね」
 マリのその言葉に、デルフェスは『はい』と素直に頷いた。



 「夢?」
 「はい。マスターがご覧になっている夢を、あらすじではなく順を追って教えていただければと思いますの」
 マリと共に店内へと戻ってきたデルフェスは、蓮にそう頼んだ。怪訝な顔をしつつも、蓮の方もまたこの夢から逃れられるのならと言う気持ちがあったのだろう。『まあ良いけど…』と呟くと、口を開いた。
 「一応ね、夢だって言う自覚は、その夢の中であるのさ。でもねぇ、あったからって、何が出来る訳でもないんだよ」
 「と、仰いますのは?」
 うーんと考えつつも、蓮は口を開く。
 「何だかねぇ、記録映画見てるみたいなんだよねぇ」
 「映画…ですか」
 デルフェスの呟きに、蓮が肩をすくめる。マリは蓮の言葉をメモに取っている様だ。
 「でねぇ、まあ、あたしは最初、門の前に立ってる訳さ。鉄錆がついて、もう開かないだろうって思える様なね。その奥には石畳の道があってねぇ、両脇を森みたいな木があって。先は洋館なんだ。左右対称の作りをしたね」
 デルフェスは一言も聞き漏らすまいとして、両手を胸で組むと頷いた。
 「ずっと外にいても仕方ないし、入れないもんかと思った途端だ。いきなりそん中に放り込まれちまったみたいなんだよ。長い長い廊下に、あたしは立ってるんだ。まるで終わりがないみたいなね。両側には延々扉があって、もしかしてこれを一々歩いて行かないとダメなのかと思ったら、またいきなりねぇ」
 「どうなったのですか?」
 「扉の前に立ってて、それが開いたのさ。中にいたのは、少女二人と男の子だったねぇ」
 そこまで聞き、デルフェスは小首を傾げ、そしてマリもまた怪訝な顔をする。だが二人ともそこでは何も言わず、蓮の話すに任せた。
 「何だか暖かそうな部屋でね、その子らは遊んでたねぇ。で、まあ、次の扉が開いて、って繰り返す訳なんだけど、最後の扉が開いた時にはね、あの石像と同じ赤い瞳の子が伏せっている様だったね。残る二人が、そのベッドの周りで意気消沈してるのが解ったさ。そこで扉が開くのはお終い。で、目が覚める直前、声が聞こえるのさ。何だろうと思うと、そこには俯いた背中があってね、声は、どうやらその子みたいでね。『お願い、私のところに帰って来て』って。そこで目が覚めるんだよ」
 デルフェスがマリを見ると、彼女もまたデルフェスを見ており、何とも言えない顔をしている。
 「蓮姐さん、デルフェスちゃんには、夢にいたのは二人の少女って言わなかった?」
 デルフェスはそうそうとばかりに、首を振る。
 「……」
 マリのその言葉を聞き、蓮もまたあれと言う顔をする。
 「いたねぇ。男の子が…」
 「ボケるには早いわよ。姐さん」
 はあと溜息を吐くマリと、再度口を開いた。
 「ま、姐さんがボケてる訳じゃないんだろうけど」
 「マリさま、それはどう言うことなのでしょう」
 「さあ、あたしにも上手く言えない…って言うか、何となくなんだけど。この夢は、二人の少女のものなんだなーって言うか…。ああ、ごめん。忘れて。取り敢えず、この件は蓮姐さんがボケたと言うことに」
 メモをぽんと叩くと、マリは笑ってごまかそうとする。
 だが。
 「お待ちっ。誰がボケ老人だって!」
 「誰もそんなこと言ってないでしょー。もー被害妄想激しいんだからー」
 放っておくと、つまらない言い合いになるのは必至だろう。デルフェスはとにかく早くにもう一体の像を探したかった為、恐る恐ると言った調子で間に入った。
 「あ、あのマスター。泣いていたのは、どちらだったのでしょうか?」
 マリに向かって噛みつこうかとしていた蓮は、デルフェスの問いにはたと止まると、困った様な顔でそれに答えた。
 「それがね、全部セピア色だったんだよ。その最後の扉を開けた時以外は」
 「お解りにならないと言うことでしょうか?」
 「まあね。何かねぇ、本当にあの二人のどちらかが泣いていたのかも、解らないんだよ。誰か違う人間だった様な気もするしねぇ」
