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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■欲望の鐘が鳴る頃に■

 「貴方様のところにしか、出来ないことなのです」
 最近、こう言う意味不明な依頼方法が多いなと、草間は少々頭痛がしてきた。
 喧しいベルがなり、『よしっ、これで年が越せるっ!』と思った草間は、嬉々としてその扉を開けたのだ。
 するとそこに立っていたのは、老年に入って何年経つのだろうと思える男だった。
 彼は自分を神社の神主であると名乗った。
 草間は、神社と言うだけで眉を顰め、更にその神社の名を聞いた途端、眉間の皺を一本増やす。そして冒頭のこれだ。
 「うちにしか出来ないと言われても、何を指しているのかが、皆目見当も付きませんが…」
 いや、見当など疾うに付いている。
 どうせまた、オカルト絡みの話なのだ。
 そう『鬼鎮神社』などと言う、もう曰くありありな名前を持つ神社の神主の言うことなど、そうに決まっている。
 取り敢えず、なけなしの敬老精神を振り絞り、とっとと帰れと言う言葉は飲み込んでいるものの、本心は『ああ、オカルトに始まって、オカルトに終わるのか、うちは…』と心の隙間に吹きすさぶ風を受け、一人ニヒルに笑っていたのである。
 草間の促しにその神主、鬼頭静流と言う典雅なんだかオカルトっぽいのか解らない名を持つ老人は、ゆっくりと口を開いた。声自体は、朗々としてとても耳心地の良いものであるのが救いだ。
 「はい。当鬼鎮神社は、増上寺、浅草寺が鬼門封じとして建立された寺院であると同様、鬼門封じの神社として同じく作られました。毎年、先の二つの寺院が突く除夜の鐘と共に煩悩は昇華されるのですが、やはり全てが昇華されるとは限りません。当神社は、その昇華しきれなかった煩悩を、毎年神鏡に封印することもまた、その役割として持っております。しかし、先日のお話でございます。その封印をさせない、また今まで封じていたものまでを解放すると言う輩が現れました」
 ああやはり…と草間は心の中で溜息を吐く。
 帰ってくれと言いたいのだが、やはりなけなしの敬老精神がそれを言わせない。
 「封じていたものですか…。もしもそれが解放されたら、どうなるんですか?」
 『煩悩を封印かー、さぞや面白いもんが出てくるだろうなー』と、人ごとの様に思っている草間であった。草間にしての煩悩とは、所詮色欲や物欲に直結しているのだ。
 「解りません」
 「は?」
 「どう言った結果になるかは、わたくしどもでも解りかねます。ただ、江戸時代に遡って封じ込められた煩悩が解き放たれれば、それはそれは恐ろしい結果になるかと考えております」
 老人は、そう真面目腐った顔で言う。
 「つまり、その鏡を壊すか盗むかしようとしている輩を、こちらでふん捕まえろと言う訳ですか?」
 「いえ、捕まえて頂かなくとも構いません。ただ、除夜の鐘が鳴る頃から、初日の出までの間、鏡を守って頂きたいのです。初日の出に鏡を照らせば、封印は完了致しますので」
 解らないのであれば、一度試してみればと言いたいのだが、もし万が一、自分の身に火の粉が降りかかる様なことがあっては堪らない。
 草間の言う言葉は一つしかなかった。
 「解りました。お受け致しましょう」



 「ねえ、何処に行くの?」
 そう聞いた少女は、答えをもたらす少女と瓜二つであった。
 白いローブを身に纏い、フードをしっかりと被ったその少女の片目には眼帯がある。
 ふと気付くと、そこには同じ顔をした少女達で溢れていた。
 全員で十二名。
 ある意味異様だ。
 どうやら一人と十一人と言った構成であると言うのが、その雰囲気で察せられる。その一人と言うのが、白いローブの少女だ。
 闇よりもなお昏い色をした髪と、血よりもなお赤い瞳。その影には、彼女の崇拝する竜が住んでいる。
 少女の名はバザイア。
 元は異端者のみで構成された組織が飼う、魔獣の餌として作られた少女だった。
 けれどその運命は、一人の魔術師に依って変えられた。
 彼女はその魔術師──マスターより名を与えられ、詩集と絵を与えられた。更に自分と同じ顔を持つ十一人のクローンを与えられ、彼女らと共に日々を暮らしている。
 クローンにあるのは、名ではなく番号。バザイアを呼ばわったのは、五番と呼ばれているクローンだ。
 「竜がお腹を減らしている」
 小首を傾げる五番と、その後ろにいる十名の少女達が、一斉にバザイアを見る。
 竜が餓えている。つまり、新たな力を欲しているのだ。力を得て、竜は更に強くなる。
 「そう……」
 意図することを飲み込んだ五番は、そう呟くとバザイアを見て頷いた。
 「すぐ、帰る」
 そう言い置くと、バザイアは一歩外へと踏み出した。
 そこに見えるは何処とも知れぬ暗闇。
 そして彼女はそこに、何かがいることを即座に察した。
 「おや、勘の良いお嬢ちゃんだねぇ」
 言葉と共に姿を現したのは、黒いインバネスを羽織り、全てが黒尽くめの衣装を身に纏った者だ。バザイアの瞳は、その者の顔に据えられる。
 その顔は、左半分をピエロの化粧で、右半分はその化粧と同じ仮面を付けていた。
 無表情であったバザイアの顔が、苛立ちに歪む。
 「お前は、何?」
 バザイアには、他の者の特殊能力や魔術の類を見破ることが出来るのだ。だがこの目の前のピエロのそれが、読めないでいる。
 あり得ない。
 「僕ですか? 僕は逆さまピエロ。貴方の竜の空腹を満たす者ですよ」
 バザイアの眉が上がり、影がざわりと蠢いた。
 『喰いたい…』
 そう思念が聞こえる。
 ピエロの口角…と思しき場所が、うっそりと上がった。
 「僕はね、食べられないんですよ。食べても、お腹は大きくならなりませんよ。ここにあるけれど、本当はここにないものなんですから。それにねぇ…」
 一拍おいた後、彼は言う。
 「『この僕』は、いくら食らってもなくなりませんから…」
 何を言っているのだろうか。食らってもなくならないのなら好都合だが、腹が膨れなければ意味がない。
 竜は大食だ。
 「私の竜を満足させられる?」
 「ええ、勿論。さぞ美味なことでしょう」
 「味はどうでも良い」
 竜に味覚があるのかどうか、バザイアにも解らない。ただ彼女の竜は、腹を減らせている。それを満たしてやる必要が、バザイアにはあるのだ。
 「この一年、…いえ、四百年以上前から作られていたご馳走を、貴方の竜に差し上げましょう」
 バザイアは満足げに頷いた。



