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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


彼女と彼の場合〜starting to like

 一月一日、新しい年の始まり。
一年の計は元旦にあり、と言う。今年も慎ましくも平和な一年になりますようにー…。

    ピンポーン…。

合わせた手を解き、今まさに箸で餅を突付こうとしていたとき、来客を知らせるチャイムが鳴った。
普段一階の店にいる場合は、扉に取り付けた鐘の音が来客を教えてくれるのだが、
こうやって住居部分であるリビングにいるときは、鐘ではなくてチャイムが鳴る。
私はそのチャイムを聞いて、眉を潜めた。
 …こんな朝早くから、一体誰だろう?
私は食卓を囲んでいる面々に、少し見てくると言い残し、席を立った。
一階のリビングのドアを開け、濃いグリーンのカーテンを開けると、もう店舗だ。
普段私と主人が、のんびり接客とお茶を楽しんでいる場所。
勿論三ヶ日は休みだから、今は人気はない。
 私は無人の店内を大股で横切り、扉のノブに手をかけた。
だが私がノブを回して扉を開ける前に、勢い良くそれが開いた。
私の方からすると引いて開けるタイプの扉なわけで…私はもう少しで鼻をぶつけてしまうところだった。
私は身を逸らしつつ、朝っぱらから誰だ、と言ってやろうかと口を開いたところでー…。
「グッモーニン!…の前に、あけましておめでと!よかった、居てたのね?呼び鈴鳴らしても誰もこないし。
ていうか鍵開けっ放しだったわよ、全く無用心なんだから!
あたしじゃなくって、押し入り強盗だったらどうするのよ?
あたしはいやよ、正月から『ワールズエンドにて強盗事件』なんて新聞の見出しは」
「…綾」
 私は矢継ぎ早に繰り出される言葉の嵐に、思わず苦笑した。
扉の角で、私の鼻をつぶし掛けたのは、彼女ー…皆瀬綾だったらしい。
玄関のすぐ外に立っている彼女は、私の苦笑を見てきょとん、とした顔をした。
私は深く息を吐き、気を取り直して、ふっと笑って見せた。
「…お早う。そして、明けましておめでとう」
「うん、おはよ!」
 綾はそう言って、にっこりと笑った。
私は彼女の笑顔を見て、安堵のため息を漏らしながら、改めて彼女の姿を眺めてみる。
普段は下ろしたままにしている長い金髪は、高く結い上げられ、余った毛をあちこちに散らしている。
見慣れた青い瞳はそのままだが、何故か今日はしっかりと上品なメイクを施しているらしい。
普段見るときは、どちらかというと年齢よりも幼く見える彼女だが、今日は年相応の顔立ちに見える。
私は訝しげに彼女の全身を眺め、成る程、と頷いた。
いつもは活発的な服装の彼女を、今日は日本の伝統的な着物が包んでいた。
振袖というのだろうか、白をベースに、裾のあたりは大柄の桜で彩られている。
その桜に合わせるように、裾のあたりは紫のグラデーションに染められていて、何とも艶やかだ。
「…どうしたんだ、それ?」
 私は内心驚きながら綾に尋ねた。
綾は、ああこれ?と言いながら、片手に白いふわふわのショールを押さえ、
片手に袖を持ってポーズを決めてみせる。
「どう、可愛いでしょ?折角だから初詣にでもどうかなっと思って。
銀ちゃん、どうせ暇でしょ。一緒に行かない?少し離れたところだけど、大きめの神社があるの」
 彼女は私を、銀ちゃんと呼ぶ。本名は銀埜、というがー…何故かそう呼ばれる。
東京にきてそう呼ばれるのも初めての体験だが、最近ではそれに慣れてしまった自分がいるのも確かだ。
「初詣?私は構わないがー…綾はいいのか?
そんな珍しく着飾って、他にもエスコートしてくれる男はいるだろう」
 私は、ふふ、と悪戯っぽく笑って言った。
綾が誘いに来てくれて、嬉しくて堪らないはずなのにー…私もまだまだ、精神が成熟してないということだ。
しかし当の綾は、けらけらと笑って、
「いやぁね、もう。そんなのいないわよう。それにあたしは、銀ちゃんとがいいの!
…でも、珍しくってのは失礼よ、銀ちゃん。あたしだって着飾ることぐらいあるんですから」
「そうか、それは失礼しました。まあ…折角のお誘いだし、有難く行かせてもらうよ。
私も着替えなければなー…」
 私はそう言って、ワードローブの中を思い浮かべた。当然の如くー…和服なんてものは無い。
「銀ちゃん、和服もってんの?」
 綾はきょとん、とした顔を浮かべて私に尋ねた。
私は苦笑して首を振り、
「いや、さすがに無いな。スーツで良いか?」
「パーティにいくんじゃないんだから、そのままでいいわよ。何か羽織ってきたら?」
 綾はくすくすと笑いながら言う。
私は自分の格好を見下ろし、暫し考えた。
…飾り気のない白いシャツと黒ベースのジーパン。どこからどうみても、ただの普段着だ。
「…だが、折角の和服美人にこれは…」
「ああもう、グチグチ言ってないで、さっさとコートか何か羽織ってきてよっ!
立ってるの、なかなかしんどいんだから」
 綾はそう言って、私の体をくるりと回し、背中を向けさせポンと叩いて押した。
そして背後でニッと笑う気配を感じたかと思うと、背中から声がかかる。
「素早くね。3秒で用意しないと、あたし一人で行っちゃうから!」

