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<東京怪談ノベル(シングル)>


その日まで


 その扮装の背後で――いや、周囲で流れているのは、『ジングルベル』であり、『サンタクロースがやってくる』であり、『赤鼻のトナカイ』であった。
 この日本に住んで働き始めてから、藍原和馬という男は、実にさまざまな扮装をしてきた。サンタクロースのコスチュームとくまの着ぐるみとは、もう長い付き合いになっているような気がする。
 しかし、サンタの格好をするのは何十度目でも、仕事の内容はその都度違っていた。強引な客引きもあれば、ただビラやサンプルやティッシュを配るだけのこともあるし、何故かその格好でバナナ売りをさせられたこともある。ひょっとすると、蝦蟇の油売りもさせられたかもしれない。
 今年は、日雇いバイト至上主義の和馬にしてはめずらしく、1週間契約での仕事に勤しんでいた。サンタクロースの扮装(ヒゲつき。口周りがムレる)をしての客引きだ。最近は客引きに対する風当たりが強く、店の入り口から離れることを禁じられている。和馬はあやしげなネオンの店の入り口前でうろうろし、寂しそうな男性に向かって声を張り上げるのだった。
 ――なんで野郎のサンタが客引きすンだ? おねーちゃんの方に客が惹かれるのは当然だろうが……。
 隣を見れば、寒空に素足でミニスカサンタのコスチュームの若い娘が、次々に客を店へ呼び込んでいた。ミニスカサンタは誘蛾灯なのだ。和馬は隣の店のその様子を見て、白い溜息をついた。
 この、子供は立ち入り禁止というムードが漂う通りを10分も歩けば、その向こう側はホテル街だ。寂しい男たちの他にも、仲むつまじいカップルの姿がちらほらと見かけられた。
「きゃん、さむぅーい」
「おまえが抱きついてっから、オレはあったかいよ」
「ぅふふぅん、そーお?」
 くねくねと蛇行していくカップルは、和馬の目の前を素通りしていった。
 ――あー、あー、やりきれねエ。なにが「ぅふふぅん」だバカ! あー、バカバカしい時期だ! 12月25日が何の日かわかってんのか、罰当たりども!
「ぅおーい、兄さん兄さん! 中でちょっとあったまってけよー!」
 ヤケクソで声を張り上げた和馬を、一瞬ぎくりとした目で見つめた独りの若者は、
 ……ふらふらとミニスカサンタの笑顔の方へと歩いていったのだった。

 なぜ、自分はこんなところでこんな格好でこんな仕事をしているのかと、記憶を反芻してみる。
 気をつけて思い出さなければ、去年の記憶や、一昨年の記憶、果ては100年前の記憶を呼び起こしてしまいそうだ。
 正しい記憶を手繰り寄せるのに手っ取り早い方法は、翠の目と白の肌、黒の髪を思い浮かべることだ――。

 おオ、そうだ。そうだった。

 彼は、もともと用心棒としてこの店に雇われたのだった。街がイルミネーションと、赤と緑とサンタに彩られはじめた頃、和馬はこの仕事を見つけたのだ。
 ――さア……例のイベントの季節がやって来ましたよ……。
 やる気も新たに、和馬は黒スーツで店の事務所を訪れ、前金として、そこそこの金を渡された。この店がひとを雇うとき、結構な額の前金を渡してくることを、風の噂で耳にしていたのである(また、バックについているのは警察と折り合いの悪い組織で、中途で仕事を投げ出したり前金だけ受け取って逃げたりすると、恐ろしいことが起きるという噂も耳にしていた)。
 「例のイベント」のまえにまとまった金を手に入れた和馬は、うっかり飲み食いに使ってしまわないうちにと、(少し購入する前にゴタついたが)翠のペンダントを購入した。もちろん、ある女性に贈るために。彼女は和馬よりもずっとずっと若く、プラチナのアクセサリーをするにはまだ早いとは思えたが、結局彼は、その買い物で前金をほとんど使い果たしてしまっていた。
 悔いはないが、働く目的を失ったため、仕事にもあまり身が入らない。
 だがこういった後ろ暗い業界では、悪い噂はすぐに広まってしまう――和馬は、仕事を放り出すこともなく、何故か一昨日からサンタの扮装をして街角に立っているのだった。この店は、用心棒など特に必要もなさそうなほど、平和だったのだ。

