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<PCシナリオノベル(シングル)>


灯火に残るその場所へ

 時はどれ程経ったのか。
 牧村医師の方からもこれと言った情報は出て来ず、ただ時だけが無情に過ぎている。
 草間興信所のみならず、セレスティの情報網をしても、有力と思える情報は見付からない。ここまで来れば最早、強大な何者かが隠しているとしか思えない程で。
 その隠蔽力が逆に物を言っている――とも思えるが、それでも、確証が掴めない事に変わりは無い。
 今確かな事は、魔女から渡された『刀』がここにある事、そしてこの『刀』は使用者自身に限界を遥かに超えた力を与える――それに耐え切れないのならば使用者の存在自体を造り替えると言う凄まじい副作用を持つ――能力があると言う事。魔女が高弟と呼んだ双剣の凶人も、この刀と『同じ意味』の武器を使用し、凄まじい力を得ていたらしいと言う事。そして――『次の基盤は貴方』。セレスティを指し魔女がそう言った事実。
 それから、もうひとつ。…セレスティが幻視した――水牢の少女。
 それは『見た』だけならば幻か気のせいか何か――そんな可能性も否定できない。それはセレスティが信用できないと言う訳では無いが、それでも確認したのはセレスティひとりだけである。だからこそ言い切る形では無く、刀を使っている時にこんな事があったのですが――とセレスティの方でも武彦らにもそう伝えたのみに過ぎない。
 だが、その幻視の中、少女の方から話し掛けられたとなれば。
 ただの幻である可能性の方が、低い。
 そうなると、この件の重要度はいきなり高くなる。
「総帥の幻視したその少女が…鍵、って事もあるかもしれませんね」
「ええ。それから、あの魔女の素性でも掴めればまた違ってくるんでしょうが…」
 けれどむしろ、この刀について調べるより、彼女を捜す事の方が余程難しいかもしれない。
 調べた結果の情報を照らし合わせているセレスティも武彦も、どちらからとも無く溜息を吐く。
 これではそろそろ八方塞がりだ。
 と。
 そう思った…そこに。
 興信所備えつけ、空襲警報かとでも疑いたくなるような凄まじい音の来客用ブザーが鳴り響く。…何度聴いても慣れないが、興信所の主が変えようとしない限り客人がどうしようもない話。そして、常連の面子――客にしろ調査員にしろそれ以外にしろ、ここの馴染みの面子であるならば、わざとででも無い限り来訪時にこのブザーを押す事は無い。そうなると。
 これは、『本当の』来客。
 そう見たか、軽やかに受け答えつつ応対に出たのは零。が…ドアを開けたその途端、表を見ている零の様子がおかしい事に中に居た武彦とセレスティは気が付いていた。何事だろう。思う間にも表へと意識を向けると――。
 そこに居たのは。

