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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


「sweet sweets X'mas...」

 風変わりな恰好の女性が草間興信所にやって来たのは、年の暮れも押し迫る12月の下旬のことであった。
 暖冬だ暖冬だと騒がれてみても、真夏の超猛暑を身体が覚えてしまっている。気温が30度を切ったら「今日は涼しい」と認識していた身体からすれば、この十二月の気温とてとても暖かいと言えるモノではなかったが。
 カップルだけの浮かれた祭り・クリスマスを目前に控えてようやく、草間武彦は今年は暖冬なのだと言うことを実感した。
 去年か一昨年かは定かではないが、今年以外の十二月は雪ぐらい降るぞという気迫があった気がする。日が高くなってから外に出るなら、コートは無くてもいいかもと思うほどには暖かくなかった。
「やっぱり今年は暖かいんだな」
「一年間を通して、気温が高かったようですね」
 片づいた依頼の山を分厚いファイルに綴じていた零が、いかにもおざなりに相槌を打つ。草間興信所も師走の波に乗り損なうことなく、ここ暫くは嫌と言うほど依頼が舞い込んでいる。担当者を決めて片端から一気に片づけているため、人の出入りは多いしファイルするモノもかなりの量だ。
 草間は所長デスクにふんぞり返って頭を使っていれば事足りるが、零はそうもいかない。事務所を片づけ、来客に茶を出し、書類を作成し、それをまたファイルし、連絡事項を伝達する。
 草間の意味のない世間話に、真面目に打つ相槌などないということだろう。
 BGM代わりに流れるテレビも、先ほどから丁度天気予報に切り替わったところだ。小太りの気象予報士が、にこやかに「今年は暖冬で」と言っている。
「オレの話はそんなにどうでもいいかねぇ」
 頭の体操にと零に絡むことにした草間が、頬杖を付いてそう言った時だった。
 事務所のドアがこんこんと二回ノックされ、派手な恰好の女性が入ってきたのは。
 女性は長い黒髪の毛先に外はねのパーマを当てていた。二つの乳房に注目、とばかりに星形のアップリケがついていて、変わったデザインのワンピースを着ている。
 丈の短いワンピースの裾から、すらりとした真っ白い脚が伸びていた。
「どうもぉ〜」
 明るい調子で頭を下げる。草間は豊満な胸で揺れる星に目が釘付けになった。
「草間探偵事務所はこちらでよろしいかしら?」
「草間興信所です」
 両手一杯に抱えたファイルをキャビネットの中に押し込み、零がやんわりと訂正する。
「あ、よかった。私、道に迷うのが大得意で」
 女性は大きな胸をゆさゆさと揺らしながら事務所の中に入ってくる。巨乳とそれを見せびらかすようなデザインの服を着ている割に、動きの中に全く媚びがない。
「あなたが草間武彦探偵ですか? ワタクシ、こういう者です〜」
 女性は肩に掛けたバッグから名刺を引っ張り出し、草間の前に慣れた手つきで差し出した。
 
−−七姉妹出版社 ドルチェ・デ・ヴィータ編集部 北嶋舞夜(きたじま まや)

 名刺にはそう書いてある。
 七姉妹出版といえば、女性向けの雑誌を出しているところでは中堅といえる出版社だ。ファッション、コスメに始まり、最近では気合いの入った特集のみの季刊誌も多数出しているという。広く浅くの知識では満足出来なくなったOLたちに受けに受け、飛ぶ鳥を落とす勢いだという−−話だった。
 全て聞きかじりだが。
 草間武彦は北嶋舞夜女史を応接セットに移動させ、依頼人の場所に腰掛けさせる。タイミングを見計らったように、零がコーヒーを運んできた。
 舞夜が話すところによると、ドルチェ・デ・ヴィータというのは春先に発行を予定しているスイーツ専門の雑誌だそうだ。売れ行きが良くなければ次はないというのが七姉妹出版の専門誌の運命で、彼女以下編集部員はひと味も二味も違ったスイーツを求め、探し、演出し、という生活であるらしい。
 スイーツというのは要するに「お菓子を筆頭にした甘いもの」であるらしい。草間は明朗快活な彼女の言葉の中から、現代女性用語の知識を得る。
「それで、私これでも突撃記者なもので、一番風変わりなところを取材することになったんです」
 にこやかに微笑み、舞夜はバッグの中から数枚の写真を取り出した。
「これがですね、神隠しのお菓子の家って言われてて。あ、最先端の情報なので、他言無用ですよ」
 最先端、という言葉の使い方が間違っているような気がしたが、草間はそれは突っ込まずに写真に目を落とした。
 確かに、お菓子の家だった。
 それも、普通の敷地にでんと建っている。
 
