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『悪魔の居る家 ― 後編 ―』
彼女は息子の名前を呟きながら泣いていた。
部屋は暗く、線香の香りがたゆたっていた。
部屋の窓辺にかけられた鳥篭の中でインコもじっとしながら飼い主である彼女を見つめていたが、
しかしおもむろにインコは叫び出した。
乱暴に翼を羽ばたかせて、
鳥篭に中からぶつかり続ける。
泣き顔をあげて彼女はインコを見た。
羽根がひらひらと舞っている鳥篭の中で、インコは充血したような真っ赤な瞳で彼女を睨み吸え、
唄を詠う。
それは悪魔の唄だ。
聖母を陵辱し、
神を冒涜する唄。
それを謳う唄。
悪魔は、神を嫌う。
神の悪口を叫ぶ。
とても綺麗な賛美歌を歌う歌手のように。
インコは、自分を泣きはらした目で見る彼女に、真紅の両目を細めて、口を開く。
天使かのようにとても優しい声で。甘美な声を発する。
「酷いよね、神様って。ただ見てるだけで、何もしてくれない。
苦しくって叫んでるのに。
哀しくって泣いているのに。
無慈悲なんだよ、神様は。
だからそんな神様なんか捨ててしまおうよ。
悪魔なら、あなたの息子を取り戻してくれるよ」
インコは優しく囁く。
彼女は鳥篭の蓋を開けて、そしてインコがそこから飛び出してくる。
暗い部屋の、線香の香りを濃密に孕む空気を揺らして翼を羽ばたかせるインコは、静かに彼女の前に舞い降りて、
笑った。
そして彼女のもとに棚に飾られていた人形がひょこひょこと歩いてきて、
彼女は泣きながらぎゅっとその人形を抱きしめるのだ。
息子が戻ってきたと。
インコは歌うような声で笑った。
――――――――――――――――――
【Begin Story】
階段の最上階でその子は泣いていました。
ボロボロと零れ溢れ出る涙を手でぬぐいながら。
私はその子にそっと手を伸ばしました。
ですが手は、すり抜けるのです。当然です。その子は幽霊なのですから。
「あなたがローナが言っていた子ね」
私がそう話しかけると、彼は泣きながら頷きました。
「横に座ってもいいかしら?」
頷く彼の横に私は腰を下ろして、今度は手に魔力を込めて、その子の頭を撫でるのです。
驚いたように私を見る彼に私は微笑みました。
「大丈夫よ、大丈夫。あなたの名前は私が取り戻してあげるわ。そしたら、うちの娘にあなたの名前を教えてくれるかしら。私のかわいい娘、ローナ・カーツウェルに。ローナは大丈夫よ。ありがとう、私のローナを守ってくれて」
彼はまたえぐえぐと泣きながら頷きました。
怖かったのだと想います。
後悔していたのだと想います。
ローナを巻き込んだ事を。
私は背負うモノがまたひとつ増えた事を知りました。
「じゃあ、少し待っててね。あなたとあなたのお母さん、それにローナを泣かせた悪魔を私がお仕置きしてくるから」
立ち上がり、私は子ども部屋へと向おうとしました。
しかしその私のスカートを彼がきゅっと掴んだのです。
「何?」
「ううん、ごめんなさい」
「いいのよ。気にしないで坊や」
彼の手は私のスカートから放れ、
私は俯く彼に微笑みかけます。
「ローナに」
「ん?」
「ローナに僕も僕の名前を言いたいです。言いたい。ローナにも、ローナのお母さんにも、僕のお母さんにも呼んでもらいたい」
「ええ。大事なプレゼントですものね。名前は」
私はローナの顔を思い出しながら、それを口にしました。
そう、そうだった。
私も主人も生まれてきてくれたローナにものすごく感謝しました。
私たち夫婦のもとに生まれてきてくれてありがとう、って。
ローナ、そう生まれてきてくれた彼女に名前をつけた時は嬉しくって涙が止まらなかった。
だから私は、行くのです。
彼の名前を取り戻すために。
部屋の扉を私は躊躇い無く開ける。その扉の向こうに凄まじい闇の気配を感じながらも。
扉を開けた瞬間に、部屋の中にあった腐臭を孕んだ凍えるような冷たい空気が流れ出してきて、
そしてその空気がたった今まで詰め込まれていた部屋で彼女は座って、人形の髪を櫛で梳いていました。
いえ、彼女にしてみれば、息子の髪を梳いているのでしょうか?