 ………………僅か目を瞬かせた――少々面食らった顔をしていた、件の『魔女』。

 その姿を確認し、反射的にガタンと音を立て腰を浮かし掛ける武彦。魔女のその姿を鋭く見据えるセレスティ。一方の魔女はやや唖然とした様子で、自分の押した興信所のブザーを確認していた。…憎らしいくらいに自然な所作。以前の件を考えれば、信じ難い態度。
 そもそも、あの時の魔女が――今この場に来るなどとは。
「…随分とユニークな呼び鈴が付いているのね」
「何のつもりだ!」
「あら、客人に対していきなりそんな物言いをするの?」
「…君は客人は客人でも――歓迎すべき客人ではありませんから」
 草間君の態度も妥当かと思いますよ?
 わざとらしいくらい心外そうに言う魔女に、静かに返すセレスティ。
「ですが、今ここで来て下さったのはちょうど良かったかもしれませんね。こちらも君にお伺いしたい事ができたところですから」
 セレスティもセレスティで、自然な態度を崩さない。…その内心は、さて置いて。
 知ってか知らずか、魔女は特に気にしない。
「そう。…何かしらね」
「件の『刀』の事ですよ。そして――水牢に囚われた少女に心当たりはありませんか」
 真っ向から問うセレスティ。
 と。
 魔女は少し考えるような顔をし、それから…ふ、と謎めいた笑みを見せる。
「水牢に囚われた少女…そう。だったらちょうどいいわ」
「…何がです」
「そうね。彼女を捜したいのなら――私と一緒においでなさいな」
 私がそこに連れて行ってあげる。
 艶やかな唇がそう動く。
 私はその為に来たのよ。
 と。
 そう誘う魔女に、真っ先に反応したのは武彦。
「…誰がお前なんぞの言う事を信用する」
「あら、心外だわ。私が貴方たちに嘘を言った事があって?」
「嘘も何もまともに話した事も無いだろうが。…自分を殺そうとした相手を誰が信じる」
 吐き捨てるような武彦のその言葉に、魔女はくすりと笑う。
「――草間武彦、私立探偵。草間興信所所長…怪奇探偵と呼ばれてもいるわね。退魔の世界とも繋がりが深い。そんな事件が何処からともなく寄って来る。危機に陥った事も一度や二度じゃない。…もうそろそろ、慣れているんでしょう? 『そちら』の人脈も多いようね。そして何より――旧日本軍が作成した、霊鬼兵のプロトタイプ…その身柄をこんな何の設備も無い無防備な場所で預っている――それでいて暴走も何もさせないでいられるだけの力を持つ人間でもある…」
 魔女がそこまで言った途端、武彦の目が凍り付く。霊鬼兵のプロトタイプ――魔女の言うそれは、『妹』の――零の事。この場に、すぐそこに居る――聞いている。
 ここ草間興信所の面子は――武彦は、零の事を霊鬼兵扱いはしていない。…それは『かの孤島』からここに連れて来たその時から変わっていない事。
「…黙れ」
「そんな貴方が簡単に殺せるなんて初めから思っていないわ」
 武彦の怒りに満ちた声と冷たい視線に晒されても、魔女は堪えた風無くさらりと続け、受け流す。
「今だって、そちらの…リンスター財閥総帥だったかしら? 彼が居る」
「…だから何のつもりだと言っている」
「草間君」
 セレスティは静かに激昂する武彦を目で押さえつつ、魔女を見る。怒っても何もならない。今有用なのはそこに居る魔女と言う情報そのもの。武彦の怒りもわかるが今はこの魔女を利用する方が得策。…誘いが罠である事は先刻承知。それでも。
 魔女は武彦からセレスティに視線を移動する。
「貴方は話を聞く気があるようね?」
「…ええ。この際、君に口を割らせるのが手っ取り早いでしょうからね」
「貴方たちにすればそうでしょうね。…向こうに着いたら話すわ。全部」
「水牢の少女の元に着いたら、ですか」
「ええ。…今私の手を取るか取らないかは――そちら次第よ」
 …信じないと言うならば、無視しても構わない事。
 そう告げ、魔女はセレスティに対し誘うように手を差し伸べる。そんな姿を確認し、暫し相手の表情と気配を見定めるように見つめてから――セレスティは、静かに息を吐いた。
「仕方ないでしょう」
 私は君のお誘いを受ける事に、しますよ。