 「もしも二人の少女でないのなら、もう一人の人物、マスターの忘れてた男の子なのでしょうけど、聞いてる感じでは男の子には思えませんでしたわ」
 「そうよねぇ。やっぱり少女のどっちか何でしょうねー」
 「でも、わたくし一つ不思議に思うことが出来ましたわ」
 「何かな?」
 「何故少年の像は存在しないのでしょうか?」
 出てきたのが少女だけであったから、別段像が二つであると言うことは気にならなかった。けれど実は三人だったのだ。誰か違う人間がいたかもしれないと言ってはいたが、何故か蓮は少年の存在を認識しつつも言葉にするのは忘れていた。まるで少年の存在を隠したい風に思える。
 像がないことと何か関係があるのだろうかとデルフェスは思ったのだが。
 「弟くんは、時を止める必要がなかったからじゃないの?」
 マリがきっぱり言い切った。
 「…そう、ですわよね。弟くんは病気ではなかったのですわね」
 何だ、そう言うことだったのかと、デルフェスは漸くそのことに思い当たった。
 「取り敢えずは、青い瞳の石像よ」



 「ふはぁ……」
 大きな溜息を耳にし、デルフェスはそっと伺う様にマリを見た。
 あれからかれこれ、五時間くらいは経過している。すでに外は暗い。ふと時計を見ると、九時近くになっていた。
 何をしていたのかと言えば、青い瞳の石像を買ったか者はいないかと言うこととと、最近夢に魘される様になった者はいないかと言うことを、アンティークショップ・レンの顧客リストや取引先より探していたのだ。
 この店と取引のある人間は案外多いのだと、デルフェスは今になって驚く。
 只人は辿り着けない筈の店だ。大して人数は多くないだろうと思っていたのだが、どうやら曰くを持つ人と言うのは、デルフェスが思っているよりは多いらしい。
 「マリさま、お疲れになりました?」
 彼女はそのゴーレムと言う属性から、さほど休息を必要としないのだが、生身の人間はそうも行かないのだろう。
 「うーん。疲れてはいないけど、ちょっとお腹減ったかも…」
 確かに、普通なら夕食はもう取っている者の方が多い時間な筈だ。
 「まあでも、後もうちょっとで電話かけるの終わるし、それにあんまり遅くにかけてもね。あ、デルフェスちゃんは疲れてない?」
 「わたくしは大丈夫ですわ」
 にっこり笑ってそう返す。人よりは疲れにくいことを知っているだろうけれど、それでも尚こうして気遣ってくれる者がいるのはとても嬉しく思えた。
 「そっか。んじゃ、後もう一息、頑張ろう! それからご飯よーーーっ!!」
 「はい。頑張りましょう!」
 そう言うと二人はリストに目をやり、受話器を握りしめた。
 デルフェスが持つそれは、アンティークショップらしく古めかしくも情緒のあるものだ。
 リストと睨めっこをしつつ、デルフェスは慎重に電話をかける。
 コール音が耳元で囁いた。
 何度かけても緊張してしまう音だ。
 デルフェスが眠りについた頃には、この様なものはなかった。目覚めてここへとやって来て、色々と驚いたこともあったが、その最たるものとも呼べるのはこの電話かもしれない。
 遠くにいても、まるでその場にいるかの様に声を聞くことが出来る。
 何だか錬金術にも似たそれは、デルフェスに取ってとても面白くも奇妙なことに感じられたのだ。
 数コールの後。
 はいと言う声が聞こえる。デルフェスの聞こえない筈の鼓動がとくりと鳴った。
 「夜分遅くに、誠に申し訳ありません。わたくし、アンティークショップ・レンと言う骨董品屋に勤めております、鹿沼デルフェスと申しますが……」
 そう言いつつ、相手がこのリストに載っている本人かどうかを確認する言葉を続ける。
 デルフェスが初めて口にする名は、それがこの人物が久しくここへと訪れていないことを指していた。
 果たして。
 『ああ、お久しぶりですわね。そちら様には、随分とご無沙汰しておりますが、ご主人はお元気?』
 品の良い女性の声だ。その色から、可成り老年に入ったものであることを、デルフェスは感じた。
 実は元気ではないのですと言いたいところを、デルフェスはぐっとこらえた。
