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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


大晦日

「きゃあっ、天ちゃん、そこどいて!!」
 かなめの悲鳴に、天は慌てて近くの部屋に飛び込んだ。どたどたと駆けて行くかなめの手には大きな袋が三つくらい抱えられており、悲鳴をあげてくれなければ、袋が廊下を走ってきたのかと思う所だった。もう少しで天を轢きそうになったかなめは、廊下の先で黙々と窓を磨いていた笑也をかすめてまた悲鳴をあげたが、何とかそのままの姿勢で外に出て行ったらしい。玄関の方で音が聞えた。天が飛び込んだ部屋は書庫で、こちらでは幸也が驚くべきスピードで本を片付けている。全ての本を取り出し、棚を拭き、またしまっているのだが、その手つきには全く迷いがない。まるで何がどこにあったのか全て記憶しているような速さだ。あっという間に書庫をぴっちりと整理し終えた幸也は、戸口に座っていた天をひょいと避けて出て行った。廊下を行く幸也の向こう側に、やはり同じ窓をまだ一心不乱に磨き続ける笑也が居た。くうん、と一声鳴いてはみたものの、どちらも相手をしてくれそうにないと見てとった天は、かなめの後を追う事にした。まだ窓を磨いている笑也の後ろを抜け、バケツに水を汲んでいる幸也の横を通り、玄関に下りる。その直前、けほんけほん、と言う小さな咳が聞えた。少し開いた襖の向こうは、『母さま』が寝ている部屋だ。いつも優しくご飯をくれ、撫でてくれる優しい『母さま』は、一昨日の夜から熱を出して寝ていた。何でも今は『年末』で、掃除をしたり料理をしたりで大忙しなのだそうだ。『父さま』は神社の方に行ったきりで、家の事は全てこの、いつもは滅多に揃わない氷川家の三人の子供たち、幸也、笑也、かなめに任される事になった。とっても大変なのよ、と張り切った顔でかなめが話してくれたのだが、成るほど、確かに大変そうだ。幸也の指揮のもと、かなめ達は昨日から押入れの整理だの何だのと忙しく、今日も朝からこの騒ぎだ。何でも今日は『大晦日』と言う特別な日なのだそうだ。お陰で天は暇で暇で仕方がないのだが…。
「天ちゃん」
 玄関を降りた所で、戻ってきたかなめと出くわした。つまらないのだと尻尾をふさっと揺らした天に、かなめは一瞬、済まなそうな顔をしたものの、
「でも今はダメなの。お掃除終わったら、御節もしなきゃいけないし。だから、ね?」
 と、頭をひと撫でしてくれただけでまた家に駆け込んで行った。どうやら、遊び相手は見つかりそうもない。諦めて庭に回った所で、またかなめの悲鳴が聞えた。
「ちぃ兄さま!まだその窓を…!」
 見ると、笑也が先刻と同じ窓をピカピカに磨き上げている。天は首を傾げた。窓は天の目にはその存在すら見えない程に完璧に磨き上げられている。キレイだ。掃除、と言うのはキレイにする事だとかなめは言っていたのに。笑也もそう思ったのだろう。心外そうな顔をしている。彼の反応に一瞬言葉を失ったかなめだったが、少し考えてから言った。
「ちぃ兄さま、この窓はもう充分キレイよ。でも他のもキレイにしなくちゃ、お掃除は終わらないと思うわ。窓、後20枚はあったんじゃなかったかしら」
 笑也がはっとしたように手を止め、かなめを見た。そして無言のまま次の窓を拭き始める。それを見てかなめがふう、と溜息をついた。そんな二人の様子を、幸也がそっと見ていたのに、彼女は気付かなかったらしい。笑也に何か言うと、彼を手伝い始めた。天は玄関に戻り、そこから家の中に戻った。庭から上がると、怒られるのを知っているからだ。かなめの部屋に戻ると、丁度日が差して暖かくなっていた。誰も遊んでくれないのなら、仕方がない。かなめの椅子の上に飛び乗ると、陽だまりの中、くるりんと丸くなった。遊べないのなら、他にする事はない。ぽかぽかと暖かい椅子の上で目を細め、うつらうつらとし始めた所で、何だか良い匂いがしてきた。どこからなのかはすぐに分かる。天はひらりと椅子から飛び降りると、ちゃっちゃっと足音を立てながら駆け出した。

