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□■□■ 甘い甘い夜のために ■□■□
「んー……」
興信所の台所。
料理の本を眺めながら、小さく唸っている零の姿があった。
「んー、クリスマスケーキってお家でも作れちゃうんですね……でも、興信所だとオーブンなんて置いてないし……でも、買ったのだと甘すぎるってお兄さんブツブツ言うし……」
うーん。
買ったばかりのケーキの本から、はらりとチラシが落ちる。零はあら、と身体を屈ませてそれを拾った。よく挟んであるようなフルカラーのてかてかした紙ではないその質に、くっと首を傾げる。単色刷りのそれは、なんだか新聞に挟まっている特売のチラシを連想させる。
オレンジ色の用紙に黒い文字、そしてところどころに散りばめられた魔女の帽子や箒などのイラストはどこかハロウィンを髣髴とさせる。だが、そこにはハロウィンという文字はない。
『クリスマスケーキ講座
ケーキを作ろうにも道具が足りない、一人では不安があって…
そんな貴方のための教室です。
道具や材料は全て教室が用意、講師の先生もいるからもう安心!
大切な人へのケーキ、やっぱり自分の手で作りましょう?』
……これだ!(きらりーん)
「で、でも、一人で行くと……お兄さんに心配掛けちゃいますし、やっぱり不安……だ、誰か一緒にっ」
あわあわ、零が誰に頼もうかと考えていた所で、ちょうど興信所のドアが開く。
入ってきた人物は、零の『飼い主発見迷い犬』的な笑顔に、ときめきと共にたじろいだ。
……チラシの隅に描かれた蝙蝠のイラストがニヤリと微笑み、姿を消した。
■□■□■
「……率直に言っても良いかしら」
シュライン・エマは軽くこめかみを押さえながら、うーんうーんと言葉を選ぶ。なまじっか純真無垢のきらきらした瞳で見上げられているのが辛い所だ、どうすれば角の立たない言い方が出来るだろうか。だが、これは言わなければならないポイントだ。むしろ突っ込まなくてはならないポイントだ。
きょと、と小首を傾げる零の頭に、ぽんっと大きな掌が乗せられる。ディオシス・レストナードは苦笑して、ぽむぽむと零の頭を撫でた。
「まあ、怪しいと言やあ怪しさ満点だな。大体なんでこんな、あからさまに魔女ッ気があるチラシなんだかって感じだし――他人のセンスにとやかくは言えんが」
「で、でも、お兄さん達にケーキ焼いてみたいですっ。自分で作れば甘さなんかも調節出来ますし、色々工夫も出来るじゃありませんかっ」
「それは、そうなんだけれどね――でも正直、とってもとっても怪しいと思うのよ、零ちゃん」
「……ぇう」
「あーもー、別に良いじゃんよー!」
応接セットのテーブルに置いてある茶請け菓子を片っ端から制覇していた帯刀左京が面倒臭そうに声を漏らす。眼を細めて呆れたような視線を発してから、凹み掛けている零の頭をぺしぺしと叩いて見せた。本日の零、撫でられ日和。
「良いじゃんケーキ! 良いじゃん菓子! 最近妙に世間浮き足立ってると思ってたら、そんな御機嫌な行事があったんだろ? 楽しく混じりたいんだろ? それで良いじゃん、洋菓子美味いし」
「ところどころから食い気がはみ出てんぞ、お前」
「当たり前だ、洋菓子洋菓子ー。ケーキって甘いよな、美味いよな、食いたいよな、なー零っ! じゃ、一緒に行こうなー、つっても俺は手伝わねぇけど」
「保護者になんねぇだろうが! ったく……うちの居候のためにケーキ作ってやるのも良いか、受講料も無料らしいし。俺も行ってやるよ、零」
「ほ、ほんとですかっ!?」
「私も、行っちゃ駄目とは言ってないのだけれどね……ただ、コレだけは約束して。講座からの道具と材料は講座のみ、家では一般の市販の材料で武彦さんに作ってあげましょ?」
「はいっ、頑張りますっ!」
■□■□■
「はーいはいはいはーい、お集まり頂きありがとうございましたぁ……それでは、ケーキ講座、始めますよぉ〜」
…………。
怪しさ八十点。
合格ライン、おめでとう!!
