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<東京怪談ノベル(シングル)>


懐路


 眠りから醒めし時は、華やかなる一瞬に似て如し。

 じゃあね、と声をかけられる。懐かしい名で。本当の名で。それが本当の名なのだと、胸を張って言った甲斐があったというものじゃ。
「お、また明日のう」
 包帯だらけの腕をひらひらと振る。右手で振ることはしない。その辺がびしびしと血まみれになっても、申し訳ないからのう。
 まあ、わしが歩くだけで血がだらだら落ちていっているんじゃが……そこは気にしてはいけんのう。ほら、丁度いいと言えんこともなかろう?わしがどのように行動したのか、わしがどういう場所を移動してきたのか、きっちりと分かるんじゃし。ストーカーとかいう輩も、ばっちりわしを追えることができるわい。カカカッ。
 3年C組、と書かれている教室を出て歩く。189センチメートルの身長は、最初は皆見上げながら驚いておったのう。今でも初めて見られた時の事を思い出すと、笑いがでてくるわい。……ああ、変な意味じゃないんじゃ。ただ、わしがこうして存在しているだけで、驚かれるという事が妙に可笑しくての。ただ、それだけじゃよ。うむ。
 まあ、こんな事を考えても誰も知る訳じゃないんじゃし、言い訳なんぞせんでいいとは思うんじゃ。何というかのう……万が一、億が一、わしの思考を読まれでもしたら、困るじゃないかって思うただけじゃよ。
 ん?誰も見ないって?いやいや、分からんぞ?世界は広いと言うじゃろう?という事は、わしが驚かれた以上に驚く事をしでかす者がおったとしてもおかしくないという事じゃよ。もし、今読んでいる者がいれば……のう、そうじゃろう?
 わしは、この学校という場所が好きじゃ。毎日色々な授業が行われて、わしに知識を与えてくれるからの。英語は好きじゃな。でも、物理は苦手じゃのう。他は別にいいんじゃが、あの法則だらけの物理は訳が分からなくなるんじゃ。何故かのう。
「分からない事なんぞ、世の中にはたくさん溢れておるがの」
 わしは呟き、クククと笑った。わしは死んだ筈じゃった。大往生じゃった気がする。子がいたし、孫もおった。大好きな人たちがたくさんおって、その時代を生きておった。でも、気付くとわしは違う形をしておった。今の、この体じゃ。
 廊下にさしかかると、大きな鏡がかけてあった。わしはにやりと笑い、鏡に近付く。すらりとした長身の体に、さらりと風に靡く長い黒髪。目から頬にかけて壊れているものの、まあ綺麗な顔立ちうじゃな。全身を覆っている包帯が、妙に痛々しいが。ま、全然痛くはないんじゃが。
「にしても、もっとちゃんとした作りにしとけばよかったのにのう」
 改めて鏡で自分の体を確認し、再びわしは歩き始めた。元禄5年に没した筈のわしは、妖術師によって魂を捕らわれてしまっておった。そうしてこんなポンコツの体に入れられてしまったんじゃな。わしはちょっくら散歩と慣れぬ体を慣らそうとして……。
「まさか、封印されるとは思わんかったのう」
 わしは大きく溜息をつく。どうやらやらかした事は大事件だったらしく、わしは封印されてしまった。再び目覚めたら、全く違う世界が現れたんじゃ。びっくりしたのう。妙に綺麗な世界じゃったから。
「わしの知る世界は、何処にもなかったしのう」
 決して悲観した訳じゃないが、妙にもの悲しくなったのは事実じゃった。わしだけぽつりと取り残された気分で。子はおらず、孫もおらず、友もおらず、あの忌々しい妖術師とやらもおらぬ。わしはただ一人で、たった一人で、こうして目覚めてしまったのじゃ。
「でも、こうしてわしは居るし」
 そう、わしはまだ居るのじゃ。この学校という場所に通い、今を生きて居るのじゃ。生きておる、というのはちょっと違うかもしれんな。……いや、いいじゃろうて。わしだって、今を生きたいんじゃから。一人じゃと思えば、友を作ればよいだけの事。いい具合に、この学校にはたくさんの友を作る機会を与えてくれておるのじゃから。
「あ、もう帰るんだ?」
 ふと、同級生の一人が話し掛けてきた。いい子なんじゃよ。わしににっこりと笑いながら話し掛けてくるし、わしの止まらぬ血をも気にしないでくれておる。
