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□■□■ 続き続ける階段(後編) ■□■□
「なんとなく予想がついた――かね」
ぼんやりと『それ』を眺めながら、草間は呟いた。
ふぅ、と吐き出した紫煙が霧に紛れる。気付けば、また階段の上に戻されていた。また上り続けろ、と言うことらしいが――黙ってそれを聞いてやるほどに彼は暇でなければ、お人好しでもない。同じ幻影に囚われているだろう助手達を、さっさと叩き起こさなければならないのだから。
「何かの具現か暗喩、だとは思っていたが、なるほどな。中々に簡単だったな。人間の思念ってのは質量こそ無いが――『力』は持っている。それはちょっとした矛盾だ。そんな矛盾を溜めていく次元が在るから、界鏡なんて現象が起こる。それはいわば、世界の矛盾の皺寄せみたいなもんだ。臨界点に達すれば何かが生まれてさまよい歩く――こんな感じにな？」
ぐら。
ぐらぐら。
ぐらぐらぐら。
「化けの皮剥がされたのが癪か？ 悪いが俺も苛々してんだよ――さっさと俺の助手を返しやがれ」
階段が揺れる。
揺り落とそうとするようにうねる。
ステップでも踏むようにそれをいなす草間は、ぺっと煙草を吐き出した。
「草間さん！！」
助手達の声が聞こえる、どうやら合流出来たらしい。纏めて片付けるつもりか――湧き出た冷や汗に、草間は口元を引き攣らせて見せた。それは笑っているようにも、少しだけ見えた。
「いくぜ、化け物？」
階段の中腹に、巨大な穴が開いた。
■□■□■
「助け、助けてくれッたすけ」
――――――気に入らないものは焼き払って。
「ひッ――ば、化け物ッこっちに来るな、うわぁあぁあッ！！」
――――――苛立ちを増殖させるものを蒸発させて。
「死にたくない死にたくない死にたく」
なんとなく。
楽しんで。
生命を。
消してみたり。
燃やしてみたり。
思い出を漂うのはとても残酷なことです。だって思い出には干渉ができません。何も出来ません。自分が犯す間違いをぼんやりと眺めて、ただひたすらに見続けて、留めることも諌めることも殺すことも出来ないでいるしかない。それは、酷く残酷なことです。とてもとても悪趣味で悪辣なことです。
本当に？
安心しているくせに。過去だから、自分は干渉できないから、手出しできないから、そんなものは不可能だから、可逆なんて修正なんて何も叶わない戯言でしかないんだから。そうやって諦めていられるのは楽なことだろう、何かの所為にして責任逃れ。何もかも、『過去の自分』に押し付けて、自分は上書きされた楽しい現在を生きている。楽しくて仕方ないだろう、楽で良いだろう？ ああ、本当に悪辣だよ。
シオン・レ・ハイは、ぼんやりと自分を眺めていた。
子供の自分の後ろには、化け物がいる。炎と蒸気とで何もかもを覆い尽くして、破壊と焼失を楽しんでいる化け物の姿が見える。
この場所に、彼は、三人いた。
もしかしたら、もっと居るのかもしれない。
そこかしこに自分が溢れているのかもしれない。
それは、とても、背筋が寒くなることだったけれど。
独りぼっちで放り出された、誰も助けてくれなかった。自分が何か悪いことをしてしまったのかもしれなかったし、何もしていなかったのかもしれない。何せ小さな子供の頃のことだったから、何も判らなくて、ただ状況に耐えられなかった。誰かに助けて欲しくて、何かの罰として受けているのならと謝り続けた。ひたすらに謝り続けて、許しを請うて、だけど、結局誰も許してくれなかったし、助けてくれなかった。誰も。
寒さに震えていても、空腹に這い蹲っていても、そこには誰もいなかった。真っ暗な夜を眺めながら自分に群がる獣の気配を感じたときには、そのまま死ぬのも良いかもしれないとまで思った。だけど現在自分は生きていて、それは過去死ななかったということで。あの時はどうしたのだっけ、遡る記憶の一部が何か語りだすのを待てば、それは、緩慢に動き出す。
ニオイを嗅いでいる気配。自分に寄ってくる獣。品定めでもするように頬を舐める舌の心地、僅かに当たったのは鋭い歯の感触。ああ死ぬのかな、死ぬのかな、死ぬのかな。死んでも良いかな、どうせこんなに辛くて悲しいのなら、どうせ何も楽しくないのなら。本当に？ 死ぬ？ 本当に？
自分は獣に噛み付いた。