 × × ×
 
 舞夜の案内で連れてこられたのは、草間興信所から歩いて二十分ほどの場所だった。
 南側に、巨大な高層ビルが連なっているのが見える。都庁と草間興信所の中間地点あたりだろうか。空を見上げれば、その長大さで他を圧倒するビルの山。しかし−−
 視線を自分の目の高さまで戻してみれば、どこの片田舎かという小さな家や飯屋がひしめき合っている。赤い暖簾を黒く油で汚れさせたラーメン屋、錆びた手すりが屋上まで伸びる小さな小さなビル。車が二台入ればいっぱいのガソリンスタンドには天井がなく、年代物の軽トラックが停まっている。
 急に新宿ではない場所に来てしまったという錯覚を抱かせる場所だった。
「こちらで〜す」
 舞夜が細い路地に入り込み、手だけ出してひらひらと草間を招く。身体を斜めにして路地の隙間に入り込み、じりじりと進むと。
 突如、視界が開けた。
「はい、到着」
 舞夜がぽんと草間の肩を叩く。
 三角ポールと工事中の看板が立っている向こうに、お菓子の家があった。
 建設中のまま打ち捨てられたビルのような場所だった。あちこちに砂の山が築かれ、鉄パイプや汚れたバケツが転がっている。バブルの最中にあちこちでビルを立てようとした名残は、日本中にあるとはいえ。
 その薄汚い跡地に、お菓子の家が建っているというのはここだけではないだろうか。
「あ、入ったらダメよ」
 敷地に一歩踏み込もうとした草間の腕を、舞夜が掴んだ。
「ここは、神隠しのお菓子の家」
 振り返った草間の前で、舞夜がにっこり微笑んだ。
「おかしいと思って近づいたヒトが神隠しにあうっていう噂があるの。女子高生の間で、恐怖のスイーツとして話題沸騰」
 本当か、と草間は呟く。最先端の情報ではなかったのか。
 風が吹き抜け、飴か何かの甘ったるい香りが漂ってくる。香ばしいビスケットの香りも漂ってきて、これは本格的にお菓子の家だ。
 その割に、虫一匹たかっていないのが不気味と言えば不気味だったが。
「しかし、我らドルチェ・デ・ヴィータ突撃取材班はめげません! 私一人なんだけど」
 舞夜がバッグの中から小さなデジカメをつまみ出す。
「こういう冗談みたいな事件は草間興信所が得意だって聞いて。中、取材しますから、同行してくれる人、紹介してくれません?」
 舞夜がにこにこと微笑む。その姿は、恐怖のお菓子の家を見ても怯えるどころか輝いているぐらいで。
 草間は巻き込まれるように、こくんと頷いてしまった。
 




