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<東京怪談・PCゲームノベル>


デンジャラス・パークへようこそ 〜天使と女神の湯けむり紀行〜

 それは、雪のちらつく日の、冷え込みの厳しい朝のこと。
 弁財天宮1階のカウンター奥にありったけのスツールを並べ、弁天はその上に寝そべっていた。
 右手には愛読書であるところの若い女性向けファッション誌、左手には吉祥寺限定のチョコレートケーキ『風のことづて』を乗せた皿を持っている。
「わらわは日々の激務に疲れた」
「はぁ?」
「のんびりと温泉にでも行きたいものじゃ。いつぞやの蓬莱館も悪くはなかったが、もっとこう、怪しげではない老舗旅館がいいのう。露天風呂から雪景色を眺めつつ、冷酒をきゅっと」
「そんな予算がどこにあるんですか! どうでもいいですが、よくその体勢で器用にケーキを召し上がれますね」
 カウンター上に置いたノートパソコンに、山と積まれた領収証の金額――全部、弁天がデパートめぐりで散財したものである――を入力しながら、蛇之助はこめかみを押さえた。
 彼の方こそ激務続きで、最近は休む暇もない。仕事の合間を見て恋人と外出したくとも、それさえもままならないのだ。
 ただでさえ、人気講師の彼女は忙しい。出張が入ったり特別講義の企画が立ち上がったりしてなかなか予定が合わせられず、このところすれ違ってばかりいる。
(しえるさん……)
 そこはかとない不安が心をよぎる。ふと入力の手を止め、ため息をつきかけ――
「ちょっと何よこの領収証! 弁天さま買い物しすぎ。もっと考えなさいよ、神サマは衣装代を経費で落とすわけにはいかないんだから」
「え? し、しえるさん?」
 良く通る美しい声と、領収証の一枚をつまみ上げた白い指先の持ち主に、蛇之助は目を見張った。
 いつの間にか、嘉神しえるが弁財天宮を訪れていたのである。
「大きなお世話じゃ。何用で来おったかは知らぬが、蛇之助なら貸さぬぞ」
 ファッション誌を閉じて、弁天はむくっと起きあがった。ちなみにチョコレートケーキの皿は抱えたままだ。
「相変わらずねえ、弁天さまは。……久しぶりね、蛇之助」
「は、はい。あの、今日はお休みですか?」
「そ。命がけで取った3日間の休日。折角だからデートに出かけたいところなんだけど、今日は別件で来たのよね」
 カウンターに手をつき、しえるは弁天に向かって身を乗り出した。
「ねえ、弁天さま。私と温泉旅行に行かない?」
「……今、何と言った?」
「箱根の純和風老舗旅館2泊3日温泉の旅よ。妹と行く予定だったんだけど、急に姪っ子が熱出しちゃって」

 ころっと態度を変えた弁天は、チョコレートケーキをしえるの前に置き、蛇之助をせかして紅茶を入れさせた。
「そういえばしえるの双子の妹御は既婚者であったのう。姪御どのは大事ないのかえ?」
「小さい子の発熱はよくあることだからって、妹は言うの。でもさすがに家を空けるわけには行かないじゃない? だから、弁天さまピンチヒッター」
「うむうむ」
「各種露天風呂に、夕食は豪華会席料理。箱根の地酒も飲み放題♪」
「あいわかった! すぐに出かけようぞ。今日のしえるは美しいのう!」
「……あのう」
 紅茶を注ぎ足しながら、蛇之助はおずおずと聞く。
「それは、その、弁天さまでなくてはいけないんですか?」
「うーん。なぜか真っ先に弁天さまが思い浮かんだのよ。弁天さまとはいっつも喧嘩してるし、仲の良い女友達は他にたくさんいるのに、変ね」
「……いえ……そうではなくて、たとえば、わ、私がピンチヒッターというわけには……?」
「馬鹿者っ!」
 速攻で用意した大荷物入りのボストンバッグが、蛇之助の後頭部に飛んでくる。
「この至高の天使に何という失礼なことを言うのじゃ! 男女ふたりが泊まりで温泉など、不埒にも程があるっ」
 理由はいつもと逆でも、蛇之助の受難は同じである。後頭部へのあまりの衝撃に、床にしゃがみ込んでしまった恋人を介抱しながら、しえるはくすっと笑った。
「……ちゃんとお土産買ってくるから。ごめんね。蛇之助を誘うわけにはいかないのよ」
「どうしてですか?」
「だって、レディースプランなんだもの」