飛び掛って覆い被さって肉に噛み付いた。
「やせっぽっちの、犬――だったんですよ、ね……」
韜晦するような声音は響いているのかいないのか、やけに篭ったままに消えていく。シオンはぼんやりと、しゃがみこんでいた自分の身体をぺたりとへたり込ませた。膝を引き寄せる座り方、自衛のポーズ。身体、腹を守るようにして脚を抱く。腕を抱く。腕で抱く。
片手には手袋。片手はむき出し。刺青。力。自分の。灼熱と冷気。望んだことなど無かった、異端の、異形の、どうしようもない、能力。封じていなければ誰かを殺してしまうほどに罪深いそれ。自然体で人を殺す身体を持っているのなら、自分は、自然体で殺傷を愛するのか？ 違う。そんなに狂ってなどいない。狂って？ ああ、狂っているのは、狂って、いるのは。
「痩せて骨の浮いた、ちっぽけな犬で――つぶらな眼をしてて――毛皮は黒と白の斑、でしたねぇ……本当、小さくて、とてもじゃないけれど襲い掛かってくる風貌じゃなかった――」
思えばただ懐いて来ただけだったのだろう。
暖かい手で撫でて欲しかったとか、抱いて欲しかったとか、遊んで欲しかったとか、そんな目的で近付いてきただけだったんだろう。ちっぽけな犬。やせっぽっちの犬。眼はつぶらで、青かった。真ん丸い眼が自分を見ていた。ひくひくと引き攣った喉元、だらりと垂れた舌、噛み付かれて、貪り付かれて、ゆっくりと息絶えていった姿。
口から血をだらだらと零して、それに噛み付いた。何度も何度も噛み付いた、喰らい付いて腹を満たした。ぼんやりとだけど確実に認識していたのは、その眼が光を失っていく姿。毛皮の白い部分が赤黒くなっていく様子。口の中に溜まった毛を吐き出して、皮の下に頭を突っ込んで、噛み千切って、喰らい付いて。
思えばあれが一つのスイッチだったのかもしれない。
あれが何か、自分のとても残酷な部分のスイッチを入れてしまったのかもしれない。
今さら思ったって、何もかも遅いことだけれど。何もかも、遅すぎる、ことだけれど。
独りぼっちでいるのが嫌だった、死ぬのが嫌だった。だから自分の生存に貪欲になって、少しでも不穏分子があったら薙ぎ払って焼き払った。焼却された炭クズを眺めては安心したものだった――これでもう、何も怖くない。怖いものが一つ消えた。良かった、良かった。
怖いものは怖くて、何でも怖くて、とにかく怖くて、だけどきっと自分の存在も誰かにとっては怖いものだった。それでも止められなくて、何もかもを壊し続けた。
一番怖いのは？
自分を放り出した父親？
自分に危害を加えようとする存在？
それとも、もしかしたら、自分自身？
自分の心をどこまでも痛め付けるのは、何時だって自分だった。
「あの人、厳しかったけれど、そういう怖いとは、違いますよね――そう、なんていうか。『畏怖』と『恐怖』、神様と悪魔に対する恐さの違い、みたいな――はは。神様、なんて、似合わない表現ですけれどね、本当……『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』なんて、子供には本当、良い迷惑で――」
落とされたから真っ直ぐに落ちて、歪んだから歪んだまま進んで、選択しないまま、流されるまま、大きな流れの全てを受け流すまま、そのままに。
そのままに、居続けて。化け物で居続けて。断末魔を楽しんでは肉の焦げる臭いを胸一杯に吸い込んで恍惚に浸ったりもした。たんぱく質がジリジリと延焼して行く様子、皮膚組織が破壊されてそれでもまだ生きてのた打ち回る姿、そんなものを笑いながら見下ろして見下して。目の前にある残酷にも気付かない振りで、ただ受け入れて、楽しいことに置き換えて。
楽しいことに。
楽しんでいた。
楽しいと、思っていた。
――だけど。
「だけど、私は今、この姿で居る」
一瞬。
展開される過去の風景の一切が、止まった。
膝に顔を埋めていたシオンの肩が小刻みに揺れる。
「この姿でいる。こうやって人の形を取って、人と一緒に暮らして、人と戯れて、人と群れて、人と、楽しんでいる。その意味も判るはずですよね、私なら。そう決断したのもまた――過去の、私ですから」
上げられた顔は、笑っていた。狂気や狂喜を何処かに潜ませた様子はなく、ただ単純におかしそうに笑っている。見せ付けられていたはずの過去の自分を一瞥して、また笑う。そして挑発するように虚空に、もしかしたらそれこそ神に、語り掛けるように声を張り上げる。
