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荊姫:第四夜
アトラス編集部に地区回覧が回ってきた。
緑色をしたB5サイズのバインダーに紙が一枚。
通信文の規則をきちんと守って打たれたワープロの文字が何行か続いた後、一番最後には確認のための捺印欄があった。
「三下君、これ見た?見たならもう次に回すけど」
「えぇ〜と…」
三下は黒ぶちの眼鏡をずり上げながら差し出されたそれを受け取って中身を開く。
「あ、はい、見ました」
「そう。なら良いわ」
碇編集長はさっと三下からバインダーを取り上げると、大きな編集部の判子をでかでかと捺印欄に押し付けた。
そのバインダーに挟まれているのは、とある建物の取り壊し作業に関するものだった。
街外れの無人の洋館を、この度行政側が取り壊すという。併設されている公機関の無機質な白い建物もあわせて、その範囲が広くなるため一気に爆薬で吹き飛ばすとのことだった。
その回覧には何だかんだと色々ご大層な理由が並べられている。
最近の資金難から、取り壊し用の重機を使っての作業より爆薬の方が短時間かつ低コストで済むとか、敷地内には重機では取り壊せないものがあるとか。
一通り洋館ならびに白い建物がどういうものだったのかも書いてあるが、知る人は鼻で笑いたくなるような記述であった。
「そういえば」
碇編集長はバインダーを手元に置いて顔を上げた。三下が何ですか、と答える。
「この建物取り壊しに立ち会いたいって人がいたわよね」
「いましたねえ。たしか、荊姫の件で…」
「ええ、そうよ。せっかくだから一応連絡入れておいてちょうだい」
かの美人編集長はやっぱり有無を言わさぬ物言いで三下にまた一つ仕事を投げつけると、既に別の依頼書へと目を通し始めていた。
■
爆破作業は昼から夕方にかけて行われるとのことだった。爆発自体は短時間だが、そのための準備が色々とあるようで。
常澄はあまりいいとは言えない心持であの洋館へ向かった。先日往路を共にした銀髪の紳士はまだ見当たらない。
時刻はもうすぐ正午になるところ。所々にもう準備の者たちがいるので洋館の真正面から入るのは難しいかもしれない。
どうやって入ろうか。
所々に人の気配がする門扉の向こうをじっと見ながら、腕を組んだ。
さして公共機関に顔が利くわけでもないし、下手に口を出そうものなら怪しまれてしまう。
その時、常澄の後ろで聞き覚えのあるブレーキ音がした。
「おや、あなたも立会人ですか」
やっぱり聞き覚えのある穏やかな声が言う。
「そっちも?」
「はい、私も立会人です。乗りかかった船ですからね」
なんだか無愛想な常澄の問いに、長い銀髪の紳士は変わらない笑顔で答えた。
以前ここに来るときは、この銀髪の紳士、セレスティ・カーニンガムの所有すると思われる立派な車に乗せてもらったのだ。
その車は今回も彼の後ろのに静かに控えていて、まるで主人に忠実な犬のようであった。
「…困ってたんだ。どうやって中に入ろうかって。もう中では人が準備を始めているみたいだし、真正面から行っても追い払われそうで…」
少々狼狽気味に常澄は、この大きな門の前で佇んでいる理由を話す。
「そうですね、アトラス編集部様からご連絡を頂いたとは言え、正式には立会人の募集なんてしてませんから、何か疑われてしまうかもしれません」
対照的に酷く落ち着いた様子のセレスティは、ステッキを片手に常澄の隣に立ったかと思うと、おもむろにその大きな扉をガシャンと開けてしまった。
「え、ちょっと、いきなり入ったら怪しまれるって…」
「大丈夫ですよ、多分」
あまりこの状況に似つかわしくない穏やかな笑みでセレスティは言ってから、門をくぐり抜けてしまった。
閉められるのではないかと思った常澄は咄嗟にその後を追って、やっと洋館の敷地に足を踏み入れた。
