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<東京怪談・PCゲームノベル>


The Christmas Song in Escher


 これで目の前に素敵な恋人の一人でもいれば最高なのに――、と思わずにはいられない。
 幸せそうに手を繋いだ彼ら恋人達の、寒さなど微塵も感じていないような笑顔を見せつけられては、己の不遇を嘆きたくなるのも無理からぬことだろう。
 店の中は温かい。でも心は寒い。
 橘夏樹は物憂げな目つきで、店の下の通りを往来する人々を見下ろした。クリスマスシーズンのためか、必然的に――カップル率が高い。
 で、店内に視線を戻してみれば、代わり映えのしない常連客の面々。
「この季節が来る度に、あんた達の顔が憎たらしくて仕方なくなってくるのよ」
 憮然とした顔で理不尽な文句をつける夏樹に、寺沢辰彦は笑顔で「その台詞そっくりそのままお返しします」と返した。辰彦は恋人いない歴イコール年齢の高校生だが、彰人さんに比べればマシだ、と密かに思っている。その彰人さんこと水上彰人は彼女もお金もないない尽くしの三十路手前である。本人は特に自分の境遇を気にしている風でもない。毎年恒例ないない尽くしのせいかもしれない。
「あんた達、クリスマスくらいどっか他所に行きなさいよ」
「どうせ夏樹さんも彰人さんも暇なんでしょー。他所ったって、この時期に単独で歩いていたらなんとなく負け組の気がしちゃいますし」
「だから、この時期にこの面子で集まってると、私がモテない女だと思われるのよ!」
「事実じゃないですか。……案外、僕か彰人さんのどっちかが夏樹さんの彼氏だと思われてんですかね? だから声をかけづらいとか」
「大迷惑ね」
「こっちも超迷惑です」
 ああだこうだ言い合っている二人に、水上が割って入る。
「クリスマスに集会をしちゃいけないっていう決まりでもあるの?」
「…………」
「…………」
 こうして、甲斐性なしの水上は、「あんたは黙ってなさい」「彰人さんは黙ってて下さい」などと怒られてしまうわけだが――それすらも毎年恒例。
 結局のところ、ジャズバーEscherは、クリスマスだろうが何だろうが変わらずに(自転車)操業しているのであった。
 そもそも店長が経営理念をうっちゃっているような店なので、今年もクリスマスはスルー、のはずだった。はずだったのだが、水上彰人の提案で一応クリスマスキャンペーン開催中などという文句が謳われている。おそらくは誰も見ないであろう雑居ビル一階の掲示板で。
 しかし目ざとい人間もいるものだ。例えばマリオン・バーガンディがそうだった。
 客足も途絶え、ライヴの予定もなく、暇最高潮の正午。そろそろ昼ご飯の支度でもしようかと夏樹がキッチンに立った頃に、かのマリオン・バーガンディはやって来た。
 暇を持て余していた三人は、一斉に、扉を潜ってぴょこんと顔を覗かせた思わぬ来訪者へ視線を向けた。注目を浴びて動じるでもなく、マリオンは頭を下げる。
「こんにちは」
「あら、マリオン君? ハロウィンぶりじゃない」
 マリオン・バーガンディを外見通りの年齢で捉えている夏樹は、気さくな口調で新たな客を迎えた。
 マリオンは、サンタクロースの如く白い布袋を背負い、左手にケーキと思しき箱を手にしている。
「クリスマスキャンペーンだと聞いたので、遊びに来ました」
「どこで聞いたの? 宣伝もしてないのに」
「もちろん主人からです」
「さっすが。総帥ったら情報通だなぁ」彼の主人と直接の知り合いである辰彦は、納得して頷く。「キャンペーンっていっても、ちょっとしたクリスマスメニューがあるだけだけどね」
「クリスマスの歌を歌ってくれるんでしょう?」
「え、私?」
 夏樹は自分の顔を指差した。
「夏樹さん、楽しい歌を歌われるって主人から聞いたので、とても楽しみにしてたんですよ」
「た、楽しい歌?」
「何を歌ったの? 夏樹君」
「……プッチーニのオペラ……だったと思うんだけど」水上の問いに、夏樹は自信なさげに答えた。「『ラ・ボエーム』の」
「ふうん。喜劇なの?」
「…………」
 事情を知っている辰彦だけが、腹を抱えて無言でカウンタを叩きまくっている。笑いを堪えて死にそうになっているらしい。
 そんな彼の反応を見、首を傾げる水上とマリオンであった。

