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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


年忘れの聖夜


「それじゃ、おつかれさまでーす」
「おつかれぃ!」
 ぺこぺこと頭を下げるサンタを見送るサンタの光景が、街角にある。勇ましく見送るほうのサンタの中身は、御子柴楽だ。6時を過ぎて、商店街からは主婦の姿も消えている。販促ピークも終わっていた。街角でケーキを売っていたサンタクロースも、ピーク時には5人いたが、今では楽ひとりだけになっている。サンタの変身を解いて足早に帰っていく今日の戦友を見送り、楽は乾いた笑みを浮かべた。
「いいねぇ……予定が入ってるってのは。……フッ……」
 その呟きを拾うものは誰もない。
 それまで商店街を蹂躙していた主婦たちが去った代わりに、先ほどから姿を見せ始めたのは、仲むつまじいカップルだ。
 今日ともに商戦をくぐりぬけてきたサンタも、この群衆の中にいるのかもしれない。
 楽は、好きでその光景を眺めているわけではなかった。バイトとして雇われた臨時サンタのうち、イヴの6時以降に予定が入っていなかったのは、楽ひとりだけのようなものだったのだ。
「へっ……イヴが何だってんだ。もともと、イチャイチャするための日じゃないだろうが。……あ、なんか目から塩水が……」
 彼が鼻をすすったのは、寒さのためだけではない。
 小雪がちらつくホワイトクリスマスだ――ムードは満点だ。こうしてたった一人で仕事をしているという寂しさを際立たせるには、持って来いのムードが。
 折り畳み式のテーブルに置かれた、今夜のノルマ――ケーキとシャンパンは、あといくつかを残すばかりになっていた。8時までにこれらをすべて売り切れば、その時点で上がることが出来るのだが。
「ねえ、このケーキのイチゴ、どこのイチゴ使ってるの? 有機栽培? 遺伝子組み換えじゃない?」
 ……そして、こういうときに限って、こういった面倒な客が現れるわけだ。楽は努めて笑顔で振り向く――どう答えていいかわからないまま。
「お客さま、俺の知ったこっちゃありません」
「お客にそういう態度取っちゃだめだよ」
「やっぱりおまえかあァ!!」
 こんなイヴの街中で、偶然なのか必然なのか、よりにもよって、この男に会ってしまうとは!
 いつもはいつでも和装のはずの、蓮巳零樹であった。今日は、長い髪だけはいつも通りのかたちではあるが、彼は藍色のコートを着ていた。
 残り少なくなったケーキとシャンパンを眺めて、零樹はにこにこ(にやにや)している。
「こんなところで何してるのさ」
「選挙活動してるように見えるか?」
「ううん。バイトしてるように見える」
「じゃア聞くな! 帰れ帰れ帰れ!」
 犬歯を剥いて凄む楽を、零樹は緑の目を細め、笑顔で制止した。
「僕はキミのことだから、予定が入ってると思ってたよ。今月の初めにいいひとゲットしたとか喜んでたじゃないか」
「言うな……それを」
「なんだ、フラれたんだ。寂しいなあ」
「そう言うおまえはどーなんだ! 独りで街歩いてんじゃねェか!」
「僕は日本人だし、キリスト教徒でもないもの。12月24日なんて、何でもない平日だよ」
「むう……」
「日本人て世界一ミーハーだよね。そのうちメッカに向かって頭下げるのが流行るようになるかも」
「……おまえ、ほんとに、仕事のジャマしに来ただけなら、帰れよ」
「ジャマだった?」
「ジャマだジャマだ! ――特製ケーキ、残りわずかでーす! いかがっスかー!!」
 楽は、零樹の笑みを振り切って声を張り上げる。カップルたちの数は多くなっていて、どの男女も、もう食事の予定が入っている様子だった。ケーキももう冷蔵庫の中に入れてあるに違いない――楽の呼び込みは、空しく空に消えていく。
 ふう、と溜息をついて、零樹が楽の正面にまわり、ケーキを指差した。
「じゃあ、シャンパンとケーキ、ひとつずつ貰うよ」
「あッ? な、何だって?」
「バイト終わったら一緒に呑まない? これ、全部売り切ったら終わりなんだろ。僕も売り上げに貢献する」
「そ、そりゃ……どうも……」
 これで、ひとつ借りが出来てしまった。
 それに今夜は寂しいことに、バイトが終わったあとの予定はない。いつものように、ひとりでコンビニのチキンを食べて、深夜バラエティを見て、寝るだけだ。
「一緒に呑むよね、楽?」
「あー、はいはい、呑みますとも」
 楽は肩を落として、頷いた。





「最後の1個っていうのは、意外とすぐ売れるものなのに。商売向いてないんじゃないかい?」
 結局、楽のバイトが終わったのは――ケーキとシャンパンが売り切れたのは、7時半をまわった頃だった。
 ふたりは、楽のアパートでクリスマスを祝うことにし、小雪が散る夜道を歩いた。
「そのセリフ、そっくりおまえに返してやる。人形の在庫、ぜんぜん減ってないじゃねェかよ」
「だって、増えてくんだもの」
「人形をハムスターみてーに言うな」
「風邪引きそうだ。楽んちって暖房ある?」
「コタツのみ」
「最悪だ……」
「じゃあ来んなよ! ……おまえんちはダメなのか?!」
「人形いっぱいいるけど?」
「……」
 溜息は白く、流れていく――
 楽の溜息が、ちらつく雪を溶かした。