「過去と言うなら一律ですよ。過ぎ去った時間というカテゴリなら、何もかも、一緒にされているはずなんです。だから、さあ――あの時を、私に見せて下さい？」
■□■□■
「おじさん」
路地裏でぼんやりと黒焦げの死体を見下ろしていた。雨の日、未だ燻り立つ細い煙が含む有機物の焦げる不快なニオイの中、佇んでいた彼を見上げて子供は声を掛けた。
まだ幼さのある、と言うか――子供。正真正銘絶好調純度百パーセントの子供。
少女はくるくるとウサギ柄の傘を手で廻しながら、シオンを見上げていた。
睨むでもなく、恐れるでもなく、懐くでもなく、ただ単純に見上げるだけの動作。
子供は殺さない。
自分の過去を重ねるのか、とにかく、子供は殺さない。それはある意味でポリシー、もしかしたらズタズタに壊れて解れて溶けて焼けた自分の精神において唯一の確たる所、唯一の誓約。もしも自律すら一つも失ってしまったら、自分は獣以下の存在に成り下がるだろう。
だからしない？ それも、ある。
だけどそれ以上に、殺すと考える以上に、その子供は、
痣だらけの顔をしていたから。
青く染まっていない赤黒いそれはまだ真新しい。ぼろぼろの顔をした少女は傘をくるくる回しながらシオンを見上げる。言葉と行動と思考を一瞬失った彼に、彼女は、ただ単純に言葉を向けるというだけの動作をする。それ以上にはなんでもないと言うように、無機質な動作を。
「道、開けて欲しかったりするよ」
「――ぁ」
「横通るね」
少女はくるくると傘を回しながら、シオンの脇をすり抜けた。その向こう側には黒焦げの男が転がっている、黒焦げの死体が転がっている。少女はそれを見下ろし、臭い、とだけ呟いた。
そのままの姿勢で居続ける少女が何を考えているのか、彼には判らない。人ではない能力を直接見られたわけではないが、この状況ではどう考えても犯人などはっきりしている。そしてそれは当たっている。もしもこの少女がこの場で叫びを上げて人を呼んで彼を人殺しと呼んだのなら、否定は出来ないことだが、取り敢えず口を塞いで逃げただろう。そうでなくてもこの状況、立ち去る程度のアクションは起こすべきなのだ。
だが彼は動かずに、なんとなく、少女の傘を眺めている。くるくると忙しなく回されるそれ。小さくプリントされたのは無数のウサギ、確かロップイヤーとかいう種類だったか。垂れた耳のそれが、くるくると、無機質に無感動に無感情に周り続けている。まるでこの時間のように。
「おじさんが殺したんだったりするのかな」
「――――」
「まあ、そうだったりするんだろうね」
「――――」
「うん、別にどうでも良かったりするんだよ。私は別に、お父さんなんか居なくたって、生きていけるから」
抑揚の無い声が、告げる。
「どうせ禄でもない父親だから。殴るし、蹴るし、盗むし、ご飯くれないし。お酒飲むし、泥棒させようとするし。たまに何かくれたと思ったら盗んだものだったりね、この傘とか。ああ本当、禄でもない――どうせおじさんに絡んだんでしょ。正当防衛だって。うん」
くるくるくるくる。
傘が回る、言葉が回る、時間が回る。
思考が、回る。
「これで普通に施設とか行かせてもらえるし。大体、生活能力ゼロのアル中が、子供を連れて行かれたくなくて無理矢理ホームレスとか、絶対無理なことだったんだからさ。あー、清々、した――」
何が正しくて何が間違っているのか。
この子供の感じ方が間違っているのだろうか。
この黒焦げの、男の感じ方が間違っているのだろうか。
それともこの親子が二人とも間違っているのだろうか。
何よりも、自分が？
くるくるくるくる、傘が回る。
「悲しいん、ですか？」
訊ねた言葉に、少女は――
■□■□■
「あの子は全然、と答えた」
雨の路地を眺めながら、シオンは呟く。
「そして私は嘘だ、と言った。彼女は、それはおじさんの感じ方の問題だったりするんだよ、と答えた。お父さんが死んだら悲しいはずだ、そう思うのはおじさんが、自分だったら悲しいと思うからでしかなかったりするんだよ、と。そう――私は色々なものが怖くて、尖っていました。思春期の少年みたいに尖っていた。だから沢山後悔しましたよ、何もこの時だけじゃない、いつだって後悔している、いつだって、介入したい時間を持っている。あの時こうだったらと考える過去が、あります」