 巷では、今日は一年の終わりの日だと言うことで何やら賑わっているものの、バザイアには関係のない話である。彼女の日常に、平凡な者達と共に過ごす時間は存在しない。
 それを息苦しく思うかと問われれば、別にとしか答えようがなかった。
 ただ今は、彼女の竜の腹を膨れさせることしか考えられない。
 あのバザイアが出会ったピエロは、四百年の昔より存在すると言う鏡に、竜へのご馳走が眠っていると言う。
 そのご馳走の名前は『人の煩悩』。
 遙か昔、まだここが東京ではなく、江戸と呼ばれていた時代の話だ。
 そこを納めていた者が、魔を恐れて二つの寺院に縋った。鬼門封じの寺だ。
 その寺は、毎年十二月末日になると、突かれる鐘の音により、その年一年の煩悩を昇華させる役割を持っていた。
 昇華は時空門へ導くと言うことによって成されると言う。
 時空門がその日に何故開くのか。
 人の世界で刻む時。十二月と一月と言うのは、時空間の鬼門が発生するからだと言う。
 通常鬼門とは、丑と寅の間に発生すると言われていた。
 十二月は丑の月、一月は寅の月と呼ばれる為に、その境に鬼門が発生すると言うのだ。
 バザイアに取っては、馬鹿馬鹿しい理屈ではあるが、時空門がその日に開くのは確かな話だ。そしてその時空門に、一年に渡って蓄積された煩悩──人の念──が送られるのも確かな話である。
 だが毎年、時空門が閉まる間際になると、どうしても取りこぼしが出る。
 その取りこぼしを、四百年に渡って収集していたのが、バザイアが今回竜の餌にと狙う獲物だ。
 その獲物は、とある神社にあると言う。
 結界に守られ、只人は入ること罷りならぬと言う場所で、辿り着こうとすればある種の符を描かなければならない。
 そして現在、バザイアは、とある一室にそっと息を潜めていた。
 目的の鏡は近い。
 その部屋は和室の様でもあるが、けれど何処か違う。何か外界から遮断されている感のある場所だ。勿論、バザイアはそれを自在に突破出来る。けれどもそれをする気にはなれなかった。
 彼女は目的の為、じっと待っている。
 門がまだ開かない為、彼女はその時を待っているのだ。
 膝を抱え、そして何時でも彼女の竜を解き放てる様に。
 不意に、自分以外の気配がする。いや、己の気配すら断っているのだから、気配がしたと言うべきだろう。
 「お嬢ちゃん、入りますよ」
 その声は、あの時聞いたピエロのものだ。彼はバザイアが不自由ない様、その時を迎えることが出来る様にと世話をしている。
 バザイアの返事はない。
 入って来たければ、勝手に入ってくれば良いのだ。そう思う。
 最初に現れたのは、その頭部だ。次に肩が現れ、腕が現れ、胴体が、足がと、徐々に、けれどまるでノートの端に描かれた少しずつ形を変えていく絵の様に、全身が現れた。
 「退屈ではありませんか?」
 問われて、バザイアは首を振る。
 退屈であろう筈がなかった。肌身離さず持っている本がある。そして彼女の竜もいる。何をして退屈と言おうか。
 「それは良かった。何かあれば、仰って下さいね」
 今度は頷く。取り敢えず、今は腹も減っていないし喉も渇いてはいない。
 「後、何時間?」
 後どれほど待てば、彼女の竜に喰わせてやれるのだろうか。その気持ちが強くある。
 竜は餓えている。とてもとても、餓えている。
 鏡を近くに感じ、飢餓感が増しているかの様にも思えた。
 「そうですねぇ。まあ半日もありませんから。もう少しお待ち下さいね」
 「解った」
 「良いお子ですね。さて、暫く僕は、こちらに来ることが出来なくなります。何も欲しくはありませんか?」
 バザイアは首を傾げるも、特にないと思った。あるとするなら、竜に早く喰わせてやりたいと願う思いだけだ。
 彼女は静かに首を振る。
 「そうですか。では、僕はお客様をお迎えに行きますね。また、後ほど」
 そう言うピエロの姿が徐々に揺らぐ。
 腕に何かを抱える様に前に突き出すと、そこには老人がいた。
 その老人の、まるで皮を被る様に、ピエロがそれを抱き込んだ。
 蠢くその皮は、やがて全身を覆い尽くす。
 ざわざわとした蠢動が続いたのは、僅かの時間。ピエロのインバネスも、その奇矯な仮面と化粧も、その被った皮に覆い尽くされる。
 現れたのは、着物姿の老人だ。
 にんまり笑ってバザイアを見ると、老人らしからぬ礼を持ち、その場からかき消えた。
 バザイアは老人が誰であるか知らない。
 そう、草間のところに来た依頼人であることも、そして彼女のいる鬼鎮神社の神主であることも──。



 「待たせてしまった様ですねぇ」
 何時の間にか居眠りをしていた様だ。
 バザイアは、その声を聞き、瞬時にと覚醒した。
 くっと声の方へ顔を上げると、普通であればあまり間近で見たいとは思わない顔がある。
 白塗りに赤と紫で彩られたそれに、バザイアの目が眇められた。
 「どいて」
 短く切り捨て、右手で払う。
 だが手は彼──ピエロに当たることはなく、バザイアの手は空を切った。
 心を澄ますと、彼女の竜はますます激しい飢えを訴えている。
 さもあらん。
 目の前であれほど香しい薫りを放ち、ずっと竜を誘っているのだ。
 餌を鼻先に釣られて、良くもここまで大人しくしていたものだと感心する。
 人の欲にまみれつつも、それ自体はその存在故に聖なる気も纏っている。年毎に人の煩悩を飲み下し、食い尽くしつつも、自身だけは汚れない。アンビバレンツな性を持つのが、今回の獲物だ。
 勿論、一番の目当ては、その器ではなく中に取り込んでいるそのものだった。
 「貴方の竜も、とても餓えていらっしゃる」
 「今は何時?」
 あれからどれほどの時が過ぎたのだろう。眠っていた為、時間の感覚がない。
 「鐘は鳴り始めています。門もまた、徐々に口を開け始めてもいます」
 「なら…」
 立ち上がろうとするバザイアに、ピエロはゆっくりかぶりを振った。
 「もう少し、後五十の鐘が鳴るまで、お待ち下さい。今はまだ、オードブルにも届きません。メインディッシュになれば、とても熟れた欲が手に入りますよ」
 竜が声なき声で啼く。
 「もう少しすれば、腹はくちくなる」
 ゆっくり立ち上がるバザイアを見て、ピエロが目を細める。
 鐘の音のする方へ。
 瞼を閉じ、そっと顔を向けた。
 「後、四十九」
 バザイアの影が歪み、伸縮し、大きな巨人の形を取って。笑った──。



