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そしてあの子の真実へ−君からもらった宝物−
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雪を見ると思い出す事は本当にたくさんある。
まるで雪に彩られた人生を送ってきたみたいに。
降り積もる雪のようにたくさん私の中に積もる想い。
少しずつ思い返すだけで時間が過ぎていく。
その時ふと脳裏を掠めるのは一人の少女。
一年前のもうすぐ雪の季節がやってくるという頃に出会った。
初めて会った時は、たった一人きりの大切な人を除いて全ての者に心を閉ざした寂しい女の子。
でも本当はとても明るくて、そして強い意志を持った女の子だった。
一人きりの大切な人の生死が分からなくなっても諦めることなく行方を捜し続けると心に決めて。
私はそんな女の子、弥生ちゃんの事がずっと気掛かりだった。変わらず連高ヘ取り続けているけれど、弥生ちゃんも学校行事に忙しくてなかなかお店まで来る時間もなくて。いつも電話で明るい声を聞かせてくれるけど、探し続けている水葉さんのことになるとやっぱり声のトーンが下がる。
水葉さんが人間ではない――その可能性は、十分考えられる事だった。
弥生ちゃんの前から姿を消した事。
やらなければならないと言っていた事。
水葉さんには時間が迫ってきているのではないかと思った。もしかしたら、存在を保てなくなる時が近づいているのではないかと。全て自分で事件を解決させ人知れず生を終えようとしているのかもしれない。
もしそうだとしても。
一連の事件の真相を水葉さんの口から聞かなければ、弥生ちゃんは納得しないに違いない。弥生ちゃんの中で何も終わらない。
そして私も。
事件に関わった者としてではなく、ただ弥生ちゃんを見守る友人の一人として事件の真相を直接聞かせて貰いたかった。
「水葉さん‥‥」
今どこで何をしているのだろう。
もう一年になる。
明日が一年前のあの日。
雪が繋ぐ私と弥生ちゃんと水葉さんの絆。
このまま溶けてしまわなければよいと思う。
私が小さな溜息を一つつくとそれを待っていたかのように電話が鳴った。
それは弥生ちゃんからの電話で。
『冬華さん、あのね‥‥急な話なんだけどいいかな』
「なにかしら?」
電話の向こうでためらうような気配がある。
『えっと‥‥正吾おじ様が‥‥あ、身元引受人の人なんだけど。一人では行ってはいけないって言うから、冬華さんに一緒に行って貰いたい場所があるの』
「何処でしょう?」
『‥‥‥私の前に住んでいた所』
思わず動きが止まってしまう。
弥生ちゃんの住んでいた屋敷は跡形もなく消し飛んでしまっていた。今は荒野が広がっている。
「水葉さん‥‥ですか?」
『‥‥そう。それでね、一度正吾おじ様が同行する人を連れてきて欲しいって。自分が説明するって言ってるの。冬華さんも忙しいの分かってるんだけど‥‥でも時間が無くて』
とても焦っている弥生ちゃんの様子からそれは本当だと分かる。
確かにお店はあったけれど、弥生ちゃんとを天秤に掛けたら弥生ちゃんの用事の方が重い。
私は一も二もなく承諾の返事をした。
「大丈夫。早いほうが良いんですよね。明日‥‥弥生ちゃんの処に行きましょうか?」
『えっ! でも‥‥』
「久々に弥生ちゃんの顔も見たいし」
くすっ、と電話口で微笑むと弥生ちゃんは小さな溜息を一つ吐いた。
「良かったー。正吾おじ様が駄目って言ったのもあるけど、あそこに一人で行くのは不安だったから‥‥」
「呼んでもらえて良かったです。それじゃ明日伺いますね」
「うん、待ってるから」
最後に弥生ちゃんの元気な声を聞く事が出来て私はそれが嬉しかった。
■□■
翌日、私は弥生ちゃんの処へ向かった。
手にはボノム・ド・ネージュ特製のデザートが入っている。
少しでも弥生ちゃんの気が紛れればいいと思う。きっと緊張しているだろうから。
弥生ちゃんは私を歓迎してくれた。持参したデザートを見て目を輝かせて。
少しほっとしたけれど、でも弥生ちゃんの表情はどこか固い。
弥生ちゃんの身元引受人になったのは退魔剣士の北波正吾という人物だった。その人物が語る水葉さんの話はどういったものなのか。
