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<東京怪談・PCゲームノベル>


 気がつけば、異世界

 <1>
 忙しい。
 ……と、言うヒマもない。
 忙しかったり、ヒマだったりと客商売は変動があってしかるべきだから、いまさらそれについて嘆くつもりはない。ぼやくつもりもない。そんな時間があるならば、届いたばかりの荷物を倉庫へ運ぶというものだ。
 今、ここにいるものは自分ひとり。自分がやらなければ荷物はいつまでたってもそこにある。誰かが運んでくれるわけもなく、荷物が勝手に倉庫へ歩いてくれることもない。
「あー……」
 鰍は淡い緑色の瞳を細め、恨めしそうに荷物を見つめる。常に沈着にして冷静に状況を受け入れ、対処していく鰍だが、それにも限界がある。
 ああ、今、この手にしている伝票の束を破り、大声をあげて笑いながらばら撒いたらどんなに気分が良いだろう……などという妄想をするようになったらおしまいだ。
 悪いことは言わない、少し休もうな、自分。
 鰍は大きく息をつくと手にしていた伝票をそっと机の上に置いた。手と身体を休め、瞼を閉じて何度か深い呼吸をする。
「ん……?」
 少し、落ちついてきた。瞼を開けると何かが目の端で揺れた。なんだろうと視線をやると、それが羽虫などではなく、蛍のような小さな淡い光であることがわかった。
「?」
 最初はひとつだったそれは次第に数を増して行く。ぽわりと浮かぶそれは綺麗ではあるものの、やはり得体は知れない。狙いをつけ、さっと手のひらに掴んでみる。暖かくも冷たくもなく、確かに掴んだはずなのに質感を感じなかった。開いた手のひらには何もなかった。いよいよ怪訝に思っていると淡い光は強い光へと変わり、その眩しさに一瞬、瞼を閉じる。
「……」
 光が消えたあと、ゆっくりと瞼を開く。そこは慣れ親しんだ店内ではなく、見知らぬ建物のなか。冷厳な空気が漂うそこには、自分を取り囲むように十数人の人間がいる。その顔はどこか知っているような、知らないような……。
 それは、いいとして(本当はよくないが)。
 自分は『夢飾』の店内で仕事の真っ最中だったはず。それなのに、一瞬にして見知らぬ建物のなかにいる。
「……えーと、あんたらがイラッシャイマセというより、自分がイラッシャイマセという感じやな」
 そんなことをぼやいた鰍の前へ、集団のなかからひとりの男が進み出た。どこか清廉な印象を与える礼服を身に着けているから、神聖な職についているものなのかもしれない。その男はどこか怪訝そうな鰍の視線を受けとめ、小さく息をついた。
 そして。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救ってくださいませ」
 恭しく、しかし、はっきりとした口調でそう言った。
  ◇  ◇  ◇
「伝説の……勇者……?」
 聞き慣れぬ単語を聞いた。鰍は難しい表情で腕をくみ、小首を傾げる。そして、男が口にしたなかで、最も気になる言葉を繰り返した。
「はい。我々はこの世界を救うことができる勇者を異世界より召喚する儀式を行いました。大成功です」
 いや、よかった、本当に……と男はにこやかに答え、続けた。
「そして、あなたがその勇者さまというわけなのです」
「……自分が?」
 鰍は驚くが、自分が勇者云々というよりも、他の言葉が気になった。男は確かに言ったはずだ。異世界より召喚する儀式を行いました、と。それが確かであるならば、ここは異世界ということになる。鰍は相変わらずの難しい表情で男を見つめるが、男は動じた様子もなく頷いた。