門をくぐった二人の目の前には沢山の工事用車両が停まっており、その間を作業着の男たちが行き交っている。
野暮ったい車と人間に紛れて一台だけ、セレスティのそれに負けず劣らずの高級車が停まっている。
その傍らには身形の良い男と、作業着の男の二人が何やら会話しているらしい。
「あの二人が恐らく責任者でしょう。背の高いスーツの方が所有者で、恰幅の良い方がこの作業を請け負った業者ですよ」
セレスティは常澄にだけ聞こえるように言うと、そちらに向かって歩き始めた。
後を追ってばかりのような自分が嫌で、常澄は驚くのをやめて、セレスティの隣に歩みを進める。
「こんにちわ、今日の責任者の方ですか?」
臆面もなく堂々とセレスティが二人に話しかけると、請け負い業者の頭領らしい方は、何やら怪訝な顔をしたが、スーツの男は驚いたような顔をした。
そりゃあ、黒髪の黒目の、さも普通の人間が、セレスティなんぞの人間離れした美貌を目の前にしたら驚くのも無理はないだろう。
しかしその男は一瞬だけ驚くと、すぐに上流階級らしく物腰を元に戻してこちらの身分を聞いてきた。
「私たちはこの爆破に立ち会いたいと志願する者です。こちらでは許可されておりませんでしょうか」
セレスティが低腰で問う。
「基本的に許可はしていないのですが…どうしてまたこんな何の変哲も無い爆破作業に?」
常澄が予想したより低い声で穏やかに男は言った。
――"何の変哲もない"。
その言葉にセレスティも常澄も、何かを聞き込むのはやめて、表面的な話題にのみ止めようと思った。
今まで黙っていた常澄が咄嗟に口を開く。
「興味があるんだ。僕はこの街でアトラクションを経営していて、その参考にこういった作業も見ておきたい」
勿論嘘なのだが、それらしい理由なんてこれくらいしか思いつかない。
「そうですか、それはそれは。それで、そちらの方は…?」
「私は彼の付き添いです。自分の上司を一人で向かわせるわけには行きませんから」
――上司?!
常澄はこの美丈夫、何を言うのかとつっこみたかったが、何とか表情と共にそれは飲み込んだ。
「本人を目の前に失礼を承知で言わせていただきますが、まだ私の主人は年若です。先代より仕えていた私には若年からの心配や、それゆえの同行責任というものがありますでしょう?」
セレスティは相変わらず笑顔で、常澄の部下を名乗る。
相手の黒い男は次第に、(嘘ではあるが)ことが飲み込めてきたようで、ああ、と軽く首を立てに振った。
「分かりました。…ところでお聞きいたしますが、経営なさっているアトラクションというのは私設でしょうか?もし公設でしたら、役人が一人二人と着いてきてもおかしくないと思うのですが」
「勿論私設です。公設許可を取ると規則に縛られてお客様の希望するものが作れませんから」
セレスティが、まるで身分のあるものが軽々しく口を開くものではないとでも言うように、先に答えようとした常澄の前に片手を軽く差し出して押し止めた。
「どうでしょう?見学の許可をいただけますか?」
セレスティの穏やかな言葉に、所有者らしき男は微笑んだ。
「勿論、そういうことなら是非ご覧下さい。諸縁あって私もこの建物自体に思い入れは深いので、その取り壊し作業が誰かのお役に立てるならば幸いです」
「ありがとうございます。それではまず中の造りを見てみたいのですが、洋館の中へ立ち入らせていただけますか?」
「どうぞどうぞ。もうすっかり古びて汚らしいとは思いますが、何卒それも味と言うことでご容赦下さい。爆破は午後四時十五分です。それまでにはお戻り下さい。」
もし白い建物の方の見学を希望していたなら立ち入りの許可は下りなかっただろう。
セレスティたちは軽く二人に礼をして、洋館への入り口を目指した。
■
作業着の男たちの間を縫って、二人は洋館への扉を開いた。以前と変わらない薄暗いホールには、等間隔でいたるところに爆薬と思われるものが括りつけられている。