 T県南東部山間。
 旧科耶麻第三伝染病研究所。
 魔女――来る道がてら忌悠と名乗られた――がセレスティを連れて来たのはそこ。今はもう使われていない筈の研究施設。
 なのに。
 警備員――と言うよりむしろ、服装は何処にでもあるようなガードマンのそれだが、それを纏っている人間自体は軍人らしい風情の男が複数その施設の警備に当たっているのが見て取れた――施設自体が生きているのが、セレスティにはこの施設の敷地内に来た時点で感じられた。建物に入るまでもない。ここは置き去られた場所ではない。今この時も使われている。
 そして、ただの雇われガードマンでは有り得ない、軍人らしい風情の警備員。だが、本当に軍人であるならば…何処の国の軍だろうと私兵だろうと、それぞれ独特の『臭い』がある筈だ。が、この場合は…その独特の『臭い』自体が無い。無いが…無いと言うその事実自体でセレスティに知らされる『その軍の特殊性』。…どの国のどんな秘密部隊よりも、更に裏側を見ている徹底した秘密主義の徒と言えば。
 施設の警備員から察せられたその事実に、セレスティは小さく嘆息する。
「…『こちら側』でしたか」
 IO2。
 強大な組織が関っているとは薄々わかってはいた。が――自身で確認してしまうと少々残念な気持ちにもなる。表面的とは言え正義を名乗る組織。ならばせめて――それは無論、完全にクリーンで居ろなどと無茶は言わないが――せめて、最低限の節度は弁えて欲しいもの。
 が、この『刀』の出所がこちら側となると、その『節度』が弁えられているかも怪しくなる。
 今ここに連れられて来たのは件の『刀』を携えたセレスティのみ。武彦は同行していない。…我々の手許にある『刀』は一振り。何かが起きたらこれを持たない人間は足手纏いになりますよ。そして――今の君を見るに、私の方がまだ適任に思えます、とセレスティが先回りして言い切り、武彦の同行を拒んでいる。無論それで武彦にすんなり納得された訳では無いが――割って入るように零が「ならば私が…」と名乗りを上げてしまった。彼女のその言葉の途中で、遮るように武彦とセレスティの両方で即座に却下。そこは当然。…魔女・忌悠の語った言葉。それを聞いてしまえば…『霊鬼兵』であると言う素性の彼女は、セレスティらとはまた違った意味で危険過ぎる。セレスティの携えているこの『刀』を作ったのは恐らく忌悠。そしてここを支配するのはこの様子ではIO2。零の過去――かの孤島で、霊鬼兵の存在を嗅ぎ回っていた事実のあるその組織。…置いてきて正解だと確信出来る。
 そして、結局のところ殆ど押し切るような形で、セレスティだけが忌悠に付いて行く事にしたのだが――意外な事に、忌悠は武彦と零を本当にただ置いていった。何の抵抗も細工もせずに。
 彼らを放置し、セレスティだけを連れこの施設に来る途中――魔女の方で特に何をしていた風も無い。セレスティも一度この道程で興信所に電話を掛けたが――別に魔女にそれを止めさせられもせず、電話は普通に繋がり零が出た。そして――『刀』を取り上げられもしていない。
 …この忌悠と言う女は不思議な威圧感のある相手――だが、何故か奇妙な無防備さをも感じる。
 責任者ででもあるのか、忌悠は警備員など目にも入らぬような態度で堂々と施設に入っていた。そして彼女の連れている、今初めて見ただろうセレスティの存在にも警備員は反応しない。ただ、セレスティが忌悠の後に続いたそこで、さりげなくふたりの後に警備員数名が続いた。
 忌悠を先頭に、頑丈にロックされている――抗霊措置が施されている?――扉を何枚か潜った後。
 セレスティの前に、施設内の様子が晒された。
 …殆ど見えていなくとも、すぐに理解できた。
「…これは随分と」
「ちょっとしたものでしょう?」
 ふ、と微笑みながら言う忌悠。
 わんわんと頭に直接響いて来るような霊気の渦。その源は何処か――この施設のそこかしこ。何処が源かなどと限定できないくらい広範囲。決して、ひとりだけのものではない。
「貴方ならこの時点でわかるものだと思ったわ」
「…この中に、『彼女』が居ると?」
 セレスティのその問いに、忌悠は何も返さず意味ありげな視線を投げ、付いて来いとでも言いたげに歩き出す。ひとつひとつ隔離された部屋。もとは伝染病の研究をしていた場所。部屋の扉、ガラスで隔てられた小窓が付いている。…元々大して目は見えないが…もしはっきり見えたとしても、見る気にもなれない。セレスティには見なくとも霊気で、気配でわかってしまう。この中で行われている事。ただ淡々とそこで作業をしている白衣の研究者。…何故心が揺れない? 人間らしい心など疾うに無くした、人間であったモノ。実験の人柱。犠牲者。それぞれもまた異能者――否、その人間に『力』自体がある訳ではない。それぞれ、違った形の何かが装着されており、そこから『力』が溢れている。その装着されているもの。それは――植物の根の如きものが張り、びしりと人間だったモノに繋がっている。この『刀』と同じ意味のモノなのかも知れない。
「…今に始まった事ではないのでしょうが、人権は完全に無視ですね」