「そう自信たっぷりに頷かんと……けど、そやな……」
 鰍は腕をくみながら考える。あからさま怪しげな妙な光がぽわんぽわん浮かんでいたし、光が強まった瞬間、周囲の光景が変わったから、言っていることに頷けなくもない。その言葉どおりと受け取ってもいいのではないだろうか……と考えたところで、鰍は妙に冷静に状況を分析、受け入れてしまったが、もう少し自分は慌ててもいいのではないだろうかとはっと気づく。しかし、男は納得している鰍に満足しているようで、やたらとさらりと場を流し、反論の隙を与える間もなく言った。
「では、詳しいおはなしは召喚の間ではなく、円卓の間でさせていただきますので」
 ついて来てくださいと男は部屋をあとにする。こうなってはなるようにしかならないし、状況把握のためにも素直に話を聞いた方がいいだろうと鰍は素直に男のあとに続く。荘厳な印象を与える回廊を歩き、やがてある扉の前までやってきた。
「こちらです、どうぞ」
 通された部屋には円卓があり、そこには見覚えのある顔ぶれも着席していた。アンティークショップの女主人である蓮をはじめとして、草間興信所の草間、そして、零、アトラスの碇や三下、雫の姿もある。ただ、その服装は現代でならば演劇か仮装を名目にしていなければ身に着けないような中世時代を思わせるものだった。草間や三下、碇は鎧を身に着けているし、雫や蓮は魔法使いを思わせるようなローブを羽織っている。総じて洋風であり、和風ではない。
「おや、まあ、本当に……なるほど、儀式は成功したようだ。とりあえず、自己紹介はしておくとしようかね。あたしらはあんたを知っていても、あんたはあたしらを知らないだろうから。占い師のレンだよ」
 というレンの挨拶をかわきりに次々と挨拶をされてわかったことは、どうやら服装や職業は違うものの、雰囲気的には自分がもとにいた世界の彼らと同じであるということだった。召喚された世界に自分の知っている顔があるというのは、なんとも奇妙な気分で、実はみんなして自分を騙しているのではないだろうかなどと疑ってしまう。鰍はなんともいえない表情で草間をはじめとする知っている、しかし、知らない面々を見やった。
「さて、それじゃあ、あたしから説明させてもらおうかね。この神殿の奥には強大な力を秘めた水晶が安置されていてね、その強大な魔力と聖なる輝きで魔物の活動を抑制していたのさ。ところが、それをある魔道士に奪われちまってね……」
 そう言ってレンはちらりとサンシタに視線をやる。白銀の胸鎧を装備したサンシタは見習い騎士であり、自己紹介によるとミノシタであるらしいが、この世界でもやはりサンシタと呼ばれ、それが定着してしまっているらしい。レンの口ぶり、態度からすると奪われた原因はサンシタにあるようだ。
「ぼ、僕だって、その……」
 頑張りました……という言葉はもごもごと小さくなっていき、最後には消えた。
「襲撃にあったとき、さっさと気絶したのはどこの誰だったかしら。まったく、不甲斐ないわ……」
 そう言ったのはレイカだった。この世界での碇は、やはり三下の上司であるらしい。自己紹介によれば、女性ながらアトラス聖騎士団の団長を務めているということだ。
「ここにいる僕です……」
 しゅん。サンシタは俯き、それ以上の反論はしなかった。まあ、口にしたところでさらにへこまされるのがオチだろうなと思いながら鰍は気になっているところを訊ねた。
「それで、勇者って結局のところ何をするん? 早いとこ、店に……って、店に誰もおらんとちゃう?!」
 不意にはっと気づく。今、この時間帯、店には誰もいないのでは?!