階段の上や机の下などを、似たような風貌の作業員が走り回っていた。
「それで、どこに行けばあの魔女に会えるんだろう?」
「恐らく前回と同じ部屋に行けば会えます。あの白い粉が気にかかる」
その部屋を目指す二人は、大きな中央階段を上り始める。
常澄の目には階段の下にある小さな扉が開いているのが目に留まった。
「なあ…あの扉の向こうは何だったんだろう?」
「ああ、あの扉の向こうは、一夜目と二夜目の舞台ですよ」
含み笑いでセレスティは答えたが、それ以上は何も言わなかった。
それほど複雑な道順ではなかったが、その部屋は入り口から随分遠かった。
以前は初めてで、しかも魔女に案内されてきたので距離は感じられなかったのだが、焦りと二回目という理由が重なって、中々その部屋の扉は現れなかった。
赤い文字で"立ち入り禁止"と書かれた白いプレート以外、その扉はさして以前と変わらなかった。
立ち入り禁止のくせにその扉の周りには誰も見張り役がいない。
「入って…いいんだろうな」
「勿論」
常澄の言葉に、セレスティは即答して、鍵すらかかっていないその扉を押し開いた。
変わらない長いテーブルと、火の入っていない暖炉、そして壁にかけられた名前のない絵は、上に小さくとられた窓から差し込む日光で少しだけ白く光った。
暖炉の前には人が乗っている影だけが伺える車椅子が一台。
扉から奥に向かって細長い部屋。見覚えのある白い粉が、四隅に盛られている。
「魔女さん?ここにはいらっしゃいませんか?」
セレスティが一声かけると、車椅子の隣で衣擦れの音がした。
それを聞いて二人は扉から離れ、暖炉――車椅子の方へ向かう。
車椅子のそばで蹲っている人物を見つけて、セレスティが肩に手を触れ、大丈夫ですかと問うと、その人物はゆっくり顔を上げて、こちらを向いた。
「……ようこそ、いらっしゃい」
酷くしわがれた声に落ち窪んだ目元、そして口の端に、額に、目尻に刻まれた皺は、確かに年齢を感じさせて、三夜目に会った魔女よりも遥かに年上であることが常澄には分かった。
その隣で、セレスティは何も言わない。
「立会人を希望して、僕らは中に入れてもらった。気になってこの部屋に来てみたんだけど、あんたがこの間の魔女の姉か?」
言う常澄から少し離れて、セレスティは、前回座った椅子に腰掛けて一息吐いた。足が少し痛む。
「姉…そうね、姉ね、確かに」
年老いた女はよっこらせと立ち上がり、自分に言い聞かせるような口調で言うと、セレスティと同じように椅子に座った。
「??どういうことだ?姉じゃないのか?」
いまいち納得のいかない答えに、常澄だけが立ったまま。
その隣にいる車椅子の人物は細い息のまま、もう目を覚ましそうになかった。
セレスティはもう一度息を吐いてから、節々が出っ張った老女の指を見つめると、やっぱりといった顔で一言。
「切り傷はすっかり良くなったようですね」
「……おかげ様で、よくなりましたよ。あなたがくれたハンカチが癒してくれました」
年老いても変わらない口調で、魔女は指にある小さな傷をさすった。
常澄はやっと椅子に座ることができた。
それを見て、魔女は少し笑うと、自嘲気味に呟いた。
「どうして姉なんて嘘をついてしまったのかしらねえ。年老いた今なら、考えると、すぐにばれてしまうことが分かるのに。本当に、妹たちは馬鹿だったこと」
二人に聞かせるつもりなのか、そうでないのか分からないその言葉は、自分自身を戒めているよう。
肘を突いたセレスティはもう一つ気付いたことがある、と言った顔で、更に言う。
「私はあなたに会ったことがある。妹たちではなかった、今のあなたに」
「そうでしょう。あなたは頭が良さそうでしたものね。もうこうなれば分かってしまって当然ですわね」
魔女はゴホ、と咳き込む。
セレスティは何も言わなかったが、常澄は黙っていられない。
