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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


取り残されて

 それは寒い朝だった。まだ早朝に近い。
「義兄さん、コーヒーです」
「ああ、ありがとう」
 零から受け取ったカップからは湯気が立ち上っている。
「今日も寒くなりそうだな」
「そうですね、もう冬ですし」
 義妹の些か散文的な返答に草間はああと頷きを返した。
 静かな朝だった――そう、たった今までは。
 心地良い静寂を破ったのは車の急ブレーキの音。一瞬事故かとも思うが今にもエンストでも起こしそうな音は続いていた。さらにドアを乱暴に開く音もする。
「なんだ?」
「さあ。どうやらうちの前のようですけれど……」
 どちらともなく二人は窓越しに道路を見下ろした。
 青い軽自動車一台。それも型式の古い小さな車だ。
「あの手の車は後部座席がかなり狭いんだよなあ」
 懐かしむように草間が呟く。あ、と零が言葉を漏らした。
「4人乗ってらっしゃったんですね。男性と女性が二人づつです」
 草間はそりゃ定員オーバーに近い、さぞかし狭かっただろうと言いかけた。言葉が止まったのは大学生らしい4人が口々に言った言葉のためだ。
「ここだ、ここ! 先輩の言ってた怪奇探偵!」
「急ぐぞ! 早くあそこに戻らなけりゃあいつが」
「そうよ、早く助けてあげないと」
「あー、これじゃ通行の邪魔になっちゃう。皆先に行ってて!」
 車道を大きく侵食する停め方に女性が1人車へと戻った。残りの3人はばたばたとこのビルに入ってくる。
「……零、コーヒー四人分追加だ」
 はいと頷いて台所へ向かう零を見送りながら草間は自分のデスクに置いた灰皿と煙草を応接セットに移動させる。怪奇探偵は甚だ不本意だがどうやら何か差し迫っているらしい。
「すいません! 助けて欲しいんです!」
 息せき切った三人に向かって草間は黙って応接セットを示した。
「とりあえず、そこにどうぞ。詳しく話を聞きますから」
 すぐにコーヒーも来ますからまずは落ち着いて。
 そう言われて三人はとりあえずは大人しく応接セットに座る。顔を見合わせると頷きあい、眼鏡をかけた青年がまず口を開いた。
「僕は風見悟。こっちが向坂純、で、香山さつき。後今下で車を停めてる小森都子が一緒に来てます。友達が閉じ込められたんです、助けてください」
「閉じ込められたって一体どこに?」
「N病院です。T市にあるですが何年か前に火事にあって閉鎖したって噂の場所で、だから出るって評判なんです」
 火事で燃えてしまった病院。そこに出るというなら一つしかない。
そしてそうなれば目的も一つだ。しかし何も冬にやらなくても良さそうなものだ。
「罰ゲームで昨日行ったんですが、まさかあんな事になるなんて」
「その、そこの病院ホントに出たんです。出たっていうか病院自体が変で……火事になって患者に追いかけられて」
 青くなった風見の言葉を引き取って続けた香山もまた押し黙る。そもそも廃病院に患者などいる筈もない。つまりそれらが全て心霊現象という事だろう。
「俺らパニックになっちまって、それであいつがいなかったらきっと逃げ出せなかったと思うんス。でも、そのせいであいつは出て来れなくて。出てきてから先輩に電話かけてここの事聞いて直行してきました。その……よろしくお願いします」
 その声にあわせて他の二人も頭を下げる。彼らの真剣な様子に草間は静かに頷いた。
「判りました。人を集めますから少し待ってください」
 詳しい話はそれからにしましょう。そう言った草間に三人はもう一度深く頭を下げた。

□五人目の名前
 シュライン・エマは客用の湯のみにいれた湯を捨てながらドアを少しだけ開けておけばよかったかしらと少し後悔した。カーディガンだけでは少し寒い。窓から見える空は今にも振り出しそうな重たい雲に埋めつくされていた。
かちゃりとドアが控えめな音をたてる。
「すいません。私がやりますから」
