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<東京怪談ノベル(シングル)>


流れる



 重い鞄を机の上にドンと置いて、あたしは小さくため息をつく。
「はぁ……」
 歴史の教科書に、資料集。国語に英語の教科書に英和辞書と、一週間に一度は鞄の重い日があるけど、今日はまさにそうだった。金曜日はいつもこう。
(小学生のときは楽だった水曜日も、もう他の日と変わらないし)
 学生は楽だと言われるけれど(勿論お父さんやお母さんの方が大変なんだろうなと思っているけど)、中学生も大変なのだと言いたくなるときがたまーにある。
 そう、たとえば――今のように期末試験を目前に控えていると。
「英語と数学……どうしよう」
 この二科目は積み木と同じで、日々の積み重ねが大事らしい。最初で躓くと、後がどんどん大変になるとか。
 あたしは友達のように「徹夜で乗り切る!」と叫ぶタイプではないし、毎日ちょっとずつだけど勉強もしているから、大丈夫だと言いたいところなんだけど――。
 ここ最近はバイトが忙しくて、勉強がいつもよりおろそかになっていた。一週間泊り込み、なんてこともあったのだ。
(期末試験かぁ――)
 幸い、明日には補習授業がある。家で一人悩むのと違って、先生が教えてくれるのだ。
 みんながお休みの日に学校へ行くのは、ちょっと嫌なことだけど。
(でも、挽回するチャンスだもんね)
 と、気合を入れて。
 鞄を下ろして、制服を脱いで――机に広げたのは国語の教科書。
(気分を上げるためには、やりやすいことからやらないとね)
 教科書には所々、下線が引いてある。矛盾、眺望、促進、涙――授業の合間に行われた漢字テストに出題された漢字だ。
(期末テストには漢字も出るし)
 英語や数学と違って覚えるだけで済む上に、歴史のように大変な暗記でもない。それでいて確実に点を取ることが出来る。
「んーと、要らない紙は……」
 ノートの代わりに、裏の白いチラシを使うことにした。最近少なくなってきたというのに、海原家にはこういうチラシが何枚も置いてある。癖になっている自分の節約振りに苦笑しつつ、勉強開始。

 ――休日の学校と家との往復。
 その間も頭の中で歴史や漢字、英単語の復習をして、学校では英語の補習。帰り道では習ったことや先生の言葉を繰り返して、家ではその復習と、数学の計算問題を解いて……。
(頭の中がごちゃごちゃしてる……)
 んー、と背伸びをして、机の上に置いたミルクティーを一口。思ったより時間が経っていたのだろう、ミルクティーは冷めていた。
(お腹も空いたし……)
 時計は七時半を示している。夕飯の時間だ。
(そろそろ、かな?)
 椅子から降りて、居間へと向かう。空になったカップを持っていくことも忘れない。

 ――お味噌汁の匂い。
 あたしが作るものとは似ているようで違う、ちょっとだけ不器用な匂い――お母さんがあたしを気遣って、ご飯を作ってくれたのだ。
「お仕事はいいの?」
「一段落したから、小休止ってところね。みなものテストが終わるまでは、ご飯は任せて頂戴」
 具の多い熱々のお味噌汁に、水を少なめにして炊いたご飯、端が少しだけ焦げた唐揚げに、皿の上で倒れるか倒れないかギリギリの冷奴、和風ドレッシングを多めにかけた野菜サラダ。この野菜はさっきお母さんが買ってきたばかりのものだ。
 濃いめのお茶を一口すすって。
「いただきます」
 静かに手を合わせてから、ご飯を口に運ぶ。
「……おいしい」
 唐揚げの肉汁やお味噌汁に舌をやけどしつつ味わう、お母さんのご飯。
(これならテスト前もいいなぁ)
 なんて都合のいいことも思ってしまう。あたしもお母さんも大変だけどね。