 機会は一瞬だ。
 バザイアはそう思う。
 ピエロからここへと送られたものの、バザイアは見えない檻の為、獲物を前に入れないでいた。何処か黄金を思わせる檻だ。
 誰か来い。そうすれば、彼女は中に入って行ける。
 そう念じていた時だ。
 その黄金が消える。
 バザイアは見逃さない。
 風よりも早くその中へ。
 「それを渡せ」
 檻と同じ薫りのする男が反応するが、遅い。人など庇っているからだと、バザイアは思った。天井から妖しの伸ばす手も、小さな鬼の足も、彼女にとって障害ではない。
 一気に奥へと進むが、それに立ちふさがったのは人だ。更にその前に、聖なる水の壁が生じる
 「子供?!」
 「出たわよっ!」
 少女が水のカーテンから飛び出し、更に部屋に飛んでいた巨大な蜂がバザイア目がけて降りてくる。獲物の臭いのする場所から、皿が飛び出したかと思うと人型を取った。
 うるさいとばかり、少女と蜂には手を翻してナイフを喰わせる。
 少女には避けられたものの、蜂の急所に刺さった様で、それが徐々にかき消える。
 更に後ろから二人の男が飛び込んで来た。
 「鏡はっ?!」
 「無事だ」
 何故こんなにいるのだと考えているバザイアの顔を、獲物を持った女性が怪訝な顔で見ている。
 「ねぇ、そこのお嬢ちゃん、何をするつもり?」
 「何って、そりゃ鏡を壊すんでしょう」
 「じゃあ、蜂須賀さんは、この子が予告してきた犯人だと思うの?」
 「どうやら、彼女ではないようですね?」
 何かバザイアの存在に触れられている気配がする。
 そう感じた瞬間、後から入ってきた一人の男が口を開いた。
 「あんたも、左目が…」
 そう言うからには、恐らくこの男も左目に何かあるのだ。
 バザイアは自分の能力を使って、この男を探る。
 見えるのは何処かの山だ。そこで彼は『左目』に遭遇した。更に細かくと願うも、何か壁に阻まれる。
 「似てるだろ?」
 「どうやらここは、攻防戦より話し合いをすべきですね」
 黄金の檻の匂いを持つ男が、そう笑顔を向ける。
 「モーリス」
 「はい。セレスティさま」
 銀色の髪を持つ、先程水の障壁を作った男が、檻を作った男をモーリスと呼ばわると、彼の両手から金色の光が零れた。すっと両手のそれを開いて行く。手の動きに伴って、徐々に金の光は広がっていった。光が彼の手を離れ、菖蒲苑の四隅へと伸びていく。四隅へと到達した刹那。
 光のシャワーが逆流し、天井へと辿り着くと、不意に消えた。
 「もう一度、張り直しました」
 「じゃあ、安心して」
 獲物を持つ女性がそう言う。
 「あのね、お嬢ちゃん。私達はね、ある人から鏡を壊してやるって言う予告があって、ここでその鏡を守っているの。それでね、最初はここに来たお嬢ちゃんが、その犯人かなと思ったんだけど……、違うわよね?」
 バザイアはシュラインを見たまま、小さく頷いた。
 「じゃあもう一つ、いえ二つ聞いて良い? お嬢ちゃんは、どうしてここに来たの? 鏡を渡してって言うのは、何故?」
 実はバザイアは戸惑っていた。彼女はここにこれほどの人がいるとは思ってはいなかったのだ。彼女を送り込んだピエロも、何も言ってはいなかった。
 一人二人なら、一気に気絶でもさせて鏡を奪ってしまえば良い。けれど十人以上を一気に気絶させるのは難しい。殺す方が簡単だ。けれど彼女は、マスターとした約束から人を殺すことは出来ないのだ。
 彼女は大切な詩集に答えを聞くかの様に、ぎゅっと抱きしめた。
 そして…。
 「私は私の赤き竜に力を付ける為に、その鏡にある煩悩を貰う」
 「赤き竜…?」
 「お嬢ちゃん、あんた竜なんか飼ってんのか?」
 あれは飼うのではない。
 「飼っているのではない」
 「?」
 怪訝な面持ちをしている面々の視線が、バザイアが腕に抱きしめる様にして持っている本へと注がれる。
 「ブレイク詩集…?」
 「もしや、ウィリアム・ブレイクの赤き竜ですか?」
 「何ですか? それは」
 先程庇われた少女がそう聞く。
 「ウィリアム・ブレイクとは、情感溢れる抒情詩と、預言書とも呼ばれる叙事詩を数多く残したロンドン生まれのロマン主義の詩人であり、また銅版画師です。一七五七年、冬に生まれ、一八二七年に没した様です。彼は十五歳の時に古代遺物の彫版を扱う銅版画師バザイアの弟子となり、その七年後には銅版画師として独立しました。まあブレイクには、様々な逸話がある様ですが…」
 「そして小さなレディの言う『赤き竜』は、一八○五年から一八一○年にかけ、聖書を題材とした絵画の依頼を受けた際に描かれたものですね。『赤き竜』としての作品数は四つ。モチーフとなったのは、『ヨハネの黙示録』です」
 「確か、ブレイクの赤き竜と言えば、映画にも使われてなかったかしら」
 「はい。確か『レッド・ドラゴン』でしたね」
 暫しの沈黙と見つめ合いの中、最初に口火を切ったのは穏やかな面差しの男だった。
 「あの…、それでですね。その赤き竜さんと言うのは……あ、お名前を聞いていませんでしたね。私は、シオン・レ・ハイと申します。お名前を教えて頂けませんか?」
 「シオンさん、素直に話して……」
 「バザイア」
 名乗るバザイアを、そこにいる面々が見つめた。
 「えーと。バザイアと言うのは、さっきの話だと、銅版画師の名前じゃないの?」
 先程庇われたもう一人が、バザイアに聞く。
 「私の名もバザイアだ。マスターからもらった」
 無表情にそう繰り返す。
 「小さなレディは、バザイアさんと言うのですね。私はモーリス・ラジアルと申します。お見知りおきを」
 優雅に微笑みつつ、淑女に対する礼をバザイアに向ける。バザイアはそのままモーリスの顔を感情の見えない瞳で見つめた。
 「えーと。じゃあ、バザイアさんにお聞きしたいのですが、赤き竜さんはお腹が減っているのですか?」
 「そうだ。私の竜は腹を空かせている。だから私は、私の竜に喰わせなければならない。喰わせて力をやらねばならない」
 だから早くそれを渡せと、バザイアは思う。
 何やら色々と話しているのを聞き流すも、一番最後に決断した男の言葉だけは、バザイアの耳にとまった。
 「お嬢ちゃん、煩悩はお前の竜にやる。だからそれ以外のこと…、まあ鏡を壊したり、こっちの邪魔をしたりだな、そう言うことは、しないでくれ」
 バザイアは無表情な顔で、彼を見る。
 目的は一つ。
 赤き竜に餌を食わすことだ。
 そしてバザイアには、マスターとした約束がある。
 この男の提案なら、あのピエロに鏡を壊されなければ、黙っていても目的のものは手に入るのだ。
 「解った」
 一同の顔に、安堵の色が見えた。
 「まあ、あまり抜本的な解決法でない気がするんだけど…」
 「何を言う。後のことは後で考える。取り敢えず、今回の依頼をこなす方が先決だ。赤い竜だろうが青い竜だろうが黄色い竜だろうが、何かやった時に何とかすれば良い」
 そう言い切る男は、きっと剛胆なのだろうとバザイアは思う。
 彼女の上でやりとりしている会話には全く興味はないが、相手はそうは思わなかったらしい。決まり悪げに咳払いをし、バザイアに話しかけようとするが、先に彼女が口を開いた。
 「奴は、きっとぎりぎりまで待っている」
 これはバザイアが、ピエロと接していて感じたことだ。ピエロは、待つことも楽しんでいる。いや、それ以上に、何か理由があるのだと感じる。
 「?」
 「バザイアちゃん、それってどう言うこと?」
 それ以上答える気はなかった。
 「あのさ、多分、襲撃してくるのが、日の出ぎりぎり…ってか、門が閉じる寸前だって言ってるんじゃないか? 彼女は」
 「でもねぇ、それじゃあ俺たちって、可成り嘗められている様な気がしませんか?」
 けれど彼らは、様々な推測を飛ばしている。
 それがある意味愉快だった。
 「嘗めているならば、それでも結構ですよ。最後の最後で、きちんと後悔させてあげましょう」
 絶佳な美貌を持つ男が、艶冶に微笑むその様は、何処か迫力がある。
 彼の言うことには、バザイアも頷けるものがあった。
 何故なら、与えてやると言いつつ、こうして騙し討ちの様な真似をしたからだ。
 じっくり後悔してもらおう。