「はぁ。そうですか、勇者さまも店を……では、早いところ事情をご説明して旅立ってもらった方がよさそうですね」
「このままもとの世界に戻してくれても……」
 自分としては一向に構わないんですが……などという鰍の遠慮気味な発言は自動的に聞かなかったことにされた。
「魔道士に奪われました水晶を取り戻し、神殿の台座に戻していただきたいのです。そうすることで、魔物の力は弱められ、勇者さまをもとにいた世界に戻すことも……ああ、大切なことを伝え忘れていましたね。実は、勇者さまをお呼びするために力を使い果たしてしまいまして……再び、異世界と異世界を繋ぐ扉を開くには、水晶の力が必要不可欠であり、平たく申し上げますと、水晶なくして勇者さまをもとの世界に送り返すことはできないというわけでして……」
「……了解や」
 自分がもとの世界、『夢飾』へ戻る手段とこの世界の平和はイコールで結ばれているようだ。ならば、やることは決まった。鰍は右手を額にあて、左手で場を制しながら、思考を切り替える。
「で、奪われた水晶はどこにあるん?」
 それとも、その情報を集めるところから始めるのだろうか。実のところ情報屋でもあるから、情報収集に関してはプロともいえる。それに関するノウハウは身につけているわけだが、この世界は自分が本来いるべき世界とは形態が違う。少なくとも、機械、いやネットというものはなさそうだ。そうなると……と鰍が考え始めると声がした。
「それに関しては俺が」
 タケヒコが軽く手をあげた。この世界での草間はクサマ戦士団と名乗る冒険者一行のリーダーであるということだ。傭兵でもあり、それなりに名の知れた戦士であるらしい。
「魔道士はとある場所に水晶を隠し、配下の魔物に守らせているという情報を手に入れた。石像がやたらと多い滅ぼされた学院都市、もしくは迷宮のように入りくんだもののけが住まう城、さもなくば眠りを妨げられた死者がさまよう王家墳墓……すまないな、どうにか三つまでは絞り込んだが、それ以上は無理だった」
 その言葉どおり、すまなそうな顔でタケヒコは言った。
「つまりは、三つの場所を巡ったら、間違いなく水晶に辿り着くというわけやな。そうやな……」
 水晶がある可能性の高そうな場所から足を運べばいいわけだ。鰍は顎に手を添え、水晶がありそうな場所について考える。
「なんとかと煙は高いところが好きやって言うやんか。人の迷惑になること好んでしてるんは、『なんとか』ぐらいのもんやし?」
 城に決定。それに、もののけは住んでいるらしいし、迷宮のように入りくんでいるらしいし、隠すにはまさに絶好の場所というように思える。
「勇者さま、目的地が決まったところで、その姿ではなんですから……こちらに武器と防具、それと旅に役立ちそうな道具をご用意させていただきました。どれでもお好きなものをお持ちください」
 男が示す場所にはとにかくいろいろ集めるだけ集めてみましたという具合に武器や防具が山積みになっている。そのとなりには薬瓶や古びた本といった道具がある。
「うーん……」
 現代においては骨董品であり、飾られることが主な目的となっている剣や楯、甲冑といった防具を一通り眺めながら自分に使えそうなものを考える。戦闘スタイルは自然と得意とする空手となるため、重装備ではその持ち味が生かせない。剣や槍は威力はありそうだが、その間合いには慣れていないので命中率が下がってしまいそうだ。
「なぁ、なんやこう……拳と蹴りが生かせそうな武器や防具ってないん?」
 鰍はそう言いながら軽く拳を突き出し、蹴りを繰り出してみせる。男はそれに対して妙に納得を示し、そばにいた女に何かを囁く。女は部屋を退出し、男は鰍にしばらくお待ちくださいと告げた。鰍は素直に待ち、その間に道具を選んでしまうことにした。迷宮のような場所を探索するのだから、やはりマッピングは必須だろう。羊皮紙とペンをまず選び、次に印もつけておきたいかなとチョークを選ぶ。もしかしたら、暗い場所もあるかもしれないしと松明を手に取り、それを点けるものも必要かも……と思ったところで動きが止まった。
「松明は自動着火やないやろ?」
「火ですか? それならば、こちらかこちらを。これらは、ほくち箱と呼ばれるものです。火を点けるための道具が入っています。こちらは通常品ですが、こちらは高級品、普段はなかなか手に入りません」