「おお兄さま、お醤油は新しいのを開けて良いって」
 台所の戸口から声をかけているのは、かなめだ。中に居るのは幸也らしい。廊下を駆けてきた天に気付くと、かなめはくすっと笑って、
「天ちゃんのご飯じゃないのよ」
 と言った。そんな事は解っている。陽は傾いて来たが、まだ夕飯の支度には早すぎる。
「これもね、お正月の用意なの。天ちゃんのご飯もすぐ用意するから、待ってて」
 少し屈んでそういうと、かなめはこちらに背を向けて鍋を見ている幸也に声をかけた。
「おお兄さま、いい?」
「そうですね。そろそろ時間ですし。冷蔵庫の中に残りご飯が入っていますよ」
「はい。ちょっと待ってね、天ちゃん」
 かなめが冷蔵庫を開けてご飯の支度をしている間、天は幸也の手元をじっと見上げていた。作っているのは煮物らしい。慣れた手つきで味を調えていく様子は、『母さま』のようだと天は思った。その視線を誤解したのか、幸也はくすっと笑うと菜箸で鍋の中から鶏肉を一切れ抜いて、かなめが出した天の皿に載せてくれた。
「味見、です」
 要求していたつもりは無かったのだが、思わぬご馳走に大喜びした天は、鶏肉をぺろりと平らげた。その時、台所の戸が開いた。途端にかなめが明るい声を上げる。
「ちぃ兄さま!窓拭き、終わっ…」
 と言いかけて、かなめはふと時計を見上げた。次に、そっと笑也を見る。
「あの…ちぃ兄さま、もしかして今までずっと窓拭きを…?」
 笑也がこくりと頷いた。振り向いたかなめから、幸也がさり気なく視線を外したのが天には不思議だった。
「あれから…4時間は経ってると思うんだけど」
 再び頷いた笑也の脇を抜けて廊下に出たかなめが、感嘆のため息を漏らした。天も後に続く。廊下の窓ガラスは全て見事なまでに磨き抜かれており、天にはその存在すら見えないくらいだ。しばらくの間呆然とそれを見ていたかなめだったが、やがてぼそりと呟いた。
「次に雨が降るまでに、鳥が何羽ぶつかるかしら…」
 だが、その前に自分がぶつかるかも知れないと、天は思った。太陽は大分傾いて、丁度庭木の枝にかかるようにして見えた。三人と一匹がそれぞれに物思いつつ、段々と染まってゆく空を見上げていた。父からの電話で、幸也が社に出かけたのはその少し後だ。
「任せて、おお兄さま!お煮しめはもう出来上がってるし。しばらくちぃ兄さまと二人で大丈夫よ」
 請合うかなめに、幸也一瞬何か言いたげにしつつも結局はそのまま出かけてしまった。残されたかなめは大張り切りで、笑也と二人、てきぱきと他の料理の下ごしらえなどをし始めた。
「ちぃ兄さま、それはそんなに小さく切らなくても良いのよ」
 だの、
「大丈夫、上手に出来ていると思うわ」
 などと注意をしたり褒めたりしている様は、何故かいつもの、かなめと『母さま』に重なって見えて、天は不思議な気持ちになった。さっきよりも沢山の良い匂いが、台所の中に立ち込める。とりあえずひと段落したのか、かなめはようやく、一息ついて、エプロンを外した。「そろそろ、お医者様に行ってこなくちゃ」
 木べらで鍋をかき回していた笑也が、怪訝そうな顔で振り向く。
「お薬を取りにおいでって言われているの。すぐ帰ってくるから、黒豆ときんとん、お願いしても良い?」
 笑也が頷く。
「黒豆はまだしばらくかかると思うけど、きんとんは出来上がったら火を止めて、鍋を下ろしてね」
 かなめの言葉に、笑也は一瞬、何か言いたげな眼差しを向けたが、結局そのまま頷いただけだった。再び木べらで鍋をかき混ぜ始めた笑也を置いて、かなめと天は家を出た。途端に冷たい風がひゅうっと吹き付けて、身をすくめたかなめを励ますように、天が先に立って駆け出す。『母さま』を診てくれた医者は、神社を出た通りのまた向こうだった。少々年老いた医者は、かなめを孫のように可愛がってくれており、いつも彼女を引き止める。今回もやはり何のかのと話をさせられ、医院を出た時には陽も沈もうとしていた。
「大変!随分遅くなっちゃった。急ごう!」
 かなめに言われるまでもなく、天も駆け出していた。彼女にとっては身を切るような冷たい風も、ふっくらした毛並みの天には、実はそれ程苦ではない。神社の前まで駆けて来た天とかなめを呼び止めたのは、神社に居る筈の幸也だった。見ると、大きな白い袋を両手に下げている。
「おお兄さま!どうしたの?それ」
 駆け寄ったかなめに、幸也はちょっと袋を持ち上げて見せながら、今晩の分です、と言った。
「そっか!すっかり忘れてた。お蕎麦は…毎年頂いてたのよね、確か」
「社にありますよ。後で持って行きましょう。ところで、御節はどうなりましたか?」
「もうほとんど良いと思うわ。栗きんとんは、今ちぃ兄さまが…」