  ☆  ☆

「じゃあねー♪ 弁天さま借りるわよー」
 がっくりと肩を落とした蛇之助に見送られ、しえると弁天は連れだって小田急新宿駅からロマンスカーに乗った。
 箱根湯本から箱根登山鉄道線に乗り換える。強羅駅で降りれば、一万坪の敷地を持つ老舗旅館までの距離はわずかであった。数寄屋造りの本館にも、広大な庭にも、うっすらと雪が積もっている。
「ほほう。いい宿ではないか。優雅で由緒正しげな建物に加えて、周辺環境も素晴らしい」
「でしょ。旧宮家の跡地ですって」
 しえると弁天が案内されたのは、庭付き露天岩風呂付きの客室であった。季節感溢れる和菓子と抹茶を運んできた部屋係は、丁重な物腰で館内設備の説明をすると、余計なお喋りは一切せずに部屋を辞した。
「従業員の対応も好もしいのう。構われすぎるのが苦手なお客も多いであろうから、つかず離れずの接客は有り難いぞえ」
「それにね、こう見えてあまり堅苦しくないのよ。大浴場の隣のスペースには、昔懐かしい卓球台がずらっと置いてあるし」
「卓球台とな」
「そうよ。温泉と言えば卓球でしょう。後で行きましょうね」
「うむ。しかしその前に露天風呂じゃ! 雪が降っている間に入らぬと、雪見酒が出来ぬではないか」
「じゃあ、早く浴衣に着替えましょ……あら、さすがに浴衣のデザインと品揃えだけは蓬莱館の勝ちね」
「普通はこうであろう。蓬莱館が特殊過ぎるのじゃ」
 浴衣姿になったふたりは、さっそくフロントに電話をした。
 箱根の地酒を含めた日本各地の銘酒を、一升瓶で数本持ってくるように。古備前蕪徳利に盃をふたつ添えて――そんな無茶な注文にも、驚くでもたしなめるでもなく、「かしこまりました」との返答のもと、速やかに雪見酒セットは届けられたのである。
 肴として、旅館特製の『いかの糀入り塩辛』までもがサービスされたのは、さすがの心意気と言えよう。

「……それでじゃ、放浪の半生を送った野口雨情は、ようやく吉祥寺に居を構えての。今の住所でいえば吉祥寺北町一丁目あたり、確か大正13年のことであった」
「あのねー。私が聞きたいのは弁天さまの昔のロマンスであって、野口雨情の一生じゃないのよ。そんなの知りたきゃ本かネットで調べるわよ」
 露天岩風呂につかり、お互いに盃を持って、しえると弁天の宴会は始まっていた。まだ雪は止まず、湯ぶねを囲む岩は白い。
 ときおり、盃の中に落ちては溶けるひとひらを気にもせず、女同士のお喋りが続く。
「あ、でも何、実は恋愛っぽい交流があったわけ?」
「いいや。面白そうな男じゃったから、折に触れ遠巻きに観察しておっただけじゃ」
「……そう。つまり、異界の殿方チェックをするようなスタンスだったのね」
「酒好きの、愉快な人柄であったぞ。酔っぱらったら腰に手を当てて『兎のダンス』を踊っておった」
「弁天さまって面食いの割には、『くせのある』男性に興味持つのよねー」
 
  ☆  ☆

 雪が止んだのをきっかけに露天風呂を上がったときには、一升瓶は全部、空になっていた。
 当然ながら、しえるも弁天も平然としている。……というより、飲み足りない風情である。
「追加注文するかえ? 雪見酒の後は、月見酒と暁見酒が控えているであろ?」
 フロントに電話しようとした弁天を、しえるが止める。
「待って。ここに常備してあるのって高級酒ばかりなんだから、予算オーバーですごいことになるわよ」
「どうすれば良いのじゃ?」
「別館のラウンジで、誰かにおごってもらいましょ♪ 弁天さまの魅力なら簡単よね?」
「……しえる。おぬしもワルよのう」
「弁天さまほどじゃないけど」

