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■欲望の鐘が鳴る頃に■
「貴方様のところにしか、出来ないことなのです」
最近、こう言う意味不明な依頼方法が多いなと、草間は少々頭痛がしてきた。
喧しいベルがなり、『よしっ、これで年が越せるっ!』と思った草間は、嬉々としてその扉を開けたのだ。
するとそこに立っていたのは、老年に入って何年経つのだろうと思える男だった。
彼は自分を神社の神主であると名乗った。
草間は、神社と言うだけで眉を顰め、更にその神社の名を聞いた途端、眉間の皺を一本増やす。そして冒頭のこれだ。
「うちにしか出来ないと言われても、何を指しているのかが、皆目見当も付きませんが…」
いや、見当など疾うに付いている。
どうせまた、オカルト絡みの話なのだ。
そう『鬼鎮神社』などと言う、もう曰くありありな名前を持つ神社の神主の言うことなど、そうに決まっている。
取り敢えず、なけなしの敬老精神を振り絞り、とっとと帰れと言う言葉は飲み込んでいるものの、本心は『ああ、オカルトに始まって、オカルトに終わるのか、うちは…』と心の隙間に吹きすさぶ風を受け、一人ニヒルに笑っていたのである。
草間の促しにその神主、鬼頭静流と言う典雅なんだかオカルトっぽいのか解らない名を持つ老人は、ゆっくりと口を開いた。声自体は、朗々としてとても耳心地の良いものであるのが救いだ。
「はい。当鬼鎮神社は、増上寺、浅草寺が鬼門封じとして建立された寺院であると同様、鬼門封じの神社として同じく作られました。毎年、先の二つの寺院が突く除夜の鐘と共に煩悩は昇華されるのですが、やはり全てが昇華されるとは限りません。当神社は、その昇華しきれなかった煩悩を、毎年神鏡に封印することもまた、その役割として持っております。しかし、先日のお話でございます。その封印をさせない、また今まで封じていたものまでを解放すると言う輩が現れました」
ああやはり…と草間は心の中で溜息を吐く。
帰ってくれと言いたいのだが、やはりなけなしの敬老精神がそれを言わせない。
「封じていたものですか…。もしもそれが解放されたら、どうなるんですか?」
『煩悩を封印かー、さぞや面白いもんが出てくるだろうなー』と、人ごとの様に思っている草間であった。草間にしての煩悩とは、所詮色欲や物欲に直結しているのだ。
「解りません」
「は?」
「どう言った結果になるかは、わたくしどもでも解りかねます。ただ、江戸時代に遡って封じ込められた煩悩が解き放たれれば、それはそれは恐ろしい結果になるかと考えております」
老人は、そう真面目腐った顔で言う。
「つまり、その鏡を壊すか盗むかしようとしている輩を、こちらでふん捕まえろと言う訳ですか?」
「いえ、捕まえて頂かなくとも構いません。ただ、除夜の鐘が鳴る頃から、初日の出までの間、鏡を守って頂きたいのです。初日の出に鏡を照らせば、封印は完了致しますので」
解らないのであれば、一度試してみればと言いたいのだが、もし万が一、自分の身に火の粉が降りかかる様なことがあっては堪らない。
草間の言う言葉は一つしかなかった。
「解りました。お受け致しましょう」
草間興信所の立て付けの悪いドアが開かれる。呼び鈴…と言うよりブザーだが、ともかくそれを鳴らさずに颯爽と入ってきたのは、この草間興信所の最古参で大蔵大臣でもあるシュライン・エマだった。
艶のある長い黒髪を一つにまとめて肩から流し、涼しげな青い瞳は抱え持っている荷物を見ていた。
「ただいまー。武彦さん、洗剤買ってきたわよ、さっさと掃除しないと、ここが汚いまま年が明けちゃうわよ……。と、あら」
思わずシュラインが口元を手で押さえる。
彼女は、何時も通りに声をかけたつもりだった。
ただ普段と違うのは…。
「失礼致しました。お客様がいらしてましたのね」
すっとテーブルを流し見ると、茶すらもそこには乗っていない。この草間興信所には、現在所長の草間しかいない為、そんなものを出すと言う気が回らなかったのだろうことは、想像に難くはなかった。ちなみに常々たむろしている面々は、大掃除をしたくない為にさっさと逃げ出してしまったのだ。ただ草間の義妹は買い物中だが。
彼女はいらっしゃいませと軽く会釈した後、キッチンへと入って行こうとしたのだが、それを草間に止められた。
「お客さんのお話は終わったところだ」
「この興信所には、この様にお美しい方がいらっしゃるのですか。今回の依頼には、この方も?」
「さあ…。それは所長と相談してみませんと…」
しげしげと見られ、シュラインは愛想笑いを浮かべつつも、何となくだがじっくりと見てしまう。
「貴方の様な方が当方に来ていただければ、きっと楽しい年末年始になるでしょうに…」
このジイさん、ナンパしてるのだろうかと思ってしまったシュラインだった。
ただ…。
最後に笑った口元を見て、何故かデジャブじみたものを感じた。
『何だろう…』
そう思いつつも、この依頼人に見覚えがある筈もなく、似た人物を何処かで見たのだろうと結論づけた。
荷物を持ったままそこで立ち止まっていると、立て付けの悪いドアが、やはりうるさい音を立てて閉まった。その音に我に返ると、すでに依頼人は帰った後だ。
「武彦さん、どんな依頼なの?」
そう言うと草間が眉間に皺を寄せたまま、先程聞いた話をシュラインへと説明しつつ、取ったメモを渡す。草間の声を聞きつつ、その写真付きのメモに目を通した。
「所謂、このご神鏡と言うのを守れば良いのよね」
鏡を映している写真をピンと弾いてそう言った。
「端的に言えばそう言うことになるな」
「難しく言っても同じです」
にっこり笑ったシュラインは、すでに頭を別のことに切り換えていた。
「じゃあ、ここの掃除も楽になるわねぇ…」
『ん?』とばかりに草間が視線で問う。
「だって、敵さんが何処から来るのかも解らないんでしょ? 人手がいるわよねぇ」
「成程。そう言う魂胆か」
「失礼ねぇ、武彦さんが掃除嫌いだから、困ってるんじゃない。おせちだって、作る尻からつまみ食いするし、お正月の用意が進まないったら…。ここは是非とも、来て貰った方達にも手伝って貰わないと」
分が悪くなって来た草間は、しらーーっと視線をそらせて煙草に火を付けると、音を立てない様に──しかし狭い興信所内では意味がない──年期と根性の入った黒電話へと手を伸ばす。その様を見、シュラインの口元が微かに揺るんだ。
それは草間が、今年も無事に年を越すことが出来たと言う喜びであり、また自分も同じく、彼の側で一年を過ごしてきたと言う満足感から出た笑みだ。
まあ色々とあったのだが、最終的にこうして五体満足でいるのだからそれで良し。そう思う。
「ちょっと早いけど、来年もよろしくね。武彦さん」
小声で呟くシュラインは、身内同然となった者達へと連絡を取る草間を見つめた。
狭い草間興信所の室内は、満員御礼だった。
そこにいるのは男女取り混ぜ十一人。取り敢えず、所長の草間と義妹の零込みではあるが。
草間に電話で呼び出された者、仕事を探してやって来た者、何となくここへと来てしまった者、そして元からここにいた者と、ここにいる理由は様々だった。
ちなみにここの掃除は、張り切って行う約三名がいた為、最後の一人が訪れた時には、大層綺麗に片づいていた。
「取り敢えず、互いに知ってる人もいるでしょうけど、人が多いし、顔合わせが初めての人もいるから自己紹介から始めましょうか」
シュラインのその言葉に、反応は様々だ。
笑顔で了承を返す者、無表情な者、更に緊張を深めた者、眉間に皺を寄せた者…。
けれど誰もイヤだと言う言葉は、口にしなかった。
「じゃあ、言い出しっぺの私からね。シュライン・エマよ。ここの興信所の事務員をやってるわ。ま、依頼も手伝うけどね」
はっきり言って、彼女を知らぬ者はいないだろう。草間に続いての有名人でもあり、彼を凌ぐ才能を持っているのだ。彼女がいないと、この草間興信所は、疾うの昔に経営破綻を起こしているだろう。
「では、次は俺で。蜂須賀大六。まあ、見ての通り、しがない元ヤクザですね」
大きな口を歪ませてそう挨拶するも、女子高生二人組の顔は、引きつっている。まあそれも仕方ないかもしれない。普通であれば、あまり親しくなる機会のない職業なのだから。
そして次に口を開いたのも、普通であれば親しくなる機会のない人物であろう。
「セレスティ・カーニンガムです。草間さんには、日頃からお世話になっております」
にっこりと微笑むと、女性ばかりか男性の一部も目尻が下がる。勿論、能力抜きの笑みなのだが、その容姿故、見惚れる者が出るのは仕方もないだろう。
『お世話に…』の下りで、ふんぞり返った草間がうんうんと頷いているのを見て、思わずシュラインは、耳を引っ張りつつ『お世話になってるのは、武彦さんよ。威張らないの』と言ってしまう。
「セレスティさまの元で庭師をさせて頂いております、モーリス・ラジアルです」
何処か悪戯っぽい笑みでそう瞳を和ませ妖しく微笑んだ。
「わたくしめは、主様…セレスティさまの元で、料理人をさせて頂いております、池田屋兎月にござります。以後、よしなにお願い致します」
日頃屋敷で見るコック服は脱いでおり、和装に身を包んだ兎月は、端正な顔を僅かばかり赤らめてそう挨拶をした。
「凡河内絢音です。宜しくお願いします」
ぺこりと頭を下げた絢音は、何か他にも言おうかと考えている素振りを見せつつ、結局言えずにスカートをきゅっと握りしめた。
ついでに言うと、主である草間と女性陣、足の弱いセレスティはソファに、その他の男共は周囲に立っていると言うのが、現状だった。
「えと、あたしは花瀬祀。絢音とは、ライバルって感じ?」
続いては絢音の隣に座っていた祀が口を開いた。
実はシュラインには、彼女に草間と間違われたと言う嬉しいのか悲しいのか解らない展開があった。きっと絢音が草間は男であると言う事実を思い出して貰えなければ、未だ草間だと思われていたかも知れない。
「私は、シオン・レ・ハイと申します! 皆様、宜しくお願いします!」
元気にそう名乗るシオンの腕には、最愛の垂れ耳兎がだっこされている。寒空に置いて来るのは忍びないと思ったから、ここまで連れてきているのだろう。その当の兎は、シオンの腕の中、心地よい暖かさに包まれて眠っている。先程まで女子高生二人組に可愛がって貰えて、満足したこともあるらしい。
「最後は俺か。幾島壮司だ。宜しく」
呟いた後に、名前だけをぶっきらぼうに壮司は言う。
「さて、自己紹介は終わりね」
既に零によって、それぞれの飲み物が振る舞われている。貧乏所帯の草間興信所にて、誰もその味に文句を言わないのは、当然ながらそれ入れている零とシュラインの腕が良いからだ。
「じゃあ、依頼の内容に移る」
そう草間が言うと、零によって今回の資料のコピーが手渡された。
各々がそれに目を通し始めると、再度草間が口を開く。
「今回の依頼は、鬼鎮神社(きじんじんじゃ)の神主、鬼頭静流(きとう しずる)と言うジイさんからのものだ」
ジイさんと言う言葉に、シュラインが呆れた様に武彦を見たが、本人は何処吹く風で言葉を続ける。
「この神社には、とある鏡がある。写真を見てくれ」
そう流すと、添付されていた写真を皆が見る。
「それがその鏡だ。ちなみに作られて百年以上は経ってると思うぞ。何せ、神社の方が増上寺や浅草寺に続いて建てられたらしいからな」
嘘かホントかは解らんがと、草間は続ける。
その写真には、何の飾り気もない鏡が映っていた。装飾もなければ縁もない。ただ単なる丸鏡だ。
ふと気付いた様に、セレスティが口を開く。
「草間さん、この鏡の写真は、どう言うところで撮られたのか解りますか?」
「ん? どう言うことだ?」
セレスティのその言葉に、草間が応える。壮司がふいにサングラスを上げているのが見えた。何をしているのだろうと思った時だ。
「幾島さん!?」
壮司がキャビネに音を立てて倒れ込んでしまう。
床に座り込む事態は、心配げに背を支えるモーリスによって避けられはしたが。
「いや、悪い…。何でもない」
「幾島。何が見えた?」
草間がそう聞いたのは、壮司の能力を知っているからだろう。
彼は少し迷う素振りを見せた後、大きく溜息を吐くと、降参とばかりに手を挙げた。
モーリスに礼を言うと、自力で立ち上がって口を開く。
「特に何も。見ようとしたら、このザマだ」
「何かが邪魔をしたと言うことですね」
ちらりと肩越しに振り返り、セレスティがそう確認する。
「そう言うことになる、かなぁ…。まあ、解ったのはガワくらいか…。直径十五センチの真円で、材質は普通の鏡と同じ。厚さは一センチってとこだ。後は見た通り」
「セレスティ、見れるか?」
「お止め下さい、主様。わたくしめがお聞きしてみます故、危ないことはなさらないで下さいませ」
壮司が大丈夫であると見て取ると、草間は続いてセレスティに話を振る。だがセレスティが短く肯き写真に覗き込んだ瞬間、兎月のその声に遮られた。
「私も兎月くんの言うことに賛成ですね。セレスティさまはお止め下さい。本当なら、私が見たいですけれど、生憎その力はありませんからね」
モーリスの力は、あるべきものをあるべき状態へと戻す力。それ以外のものでも、サーチやスキャンと言った能力はない。しかし兎月には、無生物や獣と会話する能力がある。写真も広義に渡っての無生物だ。
モーリスが兎月に頷く。
「兎月くん、怪我をしたら、私がちゃんと治してあげますからね」
にっこりと微笑むモーリスに、小さく兎月は頷いた。
「では…」
暫く真剣に写真を見つめていた兎月は、不意にはあと溜息を吐いた。
「何も話してはくれませぬ…」
言い出したは良いが、結果の出せないことに落胆してるのだろう。
「気配はあるのでございます。けれど、何やら頑ななご様子で…」
そんな大人達を女子高生二人組は、まじまじと見ていた。
「取り敢えず、セレスティの問いの答えを言うと、何処で撮ったものかは、俺は知らん。で、だ。二人の状況を見るに、恐らくこの写真から拾えるものは幾島の言ったこと以外何もないだろうと、俺は思う訳だが」
「そうですね。どうやら意志は宿っている様に見えますが、応える気はないようですねぇ」
「セレスティさんとやら、どうして意志があると解るんです?」
大六の問いに、シオンもまたうんうんと頷いている。
ちなみにシオンのティカップは、大六が持っていた。