「ど――どうする、ディオシスさん。ここまであからさまだとは思わなかったんだけど」
「い、いや、何か勘違いしたコスプレで、本当にただの料理人かもしれないだろ?」
「でも、でも怪しすぎるわよ、怪しいにも程があるわよ! だって、黒いローブを頭からすっぽりなんて、怪しんでください不信人物ですと言っているも同然じゃない!!」
「はぁいそこー、おしゃべりしなぁい〜!」
近所のビルの一室を借りたその講座には、零と同じように本に挟まれていたチラシを見たのだろう、十数名の参加者が集まっていた。あのチラシを見て何の疑問も抱かないツワモノがこの界隈にはこんなにも生息していたのか。零だけがボケボケしていたわけではないらしい、まさか何かの催眠術だろうか――が、様子を見てみれば、流石に講師の姿に全員が引いている。正気らしい。
……否、二人ほどまるで動じていないのもいるわけだが。
「おー、かっけー! 黒マント黒マント! クリスマスってあんな格好すんのか、赤い服来たやつばっかだと思ってたっ!」
「違いますよ、アレはエプロンですっ。汚れないようにしっかり身体を覆わないと駄目なんですね、ケーキ作りって本当に奥が深いみたいです……が、頑張って美味しいの作らないとっ」
「おう、作れ作れ! んでもって食わせろ!」
「上手に出来ないかもですよ?」
「だから、おしゃべりしないのぉ〜!」
「ぅおぁちゃあぁッ!?」
ばちばちばちっ!!
……雷落ちてますけれど!?
「はぁい、じゃあ今度こそ、始めますよぉ〜」
何事も無かったかのように間延びした声が響く、ディオシスとシュラインは深すぎる溜息を零した。小さく髪を焦がされた左京はぶちぶち文句を言いながら、壁際のパイプ椅子に腰掛ける。やる気ゼロ以下、マイナスゾーン。
……食いに来ただけなのかよ!!
「はぁいそこぉ、サボらない〜!」
「あぢぢぢぢっ!!」
強制参加らしいです。
■□■□■
講座自体は何事も無く、もとい一般的な様子で進んで行った。何か怪しい材料がある様子もなく、見た目には普通の食材ばかりが揃っている。指示も適当なものばかりで、講師の姿に引いていた参加者達も次第に慣れて来る。間延びした声のもと、ディオシスはぱたぱたと篩を叩いていた。
女性が大部分を占める中に、巨漢の彼は目立つ。だが、講師のインパクトもあるので、それは中和されてもいた。どんな相手が来ても自分のインパクトでいなしてしまうというのは、もしかしたら計算の内だったのかもしれない――用意されていた砂糖を半分だけボゥルに入れる。あまり甘すぎるのは好かない、まあ、居候たちの味覚は考えないで。
「あー、零、ちゃんと小麦粉は篩に掛けなきゃ駄目だぞ」
「は、はいっ」
「まんまで入れるとダマダマが出来ちまうからな、不味くなるぞ。あと、生地は練るな?」
「えっと、練っちゃうとどうなるんですか?」
「膨らまなくなって後で飾り付けとかが大変なんだよ。ぺったんこだと見た目も良くねぇしな。大事な人に作ってやりたいなら、ちょっとでも手ぇ抜いたら駄目だぞ」
「はい、頑張りますっ」
「……言ってる端から普通にドバドバ入れてんじゃねぇ!」
「えー、なんだよー、別に良いじゃん面倒くせぇ。食えれば良いんだって、つーか俺食う専門だしよ」
「だから不味くなるんだっつーの!」
「あーはいはい、お? なんかコレ、すっげー甘いニオイ」
「あ、バカ、それはッ」
「……にっがぁあぁあぁぁぁあ!!」
「バニラエッセンスだっての……」
「あぁそうだ零ちゃん、これが終わったらフライパンでスポンジ焼く方法も教えてあげるわね」
「え、出来るんですか? お料理の本ってみんな、オーブン使うって」
「フライパンって蓋をするとかなり温度が上がるからね、実は出来ちゃうのよ。面白いようだったら、また一緒に作ってみましょうね」
「はい、やりたいですっ!」
「その際は目分量厳禁だからね。きっちり計って、……あんな風にしちゃ駄目」
「だぁあぁあ!! 洋酒は少量って言ってるだろうがぁあぁ!!」
「ようは酒入れればいいんだろ酒ー!!」
「だからって生地が泳ぐほど入れてんじゃねぇえぇ!! お前は最終兵器を作るつもりか、オーブンを燃やすつもりか、お料理教室殺人事件をやりてぇのか!?」
「ただケーキが食いたいだけに決まってんだろ!!」
「だったらケーキを作れケーキを!!」
「はぁいそこ〜、もうちょっと静かにね〜?」
「みぎゃあぁぁッ!!」
ばちばちばちっ!
