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― 想いの降る夜 ―
――― 聖なる夜、ケセドの樹の下で求める人に逢える
こんな噂があなたの耳に入り始めたのはいつからだったか。
最初は単なる噂話や都市伝説の類と気にも止めていなかった。
然し、何故か心にかかる。
胸が騒いで落ち着かない。
それは未だ残る痛みのせいなのか。
どうせこの日は巷でも皆それぞれの約束で忙しない。
ひとりくらいこの噂にのってもいいだろう。
そう結論つけると、あなたはコートを掴んで冬の街へとゆく。
今夜は聖夜
何があっても、それは奇跡となる。
Beatus vir qui suffert tentationem,
quoniam cum probatus fuerit
accipiet coronam vitae.
(試練に耐うるものは幸いなり
何となれば、いったん評価されしときは
人生の王冠を受くるべし)
さんざめく街の喧騒も、この場所へは遠慮をしているのか
不思議なほど静かで穏やかであった。
折りしも今宵は聖夜。
奇跡の前夜。
何かが起きる前触れの刻。
それは普通の小さな教会で、特別何かあるようには見えない建物だった。
少し奥から聞こえるのは子供達の声。
門柱の小さな標識にあった孤児院なのだろう、
建物から暖かな灯りが見える。
教会の建物の前に大きくそびえる樹が、黒い影を落としていた。
その下に背の高い男の姿が見て取れる。
眼鏡の奥の穏やかな眼差しは、
この大きな樹を見上げ、ただ静かに佇んでいた。
「あれー、お兄ちゃん、だあれ?」
周囲の街灯の届かない暗い敷地内に
白い姿が浮び上った。
クリスクリス(w3c964ouma)、あどけない表情が誰何する。
続いて長い髪の少女が恐る恐る入ってきた。
腕に巻いた、彼女には少し大きいバンダナが目を惹く。
みどり(w3g896ouma)が問う。
「この樹が“ケセドの樹”なの?」
幼い表情で見上げる二人の少女に、
お兄ちゃんと呼ばれた田沼・亮一(TK0931)が屈みこむ様にして笑む。
随分長くここに立っていた為、知らぬうちに寒さで身体が少し強ばっている。
「ええ、たぶんそうだと思いますよ。」
「それ……本当か?」
切羽詰ったその声に3人が振り向くと、白い息を切らせた少女がいた。
漆黒の長い髪が乱れて顔にかかっているが
高耶(w3b248ouma)はそれに気づく様子も無い。
「お姉ちゃん、大丈夫?具合悪いの?」
クリスクリスが高那の背を撫で息を整えさせている。
それに、ありがとな、と薄く微笑み
ひとつ大きく深呼吸をすると彼女はあらためて周囲を見渡した。
「みどりね、“ケセドの樹”を探してたんだけど、わからなくて……。
でも白い服着たシスターさんからここを教えて貰ったの、でも良かった、見つかって。」
「うん、それボクも同じ。
お兄ちゃんがお世話してたモミの木さん辿ってたんだけど、でもこの樹はモミの木じゃないよね。」
あんたは?という高那の視線を受けた亮一は、ただ微笑んだだけだった。
肩を少しすくめて高那は髪をかきあげた。
他人の動向が互いに気になっている。
噂にのってきてしまった後ろめたさ、恥かしさ、
それでも、それ以上に自分を突き動かす心の衝動。
ふと―――
手首に巻いたバンダナを弄っていたみどりが、顔をあげた。
樹を見上げていたクリスクリスの青い瞳が、大きく煌いた。
俯いていた高那がゆっくりと瞼を開け、身を起し……
それぞれの歩を進めた。
その行き先は大樹、“ケセドの樹”。
そして亮一は少女達が樹の向うに姿を消してゆくのを
静かに見つめ、見守っていた。
驚きも、恐れもせずに。
「……へぇ、エライもん見ちまった、」
銀髪の男が言葉とは裏腹に平然とした様子で教会に現れた。
風羽・シン(w3c350maoh)は樹と、教会とその奥の孤児院を認め
最後に樹の前に立つ亮一に、よお、と手をあげる。
「あんたが噂の出所……ってわけじゃなさそうだな、噂にのったクチか?