そのスジ関係に荷物持ちをさせる四十二才無職独身。恐るべし。
「兎月くんは話しかけていたでしょう? そして幾島さんは、直に見ようとした。それに対する、写真の反応ですよ」
成程、聞いた本人を始め、それぞれが納得した様だ。
つまりのところ、相手に問いかける形の兎月には沈黙を、普通に解析しようとした壮司には反撃をしたと言うことは、区別をしていると言うことで、意志があると判断するに値したと言うことだろう。
「何だか、この依頼は胡散臭いですねぇ。そう思いませんか? 貴方?」
シオンに話しかける大六は、鼻ピアスを弄っている。
「どうなんでしょう…」
「いえ、蜂須賀さんの言う通りだと思いますよ」
はっきりと言い切れなかったシオンに対し、セレスティがきっぱりと言う。
「セレスティさん、それは何故かしら?」
「私が草間さんに聞いたことを覚えていらっしゃいますね? あの写真の鏡には、何も映ってなかったのですよ。普通は何かしらが写り込んでいる筈です。プロが撮った写真にも見えませんでしたしね」
シュラインがあっと言う顔をして、その写真を再度見る。更にそれぞれが再度写真を見て目を見開いた。
「本当だわ…」
「まあ、そう言う曰くがあるものかもしれませんので、何とも言えませんが…」
「…取り敢えず、先を話してもらいましょうか? 武彦さん?」
シュラインが見たところ、そんな噂がある様なメモはなかったのだ。とにかく話を進める方が良いだろうと、彼女は草間を促した。
「ああ。で、この写真にある鏡だが、これはな、そのジイさん曰く、煩悩の余りモンを封じ込めている鏡だそうだ」
「煩悩?」
「余り物?」
「封じ込めてるんですか?」
それぞれ絢音、祀、シオンだ。
「煩悩を封じ込める鏡ですか…。何だか勿体ない気がしますねぇ…」
モーリスが、明後日の方向を向いてそう呟く。
「ああ、何でも増上寺と浅草寺は、除夜の鐘で一年間の煩悩を昇華させると言う働きをしているそうだ。だがな、どうにも取り逃がす煩悩もあるんだと。で、この鬼鎮神社を建てて、その写真の鏡に依ってそのあぶれた煩悩を封じるってのが鏡の使い道らしい」
誰も『出来ないだろう、そんなこと』と言わないところが、草間興信所に集う面々であると言える。
「ではそれを邪魔する人が、いると言うことなのでしょうか?」
兎月が不安げにそう聞いた。
「そう言うことだ。ああ、そう言えば、増上寺も浅草寺も、鬼門封じの為に建立されたとか言ってたなぁ。で、鬼鎮神社にも、その役割があるとも…」
「確か、増上寺は移転したのではなかったでしたっけ?」
意外に大六が詳しいらしい。
そうなのか? とシュラインに視線で問いかける草間に、シュラインはどうだったかしらと考え、零に視線をやるが、手を振って知らないと答えている。
「ヤクザは縁起を担ぎますからねぇ。…鬼門封じで思い出したんですよ。江戸城の鬼門封じですね。確か、増上寺が開かれたのは、一三九三年だった筈です。浄土宗の何とかって上人によって開かれています。で、江戸時代、狸親父が関東の地を治めるようになって、すぐに徳川家の菩提寺として選ばれてますね。でもって、一五九八年に、今の芝の地に移転したんですよ。確か、ね」
「…百年と言う話じゃないよねぇ。四百年かー。長いなあ」
祀が何処か感慨深げに言う。
「んじゃ、浅草寺は?」
壮司が大六に問う。
「実はもの凄く古いんですよ。ここは」
にんまり笑うと、品のない顔が更に品を下げている気がする。
「まあ、あの形式になったのはもっと後ですけど、元となる観音像が見つかったのは六二八年、観音堂が建てられたのは六四五年ですね」
「え? じゃあ、依頼人の言う鬼門封じの為に、江戸時代に建立されたって言うのは嘘なんですか?」
絢音が目を丸くして聞くのだが、大六は肩をすくめて違うと言う。
「むしろ、江戸城がそれに合わせて建てられたんじゃないですか? 更に言うと、寛永寺もまた、江戸城の鬼門封じの為に建てられたと言われてますけど…」
言外に違いますねぇと言う意図が感じられる。
「確か、江戸城…まあ、今の皇居だけど、そこから見ても北東の鬼門に当たるのは、寛永寺よりも浅草寺よねぇ」
シュラインが地図を脳裏に浮かべてそう答えた。
続いて兎月が、何かを思い出すかの様な口ぶりでそう聞く。
「その鏡に封ぜられている煩悩は、江戸の時代からのものであろうと考えても、宜しゅうございましょうか?」
「ジイさんの話を信じると、そう言うことになるな。で、それを解放しようとしているヤツがいる、と」
「その様なものを、解放すると仰る…」
「兎月くん?」
隣にいる兎月が、俯いたことを怪訝に思ったモーリスが、そっと顔を覗き込むが、彼はすぐに正面を向いた。唇は真一文字に引き結ばれ、何か思い詰めた風に見える。
「わたくしめは、もう二度と、あのようなことが起こるのは、嫌でございます。その様なことは、必ず阻止しとうございます」
その言葉の意味を解っているのは、彼と深く関わっているセレスティとモーリスだけだろう。
他の者は、解らないまでも聞くべきではないと察しているのだろう、誰も詮索はしなかった。
「で、だ。ジイさんの依頼は、その鏡を除夜の鐘が鳴る頃から日の出まで、守ってくれと言うことだ」
「守るだけ? 捕まえるんじゃなくて?」
祀が怪訝な顔で聞くが、草間は苦虫を噛み潰した様な顔になっている。
「守るだけと言ってもな、何時間つきあうことになるか、知ってるか?」
「さ、さあ……? 三時間くらい?」
首を振る草間は、同時に資料を見ろと言う風に示す。
「……六時間五十分……」
「約七時間と言ったところよね」
見た内容は、除夜の鐘が突かれる開始時間と、日の出の時間。勿論、それを調べたのはシュラインだ。
除夜の鐘は十二月三十一日の二十四時から突き始める。そして元旦の日の出時間は六時五十分だ。
「持久戦ですねぇ。これは」
「え、えーと。ご飯の時間とおやつの時間は……」
あまり嬉しくはないと言った調子のモーリスに、その間の胃袋の心配をするシオン。
「シオンさん、頑張って働けば、きっと良いことがありますよ。ねぇ、兎月くん?」
セレスティの言葉に目をぱちくりとするシオンと兎月だが、その意を察したらしい兎月は、微かに唇に笑みを乗せる。
「はい。勿論でございます。無事に鏡を守りきることが、叶いますれば…」
何だか良く解らないが、きっと良いこと…つまりお腹がいっぱいになるのだと言うことが解った様であるシオンは、元気良く返事をした。
「解りました! 私、頑張ります!」
張り切るシオンに暖かい笑みを浮かべていたセレスティは、ふと思い出した様に口を開いた。
「それにしても、煩悩を解放する目的は何でしょうか」
セレスティのその呟きに、皆が考えている。
「私は煩悩っていうか、好きな女性の気を引けるかな? と思ってやってる人が犯人なんじゃないかな? と思うんだけど……」
周囲を伺いつつ、控えめに絢音が意見を述べた。それの後押しをしたのは祀だ。
「モテない男の煩悩ぉ? …やぁだやだ、ったく、ほんっと男ってしょーもないんだから…。そんなんで、好きな女の子に振り向いて貰えるとでも思ってんのかな。人様に迷惑かけちゃ駄目だって、お婆ちゃんが口をすっぱくしてあたしに教えてくれたんだから。お仕置き決定、だね」
「お仕置きは楽しそうですねぇ」
何処か違うところに焦点が当たっているモーリスを見つつ、草間がうーんと唸る。
「だと気が楽なんだがなぁ」
「さあ、どうでしょう?」
女子高生組の意見を聞き、セレスティが笑みを浮かべている。
「煩悩のままに生きたいと、そう願っている方の様な気も致しますしねぇ」
「そうですねぇ。自分の煩悩を消されるのが我慢出来ないのかもしれませんねぇ」
「愉快犯でないことを、わたくしめは願っております」
何か決意を秘めた様な言葉だ。
「この前会ったヤツなんかは、思いっきりその愉快犯タイプよね」
嫌なことを思い出したとばかりに、シュラインは眉を顰めた。
「後イヤなのは、解放した煩悩が出す力を使おうとするヤツだな。四百年と言う間の煩悩だ。とてつもなく嫌なことになりそうだ。ただ煩悩が解放されるだけでも、とんでもないことが起こるだろうな」
壮司もまた、草間と同じ様にうーんと唸る。
「イタズラなら心配はないですけれど、最近は物騒ですしね。気紛れな幻獣かもしれないし、もしかして虚無の奴らってことも、確率的にはない話じゃないですねぇ。ま、どのみち俺は、今回の予告をしてきたヤツには容赦しませんけどね」
「どうしてですか?」
不思議そうにシオンが聞いた。
「俺達ヤクザは、縁起を担ぎますからね。そんな年越しをぶち壊そうとしているヤツなんぞに、甘い顔は出来ません。それに、正月は香具師達の稼ぎ時でもあるんですよ。邪魔されると、シノギが削られます」
そっちが本音かと思わず草間は言いそうになり、あわやと言うところで口を閉じた。
「取り敢えず、ちょっと休憩入れましょうか。本番は明日だしね」
そう言うとシュラインが席を立ち、零を促してお茶のお代わりの準備をし始める。 そう言うとシュラインが席を立ち、零を促してお茶のお代わりの準備をし始めていると、兎月が遠慮がちに入って来る。
「わたくしめも、お手伝い致します」
「あら良いのよ。座ってて」
にっこり笑ってそう言うも、兎月は柔らかく否の返事を返す。
「黙って座ってはおられない質でございますれば…」
あらまあとシュラインは思うも、手伝ってもらえるなら嬉しい。
「じゃ、お願いするわね」
それに続いて入って来たのは絢音だ。
「あら、座っててくれても良いのに」
同じ様な言葉を繰り返しているなと思いつつ、やはり絢音の答えも否だった。
「いえ、お手伝いします。あんなに大勢なんですから。人数は多い方が良いですよね」
そう言う絢音へ、シュラインは兎月と共に、にっこりと笑いかけていた。
休憩を入れ、再度の会議へと突入してすぐ、シュラインがそう言えばと口を開く。
「ここまで人がいると、力強い反面、能力の把握が大変よね。そこで提案なんだけど…。イヤならイヤと言ってちょうだいね。無理にとは言わないから」
先程の写真の件を見て、シュラインは気付いたことがあった。
ここにいる面々は、互いに出来ることと出来ないことが何であるのかを知らない者もいる。もしも突発的な何かが起これば、各自の判断においての対処がやり辛いだろうと言うことだ。
「何でしょうか?」
「警備を行う際に、やっぱり適材適所って言うか、組み合わせみたいなものがあると思うの。だから各自何が出来るかを教えて欲しいのよ。一応、互いの意志を尊重した守りにはしたいとは思ってるし、本格的な対策は、実際の場所をこの目で見ないと難しいかもしれないけど、何かあった時、臨機応変に対応出来る様にね」
「そう言えば、肝心の神社の場所が書かれていませんが…」
セレスティは実際の場所と言うことに、思い出したのだろう。確かにそこにあるのは、神社内の案内図のみだ。
「ちなみに最初に言っておくと、鬼鎮神社は地図にない。でもってジイさんはその場所を教えてはくれなかった」
「え? じゃあ、どうやってそこまで行くのですか?」
シオンの問いは、当然のものだ。
「明日昼、迎えを寄越すと言っていた」
「秘密保持…ですか」
モーリスがそう言って、唇を指で撫でた。
「しかしまあ、そうやってまで、何故場所を隠そうとするんでしょうかねぇ」
何か思うところのあった大六は、ゲジゲジ眉毛を顰めて言う。
「さてな。俺にも解らん」
「取り敢えず、今解っているのは神社の内部だけなのよ。そこを元に、警備の布陣を引くべきよね」
「そこで適材適所に組み合わせと言う訳だ」
壮司が納得した様に呟いた。
「先に私から言うわね。…と言っても、攻撃的な能力ってあまりないのよね。私の場合は、基本的に音に関係するものかしら。一度聞いた音は、絶対に忘れないし、それを真似ることも出来るわ。不審な音なんかも聞き逃さないから、自分で言うのは何だけど、索敵には向いていると思うわ。後は、職業柄、語学力かしらねぇ」
「シュラインさんの聴力と声帯模写の能力は、素晴らしいですからね」
セレスティがにっこり笑い、続けて言う。
「私は水に関することですね。後はリーディングの能力ですかねぇ」
セレスティに続き、モーリスが口を開く。
「私の場合、全てのものを、最適な姿に返すことですねぇ。ええ、何でも返してみせますよ。ただ。……望んだ通りのものになるとは、限りませんけどねぇ。…後は、捕縛の様なことも、任せていただければ…」
悪戯っぽく微笑んで言うモーリスの後を取り、兎月が躊躇いつつも口を開く。
「わたくしめは、無生物や獣達との意志交流でしょうか」
「んじゃ、次は俺が。さっきもやったが、俺の左目で、物質、事象の解析、透視が出来る。後は鉤棔が使えるな」
壮司が、そう慎重に答えた。
「私は……。えーと。鮫さんと雪狼さんを飼ってます」
そのシオンの告白に、ん? とばかりに祀が聞いた。
「兎さんじゃなくて?」
「あ、えーと、はい。それとは別にです」
「何処に?」
「えーと…」
思わず手袋を外しそうになるシオンに、草間が目をむいて大声を上げた。
「バカっ! 外さんで良い! ここを丸焼けにするつもりかっ!!」
草間の慌て様を聞き、祀が納得した様に言った。
「つまりおじさんは、炎使いってことね」
「はい…。後は冷気ですけど、こちらはアテにはなりませんから……。でも、おじさん……」
「私は、弓であれば、大抵使えますけど……。あの、これ、もしかして人に向かって撃つとかは…」
恐る恐る絢音が聞いた。恐らく人に怪我をさせたりと言ったことはしたくないのだろう。
「まだ解らないけど、もしもそうなった場合、威嚇や誘導で撃つと言う手もあるわよ」
シュラインが絢音の意を酌んで、そう返した。
「そ、そうですか…」
「絢音の次はあたしね。えーと、一応、あたしは妖怪って言われる子達と友達なんだ。だからその子達の力を借りれるかな」
「最後は俺ですね。俺はデーモンを持っています。…強いですよ。攻撃、探索とも可能です」
「デーモンですか…。ちなみに何の?」
セレスティの問いに、大六は嬉しそうに答えた。
「蜂ですよ。本体は五メートルはありますねぇ。ま、端末は三十センチと言うところですが」
想像した女性陣の眉が、少々歪む。
流石にどでかい蜂とは、あまり仲良くしたくはないのだろう。
