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クリスマスの贈り物
十二月二十五日と言えばクリスマスであるが、日本ではどちらかというとイヴの方が重要である。月見里千里もその例に漏れずと言うべきか、クリスマス当日の本日は友達と遊ぶ予定が入っているくらいであった。
しかし世間一般が何をどう騒ごうが、朝の目覚めというのはそうそう変わるものではなく、今日もいつもと同じ朝――の、はずだった。
が。
「う……ん……」
閉じた瞼の向こうに、カーテンの隙間から入ってきているんだろう朝の陽射しの光を感じて、千里はゆるゆると意識を覚醒させた。
とはいえ、ちらと部屋の時計に目をやればまだまだ起きるには早い時間。もうちょっとと寝なおそうとしたのだが……。
どこか、おかしい。
なにやら身体が動かない。ちょうど何か重いものが体の上に乗っかっている感じで、寝苦しくて仕方がない。
もしかして風邪でもひいたんじゃあと思ってみたが、それにしては体調不良という気分ではなかった。
あれこれと考える内に、眠りに戻ろうとした意識が目覚めへと向かい始める。
「…………」
仕方なく千里は、はっきりと瞳を開けて布団から出ることにした。
その、直後。
真ん丸い瞳とふくふくとした可愛らしい顔が視界の中に飛び込んでくる。
「……え?」
「まぁま、まぁま」
それは無邪気に笑いながら、舌っ足らずに言って千里へとその両手を伸ばしてきた。
「赤ん、坊?」
そう。
目の前にいたのは、紛うことなき赤ん坊。
「………………」
「まぁま?」
沈黙した千里を不思議に思ってか、赤ん坊はこくんと首を傾げて千里の顔をじっと見つめた。
そして、数秒後。
「えええええ〜〜〜〜〜〜っ!?」
ようやっと完全に覚醒した千里は、今更ながら、驚きの悲鳴をあげた。
目を覚ました千里はとりあえず赤ん坊をベッドに置いて、状況把握に努めるべく周囲と赤ん坊に目をやった。
しかし部屋の中は昨夜とまったく変わった様子はなく、当然、誰かが勝手に入ってきて赤ん坊を置いていったなんて形跡はない。
「ど、どうしよ……」
放っておくわけにもいかないし、けれどどこから来たのかわからない子供相手にどう対応すればいいのかも思いつかない。
警察に届けるのが妥当なのか。だがどこで見つけたのだと聞かれたら……多分、事実を告げても信じてはもらえないだろう。
「まぁま」
赤ん坊はにこにこと笑いながら、短い手を千里に伸ばしてくる。
「ごめんね。あたし、あなたのママじゃないのよ」
赤ん坊を目線を合わせて告げた千里に、だが赤ん坊は千里を「まぁま」と呼びつづけた。
「うーん……あたしって、そんなにあなたのママに似てるの?」
良く見れば赤ん坊は、小さな可愛らしいポーチを身につけている。物などほとんど入りそうにないが、何か手掛かりがあるかもしれない。
「ちょっと、貸してもらって良い?」
「うん!」
ポーチを指差してゆっくり告げると、赤ん坊は無邪気に頷いて嬉しそうにポーチを差し出してくれた。
そっとポーチを開けると、中には小さな玩具がいくつかと、数枚の写真が入っていた。
「あ……――え?」
親を探す手掛かりができたと喜んだのは一瞬。
その写真に写っていた人物を見て、千里はぽかんと目を丸くした。
年齢こそ今の自分よりも上であるものの、その写真に、今目の前にいる赤ん坊と一緒に写っていたのは――
「あたし?」
他人の空似ですますにはあまりにも似すぎている、千里の姿であった。
「煌、六ヶ月……そっか。煌ちゃんって言うんだ」
写真の裏に書かれていたメッセージを見つけ、千里はにこりと笑いかけた。
いろいろと信じ難い部分はあるものの、子供の名前がわかったのは大きな進展だ。
「まぁま」
千里の笑顔に反応してか、煌もにこにこと満面の笑顔で応えてくれる。
「どうしよ……」
いろいろな怪奇現象に遭遇してきた千里だから、まあ、不思議現象を頭ごなしに否定するタイプではない。
けれどこの写真だけで信じるには少々突然すぎる出来事だった。
「煌ちゃんはどうしてここに?」
相手は赤ん坊だ。ほとんど期待はしていなかったが、それでも千里は聞いてみることにした。
けれど煌はカタコトで、足りない語彙ながらも千里の問いに答えてくれた。何度も何度も質問を補足し繰り返して。
結果わかったことと言えば、どうやら彼――煌は別の時間へと飛ぶ能力を持っているらしい。
どうしてか、どうやってかはまあ置いておいて。煌は過去の世界へと飛んできてしまったのだ。
「あそぼー」
俄かには信じ難い話を自分の中で消化させるべく考えこんでいた千里に、煌が無邪気に告げて手を伸ばす。
次の瞬間。
「ぶーぶ、あそぼ」
煌の手の中には、玩具の車が現れていた。
「……あそぼっか」
この、能力。
空中の分子を再構成し、望むことを作ることができるこの能力は、千里も持っているものだ。
まったく同じ能力を持ち、千里をママと呼び、千里に抱かれた写真を持つ煌。
この子は未来の自分の子供だと――そう信じるには、すでに充分過ぎる証拠が揃っていた。
◆ ◆ ◆