 そう言われ、ふたつの箱を手に取り、開けてみる。片方には石とワラのようなものが入っていた。もう片方には小さな枝の先に赤色の粉がつけられたものが入っていた。その形状は、所謂、マッチと酷似している。
「これ、どうやって使うん?」
 鰍はマッチに似ている方の箱を掲げた。石とワラの方は訊ねなくてもなんとなくわかる。あれは火打石に違いない。掲げている方もわからなくはなかったが、念のためだ。
「それは火の精霊石を砕いたものを枝の先端に点けたものです。中身を一本ほど取り出していただいて、側面のざらりとしたところで勢いよく擦りつけていただければ」
「……マッチやな」
 これも持って行くことにしよう。鰍は選んだものを背負い袋のなかへと入れていく。そうしているうちに部屋を退出した女が戻って来た。その手には黒い布がある。
「勇者さま、これをどうぞ。これは我が地方のシノビと呼ばれる者が好んで身につけている装束でございます。動きやすく、さらには丈夫、激しい動きにも耐えられます。それから、これは一見すると篭手のようなのですが、装着して大きく腕を振るうと……このように刃が飛び出し、固定されるパタと呼ばれる武器の一種です」
「シノビ……ニンジャかいな」
 苦笑いを浮かべそうになるが、それでも動きやすく丈夫であるというのなら、まさに自分が望むもの。鰍は黒い装束とパタを受け取った。早速、装備してみると案外としっくりきた。
「大きく腕を振ると……おお、出るやん。でもって、戦闘を終えたら……戻すっと。ん?」
 装備した武器の具合を確かめていると、何かが足元で動いた。視線をやるとそこには一抱えほどしかない小型の飛竜がいる。翼をばさばさと動かし、宙に浮いた飛竜は妙に人懐っこく、強引に鰍の腕へとおさまろうとする。
「なんや、こいつ? 生意気にもトカゲのクセに空を……」
 その言葉も終わらないうちに、飛竜は鰍に向かって口をぱかりと開けた。その口からゴォーっと炎を吐き出す。
「?! あ、危ないやっちゃなー……お約束で言うただけやん。ドラゴンなんやろ?」
「ああ、紹介が遅れておりました。その飛竜は勇者さまにつき従う守護聖獣と呼ばれるものです。足につけている環がその証でございます。数日前より、突如、この神殿に姿を現しまして」
 男が言うとおり、飛竜はその足に小さな腕輪のようなものをつけている。
「勇者を導くといわれていますので、是非、お連れください。それから、こちらから一名ほどお選びください。勇者さまの旅に同行し、補佐をさせていただきますので」
 本当ならば、一名などとケチなことは言わずに全員どうぞと言いたいのですが、町を魔物から守らなければならないので……と心苦しそうな顔で男は付け足した。
「勇者さまにはいろいろと苦労をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
 
 <2>
「では、行きましょう。勇者さまは私がお守りします……!」
 呼び出された神殿をあとにする。見送りはなく、そこにはこの世界での草間零、レイがいる。鰍が旅の補佐にと選んだためである。選んだ理由はやはり旅をするなら女の子と……というのは冗談で、各自の自己紹介を聞いたうえでの判断だ。レイは神官であり、防御と回復の魔法を得意としているということだった。攻撃は最大の防御というが、やはり、命も大事にしたい。
「そんなに気合いれなくていいんやで?」
 妙に気合が入っているレイに鰍はリラックス、リラックスと言わんばかりの笑みを向ける。その笑みは少しだけ苦笑いだ。
「兄さんから勇者さまをしっかりお守りするようにと言われました」
 そういえば旅立つ前にタケヒコからそんなことを言われている光景を見たような気がする。レイは真剣かつやる気な表情で頷いていたっけ……。
「まあ、そうかもしれへんけど……自分は前だけ見て行くつもりやから、後ろまで気がまわらん。せやから、後ろを頼むな?」
 この調子だと勇者さまをお守りするためにと自分を庇ってくるとも限らない。そこで鰍はそう言っておくことにした。
「後ろ?」
「そうや、後ろや。あんたに背中を預けるよってな」
「わかりました、勇者さまの背中をお守りします……!」
 本当に背中しか守ってくれなさそうで少しコワイ……鰍は乾いた笑いを浮かべつつ、街をあとにする。