私と弥生ちゃんは連れだって北波さんの元を訪ねた。
北波さんは私たちを見て一瞬表情を曇らせた。
「正吾おじ様‥‥前にも言ったけれどどうしても私は水葉に会って聞かなくてはいけない事があるの‥‥この間のIO2重鎮浜崎夫妻暗殺事件の時に私は水葉を見つけた。水葉は生きていた。お願い‥‥私には‥‥ううん、ずっと見守ってくれた冬華さんにも知る権利はあると思うの。だから‥‥」
なおも続けようとする弥生ちゃんを手で制して北波さんは言う。
「今回の一連の事件の真相が知りたいか‥‥あれを止めるのなら、一年前と同じ時間…穂村家の跡地に行ってみろ。多分…奴は其処にいる。弥生が幽閉されていた理由も…あの日何が起きたのかも…全て分かる。其処に行けば。話すのも戦うのも…その間なら自由だ。どうするかはお前達が決めろ。IO2の連中や邪魔者は俺が少しだけ来れないようにしといてやるから」
「正吾おじ様‥‥」
「そこに行けば、全ての謎が解けるのですね」
私が訪ねると北波さんは頷いた。
「時間がない。早く行った方が良い」
そう言って少しだけ哀しそうに眉を顰めた北波さん。どんな想いが込められていたのか分からないけれど。
私は頷いて弥生ちゃんの手を取った。
「行きましょう。そして‥‥水葉さんに」
「うん。‥‥正吾おじ様、行ってきます」
「あぁ、くれぐれも気をつけて」
よろしく頼む、と言うように北村さんは背を向けた私の肩を軽く二度叩いた。私はそのまま小さく頷くと弥生ちゃんと共に外に出た。
ふと空を眺めると雪が舞い降りてきていた。
柔らかな雪。
真っ白な雪。
雪が私たちを繋いでいてくれる。
私と弥生ちゃんは1年前のあの日へ戻るように、あの場所へと向かった。
■□■
この場所には何もないと思っていた。
ただの荒野が。そしてわずかに残された屋敷の痕跡。人などとうてい住めるはずがない。
二度と戻ってくる事はないと思っていたのだけれど、私と弥生ちゃんは一年前と同じ場所に来ていた。
「ここに水葉が‥‥」
弥生ちゃんが辺りを見渡す。
その時だった。
突然廃墟に現れた門。見上げるほどに大きなその門は扉を開けて二人が入ってくるのを待っているかのようだった。
北波さんが言っていたのはこのことだと思った。突然現れた扉の向こうにきっと水葉さんはいるに違いない。
私が声を掛けようとすると、弥生ちゃんがその前に言葉を発した。
「冬華さん、行こう! 水葉に会わなくちゃ」
「えぇ」
しっかりと手を繋いで私たちはその門をくぐった。
門の向こう側は黄泉路へと続いて行くような気味の悪い世界が広がっている。踏み外せば命がなさそうな細い道を私たちは歩いて行った。
その途中、猛火と折り重なった死体の山が目に入る。思わず目を背けてしまいそうな光景。だけどその間に戦う水葉さんの姿を見つけて私は足を止めた。
弥生ちゃんは私が足を止めた事に気づき振り返る。そして私の視線を追っていき見えた光景に口を手で塞いだ。でも弥生ちゃんも水葉さんの姿を見つけそちらを凝視する。
水葉さんが戦っているのは弥生ちゃんのお父さんである穂村正道。正道さんはもう生きては居ない。これは幻影なのかもしれない。
「水葉‥‥」
水葉さんの強さは正道さんを軽く凌駕していた。他人の気と一体化する完全な攻防斬術使い。適う者は居ないだろう。
正道さんの攻撃は水葉さんへは届かない。
私たちは去年の幻影を見ていた。
『お前にその力を与えたのは私だぞ。名前と一緒に【人間としての全て】が剥奪され、【ただ命令を受けて殺す人形】となったお前が私に逆らうのか! ただの人形の分際で!』
『オレだけなら良かった‥‥‥でも、あなたは弥生ちゃんまでも道具として扱おうとしていた』
『何が悪い。あいつは元から強力な呪術耐性を持っている。あいつの心を門の中にある『全て』と完全に繋げたら何が出来るか分かるだろう? お前の手に入れた力が全て私のものになる。人形など居なくても、そして門が閉じても自分に必要な技術や知識をいつでも取り出せる本が出来上がる。親の手に入れたい情報を全て持つ娘。なんて親孝行な娘だろうな』
高笑いをする正道さん。
弥生ちゃんは固まっている。無理もない。自分が幽閉されていた理由も、そして水葉さんがそれを取り払おうと全てを消し去った事の理由も明らかになった。それはこんな幻影としての形だったけれど。