「攻守とも可能は、幾島と蜂須賀と零と言うところか。攻撃専門はシオンだな。シュライン、セレスティ、モーリス、池田屋、花瀬、凡河内は補助系、と」
「え? あの、私、攻撃するんですか?」
何処か呆然とした感のあるシオンが、煙草に火を付けている草間に怖々と尋ねた。
「お前の能力の、何処が補助系だ? 守備系だ? ん? 言ってみろ」
あんまりですぅ…と、腕に力を入れてしまい、すやすや眠っていた筈の兎から、ウサちゃんキックをまたもや食らってしまうシオンだ。
「まあまあ、シオンさん。そう落ち込まずに。攻撃系の力でも、補助系の力でも、使い様では色々と応用が利きますよ。草間さんは、取り敢えずのことを仰っているだけですから、ね?」
モーリスが意味深な笑いを浮かべて慰める。
「零も良いな?」
「はい。お義兄さん」
浮かない顔の零を見て、草間はあまり見せることのない表情を浮かべる。
「心配するな。もしもの時だ。手荒い仕掛けでもない限り、そんなことにはならんさ」
「で、そう言う草間の旦那は?」
壮司が何処か冷たい目線で聞くと、えっへんとばかりに草間がふんぞり返る。
「俺か? そりゃ決まってる。総大将の能力だ」
ほぼ全員の白い目を草間が受けつつも、シュラインがフォローに入る。
「能力と言って良いものかどうかはさておき、まあ、間違ってはいないんだけどねぇ」
「そうですねぇ。草間さんあっての、草間興信所……だと思いますし」
セレスティも笑いつつだが、シュラインの後押しをする。
「とにかくだ」
拡大コピーをした案内図を、ばさりとテーブルに乗せる。
「探索能力を持ってるヤツが、持ってないのと組むと考えてだな」
「どう守るか、ですね」
図をのぞき込みつつ、セレスティが受ける。
「それにしても、何故鏡のある場所すら、お教え頂けなかったのでしょう」
兎月が首を傾げてそう口を開く。
「何か、マジで守るつもりがないみたいな気がするんだが」
壮司もまたそう呟いた。
「あの頑固ジイさん、当日解りますの一点張りだ。笑顔で言うから、またこれが腹の立つ……。いや、えー。こっちはこっちで、基本的なプランを立てるしかない」
面白くないのは草間も同じだろう。表情でそう語り、フィルターをぎりりと噛んで、図を睨み付けた。
鬼鎮神社の内部は、本殿、絵馬殿、社務所と倉庫が二つ、菖蒲苑、菖蒲庵からなる中規模の神社だ。絵馬殿、菖蒲苑と並び、右に折れて本殿、更に右に折れて社務所が二つ並ぶと言うコの字型になっている。倉庫の一つは本殿の裏にあり、後もう一つの倉庫と菖蒲庵は、細い私道を挟んだ向かいに建てられていた。当然ながら神社付きものの鳥居や灯籠、参道もある。この神社の周りには杜が存在していた。
「提案があるのですが」
「何だ? 蜂須賀」
「ダミーを使いましょう」
「ダミー?」
シュラインの視線での問いかけに、大六が頷く。
「いくら大人数だと言っても、あまり分散するのは戦力的に不味いと思うわよ?」
「ダミーに関しては、俺に任せて下さい。俺のデーモンには、働き蜂が沢山いるんですよ。勿論、監視は出来ますしね。俺はそのダミーを警備して囮になります」
どのみち、蜂だけではそれは囮であると言っているものだ。そこそこに人を割かなければ、見破られることは必須である為、大六がそう言う。
「あ、俺もダミーを守ってるフリをしつつ、すぐに駆けつけることの出来る距離から本物を監視する」
壮司もまた、そう申告する。
「良し、こうしよう」
草間の一声に、皆が視線を集めた。
「攻守ともOKな幾島、蜂須賀はダミーを守る。蜂須賀、お前の蜂はただ見てるだけじゃないよな?」
「当然ですよ。機関砲が使えます」
「……機関砲は不味い。積極的には、建物を壊すな」
「霊的なもんですから、一般的に言うものとは違いますよ」
「取り敢えず、今のところ破壊行為は出来るだけ回避。後がない時だけ許可」
モーリスがいるから、直せないことはないが、彼は気まぐれな猫だ。積極的に直してくれると言う保証はない。草間はそう指示を出すと、他は本殿にと言うと、次の言葉で締めくくる。
「みんな、問題ないな」
それぞれが頷くのを確認し、シュラインが楽しそうに言う。
「さてと、いっぱい仕掛けしておかないとねぇ」
翌日。
きっかり正午に、その神社からまるで長距離仕様バスの様な車が、草間興信所の入っているビルの前にと駐車していた。
ちなみに付近にはセレスティの高級リムジンが、更に大六のヤクザ仕様おベンツさまもまた駐車されている。
既に興信所内では、今回の調査員も勢揃いだ。
「それではお願い致します」
そこに静かに座っているのは、依頼人本人ではなく、その息子と言う男だった。
実際に依頼人を見たことのあるシュラインは、親子で雰囲気が違う気がするなと思いつつ頷いた。
「調査員の皆様は、必ず私どもご用意致しましたバスにお乗り下さいます様、お願い致します」
どうしてだろうと小首を傾げる中、それを口に出したのは大六だった。
「俺は自分の車に荷物を置いてますから、そっちで行きたいんですけどねぇ。何故ダメなんです?」
「神社に確実に到着する為でございます。お荷物の方は、バスに移動願います」
同じく車で来ていたセレスティとモーリス、兎月もまた怪訝な顔をしつつ、取り敢えずは素直に了承した。
「蜂須賀さん、荷物って何を持って来ているの?」
「囮、ですよ」
シュラインの言葉に、だらしない口元を歪ませてそう言った。
その囮と言う言葉を聞き、祀は眉根を寄せて顔を引きつらせる。
「ま、まさか……。人間っ?!」
「え! 人身売買ですかっ?!」
素っ頓狂な声を上げるシオンに、一度目を眇ませたものの大六は肩を竦めて否定する。
「違いますよ。九十九枚の鏡です。昨今、人身売買は、日本じゃあまり金になりませんからねぇ」
最後の言葉に、げっそりとした顔のシュラインに、青くなる絢音と祀とシオンと兎月。他の者達はなま暖かい笑みを浮かべている。
「とにかく、蜂須賀さん。鏡を九十九枚も持って行けないわ。せめて二十枚にして頂戴。それ以上は隠す場所もないと思うわ。適当な大きさのタッパってまだあったかしら…」
「探して来ます」
シュラインのその言葉を受け、零がキッチンへとかけていく。
確かに上野動物園に百枚の鏡であれば隠す場所もあるだろうが、神社だ。周囲は杜と言うことだが、そこに隠しても今一つ適当ではない。取り敢えず囮として使うのは、九枚。残りは確実に光が入る様に、採光に使おうと思っている。
実は、シュラインはセレスティがいると言うことで、水の結界を張って貰おうとタッパ詰めすることにしていた。
「うーん、三つはあるんですけど、後は適当な大きさのタッパは、使ってます」
帰ってきた零は、その三つを持っていた。確か零と二人、おせちを詰め込んだ記憶がある。これを出してしまえば、草間は正月、飢えを体験するだろう。
「百円ショップで買うしかないわね」
バスに乗り込み、数十分。
一行は徐々に嫌な予感がしていた。
「ちょっと待って下さいよ。鬼頭さん」
草間が一行の顔色を代表して、運転する神主の息子へと声をかける。
「何でございましょうか?」
「あんた何処に行くつもりだ?」
「勿論、当方の神社で御座います」
あっさりと言って除ける鬼頭に、全員が何とはなしに顔を見合わせた。
「この道通りに行くと、どう考えましても……」
言葉を濁すセレスティの後を取り、祀がぼんやり呟いた。彼女の頭上には、天井下りがこっそりと顔を出し、周囲には子鬼の頭が見え隠れしている。
「天ちゃんのいるところよねぇ」
天ちゃんとは何のことだろうかと、誰もが瞬間思ったが、すぐさまその答えを導き出す。一様に溜息を吐いたのは、その進んでいく場所に対してか、それとも天ちゃん発言に対してか。
「近いですけれども、違っておりますよ」
沈黙が流れるも、それに気を遣った兎月がすっと立ち上がる。
「皆様に、お茶でもお入れ致しましょう」
当然の様に、走る高級ホテル張りなバスには、茶器のセットがある。ミニキッチンまで見えた時には、あまりの無駄に呆れたものだったが、こうなればまあそれも良かったのだろう。
「あ、じゃあ私も」
シュラインと零が手伝う為に立ち上がろうとするも、兎月がそれをとどめた。
「いえ、お二方は座っていて下さいませ。わたくしめが、そうしたいと思っております故…」
柔らかに微笑んで、流れる動作で茶器と茶葉を扱う。その手つきを見て、ほうと絢音が溜息を漏らした。
「優雅だわ…」
兎月は聞こえていないのだろう、真剣に茶を入れている。
バスはその間も走っている。時折不規則に曲がり、そして先程の到着だと思っていた箇所から離れるかと思いきや、またもや道を戻っては走ると言うことを繰り返していた。
「セレスティさま。これは…」
モーリスの耳打ちに、セレスティもまた厳しい顔で頷いた。
「道を解らなくしているのかしらねぇ?」
二人の会話が聞こえたシュラインが、そっと言う。
「恐らく違うかと思いますけど…。到着してみないことには、何とも…」
そうねと小声で言うと、三人は兎月を待った。
暫しの時間が流れ、入れ上がった茶を皆に振る舞い、誰もが一口それを口に含む。
「美味しい……。こんな美味しいお茶、初めて頂きました」
絢音が惚けた様にそう言うと、兎月の頬が微かに染まる。
皆が口々に美味しいと言い、兎月の顔に笑みが浮かんだ。
「ああ、俺もこんな美味い茶、初めて飲んだ。…これ、ただの宇治茶だよな?」
壮司はそう言って、兎月が使っていた茶葉の袋をしげしげ見る。普通に店で売っているお茶だ。
「お褒め頂き、嬉しゅうございます。料理人は、どんな時、どんな材料でありましても、召し上がって頂く皆様へ、美味しく頂ける様お出し致しますのが勤めであり、喜びでございますれば…」
「いやー、凄いですね。貴方。尊敬しますよ…と、あ」
大六の携帯が鳴ったらしく、ちょっと…と言いそれに出る。
「はい? 何ですって? 迷子になったぁ?! 貴方それでも組織の人間ですかっ! 役立たずな。みそ汁で顔洗って出直していらっしゃいっ」
どうやら内緒で子分を連れてきていたらしい。徐々に大きくなる大六の声に、セレスティ、モーリス、シュラインの三人が頷いた。
「蜂須賀さん、それはその人達の所為じゃないと思うわよ」
ぶちっと電源を切った彼は、眉を顰める。
「どう言うことですか? 姐さん」
「……」
姐さんと言われ、目眩のしたシュラインだが、気を取り直して説明しようと、再度口を開いた時。
バスが止まった。
草間興信所ご一行様は、神社なら何処にでもある鳥居の前に降り立った。ちなみに大六とシュラインの荷物は、大六とシオン、幾島、草間の四人が運び降ろしている。セレスティが用意してきたものは、全て二つのアタッシュケースに入っており、それはモーリスと兎月が持っていた。
鳥居の下には、興信所に来た神主が立っており、息子がそのままバスを移動させるのを見つつ、ようこそと言葉をかける。憮然と呆然の中間の様な顔をした草間は、煙草を銜えつつ、神主に向かってぼそりと言った。
「この場所は…」
周囲は杜に包まれている。鳥居までの道のりは、バス一台が通れる広さしかない私道だ。ちなみに私道を挟んで後ろにあるのは、案内図で見たところの菖蒲庵と倉だろう。
いや、それは良い。問題は前方だ。
「この杜の向こう、本殿の後ろにあるのって、皇居って言わない?」
シュラインもまたあんぐりとした風でそう言った。
「はい。ですから、解放されたら大変なことになると申し上げました。この神社は、浅草寺と増上寺のほぼ中間地点にございます」
そう、ここは日比谷公園の森の中だ。
「何でこんなところに建てるんだよ…」
呆れかえった壮司は、思いっきり嫌そうな顔で言う。
「それ以前に、どうしてこんなものがあるのに、皆さんは気が付かないのでしょうか?」
シオンが小首を傾げつつもそう聞いた。兎は既に、草間興信所にて、ペットシッターが預かっている。
「結界、ですね?」
モーリスがそう神主に向かって聞いた。
「左様にございます。ここには普通の手段で来ることは適いません」
「やはりあれは、霊符をかたどって走っていたのですね」
セレスティがそう呟く。実際、バスに乗っていた時間は可成りあったのだ。既に時間は四時近い。途中、寄り道はしたものの、通常であればここに来るのに、とんでもない渋滞でない限りこれほどの時間がかかることはないのだ。
「お流石でございます」
どうぞ中へと案内され、ご一行は八十メートルの参道を歩いて行く。
「先程、何方様かが何故ここに建てたかと仰いましたが、ここであれば、両寺院からあぶれ出た煩悩を収集しやすいからでございます。丁度、日の光も受けやすいですしねぇ。更にこの皇居の真上に、時空門は開きます故、ここが一番建てるには都合の良い場所でございましたので。第一、公園は当神社の後から建設されましたので、文句を言いたいのは、当方の方でございますよ」
「確か、こちらの公園は、幕末までは松平肥前守さまのお屋敷ではありませなんだでしょうか?」
兎月が、何かを思い出す様に言う。
「はい、そうでございますよ。折角松平さまはじめ、お武家の御当主様達のお許しを得られましたものの、明治には練兵場と隣り合わせになったりと、本当に迷惑な話でございます。まあ、本当は江戸城内…いえ、皇居内に建てることが出来れば宜しかったんですけどねぇ…」
「建てんで良いっ!」
突っ込みどころは山の様にある。
何故神社があるのにそんな建設計画が立ったのかや、ジイさん、松平と友達かいと言うことや、森の中とは言えこの規模は公園内に無理がないかや、森の中で日照条件もくそもあるか、など…。
しかし今はそれを突っ込んでみても仕方ない。
どんな理由があろうとも、神社はここに結界付きで建っている。これは動かしがたい事実だ。草間は開き直ったらしい。
「もしここが火事とかになったら、どうなる?」
「そうでございますねぇ。結界と申しましても、人様の目にかからぬ様にと入って来られぬ様にとするものですから、綺麗さっぱり焼け野原になりますねぇ。勿論、ここを知らない方々は、いきなり火が出てびっくりなさいましょうが」
「巫山戯てます…」
大六がゲジゲジ眉を寄せてそう言った。
社務所に着き、どうぞとばかりに一室に通された十一名は、並べられた座布団に座り、目の前の茶と茶菓子を見ている。いや、ただ一人、嬉々として茶菓子を食っているのはシオンだが。
「ちょ、ちょっと絢音…。どうしよ」