「大丈夫、もうすぐ終る所だから。でも、そうね、持って行くの手伝ってもらえる?」
 素直に頷いた零にエマは声を少し潜めた。
「ねえ、あそこにいる四人。その……霊が憑いていたりとかそういう事はないかしら?」
「え? いいえ、そんな様子はまったく」
 首を振る零にエマはそれならいいのと答えた。まだ不審そうな様子に言葉を加える。
「車の型式があんまり古いから、つい、ね」
 車が新車だった頃の霊ではあるまいかと少しだけ気になっていたのだ。
草間が灰皿を片手に顔を覗かせた。エマの言葉を聞いたのか不思議そうな顔をする。
「古い? 何が?」
「依頼人の車が。武彦さん、いつも思うんだけど、ここまで積み上げててどうやって灰を落してるの?」
 ついでに吸殻を落とさずに持ってくるコツも聞いてみたいと思いながら、新しい灰皿を渡す。
「ああ。安く上がるからじゃないか? 俺の友達も昔やっていたよ。古すぎる車は人気がなくて安いからな。車検が来る都度乗り換えれば車検代より安くつく」
「成程ね。あ、ついでに自分の分を持って行って」
 言われて草間はモスグリーンのマグカップを手にとった。女性二人が彼の後に続いて客人の元へと向かう。
 真迫奏子(まさこ・そうこ)は依頼人が書いた病院の見取図に矢印を書き加えた。矢印は病院の中から外へひかれていた。
「それで誰が最後にその人と別れた訳?」
「私です」
 小森が手を上げる。真迫は頷いて小森を見る。
「そう。彼とはどこで別れたの? あ、名前まだ聞いてなかったわね」
「え? 小森です」
「あなたの名前じゃなくて病院にいる人のよ」
 真迫はやや呆れた視線を小森に向けた。すぐに返答が来るかと思いきや沈黙が落ちる。
「どうかしたの?」
「いえ、大した事じゃ……名前、ですね。えーっと狩生隆俊です。背は俺と大して変わらないから170ちょっとで割と痩せ型で」
 特徴を話し出した風見に真迫がストップをかける。
「写真とかないの? 写メールとかでも良いんだけど」
 四人が顔を見合わせた。
「……小森、証拠写真撮らなかったっけ?」
「え、あ、あれ? えーっとその、暗すぎて何も写ってなかったの」
 困ったように言う女性に真迫は呆れた視線を向ける。フラッシュを何故使わなかったのだろう。
「写真がないなら、ついてきてもらった方が早いようね。草間さん、車出してくれるんでしょう?」
 真迫が問い掛けると草間が頷いた。背後にいる零に目を向ける。
「零、留守番を頼む」
 はいと答えた零が真迫に湯のみを渡す。一口飲んでのどを潤すと真迫はエマに書き込んだ紙を渡した。
「続きお願いします。残りの二人がやってくるまで電話借りて良いかしら?」
 お客の中に数人医者の心当たりがあった。訊ねれば何か判るかもしれない。流石に何があるか判らない場所にいきなり踏み込むような無茶をする気にはなれなかった。
「二人ならもう来てるみたいよ」
 年若い友人達の足音が先程からエマの耳には届いていたのだ。
「ちょっとぉっ! これじゃ遅刻じゃない!」
 階段を駆け上がりながらの抗議に瀬水月隼(せみづき・はやぶさ)は呆れた。お門違いの文句をどうして堂々と言えるのだろう。
「道路工事は俺のせいじゃねーだろ」
「そりゃそうだケド、あー、もう、電車にすればよかった!」
 恋人のもっともな反論に朧月桜夜(おぼろつき・さくや)は言葉を返し、足を止めずに勢い良く興信所のドアを開ける。安普請なんだからもう少し丁寧にしろと草間が口の中で呟いたのに気付き、エマは小さく笑った。
「朧月桜夜以下一名、到着しましたっ」
「……俺は以下一名かよ」
「いらっしゃい、二人ともどこから走ってきたの?」
「そこのバス亭から」
 黙殺されて苦情を言おうとした瀬水月が朧月を見下ろして黙り込んだ。朧月の依頼人を眺める目が冷たい。
「さて、貴方達。専門家から言わせて貰うとね、罰ゲームだかなんだか知らないけど、病院みたいな実際に人死があったトコに遊び半分で踏み込むもんじゃないわよ?」
 肩にかかった髪を鬱陶しそうに払いながら年若い陰陽師は四人を見据えた。ゆっくりと見回すと香山に目を留める。
「……あの?」