 「はい。御陰様で、元気にさせて頂いておりますわ。あの本日お電話させて頂きましたのは、少々お伺いしたいことが御座いましたからですの」
 『まあ、何かしら? 私に解ることかしらねぇ。とにかく、仰ってみて下さいね。ご主人には、お世話になりましたもの。私がお力になれることでしたら、なんなりと』
 デルフェスは何て優しいんだろうと、感激する。
 「はい。ありがとうございます。可笑しなことを申し上げるのですけれど、最近そちら様で、何か石像の様なものをご購入されませんでしたか?」
 暫しの沈黙。
 これは漸く見つかったかと、デルフェスは胸を弾ませる。
 『鹿沼さん、それはどんな石像なのでしょうか?』
 デルフェスの目が嬉しさに輝く。
 恐らくこの老婦人は、何か石像を買ったのだ。だからこうして聞いているのだと、デルフェスは思った。
 「はい、あの青い瞳を持つ女性…そうですね、少女の様な像ですわ」
 受話器を握るデルフェスの手に力が入る。
 ガッ………。
 ……思わず握りつぶしそうになり、慌てて力を緩めた。
 そのデルフェスの気配に、マリも気が付いたのか、現在繋がっている電話を早々に切ると側へとやって来た。
 『青い瞳…。私は購入してはおりませんけれど、私の友人が、その様な石像をつい最近譲り受けたと言うお話は伺いましたよ』
 「あ、あの。申し訳ございませんが、その方とご連絡を取って頂けないでしょうか? こちらでは、その像を探しておりますの」
 『お願いです』と、デルフェスは心の中で強く思った。
 ここでイヤだと言われてしまったら、そのまま老婦人の元へとお願いしに行くしかない。
 『そうですねぇ…。少し教えて頂いても、宜しいでしょうか?』
 「はい、勿論ですわ。何でございましょう?」
 『あの石像、何か曰くがあるのでしょう?』
 泣いているのだ。恐らく。
 マリと顔を見合わせる。彼女が頷くのを見て、デルフェスは自分と同じことを考えていることを察した。
 「はい。あの像は、元々二体で一対なのです。実はこちらには、赤い瞳の像がありますの。離れ離れになって、二体の像は、とても悲しんでいるのですわ」
 デルフェスは、自分が言っていることが恐らく間違ってはいないだろうと思っている。
 果たして。
 『……やっぱりねぇ…。あの像、そちらで引き取って頂けますかしら?』
 願ってもないことだ。デルフェスは思わず声に喜色を滲ませそうになり、マリの首を振る姿を見て慌てて押さえた。
 「はい。解りましたわ。それで、その像はどちらに?」
 『実はね、像を受け取ったのは、友人ではなく、私の兄なの。何だか毎晩毎晩夢で少女が泣くと言うのよ…。私が引き取っても良いかしらとも思ったんですけれど、そちらにもう一つがあるのなら、そちらにお渡しした方が良いですものねぇ』
 「解りましたわ。出来るだけ早くにお伺いさせて頂きたく思います」
 マリがデルフェスを見て、力強く笑っている。デルフェスもまた、満面の笑みを浮かべた。
 これで蓮が魘されることもなくなるだろう。
 『じゃあ、一度兄に電話してみるわね。折り返しおかけしても大丈夫かしら?』
 時間のことを気にしているのだろう。けれどデルフェスは、もう夜中にかかってきても構わないと思ってしまう。
 「はい、何時になっても結構ですので、宜しくお願い致しますわ」
 そう言うと、丁寧に終わりの言葉を紡ぎ出して電話を切った。
 ちーんと言う音がして、デルフェスは大きく息を吐き出す。
 「マリさま!」
 全身を喜びに満たし、デルフェスは胸の前で手を合わせた。
 「良かったわね! デルフェスちゃん!」
 「はい!」
 がばっとマリが、デルフェスの両手を包み込み、大きく上下に振る。
 合わせてデルフェスの身体も揺れるが、そんなことはどうでも良いくらいに嬉しかった。
 「あ、ほっとしたら、マジお腹減っちゃったわ」
 マリが気の抜けた声でそう言うと、ちょっとそこまで買い出しと言って出て行った。
 その後ろ姿を見て、デルフェスは微笑んだ。
 マリが戻る間、一人デルフェスは電話を待っている。
