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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Stay the night

●氷雨降る屋敷の朝
 カーニンガム邸の朝は遅い。そして夜も遅い。
 モーリスの主人がその話をした日も同じように、朝は遅く、逆に夜は早かった。正確には、就寝時間が早かったと言うのが正しいかもしれない。
 いつもの剪定鋏を手に、主人の――セレスティ・カーニンガム氏の様子を窓の外から良く見ているモーリスは、その変化を見逃すことは無かった。
 物憂い表情をしていたというわけではない。疲れた顔をしているのでもない。だが、一見して疲れているということだけはわかった。
 自分と執事以外の他の者の目は誤魔化せても、モーリスたち二人の目は誤魔化せなかった。とは言っても、執事は自分の主人に「仕事を休んで欲しい」と言えるほど、無粋なことを言える人物ではない。
 あとはモーリスしかそれを言う人物はいなかった。
「さて……セレスティ様がYESと言いますかね?」
 モーリスは執事に向かっていった。
 午前の仕事が早めに片が付き、二人はティータイム中なのである。主任料理長の控え室でお茶を飲んでいるのだ。当の主任料理長は自ら買出しに出かけているため、丁度良いとばかりにお菓子やお茶のふんだんにある控え室で話しこんでいるのだった。
「言っていただかなくては困ります。…とは言っても、仕事好きのセレスティ様に『休め』などとは口が裂けても言えません」
「だろうねぇ。爺さんはセレスティ様が好きだから」
「当然で御座いますとも! そんな無粋なことが言えますか。わたくしめは勤続数十…って何を言わせますか、モーリス。それに…私は爺さんなどではありませんよ」
「充分、爺さんだと思うんだけど」
「これ失敬な。それはともかくとして、新年のご旅行までには体調を整えませんと。今年は取引先相手のご子息ともご一緒にお出かけになられるとお聞きしておりましたが」
 大丈夫なのだろうかと心配する執事の様子にモーリスは笑って返す。
「なぁに、ちゃんと診ておくよ。大事な私たちの主人だからね」
「頼みましたよ。わたくしには医者の免状も何もございませんからね」
モーリスは、庭師である前に医師でもある。いつもセレスティの仕事が終わった頃を見計らって、必ず一度は健康状態を見に行く事が習慣になっていた。
「モーリス以外に、誰にもこんなことは言えませんよ」
 それを知っている執事は同僚のモーリスにそう言って頼んだ。
 セレスティを放っておいたら、気の済むまで知識を深めるために蔵書を読み始めてしまう。彼から本を取り上げるのは至難の業だ。
 理で攻めれば理で返され、情でほだそうとすれば麗しくも悲しげな瞳で見つめられてしまう。そうなると、この屋敷の人間の殆どは黙って総帥の仕事部屋から退散してしまうのであった。専属秘書でさえ敵わないのだから困ったものである。
「この間、秘書の一人が泣いておりましたね……手を休めてくださらないと」
「そうだね…セレスティ様が止めないのに、自分達も休めないしね。多分、情で訴えかけても無理だし。それを知っていて「だめですか?」と言ったような瞳(め)で見つめるのだから――底意地が悪いというか……」
 かなりシビアな見解を軽く述べて、モーリスは苦笑する。
 なかなかに人使いが上手いというか、心理を知っているというか。そんな主人のお茶目なところを誰もが憎めず、そう言った場面を見るたびにモーリスは微笑んでしまうのであった。
「仕方ないね。じゃぁ、私が何とかしておくから」
「本当ですかな?」
「勿論。私も一緒に年始は旅行に出かけるしね。旅先でセレスティ様が倒れるなんて冗談じゃないよ。それに取引先ってあの坊やだね? あの子が泣くのは嫌だし、苦手だしね」
 別な意味で啼かすならと言って意味深に微笑む。そんな庭師の様子に執事は肩を竦めた。
「蝶が誘われるのは…まぁ、性というものですし。わたくしめは何とも…」
「それはともかくとして、私は様子を見てみるとするよ。それで決定的なら、旅行を盾に言いくるめれば今日のところは休んでくれるだろうしね」
「そうですねぇ…それが一番ですか。よろしく頼みましたよ、モーリス」
「えぇ、お任せを…執事殿」
「戯れは程ほどに、モーリス。貴方なら『爺さん』で構いませんから」
 そんなことを言って執事は笑った。
 二人は立ち上がると使ったティーセットを片付け、お菓子の缶を閉める。こっそりと缶を閉める時に、モーリスは自分の持つ不思議な力でクッキの数を元に戻しておいた。お菓子が減ったところで気にする主任料理長でもないのだが、そこは礼儀と言うか気持の現れとして、元に戻しておく。
 綺麗に整えられた控え室を後にして、執事は邸宅管理用の執務室の方へ、モーリスは倉庫の方へと向かって歩いていった。