「ちょっと待ってくれ。あんた、約束しただろう?うちの屋敷に来るって、そんでセレスティと茶を飲みながら種明かしするって、約束しただろう?あの夜に、僕はわざわざ一旦帰ろうとしたところを引き返して、念を押した。あんたはしっかり、約束ですって答えたじゃないか」
「そうね、ええ、そう、約束しました。…でもこうなってしまえばどうしようもないでしょう?…あなたは、どんなに固く誓っても、それを破らざるを得ない時があることを、知ってるのではないかしら?だからこそ、約束を守ることについて、強く言えるのね」
有無を言わせない魔女の言葉に、常澄は黙るしかなかった。
「種明かしをしましょうか。お茶も何もないこんな場所ですけれど」
魔女は痛むらしい関節をさすって、静かに言った。
「セレスティさん、あなたは今の私に会った事があると言いましたね」
「はい。その時あなたは何も喋りませんでしたが」
「そうですね。あの時"私"は眠っていたのですから。……そして今も"私"は眠ったまま」
魔女は車椅子を見やってから、ポツリポツリと話し始めた。
□
この洋館は、隣の白い建物―研究所の所員たちの寮だった。
白い建物では人間を兵器に作り変える研究がされていて、出来上がった試作品の性能を試すための広い運動場が、この洋館の隣にある。
目下所員たちが目指していたのは遺伝子を組み替えた自我のない人間だった。
感受性を強くし、どんな状況にもすぐに順応できるよう様々な体のつくりをいじって、人間でない人間をつくることが第一歩だった。
それと平行して行われていたのが自然現象の信号化と、それを受信できるように人間でない人間たちの脳を作り変える作業でもあった。
最終的な目標としては、信号化された自然現象によって自力で動きながらも、どんな命令にも従う自動人形を作ること。
体の機能を男性並に作り変えることも視野には入れられていたが、直前の爆発事故ですっかり、自動人形を作る計画もろとも、全て水泡に帰してしまった。
さて、そんな狂気じみた人形作りにも、まず最初は人形の元となる鋳型が必要だ。
最初に鋳型を作ってしまえばあとは溶かした鉄を入れるだけで簡単に量産できる。
最初にモデルとなる人間を一体作っておけば、あとはそれをコピーするだけで充分。
そのモデルになった女性研究員がいた。
彼女はチームの中でも優秀で、学歴も申し分なく、頼りになる存在で、この研究にも積極的だった。
毎日繰り返される同じような研究の中で、ある日彼女は、一体一体作っていくよりいっそオリジナルがあって、それをコピーする方が時間的な短縮にもなると考えた。
研究熱心な彼女は周りの推薦もあって、自ら進んで手の爪をほんの一片差し出す。
彼女は、
「爪の欠片くらい何とも思わないわ。元々はゴミ箱に捨てるべき廃棄物が、こんな大きな研究に役立つなんて、タナボタもいいところね」
と言って笑った。
かくして、彼女の爪の欠片を基礎に各部分を作り変えられた人間が一体出来上がる。
"それ"と彼女とはいつも行動を共にして、まるで姉妹のようであった。笑いあう時もあったし、口論になることもあった。
「私がオリジナルなのよ!私の言うことに従いなさい!」
と彼女が言えば、"それ"は
「私の方が体のつくりは優秀なのよ!身体能力が低いのにえらそうにしないで!」
と言った。
"それ"はたしかに彼女より体のあらゆる部分が機能的で優れていた。しかし、オリジナルである彼女の運動能力や知能などをフル回転できるように作られていたので、"それ"の体力消費は凄まじかった。
生産一日目で三歳児と同じ体格になり、三日目では既に十歳の子供と変わらない容姿に成長した。
このままでは一年も経てば"それ"が老衰で死んでしまうと判断した彼女含めた所員たちは慌てて老化を遅らせる薬や機械を作る。
何とか"それ"の成長を遅らせることができてから、漸く次の作業に移りはじめた。
鋳型が一つできれば後は早い。