 街の外には草原が広がっていた。遥か遠くまで続く草原のなかに通ったレンガの街道は、普段はそれなりに行き交う人も多いのだろう。敷き詰められたレンガは擦り減っている。だが、今はすれ違う者もいない。そんな街道を鰍とレイ、そして飛竜が行く。目的地の城までの道のりはレイが知っているということなので、全面的にそれに関しては任せ、自分は各地で暴れまくっているという魔物との遭遇に警戒をする。
「勇者さま、あれが目的地です」
 西へと向かううちに、やがて城が見えてきた。西洋風の城は美しくはあったが、どこかかたちがいびつに思える。景観のバランスが悪いとでもいおうか。どこかが、何かがおかしい。少なくとも、城の外壁に扉がいきなりあるのはおかしいと思う。窓ならわかるが。さり気なく建築途中の場所がいくつかあるように思えた。
「なんや案外と綺麗やな。もっと胡散臭い城や思うてたけど」
 断崖絶壁に位置し、曇り空と雷鳴を背にしたようなおどろおどろしい城を想像していたが、まるで違う。予想と違うなと思いつつも城の城門付近へと足を運ぶ。すると、そこにはホウキを手に掃除をしているメイド服の娘の姿があった。その顔はよくよく見るとあやかし荘の因幡恵美と同じである。この世界の恵美なのだろうと見た途端に納得をする。
「こんにちは、いらっしゃいませ。お泊りですか? ……あ、あなたは!」
 馬が近づいて来ることに気がつくと、恵美はその手を止め、にこやかに挨拶をしてきた。が、レイ、いや、自分を見た途端に顔色を変える。どちらを見て顔色を変えたのかは正直、わからない。
「えーと、もののけが住まう迷宮のようにいりくんだ城……?」
 城を指差しながら鰍は問うた。
「はい。もののけが住まうあやかしの城……あやかし城と人は呼びます」
 どうしてだろう、笑みを浮かべたくもないのに浮かべたくなるのはどうしてだろう。鰍は城を見あげ、恵美を見やる。
「あ、申し遅れましたが、私はこの城の管理人、メグミです。……」
「そんな見つめると穴があくで?」
 あまりにメグミがじーっと見つめてくるので、鰍は真顔でそう言った。メグミはきょとんとしたあとくすりと笑う。
「あ、いえ、あの……二名様ご案内ということでいいですか? では、金貨二枚をいただきます」
「ああ、金貨二枚な……って、金とんのかい!」
 こくりとメグミは頷いた。頷かれ、鰍は難しい顔をしてしまう。確か、もののけが住まい、さらには迷宮のごとくいりくんでいるはずなのだが……。さらに、もしかしたら水晶が隠されていて、魔道士の手下がいるかもしれないはずなわけだが……。
「はい。お部屋はいっぱいあるので長期も大歓迎ですよ。どこの部屋でも自由にご利用いただいて構いませんが、あまり奥に行かれるともののけが出ますので。好奇心にかられて城内の奥へ進み、そのまま行方不明になる人も多いですから、探索もほどほどに……」
「……宿屋?」
 鰍が問うとメグミはハイと頷いた。しかし、金貨など持ってはいない。困っているとレイが進み出て懐から袋を取り出す。そして、金貨を二枚ほど取りだし、メグミへと手渡した。
「ありがとうございます。二名様、ご案内です。お食事はお部屋へ運びませんから、食堂へ食べに来てくださいね。それから、何故かはわからないんですが、最近、もののけが妙に増えてしまって……行方不明になるお客様も以前より増えました。あまり奥の方へは行かない方がいいですよ」
「どういう宿屋なんや……」
 鰍はレイと飛竜と共にあやかしの城へと足を踏み入れる。木製の扉をくぐり、広がるホールは城にしてはやや質素な印象を受けるが、それでも綺麗に掃除がしてある。
「普通に城やな」
「くるるるぅ」
 飛竜はホールを見まわしたあと、喉を鳴らす。そして、とある方向へと勝手に飛び立つ。
「……なんや、勝手に……」
「勇者さま、守護聖獣は勇者を導くと伝えられています」
「そうやったな。素直に導かれてみよか」
 鰍は飛竜に先導され、ホールをあとにした。いくつもの扉が並ぶ廊下を進むが、やはり、そこも普通の城といった雰囲気で怪しい気配を感じることはない。
「くるるぅ、くるるぅ」
 飛竜はとある扉の前で止まった。廊下の奥にあるその扉には張り紙がしてある。張り紙には『ここから先、もののけ注意』と書いてあった。