「そこの貴方みたいに『何か』拾って来ちゃうコトもあるしね」
 エマは思わず零を振り返った。追加を持ってきた零は静かに首を横に振る。――という事は。朧月の言葉は一体どういう意味なのだろう。
一方突然そんな事を言われた香山は助けを求めるように真迫を見た。真迫はゆっくりと足を組替えてから肩を小さく竦めて口を開く。
「憑かれてるんなら祓わないとまずくない? 写真で確認出来ない以上ついてきてもらわなきゃ行けないし、そのまま放っておく訳にもいかないじゃない?」
「それ、確認しなくていいなら祓わなくて良いように聞こえるんだけど」
 エマの言葉に真迫はそう聞こえたかしらと笑った。その二人の視線がそのまま朧月に向かう。視線を受けて彼女はため息をついて肩の力を抜いた。
「嘘よ。運が良かったわね、そんな冒涜やっといて無傷だなんて」
 朧月の様子を見て瀬水月が肩を竦めた。彼女が依頼人達の無神経な行動に少なからず立腹していたのを彼は知っていた。もう繰り返すなという彼女なりの忠告なのだろうと思う。似たような結論に辿り着いたエマが取り成すように声をかける。
「確かに不用意に踏み込んでしまったけれど、だからって閉じ込められたままにしておく訳には行かないわね」
 そう、やった事は褒められる事ではない。けれども放っておく訳にもいかないのだ。
「そうね。ま、腹立ちも判らなくはないけど。その辺はもう繰り返さないって辺りで妥協しましょ」
 女性三人の視線が依頼人に集中する。不用意に入ったのがまず悪いと漸く気付いたのか四人は神妙に頷いた。その様子に朧月が漸くにっこりと微笑む。
「大丈夫よ、アタシ達がいるからにはお友達も無事に決まってるンだしね」
 大船に乗った気でいなさいという桜夜の言葉に真迫が大きく頷き、エマは笑みを浮かべた。
 頼り甲斐がとてもありそうな女性達を眺めながら瀬水月は零が持ってきた茶を受け取る。あまり熱くなかったのでそのまま一息に飲み干した。そのままぽつりと呟く。
「つえーよ、あんたら」
 心の底からの言葉に草間だけがひっそりと頷いた。


□推測
「そういえば火事で閉鎖された病院って事は患者の幽霊なのかしらね」
 真迫の言葉にエマが頷いた。手元の紙には6階建の病院の見取図がある。
「見る限り病室が沢山あるみたいだし、当然、入院患者がいたって事になると思うわ」
「それって、逃げ遅れたって事よね。なら、患者ばかりってコトもないわよね」
「病人ほっぽり出して看護婦が我先に逃げてたら問題あるだろ」
 朧月の言葉に瀬水月が肩を竦める。エマが後はと指を折った。
「見舞い客もありそうね。それにしても、何年前に起こった事件か判らないのは調べ辛いわ」
「あの……」
 小森が声をかけた。心なしか顔色が青い。
「逃げ遅れて死んじゃった人はどうなるんですか? ……その、幽霊になった人とかってどういう感じになるんでしょうか?」
「様々、ね。同じ経験をしても皆同じになる訳じゃないでしょう? それと同じよ」
 エマの言葉に小森はただ頷く。参考にならないと思ったのかもしれないが、実際そうとしか言えなかった。朧月はエマの言葉に付け加えるように口を挟んだ。
「良い幽霊も悪い幽霊もいるわよ。まあ、ずっと現世でさ迷い続けるのが良い事とはアタシには思えないンだケドね」
「つまり、心残りがあって残ってるって事だものね。ね、ちょっと聞きたいんだけど、全員狩生さんに見つけてもらって外に連れ出して貰ったって行ったわね、皆同じ場所で別れたの? 最後の一人の時にわざわざ引き返す理由がないと思うんだけど。何か落ちてきたとか?」
 真迫に訊ねられて風見が口を開く。
「俺達の時はまだ残ってる奴がいるからってロビーのとこで別れたんです。小森は? 運転してたから大して話聞けなかったんだよな」
「……その、ロビーの所に来た時に、足音が聞こえてきて狩生くんが先に行けって」
「言う通りに外に出て待ってても出てこなかったのね。ロビーから引き換えしたなら階段を上ったと考えるのが妥当ね」
 たどたどしい小森の言葉にエマが頷く。エマの手元の見取図を覗いた朧月も下手に知らない部屋に入り込むよりはありそうねと呟いた。