 風に乗って、甘ったるい匂いが漂ってきていた。
 あちこちに水たまりがある、コンクリートに覆われた敷地の前だった。時刻は夜九時。
 左手を振り返れば、闇の中に高楼が立ち並んでいるのが見える。どのビルも、今頃は根っこのあたりに青い電飾を灯しているのだろう。
 クリスマスイブ。まさにこの匂いのように甘ったるい時間が幕を開けたところだった。
「祭りってのは、当日より前夜が楽しいのは何でなんだろうな」
 草間武彦は時間繋ぎに吸っていた煙草を足下に落として呟いた。
 視線を戻せば、すぐ目の前にお菓子の家が建っている。お菓子造り一戸建て、外壁は巨大なビスケットとクッキー。窓枠は白いウエハース製。窓ガラスは恐らく薄い飴細工。
 ガラスほどには素直に光を通さない窓の飴は、それ自体が発光しているかのように光を漏らしていた。ややいびつな形のドアはチョコレートに見える。その隙間からも、光が零れていた。
 仄かに発光するお菓子の家を前にして、北嶋舞夜が神隠しについて説明をしていた。
 このお菓子の家が西新宿八丁目のこの場所に現れたのは今月初旬頃と思われる。見つけたのは、徒歩十分ほどの小学校に通う児童が最初だというのがもっぱらの噂だそうだ。子供心をくすぐるお菓子の家を見て、子供達は無邪気にお菓子の家に近づいた。甘い罠に引き寄せられる蟻のように。
 以降、児童達を見た者はいない。
「典型的な都市伝説なのよね」
 舞夜が読み上げている資料を集めたシュライン・エマが草間の耳元に口を近づけて囁く。
「実物がここになけりゃ、完璧だ」
 草間は片目を瞑って見せた。
 舞夜の話に耳を傾けているのは、護衛を買って出た二人の青年と一人の少年だった。うち一人、最も大柄な男性、リィン・セルフィスは舞夜の話を聞きつつ視線はお菓子の家に釘付けである。やや面倒そうな顔をして話を聞いているのが龍ヶ崎常澄。こちらは舞夜の話半分にして、その構成が完全に都市伝説のそれであることに気づいたようだ。
 一人、目をきらきらさせて話を聞いている少年が藤井蘭。お菓子の家と舞夜を交互に見ながら、熱心に頷いて聞き入っている。
 舞夜自身は基本的にお菓子の家そのものにしかないようだった。それでは護衛する側もしづらかろうと、シュラインが気を利かせて情報を集めたのである。
 今すぐにでも突撃したいと言う舞夜を押しとどめ、大急ぎで担当者を探すのは一苦労だった。
「児童達を助けようと思った者、お菓子の家に入ろうと冒険心を出した者を次々と飲み込んで、ここはいつしか『神隠しのお菓子の家』と呼ばれるようになったってわけ。ボク、お姉さんのお話面白かった?」
 舞夜はにこにこしながら蘭に話しかけた。蘭が子供らしい無邪気さで頷くと、「可愛い」と叫んで頭を撫でた。
「全然護衛が要りそうな話に思えないんだけど」
 常澄が腕組みして言う。草間は真似して腕組みして見せた。
「護衛が要る理由その1。中で何があるか判らない。理由その2。クライアントの希望」
 草間は顔の目の前で人差し指を揺らした。
「暇だったんだろ? 若者は文句言わずに働く」
「暇じゃない! 全く。お菓子の家なんて言うから、リィンが飛びつくんだ」
「仕事内容をボカして伝えるわけにいかないだろ」
 草間はしれっと答える。
 クリスマスイブのこの日に身体が空いていそうな者を見つけるのは一苦労だった。八人に立て続けに断られた後、草間はリィンが大の甘党であることを思いだし、狙いを定めた。運が良ければ常澄が一緒に来てくれるだろうと思ったのである。草間の知る限り、二人は大抵一緒に居るいいコンビであった。
 実際リィンは常澄を連れてきてくれたが、その常澄がやや不機嫌だった。聞けば、クリスマスなどは人々の希望や妄想、絶望や嫉妬があふれ出して、召還術がうまくいかないのだという。いつも連れている羊の悪魔・饕餮も姿が見えなかった。
 思うように動けぬ、しかもクリスマスイブにやってきてくれるのだから、多少不機嫌でも草間に嫌は無い。膨れっ面の常澄をねぎらうように、笑いかけてやった。
 それも含めて十数件連絡した後、ようやく自宅で退屈をもてあましていた蘭を確保した。六人もいれば神様だって隠すのに手間取るに違いない。
 そうこうしているうちに、本格的にクリスマスイブな時間帯に入ってしまったのだ。
 舞夜は中を散策、出現理由までが判明したらそれも調査し、基本的には中に潜り込んでお菓子の家を味見すると説明した。
 シュラインはハンドバッグの中からテグスを取りだし、敷地のすぐ脇にある電柱に結びつける。リィンは蘭と家が何で出来ているのかの検証を始めた。
「調査までするのか」
 草間は面倒に感じて舞夜に言う。舞夜はニッと笑った。
「そうよ。判ったらアトラスの編集部にでも売りつけるの」
 あくどい。
 草間は行動的な女性記者に内心で肩を竦める。こきこきと指を鳴らした。
「それじゃ、突撃しますか」