「どうしよって言われても…。大丈夫よ祀ちゃん。弓道の試合みたいなもんだから。緊張が取れれば、もう何てことないわよ」
何かが違う答えを返す絢音も、やはり手が震えている。
「いやー、それにしても凄いじゃないですか。世界広しと言えど、皇居を守って戦う殺し屋は、俺しかいないでしょ! うん。これはもう、はりきるしかないですねぇ」
「私がここを見えない檻で覆いましょうか。まかり間違って、後ろの何かが破損することになってはいけませんからねぇ」
初めから平然としているのは、やはりと言えるがモーリスだ。勿論ながら、彼の主人であるセレスティも心乱している風ではない。
「そうでございますね。モーリスさまが張ったものでありますれば、外からは入って来ることは出来ません故」
「そうですねぇ。でも…」
「ええ、もうすでに入り込んでいるのならば…」
全幅の信頼をモーリスに寄せる兎月に、少々困った顔をして言うモーリス。小首を傾げつつ兎月が彼を見ていると、セレスティがそう付け加えた。
「ま、それでも、外には出れなくなるんだろ?」
「はい。勿論。私の了承がない限りは、電波一つ通しません」
壮司の問いに、モーリスは自信満々言い切った。
「何でも良い。取り敢えず、後ろは壊すな。絶対壊すな。ばっくれることが出来るなら良いが、出来ないんなら絶対に壊すなよっ! うちをこれ以上貧乏にさせるなっ!!」
新年早々、大赤字を食らい込みたくない草間は、真剣だ。
「武彦さん……。きっと貧乏どころじゃ済まないわよ…」
「そうですねぇ。きっと怖いお兄さん達が、山ほどやってくるんでしょうねぇ。あ、まるで映画みたいですね。草間さん、良かったじゃないですか。ハードボイルドですっ」
何処かうきうきして言うシオンに、草間は盛大に怒鳴りつけた。
「そんなハードボイルド、いらんわっ!!」
さて、とばかりに先程の会話に一段落付けた面々は、問題の鏡の在処などについて聞くと、神主に『ではこちらへ』と案内され、現在は菖蒲苑にいた。案内する前、一旦神主が席を外したのは、誰もここへ近づけさせない様にしたからなのかもしれない。
そこは一般的神社で言うところの拝殿の様なものであると言う。
通常祭具などは蔵に仕舞い置かれるものの、この鏡の位置づけが少々微妙であった為、そこには置かれていないのだ。
本殿様式が大鳥造りと言った形であるこの神社は、拝殿の形状も本殿に習っている様で、平面が正方形、正面、側面とも二間妻入り。入り口は社の中央にある。気持ちばかりの階段を上がり、格子になった木扉を開けて内部に入れば、年代物と思しき垂れ布──草間にはそう見えた──がある。それを潜り抜け、一見して壁に見えるそこの仕掛けを何やら弄ると、更に奥にも部屋だ。そしてそこの朱塗りの木で組んだ祭壇の様な物の上に、その鏡は布に守られる様にしてあった。
「こちらが、今回守って頂く神鏡でございます」
「触っても宜しいんですか?」
シュラインがそう聞くと、神主は深く肯き、一点だけ注意をした。
「決して壊さぬ様、お願い致します」
あまり大きくない菖蒲苑は、十一人入ると少々手狭に感じる。まあ、興信所よりは余裕はあるが。
じっくりと手に取ってみるシュラインは、前にセレスティが気にしていたその鏡の写りを見た。
「普通に映ってるわね」
重さはまあ、こんなものだろうと感じるものだ。壮司の言った大きさも、確かにその通りである。
そう言うと草間に渡し、ちらと見た草間がセレスティに渡し、取り敢えずおっかなびっくりの者も含め、全員がそれを見た後、もう一度シュラインに渡ると、同じ場所に安置された。
「これは、毎年であればどの様にして初日の出に当てるんですの?」
「この菖蒲苑の中であれば、何処にあっても採光が取れる様にしておりますので、このままここに置いております」
「どっからでも、見たい放題とも言える訳だ」
「まあ、そうでございますねぇ。ただ、わざわざ覗こうとする様な者はおりませんが」
「で、神主さんとしては、誰が今回の犯人だと思ってますか? この神社の様子を見てると、あんまりここを知ってる奴は、少ない気がするんだが」
そう言って草間は煙草に火を付けようとし、シュラインに止められる。
「まず、ここの神社を知る者は、殆ど存在いたしません。知る人ぞ知ると言う神社でございますので」
「……知る人ぞ知るって、そりゃああんな行き方しか出来ないんじゃ、ここに来たことがあると言う人は、可成り少ないでしょうからねぇ。知ってる人だって同じでしょ」
大六の呆れた声に続き、セレスティがおもむろに口を開いた。
「この神社の存在を知っている者が少ないとすれば、この鏡のことをご存じな方は、殆どいらっしゃらないのではないでしょうか?」
「じゃ、可成り犯人は絞れちゃうね」
「いえ、だからこそ、まるで解らないのです」
「どうしてなんですか?」
祀の言葉を即座に否定する神主に、不審そうにモーリスが問う。
「この鏡のことを知っているのは、私と息子、後は亡くなりました妻だけでしたから」
流石にどっちかが犯人だとは、面と向かって言い辛いのだろう。各々は互いに視線を合わせつつも沈黙を守った。
が。
「考えられるのは、結界が通じない人がたまたま迷い込んで、この中を覗いた。そして結界が通じないと言うのなら、それなりに魔力みたいなものが強いってこともあり得るから、そう言う奴が、この鏡を見て何か感じたから今回予告したってことですねぇ。もしくは、……お二人のどちらかが犯人か」
はっきりと大六が口に出す。
しかし口に出されてみて、ますます二人以外が犯人であると言う可能性が低くなったのだ。前者はあまりに都合が良すぎる。
「まあ、犯人は捕まえてみた時のお楽しみと言うことで。煩悩にまみれた顔と言うのを、一度みてみたいですしねぇ」
草間がおもむろに安置された鏡を取ると、そう言うモーリスに向けた。
「何です?」
「煩悩にまみれた顔」
すぐさまシュラインが草間の後頭部をひっぱたき、零が平手をカマす。
だが向けられた本人は、ふむとばかりに鏡を受け取り、まじまじと覗き込んで一言。
「なかなか見応えのある顔をしているじゃないですか」
セレスティの忍び笑いが聞こえる中、シュラインはどう反応しようかと固まった。
取り敢えずその場を何とか違う方向に持って行ったのは、シオンだ。
「あ、あの。疑問なんですが、煩悩って何処に昇華されるんでしょう…」
白い沈黙の間も、笑みを浮かべたままであった神主は、シオンのその問いにすらすら答える。
「時空門でございますよ。大晦日と正月、十二月と一月はそれぞれが丑の月、寅の月にございます。丑寅と言うのは、所謂鬼門を意味します。つまり、この月が入れ替わる際には、時空においての鬼門が開こうとし、この神鏡の封印も緩み初めるのです。次に増上寺、浅草寺が鳴らす鐘は、この時空門へと煩悩を昇華の名の下に押しやります。けれど日の出が近付くと共に、その門は閉じて行きます。するとその中に入りきることの出来なかった煩悩は、この鏡の方へと落ちて参ります。鏡がない場合は、様々な地へと落ちていくでしょうねぇ。それを鏡が吸収し、日の出の浄光でもって封印がなされるのでございます。また日の出と共に、時空門は消滅し、来年の大晦日まで現れることはございません。それまでこの鏡を守って頂きたいのでございます」
神主の説明を聞き、誰もが思った。そして口に出したのは壮司だ。
「…それは臭いものには蓋と言うのでは…?」
「日本語と言うのは、誠に美しき言葉に御座いますな。様々な言い回しが出来ます故」
さらりと流す神主に、誰もが言葉を持たず絶句した。
「聞こえるかー。こちら草間」
インカムに対して、それはないだろうと言う格好──身につけるのではなく、マイク部分だけを持って──で、草間が装着している面々へと声をかける。
『感度良好ですよ、草間さん』
これは大六。
『聞こえるが、風が入ってきて、ちょっと寒いな』
次に壮司が返事をした。
インカムは、セレスティの荷物の中に入っていたものだ。離れることになる人間がいた場合、連絡がすぐ付いた方が良いだろうと考えて持ってきたのだと言う。携帯電話よりも確かだと、彼は何時もの如く微笑んで言った。兎月を除く、全てのものが装着済みだ。更にシュラインの提案で、神鏡と大六の持ってきた鏡を御神酒とセレスティの水霊使いとしての力で浄化した上、陽が昇ればこの部屋にあますとこなく光が満ちる様に細工されていた。
現在時間、十二月三十一日 午後十一時五十五分。
既に十一人は持ち場に着いている。
草間を頭に据え、零、シュライン、セレスティ、モーリス、兎月、シオン、絢音、祀は菖蒲苑に。
壮司は、隣の絵馬殿の奥にある詰め所に。
大六は菖蒲庵に。
それぞれがスタンバッている。
他の本殿、社務所その一、その二と倉その一、その二、鳥居には大六のデーモンを付けた鏡がある。
神主をはじめ、この神社の者には、小さい方の社務所で一つに集まって貰っていた。彷徨かれると、少々邪魔だと言うのが理由だった。勿論デーモンとは別室で。ついでに、外で何が起ころうと、絶対に出てくるなとも言い渡している。
ちなみに菖蒲苑には、祀の天井下がりが名前の通り天井にと張り付き、実は彼女の背後に忍んでいた子鬼が四隅に配されている。絢音は巫女姿も勇ましく、鏡の前へと仁王立ちし、真正面から来た犯人を近寄せないとばかりに弓を手にしていた。更に室内にはモーリスの檻によって閉じられた空間になっている。
そして。
「シュラインさま。そのタッパを開けては頂けませんでしょうか?」
タッパの中には、セレスティが眷属を使役しての結界を敷き、その中に鏡が錆びない様に処理を施して納められていた。ちなみに他の囮な鏡も同じ処理をしている。
「兎月さん?」
「わたくしめは、この中で守りに着こうと思います」
「この中って、えーと、水だと思うんだけど」
祀のその言葉に、何事? とばかりに絢音が振り返る。
セレスティとモーリスは、兎月が何を言おうとしているのかを察しているらしい。
何だろうと思っていると、兎月は唇を噛みしめ、覚悟を決めた風に話し出す。
「わたくしめ、こう見えましても人ではございませぬ」
「え? 人じゃないって…」
シュラインは、日頃から人外の者達を見ている為、あら、兎月さんもなのと思った。
零もシュラインの反応と大差がない。むしろ自分も人とは言い難いのだから、今更の話であろう。
「驚かないで下さいませね」
寂しそうにそう言い、瞬間。
「嘘っ!」
ごろんと言う音を立てて、彼女らの前に瀬戸物が転がっている。
目を丸くする祀と絢音の前にあるのは、一つの皿だった。
愛らしくも、月を見上げた兎が描かれている。
「兎月さん、九十九神だったのね」
「知らなかったー」
「兎さんの絵ですねぇ。私、兎は大好きです」
シュラインと零は冷静に、そしてシオンはほのぼのと、笑みを浮かべつつそう言った。
床にある兎月を取り上げると、そこから兎月の声が聞こえる。
『仰る通りで…。わたくしめは、九十九神にございますれば…。他のお二方には、やはり…』
気持ち悪がられてしまったのだろうかと言外に潜ませるが、シュラインが首を振る。
草間がそれを何か言いたげな視線で見ているが、結局声の聞こえない草間は、何も言わずに正面を向いた。
「可愛いーーー!! 兎月さん、凄く可愛いじゃないですか!」
祀がそう言いつつ、シュラインから渡された皿を手に取った。
絢音もまた、祀と同じ様に更に手をやる。
「あ、しゃべれるのね」
所謂接触テレパスの様なものだろうと、シュラインは考える。兎月は触れてもらったところから、意思を伝えることが出来るらしい。
「気味悪くなんか、ないない。ね、絢音」
「うん。ちょっとびっくりしましたけど、兎月さんって解ってますから…」
絢音と祀の反応に、セレスティとモーリスが安堵していた。
二人から兎月である皿を受け取ると、セレスティは声をかける。
「良かったですね、兎月くん」
「さあさ、この辺にしましょう」
シュラインがそう言った時、第一の鐘が、鳴り響いた。
気配が、変わる──。
一時間ほど後。
除夜の鐘は、折り返し地点を迎えようとしていた。
「ちょっと私、見回りに行ってきます」
そう言って立ち上がったのは絢音だった。
「ここから動かない方が良いわよ」
もしも一人で歩いていて、今回の犯人に襲われでもしたら大変だと思ったのだ。
「でも、外の様子が気になるんです。何だか静かすぎて…」
外から聞こえるのは除夜の鐘だ。昼間せっせと周囲にしいた鳴子の様な仕掛けの音もしない。神社全体と菖蒲苑を覆うモーリスの二重の檻があるから、関係者以外は入って来れないのは解っているものの、見える訳ではないから、彼女は不安なのかも知れない。
「絢音が行くなら、あたしが子鬼と着いてくよ」
すっと立ち上がる祀。その二人を見て、セレスティはモーリスに頷いていた。
「私もご一緒しますよ。流石に女性二人……ああ、子鬼くん達もですけど、それだけで歩き回らせる訳には、参りませんしね。絢音さん、一度外を確認したら、戻って来ましょうね」
「え、でもそんな申し訳ないです…」
「お気になさらず。モーリスは、女性のエスコートに慣れておりますから」
わざと微妙にずれた答えをして、二人の気遣いをなくそうとしているのが、シュラインには解った。
「え? あの…、でも」
「まあま、絢音、お願いしちゃおう。ね?」
「では…」
一時的に檻を解除したのだろう、シュラインの耳に、先程まで入って来なかった『音』が聞こえた。
シュラインの耳が、何かを拾う。
「モーリスさんっ、ダメ……っ」
「それを渡せ」
モーリスが即座に反応するも、二人を背後に庇うと言う時間分、間が開いた。声の主は好機を誤らず既に侵入を果たしている。天井下がりの伸ばした手も、子鬼の瞬発力をもかいくぐり、一気に侵入者が奥へと進む。
しかし入り口を突破したとは言え、シオンと草間、零が立ちはだかり、更に彼らの前へ、セレスティが御神酒で水の壁を作り出した。
「子供?!」
「出たわよっ!」
零が水の壁から飛び出し、部屋に飛んでいた大六のデーモンが急降下する。
タッパが震え、見ると皿が外へ出ようとしているのが解る。兎月が出たがっていると察したシュラインは、タッパを開けた。勢いよく皿が飛び出したのを見ると、即座にまた閉める。目の前を見ると、そこには本性へと変わった兎月が、綺麗に宙で返って降り立っていた。全身が雪の様に白い兎月の頭上には兎の耳が見え、姿形は微笑ましい。しかしそれには鋭い爪と歯と言う凶器を秘めている姿でもある。それ以上進むと容赦しないと、本性へ変わることで雄弁に語っていた。