「おお。今日はもう帰ろうかと思っての」
「そうなんだ。私はこれから、掃除当番なんだ。面倒なのよね」
「掃除は大事じゃよ。ほら、わしがこうして校舎を汚しておるしな」
 ぴとぴとと床に落ちていく右手の血を差しながら言うと、同級生は「やだぁ」と言いながらけらけらと笑った。いい子じゃのう。
「じゃあ、また明日ね」
 その子はひらひらと手を振り、去って行った。わしも負けずにひらひらと手を振る。掃除当番の子に迷惑をあまりかけぬように、左手を振ったそ。誉めても良いくらいじゃ。よし、誉めてもいいんじゃよ?カカカッ。
 わしは思い出す。初めて今の年号を聞いたとき、わしは本当にびっくりしたんじゃよ。だっての、最初の数字が「2」じゃぞ?「2」なんじゃ!わしが知る限り、最初の数字はいつも「1」じゃったし、それが変わる時が来るなんぞ全く思ってもなかったからの。今でこそ、最初は「2」から始まると理解しているのじゃが。わしの優れた順応能力に我ながら関心するわい。
 そうかと思えば、訳の分からない奴らが襲ってきた事もあったのう。ええと、なんじゃったかいのう?……そうじゃ、百鬼衆じゃ。なんじゃったんじゃろう?奴ら。未だに訳が分からん。
 それにしても、今の学校にはすんなり入れたのう。これも不思議な事じゃが……これはまあ、良い事にするかのう。詳しく考え、調べ、ここから追い出されるような事態になっても嫌じゃし。そんな事はないじゃろうとは思っておるが、ここは一応、な。折角手に入れた場所じゃ。ここでは誰も、わしを旧式機械・ホの六番なんていう名前では呼ばぬ。わしの本当の名を、ちゃんと呼んでくれておるからの。ここ、大事な所じゃ。なんなら赤線でも蛍光ペンでもひいておくが良い。テストがあるとすれば、出るぞ?大事な部分じゃからの。カカカッ。
 気付けば、わしは昇降口に辿り着いておった。わしはしみじみと思う。わしはわしとして、今こうして生きて居るのじゃと。昔とは全く違う形をして、違う境遇に置かれて。それでもこうして存在しておるのじゃと。昔のわしを知る者がおれば……いや、分かっておる。そんな者など存在せぬと。それでも、思うんじゃよ。もし、昔のわしを知る者がおるとするならば、今のわしを見てなんと言うんじゃろうか、とな。笑うんじゃろうか、哀しむんじゃろうか、怒るんじゃろうか。尤も、わしは大声をあげて笑ってやるわ。こうしてわしは存在して毎日を生きて居るんじゃ、とな。訳が分からない事だらけの中、わしは胸を張って生きておる。それだけは確かに言えるんじゃから。
「あなた……その血はどうしたの?」
 ふと、声をかけられてわしは振り向く。そこに居るのは、響・カスミじゃった。この新聖都学園で音楽教師をしている、怪奇現象が苦手な輩じゃ。わしみたいな存在も、きっと本当の事を知れば失神してしまうに違いないのう。
「全身に包帯もしているし……怪我が酷いの?」
「大丈夫じゃ。別に痛いわけじゃないし……ほら、平気じゃ」
 わしは元気さをアピールする為に、ぐるぐると左腕を回してみせる。でも、カスミの目はじっとわしの右腕を見つめている。垂れている血が気になるんじゃろうな。
「保健室に行く?」
「いやいや、大丈夫じゃ。心配には及ばんぞ」
「でも……」
 まだ気にしているカスミに、わしは強引にひらひらと手を振ってその場を後にした。保健室に行ったからといって、この血は止まる事じゃないんじゃから。妖術師がもっとしっかりした体を作っておればよかっただけなんじゃから。
 わしは校門に向かいながら、ふと空を見上げた。夕暮れ時の空は、赤く染まっている。美しい、とわしはつくづく思う。ぽたぽたと垂れ落ちるわしの血とは違う、綺麗な赤じゃ。心が何故だか騒がされるような気がするのは、何故なんじゃろうな?不思議な感情が生まれてくるかのような、見事な空じゃ。
 わしは知っている。この空の色は、毎日微妙に違っている事を。この無機質な眼で幾度も空を見てきたが、どれ一つとして同じ色の空など存在せんかった。
「明日もきっと、違う色だろうのう」
 わしは呟き、小さく笑ってから門を出た。すう、と音もなく。

 華やかなる一瞬は一瞬にしか過ぎぬが、存在する限りは鮮やかなる色を添え続け行かん。

<無数の異なる空の色を胸に秘め・了>