大方“ケセドの樹”の意味、わかったってところだろ。」
亮一は眼鏡を指で押し上げ穏やかに笑む。
「ええ、“ケセド”といえば浮かぶのはセフィロトの樹の第4セフィラーです、
“慈悲、慈愛”を表すので連想したのが
孤児院もあり、大きな樹のあるカトリック教会……まぁそんなところです。」
亮一は探偵事務所の所長でもあり、その頭の回転の速さは定評がある。
それ故に誰よりもはやくこの教会に辿り着いたのだが。
そしてシンの心に少なからず動揺が走っていた。
セフィロトの樹、ケセド、そこから思い浮かべるのは……
(……ゲブラー、)
「あの、どうかしましたか?」
亮一の声で我に返ったシンが、苦笑してなんでもない、と答えた。
静かに佇む亮一に何か見透かされそうな気がし、
無意識に手を強く握りしめていた。
と―――
シンの隻眼がゆっくりと背後を見遣り、何かを見る。
そして彼もまた何かに呼ばれたかのように
先の少女達の後を追うように樹へと歩を進める。
その姿が消えてゆく様を
亮一が先と同じ様に見送り、そこに聳える樹を仰ぎ見た。
奇跡は、もう、始まっているのかもしれない。
噂を聞いて集ってきたのだろう彼らが消えてゆくのを見ても、
亮一はただその後ろ姿を見送るのみだった。
普段怪異現象に不本意ながら慣れているとはいえ
今夜の亮一は明らかにおかしい。
静かな双眸を再び大樹に戻す。
何の変哲も無いこの樹に何を思うのか。
彼の心にはひとりの女性の面影があった。
本来噂などという不確かなものに探偵である彼が動く事はない。
だがそれを動かしたのは“ケセド”という言葉、その意味。
慈愛、
慈悲、
噂を聞き場所を特定するのは造作も無いことだった。
だが読み解くにつれ、彼の心に形作られたのは
今は亡き妻だった。
友人の姉である彼女に恋をして、切なさを知った。
何故自分が年下なのかどれほど恨めしく思ったことか、
だがそれ以上に溢れる気持ちに自ら驚いた。
彼女に逢えた事に、幾度世界中に感謝しただろう。
こんなにも人を好きになれる自分に苦笑し、彼女が笑う度にどうしようもなく嬉しかった。
このひとの笑顔をずっと自分が守りたいと思った。
守り、そして与えたい、そう思っていた。
そして……
余命が解った時点で「残った時間を下さい」と口説き倒した二十歳の誕生日。
周囲の、そして彼女の反対は当然の事だった。
然し亮一の決意は固く、何人たりともそれを覆せる者はいなかった。
他人に対し貫いた初めての我が儘。
彼女の泣いた笑顔を見て、初めてその手に抱きしめた。
(……噂に振り回されるほど子供じゃない、けれど
噂を聞いて流せるほど大人じゃない、)
相反する理性と心。
彼女に逢いたいか、それより寧ろ彼女は自分に逢いたいか。
相反し、表裏一体の疑問が亮一を悩ませる。
それは答えの遠回りを言い訳にした、ただの彼の心の準備なのかもしれない。
もし聖夜の奇跡、というのが在るのなら。
(……一言だけ伝えたかった事があるんです、)
夜に黒くそびえる大樹を見上げる亮一。
「俺は、……俺は貴女にとって良きパートナーでしたか?」
夫として、例え弟であったとしても……最期まで彼女が幸福で居られたのか、
その答えは知りたくて堪らないのに、聞くのも怖い。
自分は彼女からたくさんのものをもらった、
然し彼女へ自分は何か渡せるものがあっただろうか。
少しでも彼女の心に安らぎを与えられただろうか。
不安、なのだ。
幾らやるだけの事はしたと思ってはいても、
それはひとりよがりの答えに過ぎない。
その不安を拭うには自分が彼女においつかなくてはならない、
ずっとそう思い背伸びをしたりもした。
それでもおいつけない、
どうやっても数年の年の差は埋められない。
追いつき、追い越し、腕をひろげて彼女を抱きとめたいのに。
吐く息が白く周囲にひろがり消えてゆく。
理性が勝つ。
(“答え”が欲しい訳では有りません、が
ただ……言葉にする事で自分が“そうだった”と確信したいだけなんでしょう、きっと……)
心が勝つ。
(それでも俺は貴女に逢いたい、逢って貴女の笑顔をもう一度見たい、
貴女のやわらかな声でもう一度俺の名を呼んで欲しい……)
「俺は、……貴女に、逢い……たい、」
胸ポケットを固く握り締め、絞るように呟く亮一。
日頃柔和な表情の彼の隠れた一面。
激情、ともいうべき想いは夜の静寂(しじま)に波紋を描く。
(…………相変らず、ね)
別の波紋が亮一に届く。
顔をあげようとする彼の頬に不確かなやさしい手が触れる。
問いを発しようとする唇に細い指が添えられる。
(……Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.)
「え……、」
(無欲な貴方、やっと言葉にしてくれた……、)
亮一の目の前に朧な彼女の姿が舞い降りてきた。
そして彼の頭を愛しむようにやわらかく抱きしめる。
(……貴方は背が高いから、こうして抱きしめるのは初めてね)
「ずるいひとです、貴女は……俺が抱きしめたいのに……、」
彼女はそれにこたえず、亮一の琥珀の瞳を覗き込む。
(忘れないで、私は貴方に逢えて幸せだったこと、
少しの刻でも貴方と在れた事が私の幸せだった……)
最初は恐る恐る、そしてゆっくりと手を伸ばし彼女に触れ、抱きしめた。
微かな感覚であっても、身も心も恋慕の情に打ち震える。
「……奇跡でも何でも構いません、もう少し……このままでいさせて下さい、」
言葉はいらない。
今はただ亮一は彼女を腕に抱きしめた。
そして自分を包む愛しい存在を感じられる事に、
ただひたすらに感謝していた。
(……忘れないで、私はこれからもずっと貴方とともに在る事を……)
彼女の声が告げる、
自分が守り、守られている愛しい人に。
―――Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.