蜂そのものの音を立て、デーモンが唸る。
うるさそうに、少女の手が閃いた。
瞬時に飛び退く零と、急所らしき場所を刺し抜かれ、徐々に消えていくデーモン。油断なく周囲を子鬼が回り始める。
睨み合いの中、壮司が駆けつけ、次に大六が駆けつけた。既に意味をなさなくなった檻は、仲間が入って来れる様にと解いている。
「鏡はっ?!」
「無事だ」
眉根を顰め、増えた者を確認するかの様に見回す少女に、シュラインは何処か奇妙な感じを受ける。
「ねぇ、そこのお嬢ちゃん、何をするつもり?」
警戒心は捨てぬまま、シュラインはそう聞いた。
「何って、そりゃ鏡を壊すんでしょう」
「じゃあ、蜂須賀さんは、この子が予告してきた犯人だと思うの?」
そう問われて、思わず大六は返事が出来ないでいる。
そして当の少女は、シュラインの言葉を聞いて、怪訝な顔をしている様だ。
「どうやら、彼女ではないようですね?」
それを見ていたセレスティが、じっと少女を見つめる。
「あんたも、左目が…」
何処か感慨深げに言う壮司をちろりと見た少女は、じっと彼を見ている。
「似てるだろ?」
少女の眉根が疑問を描いた。
「どうやらここは、攻防戦より話し合いをすべきですね」
モーリスはそう言うと、にっこりと少女に笑顔を向けた。
更に兎月にもセレスティが微笑みかけると、頷いて人へと変化した。
取り敢えず本物の入ったタッパは、しっかりとシュラインが確保している。
「モーリス」
「はい。セレスティさま」
モーリスが何かを救う様にした両手から、金色の光が零れた。
すっと両手のそれを開いて行く。手の動きに伴って、徐々に金の光は広がっていった。光がモーリスの手を離れ、菖蒲苑の四隅へと伸びていく。四隅へと到達した刹那。
光のシャワーが逆流し、天井へと辿り着くと、不意に消えた。
「もう一度、張り直しました」
ちなみにモーリスのこの檻は、神社全体を覆っているものと同じだ。だから現在、この神社と外界を繋ぐことは、電波ですら、そして霊体ですら出来ない。
「じゃあ、安心して」
シュラインがほっと一息吐くと、再度口を開いた。
「あのね、お嬢ちゃん。私達はね、ある人から鏡を壊してやるって言う予告があって、ここでその鏡を守っているの。それでね、最初はここに来たお嬢ちゃんが、その犯人かなと思ったんだけど……、違うわよね?」
少女はシュラインを見たまま、小さく頷いた。
「じゃあもう一つ、いえ二つ聞いて良い?」
少女の答えはイエスでもノーでもない。けれど拒否されなかったと言うことから、シュラインは質問を投げかけた。
「お嬢ちゃんは、どうしてここに来たの? 鏡を渡してって言うのは、何故?」
少女は眉間に皺を寄せたまま、手にしていた詩集をぎゅっと抱きしめた。
そして…。
「私は私の赤き竜に力を付ける為に、その鏡にある煩悩を貰う」
「赤き竜…?」
そこで想像したのは、誰もが月夜の空に泳ぐ深紅の体躯を持つ竜の姿だ。
「お嬢ちゃん、あんた竜なんか飼ってんのか?」
壮司が訝しげに言う。
「飼っているのではない」
「?」
怪訝な面持ちをしている面々の視線が、その少女が腕に抱きしめる様にして持っている本へと注がれる。
「ブレイク詩集…?」
「ウィリアム・ブレイクの赤き竜ですか?」
草間の呟きに、セレスティがもしやと言う様に口を開いた。
「何ですか? それは」
普通と言っても過言ではない女子高生である絢音が、そう聞いた。
また彼女だけでなく、大抵の面々は詩集などあまり読まないのだろう。
「ウィリアム・ブレイクとは、情感溢れる抒情詩と、預言書とも呼ばれる叙事詩を数多く残したロンドン生まれのロマン主義の詩人であり、また銅版画師です。一七五七年、冬に生まれ、一八二七年に没した様です。彼は十五歳の時に古代遺物の彫版を扱う銅版画師バザイアの弟子となり、その七年後には銅版画師として独立しました。まあブレイクには、様々な逸話がある様ですが…」
「そして小さなレディの言う『赤き竜』は、一八○五年から一八一○年にかけ、聖書を題材とした絵画の依頼を受けた際に描かれたものですね。『赤き竜』としての作品数は四つ。モチーフとなったのは、『ヨハネの黙示録』です」
少女が反論しないところを見ると、それが正解なのだろう。
「確か、ブレイクの赤き竜と言えば、映画にも使われてなかったかしら」
そう言えばと、シュラインが口にした。
「はい。確か『レッド・ドラゴン』でしたね」
ここでその赤き竜についての予備知識があるのは、セレスティとモーリス、そして自分の三人だけであると、周囲の反応を見て取れる。
他は映画については知っていても、実際の内容を知らない様だ。
暫しの沈黙と見つめ合いの中、最初に口火を切ったのはシオンだった。
「あの…、それでですね。その赤き竜さんと言うのは」
続けて何かを言おうとして、シオンは何か気付いた様だ。
「……あ、お名前を聞いていませんでしたね。私は、シオン・レ・ハイと申します。お名前を教えて頂けませんか?」
人の良い、何処か和んでしまう様な笑みを浮かべてシオンが聞く。
「シオンさん、素直に話して……」
「バザイア」
壮司が困った様に言うも、その言葉尻を捕まえる様に少女が名乗る。
皆が予想外のことに、まじまじとバザイアと名乗った少女を見つめた。
「えーと。バザイアと言うのは、さっきの話だと、銅版画師の名前じゃないの?」
眉根をハの字に、そして寄り目になった顔つきで、祀がそう聞き返す。
「私の名もバザイアだ。マスターからもらった」
無表情にそう繰り返す。
「小さなレディは、バザイアさんと言うのですね。私はモーリス・ラジアルと申します。お見知りおきを」
優雅に微笑みつつ、淑女に対する礼をバザイアに向けると、彼女はそのままモーリスの顔を感情の見えない瞳で見つめた。
「えーと。じゃあ、バザイアさんにお聞きしたいのですが、赤き竜さんはお腹が減っているのですか?」
『いや、それ違うから』と言う視線がシオンに集まるのだが、それを関知していないのは、当のシオンと問われたバザイアだけだ。
そしてまた、多数においての予想外である答えが返ることを確信しているのは、シオンとバザイアを除いて誰もいなかった。
「そうだ。私の竜は腹を空かせている。だから私は、私の竜に喰わせなければならない。喰わせて力をやらねばならない」
予想外の答えの上、少々物騒な話だと、それぞれが思うのだが、目的が竜に喰わせると言うことなら、ある意味ありがたいのかも知れない。理由も解らず狙っている犯人よりも、よっぽど良い。そう考えたのは、半数以上の者だろう。
「案外、その鏡の中の煩悩は、食べさせてあげた方が良いかもしれませんね」
「それは一理あるか」
「はい。封印と言うのは、何時か解かれてしまうかもしれませんから。何事も、臨機応変、ですよね、草間さん?」
「まあな」
「で、でも、その赤い竜って言うのが、力を付けて何をするかは解ってるの?」
「祀ちゃんの言うことも、確かに考えるべきではあるわよね」
もしも良からぬことに、使うつもりであれば、今回食べさせてしまったことを後悔するかもしれない。少女を見て、そうであるとは思えないのだが、それもまた可能性の一つだ。
「ではお二方、このバザイアさんの目的を阻止致しますか? お見受けしたところ、彼女は自分の目的を、簡単に捨てる様な方ではありませんよ。それに、本当の敵は他にいます。そちらも相手にしますか?」
「…確かに、一気に二つの勢力とは、ぶつかりたくはないわねぇ」
セレスティの言うことも、もっともな話なのだ。正体の見えない相手である為、出来れば余計なことはしたくないと言うのも本音ではある。
「何にせよ。敵さんには、囮についてはバレバレだったと言うことだな。……良し。決めた」
「武彦さん?」
「お嬢ちゃん、煩悩はお前の竜にやる。だからそれ以外のこと…、まあ鏡を壊したり、こっちの邪魔をしたりだな、そう言うことは、しないでくれ」
草間の決断に、驚くものはもういなかった。祀とシュライン、セレスティ、そして草間の先の一言によって、どの道が一番有利かの結論を出したからだ。
バザイアは無表情な顔で、草間を見る。
「解った」
逡巡しているかの様な時間が流れ、彼女の出した答えは了承であった。
一同の顔に、安堵の色が見える。
交渉したものの、それが受け入れられるかなど、保証はなかったからだ。
「まあ、あまり抜本的な解決法でない気がするんだけど…」
色んな可能性を考えると、どれが一番良い答えなのか解らない。けれど出ない答えを求め、堂々巡りするより、彼の決断の方が余程良い。
「何を言う。後のことは後で考える。取り敢えず、今回の依頼をこなす方が先決だ。赤い竜だろうが青い竜だろうが黄色い竜だろうが、何かやった時に何とかすれば良い」
草間はあくまでも前向き…と言うか、強気だ。
まあ、そこが良いところなのかもしれないが。
「それだけ竜さんが沢山出てきたら、とっても賑やかですよねぇー。背中に乗せて貰えないでしょうか?」
シオンは草間の言う、三色の竜が空を飛ぶ風景を想像し、ファンタジーの世界へと旅立ちそうになる。
「赤、青、黄色って、信号じゃないんだから…」
祀が苦笑しつつそう言う。
「……武彦さん、また商売のこと考えてるでしょ?」
シオンと祀の話を聞き、何処かそれで皮算用している節のある草間の表情から、シュラインは冷静にそう突っ込む。
「いやいや、やはり商売のことを考えるなら、紅白の竜でしょう。何事も縁起が大切ですよ」
「草間さんは面白いですよねぇ。怪奇探偵の名はイヤだと仰ってるのに、結局そう言う依頼をご自分で引き寄せてるんですから」
「ほっとけっ!」
「お義兄さん、もう止めましょうよ」
「ほら、こんなに可愛らしい妹さんも、そう言ってるじゃない。大人げないわよ、おじさん!」
「……おじさん…。俺がおじさん…」
「落ち込んでもねぇ。大体、男は二十歳以降はおじさんて呼ばれても、文句言えないと思うわよ」
渋さもまた魅力の内だ。
「シュラインさん、それはちょっと……」
何処か切なそうな表情で、壮司が言う。更に他の男共も、微妙な顔つきではあったのだが。取り敢えず、おじさんと言う言葉が、一番似合わないのはと考えると…。
「まあ、確かにセレスティさんは、おじさんとは言えないわよねぇ。でも、武彦さんは、ハードボイルドを目指してるんだもの。ああ言うのは、若造には似合わないのよ。渋い中年が一番似合う言葉なんだから、丁度良いじゃない」
「そ、そうか。ハードボイルドは渋い中年か。……って、中年……」
「草間さま、その様に落ち込まれずとも。草間さまには、人望がおありでございましょう。こうしてここに皆が集まっているのも、その人望の賜でございますれば…。お年が如何程に召していらっしゃっても、お気になさらずに…」
草間の落ち込み様に、兎月がそう言って慰める。
「それ、微妙に慰めになってないわ」
「漫才はそこそこにした方が良いみたいですよ」
「そうそう。呆れて彼女がなかったことにしない様に」
バザイアの上を飛び交う会話に、彼女はまるで関知しない様に明後日の方向を向いていた。
大人達としては、いささかきまりが悪い気がする。
「えーと。だ」
草間がコホンとわざとらしい咳払いをし、バザイアに話しかけようとするが、先に彼女が口を開いた。
「奴は、きっとぎりぎりまで待っている」
「?」
「バザイアちゃん、それってどう言うこと?」
シュラインが聞くも、バザイアは口を開かない。
「あのさ、多分、襲撃してくるのが、日の出ぎりぎり…ってか、門が閉じる寸前だって言ってるんじゃないか? 彼女は」
どうなんだろうとバザイアを覗き込むが、彼女は黙して語らない。
「でもねぇ、それじゃあ俺たちって、可成り嘗められている様な気がしませんか?」
大六のこめかみが、ぴくぴく動いている気がする。
いやーん怖いとばかりに、祀と絢音が手を握り合う。
確かに大六の言う通りだ。時間をかけなくとも、鏡は壊せる、煩悩は解放出来ると思われていると言うことなのだから。
「嘗めているならば、それでも結構ですよ。最後の最後で、きちんと後悔させてあげましょう」
微笑んで言うセレスティだが、思わず大魔神と言いたくなる様な迫力があった。
「取り敢えず、私達は待っているしか手がありませんからね」
バザイアが黙ってしまっているのでは、確かにそれ以外手はない。無理矢理話させるのは、流石に彼らはしたくなかった。……一名を除き。
「囮もばれていることだし、こうなったら固まっていた方が良いだろうな」
草間の言葉に、満場一致の賛成が返った。
「…?」
不意にモーリスが立ち上がり、本来の扉がある方向へと進んだ。
「神主さんが、何か持って来られていますが、どうしますか?」
草間とセレスティに確認を取る。
「こんな寒いのに、風邪引いちゃったら可哀想よね」
そう言うシュラインの歯切れは悪い。普通の彼女であれば、老人に向かってそんな態度は取らないだろう。けれど、喉に小骨が刺さっているかの様な感覚で、素直に迎え入れる気にはならないのだ。一体これは、何だろうと彼女自身困惑する。何かが何処かで引っかかっているからこそ、彼女はそう感じているのだ。
「やっぱり、お年寄りは大切にするべきかなと、私は思うんですけど…」
上目遣いで言うシオンに、そうよねとシュラインが頷いた。またモーリスから問われた草間とセレスティも頷く。その風景を見つつ、モーリスは現在の総大将と、自身の主が頷いたことで、彼自身の檻をゆるめた。
唐突にモーリスと真正面に向かい合う形となった神主は、僅かの間驚きの表情をしたものの、すぐさま今日いっぱいで見慣れてしまった、掴みようのない笑顔に変わる。
「差し入れを、お持ち致しましたよ」
ポットの中と桶の中を見せるとそう言った。みそ汁とおにぎりが入っている。
そこそこ空腹だった面々は、それを見て頬がゆるんだ。
「腹が減っては戦は出来ぬと申しますでしょう? 本当はお蕎麦も持って来たかったんですけどねぇ」
神主もまた、笑顔で言う。
何か引っかかると思ったシュラインは、すっと耳を澄ます。
『…やっぱり、可笑しい』
前の時にも感じたことだが、取り敢えず様子を見ることにする。
「でも、神主さん。ここは危ないですよ」
気遣う絢音に、神主は胸を張って言う。
「なんの。皆様ばかりを矢面に立たせて、申し訳ないと思ってるのです」
