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『カプチーノ』
数藤クリニックに入院している患者のすべてが元気に退院してくれればそれはどんなに嬉しい事だろうか?
それは医療に携わる人間ならば誰でも想う事で、そのための努力は厭わないだろう。
彼女、数藤クリニックを経営する数藤恵那もそうだ。
そして彼女には常識では説明できない力があった。
魔眼(クレアボイアンス)。それはどんなものであろうと『視る』ことが出来る能力。
異常なまでに高いIQと頭の回転の速さを誇り、あらゆる事に理由付けしようとし、またそれに見合った豊富な知識を有する恵那。その彼女の頭脳を以ってしても理屈付けできない魔眼。故に恵那はそれを嫌っていた。
なのにその能力を使うのは偏に患者を救いたいがためであった。
不治の病、そんな言葉で片付けたくない。
原因がわかれば、そしたら救えるかもしれない彼女を。
翡翠色の瞳が蒼く変色する。
誰が見ても助からない状態。だけど――
しかし、見えたのは、
――病気の原因と、
――無慈悲な現実。
蒼から翡翠の色へと戻る瞳。
恵那を襲う頭痛と疲労感。
――そして虚無感と無力な自分への怒り。
頭痛に顔を歪めながら恵那は静かな彼女の寝息だけが闇に広がる病室から出て、廊下を院長室へと歩いていく。
「数藤先生。どうしたんですか? 顔色が真っ青ですが……」
廊下を歩く看護士が恵那を心配して駆け寄ってくるが、恵那は手で看護士を制し、院長室へと入って、ソファーに崩れこむように寝転がると、右手で顔を覆いながら指の隙間から天井を睨んだ。
そして、
「くそぉ」
と、叫んだ。
罵ったのは、無慈悲な現実と、
無力な自分。
彼女を苦しめる病気の原因はわかった。
見えた。
だけどそれは今の医療技術ではどうしようもできないモノであった。
こんな事は確かに初めてではない。
救える命と、
救えない命がある。
知ってる、わかっている、そんな事は。
だけどだからといってそれが納得できる訳では無いのだ。
恵那は顔から手をどかし、目をデスクに向ける。デスクトップパソコンの横に置かれた和紙で作った人形。
それに手を伸ばし、指の届かない場所にあるそれを見つめながら、恵那は下唇を噛んだ。
『へぇー、上手なものね。前に民芸品店で見た物とそっくりだわ』
『じゃあ、先生にこの娘をあげるわ。できたてのほやほやよ』
彼女は笑っていた。
とても嬉しそうに、幸せそうに、明るく。
だからこそその笑みを守れなかった恵那は、悔しかった。
現実を知った。
彼女は助からない。
不治の病。
それをどれだけ嘆いたって、どうにもならない。
自分に出来る事は、彼女を診て、少しでも長生きさせてあげる事。
こんこん、と病室の扉をノックする。
扉を開けるとベッドの上に彼女が、そして他にも五人の小さな子どもたちがいた。
「あら、皆。婦長が探していたわよ?」
明るく優しく恵那は子どもらに言う。
「うわ、恵那先生、婦長さん、怒ってるって本当?」
「ええ、本当よ。角が二本出てて、きぃー、って」
「「「「「ぎゃぁーーー」」」」」
子どもらは笑うような悲鳴をあげて、ベッドの上の彼女と恵那に手を振りながら病室を出て行く。
そして騒がしかった病室は子どもらが出て行った途端にしーんと静まり返った。
恵那はベッドの横に置かれた椅子の上のそれを手に取った。赤い折り紙で作ったサンタクロースに、それと靴下。
柔らかに両目を細めて恵那はそれを椅子の上に戻す。
「折り紙教室?」
「ええ。子どもらにせがまれまして」
「そう」
楽しそうに笑う彼女に恵那も微笑んだ。
「本当に上手ね。ああ、そうだ。毎年、クリスマスには入院患者の皆さんには私や看護士さん、それに事務の皆でグリーティングカードを作っているのだけど、今年のデザインはあなたにお願いできるかしら? かわいらしい折り紙で作った人形をカードに添えるのって素敵じゃない?」
「確かに先生。だったら、こんなのなんてどうですか?」
などと彼女は簡単にサンタクロースとトナカイの人形を作る。
恵那はぱちぱちと手を叩いた。
「かわいいわ。これ、採用決定。あとで皆にも作り方を教えてくれるかしら?」
「はい、先生。あ、でもバイト料は出ますか?」
「え、バイト料?」
彼女はくすっと笑う。
「ええ、バイト料にカプチーノをもらえますか?」
「カプチーノ?」
「はい。大好物なんです」
「了解。じゃあ、後で回診が終わったら持ってくるわ。ついでにお喋りをしましょう。あと、私にも折り紙教室を開いてくれるかしら?」
「はい」
彼女はとても楽しそうに頷いた。
そして恵那は病院の近くの喫茶店にカプチーノを頼み、テイクアウトされてきたそれを持って、彼女の病室を訪れた。
「はい、バイト料」
「ありがとうございます」
二人して顔を見合わせてくすりと笑いあう。
恵那と彼女は同じ27歳。