 大体一通りの話を聞き終えたと判断して瀬水月が立ち上がった。
「どうしたの?」
「ちとアテがあるんで行って来る。調べた後でそっちに向かうから」
 エマは少年の言葉に頷いた。瀬水月はエマと真迫を片手で拝む。
「悪ィけど、その跳ねッ返りの適度なブレーキ頼むな。面倒かけちまうがヨロシク」
 そのまま返事も待たずにドアからそそくさと出て行った瀬水月の首筋が赤かった。気付いているのかいないのか朧月が唇を尖らせる。
「何よォ、ブレーキって」
「あら、優しいじゃない、彼氏」
 真迫に楽しげに言われ、だからブレーキっていうのがと少女は繰り返す。
「危険そうだと思うから判っていても心配なんじゃない? そろそろ武彦さんが下につく頃ね。行きましょう。零ちゃん、後はお願いね」
 時計を確認し立ち上がったエマの促しにそれぞれが荷物を持って立ち上がった。


■呼吸
 曇天の空は地上に明るさを沢山は運びはしない。ましてや屋内。しかも窓以外の光源がない場所では見通しが良い筈もなく、注意しなければ足元を見誤るほど暗い。
 念の為と持ち込んだ懐中電灯を頼りに階段を上るとその先にほのかな明かりが見えた。それはゆっくりと近付いて来る。
 室内用のスリッパの片方はどこで落としたというのだろう。
 パジャマは煤けて、ボーダーの柄の元の色も判らない。
 右足を補助する松葉杖は下の方が炭と化していた。
 ――それは人の姿をしていた。
「いやぁぁぁっ」
 悲鳴がパニックを加速する。しかし、逃れようと振り返ると近付いて来る影がある。看護婦の姿をしていた。
「落ち着いて!」
 エマの声が彼らに聞こえている様子はない。恐慌状態の彼らは誰もいない場所を目指して駆け出した。階段を上る足音が響く。
「待ちなさい!」
 咄嗟に叫んで真迫は駆け出した。
「ここはアタシに任せてっ! ひきつけとくからお願い!」
「判った。四階にロビーがあった筈だからそこで」
 消えた影を追ってエマは階段を駆け上がる。
 一つ階をあがってエマは深く息を吸った。心を落ち着けて耳をすます。
 世界は沢山の音に満ちている。それは決して綺麗な音だけではないけれども。それもまた世界の姿だ。
 風の音。どこかのクラクション。発進する車のエンジン。誰かの声。呼吸や鼓動。聞こえる音全てを真面目に捉えていては神経がもたない。必要のない音は意識から外していく。
 常に全力で聞いている必要はないのだから。
 いらない音を外し、範囲を狭めていくと奇妙な事に気がついた。――音が、足りない。
 近くの心音を8つだ。それもどれも見知ったリズムだ。知らない音がない。
 しかし、もしも狩生が逃げ出しているのなら連絡の一つもないのはおかしい。――一瞬嫌な予感がよぎった。
「うわああぁっ!」
「向坂さん!」
 唐突に上がった悲鳴にエマは駆け出した。すぐ先の角を曲がると向坂の姿があった。その奥には車椅子の老婦人。
「こっちよ!」
 音もなく車椅子を動かす婦人を置き去りに走り階段を上がる。とりあえず、手近な部屋に潜み息を殺す。怯えて今にも声をあげそうな向坂の口を塞いでいると足音が近付いてくる。
「狩生くん、そんな事言わないで。皆心配してたんだよ」
 香山の声だ。しかし狩生の返答は聞こえない。
「……判ってる。さっき気が付いたの。でも、狩生くん放っておくなんて出来ないよ」
 何に気が付いたというのだろう。眉を寄せたエマの手を向坂の手が押し戻す。
「狩生、いるのか!?」
 ドアの向こうに飛び出した交差化を追おうと立ち上がると向坂の向こうから香山と青年が現れる――心音は聞こえない。つまり生きた人間ではない。
「……どういう、事なの? あなた、一体……」
 問い掛けるエマに狩生が微笑んだ。少し申し訳なさそうに口を開く。
「僕は狩生隆俊、ここに勤めていた作業療法士です」


□狩生隆俊
「ああ、もうっ!」
 集めた霊達の数はゆうに十人を超えていた。ひたすらに手を伸ばしてくるだけではあるのだが、触られる訳にも行かず朧月は避ける一方だ。結界でも敷けばいいのだろうが、他の面々と合流した際にそっちに集中しそうでそれも憚られる。