 何だかこのアンティークな電話さえ、幸運を運ぶ電話に見えてしまうから不思議だ。
 ああ、こんなに早くことが片づくのなら、もっと前に行動を起こせば良かったかもしれないと思う。けれど見つかったのだ。
 デルフェスは心からほっとする。
 先程まで二人でかけまくっていたリストをちらりと見て、苦笑した。
 「本当、良くこれだけの方とお話しできましたわねぇ…」
 二人で大体二百名弱にかけていたのだ。一人大体百名弱。一時間あたり、二十名弱と言う計算だ。
 根性がなければ、到底出来ない話だった。
 暫くの後、電話のベルが鳴る。
 マリはまだ帰って来ない。
 「はい。アンティークショップ・レンでございますわ」
 ドキドキしながら電話を取ると、果たして相手は先程の老婦人だった。
 『こんばんわ。お待たせしてごめんなさいね』
 そう前置きをして話し始める。
 「あのねぇ、貴方に謝らなければならないのよ」
 それはどう言うことだろう。
 『兄に連絡を取ってみたところ、あの像の元の持ち主だと言う人が現れてねぇ、渡りに船と思った兄が、譲ってしまったそうなの』
 デルフェスはその言葉に、へなへなと床へ座り込みそうになってしまう。
 「あの…。それは何時のお話ですの?」
 『一昨日のことだそうよ』
 申し訳なさが言葉から漂ってくる。
 けれどデルフェスは諦めない。ならばその人の元へと行けば良いのだ。少なくとも、対になる像がそこにあるのなら、揃えてやればもう呼び合うこともないだろう。
 「そうですか…。その方のお名前は解りますでしょうか?」
 『ごめんなさいねぇ。それがねぇ』
 何故か言葉を濁している。デルフェスは小首を傾げたまま、言葉を待った。
 『兄に連絡を取ってもらったんだけれど、電話が通じないの』
 「通じないとは…。いらっしゃらないのでしょうか?」
 『いいえ。使われていないみたいなのよ…』
 糸が切れてしまった。
 がっくりとしたデルフェスは、取り敢えず丁重に礼を言うと重たい手つきで受話器を置いた。
 はあと大きな溜息一つ。
 「どういたしましょう…」
 途方に暮れた様にそう呟く。
 同時に、涼やかな鈴の音が中に響いた。
 「マリさま…?」
 店内へ続く扉を見ていると、暫しの後マリがそっと足音をたてずに入って来たかと思うと、コンビニの袋を机に置き、真剣な顔で開口一番こう言った。
 「デルフェスちゃん。ここって、警備システムとかってないわよね?」
 「…え? どうしましたの? マリさま」
 「どうやらここを見張ってる人がいるみたいなの」
 デルフェスの目が見開かれる。
 そもそもがここに来ることの出来る者は限られている。だから警備システムと言うご大層なものを付ける必要がなかったのだ。高価なものも確かにあるが、アンティークショップ・レンの存在こそがある意味そう言った普通の犯罪からは守られている、筈だ。
 「あたしがね、コンビニ行く途中で如何にもって男を二人見たんだけど、まあその時は変なヤツもいるかなと思ってたのよね。でもねぇ、帰って来ても同じ場所にいる訳。しかも通りすぎる時に、『石像が…』って話してたのよ」
 石像と言えば、今頭に浮かぶのはこの像しかない。
 「あの、マリさま。先程連絡が来ましたの」
 普通なら、何をこんな時に言うのだろうと思うのだろうが、どうやらマリは違った様で、そのままデルフェスの言葉を待って口を閉じている。
 「お兄様の元には、もう像はないのだそうです。一昨日に、像の元の持ち主と仰る方が訪ねて来たそうで、お兄様はお譲りになったそうですわ。そして先程、その方と連絡を取って下さったそうですの。そうしたら、そこには電話が通じなかったそうですわ…」
 そこまで一気に言い切ったデルフェスは、大きく深呼吸をした。
 「あいつら捕まえて来る」
 マリがきっぱり言い切った。
 この時期に石像と呟いてここを見張っているヤツだ。何か関連がある筈。デルフェスもその考えには賛成なのだが。
 「わたくしも行きますわ」
 攻撃手段はないものの、どんな危ない人間なのか解らない。そんなところに一人で行かせる訳にはいかないと思ったのだ。