同じ人間が幾つも作られて、同時に自然現象の信号化にも成功し、順風満帆で研究は進められた。
自然現象の信号化に成功したあたりから、"それ"は一度脳の手術を受けた。
既に所員たちとも随分親しくなり、信用も得ていた"それ"は手術後、ある役目を任せられる。
量産された"それ"のコピーの管理であった。
オリジナルである彼女が忙しく、身体能力的にも管理には無理があったため、"それ"が請け負うことになったのである。
"それ"の持ち場所は沢山のコピーが眠る部屋で、"それ"はコピーが無作為に信号を受信して目覚めないように務めたことから、所員たちはそのことを御伽噺の「荊姫」にな準えて"それ"を魔女と呼び、コピーたちを姫と呼ぶことにした。
そのことは随分役に立ち、何も知らない者が研究所を訪問した際は、全て隠語で済ませることが出来た。
魔女が受けた手術は、後になって、管理する魔女本体が自然現象の信号を受信しないように情緒等の脳内回路に、ある程度の自我を持つよう制限をかけるものであるということが、魔女自身に知らされた。
元々笑ったり怒ったりする魔女ではあったものの、どうにもオリジナルの彼女よりも突発的であったり、感情的であったりすることが多かったため、それに更にブレーキをかける意味での施術だった。
かくして研究は順調に進むかと思われた。
しかし、姫たちの運動機能を作り変える途中で、事故が起きてしまう。
成績優秀で、皆から信頼を得ていたオリジナルの彼女が起こしたものだった。
自分より優秀で、自分より仕事が出来る、自分がオリジナルの人間でない人間を見ていた彼女は、自分が積極的に参加していた研究を壊す事で、自分の心の失墜を埋めようとして、その手に火薬を持った。
魔女は轟々と燃え盛るその場所からたった一体残った姫の体を引きずり出して、洋館へ逃げ込み、全てが沈静化するのを待った。
やっと新聞記事も静かになった頃には、残った姫を制御する部屋も機械も全て失われ、体は随分老化しており、魔女の体の老化を遅らせる薬もまた、確実に減っていた。
自分で作ろうとか、用意しようとか、魔女は考えなかった。
それが、どういう気持ちから来るのか、どんなに考えても優秀な筈の魔女の頭には理解できなかった。
□
遠くで、ゴォン、と何かを積み上げる音がして、常澄ははっと顔を上げた。
セレスティはそんな音を気にした様子もなく、黙っていて姿勢も変えない。
「種明かしは終りです」
魔女は言う。暫く沈黙があってから、セレスティはやっと突いた肘を倒して魔女を見た。
「あなたは、人間になりたかったですか?」
責める響きもなく、静かに聞く。
「……そうですね。私は人間になりたかった。でも、なりたくなかった。どうしてあんなに醜い生き物に焦がれるのか自分でも分かりません。人の形をしていても、"私たち"は人ではなかった。張りぼての人形でしかなかった。あの時は何度も考えました。こんなことが待っているならどうして私たちが作られたんだろうって」
どんなに考えても答えは出なかった、と魔女は曖昧に笑った。
「人間は、頭が悪いから」
常澄は呟いた。だから答えなんか出るはずはない、と。
そうですね、と言った魔女はヨロヨロと立ち上がって、二人にもまた立つように促した。
「そろそろこの洋館を出た方が良いわ。もうすぐ時間です」
「え?でもまだ充分時間は…」
「ここの所有者である男と会ってここに入ってきたのでしょう?まさかこんな施設の所有者がまともな考えだとは思っておられませんよね?」
魔女はきっぱり言い放つ。
「どうしますか?」
作業着の太った男は黒いスーツの相手に言った。
「見たところ両方とも御曹司のような井出立ちだが、私設経営者ならば巻き込まれようが何だろうが役人たちが騒ぐ筈もない。そしてあの銀髪、見たところどうも人間ではなさそうだ」
以前からあの白い建物で何度も人間のような人間でないようなものを見てきたのだからすぐ分かる、と男は呟く。