『お前に私の邪魔はさせはしないっ! 人形であるお前が弥生などを気に掛ける必要はない』
『‥‥名を‥‥全てを無くしてしまったオレに名をくれたんです‥‥』
水葉さんが正道さんに笑みを向けた。それは心からの笑みに見えた。
『人形遊びに過ぎぬと言っただろう』
『もしそうだとしても‥‥使い潰しで終わる人形の自分に名をくれたんです‥‥』
『馬鹿馬鹿しい』
それが正道さんの最期の言葉になった。
勝った水葉さんは笑顔を浮かべては居たけれど、それは泣いているようにも見えて。
「水葉っ! 人形遊びなんかじゃなくって‥‥大切なの。水葉が‥‥とっても‥‥」
その幻影に駆け寄ろうとする弥生ちゃんを私は必死に止めた。
あれは過去の水葉さん。今の水葉さんはこの先にきっと居るから、と弥生ちゃんを前へと進ませる。
道の先には小さな光が見えていた。私たちはそれを目指して歩いていく。
そして光に辿り着き、私たちはその光に包まれた。
急激に明るくなって目がついていかない。
その光は空から舞い落ちる雪のように降ってくる小さな光だった。
深々と降る雪のように、光はその世界に降り積もり輝いている。
その真ん中に、ポツンと佇む影。
「水葉っ!」
弥生ちゃんが声を上げて水葉さんに駆け寄った。
水葉さんは手をそっと差し出し降ってくる光を掴もうとしているように見えた。弥生ちゃんの声を聞いて水葉さんは目を見開いた。
「此処まで来たわよ。もう逃がさないんだから」
「‥‥‥早く、戻ってください」
「何言ってるのよ。水葉も一緒じゃなければ戻らない」
「駄目ですっ!」
鋭い声。
弥生ちゃんは、びくっ、と身を震わせた。
「すみません‥‥でも時間がないんです。だから‥‥」
「いやよ。水葉の口から全てを聞くと決めたんだから」
「水葉さん‥‥私も同じ気持ちです。一年前のあの日から、私たちを繋ぐ何かがあります。弥生ちゃんは水葉さんをずっと探していました。それとさっき‥‥幻影を見ました。一年前のあの日の事」
私が声を掛けると水葉さんは小さく笑った。なんだもう知ってるのか、と。
「ここは宗家がずっと隠していた秘密の場所。冥道と呼ばれる洞窟で、『全て』に繋がってる禁忌の洞窟。一年に一度だけ中に入る事が出来る。そしてその門に人間が閉じこめられると、名前と共に『人間としての全て』が剥奪される」
「それが水葉だって言うの?」
「そう‥‥当主も言っていたでしょう」
笑っているけれど泣いているよう。なんでこんなにも哀しい笑顔を見せるのだろう。
「全てを失う事の代償に神域すら凌駕する『力』を手に入れる事が出来るんです、此処は。でも当主はそれ以上の事を願った。それだけは許せないと思ったんです。全てを無くし心さえも無くしたオレがたったそれだけを許せないと思ったんです」
これで全部話しました、と水葉は縋る弥生を、とん、と突き放す。
「水葉っ! 私と一緒に‥‥」
「時間がありません。門から力を与えられた者は命の時間すら自由にならない。此処はもう必要ない。門を決壊します」
「駄目っ! 水葉の嘘つき! 冬華さんに約束したんでしょ。お店に食べに行くって。水葉が一緒じゃなきゃ‥‥私まで嘘つきになっちゃう。水葉と一緒に食べに行くって約束したんだから‥‥」
確かにそんな約束をしたけれど。
気丈にも弥生ちゃんは涙をこらえてじっと水葉さんを見つめていた。
水葉さんも弥生ちゃんを見て目をそらさない。
互いにとても大切な存在だと思っていたのだからこれで終わって良いはずがない。
水葉さんは自分の事を心のない人形だと言うけれど‥‥弥生ちゃんを助けたいと願い守ったのは大切な存在だと思ったから。それは心があるという事なのではないかしら。人間の証だと私は思う。
だから私は言葉を無くしてただ見つめ合うだけの二人に告げる。
「水葉さん、心がないなんて嘘だと思います。弥生ちゃんから名前というものを貰って嬉しかったんじゃないですか? 水葉さんにとってそれがとても大切なもので、それをくれた人を大切に思っていたからこそ弥生ちゃんを最後まで助けようと思った。そうではありませんか? 弥生ちゃんも水葉さんに初めて貰った雪が嬉しかったと。触れた手が温かくて嬉しかったと。その温かさが嬉しくて水葉さんに名前をあげたと言っていました。きっと水葉さんは心の形など知らなくても、心を初めから持っていたんだと思います。だって、弥生ちゃんの心に触れる事が出来たんですから」