 だが。
 「任せて。こう言うこと込みで、ここにいるんだから、あたしは」
 「でも、危ないですわ」
 「大丈夫大丈夫。あたし、運強いんだから。デルフェスちゃんはここにいてね。蓮姐さんにも、外に出てこない様に言っといて」
 にっこり笑うマリは、そのままデルフェスの肩をぽんと叩くと身を翻した。
 「あのっ」
 瞬間呆然と見送ってしまったデルフェスだが、慌てて後を追って店内へと戻る。
 ドアに行くまでもなく、その光景は窓から良く見えた。
 確かに男達が店の前にいる。そこへマリがゆっくりと歩み寄って行った。
 「マリさま。何て無茶な…」
 何やら男達に話しかけているものの、すぐさま状況は変わった。
 暗い店内から、街灯もない通路を見るデルフェスの目が丸くなる。
 いきなりマリの手を掴んだ男が、そのまま何か見えざる手にひっぱたかれた様に地面に叩き付けられたのだ。
 「え?」
 もう片方の男が、背後から殴りかかろうとした所、何やら腹を押さえてしゃがみ込んだ。
 「……?」
 背後にいた男をマリが蹴りつけ、二人を一纏めにしたところでしゃがみ込んだ。
 何やら会話をしている様だが、ここからでは聞こえない。
 何らかのやりとりがあった後、マリが再度二人を殴りつけ、のびたのを確認したところで、悠々店へと戻ってきた。
 「ただいまー」
 笑顔でそう言う彼女の顔には『収穫あり』と書いてあった。
 「マリさま、大丈夫でしたの?」
 「勿論。解ったわよ。像のあるところ」
 見るところ、本当に怪我はない。まあ最初に腕は捕まれたものの、一方的にシバキ倒しているのを目の当たりにしているのだから、怪我のないことは解っているのだが。
 「何処ですの?」
 「海棠さんってお家よ。行く?」
 言われるまでもない。
 デルフェスはまっすぐマリを見据え、きっぱりとした口調で返事をした。
 「勿論ですわ」



 「夜分遅くに申し訳ありませんですわ」
 そう言ってデルフェスは、自分達が遅くに訪ねて行った非礼を詫びた。
 通された部屋は、外観の洋館に相応しい豪奢さを持っている。品の良い調度品に、目の前のテーブルが重厚さを与えている。取り囲むソファもまた、座り心地は満点だ。
 だが彼女たちの前には、客だと言うのに何も出てはいない。
 その代わりと言ってはなんだが、目の前には、思いっきり不歓迎と言った顔の老人がいる。
 彼女達は、あの後すぐに店を出た。取り敢えず電車の動いている時間で良かったと思ったのは、この場所が東京都下であるものの、可成り辺鄙な場所にあり、危うくそこへと向かう終電がなくなってしまうところだったからだ。
 何だかとても大きくて立派そうな家だった。
 勿論デルフェスは、この程度の洋館ならいくつも見てきているから、圧倒されることはなかったが。
 何をしている人なのだろうと思いつつ、同時に、この洋館は蓮の夢に出てきたのと似ているのではないかと言う気がする。寂しげと言う訳ではなかったのだが、夢の中で蓮が見た様な門扉と、その両脇にある木々、そして門から館へはまっすぐの石畳が走っているなど、何となくそんな気がしたのだ。また、何よりデルフェスのバックの中に入った赤い瞳の像が、何故か活性化している様な気がする。
 「こんな時間にやってくるとは、非常識ではないですか?」
 それは予想していた言葉だ。
 けれど、店をじっと見張っていた男達を雇っていたと思しき老人には言われたくはないだろう。
 「申し訳ございませんわ。この様なお時間では、ご迷惑かとは存じましたのですけれど、わたくし共にも、少々事情がございましたの。お許し下さいませ」
 デルフェスがそう言うと、次にマリが口を開く。
 「夜分に申し訳ありません。しかし、彼女が申し上げた通り、事情があるんですよ。……私達のと言うより、貴方の…と言う方が正解なのですけれど」
 にっこりと笑うマリの視線は、何処かデルフェスには挑戦的に見えた。
 「それはどう言う意味かね?」