 ご飯を食べてから三十分後には、お風呂に入る。このあたりはいつも通り。
 服を脱いでいると寒くて仕方がない。腕と太腿に鳥肌が立った。
 肝心の勉強はと言うと――。
 最初はビニール袋の中に語句を並べた紙を入れて浴室へ持ってくることも考えたけれど、やめることにした。
(勉強から離れている時間があった方が、逆にはかどりそうだし)
 それに気分的にも余裕が出てくる。気分転換は必要だ。
(あったかいなぁ)
 顔が上気しているのがわかるくらいに長く浸かって、柔らかく息を吸う。
(あたしの部屋もこれくらい暖かかったらいいのにな)
 畳な分フローリングよりはいいけど、勉強していると足が冷えて気になるのだ。
 ――バスタオルで身体を丁寧に拭いて、パジャマを着、ドライヤーで髪を乾かして。
 櫛で髪をとかしながら、だんだんと頭を勉強へと持っていく。お風呂のおかげか、入る前に比べて頭の中が整頓されている感じ。

 寒さ対策に、押入れから毛布を出した。ウサギの絵柄が入っていて、広げてもあたしの身体を覆いきれない程に小さい。小学校に入ったときに買ってもらったもので、大のお気に入りだったから――サイズが合わなくなった今でも捨てられずにいて、勉強時には下半身に掛けて使うようにしているのだった。
 それから、夜食代わりのミルクココア。糖分を摂取した方が頭に良いらしいく、ミルクは胃を保護してくれるから夜飲むのに向いている。
(家庭科で習ったんだよね)
 そういえば家庭科のテストも初日にあるけど、これなら大丈夫かな?
(とにかく数学、数学)
 教科書を開いて、昨日までに覚えた公式を使って問題を解いていく。
 簡単な計算式ならもう大丈夫。ケアレスミスにさえ気をつければ間違うことはない。
 それにしても、こんな公式、学校以外で何に使うんだろ――ってこんなこと考えたら駄目だと考え直しつつ、進めていく。
 問題は文章問題だった。読んでいるうちにわからなくなってしまう。
(応用力も必要だし……)
 どうしてもわからないときは、「適当でもいいから答えを書け」って先生は言うんだけど――。
 それも難しい。本当にわからない問題は、計算式が浮かばないもん。
 わかりそうでわからないのが、図形の問題。この立体はA〜Dのどの図を回転させた物でしょう、とか。最初は何となく「これかな」と思う物があるんだけど、じーっと見ているとどれが正解なのか悩んでしまう。形はどれも似ているし。
 ひどい時には、頭の中で図を回転させていくうちに、違うことを考え出したりして。
 数学もそうだけど、理科の計算式なんかは将来役に立つのかな、とか――。
『密度の公式=体積分の質量!』
 って学校で習えば、覚えるし、テストにも出るけど――将来どう使うんだろう?
 お母さんは「そんなの使わない」って言うし。社会の先生まで似たようなこと言っていたし。
(使うことがあれば、頭に入りやすそうなんだけど)
 エタノールの沸点なんて習っても、大体エタノールに関わることがないし……。家でエタノールを沸騰させるシチュエーションかぁ……どうすれば……。
(って、どんどん話がズレてきているような……)
 テスト前になると、どうでもいいことばかり考えてしまう。
 ミルクココアが冷めてしまった。

 カップを温めて部屋に戻ってからすぐ、お母さんが来た。
「ちょっと古いけど、こんなのが出てきたわよ」
 そう言って渡されたのは、タオルで巻かれた湯たんぽだった。
「勉強はかどってる?」
 う、と答えに詰まる。
「さ、さっきまでは順調だったんだけど……」
「こういうのはね、根詰めずに自然にやればいいのよ。思いつめると変な方向に行っちゃうんだからねぇ」
「――……そっかぁ」
 そう言われてみれば、そうだ。
 ミルクココアを飲んで、湯たんぽをちょっとだけ抱きしめてから、机に向かう。
 夜が深くなる前に、数学だけは終わらせておこう。




終。