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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 神鳥谷こうは祈るように項垂れて瞼を閉じた。
 傀儡の身体は疲れを知らず眠らないが、こう自身はこうして視覚を遮断し、緑の気配にしんと解ける事に休息を覚える。
 家の周囲は緑が濃い。
 特に旧い山桜は主とも言える風情で、人里離れた、とまでは行かないがそれなりにまばらに家屋の点在する地域の外れ、森と人との領域の境を示すようにどっしりと根を張っていた。
 庭の延長が森なのか、森の延長が庭なのか、判然としないその常緑の濃さに佇む洋風の家が、今はこうの住まいである。
 老桜の幹に触れて、こうは肩の力を抜いた。
 豊富な緑以外に何もないここで、元は老夫婦が半ば道楽でペンションを営んでいたというが、連れ合いが亡くなったのを機会に子供の元へ身を寄せたのだという。
 売りに出されていたのは建物と周囲の土地、建物は別としても土地の無為な広さに買い手のなかった其処をピュン・フーは如何なる手段で以てか入手して、こうに住居として提供した。
 一緒に。
 来るかと問われて共に行く事を選んだ。
 しかしそれはいつか、ピュン・フーが自分を壊してくれるという前提があり、こうは当然の如くピュン・フーの仕事……『虚無の境界』のテロ活動に自らも関わりを持つものと思っていた。
 ピュン・フーが望むのならば、彼が求めるのならば無為に力を持て余すよりはいいと静かな覚悟は全くの肩透かしであった。
 こうに住処を与えて其処に、ピュン・フーはちょくちょくと帰ってくる。
 居場所、を与えられたのは初めての経験で、戸惑うこうを気遣ってかピュン・フーは家を訪れるその度にやれリネン類が、やれ調理器具が、と、眠りが休息ではなく、食べるも人の目的の同じでないこうの元に、そんな普通の生活用品を持ち込んでは、楽しげに封を解いて、説明書と首っぴきにこうに扱いを教える……というのが気に入ったらしい。
 先には薄型の液晶テレビを持ってきたはいいが、アンテナが古く根本が腐っていて映らず、そこから付け替える騒動になったりもした。
 その時に、如何なる不具合か携帯が通話圏外である事が判明し、次は電話を持って来ないとな、と言っていたのを最後に。
 もう一ヶ月近く、ピュン・フーは姿を見せていない。
 時が過ぎるほどに、こうは自信がなくなって行く。
 ここに、居てもいいのか……それとももう、居なくてもいいのか。
 主を求めていた時と変わらず、求めるそれを失った途端に迷うこうに、生活の動きを失った家にはうっすらと埃が溜まり始めている。
 ピュン・フーは自分に飽きたのだろうか……と、思いはしかけたのだが、それは何気なく付け放したままになっているテレビの午後の番組、妻子ある男と恋愛関係にある女性の煩悶の質と重なって、流石にコレとは種類が違うだろう、と幸い悩むに到らなかったりもした。
 ならば彼が確約出来なかったいつか、が早くも訪れてしまったのだろうか。
 ピュン・フーがこうを壊してくれないというのなら、自分は本当にどうすればいいのだろうか……思うだけで足が竦んで動けなくなる、こうは答えを求めて老桜を見上げるが、佇む大樹は答えを持たない。
 溜息をつこうとしてふと、こうは緑以外、さりとて森に生きる小動物のものではない気配に気付いて緩やかな傾斜に蛇行する道向こうに目をやった。
 突き当たりにあるのは家屋のみ、人、とすればこうの住まう場所に用があるとしか思えない。
 誰何の声を上げるのも妙かと、こうはその場で待つ事にしたが、砂利を踏む、足運びの慎重さに首を傾げる。
「……そこに何方かいらっしゃいますか?」
それに対して敏感に、反応を示したのは相手の方だった。
 緑に半ば溶けたこうの気配を察して、繁茂する草の山の影になる位置から姿を見せたのは。
「……ヒュー・エリクソン」
その、『虚無の境界』に所属する神父の名を、こうは無意識に呟いた。


 不意な上に思いも寄らぬ訪問者に戸惑いつつ、こうは神父を家の居間へと案内した。
 家具のほとんどは前の住人がそのまま置いていったものだが、カバーや食器の類は全てピュン・フーが整えたものだ……インテリアまで全て黒で統一するのではないかという懸念は杞憂に終わった。
 ファブリックは白を基調として食器もそれに倣い、自然素材を主とした清潔感のあるインテリア……だが、やはり端々に黒い小物を効かせるあたりはピュン・フーらしい。