「忌々しい」
「では"定刻どおり"三時十五分で宜しいですか?」
「当然」
「あの二人のことはどうします?」
「事故だ」
■
「それで、あなたはこれからどうするのですか?」
セレスティはステッキをコンと床についた。
二人は扉の前まで歩くよう促されて、今はもう部屋を出ようかと言うところまできている。
魔女は車椅子の横に立っていた。
「彼女は自らの手で、自分の計画を壊しました」
「だからって…」
常澄はセレスティの隣で俯いた。
「彼女は死にました。オリジナルが死んだのにコピーが生きているなんて不条理です」
「あなたはそれで後悔しませんか?もっと外の世界を見たり、どこか新しい場所で生活する魅力というものは感じませんか?」
セレスティの言葉にも魔女は共感した様子を見せない。
「親と子であれば、親が先に死んでも子は生きようと思える。親という世界はいつか壊れて、子供はその代わりに自分の世界を見つけるものです。私と彼女は親子ではありません。姉妹であり友達であり、オリジナルとコピーであり、同一人物です。私の世界はここにある。自分の世界の中で生きるということは、その世界と生死を共にするということです」
「だから、世界が壊れたら自分も壊れるべきだって?そんなの、新しい世界に行くのが怖いって言ってるようなもんじゃないか」
常澄が鋭く言葉を発しても、魔女は頑なに譲らない。
「怖がって、頭が悪くて、頑固なのが人間なのでしょう?私を人間にしてください。頭が良いだけの人形には為り飽きました。――恐らくもう、姫は目を覚ましません。私の成長を遅らせていた薬も底を尽きました。今までは姫を目覚めさせまいと量を減らしてきましたがもうその必要も無い。どのみち私も姫もすぐに事切れる。どうせ死ぬならここが良い」
捲くし立てるように年老いた魔女は喋って、二人の背中にある扉のノブに手を回してそれを開いた。
「でも、だって」
常澄の言葉を遮って、魔女はセレスティの背中を押して、先に行かせようとする。
「あなたは人間です。生まれがどうであれ、そうやって感情を表現する生き物は人間です」
足が弱いセレスティは老女の力にすら抵抗できない。ただ、言葉を投げるだけ。
セレスティの体に押されるように、前にいた常澄は、先に扉の外に出てしまった。
「どうしてあんたまで死ぬ必要があるんだ!僕らと一緒に来れば良い!」
「姫一人で行かせるわけにはいきません。私たちは個人を区別するには似過ぎています」
すっかり扉の外に出てしまった二人を目の前に、魔女は無表情で立った。
その隣では、車椅子に座って、目を閉じたままの"彼女"が静かに細い息を吐いた。
「後悔しないで下さい。絶対に。私もしない。約束を果すことは出来ないけれど」
「…今あなたを連れて行かなければ私たちは絶対に後悔します」
「どうぞご理解下さい、銀髪の紳士さん。生きる者にも死ぬ者にも尊厳は必要です。あなたが私の怪我の手当てをしてくださったこと、忘れません」
魔女は、若返ったような顔で笑う。
「どうか後悔しないで。これは"私"の意志です」
「魔女のあんたまで行く事ない」
「では、常澄さん、この手を引いて私を洋館から連れ出してくれますか?」
魔女は皺の手を常澄に差し出す。
しかし常澄にはどうしても触れられない。以前会った時と同じように、やっぱり触れられない。
それを分かっていて、魔女は手を差し出す。
「……頭の良い奴は嫌いだ…」
常澄はそれ以上の言葉をなくして俯いた。
「本当に、あなたは後悔しませんね?」
セレスティが聞いた。
「しません。絶対に」
「…分かりました。……常澄さん」
「……良いよ。それで良い。僕だって、いつまでも物分りの悪い子供じゃない」
明らかに虚勢を張った声で常澄は返した。
「魔女さん、私たちはあなたを人間にしましょう。私たちも絶対に後悔しません。約束です」