 バザイアの周りを、時が流れていく。
 獲物のある菖蒲苑と言う場所へと入り込み、どれほど経ったのだろう。
 あの後、それぞれに名を教えてもらった──勝手に自己紹介していたと言うのが正解だが──為、それぞれの区別は付く様になっている。
 不意にモーリスが立ち上がり、先程バザイアも通った扉へと向かう。
 「神主さんが、何か持って来られていますが、どうしますか?」
 草間とセレスティに確認を取る。
 「こんな寒いのに、風邪引いちゃったら可哀想よね」
 そう言うシュラインの歯切れは悪い様だ。
 「やっぱり、お年寄りは大切にするべきかなと、私は思うんですけど…」
 上目遣いで言うシオンに、そうよねとシュラインが頷いた。またモーリスから問われた草間とセレスティも、頷く。その風景を見つつ、モーリスは現在の総大将と、自身の主が頷いたことで、彼自身の檻をゆるめた。
 唐突に視界に入った老人に、バザイアは眉間の皺を寄せた。
 「差し入れを、お持ち致しましたよ」
 ポットの中と桶の中を見せるとそう言った。みそ汁とおにぎりが入っている。
 彼らは空腹だったのだろう、それを見て頬がゆるんでいた。
 「腹が減っては戦は出来ぬと申しますでしょう? 本当はお蕎麦も持って来たかったんですけどねぇ」
 老人もまた、笑顔で言う。
 「でも、神主さん。ここは危ないですよ」
 気遣う絢音に、彼は胸を張って言う。
 「なんの。皆様ばかりを矢面に立たせて、申し訳ないと思ってるのです」
 取り敢えずはちょっとだけと言うことで、そのまま神主は座り込んだ。神主は、端に座りこちらに来ようとしないバザイアに、ちろりと視線を向けるもすぐにそれを元へと戻す。
 知らぬ振りをするつもりなのだ。
 バザイアの眉が顰められた。
 視線を感じると、それはセレスティと名乗った男の者だ。
 彼は何かに気付いた様に兎月を呼ぶと、アタッシュケースから自分達も付けているインカムを付ける様に指示をした。
 ちょっとだけと言いつつも、周囲は和気藹々と老人と会話を交わし、差し入れを食べていた。時間はあっと言う間に経つ。
 先程のセレスティが懐中時計で時間を確認していた。
 「どうやらこれは、幾島さんの予想が正しかった様ですね」
 「そうね。ってことは、もうそろそろ、かしら?」
 「でしょう? 鬼頭さん」
 「主様?」
 「セレスティさん?」
 そこで驚いていないのは、言われた当の本人と、草間、、シュライン、モーリス、壮司、バザイア。
 バザイアには、この老人が自分をここに送り込んだ者であると知っていた。だからこそ、差し入れと言われても食べる気がしなかった。もっとも、そうでなくとも、彼女は食べていないであろうが。
 攻撃力のあるものが、ない者を背後に庇い、老人の姿をした彼からじりじりと下がる。
 「やはりねぇ…。お解りですか」
 「体重が違うんだよ。あんたは人にしたら、軽すぎる」
 「後ね、心音が可笑しいのよ。世の中、色んな人がいるから、一概に言えないと思うけどね。……あまりに弱い音だったわ」
 そう言う二人は、互いに自分の能力を生かして、警戒していたのだろう。
 「成程。やはり手抜きはいけませんなぁ…」
 「あ、そう言えば、鳴子も鳴らなかったわ」
 「でも神主が、何故?」
 理由が草間には解らない様だ。
 確かに合点はいかないだろう。
 何故自分の神社に予告を出し、更にそれを止める様に草間のところへと行ったのか。調査員の誰もが、ある一点の可能性を除いて、推察出来ないでいた。
 「いえねぇ、丁度そちら様のお話を、お聞きいたしましてなぁ。多種多様な異能をお持ちの方が、お集まりなされると言う由。そちら様にこの話を持ち込めば、それはそれは、面白いことになるかと存じまして。やはり日々は楽しく過ごしませんとねぇ」
 この言葉に、シュラインが渋面を浮かべた。
 「お聞き致しますが、本当の神主さんは、どうされているのですか?」
 「ちゃんと生きておりますよ。今は僕が起きている為、眠って頂いていますけど」
 すっと真下を指す
 更に神主の言葉遣いなども、変わり始めている。
 そう、あのピエロの様な物言いに。
 「じゃあ、うちに依頼に来たのは、どっち?」
 「僕です。お迎えをしたのも、僕ですねぇ。昼間ここへとご案内したのは、本物ですけど」
 「でも、そんな入れ替わったりしてたら、どっか可笑しくなっちゃうじゃない」
 「彼の記憶は途切れていませんよ。日常における生活部分の記憶は、きちんと連続し、不足はありません。ただ、余計なことを知らないだけです」
 「昼は、何故本物と入れ替わった?」
 「時空門がまだ開いておりませんでしたからねぇ。鏡に触りたくなかったんですよ。妖艶は好きでも、清純は嫌いなんです」
 つまり封印がしっかりとなされ、聖性の方が高い時には触りたくないと言うことだろう。
 「こうして現れるのが遅かったのも、良い頃合いってのを待ってたからってことか?」
 壮司の言葉に、神主はあの見慣れた笑みを浮かべた。
 「もう、その姿はいらない」
 ずっと端にいたバザイアは一言言うと、ゆっくりと神主と呼ばれる老人へ近寄った。
 「おや、お嬢ちゃんは、おじいさんが嫌いかい?」
 すっと左右に首を振る。
 「その様な偽の姿でいる必要はないと、バザイアさんは仰っているのですよ。恐らくね。それと、彼女に手出しは無用ですので」
 にっこり笑って釘を刺すセレスティだ。犯人に取って、バザイアは裏切り者となる筈だから。が、神主姿の何者かは、笑みを浮かべて言う。
 「裏切りは僕たちにおける、最大の信頼の証です」
 その言葉に、瞬時にして緊張が周囲を支配する。