うーんと思いつつ、取り敢えずはちょっとだけと言うことで、そのまま神主は座り込んだ。神主は、端に座りこちらに来ようとしないバザイアに、ちろりと視線を向けるもすぐにそれを元へと戻す。
不意にセレスティがは兎月を呼ぶと、アタッシュケースから自分達も付けているインカムを付ける様に指示をした。
ちょっとだけと言いつつも、それなりの会話を交わし、差し入れを食べている内に、時間はあっと言う間に立ってしまう。
シュラインが時間を確認すると、既に五時を回ろうとしている。
神主が来たのが夜中の三時前後であったから、それから優に二時間は経過していた。
「どうやらこれは、幾島さんの予想が正しかった様ですね」
「そうね。ってことは、もうそろそろ、かしら?」
「でしょう? 鬼頭さん」
「主様?」
「セレスティさん?」
そこで驚いていないのは、言われた当の本人と、草間、シュライン、モーリス、壮司、バザイア。
シュラインは今回最初から続いている、イヤな予感から差し入れを口にしてはいなかったのだが、やはり驚かなかった面々と、更に加えて兎月がそれを口にしてはいなかった。
攻撃力のあるものが、ない者を背後に庇い、神主の姿をした彼からじりじりと下がる。
「やはりねぇ…。お解りですか」
「体重が違うんだよ。あんたは人にしたら、軽すぎる」
「後ね、心音が可笑しいのよ。世の中、色んな人がいるから、一概に言えないと思うけどね。……あまりに弱い音だったわ」
「成程。やはり手抜きはいけませんなぁ…」
シュラインは、神主が入って来た時に檻を開けた為、何処か異常はないかと耳を澄ましていた。するとその神主の心音が何処か可笑しい。本当にこれを心音であると判断して良いのか、悩みそうになる様な音だ。
「あ、そう言えば、鳴子も鳴らなかったわ」
祀の視線は、『言っちゃあ悪いけど、お年寄りが上手く全部避けれる訳ないわよねぇ』と語っている。
「でも神主が、何故?」
理由がシュラインには解らない。何故自分の神社に予告を出し、更にそれを止める様に草間のところへと行ったのか。調査員の誰もが、ある一点の可能性を除いて、推察出来ないでいた。
「いえねぇ、丁度そちら様のお話を、お聞きいたしましてなぁ。多種多様な異能をお持ちの方が、お集まりなされると言う由。そちら様にこの話を持ち込めば、それはそれは、面白いことになるかと存じまして。やはり日々は楽しく過ごしませんとねぇ」
この言葉に、シュラインの脳裏に嫌な記憶が蘇る。
「お聞き致しますが、本当の神主さんは、どうされているのですか?」
「ちゃんと生きておりますよ。今は僕が起きている為、眠って頂いていますけど」
すっと真下を指すところを見ると、この下にいるのだろう。だが今は探している暇はない。壮司の力を使えば一発なのだろうが、救い出している内に不利な展開になっても困る。救出は後だ。
更に神主の言葉遣いなども、変わり始めている。
「じゃあ、うちに依頼に来たのは、どっち?」
予測は付いている。けれどそれが正しいかどうかは、本人に聞くのが一番だ
「僕です。お迎えをしたのも、僕ですねぇ。昼間ここへとご案内したのは、本物ですけど」
やっぱり、と、心の中で、シュラインは呟いた。
「でも、そんな入れ替わったりしてたら、どっか可笑しくなっちゃうじゃない」
「彼の記憶は途切れていませんよ。日常における生活部分の記憶は、きちんと連続し、不足はありません。ただ、余計なことを知らないだけです」
「昼は、何故本物と入れ替わった?」
「時空門がまだ開いておりませんでしたからねぇ。鏡に触りたくなかったんですよ。妖艶は好きでも、清純は嫌いなんです」
つまり封印がしっかりとなされ、聖性の方が高い時には触りたくないと言うことだろう。
「こうして現れるのが遅かったのも、良い頃合いってのを待ってたからってことか?」
壮司の言葉に、神主はあの見慣れた笑みを浮かべた。
「もう、その姿はいらない」
ずっと端にいたバザイアが、ゆっくりとこちら側へ歩いて来ていた。
「おや、お嬢ちゃんは、おじいさんが嫌いかい?」
すっと左右に首を振る。
「その様な偽の姿でいる必要はないと、バザイアさんは仰っているのですよ。恐らくね。それと、彼女に手出しは無用ですので」
にっこり笑って釘を刺すセレスティだ。犯人に取って、バザイアは裏切り者となる筈だから。が、神主姿の何者かは、笑みを浮かべて言う。
「裏切りは僕たちにおける、最大の信頼の証です」
その言葉に、瞬時にして緊張が周囲を支配する。
時間が、動いた。
「蜂須賀っ、後ろ壊せ! 外へ出るぞっ! モーリス、檻もだっ」
草間のその声に、瞬時にモーリスの檻が解かれ、大六の操る端末デーモンが、尻にある針の砲門から機関砲を発射させる。綺麗に木製の壁だけを壊し、一番後ろ、つまりは壊した壁側に一番近くのシュライン、絢音、祀、零、そしてその前のモーリスとセレスティと兎月、更に前のシオンと草間、一番神主に近い側の端末デーモン、大六、女王蜂、壮司、バザイア、と言う順で外へと躍り出る。
出た先は杜だが、そこに入って布陣すると、互いの位置を把握出来ない可能性がある。まとまれば狙い打ちだろうが、数が多いのはこちらの方だ。
菖蒲苑内でやるには、何処に本物の神主がいるのか解らない為、思い切ったことが出来ないこっちが不利だ。朝まで篭もれる様な仕掛けをしたのに、残念だとも思うが。
そこそこに広い境内であれば、隠れるところもない。
自分達が丸見えになる反面、相手も同じく隠れるところはないだろう。
菖蒲苑を半周し、境内へと駆け込んだ彼らは、背後に神主の姿を探す。
「取り敢えず、出てすぐ、また菖蒲苑を檻に放り込みましたけど…」
本物と同じ空間にいられるのも困る為、モーリスはわざと偽神主を外へ叩き出している筈だ。また入れ替わりでもされたら、今度は手抜きをせずに姿を変じるだろうことは、先の会話で推察が着く。誰もが瞬時に見分けが付かない状態になるのは、好ましい話ではないだろう。
だが外にいる筈なのに、その姿がないのだ。
ばらばらと外に出た為、全員が固まっている訳でもない。小さい規模の社務所近くには、モーリス、セレスティ、兎月、シュライン、バザイア、零がいる。すぐ近く、本殿の方には絢音、祀、シオンが。そしてはっきり見える訳ではないが、恐らく絵馬殿には、壮司、大六、草間がいるのだろう。
では偽神主は何処にと見回していると、皇居上にぽっかりと闇よりもなお昏い闇を纏った口が、何かを吸い込んでいるのが見える。中には、まるでヘドロの様なものが渦を巻いている。恐らくそれが煩悩なのだろう。神鏡近くにいるから見えているのか、それともこの神社の結界内にいるから見えているのか、そこまでは解らないのだが。
不意にシュラインの耳に、聞き覚えのある音が飛び込んだ。
「──上よっ! …えっ?!」
シュラインがそう叫ぶ。更に、次の瞬間には何かの羽ばたきが聞こえて来た。
「増えた…」
『行きなさいっ、『ホーニィ・ホーネット』っ!!』
頭上に黒山が出来ている。偽神主と思しき人物が姿を見せた途端、彼の背中から蝿が羽化する様に、何かがぶつぶつわき出してきたのだ。
大六の声がインカムから響き、黒く埋め尽くされる社務所の方へと彼のデーモンが突撃してくる。
バザイアは無表情にデーモンの集団を見つめていたかと思うと、タッパを持つシュラインを不意に見る。
「鏡を渡して」
「なっ、こんな時に?」
偽神主だけなら、大六のデーモンが足止めしている間に逃げられるのだが、羽の生えた猿の様なものが湧き出した耐え、下手に動くことが出来ないでいる。セレスティやモーリス、兎月や零が蠅叩き宜しく落としているも、相手は次から次へと沸いて来た。
驚くシュラインに、バザイアが続ける。
「鏡は壊さない。竜には力が必要だ。だからそれを喰わせる間、渡して」
迷っているシュラインに、本性へと変わった兎月が振り向いて声をかける。
「シュラインさま、わたくしめが側におります故…」
兎月の側にいたセレスティとモーリスも、同じく口を添える。
「私達もいますから、大丈夫ですよ」
セレスティの言葉と同調するかの様に、零が頷く。
「いざとなったら、檻に閉じこめちゃいますからね」
悪戯っぽく笑ったモーリスに、シュラインは頷いた。
「約束よ。バザイアちゃん」
タッパから鏡を受け取ると、それはやはり水に濡れている。ローブで拭うと、バザイアは小さな声で呟いた。
「エムス・イフ・ヴェルト・ウェサ
我、御身を死する神々の御名の元に呼びたもう
天に御身の刻印(しるし)を刻もう
御身よ、炎の如く赤き竜であれ
御身よ、雷の如く荒ぶる角をなせ
御身よ、相応しき七つの宝冠を御手にせよ
ハレ・テテ・エフヴァ・フリナ
我、御身を死する精霊(ジン)の御名の元に呼びたもう
地に御身の刻印(しるし)を刻もう
御身よ、その地を駆ける炎であれ
御身よ、永久なる檻の凍土をなせ
御身よ、全てを食らう七つ星を御手にせよ
レデオン・フルナ・ドルバフ・セディア
偉大なる御身、赤き竜
今こそ我の元へと舞い降りん」
バザイアがそれを詠唱しきったその時。
彼女の影が、伸びた。目の前にいる飛行物が、その影に触れると、飲み込まれる様にして消滅する。大六のデーモンは、影の異変を感じ、既に宙へと避難していた。そして危機を感じたのだろう、当然の様に偽神主もかき消えている。
不意に開いた視界と、その気配の異常さに、思わずモーリスが、セレスティ、兎月、シュライン、零を守る様に檻を自らにかける。
兎月は目を見開いて硬直し、シュラインは乾いた喉を引きつらせた。
セレスティは、眉を顰めている。
その間も、影は伸び、蠢き、沸々と灼熱の温度で煮えているかの様に泡だった。既にその影は、バザイアのものであってバザイアのものではなくなっている。
二次元であったそれは、今では小山の様に盛り上がり、徐々に形を作って行く。
永遠の様な瞬間。
刹那の間隙にも似た時間を経て、それは大きな巨人となった。
「私の竜。ご飯だよ」
恍惚の表情を浮かべたバザイアが、彼女の竜を熱く見つめた。
「え? えええっ?! これが、……竜?」
バザイアから召喚された竜は、彼女から渡された鏡に七つの顔を近付けて煩悩を吸い取っている。
その姿は、一言で言うと異様に尽きた。
隆々とした筋骨に、背に広がるコウモリの様にも見える翼は、大きなそれを支える為か、尻の部分にも渡って癒着している。全ての頭上に生えている角は、羊や山羊のそれの様に捻れて円を描いている様で、正面の角が、一番巨大だ。長く伸びた手足や、見上げる程の巨体は、竜と言うより巨人と言うのが相応しかった。
絢音、祀、シオンの三人が、そろそろとこちらの方へと近付いて来ているのが解ると、シュラインらもまた、彼女らにゆっくりと近寄って行く。
合流を果たした後、モーリスが彼女らも自らの檻に囲うと、三人は目に見えて安堵した。
「本当にあれを竜と言っていたのね…」
シュラインの呟きに、セレスティが頷いた。
「その様ですね。ブレイクの描いた赤き竜とは、確かにあのままですし。まあ、私もそのままの姿で出てくるとは、思ってもみませんでしたけれど」
苦笑しつつも、すぐに表情を引き締める。
「さて、こちらを気にするよりも、あちらを気にした方が、宜しい様ですね」
言葉の先には、何時の間にやら草間達の方へと出現した偽神主の姿があった。
バザイアの竜がいるからこちらに来ないのか、それとも幾度も立ちふさがる大六のデーモンを根絶した方が良いと思ったのか。その理由は解らない。もしも前者なら、こちらにいた方が安全なのだが、後者なら助ける必要はあるだろう。
「これがあるとは言え、合流した方が良いかもね。モーリスさん、このタッパに、さっきみたいな檻を付けてもらえる? 出来る限り私が持って、他の人が戦う時の負担にならない様にしてみるけど、もしも誰かが持たなきゃ行けなくなった時の為に、これだけで囲んでおいた方が良いと思うの」
モーリスはにっこり笑って了承する。
「じゃ、行きましょ」
シュラインの決断に、八人が即座に動いた。
零がもう一方の社務所に到達した時、いきなり跳躍した。
恐らく今向かっている草間の方に、何らかの動きがあったのだろうと思う。
「少々急ぎましょうか」
セレスティのその声を聞き、短く頷く。急ぐと言っても、彼は走ることが出来ない為、モーリスが助けていた。
出来る限りのスピードで、彼女らが合流した時、そこには草間と大六の二人がいた。壮司はどうしたのだろうと思うも束の間、本殿に黒い固まりが見え、恐らくあそこにいるのだろうと検討を付ける。
「草間さん、零さんは当たっても死にませんか?」
「アホっ! 怪我するわっ! 零に当てるなっ! あ、それとさっきの銃、まだあるなら俺にも貸せ」
大六がスタジャンを変態おじさんのオープン・ザ・コートポーズで開くと、内側には後三丁ある。一丁抜くと、装填数を確かめる。更に予備のカートリッジを、大六が渡した。
「私にも一丁、お貸し頂けますか? またあの羽付お猿さんが出て来ない内に、さっさとカタを付けてしまいましょう」
モーリスもまたそう言うと、大六から銃とカートリッジを受け取っている。
「取り敢えず、俺のデーモン! 味方には当てずに、ボッコボコにしてしまいなさいっ」
背後に女王蜂を従えた大六のその声に、本殿付近で周回しつつ牽制していたデーモンは、一挙に砲撃を開始した。大六自身は、己の銃でそれを狙う。
「私だって…」
絢音がそう呟くと、心気を丹田にためて弓を構える。
「この暗さだもんね。いくら相手が怪しくても、当てない様に気を付けないと…。まだ殺人犯にはなりたくないし」
神主がそれから逃れようとする気配が見えると、逃げる方向に向かって矢を放つ。当てるつもりではなく、そこには行かせない様に。
絢音に倣い、草間とモーリスもまた射撃を開始する。勿論こっちは当てる気満々だ。
「良い銃ですねぇ。しかも銃弾には、何か細工がしてますね」
月明かりの中、零の動きを捕らえるのが難しいと思いつつ、四人は驚くべき動体視力を駆使し、神主だけを狙っている。
「悔しいけど、弓の腕ならあたしより絢音の方が、確実なんだよね…。ほら、あんた達も行ってらっしゃい。でも、無理しちゃダメだよ」
祀が子鬼にそう言った。天井がないから、天井下がりは使えないが。
暗い境内だが、不意に壮司の姿が見え、慌ててて絢音は弓を降ろす。
神主の身体が、がくりと落ちた気がする。
「幾島さん、お手柄ね」
