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<PCシナリオノベル(シングル)>


夢幻の邂逅

 何処か、おかしい事に気付いたのは、少し前の事。
 自分が歩いていたのはごく普通の、ネオンも煌びやかな都会の夜の街の筈だった。歩き慣れた歩道。立ち並ぶ店。歩道に沿って隣を通っている車道。時折無断駐車の車がある。別に知らない場所ではない。外出時には良く歩く道。
 …なのに。
 周辺に、誰も、居ないと。
 自分以外に、人の気配の欠片もない。見渡せば、普通の景色。なのに――何故か、そこかしこに雑多にある筈の人間の姿だけが綺麗さっぱり見当たらない。
 そもそも何故ここを歩いていたのかが思い出せない。それは彼女――綾和泉汐耶の場合、夜の街を歩いている事は多々ある。仕事帰りに時間を忘れて書店を梯子していたり、飲みに歩いたりと原因や理由は様々。それでも…何故か今の場合は、唐突にこの場に放り出されたような感覚が拭えない。
 …少し前、何をしていたか。
 それすらも――何故か、出て来ない。
 思い出そうとしながら道を振り返る――見えたのは、今まで歩いて来ただろう舗装された道だけ。特にヒントとなるような――なりそうなものはない。改めて周囲を見渡す。見覚えのある景色。ただ――人がまるっきり居ないだけ。…だけ、とは言ってもその『だけ』はかなり異様な事でもある。ここは不夜城都市東京のど真ん中。空を見上げれば暗かろうと、こんな場所で人っ子ひとり居ないなんて有り得ないと言っていい。
 通常なら。
 …何処かで結界でも無意識に越えてしまったのかしら?
 悩みながら、汐耶はそれでも歩いている。このまま帰宅していいものか。否、このままの状態で帰宅出来るのだろうか? 何が起きているのか。確認するのが先決かもしれない。
 いや、私は今何をしようと――何処に行こうとしていた?
 そこからして疑わしい。
 …まだそこまで派手な物忘れをするには早過ぎる。
 おかしい。
 汐耶は立ち止まり、改めて自分の行動を考え直してみようとする。
 と。