 「先程、私どもの店を何だか不審な人物が見張っていたんですよねぇ。なのでちょっと事情をお聞きしようと思ったんです。そうしたらねぇ、いきなり殴りかかって来たんですよ。本当に驚きましたわ。まあ、そんな人を野放しにしておく訳にもいきませんし、今は反省してもらっているところなんですけれど」
 マリの言葉の通り、現在、彼女の手持ちであると言う鞭で二人一緒に縛り上げられた上、蓮の店にある曰く付きの数々の品に取り囲まれて動けないでいる。
 「それが? 私に何か関係でも?」
 まあ普通はそう言うだろうなと、デルフェスは思う。
 「その方々、貴方に雇われていたと仰ってたんですよね」
 「身に覚えがないですね」
 デルフェスは肩を竦めているマリと視線があった為、どうしましょうかと目で語った。返すマリは、大丈夫と笑う。
 「成程。まあそれならそれで宜しいんですけれど……その時なんですけど、私どもの店にある『赤い瞳の石像』が、壊れてしまったんですよねぇ。まあでも、それは貴方には関係のないことですよねぇ」
 「何だってっ?!」
 思わず腰を浮かせて、身を乗り出す彼を見て、にんまりとマリが笑っている。
 『マリさまって…』
 デルフェスは半ば呆れてマリを見た。良くもまあそんな嘘が付けるものだと。デルフェスには、とてもではないがそんな嘘は付けない。
 「あら?どうされたんですか?」
 「っ?!」
 「『赤い瞳の石像』をご存じなんですか?」
 にっこり笑って彼女が続ける。
 「単刀直入に言わせて頂きますね。こちらに青い瞳の石像がありますよね?」
 「知らん。そんなものはない」
 「おじいさん、頑固ねぇ…。知っているからそんな風に驚いたんでしょ? デルフェスちゃん、あれ貸してくれないかな?」
 「はい」
 そう言われてデルフェスは、バックから布で巻いた本当は壊れてはいない『赤い瞳の石像』を取り出してテーブルの上に置いた。
 「それは…。騙したのかっ」
 「あら、店にいた男達も、青い瞳の石像も知らないんでしょ? だったら、こっちだって知らない筈ですよね? なのに何であたしがそんなことを言われないといけないのかしらねぇ」
 『マリさまって、良い性格してらっしゃるんですのね…。でも、それではわたくし達が悪者ですわ…』、何処か唖然としているデルフェスは、マリの顔を見た。
 「返せ。それは元々この家にあったものだ…」
 身を乗り出し石像をひったくろうとしたが、マリの手の方が早い。彼の目の前でそれをひょいと取り上げると、そのままデルフェスにはいとばかりに手渡した。
 「元々ここにあったって、それを売ったのはこの家の人でしょう? 何で今更そんなことを言うんですか?」
 デルフェスは渡された石像を抱きしめたまま、じっとその老人を見る。
 元々ここにあったと言うのなら、そして青い瞳の石像が今ここにあると言うのなら、デルフェスとしてはことと次第によっては戻しても良いと思った。少々寂しい気持ちはするのだが、元が蓮が魘されない様に、そしてとずっと一緒にいられる様にと思っていたのだから。
 目の前にいる老人を、デルフェスはじっと見つめた。
 「あんたはこの像がどう言うものか知らないだろう。これはな、元々早世した私の伯母達をモデルに作られたものだ。その伯母達は、病気だった。その病気で、父はとても苦労した」
 昼間読んだ内容を、デルフェスは思い出す。
 確かに昔は、遺伝病だのなんだのと、誤解をもたれており、それは現在でもあまり変わらないだろう病気だ。場所によって…と言うより、不理解な者の多い土地では差別もそれはそれは酷かっただろう。
 どうやらあの地は、その不理解な者の多い土地であった様だ。
 「だがその伯母達は、とっと姿を消した。父やその両親達を捨てて、さっさと二人で逃げ出した。父達の手に残ったのは、この二つの石像だけだ。だが二人がいなくなったと言っても、あんな病気を出した家族だと言って、周りは冷たい。元々移住してきたと言うのも大いに関係しているんだろう。ここに住めなくなった父達は、ここから家族揃って逃げ出したんだ」
 『ご存じないのは、貴方の方ですわ』とデルフェスは、心の中で一人ごちた。
 逃げ出したのではないのだからと、デルフェスは唇を噛む。