シュラインは笑顔でそう呟いた。
膝を着く偽の神主の付近へと、じりじりと躙り寄っていく。ぴりぴりとした雰囲気を感じているのは、何もシュラインだけではないだろう。
普通の人間であれば、激烈に痛い筈だ。と言うより、肋骨を何本も引き抜かれて、無事でいられるのかどうかが疑問だろう。
けれど。
「おやまぁ…。僕の大切な身体が、崩れちゃったじゃないですか」
膝をついた偽神主が、ゆっくりと起きあがった。
あちこちから煙が吹き出ているのは、大六特製の梵字が入った銀の魔弾の所為だ。胸は片方が壮司の抜いた骨の所為で、奇妙な形に崩れている。
真正面を向いた時、老人の姿がぶれ始めた。
「こいつ…」
草間は目を眇めてその様を見ている。
シュラインは、目の前の出来事にとあることを思い出していた。だが、服を引かれて振り向くと、バザイアが彼女の竜を伴って立ち、鏡を静かに差し出しているのを見て、そちらへと屈み込んだ。
「ありがと。終わったのね?」
瞬き一つせずバザイアが頷くと、そのまま口を開いた。
「後は、今年分」
「そうね…」
答えたシュラインが、再度老人であったものを見つめた。
煙の様な、泡の様な、何か異形がそこにある。それが徐々に晴れ、そこから現れたのは、黒い衣服に同じ黒のインバネスに羽織り、顔半分を異様な化粧とその残り半分に化粧そのままの仮面を付けたピエロだ。手にはマジシャンが使う様なステッキを持っていた。
インバネスの上からも解る胸部の異常だが、それが見る間に復元して行き、上がっていた焦げ臭い異臭も既にない。
「おいこら、ちょっと待て。何だあの非常識なヤツはっ!!」
人間、あまりに非常識なことが起こると、案外反応が普通になるのかもしれない。
草間はそのピエロの化粧をした者に向かって、指をさしつつ叫んだ。
「非常識とは失礼な。これは形代ですからねぇ、まあ、トカゲの尻尾みたいなものと思って下さいね。少々驚きましたけど。何を取られても、どんな形であっても、僕はまたすぐに増えますから。…ああ、そう言えば、まだ名乗ってはおりませんでしたね。僕は逆さまピエロと申します。以後お見知りおきを」
つり上がった口元は、もしかすると笑っているのかもしれない。
「見知りたくないっ!!」
祀が力一杯否定する。彼女の元にいる妖怪達ならともかく、目の前のピエロは可愛げもくそもあったものではない。
「道理で…」
「どうかしましたか? シュラインさん?」
「興信所でね、依頼に来た鬼頭さんに会った時、何か何処かで会ったことがあると思ったのよ…。逆さまピエロなら、そりゃあるわよねぇ」
「成程…」
セレスティと二人して、あのアトラスでの事件を思い出す。
「え、えーと。あの方は、あのピエロさんでしょうか?」
当初、胸が復元したことに腰を抜かしていたシオンは、シュラインとセレスティの会話を聞いて漸く回復した様だ。
「あんな気持ち悪いの、何人もいたらたまらないわねぇ」
「主様、あの御仁をご存じで?」
「ええ以前、ね。遭遇したことがあるのですよ」
会うとは言わなかった。人は勿論、異能者の範疇にも入れたくないと言う意思表示だ。
セレスティのその言葉を聞き、兎月は不安な面持ちで彼を見返す。
「兎月くーん、どうしたの? そんなに怯えちゃって。大丈夫ですよ。ここにはセレスティさまも私もいますし、それにこの依頼を手伝っている皆さんがいるんですから。そうですか。あれが煩悩にまみれた顔なんですねぇ。私より、随分落ちますねぇ。ま、私は素顔を見てみたいですけど」
さほど緊張を感じていないモーリスは、悪戯っぽく微笑むとそう相手を見据えた。
「煩悩にまみれているのなら、まだ宜しいんですけれど…」
セレスティのその言葉を聞いたモーリスが、『セレスティさま?』とばかりに目線で聞いている。
「そうよねぇ。ピエロは、多分『面白そうだから』でやってると思うわよ」
「……面白そうだから?」
「ええ。前の時もね、面白そうだから、興味があるからで事件を起こしてくれたのよ。良い迷惑だわ」
辛辣な台詞をさらりと言い切るシュラインに、何処か怒りのオーラを見せるのは大六だ。
「面白そうだからで、善良なやくざと香具師のシノギを潰す気ですかっ!! 許せんっ!!折檻してあげますよっ」
突っ込みどころは満載の上、微妙にずれている気もしないではないが、取り敢えず闘志が燃え燃えならば問題ないとばかりに、そこにいる面々は突っ込まない方向でいた。
「でもね、四百年分の煩悩は、バザイアちゃんの……竜が、美味しく食べちゃったわよ? 今年分のも、食べる気満々」
一旦言葉に詰まったのは、あれを竜と呼ぶことに抵抗があるからだろうが、シュラインはとにかく竜と言い切った。
「おや、残念。あの時、引くべきではなかったようですねぇ。それに皆様が、こうしてお相手してくれたことに喜んでしまった僕が、おバカさんだった様ですね。それは今後の反省点として…。まあでも、その鏡を壊して、今年分の煩悩だけでもこの魔都に返してやれば、良いことがありそうですねぇ。何せ、昔よりは遙かに人も多ければ、欲も深いですしねぇ」
皇居上に見えるのは、ぽっかりと闇よりもなお昏い闇を纏った時空門だ。
「残念でしたーっ! モーリスさんが、ちゃーーーんと密閉してくれるもんね」
あっかんべーとばかりに、祀がそう言う。
「ね、モーリスさん」
「うーん、困りましたねぇ。時空門と直通通路だけは開けてますからねぇ」
嘘…と祀の顔が引きつった。バザイアの竜が、間際に今年分の煩悩を吸い込む為に開けているのだ。
「で、でも、そんなとこから逃げようなんて…。時空門って、時空よね? 時空って、時空って、あの、…あの穴に入ったら、何処に飛ばされるか解らないんですよ、ね? きっと」
確かに解釈としては間違っていないだろう。何処に繋がっているのか、誰も確かめてはいないのだから。
絢音が焦りつつも、口にしたそれに返ってきたのは、シュラインの苦い笑いだ。
「あいつはね、自分で好き勝手に空間開け閉め出来るみたいよ。さっきもやってたでしょ? 逆にああ言うところなら、何処にでも逃げれると思うわ」
「それはつまり、その時空門の中に入ってから、違うところに逃げることが出来ると言うんですかねぇ?」
大六が鼻ピアスを弄びつつ、嫌そうな顔で聞いた。
肩を竦めたシュラインは、肯定の渋面を浮かべる。
「……」
「そっちも閉めるか…」
草間が渋い顔をしつつもそう言った。
「ダメですよ。そんなことをしたら、バザイアさんとの約束が果たせませんから」
「そんなこと言ってる場合でもないだろう」
「では、私はタイムキーパーをしてても構いませんか?」
周囲を警戒し、なおかつ火の粉が降りかかってきたら対処し、更に神社とタッパの檻を管理した上、バザイアの竜と時空門が閉まる時間までもを管理すると言うのは、可成りハードだろう。かといって、全ての檻の管理だけされるのも困る。草間はしっかりモーリスのことを、攻防の際の戦力として考えているのだから。
「力を取り込むことが出来ないのであれば、きっとバザイアさんは私達の元から離反いたしますよ」
更にセレスティが、先を読んでそう言い切った。
「あり得るな。草間の旦那。彼女は利害が一致するからこそ、こっちにいる」
もう目と鼻の先と言っても良い距離から、壮司の声が聞こえた。
最初は敵だった。それがここにいるのは、力を己が赤き竜に食わせることが出来るからだ。恐らく、彼女の中には、目的を遂行すると言うのが最優先事項で、それが例え悪の立場であろうと善の立場であろうと関係ないだろう。そう壮司は言っている。
当のバザイアは、沈黙したままだ。
草間は確かにそうだと唸っている。
だが唸っているのも僅かの間。
「初志貫徹だ。後三十分、日の出まで鏡を守り通す」
元旦の日の出は午前六時五十分。
「あ、後三十分もあるの…」
へなへなと腰砕けになりそうな祀を、しかし絢音が叱咤する。
「祀ちゃん、乗りかかった船。やるって言ったのは私達よ。ここでやらなきゃ、女がすたるわっ」
もしかすると、日頃大人しい子の方が、腹は据わっているのかもしれない。
「偉い! 凡河内さん! 一緒に頑張りましょう!!」
シオンがその言葉を聞き、ばんっと絢音の背を叩いた。少々痛かったのかもしれないが、絢音は嬉しそうに頷く。
「はい! シオンさん。お互い、頑張って乗り切りましょうね!!」
「てか、何で今の内に閉じこめとかないのよっ!」
「何時素顔を見せてくれるのかと期待していたら、すっかりと忘れてしまってましたねぇ…」
捕まえようと檻を展開し始めると、するりと逃げてしまう為、そのタイミングを計っていたと言うのが本当のところなのだろうが、半分以上本気に聞こえるその台詞に、思わず脱力しそうになった。
のほほんとなりかけた空気は、次の瞬間にも凍り付く。
ピエロがふわりと、重力に逆らい宙に飛ぶ。
「では、第二ラウンドと行きましょうねぇ」
第二ラウンドと銘打ったものの、相手がどう言う出方をするのか解らない為、まんじりとしないした時間を過ごしていた。
だが。
『良いか。今から言うことに従ってくれ。文句があるなら後で聞く。だが意見ならすぐに聞く』
インカムから、斜め前にいる草間の声がひっそり流れた。ともすれば聞き逃してしまいそうになるくらいだ。
皆がは聞き逃すまいと、耳を澄ました。
『まず幾島。もうやってるかもしれんが、お前は、あの歩く非常識の解析。弱点探せって言うんじゃないぞ。本当の意味での解析だ。あいつの中身がどうなってるか、そして何かヤバイことしでかす可能性のあるものを持ってるかどうか、そう言うのを調べてくれ、賽銭箱の裏からでもな』
『解った』
『次に蜂須賀、幾島が調べている間、こいつに意識が行かない様に、攪乱。解ってると思うが、幾島のいるところから出来るだけ引き離せよ』
『了解ですよ』
『花瀬。お前も子鬼で攪乱。危なくなったら、迷わず引かせろ。子鬼、少しは自分のところにも残せよ』
『りょーかい』
『凡河内、花瀬と組んで弓で攪乱と誘導』
『わ、解りました』
『モーリス、鏡が入ったタッパを檻に入れたまま、あいつも檻に入れる様、努力してくれ』
命令形でないのは、それが可成り難しいだろうと踏んでいるからだ。
『解りました。草間さん、その方法として、少々シオンさんに協力して頂きたいのですが』
『…良いだろう。シオン、良いな?』
『は、はい…』
『セレスティ、お前はモーリスのサポート。檻に入れる様、追い込め』
『解りました。そして私も、シオンさんの協力が頂きたいですね。目眩ましをかけましょう』
「あ、草間の旦那。俺も解析終わったら、捕まえる方向に回る。そん時、やっぱりシオンさんに協力してもらいたい」
壮司の考えていることは、流石に月明かりだけでは、心許ないのだ。
『解った。シオン?』
『わ、解りました』
『そして零、シュライン、池田屋。タッパを持って逃げろ。逃げて逃げて逃げまくれ。池田屋、零、もしもヤバくなったら、本気で行って良いぞ』
『是非とも善処させて頂きたく…』
『はい、お義兄さん』
「体力持つこと、祈ってて」
何だかとっても大変なことを言われた気がする。けれどこれに触れさせなければ、こっちの勝ちだ。
『やるぞっ』
最初は良かったのだ。
大六がデーモンを繰り出し、その隙にシュラインは零の招く方向へ兎月と共に駆けだした。菖蒲苑で合流し、更にぐるりと回って手水の裏へと周り息を潜めていると、最初は攪乱組に入っていた草間から連絡が入り、菖蒲庵にて合流を果たした。道を挟んでのことだから、少しはマシだと思っていたものの、それは甘かった様だ。
先程見た羽付猿が現れてはタッパを狙って急降下。都度兎月の爪や零の拳や蹴り、草間の銃弾、蜂と子鬼と弓にに撃退されている。更にピエロの方にも見つけられては、以下同文。攪乱組の助けが入ったと同時に、その間四人で猛ダッシュ。ここが結界の張られた神社でなければ、零が怨霊を呼び出してもっと楽に凌げたのだが。
まるで昔やった鬼ごっこの様だと、シュラインは思う。
ただこれは、可成り危険な鬼ごっこだ。
「可笑しいですねぇ。折角見つけたのだから、今度はそっちが鬼ですよ」
絵馬殿へ向かおうと、境内を脇に突き抜けようとしたシュラインの目の前に、ぬっと顔だけが現れた。
「──っ」
「シュラインさんっ」
「シュラインっ!!」
流石にあの顔は、心臓に悪い。今までは、もう少し離れた地点でのお目見えだった。
更に右腕だけが、ぬっと伸び、流石のシュラインは、守っているのがそれだと忘れて、力任せに封印つきタッパを、目を瞑ったまま顔面に叩き付けた。
「ひぃっ──!!」
「…?」
恐る恐る瞼を開けると、全身を現したものの、ピエロの顔の化粧の方が爛れて煙を上げていた。
好機を見逃さず、シュラインが素早く下がり、その前に兎月が立ちふさがる。
「か弱き女性を狙うとは、不届き千万」
本性に戻った兎月の爪が、唸りを上げて襲いかかる。最初に見た優しげな風貌から想像できない程の戦闘力ではあるが、けれど彼は嬉々として戦っている様でないのが解る。彼の逆鱗に触れることがあったのだろう。兎月の動きには怒りと共に、悲しさがあった。
「モーリスさまは、貴方さまの素顔をご覧になりたいと仰られておりました。その仮面、剥がして差し上げましょうぞ」
ステッキに絡まっている爪を、一旦引くことで取り戻すと、更に大きく振りかぶる。様子を窺っていた零もまた、ピエロを羽交い締めにしようと飛び出した。
周囲が黒い影に包まれたかと思うと、それは大六のデーモンであると知れる。
追いつめた、そう思った。
だが。
「あっ!!」
かき消す様に姿が消えて、次の瞬間更に宙高く顔だけが浮かぶ。
爛れていた顔は、徐々に回復が始まっていた。
「見せる訳には参りませんよ」
そう言うとにいと笑い、更に高みに顔が上がって、全身を現した。
『兎月くん、シュラインさん、零さん、草間さん、出来るだけ遠くに逃げて、伏せて下さい。蜂須賀さん! 絢音さんと祀さんをお願いしますね』
セレスティの声が聞こえた瞬間、兎月は兎に変化して、文字通り脱兎の如く駆けだした。落ちたインカムを拾った零が、そのまま草間を担ぎ上げたかと思うと、シュラインも同じくその肩に担ぎ上げられた。タッパを離すまいと必死になりつつ、零が走る邪魔にならない様に気を配る。
その時、藍色と薄い桃色が混じった空に、青白い太陽が輝いた。
長い影が地面に落ちる。
宙にあるピエロの影だ。
その影を見定めた壮司は、ストックの能力『魔狼の影』を発動させた。
