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Eternal Colors
[ ACT:1 My Sweet ]
『待つ』という行為はセレスティ・カーニンガムの日常においてそれ程気にかけるものではなかった。
長生種としての彼の生は人のそれより遥かに長く、永遠に近い時を過ごす為に、彼の中では歳月の流れは極めて緩やかに進む。
例えば人が感じる一年という時間も、彼にとっては瞬きする程の短い間隔でしかない。一年を振り返ってみたところで、一瞬の出来事なのだから鮮明に覚えているわけもない。いや、正確に言えば、覚えてはいても思い返して感傷に浸るような事がなかった。
何かを、または誰かを待つという事に関しては常人よりもその期間を短く感じる事が出来るが故に、そこに不安や焦りはない。しかしその代わりに期待も切望もなかった。最初からそんな色褪せた感情で生きてきたわけではないが、いつからか彼の中で他の誰かを待ち、共に歩むという思考が希薄になり、その他全てにおいて常に冷めた見方しか出来なくなっていたのは事実だ。
しかし、そこにある日突然色が付いた。それはとても鮮やかな明るい色で、セレスティの視界をクリアにし世界に感動するという事を思い出させてくれた。突然の極彩色に戸惑う自分の手を引いて、彼女はいつも隣で微笑んでくれている。そしていつしか、その笑顔はセレスティの胸の奥の、一番大切な場所で常に輝くようになっていた。
幸せだ、と思う。けれど、色付いた世界では忘れていた負の感情もまた蘇る。彼女の存在を感じられない時間を不安に思う事、望む事を望むようにしてやれないもどかしさ。
周りから見ればセレスティほど完璧に彼女の願いを聞き届けている者はいないのだろうが、セレスティ本人はまだ足りないと感じている。
世界を取り戻してくれた彼女にもっとたくさんの愛と感謝を。
誰かを愛するという甘く切ない、そして限りなく幸せな感情を思い出させてくれた愛しい彼女の笑顔をもっとこの胸に。
* * *
何でもない平日でさえ歩き難い程の人ごみになる都心の駅前は、今日は更にその密度を増し、ともすれば身動きすら出来なくなる。
それもそのはず、今日は年に数回訪れるお祭り騒ぎの中でもかなり重要視されるクリスマスだからだ。
本来はキリストの誕生日を祝いながらおごそかに過ごす日なのだろうが、日本では家族や友人同士で美味しい食事とクリスマスケーキに舌鼓を打ち、恋人たちが周りを気にせず二人だけの幸せな時間に浸る年中行事の一つになっている。宗教的な異議を全くと言っていい程感じない日本のクリスマスではあるが、それはそれで楽しいものだ。
セレスティもまた、そんなイベント気分を味わおうと、いつものようにリムジンで迎えに行くのではなく、わざわざ待ち合わせ場所を指定して、今宵を過ごす約束を取り付けていた。
財閥総帥の彼の立場をもってすれば、こんな朝の満員電車の方がまだマシだと思える混雑に煩わされる事無く、ゆったりとした時間を作るのは造作もないはずだが、セレスティは今日は普通に街を見たいと思ったのだ。
自分の世界に色を取り戻してくれた彼女と、イルミネーションの洪水の中に溶けてみたかった。冷たくも澄んだ冬の空気を肌に感じ、幾色もの輝きを目にしながら、彼女の楽しそうな笑顔を見ていたいと、混雑を承知で出てきたのだった。
待ち合わせに選んだのは都心の大きな駅前にある噴水の前だった。同じように誰かを待つ人々の中で、すらりとした長身を上品なコートで包み、イルミネーションを照り返す美しい銀髪の下にこの世の者とは思えない美貌を覗かせるセレスティの姿は、まるで彼自身がこの日の為の飾りの中心であるかのように美しく、そしてかなり目を引く。周りにいる人間も傍を通り縋る人もセレスティを振り返らない者はいなかった。