 人の理を守ると言う建前の組織が――それはちょっと頂けないと思うのですが?
「そうとも限らないわ。実験体の彼らは――志望者よ」
 酷く甘やかな忌悠の声が響く。
「志望者」
 セレスティはわざと繰り返す。…非難をこめている事に、気付いたかどうか。
 忌悠はセレスティを軽く受け流し、静かに頷く。
「そう。IO2の力になるのなら。自ら望んでこの武器を受け入れ、『異能者狩り』兵器の開発の為に身を投げ打った者たち。そんな存在も居るのよ。この組織には。…組織の意志に盲目的に従うような者たちが」
 異能の者に対抗するには自らもまた異能になるしかない。そしてその異なる力を得る為ならば何をしようと構わないと――本来の使命を忘れ、ただ力を求めるだけになってしまった一派。けれど――その力は確かに、非道であるが故に、有用な物で。切り捨てるには惜しい。それは当然。…だから。
 その一派は、IO2内に於いては暗黙の了解の――闇を受け持つ事になる。上層部からは見て見ぬ振りをされ、莫大な研究費だけが常に渡される。その時点で、この一派は必要悪となっていた。
 そしてその研究のプロトタイプとして、ひとまず完成したものが――私の高弟、牙。あの子が使う双剣には、最大限の力を注いだわ。この研究所でも、あの子以上の『異能者狩り』は居なかった。なのに、貴方はその牙を倒してのけた。…あの子同様、私の作った『刀』を使用して。
「普段の貴方はその身体。なのにその『刀』から引き出した力は――牙をも遥かに超えていた」
 草間武彦の側…そこで、この『異能者狩り』の力がどの程度通用するのか、ただの実験のつもりで外に出した。けれど――予想外の成果を齎したわ。
 …牙ではなく、貴方がね。
 そこまで告げ、忌悠は意味ありげにセレスティを見る。
「まるで試金石のようだとは、思いましたからね」
 …この『刀』の取り扱い方は。
 忌悠の姿を見もしないままで告げられたセレスティの科白。その冷静さに満足するように微笑んだ。次はこちらよ。忌悠が誘う。後に付いて来る無表情な警備員。何を考えているのか。…これは、私を帰さないつもりでしょうね。セレスティはそう思う。手許にある『刀』。先日の凶人との戦いを考えれば――それしか忌悠に抗せるだろう武器は無い。が――この武器自体が忌悠の手の内にある物でもあって。…それは、この魔女自身にも刀の能力を測り切れないところがあるようでは、ありますが。
 すべて魔女の意志のままになるなら、使用者を刀に取り込んでしまえばそれで済む筈なのだから。
「…それよりも」
 水牢の、少女。
 セレスティがそこまで言わぬ間に、忌悠は静かに頷く。が、何も答えない。ただ静かに螺旋階段を上っていくだけ。もう随分上った。後に続くセレスティの方もそろそろ足が疲労し始めている。
 この先に少女がいるのか。そう信じてしまうのも早計でしょうが――何らかの手掛かりはあると見ていい。水牢の少女とセレスティが口に出した時の魔女の反応は――少女を知っているとしか思えない。ならば、刀を魔女が作った際に何らかの形で強制的に荷担させられた者なのか。
 そして――この場所に閉じ込められているままなのでしょうか?
 セレスティは考えを巡らせる。
 螺旋階段を上る中、悪魔の研究が為されているそこ。それらを散々見せ付けられて――その後に。
 道の絶えた――階段を上り終えた、そこの扉の前。
「貴方たち、もういいわ」
 忌悠は後を付いてきた警備員たちにそう命ずる。警備員はその言葉に従い、その場から下がる。それを確認もしないまま彼女は扉を開けると、中へと入った。ここよ。そのひとことだけが残される。
 彼女に続き、そこに入ると。
 …異様に清浄な空間が現れた。これまで見て来た場所とは一線を隔する、鏡張りの水槽。研究施設? 違う。むしろ――その場所は。
 さながら、祭壇か玉座か。
 思わせる造りのその部屋――水槽の中には、恐ろしく美しい少女が目を閉じて眠っている。眠っている。水の中。生命の光は無い。永遠の眠り。なのに彼女は――水の中、腐敗も何もしていない。
 …その事実に、唐突に凶々しさが訪れた。
 場のあまりの清涼さが――逆に、背筋を凍らせるような何かを思わせる。
 穏やか過ぎるその顔が、幻視した彼女と一致しない。
 セレスティが幻視した少女その人ではある。だが――あの彼女が、本心から――これ程穏やかに眠る事が出来ているとは到底思えない。『刀』を使った時に見た彼女。水牢に繋がれ何もかも諦めているようなその表情。私が見えるの、と酷く意外そうに問うて来たその声。
「貴方が幻視した少女は――彼女でしょう?」
 忌悠の甘い声がする。
 その通り。思っても――答えるつもりにもなれない。
 セレスティの反応を見ているのかいないのか、忌悠はただ、言葉を続ける。
「この『彼女』こそが『異能者狩り』兵器の素体。彼女の協力があってこそ、この武器の完成は成ったのよ。本当に素晴らしい力だったわ…。絶命してからもまだ、新たな兵器を作り出せるだけの力はあったのだから…そう、それ程の逸材だったのだけれど…ただ…もうそろそろ限界に来ているのよ」
 酷く残念そうに、忌悠は緩く頭を振る。
 そして。