「そうよ。ずっと‥‥ずっとあの時から水葉のことが好きだったんだから」
そうでなかったらこんな処まで探しに来ない、と弥生ちゃんは水葉さんに抱きついた。
弥生ちゃんを受け止める水葉さんは、呆然と弥生ちゃんを眺めている。
それから水葉さんは初めて心の底から幸せそうな笑みを浮かべたように見えた。
「ありがとう。オレも‥‥これが想いと呼べるのなら‥‥ずっと好きでした」
そう呟いた水葉さんの言葉が合図になったかのように、降り積もった光がばっと上へと舞い上がった。
そして遠くに見えていた門がゆっくりと消え始め、目の前に立っていた水葉さんが崩れ落ちた。
「水葉っ!」
倒れた水葉さんを弥生ちゃんは抱きかかえる。
「駄目、時間がないって‥‥ねぇ、待ってよ。水葉、目を開けて」
足りなさすぎるよ、と弥生ちゃんは水葉さんの胸で泣きじゃくった。
水葉さんは弥生ちゃんの腕の中で自分の時を止めてしまった。静かにそして安らかな表情をしていた。今までで一番の笑顔。
雪が降る。
空から季節はずれの雪が。
ふわりふわりと舞い降りては水葉さんの上に、そして弥生ちゃんの上に。
そして私の上に。
水葉さんと初めて会った日も季節はずれの雪が降っていた。
雪が繋ぐ想いの絆。
「弥生ちゃん‥‥」
門が消えかかっている。脱出しなければならない。
もしかしたら正吾さんはこの結末を知っていたのかもしれない。
だから弥生ちゃんに一人では行くなと言ったのかもしれない。此処にとどまらないようにするために。
首を左右に振って水葉さんを離さない弥生ちゃん。
でもまるで降る雪と引き換えかのように、雪が積もり始めると水葉さんの身体はゆっくりと消え始めた。
「水葉‥‥行かないでよ‥‥こんなの哀しすぎる‥‥」
完全に消えてしまった水葉さんの欠片を拾うように手を伸ばす弥生ちゃんを私は見ていられなかった。
「弥生ちゃん」
ぎゅっ、と弥生ちゃんを抱き寄せた。
弥生ちゃんは激しく泣いた。声が枯れるほどに泣いて泣きじゃくった。
泣きやむなんてことは無かったけれど、私は弥生ちゃんを連れて出口を目指した。
そして本当にあと少しで門が消えてしまうという所で私と弥生ちゃんは冥道から脱出する。
外は一面真っ白な世界が広がっていた。
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雪が降り積もって新しい世界を作り出す。
まるでこれから新しい道を歩いて行けと言わんばかりの足跡一つ無い世界。
踏み出したそこが道になる世界。
弥生ちゃんの世界は一年前のあの日と同じように真っ白になってしまった。
雪は止む様子もない。
けれど、弥生ちゃんは泣きやんでいた。
広がる銀世界を見つめ、弥生ちゃんはあの日と同じように決意したようだ。
弥生ちゃんは真っ白な世界に一歩を踏み出す。
「冬華さん‥‥私、退魔になる」
「え?」
呪術耐性を持っている弥生ちゃんならばそれも可能だと思う。
けれどいきなりどうしたというのだろう。
「水葉みたいな人を出しちゃいけないの。今度は私が守る番なの。水葉が私をあの牢から助けてくれた。守ってくれた。だから私が今度は守るの。水葉のような人達がこの世界に居なくなるように。哀しい命を作らないために」
「弥生ちゃん‥‥」
「私絶対になってみせるから」
「はい」
私は心からの笑顔を浮かべた。
弥生ちゃんに祝福を。
私は雪を見るたびに思い出すだろう。
たくさんの雪にまつわる思い出と共に。
この力強く足を踏み出した弥生ちゃんの事をことを。
大切な人の腕の中で雪となって消えた水葉さんの事を。
「約束守れなくなっちゃったけど‥‥私だけでも遊びに行って良い? ボノム・ド・ネージュに」
弥生ちゃんが言った一言に私は頷く。
「もちろん。弥生ちゃんは私と友達なのにお店に遊びに来てはくれないんですか?」
悪戯な笑みを浮かべて告げると、弥生ちゃんは漸く笑みを浮かべてくれた。
「邪魔って言われる位に通っちゃうから」
そんな弥生ちゃんの笑顔を胸に大切にしまい込んで。
私は静かに降り積もる雪を眺めていた。
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