 そうだ、……そうだった。

「おい、サンタ!」
「あ?! あいッ!」
「今日はもうあがっていいってよ!」
「もうスか?」
「ああ!」
 今日のサンタとも、おさらばだ。
 和馬は階段を下りて、黒スーツを手に取る。時給制ではないから、勤務時間が減るのは純粋に有り難い。……早く仕事が終わったところで、和馬に、今日の予定はないのだが。
 仕事以外の予定が入っているのは、今のところ、12月24日の夜だけだ。まめに使っている手帳を確認するまでもない。
 和馬は冷たい風に肩をすくめて、街に繰り出す。ホテル街に用はない、だから彼は、カップルが進む方向を逆らっていく――
 メダカのように、逆らっていく。


 何人のサンタクロースを見ただろうか、
 何人のミニスカサンタの太股に気を取られてしまっただろうか、
 いつ自分は思わずジングルベルを口ずさみ、
 翠のペンダントを買ったのだろう。
 和馬はふと足を止め、人の流れを見つめた。
 まだ、人々にとって、クリスマスは少し先のイベントであるようだ。サラリーマンは、緑と赤のリボンにまみれたショーウインドウに見向きもしない。寄り道している女子高生は、新しく買った口紅の話をしながらコーヒーショップに入っていく。
 藍原和馬は歩き出す。スクランブルを渡り、またしても、ショーウインドウに目を奪われた。緑と赤……パーティードレス……プレゼントの箱。ガラスの向こうに置かれているあのプレゼント箱の中身は、間違いなく空気なのだ。
 彼の自宅には、中身が入った、小さな箱がある。
 ――あいつは、喜んでくれるかな。「肩がこる」とか何とか言って、あんまりつけてくれないんじゃねエだろうな。でも俺は、あいつの指輪のサイズを知らない。ブレスレットは、異様に高かった……ペンダントが、妥当なトコだったんだ。「肩がこる」なんて、言わないでくれ。
 白のパーティードレスを着た彼女の胸元に思いを馳せてみる。
 インペリアル・グリーンは、輝いているか。
 ――あいつは、わかっては、くれないんだろうか。

 ひんやりと冷えたガラスから、手を離す。
 くっきりと自分の指紋がついてしまったのを見て、和馬はばつが悪い思いをした。ビルの窓拭きの仕事も、やったことがある。いつかのその苦労を思い出し、名も顔も知らぬ窓拭き人に、彼は心中で謝った。
 クリスマスまで、あと、何日だろう。
 ――なアに、すぐにその日が来るのさ。
 和馬にとっては、「いつの間にか、またこの季節がやってきた」という感覚なのだ。彼にその感覚は、常につきまとう。
 ――おっと。……チビ助にも、また何か買っていってやらないとな。
 自分はまた、サンタの扮装をして、あのアパートを訪れるのかもしれない。
 彼は気づかなかった。自分が、何をもらえるか、という期待をまったくしていないことに。彼の頭の中にあるのは、あの翠の目と、その翠の目がよろこびで細くなった光景だ。
 それが何日後に見られるかどうかは、彼にとってさほど大きな謎ではない。
 日が沈んでいくのだ――ひと眠りしたら、またのぼっている。
 空を見た和馬の視界で、きらりとひとひら、白いものが光った。
「……この調子で、24日に、降ってくれ」
 和馬の呟きに、空はこたえるだろうか。
 はらりはらりと音もなく、白い雪が東京に降る。

「雪降ってる」

 喫茶店から出てきたカップルの、女のほうが、目を輝かせてそう言った。
 黒スーツの和馬が、その後ろを、するりと通り過ぎていった。




<了>