「だから…次は、貴方」

 忌悠は、セレスティへとその手を伸ばした。



 …途端、凄まじいオーラの奔流が叩き付けられる。危ない。思ったその時にセレスティは件の『刀』を鞘から抜いていた。この『刀』も頼り切ってはいけないもの。そうは思っても…この相手に、他の力で簡単に抗せるとは思えない。だからこそ抜いたその力。『刀』を抜くなりセレスティの動きの質が変化する。本来、足が不自由だとは到底思えない動きで意志のままに飛び退き、そのままあっさりと忌悠の背後を取った――が。
 切っ先を向けたその時。
 忌悠の背中には、何処か笑うような甘やかな空気。
「…これが貴方の殺意」
 一字一句区切るように言われたその言葉――聞こえたその時には何処からかセレスティへと黒い力が叩き付けられており。先程の凄まじいオーラの奔流よりも更に強烈な、けれど同系統と言えるだろう黒いオーラ。何が起きたのかわからない、その間にもセレスティの身体は衝撃で傷付いていた。咄嗟に自身を庇う体勢をとったが――攻撃の正体がわからない以上庇い切れるものでもなかった。…『刀』の力を借りていてさえ見切れないその力。
 刀を構え直すが、その間にもセレスティの視界が一筋分だけ暗くなる。それが自身の額から流れる血だと気付いた時、セレスティは血流を止め応急処置を為そうとしていたが――それより早く、何かふつふつと身体の奥底から湧いて来る正体不明の力によって傷付いた身体の治癒が始まっていた。…これも『刀』の力なのか。
 …これは、好都合かもしれません。思いながらセレスティは再び忌悠の隙を探す。ひとまずは身体の治癒は後回しでいい。今は、『刀』の方で勝手にやってくれる。
「…問答無用、ですか」
 件の『刀』を構えたままでセレスティが忌悠に告げる。
「私に必要なのは貴方の力だけ。ここまで連れて来られれば――貴方の意志は要らないの」
「そうやって、その彼女も連れて来たのですね」
 確認するセレスティに、魔女は不敵な笑みを返すだけ。そんな相手にセレスティは警戒する。一見、隙だらけに見える。先程のように背後に回る事も簡単にできるだろう。けれど――もし忌悠のその隙を突いて、攻撃したならどうなるか。先程の結果がある。…簡単に済むとは思えなくなった。