 …私がそれから大慌てで自室に飛び込んだのは、言うまでも無い。










            ★











「…もう少しかな、その神社ってのは」
 私は愛用しているファーつきのジャケットコートのポケットに手をつっこんで、足を進めながら言った。
片手には、以前私の主人が綾に贈った地図。
行き先を書き込むと自動で道を教えてくれるという便利なものだが、何故か今は私がナビゲーター役だ。
…勿論、綾の性質を考えると致し方ないことだが。
「ほんと?信頼してるわよ、銀ちゃん。…はぁ、しんど」
 そう言って、綾は足を止めた。私は思わず、怪訝な顔をして立ち止まって振り返る。
「…大丈夫か?さっきから何度も…」
「だって、これ身体締め付けられるし、小股でしか歩けないし!
帯が堅すぎて、身体が曲げらんないのよね。ああもう!」
 綾はそう言って、腹のところの帯をぼんぼんと叩いた。
私は苦笑して、綾の手を取り、自分の腕に乗せた。
「…着物を緩めることは出来ないが。これなら少しは歩きやすいだろう?
それにゆっくりでいい、時間はたっぷりあるんだからな」
 綾は暫し唖然として私を見上げていたが、やがてクスクスと笑い、私の腕をぎゅっと握った。
「うん、ありがと!でも銀ちゃん、背ぇ高いから大股なのよね」
「…きみにあわせるぐらいのことはするさ、見くびるなよ」
「え?そーかしら。じゃあちょっとでも先行したら、文句言っちゃうからね」
「…ああ、思う存分どうぞ。そっちのほうが気は楽だー…」
「?どーしたの?」
 綾は私の視線に気がつき、首を傾げた。
私は綾の格好を眺めて、ふと思う。
…そういえば、まだ言ってなかったような。
「…確かに窮屈そうには見えるが」
 私はそこで一呼吸置いて、にっと笑った。
「似合ってるよ、振袖。清楚なお嬢さんで通りそうだ」
 綾は目を一瞬丸くし、そしてぷっと吹き出した。
「あっははは、そうでしょ?合格点、貰えた?」
「ああ、勿論。…但し、黙っていれば、かな」
「えー、ひっどい!そこまで言うことないじゃない?」
 綾は、ぷぅとふくれてみせる。
私は思わず声を上げて笑った。
「くくっ…ははは!悪い悪い、上品なお嬢さんにはならないかもしれないが、
私は喋っている綾のほうが好きだぞ」
「ほんと?ならいいわよ、それで。あたしにはそれで十分…って、あそこじゃない?」
 綾がぴっと指し示した道の先。
大きな赤い鳥居が、人の群れを吸収するようにそびえていた。
「…ちゃんと辿り着けてよかったな」
「そーね、銀ちゃんに感謝しなくちゃ!」
「ああ、してくれ」
 私はくすくす笑いながら、予想される鳥居の向こうの人ごみを思った。
そして、私の腕に手を絡ませている綾を見る。
身長を気にしている彼女には言えないがー…あの人ごみ。
果たして、綾は大丈夫なのだろうか?
「…銀ちゃん、どうしたの?」
 綾は、ふと足を止めた私の顔を訝しげに覗きこんだ。
私はハッと我に返り、苦笑して首を振った。
「いや、なんでもない。多分ー…大丈夫だろう」
「?何がよ?」
「綾は心配しなくてもいい。だがー…」
 そう言って、私はハァとため息をついた。
「私の腕を放すなよ」




