 鰍は扉に手を添え、そっと押し開ける。軋んだ音とともに扉は開き、その奥には更なる回廊が広がっていた。頬に触れる空気は妙に冷たい。奇妙な叫び声が聞こえ、ざわついた気配を感じる。何かがいることは間違いない。
「邪悪なるものの脈動を感じます……」
「ここからが本番やな……」
 鰍は深く息をつき、腕につけた装具を軽く撫でた。
  ◇  ◇  ◇
 建築というものの基礎を無視していきなり現れる扉、回廊、階段に翻弄されながら、それでも入念にマッピングをしながら進む。印をつけ、マッピングをしながらわかったことは、この城は『住む』ということを前提に造られてはいないということだ。意味のない袋小路、開けるといきなり足場がない扉、何故か足を踏み入れると床が回転して方向を狂わせられる小部屋がいくつ存在しただろうか。
「迷宮のように……やない。迷宮そのものやないか……」
 メグミが話していたように、もののけ……つまり、魔物の類はやたらと現れた。しかし、何故か鰍が身構えると尻尾を巻いて逃げてしまう。しかし、逃げるものだけというわけでもなく、鰍の姿を見つけると一目散に向かってくるものもいる。進むうちにわかってきたことは、回廊に拳くらいはあるだろうという黒い目玉のようなものがふよふよと浮きながら常に徘徊しており、それに見つかると魔物が集まってくるということだろうか。逆にいえば、それに見つからなければ魔物に遭遇することも少ないということである。
「あの黒い目玉には親玉みたいな奴がいると思うんは自分だけやろか?」
「くるるぅ」
「そうですね。もしかしたら、いるかもしれません。奥へ進めば進むほどに数が増えているような気がします」
 飛竜とレイは鰍の意見に頷いた。ふたり……いや、ひとりと一匹もそう思うらしい。
「そやな。それだけ親玉に近づいとるいうことや」
「くるるぅ、くるるぅ」
 飛竜は不意にきょろきょろと辺りを見まわしたかと思うと、勝手に飛び立った。
「あ、こら、どこいくんや、待てや、こら」
 しかし、飛竜は待たない。ばさりばさりと翼を広げ、回廊を曲がり、その奥に現れた大きな扉の前で止まる。そして、やたらと騒ぎ立てた。
「時折、なんや思い出したいうような行動をとりおるな」
 飛竜の動きを見ていると、以前にここへ来たことがあるのではないかと思えてならない。守護聖獣は勇者を導くといわれているからそういうものなのだと言ってしまえばそれだけかもしれないが、それでもやはりその行動は気にかかる。
「ぴーぎゃー!」
 そんなことはどうでもいいから早く進め……と訴えているような気がした。放っておくと炎を吐かれそうだったので、扉の向こうへと進む。かなり広い部屋で、野球まではできないが、バスケットボールくらいならば余裕で行えそうに思える。
「んー……」
 空気が妙に重いような気がする。慎重に部屋のなかに踏み入った鰍は、部屋のなかに散乱しているものがあることに気がついた。この迷宮にかつて踏み入った者の残骸だろうかと思いながらも近づき、散乱しているものを確認した。
「ランタン、羊皮紙、背負い袋……剣は……なんや、この曲がり方?」
 落ちていた剣の刃はぐにゃりと奇妙な曲がり方をしている。曲がっているのは溶けたせいであるようだ。
「勇者さま、この羊皮紙……」
 レイは落ちていた羊皮紙を拾い上げ、それを鰍に見せた。その羊皮紙にはここまでの道のりが書きこまれていた。所謂、地図である。
「やっぱり、誰でもマッピングするんやな……。ん?」
 鰍は落ちていた羊皮紙と自分がマッピングしてきた羊皮紙とを見比べてみた。……そっくりだ。書き方、字のクセ、何かあったときの印まで同じ。まるで自分が書いたかのようだが、自分が書いたものは手にしている一枚のみであって、こんなところに落ちているはずがない。
「?」
 真似てもここまでそっくりに特徴を出せるかどうか……鰍は難しい顔で二枚の羊皮紙を見比べる。
「くるるぅ……。!」
 飛竜は妙に寂しげに喉をならしていたが、不意にはっとする。鰍もその気配を感じ、はっとした。
 部屋に、何かが……いる。
 
 <3>
 部屋の奥で何か大きな影が揺れた。
「なんや……?」
 それは巨大な球体をしている。直径にして二メートルくらいだろうか。いや、もう少し大きいかもしれない。宙に浮いているそれは黒い。鰍の脳裏に回廊で出会った黒い目玉が過る。
「親玉……みたいやな」
 鰍は大きく腕を振るう。刃は固定された。