 鬱陶しい。申し訳ないがそれが本音に近い。しかし、ただ外に出たくて――つまりは成仏したくて――縋ってくる霊達を攻撃する気にはなれない。結果ひたすら避ける事になるのだが、それはそれで体力を消耗する。何せ一対十以上なのだから、緩慢な動きでも侮れない。
「桜夜!」
 駆け上がってくる聞き慣れた声に少女は振り返った。
「隼! 遅いじゃないっ」
「バカ、後!」
 階段を三段飛ばして駆け上がり瀬水月は細い腕を引っ張った。背後に庇いながら迫ってくる手を振り払おうと身を乗り出す。
「触っちゃダメ!」
 朧月の手が彼の腕を引く。思わぬ力にバランスを崩しかけたが、手を伸ばした白衣の霊には触れずにすんだ。
「この状況で隼に憑かれちゃったらアタシが困るのよ! 彼らに触らないで。ついでに暴力も振るわない!」
「お前それ俺にどうしろって。……火事の死亡者の中に狩生隆俊ってヤツがいたぜ」
 ひたすら避けるかと腹を括りつつ背後に告げる。庇われた少女は庇われたままでいるつもりはないらしく、彼の横に並んだ。
「ここの霊達ってさ、ただここから逃げたいだけなのよ。どうしていいのか判らなくてここに来た連中にとり憑こうとしてて……それなのに草間さんトコに来た人達って誰も憑かれてなかった」
 これって変よね、朧月の言葉に瀬水月は頷く。周囲に目を配る少年に告げる事で考えをまとめようと朧月は言葉を続けた。
「死者だとしたら、彼はとり憑くつもりがないってコトになって、しかも迷い込んだ人を助けてるコトになる。でもだとしたら、どうして一緒に来たコトになってンのかしら」
「ンなこたぁ、本人に聞けよ」
 今度は言葉が返ってきた。些か乱暴な提案に朧月はそれでも頷く。
「そだね。隼、ちょっと時間を稼いで!」
「……どうやってだ?」
 朧月は呪を唱え、瀬水月の腕に触れる。
「こうやって。それで彼らに触れるから丁寧に対応してね。皆と合流するわよ」
 同じ頃合流を決意したのは真迫だった。
 階段の踊り場で蹲る風見の周囲の霊が大人しくしていたのは僅かな時間だった。真迫とその背に庇われた小森に気付くとよろよろと近寄ってくる。
「風見くんにとり憑いてるのは降りて来ないのね。……降りられないってのは嘘じゃない訳か。広い場所で囲まれるのは勘弁して欲しいわね」
 ではどうするのか、狭い場所の方が有利だと判断すると真迫は踵を返した。病室らしき場所に入ると小森が抗議の声をあげる。
「ここじゃ逃げ場がないわ」
「下からも来てたわよ。ここ、他に階段がない以上いつ囲まれるかの違いだけじゃない」
 それなら有利な場所を選びたい。しかしその試みはあまり成功してはいなかった。霊達に壁は障害ではなかったらしい。年老いた男の手が壁をすり抜けて伸びてきた。
「やぁねぇ、壁なんだから遠慮して突き抜けるのやめなさいよ」
 現状とはかけ離れたのんびりした口調で言うと、軽く手を叩く。痛かったのか手が壁に戻っていく。え、と声をあげた小森に振り向かないまま真迫は言い聞かせた。
「貴方は触っちゃ駄目よ。とり憑かれるかもしれないから。……あら、一人増えた」
 三人だとばかり思っていたら、さらに一人がどこからともなく現れていた。これは困ったと半ば他人事のように考える。
 敵四人。とり憑かれてるの一人。足手まといも一人で戦力も一人。
 言うまでもなく不利だ。すぐに困らなくてもいずれ疲れるのだから。援軍を連れて来ねばなるまい。それに祓うならば陰陽師の力がいる。彼女は階下にいる筈だ。
「四階ロビーに参りますか。行くわよ!」
 小森の手を握ると真迫は駆け出した。行く手を遮るように伸ばした手は容赦なく振り払う。こけない程度に足を緩めながら階段を駆け下りると小森が叫んだ。
「真迫さん、風見くんが!」
「出られないならとりあえず問題ないでしょ。彼にとり憑いたのを何とかする方が先。下にいる朧月さんなら何とか出来ると思うわ」
「とり憑いた? 風見さんがとり憑かれているの?」
 階下から響く足音と声に驚き真迫は手すりから身を乗り出した。エマと一緒に向坂、香山、そして狩生であろう姿がある。どういう訳か追ってきた霊達は彼らの姿を大人しく眺めていた。