「わわ、もう何でこんなに人がいんのよーっ!」
「初詣だから仕方ないだろう!正月ってのはそういうもんだ」
「それにしても…痛っ、足踏まれた!」
 私はすぐ隣で聞こえた綾の悲鳴に、驚いて彼女を見る。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫よ、なんとか。足袋履いてるし。…まあ、ヒールじゃなくてよかったわ、相手が」
「…そうだな。気をつけろよ…ってきみに言っても仕方ないか」
「そうね、周りの人たちに言わないと!」
 私たちは、人波に流されながら、本殿のほうへと進んでいた。
私自身、この人ごみに辟易していたがー…折角来たのに参りもしないのは意味が無い。
だが、私以上に辟易していたのは綾のほうのようだった。
「いやだ、もう…こんなときこそ、背ぇ低いのが悔しいわね!」
 綾は私の隣でそう叫んだ。だがその顔は、すっぽりと人ごみに隠れてしまって見えない。
私は苦笑しながら、
「それも仕方ないことだ。同情はするがな。…もっと綾の身長が低ければ手もあるが」
「手って?何かいいアイディアでも?」
 綾は精一杯顔を上げ、私を見上げた。
私はその姿に微笑ましいものを感じながら、にやりと笑って言った。
「奥の手だ。…肩車とか」
 そう言った瞬間、私の右足に痛みが走った。
「銀ちゃん、サイテー!レディを子供扱いするなんて、失礼よ!」
 …綾がぷりぷり怒りながら、草履で思いっきり私の足を踏んでいた。
私は涙目になりながら、片手を顔の前に出し引きつり笑いを浮かべた。
「いや、思いつきで言っただけだし。まあ、悪かったよ。子供扱いしてるわけじゃあなくってー…」
「そうしてるのと同じよ、銀ちゃんの馬鹿!」
 綾はそう叫んで、私の腕をバッと離して駆け出そうとしたー…ところで、私は慌てて綾の腕を掴んだ。
そして少し力を込めて、彼女の身体を引き戻す。
少しよろけて私の身体に寄りかかる格好になった彼女の耳元に、顔を近づけて囁いた。
「…さっきのは、私が悪かった。でも、離れようとしないでくれ」
「……な、何よ」
 綾の頬が、何故かほんの少し赤らめているが、それはこの際気にしないことにする。
「きみが離れたらー…」
 そう言って、私は思わず真剣な顔になった。
見つめあっている格好になってしまっている、綾の瞳にも、何故か真摯な色が浮かんでいる。
そして私は、ぼそっと呟くように言った。
「もれなく迷子になるぞ、きみが。私は探し回らなきゃあいけなくなるじゃないか」
「………………。」
 綾は絶句し、肩を落として私を見つめていた。
勿論、もう真摯な色など掻き消えている。
「何を言うのかと思えば………ま、まあ確かにそうだもんね。
仕方ないから、今回だけは許してあげるわ。でも次言ったら承知しないからね?」
 綾は、フンとそっぽを向いて、改めて私の腕を掴んだ。
