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■紫苑が咲いた日■
小さな、可愛らしいとも思える「殺気」を感じて、「彼」はふと、夜の帰り道を歩いていた足を止めた。
いや───殺気なんてもんじゃない。こいつは「殺気」にも満たない、ただの威嚇だ。
ちらりと横を見ると、野良猫が、フーッと毛を逆立てて「彼」を威嚇している。後ろには、生まれたばかりなのだろう、この寒空に小猫が何匹か居た。
「あ」
「彼」は、それまで踏んでいたと気付かずに、地面に落ちていた魚の骨から靴をどけた。
「悪い悪い」
そして猫達に背中を向けると、威嚇の声は消えたが、まだ「その」気配は消さない。
「彼」には、一般人はおよそ気付かない、そんなことを「感じる」のが当然のものとなっている。研ぎ澄まされすぎているから、他の、一般に言う「人間的感情」に欠けているところがあるのかもしれない。
だから、エサを買ってきてやろうなんて考えも浮かばなかったし、黙って「彼」はその場を去った。
「ひどいじゃない」
この女のこの台詞も、何度聞いただろう。訓練上のつきあいとはいえ、「彼」はあまり、この女が好きではなかった。
好きではない、というのも違う気がする。ハッキリ言ってしまえば、興味がない。
元から、人間関係すらも全て仕事をする上での、単なる必要事項と教わっていた。
そう、それが例え相手が男であれ女であれ、何らかの関係を持ち、肉体関係にまで及ぶ相手だとしても、それは「訓練」での「必要なこと」だから付き合っている、それだけに過ぎない。
感情というものが沸かないのだ、そもそも快、不快以外の感情が。
だが、この女とはもう少し付き合っておかなければならない。
先程から銃を向けられているのにも、もう慣れたと言わんばかりの態度の「彼」に、女はまた、文句を言おうと唇を開く。
「彼」は何もいわずただ、その唇を塞いだ。
「っ…………」
どん、と力なく胸を叩かれたが、手首を抑えると静かになった。
───こんなものだ。人間なんて。
どんな関係でも、結ぶために感情など必要はない。
まだ眠っている女の隣から滑るようにベッドから降り、「彼」は手慣れたように服を着ると、朝食を取るために外に出た。「彼」の出す物音の殆どが、人の鼓膜に届くか届かないか、と言って良かった。
ただ、会話するための声と銃声とを抜かしては。
朝食ついでに人殺し、なんていうのも前にやったな、とパンをかじりながら思い出す。
無論、人前で人殺しなんぞしたら仕事がやりにくくなるから、そんな馬鹿なことはしなかったが。
「───?」
微かに鼓膜に届いた「音」に、食後の煙草に火を点けようとしていた「彼」は代金を払って店を出た。
確かに、自分が今さっき出てきた、女のアパートからその「音」がした。
辿り着いた「彼」の視界に入ってきたのは、半壊したアパートだった。消防車が唸り声を上げて到着し、消防隊員達がテキパキとした動作で消防作業をする。
「あ、あなた無事だったの」
声をかけられ、「彼」が振り向くと、右隣の部屋の主婦だった。
「なんでもねえ、あなたの左隣のお部屋の住人、ほら、暗そうな男の人いたじゃない。あの人、放火犯であちこちに火をつけていてね、警察に捕まりそうになったからガスを部屋に充満させておいて、火をつけて───これよ」
あなたのところの彼女は逃げ遅れたみたいだわ、と、涙脆い主婦は泣いていた。
そうか。
あの女は死んだのか。
特に喪失感も不快感もない。ただ、もう少し付き合ってもらわなきゃならなかったのにな、と心の中で小さく呟いた。
カツンと、誰もいなくなった夜のビル、その地下に「彼」の靴音がいやに響き渡る。
俺の仕事は夜が多いな───当たり前のことだろうが、と、「彼」は改めて思う。
靴音を消さないで移動したのは、既に事を終えたいたからだ。
「彼」には、殺しの全てを仕込まれている「相手」がいた。
最後の仕上げにその「相手」が「彼」に課題としたのは、その「相手」自身を殺す事、だった。
ただし、死ぬまでに10分程の会話が出来るように、との難しい注文付だったのだが───「彼」は難なくこなしてしまった。