    *

 というわけで、クリスマスである。
 ジャズシンガーが歌うクリスマス・ソングに混じって、賛美歌がバックグラウンドに流れる。蝋燭などの間接照明がささやかな飾りつけと相俟って、雰囲気は抜群だ。四人はマリオンが差し入れに持ってきたケーキを切り分けて、早速テーブルを囲んでいる。
「クリスマスは、キリストさんの聖誕祭だったかな?」
「欧米ではそうだろうね。日本だと……商戦?」
 水上は夢もロマンもへったくれもないコメントをする。
「間違いじゃないですよね。人口からいったら日本のキリスト教人口なんて極めて低いわけですし。恋人持ちは騙されてるんですよね、体のいい消費者ですよ」
「ひがみのように聞こえますよ、辰彦さん」
「どうせひがみだよ、悪かったな。そういうマリオンは、教会に行かなくていいわけ?」
「私はキリスト教徒じゃありませんもの。でもクリスマスの雰囲気は素敵だから、楽しめれば良いのです」マリオンはケーキを口へ運び、幸せそうに頬を緩ませた。「あ、そうそう。この袋にプレゼントが入ってるんですよ」
「気が利くじゃない。開けてもいい?」
 どうぞと言う前に袋の口を開け、
「……プレゼント?」
 夏樹はそこから出てきたものに首を捻った。
 古びた楽譜。松脂、チューナー、五線譜、その他楽器の修繕に用いる道具、エトセトラ。
「音楽グッズですよ」
「まあ、そうなんだけど……実用的というか、なんというか……」
「サンタの髭もあるので、着けて下さい」
「私が?」
「髭だから彰人さんに、是非」
「やっぱり僕なんだ……」
 十月のハロウィンパーティーで、マリオンに猫髭を描かれたのは他ならぬ水上である。抵抗する気にもなれず、マリオンに髭を装着されてしまったのは良いものの、接着がやたらと強力で剥がすのに苦労しそうだ。マリオンはご機嫌そうににこにこ、夏樹と辰彦は遠慮なく爆笑。おかげで即席サンタクロースは仏頂面だ。
「後は夏樹さんの歌を聴けばばっちりなのです」
 と、マリオンは顔の前で両手を組み、きらきら目を輝かせて夏樹を振り仰いだ。それこそ十字架に架けられたイエス様を拝むような形で。
「ああ、『楽しい歌』ね」
 含みのある口調で言ってから、数秒間沈黙。辰彦は堪え切れずに噴き出した。しかし夏樹が怖いので、声を出して笑うのは堪えている。
 ……つまり、彼女がマリオンの主人に頼み込まれて(というより有無を言わさぬ笑顔にノックアウトされて)、オペラ・アリアを歌唱したときのことを暗に仄めかしているのだが。
 歌を聴きたいという申し出を断り切れずに、なんやかんやととあるオーケストラのリハーサルに連れ込まれてしまった夏樹は、そこで自棄になって『ラ・ボエーム』のアリアを歌ったのであった。本来病弱なはずのヒロインが歌うはずのアリアを――、実に豪快に。
「あのときの悪夢が蘇ってきたわ……」
 夏樹は頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまう。
「本当に楽しみにしてたんですから。夏樹さん、とても綺麗な声をお持ちだっていうし」
「私、オペラの舞台には二度と立てないような気がする……」
「夏樹さんみたいに綺麗な方が舞台に立たないでどうするんですか。夏樹さんだったら『椿姫』のヒロインも『ラ・ボエーム』のヒロインもこなせると思いますよ!」
 マリオンの口から出た二タイトルを聞いて、辰彦はついに大声で笑い出した。
「うははははっ、両方ともヒロイン病死じゃん! 無理無理無理無理!」
「何よその笑い方は! 失礼ね!」
「病死のヒロインだと駄目なんですか?」と不思議そうな顔でマリオン。
「死に際のアリアが元気いっぱいじゃさすがにマズいでしょー!? ヒロイン生き返っちゃうよ!」
「元気いっぱい??」
 夏樹は無言で辰彦をどついた。どつかれてもまだ笑っている。
「悪かったわね、ド迫力アリアしか歌えなくて! わかったわよ、歌ってやろうじゃないの、覚悟しなさいよ!?」
 夏樹は開き直り、がたんと椅子を鳴らして立ち上がる。辰彦は目尻に涙を浮かべたまま、やめて下さい、逆に僕らが死にます、などと夏樹を制止する。
「なんか良くわかりませんけど、楽しそうですね」
 マリオンの発言は怖い物知らずだ。
「夏樹さーん、譲歩してせめてクリスマスの歌を歌って下さい。オペラはやめて下さい。切実に。ガラス割れますから」
「私、何か楽しい歌が良いですー」
「注文が多いわね、まったく。じゃあ彰人、なんかリクエストして」
「クリスマスの歌?」具体的にオペラがどういうものかわかっていないレベルの水上は、困惑した表情を浮かべて夏樹を見返す。「……きよしこの夜って、クリスマスの歌だっけ?」
「ああ、そうよね、彰人が知ってそうな曲なんてそんなもんよね。楽しい歌って曲調じゃないけど、まあいいわ」
 ピアニストがいないので、夏樹は自らピアノの前に腰を降ろした。適当に鍵盤を叩き、自分に合ったキーを探す。
「……そうね、これだけじゃ面白味がないから……マリオン君、三番歌える?」
「メロディは知ってます」
「うん、それでいいわ。それじゃ三番だけ歌って。辰彦も」
「良いですけど、なんで?」
「ディスカントやるから」
 宣言すると、夏樹は終わりの小節を前奏に弾き、歌い始めた。
 ジャズでもオペラ・アリアでもない、繊細な印象のする発声。あまり新鮮なもので、常連客の二人も思わずきょとんとしてしまう。
「わぁ、ほんとに綺麗な声だ」
 マリオンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 三番はディスカント部分。主旋律の上を母音で歌う高音部だ。ピアノを弾きながら危なげもなく歌う彼女の歌声に、マリオンはすっかり気分が高揚してしまう。
「凄いです! 主人の言った通りですね」
 短い曲を歌い終わった夏樹に、マリオンは素直な賞賛を送った。
「三番のディスカント、良いでしょ? 好きなのよね」
「もっと聴きたいです、リクエストしても良いですか?」
「マリオン君のリクエストなら受けつけたげる」
 見事にのせられている夏樹である。概して彼女も自信家なので、物凄いヘマをすることはあっても、誉められて悪い気はしないようだ。
 巷で流れているクリスマス・ソングをすべて制覇するかという勢いで次々と歌いこなし、なんだかんだとクリスマスのプライベートライヴに発展してしまったのであった。