 幾つか打つ手を考え、試すが、何度繰り返しても同様の結果が待っていた。…圧倒できた。思った瞬間――これが貴方の殺意、と声が響き正体の知れない攻撃が来る。
 時間はどれだけ経ったか、もうタイムリミットが近いかもしれない。握る『刀』をちらりと見、セレスティは考えた。これ以上この技を使うのは危険。けれど魔女の方は堪えた様子はない。息を切らせてもいない。私と私の友人を襲った魔女。『刀』の力を受けながらもセレスティは実は自身の力をも操っていた。魔女の体内を巡っているだろう血流へと働き掛けている――が、効かなかった。自分の技では効かない。『刀』を経由した力では効く。…このまま『刀』を使わせ続け取り込むのが目的なのだろうか。けれど、そうだとしても現時点ではこの『刀』が唯一魔女に抵抗できる力。今のままではこの『刀』を手放せない。どうしたらいい。…どうしたら殺せる。そうしたら滅ぼす事が出来る? この魔女を。
 と。
 次に打つ手。そう思考を巡らせていたその時に起きた――何かに呑まれるような、一瞬の、意識の混濁。
 同時に、自らの裡から凶暴なまでの殺意と、急激な高揚感が来る。
 …危ない。

 思った、刹那。
 …フラッシュバックする何者かの記憶。


 ――ドアを開ける。見知らぬ女の姿。不思議そうに首を傾げる少女。その後ろから無防備に顔を出す両親。刹那…魔女に『何か』が叩き付けられている。何が起きたかわからない。けれど何故か、得体の知れない悪寒が背筋を走っている。消えない。嗅いだ事の無い凄まじい臭い。見てはいけない。思っても見ない訳には行かない。おとうさんおかあさん。不吉な予感と共に振り返った少女が見たものは――ただの、血の海に浮かぶ肉塊。

 ――嫌がり逃げようとする少女の姿。泣き叫ぶその子の手を引いているのは魔女。離そうとしながら叫ぶ声。それに呼応して壁に、道に亀裂が入り、風の渦が巻く。少女の感情に呼応して破壊が為されている周囲。凄まじい異能力。それでも魔女の手は緩まない。必死で振り解こうと抵抗する腕。それでも抵抗は意味を為さない。けれど、少女の異能力に晒され、魔女の腕も凄まじく傷だらけで。けれど魔女も何も言わない。

 ――怯える少女。廃墟みたいな建物。中では最早人型をしていない人たちの姿が並んでいる。狂気の研究。何か、こわいものをつくっている。ガラス張りの部屋。こわいよ。たすけて。泣き叫ぶ少女。極上の素体。そんな声が聞こえる。こわいよ。思う間にも少女は、研究者らしい男数名に、その部屋へと押し込まれた。何が起きているのだろう。わからない。ただ、部屋の中、何処からともなく溢れ出した来た、水。水。水――逃げ場は、無い。

 ――造られた武器。様々な形。『刀』もある。別の武器。使い手がふたり。それぞれ対峙し、揮っている。始めは普通の姿。徐々に異なる力が流れ込む。武器を掴むその腕からめきめきと音を立てて変化して行く使い手の身体。水牢の中、必死で嫌がる少女の姿。そして対峙している使い手が、その身体を変化させた後に発現させたその力は――彼女が魔女に連れられ来る過程で揮った、無意識の感情で為された破壊の力とまるで同じ――もしくは、それを更に増幅させたような、力で。