何時も耳に心地よい、セレスティの声が聞こえる。
『シオンさん、あれの左に』
主に続き、モーリスの声が聞こえる。
『その後右に』
その声の後、零が絵馬殿の何もかかっていないそこの裏へと入り込み、シュラインと草間を降ろしてその上に覆い被さった。
途端に来る爆音と激震。
白い霧が渦巻く中、石畳が捲れ上がり引きちぎられ、その破片がぱらぱらと落ちてくる。青白い炎が鬼火の様に舞っていることは、伏せたシュラインには解らない。
モーリスを呼ばわる壮司の声が聞こえた気がするが、それも曖昧だ。
身体に残る衝撃波の余韻は、未だシュラインの元から過ぎ遣らない。
薄闇の中の青い輝きが、唐突に失せた。
あの爆音の後、ピエロの姿が消えたものの、まだ時間は残っている。
残りが僅か十分を切った時、草間の号令で再度集合した。
開口一番、草間言う。
「……。お前ら主従が、とんでもなく派手好きなのは、良く解った…」
「だから申し上げましたでしょう。目眩ましを行いますと」
「それにしても、偉く派手な目眩ましよねぇ」
「音が花火みたいでしたっ!」
モーリスから体力を回復してもらったらしいシオンは、大層元気だ。
「あんなヤバイ花火があるかっ!」
思わず突っ込みを入れてしまう壮司であった。
取り敢えず今は解いてあるものの、建物を壊さない様にと、予めモーリスが予防線を張っていた為、無事は無事だ。無事でないのは参道の石畳だった。
ピエロのいたあたりを中心に、見事に抉れている。
「絢音、これで良くあたし達、無事だったわよねぇ…」
「……うん」
顔を引きつらせつつ、二人が頷く。
二人は鳥居の灯籠にしがみつき、衝撃をさけていたと言う。取り敢えず鳥居も灯籠も無事だった為、彼女たちも無事だったのだろう。更に大六がそこにいた為、彼のデーモンも、主を守るのと同じく、彼女たちを守っていたのだ。
「でもあの爆発、なかなか威力がありましたねぇ」
取り敢えず無事だと解れば、無問題とばかりに、大六が口を開いた。
「あるに決まってるだろっ、あれ、水蒸気爆発と爆ごうだっ! 良くあれだけで済んだぜ」
解析済みの壮司が怒鳴る。
水蒸気爆発は、一五○○度以上の液体に、水を浴びせると起こる。つまり金属の欠片──今回使ったのは空き缶だと言うが──を炎で溶かし液状の部分を作り、更に水を浴びせた。
また爆轟とは、音速を超える爆発のことだ。今回は密閉空間を作り、熱の逃げ場を遮断することで、燃焼の伝播速度を上げて爆轟の状態を作り出した。
「………」
勿論、あの程度で済んだのは、二人が微妙に操作していたからに他ならない。
反省の色って何色? とばかりの二人の笑顔に、一堂言葉がなかった。
沈黙の白い天使が白々と飛ぶ中、バザイアが彼女の竜を連れて姿を現す。
それを見たシュラインが、そろそろなのだと察して時計を見た。
「残り五分ね」
「そう言えば、あやつ、モーリスさまの檻に触れた途端、悲鳴を上げておりましたねぇ。何か細工でも?」
兎月の言葉を聞き、モーリスは何故か嬉しそうに呟いた。
「いえ、別に。御神酒と、セレスティさまの水の力をお借りして、少々魔性が嫌う様にしただけですけど。…そうですか。悲鳴を上げたのですね。それは是非とも、この耳で聞きたかったですねぇ…」
「イヤですよ」
「出たっ!!」
やはり顔だけ出しているピエロを見て、シオンが地面にへたり込みつつ指さした。
丁度見上げる形の位置に顔だけ出しているそれは、ゆっくり上に上がりつつ、全身を表していった。
「後一分よ」
閉じていく時空門から弾かれている煩悩が、鏡の輝きに引かれて星の尾の様に流れて来る。
バザイアの竜が、音もなく飛び立った。時空門の側近くまで飛び立つと、本来鏡に落ちる筈のそれを両手を広げて受け止める。
ピエロの身体が煙を上げ、顔もまた爛れているのは、恐らく先程の白い霧の所為だろうとシュラインは思う。
「解ったことがありますよ。君の本性は、魔性。だから聖性を持つものには弱いのですね。そんな君に、ここはさぞかし辛かったでしょう。だから時折本物の神主と入れ替わる必要があった。そして自分の力が十分に蓄えられる様に、時を待って現れた。違いますか?」
セレスティがゆったりとした口調でそう言うと、ピエロが楽しげに口を開いた。
「お見事です。確かに僕は魔性の身。けれどね、銀色の貴方。先程も申し上げた通り、僕の身体は形代です。例えこの身が溶けてなくなろうと、魔性の元が存在する限り、僕は何度でも現れますよ」
そう一気に言うと、わざとらしく溜息を吐いてピエロは肩を竦めた。
「それにしても…。やれやれ、負けてしまいましたねぇ…」
「そうよ! あんたの負けよっ。さっさと跪いてごめんなさいしなさいっ!」
威勢良く言う祀に、逆さまピエロは恐らく笑ったのだろう。
「それはまた今度。完全に閉じてしまえば、いかに僕でも、ここから逃げられなくなりますからね」
望むところだと、調査員は宙を飛ぶ彼を捕らえようとするが。
「では。ごきげんよう」
「あっ」
「くそっ」
「逃げたっ」
「逃げるなっ」
「消えちゃいました」
マジシャンの様な一礼の後、ピエロは不意にかき消えた。
そして。
その言葉と同時に、長い長い夜が漸く終わりを告げたのだった。
「昨日…と言うか、今日は本当に良くやってくれた。礼を言う。そしてご苦労さん。去年はオカルトに始まって、オカルトに終わった一年だったが、今年こそは、普通の依頼が来ることを願って……明けまして、おめでとう!」
本殿の賽銭箱を背に、上手くはない挨拶をして、草間がグラスを上げる。
「明けまして、おめでとう!」
「おめでとうございます」
口々にそう言うと、隣り合わせの者同士が、グラスを鳴らす。
そこかしこで、チンと言うグラスの触れ合う音と、おめでとうの声が続き、グラスの中身を飲み干す音も聞こえた。
既にあれから五時間程が経過していた。
あの後もまた、事後処理と言うので大変だったのだ。
まず最初に、草間とセレスティ、壮司で拝殿の下で眠っていた本物の神主を助け出し、セレスティが全身の血脈を整えることで老人を通常時の身体の状態へと戻した。その間モーリスは、今回の戦闘で壊れた場所を元通りにし、シオンと絢音、祀、大六で境内やその他汚れてしまった場所を掃除した。
バザイアは竜に煩悩を食べさせ終わると、そのまま帰ると言って去っている。
残るシュライン、兎月、零は、腹が減ったと言う者と、騒ぎたいと言う者のリクエストを受け、神社の職員を送ると言う神主の息子にバスに同乗し、スーパー+セレスティの屋敷まで調達に出ていた。
来るだけで二時間近くかかっていたので、作るのはここのキッチンを借りることにし、取り敢えず材料を詰め込んで、出来うる限りの超特急で往復することに。
人々が片付けに入っている間、三人と、屋敷から材料と一緒に調達してきた人員、更に時折通りかかる者達をひっつかまえ、手伝ってもらって豪勢な料理を完成させた。
また、宴会中にも出来たてが食べられる様にと、オープンキッチン──つまりのところ、仮説調理場──の大工仕事を数名の男共で行って貰った為、現在そこでは、兎月が楽しげに料理を作っては、美味しいと言う言葉を貰い、頬を赤らめていた。時折、シュラインや零が手伝いに入り、絢音や祀が、兎月達から料理を教わったりしている。
全員入り乱れての注ぎや注がれが行われ、賑々しい場となっていた。今日あったこと、または以前の依頼のことなどを、皆が相手を問わずに語り合う。
酒の力もあるのだろうが、それ以上に一晩を何とか乗り切ったと言う連帯感があるのだろう。
神主やその息子も交えての宴会となっているが、その他の者は、この神社の特性上、お参りに来るものがいない為、この二人以外は誰もいない。
境内に出したテーブルの上には、当然の様にお節が並んでいる。
黒豆、数の子、田作り、昆布、搗ち栗、鯛、橙、錦玉子、金平ごぼう、里芋、紅白なます、紅白かまぼこ、栗金団、伊達巻き、梅干し、海老、菊花かぶ、お多福豆、小肌粟漬と言った定番が、これもまた定番のお重詰めである、五種、三種、段取り、市松、末広角、末広丸、手綱、田の字と言った形に見目良く盛りつけられている。
勿論ながら、お節だけでなく、それぞれ和洋中の贅沢料理や家庭料理、ワインやウィスキー、スコッチにバーボン、日本酒に焼酎、中国酒と言った酒類、ソフトドリンクは現在手に入るフルーツから作ったフレッシュジュースから始まり、幾種類もの紅茶と日本茶、コーヒーなどもブルーマウンテンやモカを初め、普通の専門店よりも品揃えは良い。
今日だけと言う条件付きで、未成年は禁酒と言う堅いことは言わなかった為、全員が何かしらアルコールを口にしている状態だ。
「えー、宴もタケナワになりまして、わたくし、蜂須賀大六、一つ芸などしてみたいと思います」
そう言って、賽銭箱の前に躍り出る。
「良いぞーーー、やれー」
無責任に叫ぶ草間に苦笑しつつ、彼の空になった入った皿を取り上げると、シュラインは兎月のいるオープンキッチンへと歩み寄った。
「賑やかですね」
「そうねぇ。兎月さんは、ちゃんと食べてる?」
「はい、時折、つまみ食いなど…」
そう言い照れている。シュラインも、そんな兎月にクスリと笑う。普通なら、そんなこともしないのだろうが、今日は特別だ。
「何時もはセレスティさん専用の兎月さんの手料理、食べることが出来て光栄だけど、ちゃんと楽しんでね」
そんな会話を交わしつつ、オープンキッチンで作られる料理を盛り合わせて貰っていると、背後が何やら先程より騒がしい。
「はい。お言葉嬉しゅうございます。…あの、草間さまは大丈夫でしょうか? 随分お酒を召していらっしゃるようでございますれば…」
「大丈夫、ちゃんと最初に胃腸薬飲ませてるし。実はね、武彦さん解ってないと思うんだけど、あれもうお酒じゃないのよ。飲み過ぎは、身体に毒……」
「もっと脱げーーーーー」
兎月が持っていた菜箸を取り落とし、口を半開きにして硬直している。
「脱げ?」
背後で何があったのかと、シュラインも振り向き。
硬直した。
草間と絢音の囃す声がとても良く響いているお陰で、シュラインは我に返った。
「あんの、親父ぃぃ」
こめかみに怒りマークを貼り付けて、ちょっと待っててねと兎月に言うと、地獄の閻魔様も逃げ出す迫力で一発草間の頭をはり倒し、倒れて気絶した草間に風邪だけは引かない様にと毛布をかけてから、更に賽銭箱に向かっていった。
「蜂須賀さぁぁんっっ!!」
「姐さんっ! ほら、大受けなんですよ」
確かに受けただろう。酔っぱらっている絢音と草間には。
「誰が姐さんかっ! 早く服を着なさいっ!!」
零が酔っぱらって寝ていて良かったと、内心ほっとするシュラインだ。
「まあまあ、シュラインさん、そんなに怒ると、綺麗な顔が勿体ないですよ」
そう言ってやって来たのはモーリスだ。手の中から金の檻を作り出し、大六を囲い込んでしまう。
「まあ、場合に依っては、裸のおつきあいは大歓迎にもなりますけれど。蜂須賀さん、ここには女性もいらっしゃるんですから、ちゃんと服を着て楽しみましょうね? 服を着たら、呼びかけて下さいね」
にっこり笑ってそう言うと、檻を高い位置に上げてしまって、颯爽と去って行った。
「いい? 蜂須賀さん。ちゃんと服を着て楽しむのよ」
「……わ、解りました…。」
じろりと睨んでそう脅かしてから、シュラインはにっこり笑ってこう言った。
「服なんか脱いでたら、福が逃げちゃうわよ」
その日以来。
日比谷公園の森に、何か妖しが出るらしいと言う噂が広まったのは、ホンの蛇足な話である。
Ende
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
0630 蜂須賀・大六(はちすか・だいろく) 男性 28歳 街のチンピラでデーモン使いの殺し屋
1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い
2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者
3334 池田屋・兎月(いけだや・うづき) 男性 155歳 料理人・九十九神
3852 凡河内・絢音(おおしこうち・あやね) 女性 17歳 高校生
3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α
4521 バザイア(ばざいあ) 女性 2歳 クローン/赤き竜の崇拝者
3950 幾島・壮司(いくしま・そうし) 男性 21歳 浪人生兼観定屋
2575 花瀬・祀(はなせ・まつり) 女性 17歳 女子高生
<<受注順
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ライター通信
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新年あけましておめでとうございます(^-^)。斎木涼でございます。
先年中は、色々と御座いましたが、何とか乗り切ることが出来ました。その活力を与えて下さいましたのが、こうして依頼に参加して頂きました皆様であると思っております。
本年もまた、可愛がって下されば幸いです(^-^)。
そしてまたもや遅くて申し訳ありません…。
新年早々……。
さて、内容でございますが、こう言うのに詳しい方は、読みつつ『アホやなぁ。こんなんで上手いこと行く訳ないやんか(何故関西弁(笑)?)』と笑ってやって下さい。でもって、こっそりと指南してやって下さい(苦笑)。
こう言う感じのお話は、好きなんですけれども本人おバカさんなので、如何ともしがたく…。
十名様と言う大所帯で書かせて頂きましたが、本人の技量不足故、プレイングを完全に生かし切れたと言い難くなっておりますことをお詫び致します。
>シュライン・エマさま
先年中はお世話になりました。本年も宜しくしていただけましたら嬉しいです。
犯人を『ピエロかも…』と言うご推察、お流石でございます。
今回、可成り体力勝負なお話となっております。後日、ゆっくりと骨休めをなさって下さいませ。
シュラインさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。
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