目の前の、血を流している「殺しの育て親」を、「彼」は見下ろす。僅かに、上のほうについた窓から月の光が射し込んできていた。
「私を殺す感想は?」
今から死ぬと分かっているのに、その瞳は試験官のように厳しく、「彼」を見上げている。
「彼」はさらりと言った。
「注文どおりに殺れた、かな」
正直、感想というようなものはなかった。先述したとおり、彼の認識において人間関係に感情というものは必要としないからだ。
ふっと、試験官のような瞳が優しくなったような気がした。いや、「彼」に分からなかっただけで、優しさではなく、他の何かだったのかもしれない。
「では、名を……」
時間が、過ぎていく。命のタイムリミットまで、後数分。「彼」は銃をしまい、
「もうあるじゃねぇか」
と、ポケットに片手を入れた。日常会話でもするかのように。だが、相手はゆっくりかぶりを振る。
「それは仮の名だ。
私の後継である証として、姓を眞宮、名は……」
少し考え、「相手」は、「紫苑」と、言った。
「彼」は少し首を傾け、
「意味あるのか」
と、尋ねる。
「勿論」
───あと、3〜40秒。
「眞宮のブランドは旧くて信用度も高い……名は、……お前に……」
すうっと、息が途切れた。
「彼」───たった今新しい名を得た「眞宮・紫苑」は、じっと「相手」をまた見下ろす。
事切れたその顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
「眞宮紫苑、か」
紫苑はそして、地上より下から、天上の月を窓越しに見上げた。
シュッと風を切って飛んできたツリーの飾りつけを、紫苑は器用に避ける。
最近借りたマンションの一室で、顔見知りの者達が集まって大きなツリーの飾りつけをしていた。
お前ももっと働け、とか喚く鳩のような人間のような生き物の言葉に、内心うぜえなと思いつつ、シャンパンやワインの調達はいつにしようかと、思案する。
今、紫苑は昔と違い、少し感情というものを出してきている。確かに、その実感はある。それは、彼に今まで拘わってきてくれた、大事な者達の協力もあるのだろう。
このマンションで名前のことが出たものだから、つい過去の回想に耽っていた。
買ってくる酒の種類をメモに書きとめながら、自分に今のこの名前をつけた「奴」の最期の表情を思い出す。
「……絶対に、嫌味でつけたに違いない」
ぽつり、呟いた紫苑の声を、聞き取った者はいるだろうか。
紫苑。
その名が、いつか自分も愛おしく感じる日が来るのだろうか。
今はそんなことを考えてもまだ、背筋がぞわっとするが───とりあえず、暫くは「奴」を恨んで過ごすことになるだろう。
ふと窓の外、朝日の昇る方角を見る。
いい天気になりそうだな、と思う自分に、俺もめっきり平和になった、と誰にともなく苦笑する紫苑だった。
《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、いつも有り難うございますv 今回「紫苑が咲いた日」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
ひねりがあまりないタイトルですみません; 紫苑さんが、なんとなく生まれ変わる日がいつかあっただろうな、なくてもこれからあればいいな、と思いながらつけたタイトルです。紫苑、という名前がつけられる前から、のっけから回想として書いてみましたが───やはり、何度も「彼」と書いてみるとくどいようなそうでないような(爆)。因みに「最期に殺した相手」が性別は多分男性と思われるのですが、女性なのかもしれない可能性を考え、謎のままにしてあります(いえ、どう考えても男性とは思うのですが(笑))。
ともあれ、改めて紫苑さんの過去が知ることも出来、ライターとしてはとても楽しんで書かせて頂きました。本当に有り難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2004/12/15 Makito Touko
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