「勇者さま、《楯》の魔法を使います」
 レイは両手をあわせ、祈りを捧げるような仕草で言葉を呟く。その言葉が終わると、鰍の身体が一瞬、淡い光に包まれた。
 そうしている間にも、宙を漂い、ゆっくりとそれは近づいてくる。そして、いよいよという間合いとなったとき、球体の表面が震え、どろりとした動きを見せた。泥に漣がたつような振動のあと、球体の真ん中に一筋の線ができたかと思うと、瞼が開くようにそこに眼球が現れた。その瞳は忙しなく動き、その動きには法則性が見られない。やがて、一際球体の表面が揺れたかと思うと、球体のあちこちから黒い泥でできたような腕が突き出した。何本もの腕はそれぞれが勝手な動きを見せる。
「けったいな生き物やな……」
 鰍がそう呟いた途端、忙しなく動いていた瞳が鰍を捉えた。統率が見られなかった腕もぴたりとその動きを止める。
「な、なんや、文句あるん?」
 球体の瞳が妖しく輝く。はっと思ったときにはその瞳から光線が放たれていた。いきなりの光線に回避行動が遅れる。
 光線が鰍とレイの身体を包み込む。不思議と痛みや熱といったものを感じない。眩しさだけを感じているなか、ぱりんと何かが砕け散る音を聞く。光線を遮るように鰍の前に突如現れた輝ける楯が粉々に砕けた音だった。
「きゃっ……」
 背後から小さな悲鳴が響く。はっとして振り返ると白い神官服に身を包んだレイの姿が光に包まれ、そして……二本の尻尾を持った中型の猫へと変わる。
「な……」
「にゃあ……にゃあん? ……にゃんにゃん!」
 明らかに動揺している。それはその動きと声を聞いていればわかる。だが、レイと共に動揺しているヒマはない。目の前にそれはまだいるのだから。そして、いつまた光線を放ってくるかもしれないのだ。鰍は球体へと注意を戻し、身構える。
 球体は光線だけが攻撃手段ではないらしく、滑るように宙を走ってくる。その何本もの腕は鰍を求めるように蠢いた。だが、掴み取られるわけにはいかない。鰍はその動きを見極め、ぎりぎりで避ける。そして、すれ違い間際に拳を振るった。刃が球体の腕を何本か削ぎ落とす。
 しかし、球体に痛みを感じている様子はなく、落ちた腕は泥のようにぐしゃりと床へと落下しただけ。腕があった場所には新たな腕が現れる。
 どうやら表面は多少、傷つけられた程度ではどうということもないらしい。
 ならば。
 鰍は球体の瞳を見つめる。
 球体は再び光線を放とうというのか、その場に動きを止めた。しかし、光線を放たれるわけにはいかないから、鰍は翻弄するように右へ、左へと動く。そして、少しずつその間合いを詰めていった。
 あと一歩踏みこめばという間合いまで近づいたとき、動きを止める。球体は鰍に視線を定めた。鰍もまた瞳に視線を定める。
 心を落ちつかせ、気を研ぎ澄ます。そして、光線がまさに放射されようというそのとき、渾身の力を込めて拳を突き出す。刃は深くその瞳に突き刺さり、球体はその巨体を激しく震わせた。確かな手応えを感じるなか、鰍は身を翻す。
 球体は涙とは到底呼べない黒いどろどろとした液体を流し、その身体からぼとぼとと黒い泥のような腕が落下する。傾いた身体はやがて力を失ったのか、重力に従い床へと落ちた。その身体は黒い液状となり、床を黒く汚す。
「終わった……って、終わってないんやな、これで」
 問題は水晶だが……鰍はきょろきょろと水晶はないかと周囲を見まわす。ここで見つからなければさらに水晶を求めて迷宮をさまよわなければならない。
「くるるぅ……」
「ん?」
 球体が落ちた場所に何かが砕け散り、転がっていた。飛竜はそれを知らせるようにその上を旋回している。
「……水晶?」
 砕けてはいるが、それは水晶に見える。
「おお、水晶やん。水晶? 水晶……」
 どう見ても球体だったものが何かの衝撃で砕けたようにしか思えない。
「ら、落下したときの衝撃で……な、わけないわな……」
 鰍は砕けた水晶を目の前にため息をついた。
  ◇  ◇  ◇
「ありがとうございます、勇者さま。これでこの世界は平和を取り戻しました」
 砕けた水晶を手に神殿へと戻ると感謝の言葉で出迎えられた。
「手違いいうか、間違いいうか、砕けてしもたんやけど……」
「気になさらないでください。砕けたところで力を失うことはありません。かけらの大小により力が分散されるかもしれませんが……同じ場所にかけらごと置いておけば問題はありません。今までどおり、神殿の聖なる力を高め、魔物を抑制してくれることでしょう」