 白磁のカップに受け皿は黒く、角砂糖二つとシンプルな銀のティースプーンを添えた、紅茶を前に据えれば、ヒューは嬉しげに礼を言って細い持ち手に指をかけた。
「……いい香りですね」
手順は教わったそのまま、気に入ったというならイギリス王室御用達、と言っていた茶葉の功績だろう、と一人胸中にピュン・フーの采配を思ってはたと気が付く。
「ヒュー。ピュン・フーは」
どうしたのかと、問うのも当然だろう。
 この場を知るのはこうと……不動産屋と電気屋と酒屋と米屋と日用品店の配達を別にすれば、ピュン・フーだけしかいない。
 それをヒューが単身で訪れる、理由は彼に関してしか思いが及ばず、こうは身を乗り出すようにして神父の返答を待つ。
「案じる必要はありませんよ」
紅茶を一口含んでヒューは微笑み、カップを置いた手で、懐から白い包みを取りだした。
 す、とテーブルの上を滑らせてこうに押しやられた……ヒューを見れば、開くように促して小さく頷くのに、手に取る。
 持ち上げてみれば軽く、掌の上に乗る大きさのそれは白いハンカチに何か固い物が包まれているのが解った……その、包みを解いて現われた品に、こうは瞠目して動きを止めた。
「ピュン・フーから預かって参りました……知らせておかないと、貴方はいつまでもアレを待っているだろうから、と」
息を呑んだ、こうを察して穏やかにヒューが言う。
 包まれていたのは銀と黒の、ピュン・フーが常に身に着けていた真円のレンズを持つサングラス……弦は歪み、遮光レンズの片方は割れて、最早使用には耐えない。
「貴方がもう、胸を痛める必要はありません」
こうの胸を打った強い痛みを知らず、ヒューは微笑んでそう告げた。


 これから仕上げ、なのだというヒューについて訪れた公園は重苦しい空気に満ち、木々の緑も萎縮してか梢を揺らしかけもしない。
 ひそりとも動かない空気は、嵐の前の静けさだ。
 その中でコツコツと地を探るヒューの杖先と、淡々紡がれる言葉だけが耳に入る音だった。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「アレは数多の死霊を宿して、今は、その名をレギオンと」
 ヒューがピュン・フーをまるでアレ、と物のように称する度に、こうの胸には痛みが走る。
 街頭で偶然に耳にした、賛歌。
 あの美しい祈りを持つ者が、ピュン・フーを堕ちた者と呼んで蔑む。
 目の見えぬヒューにとって、救いとは、神とは何なのだろうか……影を許さなければ、深みはなく、奥行きがないだろうに。
 全てが均一に目の前にある、陰のない薄っぺらな世界を彼は望んでいるのだろうか。
「こうさん?」
反応のないこうの名を、ヒューが呼ぶのに我に返る。
 疑問を考え出すと止まらない思考は、どうやら自分の癖らしい。
 思考に捕われている場合ではない……無理を通してヒューに同行して来たのは、ピュン・フーに会う為。
 仕上げ、というからにはその手前の状態であるのだ。彼と、話さなければ……焦りに周囲に視線を巡らせてこうは遠く、半身を見せる人影に気付く。
「ピュン・フー!」
名を呼んで駆け寄り、こうは必死にその肩を掴んだ。
「…………あれ、こう……?」
名を呼ぶ声が、掠れて低い。
 は、と短く息を吐き出して、ピュン・フーは口の端を引くようにして、笑みを形作る。
「今幸せ?」
「……何故……こんな……」
問いには答えずに、こうはピュン・フーを抱き寄せた。
 その気配の質が、闇の如くに深く重い。
 纏った黒の、視覚的なそれだけでなく、低きに水が流れるようにピュン・フーの……それでもどうにか踏み止まっていた人と魔の質の均衡が崩れて、今やこの世に存在する如何なる影よりも、蔭よりも濃く、未だ人の姿を保っているのが不思議な程だ。
「……ヒューに言付けしたろ。聞かなかったか?」
苦い笑いを含んだ声が至近で、虚ろな裡に響くようにしてこうの胸を震わせた。
「聞いた。けれど聞かない」
その声が震えるようにして呼び起こす痛みに、こうはピュン・フーを抱く腕に力を込める。
「ピュン・フーが俺を壊してくれる、その筈だ」
命ずる者は何もない主なき傀儡に、意志を持つ理由すら、持たない自分はこの世にあるべき存在ではない。
 ならば神鳥谷こうという存在を、差し延べられた腕に委ねるこそが残された道だ……主が見つからなければ壊してくれるのだと、幾度とないピュン・フーの申し出こそがこうに残された唯一。
「だから……」
こうは体重を預けさえしないピュン・フーの身体を、両腕で抱えてその光を宿した金の眼を……彼等以外にその場に立つただ一人である、ヒューへと向けた。