「そう、上の方で蹲ってるのよ。どうにかしないと。……ところでその人は?」
「狩生さんよ。私達の探していた相手で、そしてここの火事で亡くなった一人。狩生さん、どこへ行くの?」
「風見くんを連れて来ます」
 エマの言葉に狩生は会釈すると上へと向かう。その姿を見送って真迫はエマを見た。
「どういう事なの? 一緒に来た友人がって言ってたわよね」
「狩生さんがそう信じさせたんですって。流石にこの状況で見知らぬ他人を信じられないだろうから。ずっと信じさせるつもりはなかったみたいよ」
「見知らぬ幽霊が出てきたら尚更信じられないでしょうね。つまり外に出てからも暗示が続いていたって訳ね。……まあ、気付いてる人もいたみたいだけど」
 ちらりと横にいる小森を見ると、彼女は縮こまった。エマはその様子を目に留め頷く。足音に背後を振り返ると朧月と瀬水月が階段を上ってくる所だった。
「ちょっとぉ、話聞こえてたんだケド、最初からそれならそうと言ってよ。対応の仕方とか随分違うンだからね!」
「……まーあれだよな、ハナっから幽霊助けてくれってんじゃ流石にアレだろ」
 瀬水月の言葉に真迫が頷く。
「間違いなく驚くわね」
 でも怪奇探偵だけに依頼は受けていた可能性もなくはない。
「狩生さんも驚いてたわ、十年位ここにいたらしいけど、戻ってきたのは初めてだって」
 しかも、助けを連れて。エマの言葉に瀬水月がため息をついた。
「……十年間も人が立ち入る度に連れ出してたのか」
 霊にどの程度時間間隔があるのかは知らないが、彼にとって十年はとても長い期間に思えた。
「もう終らせてあげなきゃね。このままにしておくなんて出来ない」
「そうね。……出られないのは避難誘導がうまくされていなかったかららしいわ。自主的に出たがっているのだから彼らの意思を尊重してあげたいの」
 避難誘導という言葉を聞いて瀬水月が視線をそらした。真迫は考えるように腕を組んで指先で腕を何度か叩いた。
「うまく避難できたって思わせられれば良いんじゃないかしらねえ」
「今度はきちんと避難できるように手伝うって事ね。うん、それで行きましょう」
 エマの号令に一同が頷いた。


□取り残されて
 韻を踏む、不思議な言葉が陰陽師の唇から漏れる。避難路となる階段にエマが神酒を振り撒いた。少しづつ安全な道が作られていく。
 最上階に辿り着くとエマは大きく息を吸い込んだ。
 ジリィィィィィィィ
 その唇から音が響く――非常ベルが病院中に鳴り響いた。
 十年前に行われる筈だった光景が漸く始まった。
 看護婦が支え、或いは自力で。患者達が避難を開始する。ゆっくりと移動し始めた霊達を瀬水月は静かに見つめていた。
「ほら、黙って見てないで、手伝うわよ!」
 朧月が一時的に霊体に触れるように術をかける。
 見れば、真迫は既に車椅子の老婆を持ち上げていた。
「どんな腕力なんだ……」
「ほら、そっち持って!」
 思わず呟いた少年に声がかかる。ベッドごと移動してきた少年の傍らに朧月の姿があった。素直に近寄るとベッドを二人で抱え上げる。
「……重くねー。っつーか軽い」
「生前のまんまの重量がなくて助かったわね」
「だな。ベッドは置いて背負った方が早い」
 二人の会話を聞きながらエマは松葉杖をついた男性に手を貸した。申し訳なさそうな顔を男性はする。
 そうやって長い階段を何度か往復しながら、全ての霊が漸く1階まで辿り着いた。開かれているドアに向かって彼らはゆっくりと歩いていく。
ドアをくぐる前に一瞬躊躇しつつ、それでも彼らは外に歩み出た。いつの間にか晴れていた空が彼らを明るく照らす。
 ――やっとここから出られた……
 消えていく霊達の声がそう告げた。
 全員が消えるのを見守った狩生は深く頭を下げる。
「ありがとうございました。皆さんが来てくれなかったら、きっとずっと僕達はここにいたでしょう」
 そして狩生は彼を探しに来てくれた友人を振り返る。
「ありがとう、もう一度来てくれるなんて思わなかった」
「……行っちまうのか?」