 時間が、動いた。



 「蜂須賀っ、後ろ壊せ! 外へ出るぞっ! モーリス、檻もだっ」
 草間のその声に、瞬時にモーリスの檻が解かれ、大六の操る端末デーモンが、尻にある針の砲門から機関砲を発射させる。綺麗に木製の壁だけを壊し、一番後ろ、つまりは壊した壁側に一番近くのシュライン、絢音、祀、零、そしてその前のモーリスとセレスティと兎月、更に前のシオンと草間、一番神主に近い側の端末デーモン、大六、女王蜂、壮司、バザイア、と言う順で外へと躍り出る。
 出た先は杜だが、そこに入って布陣すると、互いがばらばらになる可能性がある。まとまれば狙い打ちだろうが、数が多いのはこちらの方だ。
 菖蒲苑内でやるには、何処に本物の神主がいるのか解らない為、思い切ったことが出来ないこっちが不利になる。
 そこそこに広い境内であれば、隠れるところもない。
 自分達が丸見えになる反面、相手も同じく隠れるところはないだろう。
 瞬時の内に、そう考えた草間を、バザイアは少し見直した。
 菖蒲苑を半周し、境内へと駆け込んだ彼らは、背後に神主の姿を探す。
 「取り敢えず、出てすぐ、また菖蒲苑を檻に放り込みましたけど…」
 本物と同じ空間にいられるのも困る為、モーリスはわざと偽神主を外へ叩き出している筈だ。また入れ替わりでもされたら、今度は手抜きをせずに姿を変じるだろうことは、先の会話で推察が着く。誰もが瞬時に見分けが付かない状態になるのは、好ましい話ではないだろう。
 だが外にいる筈なのに、その姿がないのだ。
 ばらばらと外に出た為、全員が固まっている訳でもない。小さい規模の社務所近くには、モーリス、セレスティ、兎月、シュライン、バザイア、零がいる。すぐ近く、本殿の方には絢音、祀、シオンが。そしてはっきり見える訳ではないが、この対角あたり、恐らく絵馬殿には、壮司、大六、草間がいるのだろう。
 では偽神主は何処にと見回していると、皇居上にぽっかりと闇よりもなお昏い闇を纏った口が、何かを吸い込んでいるのが見える。中には、まるでヘドロの様なものが渦を巻いている。恐らくそれが煩悩なのだろう。
 不意にシュラインが、上空を見て叫んだ。
 「──上よっ! …えっ?!」
 更に、次の瞬間には何かの羽ばたきが聞こえて来た。
 「増えた…」



 「行きなさいっ、『ホーニィ・ホーネット』っ!!」
 頭上に黒山が出来ている。偽神主と思しき人物が姿を見せた途端、彼の背中から蝿が羽化する様に、何かがぶつぶつわき出してきたのだ。
 大六の怒声が境内に響き、黒く埋め尽くされる社務所の方へと彼のデーモンが突撃してくる。
 バザイアは無表情にデーモンの集団を見つめていたかと思うと、タッパを持つシュラインを不意に見る。
 「鏡を渡して」
 「なっ、こんな時に?」
 偽神主だけなら、大六のデーモンが足止めしている間に逃げられるのだが、何故かその彼の背中から、羽の生えた猿の様なものが湧き出し、下手に動くことが出来ないでいる。セレスティやモーリス、兎月や零が蠅叩き宜しく落としているも、相手は次から次へと沸いて来た。
 驚くシュラインに、バザイアは続ける。
 「鏡は壊さない。竜には力が必要だ。だからそれを喰わせる間、渡して」
 迷っているシュラインに、本性へと変わった兎月が振り向いて声をかける。
 「シュラインさま、わたくしめが側におります故…」
 兎月の側にいたセレスティとモーリスも、同じく口を添える。
 「私達もいますから、大丈夫ですよ」
 セレスティの言葉と同調するかの様に、零が頷く。
 「いざとなったら、檻に閉じこめちゃいますからね」
 悪戯っぽく笑ったモーリスに、シュラインは頷いた。
 「約束よ。バザイアちゃん」
 あの檻には、閉じこめられたくはない。
 バザイアは小さく頷く。
 タッパから鏡を受け取ると、それはやはり水に濡れている。ローブで拭うと、バザイアは小さな声で呟いた。
 「エムス・イフ・ヴェルト・ウェサ