……非常にほのぼのとした風景です。
「生地を混ぜる時は、人肌ぐらいの湯煎に掛けてくださいねぇ〜? それから空気を含ませるように混ぜて下さい〜。お湯は熱すぎると卵が固まってしまいますから気をつけて〜、特にそこのお兄さん〜」
「ぅを、何か変な物体が!?」
「型にくっ付かないように、薄力粉とバターを混ぜたものを塗っておいて、オーブンに入れて下さい〜。火加減はちゃんと目盛りに従って下さいねぇ〜、強くしたからってすぐに焼き上がるというものじゃありませんから〜」
「……だとさ、左京」
「ぎくっ」
「はぁい、チョコ細工は〜、水あめとホワイトチョコを混ぜて下さい〜」
「ああ……なるほどね、こうすると型抜きの時に割れないんだわ。クッキー型なんかでも抜けちゃうから、色々な形が出来るのね」
「それと、溶かしたチョコを〜、冷やしたバットの上に刷毛で塗ってみて下さい〜? たっぷり刷毛に含ませなきゃ駄目ですよ〜」
「ほぉ……掠れ模様が出来るわけだ。包丁で剥がれるな」
「…………ぁむぁむ」
「片っ端から食ってんじゃねぇえぇ!!」
シュラインはふと、零の様子を見る。指示を真剣に聞いて、一生懸命な顔をしてチョコレートのプレートに文字を書いていた。
いつもいつも笑っている、それはそういう設定だからなのだと聞いたことがある。命令に忠実であるように、他人に対して好意を持たれ、命令行動に支障が出ないためにそういう設定を施されているのだと。それが今は、こんなに一生懸命な顔をしている――眉を寄せて、チョコレートと格闘をしている。
なんだかとても、心の中が暖かくさせられる。カスタードソースに溶かしたチョコを混ぜ込み裏漉ししながら、なんとなく、彼女は笑みを浮かべていた。
左京に激しく突っ込みを繰り返しながら、ディオシスも零の手元を眺めていた。ぷるぷると震える腕で必死に綴る文字がなんとも可愛らしい。けっして上手ではないけれど、こういう素人の手作りと言うのは、滅多に作らないだけに――込められている愛情が違うのかもしれない。
大切なひとのために。生憎自分はそういった感情ではないが、まあ――近いものもあるのかもしれない。居候達はないがしろにして良いものと思ってはいない、確かにしょっちゅう言い合いや突っ込みは繰り返すが、それでも、一応家族だと思っている。いや、婚約者だと頑なに主張するあの魔剣にはほんの少し閉口させられることもあるけれど。生クリームにカスタードチョコを混ぜ込みながら、彼もまた、ほんの少し笑みを浮かべる。
雷と突っ込みの嵐でチリチリと髪を所々焦がしている左京は、ぺろりとクリームを舐める。甘い。タダ単純に甘いだけだと思っていたが、様々の甘さが織り交ぜられてこういう味を生み出しているのだと思うと、少しだけ感慨深いものがあった。
昔は砂糖なんて高価なものだったし、必然甘味は高級品だった。茶屋で出される羊羹だって、ショートケーキより高かったと思う。だけどこの時代には随分と甘いものが溢れていて、色々な国の菓子を手に入れることが出来て。
たまにはこうやって作ったりするのも、楽しいかもしれない。自分で作ったものはあまり上手じゃないし、美味くないかもしれないし、何より時間も掛かって面倒だけれど――こうやっているのは、案外と楽しい。まだバニラエッセンスのダメージは舌に残っていて辛いけれど。
講師は、クスリと笑う。
真っ黒なローブに顔を隠されたまま、口元だけで。
楽しそうに、笑う。
「はぁい、スポンジの荒熱は取れましたか〜? それじゃあ、デコレーションは各自で行ってください〜……と、その前にぃ」
ローブの内側に手を突っ込んで、講師は――否、怪しさ満点の魔女は、掌サイズの瓶を取り出した。理科室にある遮光瓶のようなそれの中には、色とりどりの小さな粒がいっぱいに入っている。金平糖のようなそれは、しかし、ほのかに光を発していた。黒いローブを照らしている様子が、分かる。
「……こんな中途半端なところで白状するのもなんなのですがぁ〜、私は魔女なんですよ〜」
「…………なんて言うか、ここまでインパクトのない秘密の告白シーンって無いわよね。あからさまにバレバレだったし」
「言ってやるな、本人はきっと蝙蝠や杖を隠した時点で完璧なカムフラージュが出来てると思ってたんだ」
「そ、そんな! ま、魔女さんだったんですか!?」
「なにぃ!? くそ、俺のケーキをどうするつもりだーッ!?」
ああ、ボケ担当万歳。
「どうもしませんよぉ……私は、こうやって、皆さんの楽しい気持ちをちょこっと頂きたかっただけなんですから〜」
「楽しい――気持ち?」