私は苦笑しながら、
「ああ、そうしてもらえると有難いよ。もう二度と言いません」
「分かればいーのよ。大体、ハタチのレディに肩車なんて、冗談じゃないわ」
「だから、もう少し綾が小さければー…いや、冗談です、すいません」
 私は綾の冷たい視線を感じ、思わず言い直す。
…女性は恐ろしいというのは本当だな。
 私が昔聞いた年長者からの教訓を身に染みて感じていると、綾がくいくいと私の服を引いた。
「それはそうとして。もうそろそろお賽銭の準備しないと。ちゃんと小銭持ってる?」
 いつの間に準備していたのか、綾は手の中の小銭を見せて私に言った。
私は、ああ、と頷き、コートのポケットに手を入れて適当な小銭を出した。
「…銀ちゃん、財布ぐらい持ちなさいよ」
「むしろ小銭だけでも持ってることに驚いてほしいな。私は犬だぞ?」
 こうして人型をとっていても、私の基本は犬。獣には金など必要ない。金など有難がるのは人間だけだ。
…だがこうして人になっている以上、わずかな金でも持たなければ仕方が無い。
無論財布なんてものに入れるほどは必要ないし、元々持ってもいない。
「…確か、五円が縁起が良いのだったか」
「そーよ、ご縁がありますようにってやつ。でもね、こっちのほうがもっとイイのよ」
 綾はそう言って、自分の手の中の十円玉を二枚、私の手のひらに落とした。
「重々ご縁が、ってね。分かる?」
「重々…成る程。でもこれは、洒落か?」
 私は苦笑して言った。
綾はけらけらと笑って、
「縁起担ぎなんてそんなもんよ。ほら、そんなこと言ってる間についちゃった」
 綾はそう言って、目の前を指した。巨大な白いビニールの布の上に、無数の小銭が散らばっている。
「…賽銭とは、賽銭箱にいれるんじゃなかったか?」
 私は情緒もへったくそもないその光景に、暫し唖然として呟いた。
綾はその呟きを聞き、苦笑しながら言う。
「仕方ないじゃない、こんだけの人がお賽銭投げるんだもん。正月だけの臨時よ、これは」
「ふぅん…そんなものか」
 私は手の中の小銭を放り投げ、すぐ隣にあった太い縄を手に取る。
同じようにして手にとった綾と共にそれを揺らすと、頭の上でガランガラン、と大きな音が響いた。
その音に和を感じつつ、隣の綾のように、手を二回叩いて目を閉じ祈る。
 …願い事か、何がいいかな。というか元々神なんぞ信じていない私が祈っていいものなのだろうか。
そもそも神に何を祈る?
大概は己の努力で何とかなるものだし、むしろしなければならない。
病、災害、それは大変だ。己の力ではどうにもできないこともあるだろう。
だがそれは天の思し召しというやつでー…ああ、これが神なのか?ううん、難しくてよく分からん。
やはり犬の小さな脳みそでは計り知れないものなのだろうな。
いや犬といっても、今の私は人間なわけでー……。