× × ×

 お菓子の家の中は、ケーキ屋のようななま暖かい匂いと空気に満たされていた。
 駅ビルなどの洋菓子売り場に迷い込むと、色々なスイーツが混ざり合った匂いが漂っている。草間はそういうところを歩き回るのが苦手だが、女性陣を愉快な気持ちにさせる効果があるらしい。
 シュラインと舞夜が並んで先頭を歩きながら、オブジェのように壁に埋め込まれたケーキを指差しては歓声を上げていた。
 入り口から入ってすぐに、チョコレートバーとクッキーの床の廊下が延びていた。奥には、板チョコレートを並べた螺旋階段が上階へと続いている。廊下に面したドアはキャラメル製、チョコレート製、飴細工と一つ一つ違っている。
 一つ一つのドアを開け、中を確認する。一体何人で生活するつもりなのか、開けたドアの向こうは全て寝室だった。ポッキーの骨組みの綿菓子のベッドを見て、蘭が指をくわえた。
「舐めたらダメなの〜?」
「腹壊すかも知れないぞ」
 草間はベッドの綿菓子を摘んで小さくちぎっった。ほんのりと砂糖の香りがする。蘭が手を伸ばし、暫く逡巡した後、ぱくりと口に入れた。
「甘ぁい」
 にっこりと微笑む。草間はがりがりと頭を掻いた。
「蟻になった気分だわね」
 シュラインが調度品全てがやはりお菓子で出来ていることを確認して、溜息を吐いた。クッキーなどが組み上がって出来た壁には、絵画の代わりにケーキがはめ込んである。
「神隠しにあった児童達が、ここで寝泊まりしてるってこともなさそうだね」
 マシュマロの枕を叩き、常澄が呟く。
「綿菓子のマットレスじゃ、眠れない」
「ポッキーじゃ体重は支えられないしな」
 草間はうんうんと頷いた。
 少しずつお菓子の中身が変わった寝室の並びを見ていると、お菓子の「家」というよりは「寮」のような雰囲気だ。
「それでは」
 舞夜がカメラを動画から静止画に切り替え、バッグの中からスプーンとフォークを取り出した。
「味見に入りましょ」」
 きらりとフォークの先を光らせる。さくりと廊下のケーキを刺した。
 大口を開けてあんぐりと頬張る。
「これは! 美味しいわ〜! こってりしてるけど、後味のキレが良くて、どんどん食べれそう! お菓子の家は見た目だけじゃないのね」
 舞夜は小さなボイスレコーダーにコメントを吹き込み、ケーキや廊下の写真をどんどん撮影していく。口元に生クリームやビスケットのかけらを引っ付けながら、食べる。
 怒濤の勢いで食べていく。
 スプーンですくい、フォークで刺し、抉り取り、口へ運ぶ。猛烈な勢いで口を動かし、コメントを吹き込み、写真を撮る。
 草間は呆気に取られてそれを眺めた。
「うまいのか? うまいんだな!」
 生唾を飲み込んでリィンが言う。舞夜の後についてお菓子の家に噛り付く気であるのは間違いない。
「お腹壊さないなら僕も食べたいの〜」
 指をくわえて蘭が言う。シュラインが肩を竦めた。
「胃腸薬、持ってきて正解だったわ」
「こんだけあると見てるだけでうんざりするよ」
 冷めた調子で言った常澄だが、目が泳いでいる。こちらも食欲を刺激されているのは確実だった。
 舞夜は頬にまで生クリームを飛ばしてケーキを貪っている。とうとう一つの部屋のドアノブまで齧りだして、草間は片手で顔を覆った。
 立派なバストに整った顔立ちをしているのに、この突撃記者はそんな自分の見た目には全くかまわずやりたいことをやるタイプらしい。もう少し媚びてみたり、女性らしい品のよさで食べてくれたら色気も出ように。