 「それで? 何で売ったのかは、聞いてないですけれど?」
 「私だって、あの伯母達の所為で口に出せないくらい、嫌な目にあったんだ。発症した場を離れたからと言って、伯母達の存在がなくなる訳ではない。何処からか、その事実が漏れ、私達も転々と住まいを移る羽目になった。なのに父はずっとあの像を持っている。私は、あの像が目障りで目障りでたまらなかった。伯母達に似せたと言うあの像を見ると、自分達の苦労は彼女らがいたからだ、そう、あの像の所為だと思えた。けれど父は、決してあれを手放さなかったのだ」
 何て勝手なんだろうと思う。
 「好きでご病気になど、なった訳ではございませんわ。なのに貴方はそんなことを仰るのですか?」
 「私だって、好きであの伯母達の血縁に生まれた訳じゃない!」
 デルフェスは泣きたくなる。何故こんなことが言えるのだろうかと。
 「目障りだから、手放さなかったお父様が亡くなって、これ幸いと石像を売ったのね? じゃあ、何故今更取り戻そうとするの?」
 何処かマリの声が、平坦になっているのが解る。
 「声が…聞こえるんだ。父の…」
 「「声?」」
 デルフェスが口に出したと同時、マリもまたそう呟いている。
 「二人を何故離れ離れにしたんだと…」
 「成程。ここには弟くんが出た訳だ…」
 「最初の一年、二年はそんなこともなかった。けれど月日が経つにつれ、その声が聞こえだし、だんだん大きくなり…」
 「それでも最初は取り戻そうとはしなかったのよね? だったら何故?」
 「……あれに価値が出てきたからだ。漸く価値の出てきた像だ。伯母達の所為で私達家族は苦しんだ。だったらせめて今くらい私の役に立ったって良いだろう? 元々は、この家にあったのだから」
 デルフェスの目が見開かれた。
 帰してと泣いていた少女。何故離れ離れにしたんだと訴えた弟。
 人から口伝えに噂になるまでに訴えていた少女達と、それを数年に渡って嘆いていた弟。
 その気持ちなど、何にも斟酌せず、ただ価値が出たからと言って取り戻そうとしたのか。無茶苦茶な言い分だと、デルフェスは愕然とした。
 怒りが胸に満ちるも、けれどどう言えば良いのか解らない。
 「名前を変えて、漸くここへと戻ってこれた。そうしなければ、ここに戻りたいと願っていた父だって、戻れなかった。あの伯母達の所為で、私達家族が、どんな思いをしたのか、貴方方に解りですか?」
 違うと言いたい。声を大にして、それは間違ってると言いたい。けれど言葉が出て来なかった。
 デルフェスの石像を抱きしめた手が震える。
 と。
 「わぁっかる訳っ! ないでしょ! 何考えてんのよ。あんた! 馬鹿じゃないのっ! 巫山戯んじゃないよっ」
 いきなり大声を出したマリに、デルフェスは目を見張る。
 「どんな思いをしたかだぁ?! 知るか、そんなこと。家族だって、そりゃぁ辛いだろうさ。でもね、一番辛いのは、あたしが言うまでもなく、本人達に決まってんだろっ! それが何だよ。それを酌むこともしねぇで、ぐだぐだぐだぐだ御託ばっか抜かしやがってぇっ! 嘗めんじゃないよっ。これは持って帰るからねっ。ここにある石像だって、連れて帰るっ! てめぇみたいな勝手なこと抜かすヤツんとこに、彼女たちを置いておけねぇってんだ。良いね?」
 最後の確認は、はデルフェスに向かって言われた言葉だ。
 「勿論ですわ。貴方様の様に身勝手な方のところには、置いてはおけませんわ」
 マリの豹変ぶりに驚いたデルフェスではあるが、確かに彼らの言い分に腹を立てていたのは彼女も同じなのだ。
 このままでは、その価値が落ちた時にまた離ればなれになって、彼女たちは泣くだろう。何より、デルフェスは出来ることならもう片方も引き取って、店でずっといられる様にしたいと思っていた。
 きっと二つの像…いや、二人の少女達は、今まで離れていた分を取り戻す様に、仲良く暮らすことだろう。
 だが問題はある。
 青い瞳の像は、この老人の所有だ。
 そして彼は渡さないと言っている。
 どうやって持って帰るかだ。
