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lovin heart
ふと昔、誰かがぼそりと呟いた言葉を思い出した。
ブランドショップに男が群がりだしたらクリスマスっていう気分になると。
イルミネーションでもなく街角に流れるいつもお決まりのBGMでもなく、そういうリアルな光景にクリスマスと言うイベントを感じてしまうのは、プレゼントをくれるのはサンタクロースではなく自分のより身近に居る人であると知った大人になってしまったからこそだろうか。
まさにクリスマスイブ当日の今日はそれもピークらしく、駆け込んでくる男たちの姿はどこか滑稽ですらある。
車窓の外のそんな光景を眺めながら水城司(みなしろ・つかさ)はアクセルを踏み込んだ。
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「ったく、なんでこーどこもかしこもカップルだらけなのよ!」
大学の食堂のテーブルをドンと叩くと、紙コップに入った味の薄いコーヒーが跳ねた。
今日も今日とて村上涼(むらかみ・りょう)は荒れていた。
『クリスマスは忙しい』
そう聞いたのは確かこの前会った時だからもう半月ほど前になるだろうか。
思わず、
「別に全然関係ないじゃない。私と君とクリスマスなんて!」
言い切ったのは間違いなく自分。
全然全くこれっぽっちも怒ってなんていないと、今だって涼は堂々と言ってのけるはずだ。
一体全体どこから湧いたのかと思うほど街角にも、そして大学の学食にすらカップルが溢れていたとしてもここで自分が怒っているとか拗ねているとか認めるということは、彼と今日を共に過ごしたいと思ってしまっている自分を認めるということで……
「あんなヤツ、あんなヤツ……1人孤独に過労死でも何でもすればいいのよ!」
食堂中の注目を集めているにもかかわらず大きな声をあげる。
特別何か用事があっていつまでも学食でくだを巻いているわけではない。
ただ、真っ直ぐ家に帰る途中にカップルとすれ違う事も真っ暗な家に1人で帰りクリスマス一色のテレビを付けるのも、それをシャットダウンするために不貞寝するのも―――想像するだけでむしゃくしゃするからだった。
何も世の中にはカップルしか居ないわけではないので、当然友同士でぱーっと飲みに行く面子も数多く居る。
だがこの状況の唯一の救いと言えばここが学食である為、ノンアルコールの物しか置いていないということだろう。ここで涼にアルコールなど与えようものなら火に油を注ぐようなものだ。
それを理解している為にか、ここ数日、日に日にどう見ても不機嫌オーラを纏い勢いを増しつつある台風に近付く勇気がある者は居ないらしく結果こうして1人暴れているのである。
「随分な言われ様だな」
爆発寸前の低気圧状態の涼にたった一人だけ近付く勇気のある者が現れた。
聞き覚えのある声に顔を上げた涼の目に予想通りの人物が居た。
「……―――な、何でこんな所にっ」
一瞬の間があったのは、司のその出で立ちにあった。
突然大学の学食に現れた司はいつもは自然に下ろしている髪を軽く後ろ流しスーツの下のシャツも明らかに仕事用とは異なったドレスシャツを着用した盛装だった。
「またえらくご機嫌のようだな」
「そうよ、ものすごぉぉぉくご機嫌よ」
忙しいという理由ですっかり御見限りだった司に涼は不機嫌を隠そうともしない顔で、そう強がった。
しかし、次に司が無言で自分に差し出した袋に涼は目を丸くした。
その袋は20代前半から20代後半の女性向けのきれいめファッション雑誌でよく見かけるブランド銘がプリントされている。
あれだけはっきりとクリスマスは忙しいと言っていた司が突然ドレスアップして現れた事に内心動揺していた涼は更に虚を衝かれたかっこうになった。
そんな涼を司はそのままその場から連れ出す。
一連の様子を固唾を呑んで見守っていたギャラリーが2人の姿を見送った途端胸を撫で下ろしていた。
彼らの目には涼を連れて行く司の姿に後光が指して見えたというのは言うまでもない。
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荷物よろしく大学前まで乗りつけていた司の車に詰め込まれ向かった先は雑誌などで『クリスマスとっておきデートスポット』などという煽り文句と一緒によく雑誌で取り上げられている話題のクリスマスディナーを出すホテルだった。
呆然としたままの涼は手際よくチェックインしてカードキーを受け取った司に手を引かれるままホテルの一室に連れて行かれて先ほどの袋と一緒に放り込まれる。
「ディナーの開始は1時間後。15階のレストランに」
それだけ言うと司はばドアを閉めてキーを片手に去って行った。
ドアの閉まる音で我に帰った涼は、
「……っ!」
苛立ちのままに渡された袋をベッドに投げつけた。
ベッドのヘッドボードに当たって跳ね返った拍子に袋の中に入っていた箱が飛び出し蓋がずれて中身がのぞく。
そっと中身を見てみるとそこには真っ白なドレススーツが入っていた。
先にレストランに向かい、予約をしておいた窓際の席に座って司は外の景色を眺めながら涼が来るのを待っていた。
眼下に広がる車の流れを目で追っている時間は長いようで短いようで、自分だけ場時の流れからはずれたような感覚に陥る。
ふと気が付くと、ウエイターに案内されてゆっくりとした足取りで近付く姿が窓ガラスに映る。
司は思っていたよりも早く現れた涼の姿を見て目を眇めた。
「な、何よ?」
「いや。似合ってるよ」
どうせ馬子にも衣装とでも言うんでしょうなどと憎まれ口を叩きながら涼は向かいの席に腰掛けた。だが、そう言って俯いた両の耳がほんのり赤らんでいた事に司はしっかりと気付いていた。
クリスマスらしい豪奢なフルコースを堪能した後、更に2人は最上階のバーへと移動する。
「このところ仕事が立て込んでいて、悪かった」
「別に、謝られることなんてないわよ」
これだけしっかりとクリスマスデートをお膳立てされていると言うのにそれでもまだ、抵抗しようと言う台詞であったがさすがにその声のトーンはいつもより幾分か柔らかい。
涼だって忙しいのは判っている。
判ってはいるのだが、それを理解するのと気持ちはまた別の問題で―――自分の中にある理不尽さが認められなくてそのジレンマでイライラしていた部分は多大にあったのだから、こう素直に頭を下げられてはそれ以上責める事も出来ない。
「まぁ、そのお詫びって言うわけじゃないが」
そう言って司はカウンターの上に小さな箱を差し出した。
水色の箱にシルバーのリボンがかかったはそれ、どこからどう見ても年頃の女性であれば誰でも知っている有名ブランドのものだ。
目の前に置いたのになかなか手にとろうとしない涼に苦笑しながら、司は自らの手でリボンを解いて箱を開いた。
中にはシンプルでそれでいて上品なイヤリングが収まっている。
司の少しひんやりとした指先が耳に微かに触れるたびに小さく首を竦める。
「動かないで」
そうささやくように告げて、司は手ずから涼の耳にイヤリングをつけてやる。
そして、最後に耳がよく見えるように涼のサイドの髪を耳に掛けた。
司は満足げな顔で涼を見ると、グラスを渡し、
「メリークリスマス」
と微笑む。
イヤリングをつけられて顔を真っ赤にしたまま、涼も、今度こそ素直に、
「メリークリスマス」
と返す。
宝石箱をひっくり返したようなイルミネーションが掲げたシャンパングラスにキラキラと光を映す。
合わせたグラスの間で小さな鈴のような音がこぼれた。
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