「ケーキ講座は本物で、怪しい事はなぁんにも言ってません〜。その上で皆さんがこれを楽しんでくれた、その気持ちが欲しかったんです〜。私みたいな種類の魔女は、そういう気持ちを糧にしているんですよ〜」
くふふ、魔女は笑って見せる。
そして不意に瓶の蓋を開けた。
幾つかの粒が飛び出す、それが、生徒達の手元に落ちた。
シュラインの手にも。
ディオシスの手にも。
左京の手にも。
勿論、零の手にも。
「それは〜、皆さんの『楽しさ』の結晶です〜。それをクリームに溶かしたり、デコレーションに使ったりするとぉ〜、楽しさのお裾分けになるんですよ〜。大切な人に、楽しい気持ちをプレゼント……信じる信じないは勝手ですし、捨てちゃうのも勝手です〜」
淡い光を纏った可愛らしいそれを摘まんで、光に透かせて見る。
何故だか、心臓がドキドキした。
笑い出したいような、心地になった。
「デコレーションは各自の裁量なので〜、もう私が指導することはありません〜。終わったら洗い物をして、帰って下さいな〜? それでは――」
ばさり、広げられたローブの内側から無数の蝙蝠が飛び出す。彼女の身体を包みこみ、散らばり、そして――魔女の姿はどこにも、なくなった。
「I wish your Merry Christmas!!」
■□■□■
「……案外美味く出来た、かも」
「うん、あれだけやらかしたにしては中々美味しいと思うわよ左京さん。ところで――あれ、入れた?」
「うんにゃ、なんか勿体無くて」
草間興信所、応接セット。
ケーキの試食をしていた四人は、一番恐ろしそうなものから、ということで左京のケーキにフォークを刺していた。だがあれだけ突っ込まれたにしては、それは少し不恰好なだけの普通のケーキである。何だかんだ言ってディオシスがしっかり調整していたのか、それともこれこそが魔法によるものなのか。んー、とシュラインは考えて、諦める。美味しければ、まあどうでも良い。
「ディオシスさんはどうしたの、あれ。入れちゃった?」
「俺はむしろ警戒して入れなかったな。確かにふわふわ優しい感じじゃあったが、ちっとは怪しんでおいた方が良いだろうと思ったし」
「そうよねぇ、なんだか、……私は勿体無いと思った方かな。さ、零ちゃんのケーキはどうしよっか?」
「だ、駄目です!」
「そーだぞ、駄目だ!」
「なんで左京さんが止めちゃうわけ?」
「え、えっと」
左京は零に目配せする、その照れた顔を見て笑う。
彼は見ていた。
零があの金平糖のような結晶を、こっそりクリームに混ぜ込んでいたのを。
「零のは当日までのお楽しみなんだよなーっ?」
「あ、あぁう……」
「ふふ、まあ良いけれど――そうだ、興信所でのパーティの準備もしなくちゃね。二人とも、良かったら来てちょうだいな?」
「あー……妙な連れがいても良いなら、邪魔するかな。自分で料理作るのも面倒だしな」
「ん、俺もたかるぞ! そして食う! ケーキいっぱい用意しといてくれ!」
「それは無理だから」
さて。
楽しい気持ちのこもったクリスマスケーキ。
美味しいと、言ってもらえるかな。
興信所の冷蔵庫の中、白い箱に入れられたケーキ。
チョコレートのプレートには、つたないけれど優しい文字が躍っている。
少しぐらい甘くても、きっと、許してくれるだろう。
『お兄さん、いつもありがとう』
■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■
0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2349 / 帯刀左京 / 三四九歳 / 男性 / 付喪神
3737 / ディオシス・レストナード / 三四八歳 / 男性 / 雑貨『Dragonfly』店主
■□■□■ ライター戯言 ■□■□■
こんにちは、または初めまして。この度はご依頼頂きありがとうございました、ライターの哉色ですっ。クリスマス前設定にも関わらず納品が当日になりました、あわわ……サンプル作りが遅すぎるんだよ自分! すみません!
クリスマスと言うことでほのぼのとしたお話に纏めてみました。皆さんがご自分の結晶をどう使うのかはご想像にお任せ、ということで。楽しいクリスマスを過ごしていて下さればと思いますっ。
遅すぎるクリスマスものでしたが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。それでは失礼致しますっ。
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