滲んだ視界が徐々に形作られ、ぼんやりとした思考も戻りつつあった。
それと共に聴覚も戻ってくる。
静寂の中のゆっくりとした振動は、自らの鼓動。
そして覚醒するまでに視界を埋めていたのは
聖母、マリア像だった。
「まぁ、こんな真夜中に教会にいらっしゃるなんて、」
穏やかな驚きの声音が背後から聞こえ、
5人は其々ふり返る。
そこには灰色の修道服を着た年嵩のシスターが蝋燭を手に立っていた。
そして自分達がばらばらに教会内に座っていた事に気がつく。
いつの間にいたのか知らぬ者に不審を唱えるでもなく、
寧ろ祈りを捧げていたと思ったらしくシスターの喜色は濃い。
だが今自分のおかれている状況に説明をつけるのに
少々苦労が必要のようだ。
「……夢、だったのかな」
クリスクリスの呟きは皆も同じ。
大樹を見上げていたところから先が幽かな記憶。
「いや、夢であってたまるかよ、」
シンの言葉は確信。
そしてそれが為に踏み出せる未来への糧。
マリア像の下の燭台に灯りと燈しながら、時が替る事を静かに告げるシスター。
聖夜が終わり奇跡の日がやってくる。
「奇跡が……起きたんだよ、きっと」
みどりの奇跡はその胸にそっと仕舞われた。
誰も知らなくていい、みどりだけの奇跡なのだから。
「噂というものも、真実を含むもの……ということですか」
手の中の鎖に通した二つのリングを見遣り亮一が苦笑する。
想うことへの答えは在ったのだ。
穏やかな静寂の空間から、
現実の喧騒の空間へと戻るべく扉へ向う。
「……ありがと、な」
高那は一度だけマリア像を振り返った。
今だけはこの慈愛の神を信じたい気分だった。
シスターに一礼し扉を出ようとして、亮一はふと立ち止まった。
気になっていた事がひとつある。
「シスター、……あの、ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
「ええ、私で答えられる事ならばどうぞ。」
その穏やかな顔に安心する。
「その、……この言葉の意味を教えて頂けますか。
“ペティテ・エト・アッキピエーティス・プルサーテ・エト・アペリエートゥル・ウォービース”
確か、こんな感じだったと思いますが、」
「……“Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.”かしら?」
「ああ、それです。ラテン語だと思うのですが、俺はラテン語はちょっと、」
シスターは目を細めて答える。
「その通りです、それはラテン語の格言ね、
“求めよ、さすればあなたは受け取るだろう。叩け、さすればあなたのために開かれん”
これは聖書の言葉ですね。」
「え……、……それじゃ、」
「あなたにその言葉をくれた人は、愛情深い人なのですね。」
亮一は一瞬胸がつまったが、
然し顔をあげ穏やかな笑顔をシスターに見せた。
そして大きく頷きお礼を言うと扉の向うに足を踏み出す。
今はもう迷いのない、確かな足取りで。
世界は奇跡の前夜から、奇跡の日へと時がうつっていた。
そしてその奇跡は自分の身にも起きた。
それはもう揺るぎの無い確信として胸にしまってある。
視界に白いものが落ちる。
その様はまるで想いがゆっくりと堆積するように
静かに降り積もる。
聖夜の奇跡―――
たまにはこんな夜も、いいかもしれない……
(fin.)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
アクスディア
【 w3b248 / 高耶 / 女性 / 17歳 / 逢魔 】
【 w3c350 / 風羽・シン / 男性 / 26歳 / 魔皇 】
【 w3c964 / クリスクリス / 女性 / 12歳 / 逢魔 】
【 w3g896 / みどり / 女性 / 12歳 / 逢魔 】
東京怪談
【 TK0931 / 田沼・亮一 / 男性 / 24歳 / 探偵所所長 】
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■ ライター通信 ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此度は「想いの降る夜」にご参加頂き有難う御座いました。
今回は聖夜という事もあり奇跡に因み、
皆さんの心の補填を主題とし、ラテン語を織り交ぜて描写してみました。
少しでも心象風景を楽しんで頂けたら幸いです。
キーワードの“ケセドの樹”につきましては
少々難しかったでしょうか、田沼亮一様のみ正解でしたので
ナビゲーターとしてお願い致しました。
またお会いできる機会がありましたら
宜しくお願い致します。
>亮一様
毎度の事ながら謎解きはお見事でした。
然し穏やかな笑顔のしたにこれほど切ない想いを抱いていたとは。
大人の恋、年下の恋、琴線へのご依頼に頭を垂れます。
改めて此度のご参加、有り難う御座いました。
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