 貪り食いながら前進する舞夜の後ろを守っていたリィンの足がぴたりと止まった。ホワイトチョコレートの額縁の中に、瑞々しい苺がたっぷり乗ったホールケーキが収まっている。
 リィンがケーキに指を伸ばす。
「人の家のお菓子を食べまくるでないっ!」
 威勢のいい声が響き渡った。リィンはさっと身構えて舞夜の肩を掴む。
 巨大なビスケットを口いっぱいに頬張った舞夜の前に、小柄な老女が立っていた。低い身長の割りに顔が大きい。目と鼻、唇も大きくて、迫力がある。
「なんじゃなんじゃ! 最近来るのは大人ばっかりかい! 大人気なくお菓子なんてモリモリ食いおって!」
 老婆はキイキイと大声で喚き立て、赤と白の飴でできたステッキを舞夜の胸にぐいと突きつけた。
「大人にゃ用はないんだ。出ておいき!」
「ここはお婆さんの家なの?」
 シュラインがすかさず言葉を挟む。老婆は舞夜の胸をステッキの先でずんずんと突付き、
「いいからお帰り! 邪魔だ!」
 取り付く島もなく叫んだ。
「お?」
 梅干のように皺だらけの口元が、一瞬尖る。老婆の視線が、剣幕に驚いて常澄の後ろに隠れた蘭に釘付けになる。
「可愛い坊やがいるじゃないか」
 さあっと風のように走ってくる。ぴょんと蘭に飛びついた。
「おお、可愛い顔をしている! お肌もすべすべだねえ。坊やはいいんだよ、婆やとここにおいでな」
 蘭は恐れおののいているのか、口をぱくぱくと動かしている。
「他の子とも遊ぶといい。ああ、可愛いねえ」
 老婆は蘭に頬ずりする。ぎろりと草間たちを睨んだ。
「あんたらはとっとと出ておいき!」
 唾でも吐かん勢いで言い捨てる。
 ひょいと蘭を抱きかかえ、ぴゅうっと奥の間へ消えてしまった。
「はっ!」
 呆気に取られていた常澄が走り出す。
「神隠しって、これじゃないのか!?」
「そうよ、きっと! 子供だけさらってるのかも」
 シュラインが我に返って言う。
 廊下に面したドアが、それを肯定するかのように一斉に開いた。
 生クリームやフルーツをたっぷりと乗せた無数のホールケーキが、ぴょんぴょんと跳ね出してくる。廊下の壁に埋め込まれた六つ切りのケーキが一つ、草間の目の前に飛んできた。
 がぶり。
 スポンジとスポンジの間が大きく開き、草間の鼻に噛り付く。
 猫に噛み付かれたような鋭い痛みが走り、草間は悲鳴を上げてケーキを叩き落した。
「こいつら、僕たちを攻撃しようっていうのか」
 飛んできたホールケーキを手で叩き落し、常澄が言う。足に噛み付かれ、シュラインが倒れた。
「こいつっ!」
 草間は壁からチョコレート製の額縁を引っぺがし、イチゴケーキを叩き潰す。
「ふー。そうね、取材もひと段落ついたし」
 ケーキからの攻撃を避けながら、舞夜が呟く。
 ワンピースのスカートをさっと捲り上げた。
「見ないのっ!」
 シュラインの手がすかさず草間の顔を覆う。太腿に、赤いものがちらりと見えた。
 パンパンと軽快な音が響く。草間の頭の上に、力尽きたケーキが一切れ落ちてきた。
「ショタコン老婆にお化けケーキなんて、ちょっとおイタが過ぎたみたいね。それじゃあ、護衛の皆様?」
 両手に赤とピンクに塗られたハンドガンを構え、舞夜がぱちんとウインクした。
「ちょめちょめタイムとまいりましょ♪」
「おおっ!」
 リィンが背中から大剣を抜き、天井へ突き上げる。
「倒したら、食う! 暴れるぜ!」
 手の甲で口元を拭い、高らかに宣言する。
「上着、汚れるから脱ぐ」
 常澄がリィンのジャケットを引っ張った。
 