 風見がそう問い掛ける。行くなと言いたげな声音に朧月が彼の肩を叩いた。
「このままの方が彼には辛いコトなのよ」
「そうよ、友達なら笑顔で送ってあげなさいな」
 真迫の言葉にエマが頷く。
「元気でねっていうのも変ね……今までご苦労様、気を付けて」
 泣きそうな顔をした友人達はまたな、忘れないよと声をかける。全員に見送られて狩生がドアをくぐる。
「ありがとう」
 振り返ると狩生は笑みを浮かべて深く頭を下げた。次第にその姿が消えていく。見えなくなるその時まで彼は深く頭を下げていた。
「……設計ミスの可能性が高いんだってさ」
 それまで黙っていた瀬水月が口を開く。問い掛ける視線に彼は言葉を続けた。
「非常ベルが鳴らなかったらしい。火事の原因は漏電によるショートだと」
「焼死者が出たのはそのせいだったってコト?」
 朧月の言葉に彼は黙って肩を竦めた。そうだとも違うとも言えないのだろう。
「もし、きちんと非常ベルが鳴っていたら、こんなにも長く留まらずにすんだのかもしれないのね」
 エマはそっと目を伏せた。
「もし、で何か変わる訳じゃないわ。それに今度はちゃんと避難できたじゃない」
 それで良かったって思わなくちゃね、そう真迫は続ける。
「おい。全員無事か?」
 ドアの向こうから草間が顔を出した。声がするものの誰一人出てこないので心配になったらしい。
「ええ。大丈夫よ。狩生さんの件も無事解決したわ」
 エマは笑みを浮かべた。しかし草間は不審げな表情をする。
「シュライン、解決したのはいいんだが、どこにいるんだ?」
「先に行っちゃったの。……もうここに取り残されている人はいないわ」
 そう、十年間取り残されつづけた彼らは漸く行くべき場所に行ったのだから――。


fin.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 0072/瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)/男性/15/高校生(裏でデジタルジャンク屋)
 0444/朧月・桜夜(おぼろつき・さくや)/女性/16/陰陽師
 1650/真迫・奏子(まさこ・そうこ)/女性/20/芸者

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■         ライター通信          ■
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 依頼に応えていただいて、ありがとうございました。
 そしてお久しぶりでございます。小夜曲です。
 今回のお話はいかがでしたでしょうか?
 もしご不満な点などございましたら、どんどんご指導くださいませ。

 取り残されては、いかがでしたでしょうか?
 四人乗ると定員オーバーに近い軽自動車は果たして五人目の男性を乗せる事が出来るのか、そこがキーポイントでした。
 乗れなくもないでしょうけどとても狭そうですよね。ドライブしたい状況ではなさそうです。
 それから取り残されたのは病院の中にいた霊達全員です。
 十年間閉じ込められて外に出たかった霊達の中で狩生が結構苦労していたかもしれませんね。

 エマさま、十三度目のご参加ありがとうございます。またお会いできてとても嬉しいです。
 今回唯一車に着目してくださいました。そこなんですーと密かに喜ばせていただきました。
 そして車がやたら古かった理由は草間が言った通りです。車って維持費結構高いんですよね、貧乏学生が維持するのは大変そうです。
 涼蘭の鍵はうまい使い方だなと思いましたが、こんな展開でしたので使わないままになりました。アイテムの事覚えていてくださったのがすごく嬉しかったです。
 今回のお話では各キャラで個別のパートもございます(■が個別パートです)。
 興味がございましたら目を通していただけると光栄です。
 では、今後のエマさまの活躍を期待しております。
 いずれまたどこかの依頼で再会できると幸いでございます。