 楽の部屋は、散らかっているというよりは、荒れ果てていると言ったほうが正しいような有り様だった。楽自身は悪臭と思えるような臭気を放ってはいなかったが、部屋の中は、散乱したさまざまなものの匂いが入り混じり、奇妙な異臭を持っているのだった。今夜で、この臭いの中にシャンパンとケーキの匂いも混じるわけだ。
 零樹は溜息をつくと、足の踏み場もない部屋を大股で横切り、窓を開けた。冷えた室内に、さらに冷えた外気がさっと吹き込む。
「あッ、何する! 寒いだろ!」
「だって、ヘンな臭いするし……どうせ空気の入れ替えなんかしてないんだろ。すごく空気こもってるよ」
「ぐっ……」
「こたつに入っていれば大丈夫さ。お酒だって呑むんだし」
「おまえ未成年じゃねーの?」
「あ、そうだった。……楽ってそういうこと気にするたちなんだねえ」
「俺はな、ガキだ、って言いてェの」
「僕、楽とひとつしか違わないはずだよ。そしたら、楽もガキなわけだ」
「ぐっ……!」
「さ、早くケーキ食べようよ。ピザでも頼もうか?」
 勝手知ったる他人の家――というわけでもないはずなのに、零樹は散乱しているものをかき分けると、すぐにこたつのコードを見つけて、するすると引き出し、スイッチを入れた。

「そこそこだね、このケーキ」
「ああ、そこそこ美味いな」
「去年のケーキはもっと美味しかったね」
 零樹の言葉に、楽のフォークが止まった。彼はもぐもぐと口を動かしながら、頭を抱えた。
「……去年のクリスマスを思い出させるなよ……テンション下がるじゃねーか。ただでさえ今日は低いのに」
「そうだね、程度は低いね」
「俺が低いっつってるのは『テンション』! ……あ……目から塩水が……」
「まあ、そう泣かないで、これまでのクリスマスを振り返ってみなよ。今年はかなりまともなほうなんじゃないか?」
「振り返りたくねェ……」
「去年は23日に彼女と別れたっていうか、フラれて、目から腐汁流してたよね」
「腐汁って何だおまえ。……いや……ありゃ、血涙だった……」
「その前は原付で事故って本当に血流してた」
「おまえ! あの事故は、おまえがいきなり歩道から声かけてきたから起きたんだぞ!」
「そうだっけ?」
「都合のいいことだけ忘れやがってェえ!」
「あ! 思い出した」
「ほんと忘れんなよ」
「確か事故ってひっくり返ったとき、鼻水流してたよね、楽」
「そっちか!!」
「窓開けてるんだから、楽。大声上げると近所迷惑だよ」
「ううむむぐ……」
 零樹が楽の怒鳴り声を受け流し、カウンターを浴びせかけ、楽が黙りこむ――その繰り返しの中で、残り少ない『今年』の記憶が、小雪の混じる風とともにもどってくる。
 たとえば、ひと夏の夢の思い出。いい夢を見た。悪い夢のようで、結局はいい夢で、儚い別れと結末があり、嬉しい始まりがあった。
 増える人形の思い出もあった。すでにその記憶が今年のものなのか、はたまた5年前のものなのか、ふたりともよくわからなくなってしまっていた。それほどふたりは、奇異な体験ばかりしていたのだ。
「しかしまあ……なんだ」
 シャンパンをラッパ呑みし、ゲップ混じりに、楽は言う。
「クリスマスに限らんけど、強烈な思い出があったら、そいつにゃ大概おまえが絡んでるんだよな」
「僕はそうでもないな。そもそも僕にとって強烈な思い出っていうのは、よっぽどの大事件の記憶だろうから。――夏の学園の夢はさすがに強烈だったけど。……ま、キミとの思い出は、思い出が強烈なんじゃなくて、キミのキャラクターが強烈なんだよ」
「おまァはまたそんな……俺はごくごく普通の大学生ですよ」
「ごくごく普通の大学生が、『あっちの世界』の門を開けたりしますか。キミ、もう少し自分の能力を昇華させる努力をしたほうがいいよ。受け継いだ能力だからって油断しすぎ」
「山奥の老師みたいなこと言うな。説教っての、すっげエ嫌いなんだよ」
「僕がしてるのは説教じゃなくてアドバイス。楽が死んだりしたら、こうしてクリスマスに忘年会が出来なくなるからね」
 涼しい顔でそう言いきって、零樹はケーキの最後のひとかけらを口に運んだ。
 楽は、ぽかんと口を開け、零樹のその言葉をぐるぐると反芻する。妙な気分だ。シャンパンのアルコールは、これほど強いものだっただろうか。
「……来年も、おまえのせいで忘れられない体験をするわけだ」
 零樹は、呆然とした楽のぼやきを受けて、ふうっと微笑を確かなものにした。
「僕のおかげで、だろ」

 思い出は、多いほうがいいに決まっている。
 良いものも悪いものも、死とともに連れていくといい。

 ふたりの関係を、ふたりは「腐れ縁」という。腐った縁は、それ以上腐ることもなく、死んでもなお繋がっているものを指すというのか。
 七面鳥もトナカイもいないクリスマスが更けていく。
 零樹は、ようやく窓を閉めた。




<了>