 × × ×
 
 部屋の中に、四人の少年が小さくなって座っていた。
 老婆に抱きかかえられ、家の奥に連れてこられた蘭は、彼らの前にすとんと降ろされた。マシュマロのクッションと綿菓子のムートンが敷かれた部屋は、団欒のための部屋のようだ。少年たちは膝を抱え、部屋の隅で寄り添っている。
「おや、食べないのかい? 美味しいよ」
 少年たちの前に、飴細工の皿に盛られたケーキやマドレーヌ、マフィン、プディングが並べられている。湯気の立つココアも置かれているが、そのどれもが手付かずだった。
「家に、帰して……」
 今にも泣き出しそうな顔で、少年の一人が言う。蘭は、これが舞夜の話した最初の小学生たちではないかと考えた。
「ダメだよ。みんなは婆やとここで暮らすの。おお、泣きそうな顔なんてしちゃダメ。可愛いお顔が台無し」
 老婆は少年たちの頭を撫で、頬にキスして回る。
 そして、ドアのほうをくるりと振り返った。
「あいつらまだいるね。追っ払ってやらなくちゃ」
 ぱしぱしとスカートを叩き、のしのしと歩いてドアへ向かう。
「ちょっとだけいなくなるからね。お腹が空いたら食べるんだよ」
 顔中で笑みを浮かべ、ささっとドアの向こうに姿を消した。
 少年たちはまた隅っこに小さくなる。蘭はとことこと四人に近づき、綿菓子のムートンの上にすとんと座り込んだ。
 ココアを飲み、マフィンを齧る。両方とも、美味しい。
「大丈夫なの。すぐにみんなが来てくれるから、もうちょっとだけなの」
 にっこりと少年たちに微笑みかける。
「せっかくだから、食べておくの。とっても美味しいの〜」