 男はにこやかにそう答えた。鰍はほっと胸を撫でおろす。
 これで勇者としての役目はおしまい、ようやく店へ帰ることができるわけだが、鰍にはふたつほど引っかかっていることがあった。
 飛竜とレイのことだ。
「この飛竜と二本尻尾の猫のことなんやけど……」
「くるるぅ」
「にゃあん」
「守護聖獣がどうかしましたか? おや、こちらはツインテールですね。珍しい魔物ではありますが、これがなにか?」
「実は、この猫はレイさんなんや。それとこの地図なんやけど……」
 鰍は城で見つけた羊皮紙の地図のこと、球体の魔物の光線を浴びてレイがこの姿になってしまったことを告げた。そして、自分が思っていることも。
「……。実は、勇者さまは魔道士を倒すための旅に出たのです。そう、その勇者こそが、この世界でのあなたです。伝説では勇者が現れると守護聖獣も姿を現すことになっているのですが、何故か守護聖獣は現れませんでした。だからといって現れるのを待っているわけにもいかず、旅の途中で出会うかもしれないからと守護聖獣の環を手に勇者さまは旅立たれました。そして、魔道士は現れなくなったものの、勇者さまは帰らず……かわりに、この飛竜が現れ、私たちは最後の手段、異世界の勇者さまをお呼びすることにしたのです」
 そして、伝説にあるとおり、守護聖獣に導かれたあなたは世界を救いましたと男は続ける。
「やっぱり、そんなんやな……。で、ふたりはもとに戻れるん?」
 と、いうか、戻せ。水晶奪還のために貢献したふたりがこの状態というのはなんとも哀しいものがある。
「それは、今の時点ではなんとも……しかし、我々がなんとしても探し出しましょう。それが我々が勇者さまにできるせめてものことです。では、名残は惜しいですが、勇者さまを本来在るべき世界へとお送りしましょう。勇者さまの手を必要としている人々がいるでしょうし」
 男の言葉に反応し、背後に控えいた者たちが頷き、小さく言葉を呟きはじめる。その言葉が進むに連れ、鰍の周囲に淡く小さな光がぽわりぽわりと浮かびだす。
「勇者さま、お元気で」
 男は鰍の右手を掴み、何かを握らせた。なんだろうと鰍が手のひらを覗くとそこには水晶のかけらがあった。
「これ……」
「よいのです。勇者さまに幸多からんことを。勇者さま、またいつかこちらの世界へおいでください。そのときは」
 男の言葉が終わらないうちに周囲の光景は一転し、気づけば『夢飾』にいる。何事もなかったかのように伝票はそのまま、荷物もそのままの状態でそこにある。
「……」
 今のは……夢?
 本当に何事もなかったかのようだから、そのとおり、何もなかったかのように、それこそ夢だったようにも思えてくる。
 だが、夢ではない証拠は手のひらのなかにある。鰍はそっと手を開き、水晶のかけらを見つめた。
「またいつか……そのときは、もてなしてくれるん?」
 そもそも、どうやって行けいうんだか。鰍は小さく息をつく。
「さて……」
 とりあえずは目の前の伝票と荷物を片付けてしまおう、鰍は伝票を手に取る。
 ……大声をあげながら破ってばら撒きたいとは思わなかった。

 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2758/井園・鰍(いぞの・かじか)/男/17歳/情報屋・画材屋『夢飾』店長】


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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます。
そして、お待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、井園さま。
納品が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
口調が大阪弁ということなのですが、イメージを壊していないことを祈るばかりです。もうちょっと戦闘に重点を置きたかったんですが、異様に長くなってしまったので……。
短い旅ではありますが楽しんでいただけたら是幸いです。

願わくば、この事件が思い出の1ページとなりますように。