しかし、本人はそんな視線を気にする事もなく、スーツの内側から懐中時計を取り出し、待ち遠しい気持ちを抑えながら今日何度目かの時間の確認をするのだった。
* * *
「セレ様ぁ!」
人ごみの中から自分を呼ぶ声に、セレスティはハッと顔を上げた。周りのイルミネーションを反射して輝きながら零れ落ちる噴水の向こう側に、自分と同じ豊かな銀色の髪を持つ少女が満面の笑みで手を振っているのが見える。
「こちらですよ、ヴィヴィ」
その姿を認め、セレスティは軽く手を上げ自分の位置を知らせた。普段からやや愁いを帯びたような表情を映すセレスティだが、今は大切な人を見つけた喜びに素直な笑みが零れていた。
腰まである絹糸のような銀の髪と、モノクロのドレスの裾と、それに施されたたくさんの白いレースを靡かせて走ってきた彼の恋人は、隙間なく溢れる人波から押し出されて、前につんのめりながらセレスティの目の前に駆け寄ってきた。そして、彼の目の前に立つと一つ大きく深呼吸をし、次の瞬間、がばっと体を半分に折った。
「遅れてごめんなさい! セレ様をお待たせするなんて……もうあたしのバカバカバカぁ!」
大事な恋人を寒空の下で待たせてしまった事に、ヴィヴィアン・マッカランは首を左右に振り銀髪を揺らしながら、自分の拳で頭をぽかぽかと叩きながら自分を責める。その様子にセレスティは思わずくすりと小さな笑みを漏らした。いつも一生懸命に全身で愛情表現をしてくれるこの小さな恋人の存在は、セレスティの心に安らぎと温かさをもたらしてくれる。
「そんなに待っていませんよ。電車が遅れたのでしょう? ヴィヴィが悪いんじゃありません」
「セレ様ったら優し過ぎますぅ」
セレスティが穏やかに声をかけると、ヴィヴィアンは大きな瞳をうるうると感動に震わせ、拳を作っていた手を今度は胸の前で祈るように組み、セレスティの顔を見上げた。感激しているヴィヴィアンに微笑みかけながらセレスティはす、と片手を差し出した。
「人が多いですから、はぐれないように」
「はい!」
ヴィヴィアンはその顔を少しだけ赤くして、差し出された手をしっかりと握り締めた。
* * *
セレスティがヴィヴィアンを連れて向かったのは駅から少し離れたホテルのレストランであった。立ち並ぶ高層ビルよりもまだ高いそのホテルの上階にある高級レストランは、そこから見下ろす夜景の素晴らしさから雰囲気重視のデートには必ず使われる場所で雑誌にも紹介されている。それ故にクリスマス当日に予約を取るのは大変なのだが、その辺りに抜かりはない。セレスティの人脈で何ヶ月も前から一番景色のよい、窓際の席をリザーブしてある。
店に入り名前を告げると、ボーイは二人を窓際の席へと案内した。通された席で向かい合って座ると、ヴィヴィアンが窓の外を見て声を上げた。
「わぁ……!」
眼下に広がる都心の夜景は、床一面に広げた漆黒のベルベットの上に、鮮やかなスパンコールを無造作に散りばめたかの如く不規則に煌きながら、視線のそのまた先まで光の道を連ねていた。
「お気に召しましたか?」
「はい勿論です! セレ様がしてくださる事は、あたし何でも嬉しいです」
大きな赤い瞳をネオンよりも輝かせて自分を見つめるヴィヴィアンに、セレスティは微笑みかけた。
「ヴィヴィに喜んで頂けるのが、私にとっても一番嬉しい事ですよ」
「セレ様……」
誰をも魅了する笑みを自分だけに向けてくれるセレスティに、ヴィヴィアンは思わず見惚れていた。
一目見た時から美しすぎる彼に心を奪われ、想いが通じてからは、会っている間中見惚れているのがほぼ日課になっているヴィヴィアンだが、この日は格別だった。
(最高のクリスマスだわ……ああん、もう夜景なんかよりセレ様の方が何倍もお美しいわ!)