息を、大きく吸う。
「だから何か？」
空間が揺らいだ。
「生きてます、だから怖いことがあって、後悔したことがあって、辛いことがありました。過去のことです。戻ることは出来なくて見ることもしたくない過去があります。とてもとても、それは残酷です。私達は、生きているから、『今』にしか介入なんて出来ない。その絶対条件があるからこそ、『編纂してしまいたい思い出』なんて――必然です」
ぐらぐらと場が揺らぐ。世界が揺らぐ。
シオンは立ち上がって、ぱたぱたと服の埃を払う仕種をした。余裕があるように見せ掛けて、そうでもなかったりはする。それでも、何か致命的な打撃を受けたわけではない。死に至るほどのダメージは、こんなものでは、ないのだから。
だから、大丈夫。
いつだって。
なんてったって紳士ですから。
「続き続けて昇り続けなくてはならない、無限に続くようで一歩先ぐらいしか見えない。立ち止まっても結局、じわじわ追い上げていく。そういうものです。だから、どうしたんですか？」
そんなものに何時までもしがみ付いているほど女々しくも弱くもなくて。
だって生きているから、昇り続けているから、歩き続けているから。
そんなものは今さら何も怖くはない。
「無意味でしょう。それだけのことを引っ掻き回されたって、何も、怖くありません――壊れたりしません。私にとっては動物虐待ニュースの方がよほどダメージですよ。だから――」
ちり、と炎が上がる。
すぅ、とシオンの眼が細められる。
人の形が少しだけ、崩れていく。
「こんな無意味な茶番は、もう沢山ですよ」
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「いやはや、面目ありませんねぇ――」
興信所の一室、簡易的な医務室になっているそこで、安っぽいパイプベッドに横たわりながらシオンは零にそう告げる。常のように苦笑を見せて、零はシオンの額に冷たいタオルを置いた。傍らに佇む草間は病人の前と言うことで煙草を控えているのか、口元には何もない。
溜息を吐かれるが、その視線には心配が多分に混じっているのも判る。だからシオンは、苦笑を浮かべる。
「無理に力を使うな、危なっかしい――それで身体にガタ来させたら洒落にならんだろうが」
「どうにも、……手っ取り早い方法だったので……早く、逃げたかったんですよねぇ――やっぱり痩せ我慢は、良くありませんから」
「こっちまで焦げる所だったぞ」
「あはは。それで、結局あれは、なんだったんでしょう――？」
「まあ、特定の目的や意思は無かっただろうな。アレは――堆積した感情の塊だ。『こうだったらよかったのに』『こうしていれば良かった』、そういう過去を眺めるときの後悔の集積物。だから取り込んだものに対して、一番介入したい過去を見せ付ける。そうすることでこうだったらという感情を喚起させ、自分の存在を繋ぐ――オートマティックなもんだ」
「確定的に仰いますね……？」
「まあ前例がないわけでも――」
ぽふ、と草間は自分の口元を覆う。
「……煙草の禁断症状が出た」
「はあ」
「まあ、養生してろ」
ドアが閉じられる。シオンは、ふぅっと長い溜息を吐いた。
「本当は――」
本当は――
変えてしまいたい過去なんか、山ほどあって――
だけど沢山ありすぎて――
後悔しすぎて――
「忘れてしまっただけなのかもしれません、ね」
す、と、彼は眼を閉じた。
それでも時間は動き続け、彼も、昇り続けている。
■□■□■ 参加ＰＣ一覧 ■□■□■
３３５６ ／ シオン・レ・ハイ ／ 四十二歳 ／ 男性 ／ びんぼーにん（食住）＋α
■□■□■ ライター戯言 ■□■□■
こんにちは、後編までお付き合い頂きありがとうございました、ライターの哉色です。いっそ無意味に長ったらしく続きましたが、これで完結となりました……す、すみませんでした。捏造ＯＫのお言葉に甘え過ぎました、ああわわ。もうちょっとどうにかせぇや！ と突っ込んで下されば平謝りの元に修正致します；
ともあれ、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。それでは失礼致しますっ。
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