 我、御身を死する神々の御名の元に呼びたもう
 天に御身の刻印(しるし)を刻もう
 御身よ、炎の如く赤き竜であれ
 御身よ、雷の如く荒ぶる角をなせ
 御身よ、相応しき七つの宝冠を御手にせよ

 ハレ・テテ・エフヴァ・フリナ

 我、御身を死する精霊(ジン)の御名の元に呼びたもう
 地に御身の刻印(しるし)を刻もう
 御身よ、その地を駆ける炎であれ
 御身よ、永久なる檻の凍土をなせ
 御身よ、全てを食らう七つ星を御手にせよ

 レデオン・フルナ・ドルバフ・セディア

 偉大なる御身、赤き竜
 今こそ我の元へと舞い降りん」
 バザイアがそれを詠唱しきったその時。
 彼女の影が、伸びた。目の前にいる飛行物が、その影に触れると、飲み込まれる様にして消滅する。大六のデーモンは、影の異変を感じ、既に宙へと避難していた。そして危機を感じたのだろう、当然の様に偽神主もかき消えている。
 不意に開いた視界と、その気配の異常さに、思わずモーリスが、セレスティ、兎月、シュライン、零を守る様に檻を自らにかける。
 兎月は目を見開いて硬直し、シュラインは乾いた喉を引きつらせていた。
 セレスティはその気の激しさに、眉を顰めている。
 その間も、影は伸び、蠢き、沸々と灼熱の温度で煮えているかの様に泡だった。既にその影は、バザイアのものであってバザイアのものではなくなっている。
 二次元であったそれは、今では小山の様に盛り上がり、徐々に形を作って行く。
 永遠の様な瞬間。
 刹那の間隙にも似た時間を経て、それは大きな巨人となった。
 「私の竜。ご飯だよ」
 恍惚の表情を浮かべたバザイアが、彼女の竜を熱く見つめた。
 「え? えええっ?! これが、……竜?」



 バザイアから召喚された竜は、彼女から渡された鏡に七つの顔を近付けて煩悩を吸い取っている。
 その姿は、一言で言うと異様に尽きた。
 隆々とした筋骨に、背に広がるコウモリの様にも見える翼は、大きなそれを支える為か、尻の部分にも渡って癒着している。全ての頭上に生えている角は、羊や山羊のそれの様に捻れて円を描いている様で、正面の角が、一番巨大だ。長く伸びた手足や、見上げる程の巨体は、竜と言うより巨人と言うのが相応しかった。



 ずっと待っていたからだろう、彼女の赤き竜は、凄まじい勢いでその餌を喰らっている。
 四百年と言う長きの年月の煩悩は、どうやら竜を満足させるに十分な味である様だ。
 バザイアが目を細めて、彼女の竜の食事を見ている内に、どうやら皆は移動したらしい。
 けれどそんなことは、バザイアにとってどうでも良いことなのだ。
 ただ竜に、満足できるだけの食事を。
 そして力を。
 バザイアは与えてやりたいだけだ。
 「ああ、一つ。あのピエロの泣きっ面だけは、見たい」
 そう言うと薄く笑う。
 まあ逆に、そのお陰で確実に餌を与えることが出来たとも言うが、何も言わずにいたことだけは許し難い。
 竜は、そろそろ四百年分の煩悩を食い尽くそうとしていた。
 ふと振り返ると、一つ所に追いつめられている様にも見える光景がある。
 バザイアは思案する。
 「行ってみるか…」
 ふと見ると、竜の食事も終わった様だ。