 × × ×
 
 廊下がどこまでも長く伸びていた。
 うねうねと蠕動し、チョコレートやウエハース、クッキーがどんどん廊下を延ばしていく。前進しているはずなのだが、景色がほとんど変わらない。
「迷ったかしら」
 草間の脇にぴったりと寄り添ったシュラインが呟く。草間は彼女の手元にあるテグスを指差した。
「それがあるからまあ、戻れるだろ」
 先ほどまで見えていた筈の、奥へ続く扉がすでに見えなくなってる。寝室へ続くドアだけは繰り返しのように連なっていて、そこから大量のケーキやパフェたちが飛び出してきていた。
 シュラインを抱きかかえるようにして守る草間の周りを、舞夜、リィン、常澄が囲んで進んでいる。しんがりを担当した常澄は、スイーツが飛び掛ってくると容赦なく実弾で撃っていた。
「ああ、勿体無い。今日でなければ、めけめけさんにお腹一杯食べさせてあげられたのに」
 心底残念そうに言う。
 鼻の頭に飛んできた生クリームとぺろりと舐めた。
「しかも美味しいし」
「ほんとにウマイぜっ!」
 リィンが嬉々として叫ぶ。飛び掛ってきたケーキを一刀両断にし、舞夜から借り受けたフォークでぐさりと刺した。
 口元を生クリームで汚しながら、美味そうに食べる。
「向かってきてもケーキはケーキだな」
 口の周りをぺろりと舐め回した。
「これは面白い記事になりそうよ」
 舞夜もうきうきと言う。赤いハンドガンで、チョコレートパフェを木っ端微塵に打ち砕いた。
「雑誌記者ってのは、そんなもんが必要な仕事なのか」
 飛んできたカスタードクリームを避けて草間が問いかける。舞夜が首を振った。
「これ、エアガンなの。ウチの弟がバイクいじりとかエアガン改造とか、得意で。護身用に可愛いのがほしいって言ったら作ってくれたのよ。でも、あたると痛いわよ〜」
 たまにしか使わないけど、と舞夜はウインクする。草間は小声で「ああそうですか」と呟いた。
 どたどたと乱暴な足音が響く。草間たちは廊下の反対側から、先ほどの老婆が突っ走ってくるのを見つけた。
「あれ、いつのまに逆に!?」
 舞夜が驚いたように言う。老婆は大きな板チョコレートを抱え、ぼんと飛んだ。
 チョコレートが草間の脳天を直撃しそうになる。
 寸前で、三方向から飛んで来た弾丸がそれを打ち砕いた。
「忌々しいね!」
 老婆は舌打ちし、大きく飛び上がって天井に張り付いた。
「あなたが子供たちをさらったのね?」
 シュラインが老婆を睨みつける。老婆は歯をむき出して笑った。
「こりゃあ可愛い坊やたちを引っ掛けるための罠なんだよ! あの子達はあたしと一緒にお菓子食べて暮らすの」
「ショタコン」
 舞夜が老婆に銃口を向ける。老婆が天井を這いずって銃撃を避けた。
「子供たちを返しなさい!」
 シュラインが足元に転がっていたサンデーの器を老婆に投げつける。老婆は猿のような俊敏さでそれを避けた。
「邪魔するなら死んでもらうよ」
 老婆が叫ぶ。一同の目の前に、分厚く巨大なウエハースが落ちてきた。
「逃げろっ!」
 草間とリィン、常澄が女性二人を抱きかかえて走る。背後でウエハースが落ちる、どおんと重い音がした。
「ありゃウエハースって音じゃないぞ」
「何キロぐらいあるウエハースなんだろう」
 常澄が冗談めかして言う。一同を追いかけるように、天井からウエハースやチョコレートが次々に剥がれて落ちてくる。
「何とかしろ!」
 舞夜を小脇に抱えて走りながら、リィンが言う。
「逃げ回るのはオレのイメージじゃない!」
「落ちてくるものを止めるなんてできないよ!」
「めけめけは出ないのか!」
「今日は出ないよ!」
 常澄とリィンが走りながら口喧嘩する。シュラインは草間に抱かれるようにして走りながら、テグスを手繰った。
「なせばなる! 何事もトライだ! きっとあいつなら一口で食うぞ」
「無理だっていうのに!」
 常澄が苛々と言い返す。それでも何とかせねばと思ったのか、口の中で何か呟きながら、指で空中に何かを描いた。
「うっ!」
 うめいたのは何故かリィンだった。
「どうしたの!? ケーキがお腹にきた!?」
 シュラインがバッグを探りながら言う。
「いや、背中が」
 リィンが身をよじる。一瞬スピードの落ちたリィンの頭上に、超重量のウエハースが降ってくる。
「リィン!」
 常澄が叫ぶ。
 重い音を立て、ウエハースがリィンを押しつぶした。
「きえーへっへっへ!」
 老婆の甲高い声が廊下に響く。後ろを振り返れば、蘭が連れ去られた時とほとんど変わらない位置に立っている。
 何か幻でも見えられていたというのだろうか。リィンを下敷きにしたウエハースのすぐ向こうに、老婆と奥へ続くドアが見えた。
「ほれ。こうなりたくなけりゃ、そこのドアからとっとと出ておいき」
 犬を追い払うように、老婆は手を振る。
 常澄が老婆に銃口を向けた。
「お前、悪魔だろう。匂いがする」
 冷ややかに言う。老婆は腰に手を当てて、「だから何だってんだい」と言った。
「なら、倒せるって話だよ」
 常澄が冷静にトリガーを引いた。
 びしり、とウエハースに亀裂が入った。シュラインがウエハースに駆け寄る。
 亀裂の間から、白い羽が覗く。
「何だ」
 老婆が顔をしかめて呟いた。
 シュラインが亀裂を掻き分ける。一対の白い翼が露になる。
 リィンがガバッと起き上がった。
 上着を常澄に没収されて、露になった背中に翼が生えている。
「なんだ!?」
 翼に気づいたリィンが、一番驚いた声を出した。
「羽だ!」
「面倒なヤツがいたみたいだね」
 驚いて口を空けている草間たちの前で、老婆が吐き捨てるように行った。
「こんな夜に天使とやりあうなんて骨折りは御免だよ」
 皺だらけの唇を不愉快そうに尖らせる。
 寝室へ続くドアを開け、飴細工の窓をぶち割って外へ逃げてしまう。
 追おう、という気も起きなかった。
「何だったんだ」
「ていうか、何なんだ!」
 草間の呟きを拾い上げるようにして、常澄が叫んだ。
 リィンが潰されたウエハースを拳で叩く。
「天使なら来るかと思って呼んでみたらお前か! お前がセラフィムか! 今まで全然違いますって顔して横にいてぇええ!」
 リィンのホルスターベルトを掴み、がくがくと揺らす。
「あ、あのね、常澄くん」
 シュラインが常澄の腕を軽く叩く。
「なんだか全然よくわからないんだけど、とりあえず無事なんだし、落ち着いて?」
 宥めるように、穏やかに言う。
 常澄はリィンから手を離し、ウエハースの上に座り込んだ。
「クリスマスなんて、嫌いだ」
 低い声で呟いた。
 