●Knock×Knock
 モーリスは夕食までの間、剪定鋏の手入れをして過ごした。グラインダーで鈍った刃を削り、研石で刃先を磨いでいく。自分の能力でやってしまえばすぐなのだが、こうやってのんびり備品を整えるのも好きだった。
 剪定も自分の能力でやれてしまうのだが、それではせっかく体というものがあるのにつまらない。体を使って場を整え、仕事をする。そんな他愛も無い事も、モーリスにとっては楽しみの一つだ。
 無論、彼が持つ能力が大きく関与してはいたが、全ての事柄をその力で済ませているわけではない。剪定するのも自らの手で行っていたし、その後の掃除も自分の手でやっていた。もしも、自分の力だけでやっていたとしたら、他の者に見られたときに大変な事になってしまう。だから、モーリスは自分の手でできるものは自分の手でやっていたのだった。
 掃除や手入れ、屋敷内の電球の取替えの手伝いなどをこなした後、モーリスは手早く食事を済ませ、セレスティの部屋の方へと向かって歩いていった。
 二度ほどのノックの後、誰何の声が聞こえ、モーリスは名を告げた。女性のものでない澄んで柔らかい声が聞こえる。その声に応じてモーリスは部屋に入っていった。
「どうしましたか、モーリス?」
「本日の定期検診ですよ」
 にっこりと笑って返すモーリスに対して、セレスティは微妙な笑みで返した。それはあまりにも小さな変化で、他の人間だったら見逃してしまっただろう。
 しかし、長年仕えてきたモーリスがそれを見抜けないわけが無い。やぶからぼうに「疲労しているのでしょう?」と言うことは避け、モーリスは微笑んだまま近付いていった。
 デスクで書類の整理をしていたセレスティは、手に持った万年筆を玩んで相変わらずの笑顔で微笑む。ふと、そのペンが転がり、セレスティは小さな声を上げた。
「あっ」
「どうかしましたか、セレスティ様?」
「…いいえ、何も」
 表面的には大丈夫な様に取り繕っているようで、疲労の溜まった体は咄嗟のことについていけなかったらしい。
 万年筆は手から落ち、床に転がっていった。その事から隠された疲労を確信したモーリスは、セレスティの方へと近付いていった。
「お疲れですか、セレスティ様? マッサージでも致しましょう」
「そんなことはありませんよ」
「それは嘘ですね。いくらお目が悪いとは言え、こんな質感のある物を見逃すはずがありませんし。小さな紙が落ちるんじゃありませんから認識は出来るはずです」
 暗に疲れているのを自覚した方が良いと示しているモーリスの声音に、セレスティは小さな溜息をついてから笑って言った。
「いえ、このまま早めの就寝になりますけれど、眠れば大丈夫」
「疲れは風邪の元ですし、風邪は万病の元ですよ。それに、疲れた筋肉がもとの柔らかい状態になるまでにどれだけの時間が掛ると思うんですか? 健康な若者で三ヶ月はかかるんですよ?」
「おや、私は老人ですか?」
「そんな言葉で誤魔化さないで下さい、セレスティ様。実際、そのままでしたら完全に疲労が無くなるまで一週間の絶対安静の状態になるのは近いでしょう。年末ですし、これから幾つものパーティーに出席しなければなりませんから、これからが大詰めです。それに、お忘れではありませんよね……新年のモナコへの旅行を」
「あ…」
 ふと、セレスティは取引先相手の子息の事を思い出した。連れて行くと約束していたのだが、一緒に行って自分が倒れたら、きっと悲しんで泣くだろう。
 一番痛いところを突かれ、セレスティはモーリスを見た。
「そう…ですね…私の体は私だけのものじゃないですし…」
 ふと眉を下げ、セレスティは言った。
「では、マッサージをしてこれからのスケジュールを難なくこなせるようにしましょう」
 そう言ってモーリスは笑う。
 予め用意しておいたレンジで温めるタイプのホットパックをセレスティの肩と腰に当てた。赤外線ランプと一緒に一番酷い部分はレーザーで暖める。ホットパックの気持ちよさにセレスティの表情がほうっとしたものになっていく。
 やはり骨にへばりついている深層筋を変化させていく必要がありそうだ。
「……ん…ぁっ!」
 モーリスがマッサージを初めて一分もしないうちにセレスティの声が上がる。どうやら気持が良いようだ。
 そこは長年付き合ってきた勘というやつで、モーリスには何処が気持良いのかわかっていた。そこはあえて何も言わず、堪えるように時々、肩を震わせる主人の姿を見つつ、黙ってマッサージをこなしていった。
「モーリス……」
「はい?」
「最初に私がした仕事は、何だったのでしょうかね? 今となっては、もう憶えてはいませんが」
 仕事に熱中するモーリスを見つめていたセレスティは小さな声で言う。
 そう言って話し始めた人の瞳は、何処か遠くを見ていた。
 誰も知らない記憶の向うに霧に煙ぶる町が見えるかのようで、モーリスはまるでおもちゃ屋の前で、手に届かぬ物を見つめている子供のような気分を、自分の内に垣間見た。
 届かぬものを追い求めたことは無いし、これからも追うことは無いのだろうが、少しだけ、その気分を人が感じる時は何時なのかということはわかる。
「確か、誰かを助けたような…でも、それが本当に助けた事になるかはわからないですね」
 そう言って苦笑する。
「誰かの願いが叶う時、代わりに誰か泣くことだってありますよ」
 モーリスは言った。
「いいえ…そうとは限りませんよ。幸福はゼロサムゲームではないのですから。配当分のパイが奪われたなら、誰かがもう一度焼けば良い。ただそれだけの事」
 気持ちよさそうに寝転びながら、セレスティは悪戯っぽく笑って言う。真意が測りかねて、モーリスは目を瞬いた。
 何か自分に伝えたいと願っているのだろうか。ただの小話には思えなくてモーリスは黙った。

 誰かの願いが叶う時。
 無くした何かを手に入れて、あるべき姿に戻した時。
 それが良い結果を生むとは限らない。それでもモーリスは求めに応じて能力を使う。
 セレスティの仕事とモーリスの仕事は根本的に違うと感じていた。同じように治し、癒し、与えるが、セレスティのそれは違う。

(私の仕事は、より多くのパイを焼くことなんです……)

 また悪戯っぽく笑ってセレスティは言った。
 彼が彼であるその原点を見たような気がして、モーリスはただセレスティを見つめ返す。この夜のもと、傍に居ようと思うのだった。

■END■