彼女は小学校の教師で、入院する前は小学校2年生のクラス担任をしていたそうだ。
ベッドの枕元にはクラスの子どもたちが寄せ書きした色紙が飾られていた。それだけでも彼女がどれだけ優しい優しい教師であったかを示していた。
――本当に現実という奴は………
彼女はカプチーノを啜って、「美味しい」と、本当に幸せそうに言った。
恵那は、その彼女の姿を見て、たまらなくなった。
自分は医者なのだから、しっかりしなければ、と心の中で叫んだ。
でも、だけどたまらなかったのだ。
カプチーノを一口啜って、笑いあったその瞬間に、自分たちは普通に出会っていればとても良い友達同士になれていたのに、と、想ってしまったから。それがわかったから。
彼女がとても綺麗に微笑んでいたから。
自分の中に住まう現代の医学ではどうしようもできない病気に気付きながらも彼女は笑っている……。
「怖くないの、死ぬのが?」
気付けば無意識に恵那は彼女の浮かべる本当にとても綺麗な笑顔を見つめながら言っていた。
彼女はカプチーノが入ったカップを両手で持ちながらわずかに小首を傾げて、笑みを深くする。
「死ぬ覚悟はできているから」
真っ直ぐに恵那は彼女を見詰めた。その視線を真摯に受け止めて彼女は口を開く。
「自分の体の事は自分が一番わかります。私はもう、先は長くない。そうでしょう?」
彼女は穏やかに微笑みながら言う。
恵那は頷いた。
「ええ。あなたは不治の病よ」
「そう」
彼女はカプチーノを飲み干す。
「カプチーノ、飲めて良かった。それだけで私は今日という日々を嬉しく思える。本当に今日は素敵な日だわ。子どもたちに折り紙を教える事ができて、先生とカプチーノを飲みながらこうやってお喋りできて。本当にそれだけでも私は幸せだって。今日があって良かった、って」
そして彼女はカップを置いて、恵那の手を握った。
「先は長くない。だったら私は悲しむ暇があるなら、今ある一日一日を精一杯生きたい」
彼女は恵那の手を両手で握り締めながら恵那に微笑む。
「先生。ただ長く生きるのではなく、どれだけいい人生を送るかが大事なんじゃないかしら?」
恵那ははっと口を大きく開けた。
そして彼女は、
強く生きる彼女は、
その想いを一言に込めて言った。
「日々よ、嬉しくあれ」
と。
日々よ、嬉しくあれ―――
彼女はそれを最後まで言い続けた。
言い続けながら、そのように生きて、
そして亡くなった。
彼女の病は現代の医学ではどうしようもできない病気だった。
なのに彼女はとても綺麗な、もう思い残すことは無い、というような顔で逝った。
それはクリスマスの朝だった。
入院患者たちが彼女がデザインしたグリーティングカードにとても喜ぶ声が院内に響く、雪が降る、とても綺麗な朝の事だった。
溶け残った雪を避けながら歩いていた喪服に身を包んだ恵那は目的地である喫茶店を見つけた。
白い息を吐きながら彼女は小さく微笑む。
「あそこでいいのよね」
そして恵那は店に入り、
「いらっしゃいませ。こちらがメニューになります」
メニューと水、おしぼりを持ってきたウェイトレスに、恵那はメニューを見る事無く、
「カプチーノを」
と、注文する。
そして水を一口飲んで、おしぼりで手を拭いて、店内を見回す。
店内にはたくさんの和紙で作った人形たちが飾られていた。とても綺麗に。
『先生。ここのカプチーノも美味しいけど、私の馴染みのお店…大学生の時にバイトをしていた喫茶店のカプチーノも美味しいのよ』
「お待たせしました。カプチーノです」
「ありがとう」
そして恵那はカプチーノを一口啜る。
それは本当にとても美味しかった。
何時もよりも。
そうして彼女はカップから口を放して、ほぉーっと息を吐く。
日々よ、嬉しくあれ――
『先生、美味しいでしょう?』
日々よ、嬉しくあれ、それを思い起こし、ああ、そういう事かと、恵那はくすりと微笑んで、また彼女が大好きだったカプチーノを啜った。
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、数藤恵那さま。
はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。^^
優しくカッコ良いお医者様である恵那さんを書けまして、本当に楽しく嬉しかったです。
プレイングも本当にとても切なく、だけど日々を一生懸命に生きようとする患者さんの想いに感動しました。
恵那さんの想いや行動もとても素敵に想えました。
本当にまたものすごく恵那さんを書いてみたいです。^^
PLさまのプレイングに込められた想いを少しでも上手く文章として表す事ができていましたら、幸いです。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
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