私は部屋の中に足を踏み込みます。
「こんにちは」
そう声をかけると、
「こんにちは」
と、彼女もとても嬉しそうに言ってきました。
本当に心の奥底から嬉しそうに彼女は私に人形を見せるのです。
「ねえ、見てくださいな、私の息子を。私の息子、戻ってきたんですよ」
――彼女は幸せなのでしょう、とても。とても。
だけど―――
「では、あなたはそのお子さんの名前を言えますか?」
しかし今度はそう声をかけても彼女は反応しない。
ただ嬉しそうに幸せそうに人形の髪を櫛で梳いている。
聞きたくない? 私の言葉を。
だけどあなたは聞かなければならない、私の言葉を。
「私も母親ですから、あなたの気持ちはわかります。私もローナを失ったら、哀しい。辛い。正気ではいられなくなるかもしれない。もしもそうなったら悲しみのあまりに、自分がどうなるかもわからない。ひょっとしたら、あなたのように悪魔と契約してしまうかもしれない、子どもを取り戻すために」
彼女は私の言葉に反応しない。
ただ人形の髪を櫛で梳いている。
だけど私は確信していました。私の声は彼女に届いていると。
何故なら彼女もまた私と同じ母親ですから。だからこそ悪魔に囚われ、だからこそ本当には悪魔に囚われているとは、想ってなどいませんから。
だから私はそれを言うのです。
「だけどだからこそ、あなたにはわかっているのでしょう。その子が自分の子どもではないと」
びくりと彼女の体が震えました。
それが証拠。
私の声が、彼女に届いている。
「ねえ、知ってますか? あなたのお子さんが、泣いているのを。あなたがそうやって悲しみに囚われて、悪魔の誘惑の手に逃げてしまっている事で、あなたのお子さんは名前を無くしているのですよ。本当にあなたはそれでいいの? あなたは今また、今度はお子さんの存在を殺そうとしているのですよ。安心させてあげましょう、お子さんを」
そう言った瞬間、彼女が泣き声をあげました。
私にはそれがまるで悲鳴のように聞こえました。
いえ、悲鳴だったのでしょう。
心の奥底からあげる。
私はそっと彼女の手から人形を取り上げました。
しかしその瞬間に人形が詠いだしたのです。
聖母を陵辱する唄を。
主を愚弄する唄を。
聖歌隊の少年少女が聖歌を歌うような、とても清らかで澄んだ声で。
そして詠いながら人形は硝子玉の瞳から血の涙を溢れ出させました。
しかし私はそれに対して弱みは見せられません。
弱気になったら負けです、この戦いは。
だからこそ私は普段のアレシア・カーツウェルという自分を消すのです。
――瞼を閉じて、心の奥底にしまわれている箱の蓋を、開ける。
「面白い演出ね、坊や。それが何?」
せせら笑うように言って、私はその人形を空中に投げて、石化させた。
床の上に落ちたそれは粉々に砕け散る。
それが砕け散る音と共に天井の方で響いたのはばさぁ、という羽音。
私がそちらに視線をやると、そこにはインコがいた。
天井で羽ばたきまわるそのインコは大きく体を痙攣させると、床に落ちて、そして内側から膨れ上がって、それからその後に起こった事を私の口で説明すると、つまりインコは靴下を裏返しにするように裏返しとなった。
グロテスクな体の内側を外側に曝け出して、それは私に向って羽ばたいてきます。
しかしそのインコを撃ち落したのは、私ではなく、名も無き青い鳥でした。
そして私と彼女の前に幽霊の彼が両手を広げて、立ちはだかるのです。
「僕の母さんとローナのお母さんは、僕が守るんだ」
私はその小さな背にとても微笑ましい心温かい感情を抱きました。
そしてそれが悪魔攻略の鍵となるのです。
そう、悪魔はそういう感情を嫌いますから。
力を失った悪魔は私たちの前に現れます。
子を失った母の絶望と、母を悪魔に囚われた子の絶望を拠り代にこの世に現れていた悪魔が。
床の上で弱って這いずり回るその悪魔に、私は言います。ずっと疑問に想っていた事を。
「あなたは私の事を知ってるようだけど、私はあなたを知らないわ。あなたは一体誰なのかしら?」
そう告げると悪魔は私に顔をあげました。
「ひどいな、忘れたのかい、アレシア。僕の事を。幼い頃からずっとキミの事を見続けてきた僕を」
それは……
そう、それは私がまだローナよりも幼い頃に一度だけ出会った事のある男の子の声でした。
今の今まで忘れていた。
私が母に怒られ、公園に家出をした時に、私の前に現れて慰めてくれた、天使。
それが――
「そう、僕はアレシアに恋をして、アレシアを手に入れたくって、だけどそれに激怒した神に怒られ、堕ちて、悪魔となったんだ。アレシア。アレシア。アレシア。アレシア。僕はキミが欲しかった。だから僕は」
「哀れな母子の心を利用してこの世に具現化して、私をおびき寄せた」
「そうだよ。キミと僕、ひとつとなるために」
悪魔は最後の力を振り搾って、私の中に入り込んだ。
「ローナのお母さん」
一瞬ぷつん、と、途切れた意識。
その前か後で、聞いた彼の声。
私は彼に心配かけぬように言います。
彼の顔を見ながら。
「ふふふふ。大丈夫よ、坊や。……そう、大丈夫。僕とアレシア、ついに愛し合う二人はひとつとなったんだから」
私の口を使って、悪魔が言った。
―――――寝ぼけた、事を。
誰がこの悪魔のモノになろうか?