    *

 陽が落ちてすっかり暗くなった頃、マリオンはライヴの礼を言ってEscherを後にした。
 クリスマスがすっかり世俗化してしまった東京は、救世主の誕生日とはまったく関係のないところで盛り上がりを見せているが、ともかくも楽しくてなんぼのお祝いである。
 耳に残ったクリスマス・ソングの軽快なメロディを口ずさみながら、知らず軽い足取りで家路を辿るマリオンであった。


fin.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■マリオン・バーガンディ
 整理番号:4164 性別:男 年齢:275歳 職業:元キュレーター・研究者・研究所所長

【NPC】

■橘 夏樹
 性別:女 年齢:21歳 職業:音大生

■寺沢 辰彦
 性別:男 年齢:18歳 職業:高校生

■水上 彰人
 性別:男 年齢:28歳 職業:予備校講師

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 またしてもすっかり遅くなってしまいまして、気づけばクリスマスから一ヶ月は経過しそうな勢い……申し訳ございません。
 今回作中で歌われている『きよしこの夜』は言わずもがな有名な賛美歌ですが、ディスカントパートは意外に知られていないのではないでしょうか。人声だと特に美しい旋律ですので、機会がありましたら聴いてみて下さいませ。
 それでは、今回はご参加ありがとうございました。