 × × ×
 
 家の奥に囚われていた蘭と小学生を見つけ出し、外へ引っ張り出すとお菓子の家は跡形も無く消滅した。後に残ったのは、二階部分までを建てたところで放置された廃ビルだけ。もともとマンションにでもするつもりだったのか、狭苦しい部屋が並び廊下の奥に階段がある造りになっている他は、お菓子の家があったと思わせるものは何も無かった。
 風に甘い菓子の香りが混ざっている。髪や頬にくっついたクリームやカスタードだけは、残った。
 蘭があたりの植物にリサーチした話を総合すると、例の老婆が子供を招き寄せるためにつくった罠がお菓子の家だったようだ。
 幸いにも舞夜のデジタルカメラにはお菓子の家やスイーツの写真がしっかりと残っており、取材の手助けと護衛は終了した。
 舞夜たちと別れ、一人事務所で雑務と戦う零の元へと向かう。帰り道は手を組んで紙袋を抱えたカップルで溢れていた。うち数組は頬が赤く、二件目の店へ向かうのだろうと思われた。
 シュラインは草間の予定を聞いていなかったことを思い出す。クリスマスイヴもどうせ事務所に缶詰だろうという諦め半分、実際に忙しくて予定を立てるどころではなかったのが半分。
 無言で歩く草間の横に並んで歩きながら、シュラインは草間を見上げた。吐き出す息を白く染め、草間は肩を竦めて歩いている。
 この後どうするの? というたった一言が、中々言えなかった。
 事務所に帰って仕事、という一番妥当な台詞を聞きたくない。シュラインは何度も草間を見つめ、その都度目線を下に落として沈黙を選んだ。
「ああ、そうだ、シュライン」
 コートのポケットに手を突っ込んでいた草間が、出し抜けに口を開いた。
 丁度新宿の西側と東側の区切りである大ガードの下を通っていたところで、その言葉は後半をかき消されてしまう。
 シュラインは立ち止まり、耳元の髪をかき上げて聞こえないことを示す。草間が立ち止まった。
 目の前に、小さな箱が突き出される。
 草間が何か言ったが、その声は電車の通過する轟音でかき消される。
 小さな箱には4℃とブランド名が入っていた。
「……け」
 語尾だけがシュラインの耳に入る。
 シュラインの手の中に箱を押し込み、草間は身を屈めた。
 一瞬だけ、シュラインの唇に触れる。
 シュラインは頬が赤くなるのを感じた。
「さ、最悪。ムード皆無だわ」
 唇を指先で押さえ、呟く。自分は耳まで赤くなっているだろうと思った。
「今夜は徹夜。他にチャンスないからな」
 草間はシュラインの額を指先で撫でる。
 照れ隠しのように足早に先へ行ってしまった。
 シュラインは小さな箱を手の中で握り締める。上着のポケットに、そっと仕舞った。
 駆け足で、草間を追いかける。
 その腕の中に腕を押し込んだ。
「事務所までね」
 草間に微笑みかけ、ぱちんとウインクする。草間がにやりと笑った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
【4017 / 龍ヶ崎・常澄 / 男性 / 21歳 / 悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【2163 / 藤井・蘭 / 男性 / 1歳 / 藤井家の居候】
【4221 / リィン・セルフィス / 男性 / 27歳 / ハンター】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました!
担当ライターの和泉更紗です。
納品がクリスマスから少し離れてしまいましたが、クリスマスイブのお菓子の家の冒険をお贈りさせて頂きます。
楽しんで頂けたら幸いです。