 あのピエロは、膝を突いていた。
 けれど本当にダメージを受けているのかどうか、バザイアにはとても疑問だった。
 普通の人間であれば、激烈に痛い筈だ。と言うより、肋骨を何本も引き抜かれて、無事でいられるの人はいるのだろうか。
 けれど。
 「おやまぁ…。僕の大切な身体が、崩れちゃったじゃないですか」
 膝をついた偽神主が、ゆっくりと起きあがった。
 あちこちから煙が吹き出ているのは、何か聖性のあるもを受けたのかも知れない。胸は片方が奇妙な形に崩れている。
 老人の姿を纏っていたものの、それがぶれ始めた。
 「こいつ…」
 草間は目を眇めてその様を見ている。
 バザイアは、竜と共にシュラインの元へ行くと服を引く。
 「ありがと。終わったのね?」
 瞬き一つせずバザイアが頷くと、そのまま口を開いた。
 「後は、今年分」
 「そうね…」
 見ると、煙の様な、泡の様な、何か異形がそこにある。それが徐々に晴れ、そこから現れたのは、黒い衣服に同じ黒のインバネスに羽織り、顔半分を異様な化粧とその残り半分に化粧そのままの仮面を付けたピエロだ。手にはマジシャンが使う様なステッキを持っていた。
 インバネスの上からも解る胸部の異常だが、それが見る間に復元して行き、上がっていた焦げ臭い異臭も既にない。
 「おいこら、ちょっと待て。何だあの非常識なヤツはっ!!」
 草間はそのピエロの化粧をした者に向かって、指をさしつつ叫んだ。
 「非常識とは失礼な。これは形代ですからねぇ、まあ、トカゲの尻尾みたいなものと思って下さいね。少々驚きましたけど。何を取られても、どんな形であっても、僕はまたすぐに増えますから。…ああ、そう言えば、まだ名乗ってはおりませんでしたね。僕は逆さまピエロと申します。以後お見知りおきを」
 つり上がった口元は、もしかすると笑っているのかもしれない。
 「見知りたくないっ!!」
 「道理で…」
 「どうかしましたか? シュラインさん?」
 「興信所でね、依頼に来た鬼頭さんに会った時、何か何処かで会ったことがあると思ったのよ…。逆さまピエロなら、そりゃあるわよねぇ」
 「成程…」
 どうやらこの二人は、以前何処かであれに会っている様だ。
 「え、えーと。あの方は、あのピエロさんでしょうか?」
 更にシオンまでもそう言うのを聞き、バザイアは妙な気分を覚えた。
 「あんな気持ち悪いの、何人もいたらたまらないわねぇ」
 「主様、あの御仁をご存じで?」
 「ええ以前、ね。遭遇したことがあるのですよ」
 セレスティのその言葉を聞き、兎月は不安な面持ちで彼を見返す。
 「兎月くーん、どうしたの? そんなに怯えちゃって。大丈夫ですよ。ここにはセレスティさまも私もいますし、それにこの依頼を手伝っている皆さんがいるんですから。そうですか。あれが煩悩にまみれた顔なんですねぇ。私より、随分落ちますねぇ。ま、私は素顔を見てみたいですけど」
 さほど緊張を感じていないモーリスは、悪戯っぽく微笑むとそう相手を見据えた。
 「煩悩にまみれているのなら、まだ宜しいんですけれど…」
 セレスティのその言葉を聞いたモーリスが、『セレスティさま?』とばかりに目線で聞いた。
 「そうよねぇ。ピエロは、多分『面白そうだから』でやってると思うわよ」
 「……面白そうだから?」
 「ええ。前の時もね、面白そうだから、興味があるからで事件を起こしてくれたのよ。良い迷惑だわ」
 確かに。
 彼はそう言う動機で動いていると言われるのが、一番しっくりと来る気がする。
 「面白そうだからで、善良なやくざと香具師のシノギを潰す気ですかっ!! 許せんっ!!折檻してあげますよっ」
 「でもね、四百年分の煩悩は、バザイアちゃんの……竜が、美味しく食べちゃったわよ? 今年分のも、食べる気満々」
 当然だ。
 その為にここにいるのだから。
 ピエロがバザイアを、何処か愛おしげに見ているが、バザイアにとっては、それはうるさいものでしかない。
 「おや、残念。あの時、引くべきではなかったようですねぇ。それに皆様が、こうしてお相手してくれたことに喜んでしまった僕が、おバカさんだった様ですね。それは今後の反省点として…。まあでも、その鏡を壊して、今年分の煩悩だけでもこの魔都に返してやれば、良いことがありそうですねぇ。何せ、昔よりは遙かに人も多ければ、欲も深いですしねぇ」
 皇居上に見えるのは、ぽっかりと闇よりもなお昏い闇を纏った時空門だ。
 「残念でしたーっ! モーリスさんが、ちゃーーーんと密閉してくれるもんね」
 「ね、モーリスさん」
 「うーん、困りましたねぇ。時空門と直通通路だけは開けてますからねぇ」
 嘘…と祀の顔が引きつった。その通路は、バザイアの竜が間際に今年分の煩悩を吸い込む為に開けているのだ。
 「で、でも、そんなとこから逃げようなんて…。時空門って、時空よね? 時空って、時空って、あの、…あの穴に入ったら、何処に飛ばされるか解らないんですよ、ね? きっと」
 絢音が焦りつつも、口にしたそれに返ってきたのは、シュラインの苦い笑いだ。
 「あいつはね、自分で好き勝手に空間開け閉め出来るみたいよ。さっきもやってたでしょ? 逆にああ言うところなら、何処にでも逃げれると思うわ」
 「それはつまり、その時空門の中に入ってから、違うところに逃げることが出来ると言うんですかねぇ?」
 大六が鼻ピアスを弄びつつ、嫌そうな顔で聞いた。
 肩を竦めたシュラインは、肯定の渋面を浮かべる。
 「……」
 「そっちも閉めるか…」
 草間が渋い顔をしつつもそう言った。
 「ダメですよ。そんなことをしたら、バザイアさんとの約束が果たせませんから」
 「そんなこと言ってる場合でもないだろう」
 「では、私はタイムキーパーをしてても構いませんか?」
 「力を取り込むことが出来ないのであれば、きっとバザイアさんは私達の元から離反いたしますよ」
 セレスティの言う通りだ。
 もしも喰わせないと言われれば、そのまま時空門へと飛び立つだけだ。
 「あり得るな。草間の旦那。彼女は利害が一致するからこそ、こっちにいる」
 もう目と鼻の先と言っても良い距離から、壮司の声が聞こえた。
 ただ彼らは、バザイアがもう一度ピエロと手を組む可能性も危惧している様ではある。
 けれど笑止なことだ。
 一度裏切られたら、二度と信じることはない。
 バザイアは、沈黙したままを守った。
 草間は確かにそうだと唸っている。
 だが唸っているのも僅かの間。
 「初志貫徹だ。後三十分、日の出まで鏡を守り通す」
 元旦の日の出は午前六時五十分。
 「あ、後三十分もあるの…」
 祀がへなへなと腰砕けになるも、友人であると言う絢音が叱咤している。
 「祀ちゃん、乗りかかった船。やるって言ったのは私達よ。ここでやらなきゃ、女がすたるわっ」
 「偉い! 凡河内さん! 一緒に頑張りましょう!!」
 シオンがその言葉を聞き、ばんっと絢音の背を叩いた。少々痛かったのかもしれないが、絢音は嬉しそうに頷く。
 「はい! シオンさん。お互い、頑張って乗り切りましょうね!!」
 「てか、何で今の内に閉じこめとかないのよっ!」
 「何時素顔を見せてくれるのかと期待していたら、すっかりと忘れてしまってましたねぇ…」
 捕まえようと檻を展開し始めると、するりと逃げてしまう為、そのタイミングを計っていたと言うのが本当のところなのだろう。何とも食えない男だと、バザイアは思った。
 のほほんとなりかけた空気は、次の瞬間にも凍り付く。
 ピエロがふわりと、重力に逆らい宙に飛ぶ。
 「では、第二ラウンドと行きましょうねぇ」
 戦闘の雰囲気に、バザイアは竜を見上げて引く意思を伝えた。