 それらを――ほんの僅かな間に、幻視した、刹那。

 セレスティの手から、『刀』がからりと落ちる。
 不敵なくらい余裕だった表情から一転、何処か訝しげになる忌悠の表情。
 …セレスティはそれも無視した。


 わかりました。
 この『刀』の力は――泣いている君の力、なんですね。
 …なら、『刀』は、もういい。
 それよりも。

 水牢であるなら。
 その、水を。

 これ以上君を苦しめたくはありません。
 ………………この場所を壊すなら、君を――君たちを、解放できますか。


 水牢の中、眠る少女。
 意を決したセレスティは瞼を閉じる。

 刹那。

 その水牢の水そのものが――暴れ出す。



 忌悠が振り返るのとセレスティが水牢の水を操るのとどちらが先だったか。強化ガラスが破壊される音に、はっとして降り返る忌悠の姿。暴れ狂う水。だが、殺意ではない――反応できない。

 お任せします。

 セレスティはそう告げる。
 …水槽を満たしていたその水に。
 少女をずっと包んでいた、その想いの溶けた水に。
 攻撃する気も何も、無かった。

 ただ、解放したいと願った。
 素体とされた彼女も。
 実験の人柱とされてしまった無数の人も。
 この場所から。

 …そしてそれこそが、この場の支配者――魔女に勝つ為の唯一の方法だと、気付けたから。

 ガラスの破片。ばしゃりと凄まじい勢いで水が室内に流れ込む。水の音がしただろうか。音と認識する暇も無い内に、ただ、圧倒的な質量が室内を襲う。水槽の間近に居た忌悠。重く勢いのある水の塊が圧し掛かり、押し流す。柱に身体が強打しているのが見て取れた。それはまるで、犠牲になった人々の憎念が彼女を襲うようで――。
 それでも螺旋階段の一番上の部屋。…程無く、水が退く。
 残されたのは、何事も無かったかのように水牢だった場所に眠るかの少女と、瀕死の魔女。
 ひとり立っていたのは、セレスティ。
 セレスティは忌悠の傍らにまでゆっくりと歩み寄る。
「私を、これ程の想いが詰まった水の側に連れて来たのが君の敗因です」
 彼の服からは、水の一滴も滴ってはいない。
 その事実を確認し、忌悠はぽつりと呟く。…今の『水』はこの彼の力――少なくとも、そのきっかけ。
「…今私を滅ぼしても誰かが続けるわ」
「それでもまた、誰かがその企てを阻止するでしょう」
 …私とは言いません。ですが…それだけの意志を持つ者は、何処にでも居ますよ。
 セレスティのその言葉に、忌悠は、ふ、と力無い笑みを漏らす。
「それは私の方でも、同じ事が言えるわ」
 強大な組織に、致命的な異分子ができるのは――必然よ。
 …正義の仮面を被っている以上――むしろ虚無の境界などと言った連中よりも、厄介かもしれないわ。
 貴方はそれでも、同じ事を言えて?
 と、最期に艶やかに笑うと、忌悠はそれっきり言葉を発さない。
 動かない。
 命が尽きた――そうなのだろう。
 それを確認してから、セレスティは一度水牢だった中にも――少女の方にも意識を向ける。静かに瞼を閉じ僅かな黙祷。が、力を失った魔女の身体、それを看取ったその時には――研究所の崩壊が始まっていて。…ほぼ壁の全面を覆っていた水槽を破壊したのだから当然か。思いながら何とか歩を進め、逃げようとするが――足の不自由な身では、逃げ切れるものだろうか。
 …これは、諦めた方が早いかもしれませんね。
 思ったそこに、総帥、と叫ぶ声が聞こえてきた。螺旋階段の下方、聞き覚えのある声――それはここに来る際に置いてきた、この場に居る筈の無い草間武彦の声。上りながらセレスティの姿を見付け、駆けてくる。
「草間君!?」
「早く」