私の心も体も主人のモノ。
私はローナの母。
そして私は、アレシア。アレシア・カーツウェルは私自身。私は私。
窓硝子に映る瞳を真紅にした私に、私は己が能力を発動させて、
「ウギャァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――」
悪魔を己が身から追い出した。
へどろで作ったスライムかのような姿になった悪魔は私の口から飛び出し、そして私はそれを石化して、足で踏み潰した。
【ラスト】
目を覚ますとミーはひとりでベッドで寝ていた。
「ママ」
ほんの数秒、ミーは記憶が定かじゃなくって、頭がぼぉーっとしていたけど、でも記憶をぼかす白い霧が晴れると、ミーは自分の身に起こった事を思い出して、ベッドから跳ね起きたの。
「ママ」
ミーは走り出た、家から。
ママがどこに行ってしまったかなんてわかっているから。
だからミーは裸足で家の前の道に飛び出して、
それで走り出そうとしたら、そしたらミーの前に一羽の鳥が舞い降りて、その鳥がミーの前で彼になったのだよ。
「ありがとう、ローナ。僕は僕の名前を思い出したよ。本当にありがとう、ローナ」
「Will you please teach me what your name? ユーの名前をミーにteachして」
「うん」
彼はミーに名前をそっと耳に囁いて教えてくれた。
「良いnameだね。very very 素敵な名前よ♪」
「ありがとう、ローナ」
そして彼はミーの前で天国へと逝ったの。
それをミーが泣きながら見送ってたら、
「ローナ」
「ママ!」
ママの優しいミーの名前を呼んでくれた声がして、ミーはママに抱きついて、
「Please、ママ。もう一度、ミーの名前を呼んで」
ミーがママにそうお願いすると、ママはミーにとても優しく微笑みながら、
「ローナ」
ミーの名前を呼んでくれて、
「ローナ、見て。雪よ」
「うん」
空から降ってくる雪から守ってくれるようにミーの事をママは自分の着ているコートで包んでくれたの。
とても温かいママの温もりと匂いがするコートで。
「さあ、ローナ。家に入って、パパが帰ってくる前にクリスマスケーキを作ってしまいましょう。でももうあんな事をやったらダメよ」
「YAa−、ママ」
ミーはママの着ているコートに包まれたまま、温かい家の中に入った。
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、アレシア・カーツウェルさま。
こんにちは、ローナ・カーツウェルさま。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
前回に引き続いて後半もお任せくださってありがとうございます。^^
尚前回はネタバレ禁止&物語の雰囲気重視で、ライター通信は無しにさせていただきました。
さてと、どうだったでしょうか?
少しでも楽しんでいただけてましたら幸いなのですが。^^
今回のお話は本当にアレシアさん、ローナさんにはぴったりのお話ですね。
アレシアさんはお母さんであり子ども時代も経験しているから、悪魔に囚われた母親の気持ちもわかりますし、
ローナさんは今現在が子どもですから、子どもの感情はアレシアさんよりも深く共感できて、それ故に彼の悪魔に囚われた母親には自分は何もできないと痛感してしまって。
そういう感情を描写する事はとても楽しかったです。^^
そして悪魔はアレシアさんのストーカーだったわけです。;
そうしたのはアレシアさんの持つ能力の因果というモノを表現したくって、そうさせてもらいました。
それによってアレシアさんが抱く自分の能力への想いを表現したいのと、まだ未完成な能力を持つローナさんへの感情を演出できると想いましたから。
ちなみに何故、アレシアさんとローナさんが喧嘩をしたかと言いますと、クリスマスケーキを作っている時にお悪戯(おいた)をしてしまって、それで怒られてしまったのです。ですから。;
作中では見事にホワイトクリスマスです。
アレシアさんとローナさんへの天からの贈り物という事で。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
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