 バザイアは見ていた。
 彼女の竜の肩に乗り、少し離れた鳥居の上から草間達の姿を。
 あちらこちらに出没しては、唐突に消える。羽付猿は、個人の意思を持っている様に、神鏡を持つ者達を追い回しては、護衛状態でいる者達に叩き落とされたり、蜂の姿をしたデーモンに追い払われたりを繰り返している。
 たまにピエロ自身もそれに手を出そうと顔を出すものの、より一層の妨害を受けて適わずにいる。
 例え草間からの指示があったとしても、バザイアは従うつもりはなかった。
 何故なら、ここにいるのは彼女の竜に食事を与えることが目的だからだ。
 彼女の竜ごと気配を遮断し、誰にも気付かれない様に時を待っている。
 どれほどの後かは解らないが、もうそれほど待たなくても良いだろうと言うことだけは何となく解った。
 彼女は時計も持っていない。
 そんなものは必要なかったからだ。
 ピエロに餌の場所を教えて貰ったのは、ある意味ありがたいことだったが、どうやら彼は竜に喰わすつもりはなかった様だと、草間達に鉢合わせた時に解った。
 いや、外側から見ていたから解ったのだ。
 煩悩を欲しがっているバザイアと、それを封じている鏡を守る立場の草間達が出会えば、一体どう言った手段を取るか。
 それを見たかった。
 戦うだろうか。それとも無条件降伏するだろうか。それが見たかった。
 ただそれだけが理由だ。
 ともかく、バザイアの目的は変わらない。
 今年分の煩悩を食らわせる。
 「門が徐々に閉まっていく。私の竜。もう少しだね」
 そう言って竜に身をこすり付ける。
 と。
 二回の爆音が鼓膜を叩く。
 「…なかなか面白いことをするね」
 バザイアの目前では、白い霧と吹き荒れる衝撃波に石畳が引きちぎられている様だ。
 恐らく中心に、あのピエロがいるのだろう。
 「自業自得ね」
 バザイアは冷たい瞳でそう言った。



 下を見ていると面白い。
 そこにはバザイアの知らない世界が展開している。
 入り込みたいとは思わないものの、こうして見ているのはとても愉快な気分になれる。
 そうやって見ている彼女を、竜がそっと促した。
 「そう。時間ね」
 バザイアはそう呟くと、彼女の竜とともにふわりと地面へ降り立った。
 気配を遮断したまま、彼らの近くへと寄ると、唐突にそれを解除する。
 いきなり現れたバザイアを見て、シュラインが時計を見た。
 「残り五分ね」
 「そう言えば、あやつ、モーリスさまの檻に触れた途端、悲鳴を上げておりましたねぇ。何か細工でも?」
 兎月の言葉を聞き、モーリスは何故か嬉しそうに呟いた。
 「いえ、別に。御神酒と、セレスティさまの水の力をお借りして、少々魔性が嫌う様にしただけですけど。…そうですか。悲鳴を上げたのですね。それは是非とも、この耳で聞きたかったですねぇ…」
 覚えのある何かを感じる。
 「イヤですよ」
 「出たっ!!」
 やはり顔だけ出しているピエロを見て、シオンが地面にへたり込みつつ指さした。
 丁度見上げる形の位置に顔だけ出しているそれは、ゆっくり上に上がりつつ、全身を表していった。
 「後一分よ」
 閉じていく時空門から弾かれている煩悩が、鏡の輝きに引かれて星の尾の様に流れて来る。
 バザイアの竜が、音もなく飛び立った。時空門の側近くまで飛び立つと、本来鏡に落ちる筈のそれを両手を広げて受け止める。
 ピエロの身体が煙を上げ、顔もまた爛れているのは、恐らく先程の白い霧の所為だろうとバザイアは確信する。
 「解ったことがありますよ。君の本性は、魔性。だから聖性を持つものには弱いのですね。そんな君に、ここはさぞかし辛かったでしょう。だから時折本物の神主と入れ替わる必要があった。そして自分の力が十分に蓄えられる様に、時を待って現れた。違いますか?」
 セレスティがゆったりとした口調でそう言うと、ピエロが楽しげに口を開いた。
 「お見事です。確かに僕は魔性の身。けれどね、銀色の貴方。先程も申し上げた通り、僕の身体は形代です。例えこの身が溶けてなくなろうと、魔性の元が存在する限り、僕は何度でも現れますよ」
 そう一気に言うと、ピエロは肩を竦めた。
 「やれやれ。負けてしまいましたねぇ…」
 「そうよ! あんたの負けよっ。さっさと跪いてごめんなさいしなさいっ!」
 威勢良く言う祀に、逆さまピエロは恐らく笑ったのだろう。
 「それはまた今度。完全に閉じてしまえば、いかに僕でも、ここから逃げられなくなりますからね」
 望むところだと、彼らは宙を飛ぶ彼を捕らえようとする。
 バザイアもまた、ピエロを見上げた。
 ふと視線の合ったピエロが、笑った気がする。
 「では。ごきげんよう」
 「あっ」
 「くそっ」
 「逃げたっ」
 「逃げるなっ」
 「消えちゃいました」
 マジシャンの様な一礼の後、ピエロは不意にかき消えた。
 そして。
 その言葉と同時に、長い長い夜が漸く終わりを告げたのだった。




Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

0630 蜂須賀・大六(はちすか・だいろく) 男性 28歳 街のチンピラでデーモン使いの殺し屋

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

3334 池田屋・兎月(いけだや・うづき) 男性 155歳 料理人・九十九神

3852 凡河内・絢音(おおしこうち・あやね) 女性 17歳 高校生

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

4521 バザイア(ばざいあ) 女性 2歳 クローン/赤き竜の崇拝者

3950 幾島・壮司(いくしま・そうし) 男性 21歳 浪人生兼観定屋

2575 花瀬・祀(はなせ・まつり) 女性 17歳 女子高生

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          ライター通信
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 新年あけましておめでとうございます(^-^)。斎木涼でございます。
 先年中は、色々と御座いましたが、何とか乗り切ることが出来ました。その活力を与えて下さいましたのが、こうして依頼に参加して頂きました皆様であると思っております。
 本年もまた、可愛がって下されば幸いです(^-^)。
 そしてまたもや遅くて申し訳ありません…。
 新年早々……。

 さて、内容でございますが、こう言うのに詳しい方は、読みつつ『アホやなぁ。こんなんで上手いこと行く訳ないやんか(何故関西弁(笑)?)』と笑ってやって下さい。でもって、こっそりと指南してやって下さい(苦笑)。
 こう言う感じのお話は、好きなんですけれども本人おバカさんなので、如何ともしがたく…。
 十名様と言う大所帯で書かせて頂きましたが、本人の技量不足故、プレイングを完全に生かし切れたと言い難くなっておりますことをお詫び致します。

 > バザイアさま

 鏡を守る側ではなく、解放する側と言うプレイング、なかなか興味深く思いました。
 その為、他PC様方との絡みは少なくなっておりますが、逆に真相を一番先に知ると言う形にさせて頂いております。
 また、宴会に際しての記述が御座いませんでしたので、煩悩をごちそうさまの後、帰って行ったと言う形にさせて頂きましたが、宜しかったでしょうか?


 バザイアさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。