「ここに居ると、危ないよ」

 唐突に響く声。少女らしき声で静かに告げられる。汐耶は僅か驚きその姿を探した――探すまでもない、すぐ後ろ。気配も何も無いままそこに立っていたのは病院から抜け出して来たような格好の、やはり少女。緩く波打つ背の中程までの黒髪。上下揃いの白いパジャマを着、スリッパを履いただけの状態でそこに居た。
 彼女の手には、何か小さなものが握られている。…砂時計?
 汐耶は思わずその姿をまじまじ見てしまう。それは格好があまりに場違いであったと言う事もある。けれど――この誰もいない風景の中、久々に見た人間であるが故の反応でもあったかもしれない。
 彼女の掛けた言葉――『ここに居ると危ないよ』。そんな言葉が何故出る? この少女は何か知っているのだろうか? 頭の中で考えている間にも、少女は用は済んだとばかりに踵を返しすたすたと歩いて行く。…汐耶の反応を待ちはしない。
「あ…ち、ちょっと待って、君、何か知ってるの!?」
 歩き去ろうとする背中に少し慌てながら呼ぶが、それでも少女は振り返ろうともしない。聞こえていないのか。そんな事はないだろう――とも言い切れないか。決めると汐耶は少女の後を追う。少女の姿は汐耶が追い始めたちょうどそのタイミングで道を曲がった。汐耶も程無く同じ曲がり角で曲がる――が、少女の姿はまた、随分先になっていて。汐耶は内心で首を傾げる。…今の少女はそれ程早く歩いていたか? いや、歩くスピードで今の間にあそこまで行けるとは思えない。おかしい。こうなれば――この少女は絶対に何か知っている。
 汐耶は足を速め追い掛ける。走り出す。
 が…前方の少女はゆっくり歩いているようにしか見えないのに、追い付けない。後ろ姿が遠くなる。また曲がった。…このペースでは、無理だ。
 汐耶は走って追うのを諦め、ふと辺りを見回す。結局――今の少女はなんだったのか。ここに居ては危ないと言う忠告――警告か。奇妙に感情が無いその言葉。教えられた、聞かされた言葉をただそのままなぞったような、まるっきり棒読みの科白に聞こえた。…木霊。そんな単語が脳裏を過ぎったのは何故だろう。
 見失っても一応、少女が消えた曲がり角から先を見渡してみる。やはり居ない。汐耶は仕方無くその先へと向かってみる。一本道とは程遠い。何処にでも行けるだろう。それはこの辺りの地理を知らない訳でもないが――それでも、少女ひとりを捜すとなると話は別になる。
 ならば、また一から出直しか。嘆息混じりに思いながら汐耶は周辺をそれとなく観察し、用心しながら歩き出す。結局何もわからない。やはり本当に結界にでも踏み込んだのかもしれない――だったら、結界の綻びでも無いだろうか? あの少女は結界を創った者の関係者か何かか。それとも私と同じでいつの間にか境目を越えてしまった境遇か――ただ、もしそうだったなら…この場にあれ程慣れた様子でいる上、忠告まで出来る程になってしまっているようだ、となると…この場所からはそう簡単に逃れられないと言う事にもなる気がする。と、なると結界の方の関係者である事を祈るべきか。それもそれで問題が無い訳では無いが。
 見慣れた建物。ここは歩いた事がある。けれどやはり人気は無い。見知った店のドアを押してみる。明かりは煌々と点灯している。けれど店員も、客も一切居ない。テーブルの上には中身が入ったグラスや料理の乗った皿があるテーブルまである。けれどそれらは冷めている。何処かレプリカのような印象。店を出る。公園。そこもまた人の気配が――否、動物の気配も無い。猫や烏、虫の鳴き声すら一切しない事にその時点で気付いた。
 …そんな風に少し、歩き回って。
 暫し後の事。
 偶然――なのか、視界を過ぎったのは白いパジャマの少女の姿。
「ちょっと待って!」
 咄嗟に掛けた汐耶の制止に、今度は少女は立ち止まり目を瞬かせる。
「?」
「今度は待ってくれたわね?」
 相手を安心させるよう、ふ、と笑いながら汐耶は言う。
 が。
 少女の方はと言うと、何故か――不思議そうに小首を傾げていた。
「何の話…ですか」
「だから、さっき、ここに居ると危ないって…君は何か知っているの?」
「…危ない? 危なくないわ。ここに居れば安全なの。ここに居さえすれば誰も私を傷付けられないから」
 歌うようにそう告げる。けれど汐耶にはその意味がよくわからない。ここに居さえすれば安全? 誰も傷付けられない? …ここは夜の街中で、ただでさえ安全とは程遠い場所。更に言うなら今はどう考えても異様なくらい人気が無い。何がどうなっているのかわからずとも、少なくとも警戒しておくのが素直な行動だろう。安全か危険かで括るなら、危険の方に比重が傾く筈だ。この場所の意味を知っている人間でもなければ。…だからこそ汐耶も今こうやって話を訊こうとしているのだが。理解できれば対策も考えられる。
「でもここは街中よ。安全とは言い切れないでしょう?」
 汐耶のその科白に、少女はううんと頭を振る。
「安全だよ。こわい人は誰も来れないから」
 言いながら、少女は砂時計を大切そうに持ち替える。汐耶の視線が思わずそこに向かった。携え、持ち歩いている砂時計。何か意味があるのか。
 と、汐耶が砂時計に意識を向けたのを目敏く察したように、少女は砂時計を汐耶に見せた。
「これ? …この砂時計はタイムリミットまでの時間。この世界が滅びるまでの」
 …私が滅ぼすまでの、短い猶予。砂が落ち切れば、世界は滅ぶ。
 静かに微笑み、言う少女。静かな、静かな所作で砂時計を持ち上げ、目の高さまで持ち上げ、見つめる。
「…何を言っているの」
「どうして貴方はここに居るの?」
「え?」
「ここは私以外居ない場所。誰も来ては行けない場所。私以外誰も居ないの。私を傷付ける人は誰もここには居ないの。人間は――居ないの。貴方は――居ないの」
 少しずつ早口になり、言い募る少女。
 その言葉自体に宿る静かな狂気。
 …違う。
 さっきの少女じゃ、ない。
 自分に忠告した先程の彼女の方が――心らしきものが何も無かった。ただ、平坦な。淡々とした瞳をしていた。声をしていた。感情的なものは何も無く。だからと言って信用できない――そうじゃない。今この場では逆。感情が無い、それは――無論狂気も無いと言えるから。何も無い――善意も悪意も存在しない。ただ、伝えるべき事を語っただけ。
 目の前の少女と同じ姿。それは目の前の少女と比べるなら――何処か機械的に為された警告。同じ姿。…その『姿』自体が警告になっていた? 何故か汐耶の頭にはそんな考えまで浮かんで来る。…そのくらい、目の前の少女を警戒しろと頭の中で警鐘が鳴り響く。けれど身体が動かない。頭では理解していても、身体の方が理解できていない。
 少女と目が合う。
 ちらりと笑う。
 唇が、動く。

「…だから、危ないって言ったよね?」

 声がする。

 ………………誰の?

 少女の。
 初めに声を掛けて来た。
 今の少女は、違う。
 別の。
 けれど声は、同じ。
 忠告も。

 ………………ならば、『どちら』?

 最後に見えた少女の瞳は酷くのっぺりと真っ暗で。

 思うけれど。
 目の前に広がる景色、その見える、角度がおかしい。
 何があった。

 視界がだんだん狭くなる。暗くなる。闇になる。

 危ないって言ったよね。
 ――――――静かに言い放った少女の瞳は酷く冷たく見下ろして

                    意識はそこで消えていく。



 …と、思った途端。
 汐耶はぱちりと目を見開いた。
 たった今。正直、殺されたと思った。世界から否定され押し潰されるような感触。ブラックアウトする意識。逃げた――つもりだった。けれど間に合わなかった。否、逃げたとしても同じだったのかもしれない。あの『場所』自体が少女の意志のままに動く――そんな気がした。初めから相手の手の内。…瞬間的に諦めている自分が居た。
 酷い寝汗を書いている。
 額の汗を拭い、汐耶はぽつりと呟く。
「夢…?」
 にしては、妙にリアルで。
 何処か釈然としないまま、汐耶は自室のベッドの上で、半身を起こす。

 ちらりと笑う少女の顔。

 …それが、近頃起きている神隠しの原因、『誰もいない街』の支配者の姿だったと知ったのは――随分と後の事――その事件が終結してからの事になる。

【了】