 「渡さない。絶対に」
 「渡して貰うわ。絶対に」
 「マリさま、どうやって…」
 デルフェスは不安げな瞳でマリを見た。
 「貴方、先程仰いましたよね? 『名前を変えて戻って来た』って。ここは昔住んでいた洋館なんですよね?」
 「…それが?」
 「ご近所さまは、前の姓をご存じないのでしょうねぇ」
 段々デルフェスにも、マリの言いたいことが解って来た。けれど…。
 それは脅迫と言うのでは? とデルフェスは思う。
 これが高校生と言うのだから、ある意味恐ろしいかもしれない。
 にっこり笑って海棠を見るマリに、漸く察した彼の顔が引きつった。
 確かに怖いだろう。人は己の意志で恐怖を克服しない限り、同じ恐怖、または苦渋を嘗めることは出来ない。それから一度逃げたものは、再度挑む度胸はないだろう。ましてや老い先短い彼のことだ。
 「まさか…」
 「あたしは何も言ってないですよ。……ねえ、海棠さん、青い瞳の像を、譲ってくれますね?」
 青い瞳の石像の行き先は決まった。



 アンティークショップ・レンの店内では、澄ました顔でお茶を飲んでいる三人がいる。そのテーブルには、やっと揃った二体の像があった。
 「これであたしも寝不足から解放されるよ。ありがとう、デルフェス。ついでにあんたもありがと」
 蓮に何時もの笑顔が戻る。
 デルフェスは曖昧な笑顔でそれに答えた。
 蓮の悩みがなくなったのは良かった。そして石像が揃ったことも良かった。
 が…。
 「あの、マリさま、弟さんは、嘆かないのでしょうか?」
 デルフェスにそう問われたマリが、きょとんとした顔をするが、すぐさま笑顔に変わって言う。
 「大丈夫よ。彼は『何故離れ離れにしたんだ』って言ってた訳でしょ? 一緒にいるんだもの。文句は言わないわよ」
 「そう言うものなのでしょうか…」
 「文句言ったら言った時よ。第一、今回の目的は、石像を探し出すってことで、更にデルフェスちゃん的には、蓮姐さんが魘されない様にってことも含んでるんでしょ? そうしたらどっちも満たされてるんだから、問題ない。ま、嘆いたら、またあのおじいさんのところへ行って、弟くんもつれて来れば良いじゃない」
 あっけらかんと言うのがきっと彼女らしいのだろう。
 普段は詳しい事情を聞かない蓮だが、ふと思った様に二人に問いかけた。
 「これ、どうやって取り戻したんだい?」
 デルフェスはマリと顔を見合わせる。
 「あの、えーと…」
 「勿論、友好的に譲って頂いたのよ。ねえ、デルフェスちゃん」
 マリの満面の笑顔に、デルフェスは止まった。
 だが。
 「はい」
 まあ、こう言うことも、長い人生ありなのだろう…。


Ende


■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2181 鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす) 女性 463歳 アンティークショップ・レンの店員


■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■
          ライター通信
■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■

こん●●んわ、斎木涼です。
納品がぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。

 > 鹿沼デルフェスさま

 初めまして。この度は依頼に参加して頂きまして、ありがとうございます(^-^)。
 また、参加NPCにマリをご指名頂き、続けてありがとう御座います。彼女、こんなヤツなのです…。呆れておられなければ宜しいのですが。
 楚々としつつ可愛らしいデルフェスさんを書かせて頂き、女の子大好きなわたくしとしてはとても嬉しゅうございました。


 デルフェスさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。