 ――そして30分後。
 弁天は、ラウンジのカウンターでひとり静かに飲んでいた紳士をうまいこと騙くらか……もとい、宜しかったらご一緒に飲みませんかと声を掛け、しえるの待つソファまで連れて行った。
「そうですか。おふたりとも聖ベルナデット女子短大の卒業生でいらっしゃる。いかにもそんな感じですな。あの学校は上品で清楚なお嬢さんばかりと聞いてますから」
 お見合いパーティーのサクラのバイトをしたときに、しえるが作った偽プロフィールを弁天はまた使用した。本当に上品で清楚なお嬢さんは、温泉旅館で見知らぬ男性をナンパはしまい、という矛盾を紳士はスルーし、しえると弁天を交互に見ては上機嫌である。
「それにしてもこんな綺麗なお嬢さんだと、親御さんはご心配のあまり、いろいろと厳しいんじゃないかね?」
「ええ。嫁入り前の娘が泊まりの旅行などけしからん、ってお父さまに叱られたんですが、私、どうしても仲良しの嘉神さんと過ごしたくって。……嘉神さん、お父さまを説得してくれてありがとう」
「いやだわ井の頭さんたら。私たち、大親友じゃないの。あれくらい当然よ」
 ――もし蛇之助がこの場にいたら、青ざめて失神して気がついて、改めてもう一度失神しそうなやりとりをふたりは繰り広げ、その卓抜した演技力により、紳士に勘定を負担してもらうことに成功した。
 しえると弁天のお嬢さんらしらぬ酒量に、やがて紳士の額に汗がにじんできたが、そこはそれ――旅先で美人に声を掛けられたらまず疑えという教訓が身に染みたであろう。
 授業料とは常に、高いものなのである。

  ☆  ☆

 酔いつぶれてソファに倒れ込んだ紳士は、どこからともなく現れた部屋係がてきぱきと介抱し、運んでいってくれた。この旅館の従業員は普通の人間のはずなのに、臨機応変な心配りはエスパー並みである。
 頃合いを見て、ふたりは大浴場の方向へ移動した。女湯の入口の前を通り抜け、隣の広いスペースに向かう。
 言わずと知れた、温泉卓球をするためである。
「さあ、弁天さま。勝負しましょ♪ いっとくけど、私、強いわよ?」
 ラケットを持ち、しえるは身構える。
「何の! おぬしに負けてたまるか。わらわは勝利の女神なのじゃ!」
「……そんな属性、あったかしら?」

 すぱーん。すぱぱーん。すぱこーん!

 いきなり始まった激しいラリーに、何事かと人だかりが出来た。
 素人離れした応酬に、きっと日本代表選手に違いない、いや、あんな選手見たことないぞ、と囁き合う声が交差する。
「なかなか、やるじゃない」
「おぬしこそ、ミスをせぬのう――これでどうじゃ、台上深目の落点ゾーン!」
「そんなの返せるわよ! 同じく、落点ゾーンのサイド縁!」
「ええい、これしき!」

 点を取ったり取られたりを繰り返すうち、ギャラリーはしえる側と弁天側の二手に分かれた。
 それぞれ、飲み物を持ってきたりタオルを差し出したり、「頑張ってください」「応援してます」と声援を送ったり、よくわからない様相を呈してきた。

(弁天さまだと気兼ねしなくて良いから、思い切り楽しめるわね。一緒に来て正解……だったかしら?)
 手渡されたタオルで額を押さえながら、しえるは笑顔になる。
「弁天さまー! どうもアリガトー!」
「何じゃそれは。手加減はせぬぞ!」
 好敵手へのエールのような、はたまた戦友に寄せる信頼のような感情が、弁天に伝わったかどうか。
(これで蛇之助のお土産を買うのにつき合ってくれたら、言うことないんだけど)
 それはちょっと難しそうねと、ラケットを握り直すしえるに、容赦のないスマッシュサーブがサイドを狙って打ち込まれた。
 
 波瀾万丈の温泉旅行はまだ、一日目。
 天使と女神の湯けむり道中は、始まったばかりである。
  

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】

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■         ライター通信          ■
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あけましておめでとうございます。神無月です。
お忙しいところ、わざわざご来園くださいまして、まことにありがとうございます。
不束なNPC連中ではございますが、本年もおつきあいくだされば幸いでございます(深々)。

しえるさまにはいつもお世話になっております。この度は弁天をご指名いただくという変化球が憎いかぎりです。
それにしても、雪見酒にタカリ酒に温泉卓球でやっと一日目。二日目は何をしましょうか(笑)。