「ありがとう。お二人とも、お元気で。会えてよかった」
魔女は嬉しそうに笑ってお辞儀した。
遠くで最初の爆破音が聞こえる。一度に吹き飛ばすには広大すぎる敷地なので、回数を分けているのだろう。
「火が回ります。早くこの部屋から離れてください」
魔女の言葉に従って、二人は扉を離れた。
彼女の肩越しに見える暖炉が火を噴いている。
「待って!まだ種明かしが残ってる!あの白い粉は――」
暖炉から蛇か鳥のように這い出てきた炎があっという間に部屋を取り囲んで魔女のすぐ後ろまで迫った。
火の回りが普通ではない。
「あの白い粉は――
私たちを人間にするための魔法の粉です」
魔女の声は、二人の耳には囁くように残っただけだった。
■
爆風に煽られて、セレスティと常澄は、手近な窓から吹き飛ばされるように外に転がり出た。
幸いセレスティの能力系統が水だったので火を浴びずには済んだのだけど。
出た場所は丁度洋館の裏側だったようで、辺りには誰も見当たらない。
「どうして気がつかなかったんだろう」
常澄が、煤のついた頬を拭ってポツンと言った。
セレスティは、何がですか?と応える。
「誘爆剤だったんだ、あの白い粉は」
セレスティが乱れた髪をかきあげて、ああ、と声を漏らした。
「僕たちが蒔いた」
「そこまでにしましょう。それ以上は言ってはいけない。約束です」
セレスティは先に立ち上がって、汚れた服を払った。
「役目を果したことだけ、覚えておきましょう。王子様にあの二人が攫われなくてよかった。……人間になれて、良かった」
「約束、だからな」
「そうですよ」
常澄も立ち上がり、肩についた砂を払った。
「荊の役目は終りました。このことは一般には不問にしましょう」
「分かってる」
二人は崩れたの間を通り抜けて一般道に出た。
待っていたようにセレスティの車がそこにはあって、それはやっぱり命令に忠実な犬のようだった。
セレスティは運転席の窓をコンコンと叩いて開けさせると一言、
「今日は先に帰っていなさい。寄り道も許します」
と言った。
そして常澄に向き直る。
「一緒に街まで歩きませんか?足が遅くて申し訳無いのですが」
「…良いよ、別に。途中であの黒いスーツの男にでも会ったら、また嘘ついてもらわないと困るし…」
「ありがとう」
車が去った道を、セレスティと常澄は、ゆっくり歩いた。
「後悔しないで下さい。絶対に」
終
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4017 / 龍ヶ崎常澄 / 男 / 21歳 / 悪魔償還士・悪魔の館館長】
【1833/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
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■ ライター通信 ■
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ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
分かりにくい種明かしかもしれないと思うと冷や汗タラタラなのですが、ひとまずこれで一旦このお話は終了させていただきます。
わざと描写しなかった事実や、それとなくぼかしてしまったところなどもありますが、もしその辺のことがはっきり知りたいのよ!などありましたら、その時はシチュ等でお申し付けくださいませ。
不条理なのに納得しないといけないことに対する、それぞれのPCさんが描けてればなぁと…思います…(弱気)
とにかく長期間お付き合い下さいありがとうございました。
また機会があればお相手くださると嬉しいです。
相田命
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