「ピュン・フーを傷つける者は、赦せない」
彼の意のままに踊る焔が現出する。
 それはこうとピュン・フーとを円く囲んで護る形で、足を進めるヒューを阻む。
「……これは異な事を」
不意の熱に、見えぬまでも異変を感じたかヒューが足を止めた……熱気に煽られて裾の長い神父服がはためき、焔の壁を透かして黒い。
「同じ人でありながら他者を堕ちた者と呼び、こんな事をするのが神と言うものであるのならそれは俺にとっては敵に等しい」
奥歯を噛み締め、絞るようなこうの言葉が、意外だという面持ちでヒューは眉を上げた。
「それらは人の世界に於いて、脇腹に刺さる茨、身を打つ鞭となる罪深き魂です。退けるのに何の躊躇いが必要でしょうか?」
祈りの十字を切るヒューを、こうは強く睨め付ける。
 言葉を交わすも不快だと、はっきりと抱いた嫌悪に、こうは昏く赫い焔を喚ぼうとした……低い熱に一時にその命を舐め尽くさずに、深く時間をかけて浸透していくその熱を。
 だが、抱いた肩が不意に震えるのに気を引かれて、こうはその項に手を添えた。
「ピュン・フー?」
気怠く閉じられていた瞼が開く。
「こうが、頑張って喋ってるな、と思ってさ」
そんな場合ではないと思うと同時、心底からの呆れと、至近に軽い笑いに毒気が抜かれる。
「こう」
こちらが口を開く前に名前を呼んで、ピュン・フーは困ったように笑って視線を合わせてきた。
「俺、もう殺してやれなさそうだから、さ」
その謝罪を最後まで受け取る事が出来ずに、こうは首を横に振った。
 触れる近さに、冷たい肌に頬を擦りつける。
「ピュン・フーが殺してくれると約束したのに。何故こんなになるまで、赦した」
肌は氷のようだというのに、吐息ばかりが熱い。
 彼ならば抵抗も出来たであろう……こうの咎めの口調に、四方を護る焔に照らし出され、影を強めたピュン・フーは苦笑した。
「俺にもイロイロと事情があんだよ」
そう親指で自分の左胸を示してみせる……動きに、その両の手首を戒めて張られた銀の鎖がシャラと音を立てた。
 その身を縛る、意味で即物的に、そして抽象的に。繋ぎ止められるのを良しとしないだろう事はこうでも解る……そのピュン・フーの姿に軋むような痛みが身を走る。
 彼を失うと考えた時に走る痛みとよく似るが、引き絞るようなそれよりも熱を帯びて強く駆ける、これが怒りかと。
 こうは思って眩むような視界に歯を食いしばった。
「俺じゃない、何かでよければ殺してやれるかもだけど」
妥協策のように提示される言葉に、こうはもう一度首を横に振った。
「俺はピュン・フーに壊されたい……どう、すればいい」
その身に宿るという死霊。触れればその裡に禍々しく蠢く死者の魂の存在が解る……その数の多さにそれでも耐えるピュン・フーの強さを思う。
 問うたこうに、ピュン・フーの口元が笑む。
 仕方がないな、と教える表情は軽く片眉を上げて、物を知らぬこうを楽しげに見るいつもの質だ。
「俺の……心臓にひっついた怨霊機と、」
そして腕を上げる。
「この鎖」
シャン、と銀鎖の音を立てて、こうに示してピュン・フーは笑いを含んで問うた。
「壊せる?」
是非を問われれば是、とこうは事実を答える。
 掲げて見せた、鎖が不意にどろりと溶けた。
 薄く白い、焔の高音に巻かれて赤く溶けた金属がボタボタと音を立てて芝生に落ち、草の焦げる匂いを立ち上らせる。
 その時不意に、ピュン・フーの身体が緊張に強張った。
 咳き込む動きに丸めた背をさすろうと触れれば、黒革のコートがベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
「……ッ、……!」
急激な変化に、ピュン・フーが苦痛の息が洩らす。
 まるで何かが羽化、するように、一目で異常だと知れるように巨大な、一対の皮翼がピュン・フーの背に拡がった。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意、ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血が身体を伝って瞬く間、その黒にじとりと暗い赤が沁み渡る。
 壊せるか、と問うた。
 彼の力をピュン・フーが求めたのは、初めての事。
 こうは皮翼を見上げた目を閉じる……熱を帯びて落ちる、ピュン・フーの血が自分の秘める如何なる力よりも熱く鮮やかな紅で瞼の裏に踊る。
 熱を持たない月、自らの輝きを持たない……それが故に優しくどんな色にも染まる、その本来の色は。
 銀だと。
 思って眼を開くと同時、こうはピュン・フーの心臓を銀の焔で灼き尽くした。