『えー? 千里、来れないの?』
「うん、急用ができちゃって。ごめんねー」
今日遊ぶ予定の友人に電話を入れると、どうやらそこにいるのは一人だけではないらしく、ざわざわと複数人の声が聞こえた。
彼氏と出かけるのかとかなんとか。からかい半分の推測に明るい声で答えていた、その時だ。
「ふええええええええんっ!!!」
「え?」
『なに? 赤ちゃん?』
途端、電話の向こうが騒がしくなる。
「えっと……そう。急に預かることになっちゃって!」
咄嗟にそう言い訳したが、もはや向こうには聞こえていない様子。隠し子だのなんだのと騒ぐ電話の相手に短く別れを告げて、千里は慌てて煌の方へと目をやった。
「いたいのぉ〜」
「大丈夫っ?」
どうやら煌は好奇心旺盛なタイプであるらしく、先ほどから部屋の中の小物やぬいぐるみに興味を示しては手を伸ばしていたのだが。
とうとう、物を落して、しかもそれにぶつかってしまったらしい。
千里は慌てて煌を抱き上げてぶつけた箇所を摩ってやる。
「痛かったねぇ。もう大丈夫だよ」
「まぁま〜。痛かったの〜」
「うんうん。大丈夫だった?」
すでに切れた電話の向こうの友達の様子も気にしつつ、千里は煌ににこりと笑って見せた。
それからのちの千里の毎日は、急に忙しいものになった。
どちらかわからなかったからとりあえずで離乳食とミルクを買って、紙オムツも買って。
根本的に千里は子供好きであるが、だが、赤ん坊の世話をした経験などほとんどない。
こうなってくると、毎日が戦争である。
たとえば食事ひとつを取ったとしても。
小さな子供が服を汚さないわけはないし、下手をすれば床も汚れる。なれば当然洗濯物も増える。
煌は好奇心旺盛な性格で、しかも手にした物を口に入れたがるため、千里は殊更部屋を綺麗にしなければならなくなった。
しかしそれでも、煌は玩具が欲しいと思うと能力で玩具を出してしまうため、一時たりとも目が離せない。
目を離した一瞬の間に玩具を出して、しかもそれを口に入れてしまう可能性があるからだ。
けれど。
無邪気に笑う煌の姿は、千里の胸にほんわかと暖かなものを運んでくれる。
見ているだけで、思わずこちらまでも微笑んでしまうような、そんな空気を纏っているのだ。
「そういえば煌ちゃんは、どうしてこっちに来たの?」
まさか向こうで嫌なことでもあったんだろうか。
煌を可愛いと思えば思うほど、そんな心配までも頭にふいと浮かんでくる。
手のかかる赤ん坊で。
冬休みの予定なんてぜーんぶ潰されてしまって。
毎日が慌しくて、疲れているのも確かなのだけれど。
やっぱり、可愛いのだ。
千里の問いに煌はんーとしばらく考える様子を見せたのだが。
「どうして?」
結局、自分でもよくわかってはいないらしい。
◆ ◆ ◆
そんなこんなで嵐のような冬休みが過ぎて行く。
煌が千里の前に現れてからもう二週間。けれど煌が帰る気配は一向になく。
向こうでは未来の自分が心配しているのではないだろうかと、そんなふうに思い始めた頃。
……それは、始業式の朝だった。
煌には前日のうちに、明日から学校で、明日は午前中ずっといないから、おとなしくしているようにと。何度も何度も念を押して言い聞かせた、その翌日。
煌は、綺麗さっぱりその姿を消していた。残されたミルクやオムツから、それが夢ではなかったのは知れるのだけど。
「……煌ちゃん?」
最初は、焦った。
けれど……なんでだろう。
帰ったのだと。直観とでも言おうか、千里は、すぐにそれを理解した。
「そっか……帰っちゃったんだ……」
可愛いけれど、鬱陶しいとか思ったことも実はゼロではない。
いろいろと手がかかるし、遊べないし。
だけど。
いざ、いなくなると……やはり、寂しかった。
「仕方ないよね」
ずっとここにいたら、お母さんが心配するし。今の自分が、赤ん坊を育てられるとは思えないし。
「また、会えるもんね」
いつかの未来で。
必ず、再会できるのだ。
さよならも言えなかったのは残念だけれど、仕方がない。
けれど深い余韻に浸る時間はもうなくて、千里は遅刻ギリギリで学校に向かうのだった。
◆ ◆ ◆
「あー、疲れた」
自宅のドアの前で、千里は大きな溜息をついて苦笑した。
案の定というべきか、友人達から質問攻めにあってしまったのだ。
「ただいまー」
いつものように答えを期待しないままに告げた言葉に、
「おかえりなさーい」
この二週間で聞き慣れた、舌っ足らずな声が帰った。
「え?」
「まぁま」
「ええええっ!? 煌ちゃん? 帰ったんじゃなかったの!?」
驚き慌てる千里を前に、煌はてへへと笑って、一言。
「ばいばい。言うの、忘れちゃったから」
考えるよりも身体が先に動いた。
千里の手が伸び、ふわりと煌の身体を抱きこむ。
「……ばいばい。ありがと」
にこりと。
顔は見えなかったけれど、煌が笑った気配がした。
腕の中の重みが薄れていくとともに、ばいばい――と。
煌の、可愛らしい声が千里の耳に響いて消えた。
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