「あたし、幸せ過ぎてもうダメかもしれません〜」
「幸せ過ぎるのは私もですが、ダメになられるのは困りますね。まだまだ今夜はお付き合い願いたいので」
「どこまでも付いて行きますぅ」
思いつく限りの賛辞を心の中で叫びながら、うっとりと美貌の恋人を見つめて言うヴィヴィアンに、セレスティは極上の笑みを返した。
* * *
食事が運ばれてくると、まずは食前酒のワインで乾杯をする。ワイングラスの触れ合う小さく高い音が幸せな恋人たちの間で祝福の鐘のように響いた。それは店内のどのテーブルからも響いてくる音だ。
店内は街の中と同じくセレスティ達のような恋人同士で埋まっていたが、その中でも二人は一際目立っている。
見る者誰もが魅了されてしまうような美貌の青年と、豪奢でそれでいて可愛らしいゴスロリファッションのドレスに身を包んだ、アンティーク人形のような美少女。まるで絵に描いたような美男美女のカップルに、自分達の世界に浸っているはずの人々の間から感嘆の溜息が漏れる。
それでもこの中で一番二人の世界に浸っているのは、やはりセレスティとヴィヴィアンであろう事は誰の目から見ても明白であった。
[ ACT:2 I Wish ]
食事を済ませ店を出ると、セレスティはエレベーターの前で立ち止まりヴィヴィアンを上階へと誘った。
「ここが最上階じゃなかったんですか?」
「この上に展望フロアがあるんですよ。先程は見えなかったものをヴィヴィに見せてあげたいのです」
そう言って丁度到着したエレベーターの中にヴィヴィアンを促すと、セレスティは最上階へのボタンを押した。
* * *
「きゃぁ、すごい……っ!」
数秒の浮遊感の後、扉が開くとその先には仕切りのない一つの大きなフロアが表れた。四面の壁全てに窓があり、三六〇度のパノラマで先程よりも雄大な夜景が映し出されている。
正面の窓からはレストランの席からは見えなかった東京タワーが、オレンジ色の光に包まれて立っているのが見えた。それは大きなクリスマスツリーのようにネオンの海の中で一際輝いていた。
セレスティは、窓際に駆け寄り壮大なイルミネーションの海に感激しているヴィヴィアンの横に立つと、そっと肩に手を回した。それに気付き、ヴィヴィアンは体を少し傾け、セレスティの胸に手を添えて寄り添う。
暫くそのまま宝石箱の中身のような景色を楽しんでから、ヴィヴィアンはセレスティを見上げて嬉しそうに瞳を輝かせた。
「セレ様、今日は本当に有難うございました。あたし、胸が一杯です」
「お礼を言うのは私の方ですよ。有難う、ヴィヴィ、私の傍に居てくれて」
セレスティは微笑みながらヴィヴィアンの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ヴィヴィが居てくれなかったら、私はこの夜景を見てもただ綺麗だな、と思うだけで明日にはきっと忘れてしまう事でしょう。他のどんな景色も出来事も同じです。でも、ヴィヴィが隣に居てくれるから私はどんな事も素敵な思い出として忘れないでいられるのです」
緩やかに澱み始めていた人生に、澄んだ清流を注ぎ込んでくれた愛しい人の体を抱き寄せ、セレスティは耳元でそっと囁いた。
「本当に、貴女が居てくれて心から良かったと思います。有難う、ヴィヴィ」
「セレ様……それはあたしも同じです。セレ様が居てくださるから、毎日幸せだし、色んな事も頑張れるんです。幸せ過ぎて泣けなくて、いつまでも落ち零れバンシーのままですけど」
「ヴィヴィが一人前になれないのは私のせいですね。でも、ヴィヴィの笑顔が見られるなら落ち零れのままでいて欲しいですよ」
「セレ様ったらひどい」
おどけて笑うヴィヴィアンにつられて笑みを浮かべ、セレスティは自分の胸に添えられた白い小さな手の甲に軽く口付けた。
「ヴィヴィ。今日最後のプレゼントに魔法を一つ」
「魔法ですか?」
セレスティの言葉に小首を傾げるヴィヴィアンに、見ていてくださいと、セレスティは東京タワーを指差した。
「いいですか。スリー、トゥー、ワン……!」
セレスティがカウントダウンを始め、そして指をパチリと鳴らした途端。
ふ、と東京タワーが消えた。
「あっ!」
瞬きを繰り返しながら消えた東京タワーとセレスティを交互に見やるヴィヴィアンに、セレスティは軽くウィンクを返す。
「どうですか」
「すごいですセレ様。どうやったんですか?」
「ふふ、十二時の魔法です。ヴィヴィにも後で教えてあげます」
しきりに感心するヴィヴィアンに、セレスティはにこりと笑う。
「次のクリスマスにはヴィヴィが魔法をかけてみてくださいね?」
「はい、頑張ります!」
満面の笑みで答えるヴィヴィアンをセレスティはもう一度しっかりと抱き寄せた。
この先ずっと、幸福色に染まった自分がまた色褪せてしまわないように、どうか魔法をかけ続けて欲しいと願いながら―――――。
[ Eternal Colors/終 ]
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