 このタイミングで現れた武彦の手を素直に借り、セレスティは瓦解する研究所から脱出を試みる。武彦まで来られてしまっては諦める訳にも行かない。落ちて来る瓦礫。水浸しの床。肩を貸すより早い、とセレスティを背負い、螺旋階段を駆け下りる武彦。セレスティも水を使用し、その圧で落下して来た瓦礫を破砕する。道を造る。向かう先。外の光。見えたそこに走り出る。
 命からがら脱出した先で――ちょうどそのタイミング、目の前、山間の原に着地しようとしていたのは――リンスター財閥の、ヘリコプター。
 それを見遣り、ふたりは助かった事を――現実の世界へ戻ってきた事を実感する。そこで、セレスティが武彦の背から漸く下りる意志を示した。ああ、と今になって気付いたように武彦も下り易いよう屈み込む。
「…お世話お掛けしました。負ぶって頂いてしまって」
「いや、このくらい当然ですよ」
 …自分が貴方と共に魔女の誘いに乗るには足手纏いだったのは必然。だったら――このくらいはして然るべき筈でしょう。
 武彦はそう言い、着地して来たヘリコプターから現れた黒服たちにセレスティの身柄を託す。…事前に、彼らに知らせていたのは武彦。それはセレスティはある意味でリンスター自体を動かし調査していたのだから、この件に関してもある程度の事柄は部下の黒服たちも往々にして知っている。だが、あの時あの場、魔女が知らせに来たその事柄は――彼の部下たちは知る事も叶わなかった。同席していた武彦だけが知っていた。魔女が何らかの妨害をしていたのか、暫くの間は知らせる事も叶わなかったのだが――密かにセレスティらの後を追い、この第三研究所の施設の側で――苛立ち混じりに、駄目元で何度も通信を試みている内唐突に、普通にリンスターの者へと電話が繋がった。一瞬繋がったと信じられないが本当に繋がっていた。研究所の中で何か起きたのだろうかと咄嗟に思ったが、都合は良かった。…自分が助けになれる事ができる。
 何故なら場所さえ知らせられれば、その時はリンスターの側でもすべてを察しているとわかっていたから。…セレスティはそのくらい有能な者を揃えている。
 だからこそ――少し遅れはしたが今はもう、救助が大挙して訪れている訳で。
 …これが、その場に居られなかった武彦に出来る精一杯の事。
 黒服の肩を借りた状態で、セレスティは崩れ落ちた研究所を再び見遣る。
 もう、研究所がどんな建物だったのか――元の面影は何処にも無い。
 終わったのか。
 これで。
「…ひょっとすると、あの魔女――忌悠も、止めて欲しかったのかもしれませんね」
 だから、私だけを誘ったのかもしれない。…草間君や零嬢と行った――事情を知る者をただ置いて行けなどと言うのは――魔女にすれば油断もいいところ。むしろ邪魔をしろとでも言いたげではないか。
 もう、ひとりの意志では止まらなくなっている歯車。
 牙と呼ばれたあの凶人を表に出したのも、実験にかこつけて、外の世界に――この事実を知らしめる為だったのかもしれない。
 …そもそも、水霊使いを水牢に閉じ込める事は、不可能ですよ。
 魔女の高弟と言うあの凶人との戦いを見ていたのなら――彼女程の力があるなら、私の能力の正体は見切られていたでしょう。
 なのに、彼女は私を――少女の『後継』に、『基盤』に選んだのですから。

 実験の犠牲になった者の姿が目に浮かぶ。
 素体となった、彼女――幻視した、少女そのひと。
 …そして、あの魔女も、そうだ、と言えたのかもしれない。

 救えなかった。
 誰も。

 …それでも。

「…帰りましょう」
 私たちの、世界へ。
 ここであった事をお伝えするのは、それからにさせて下さい。

 セレスティは静かに、そう告げる。

【灯火に残るその場所へ 了】