………まあいいか。後ろの人間も待っていることだし、綾を待たせるのも申し訳ないし。
…綾。そうか、綾のことだな。だが、ずっと一緒にー…というのも厚かましい気がする。
 やはりここは――――――………。
















「銀ちゃん、えらく長く祈ってたみたいだったけど。何願い事したの?」
 綾は、巫女姿の受付から御籤の紙をもらいながら、私に言った。
私は、ああ、と言って御籤の木の棒が入った大きな筒を振る。
そして出た番号を巫女姿の女性に告げた。
女性は番号の棚を探し、私の御籤の紙を手渡してくれる。
私は手にとったその紙の文面を見て、思わず苦笑を浮かべた。
「はは。見ろよ、凶だとさ」
「あらま、銀ちゃんついてないわね。あたし、大吉だったわー…って、何願ったのよ?」
「うん?」
 私は少し人ごみから外れた木の影に移動し、寄ってくる綾を見た。
「ああ、願い事か」
 私は御籤の紙を細長く折りながら、ふ、と微かな笑みを浮かべた。
「たいしたことじゃない。少し考え事をしていたら、長くなってしまったんだ」
「考え事って銀ちゃん…そんなに悩むもんじゃないわよ」
「まあ、いいじゃないか」
 私はそう言って、おかしそうに笑った。
「いや――…綾が、今年一年健やかに過ごせますように、ってな」
「…………へ?」
 綾は私の言葉に、きょとんと首を傾げる。
「…何であたしなの?銀ちゃん、自分のことは?」
「自分のことを祈るのは、何だかピンとこなかったんだ。
それにきみが怪我をするのも、病気にかかるのも…きみが泣くところを見るのも嫌だからな。
だから、そうした」
 何か問題でも?
私はそう言って、ニッと笑ってみせた。
暫しきょとんとしていた綾は、やがて呆れたような笑みを見せ、
「…なぁんか…究極のお人よしっていうか」
「別にお人よしってわけじゃないと思うが?多分…綾だから、そう思ったんだろう」
「ふぅん?ま…一応礼言っとくわ。ありがとね、銀ちゃん」
 綾はそう言って、にっこりと笑った。
私はその笑みを見て、心の底から愛しいという気持ちが溢れてくるのを感じながら、微笑んだ。
…これが、好きという気持ちなのだろうか。
人型になると、色々複雑な気持ちが溢れてきて困る。…最も、それは殆どが嬉しい悩みだが。
 そして私はふと思い出したように、綾に尋ねた。
「私は良いとして。きみは何を願ったんだ?」
「え?あたし?」
 綾はどこか慌てたように自分を指す。
私は憮然としながら、
「私も言ったんだから、きみも言うべきだと思うぞ。ほら、言ってみろよ」
「…笑ったりしない?」
 綾はそう言って上目遣いで私を見上げた。
私はクスクスと笑いながら、
「笑うかもしれないが、馬鹿にはしないさ。いいから、どうぞ?」
 私はそう言って、綾を促した。
綾は一瞬迷ったあと、ぽつりと呟いた。
「…今年こそ、背が伸びてスタイルが良くなりますように、って」
「…………」
 私は暫し無言で綾を見つめた。…私の頭ひとつ分以上身長の違う彼女を。
綾も無言で私を見上げる。その頬は少し赤い。
 そして、やがて。
「…………ぷっ」
 私はこらえきれず、噴出してしまった。
「あっ、今笑ったわね?!馬鹿にしないっていったのに!」
 顔を真っ赤にして憤慨する綾に、手を合わせて謝りながら、
「わ、悪い悪い。でも馬鹿にしないとは言ったが、笑わないとは言わなかったぞ?」
「でもその笑いは馬鹿にしてる、絶対してる!」
「いや、してない。ただ…ぷぷ、可愛いなあと思っただけだ」
「可愛いって…でもそんなんじゃ誤魔化されないわよ!
それにね、これだけじゃないんだから!まだー……」
 そこまで叫ぶように言って、綾はぴたりと固まった。まるで、しまった、と言うように。
私は滲んでいた涙をぬぐい、綾に尋ねる。
「これだけじゃない?まだあったのか、願い事」
「いやー…そ、そんなわけないじゃない!ほら、言葉のアヤってやつよ」
「むしろその場の勢いだろう?いいから言ってみろよ、今度は笑わないから」
「ううん、こればっかりは駄目!いいじゃない、ひとつ言ったんだもん」
 綾は首をぶんぶんと振り、叫んだ。
私は苦笑して言う。
「何を照れてるんだ?何か恥ずかしいことでも?」
「そういうんじゃないってば!もういいじゃない、そういえば来る途中に、おいしそうなカフェがあったわよね。
あそこでお茶しない?折角だし」
「そうだな、そこで聞かせてもらおうか」
 私はにやりと笑って、綾の腕を取った。そして彼女の瞳を覗き込みながら言う。
「…綾の本当の願い事」
「………!だから、いわないってば!」
 綾は顔を真っ赤にし、私の腕を払った。そしてくるりと背中を向け、さっさと歩き出す。
顔だけ私のほうに向け、
「ほら、早くこないと先行っちゃうわよ?そしたらあたしが迷子になって、銀ちゃんが苦労するんだからね!」
「…はいはい、そうなったらあとが大変だからな」
 私は苦笑して頭をぽりぽりと掻き、綾のあとを追いかけようと、足を踏み出した。
そして綾は前に向きなおり、私に聞こえるか聞こえないか程の呟きをぽつりと漏らす。



 「―――…今年は一人じゃないといいなあって。それだけよ」



 その消えてしまいそうな呟きを、かろうじて私の耳が捕まえてしまったことは、
 彼女には永遠に秘密にしておこう。

 私は、密かにそう誓った。








       End.