 かなめが言いかけた所で、幸也の顔が強張った。
「笑也が?…まさか、一人で?」
「ええ。もう出来てる頃だと思うけど」
「…かなめ」
「はい?」
「悪いんですが、急いで戻って下さい」
 首を傾げたかなめに、幸也がすまなそうに言った。
「笑也は殆ど、…いえ全く、料理と言うものをした事がないんです。かなめ達が来る前は、私が全てしていましたから。さっき、それを言っておこうかと思ったのですが、わかっているのかと思って」
「でっ、でも、包丁もへらもうまく使ってらしたと思うけど」
「器用なだけです。ちゃんと教えないと、何も分かりませんよ、多分」
「一応、出来上がったら火を止めて、鍋を下ろしてと…」
「出来上がった状態について、詳しく説明をしましたか?」
 かなめは首を振り、しばし幸也の顔を見上げていたが、すぐに我に帰って駆け出した。
「あの調子でかき回し続けたら、栗きんとん、粉になっちゃう!!」
 社を抜け、玄関に飛び込み、台所まで一直線に走りこんだかなめと天が見たのは、出るときと同じように鍋に向う笑也の背中と、『母さま』の姿だった。
「そうよ、黒豆はそのまま、蓋を開けてはだめよ?」
 母の言葉に、笑也が小さな声で返事をしている。栗きんとんの鍋はきちんと火から下ろされて、流しの隣に置いてあった。
「母…さま…」
 気の抜けたかなめの声で、『母さま』がようやく振り向いた。その顔色はまだ良くはないが、幾分か赤みがさしてきているように見える。『母さま』がまた元気になったのが嬉しくて、天は小さくあうっと吠えた。
「かなめったら、笑也さんを一人きりにして」
 呆けたように二人を見ていたかなめに、『母さま』が言った。
「笑也さん、困って聞きにいらしたのよ?」
「…ごめんなさい、ちぃ兄さま、母さま。お薬を取りに行ったら、引き止められてしまったの」
「お薬なんて、もう良かったのに」
 『母さま』はそう言ってかなめの頭を撫でた。
「起きて、大丈夫なの?」
 心配そうに聞くかなめに、『母さま』が微笑む。
「少しなら、ね。貴女が帰ってきたなら、もう平気ね。笑也さんも」
 振り向いた『母さま』に、笑也が頷いた。いつも通りの表情なのに、笑也の様子が何だか少し照れくさそうな、それでいて嬉しそうなのが、天にはまた、不思議だった。かなめの足元で跳ねる天をちょっとだけ撫でて、『母さま』はまた部屋に戻って行った。天もついて行きたかったけれど、今は部屋に入れては貰えない。後に残ったかなめと笑也が、黒豆以外の料理を漆塗りの重箱に詰め終わった頃、社から幸也が戻ってきた。かなめから事の顛末を聞いた幸也は、ちらりと笑也を見ただけで何も言わなかった。その夜は、三人と『年越し蕎麦』と言うものを食べた。大きな鍋で茹でた蕎麦はおいしく、また、揚げたての天ぷらはあんまり熱くて、天には食べられなかった。
「美味しい」
 蕎麦を頬張りながら、かなめが嬉しそうに笑う。
「とても上手に揚げられましたね」
 幸也が褒めたのは、笑也とかなめが揚げたかき揚げだった。本当?とかなめが喜び、笑也は少し決まり悪そうに眼を伏せた。いつもなら眠ってしまう時間なのに、かなめはまだまだ部屋に戻る気配がない。特別の夜だからだろうかと思いつつ、天はうつらうつらとしてしまって、目が覚めた時にはどこかから、夕暮れ時のような鐘の音が聞えていた。見ると、既にかなめは夢の中だ。軽く溜息を吐きながら彼女を抱き上げたのは、幸也だった。
「笑也」
 部屋を出た所で立ち止まった幸也は、少しだけ振り向いて言った。
「社に行く前に、母さんの様子を見て行ってくれますか?」
「兄さん…?」
「母さんも、きっと喜びます」
 笑也の返事が小さくだが、聞えた。天は立ち上がるとぶるっと身体を震わせ、幸也の後をついて部屋を出た。いつの間にか雨戸がしまっていて、ぶつかってしまいそうなガラス戸の向こうから射し込んでいるだろう、月明かりは見えない。けれど、さっきから続いている鐘の音は、低く静かに、その後天がかなめの部屋で眠るまで、聞えていた。

終わり。
 
<ライターより>
氷川幸也様、笑也様、かなめ様
先のお二人には始めまして、です。ライターのむささびです。かなめさんは何度か書かせていただいておりましたが、今回は初めて上のお兄様方にお会い出来ました。笑也さんは極力喋らせないようにしましたら、本当に台詞が…す、すみません。『いっその事天の視点でも面白いかも』と言うアイディアをいただきまして、犬の天の視点で書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。それ程の事件も起こらず、割と平和に過ぎてしまいましたが…。お楽しみいただけましたでしょうか。
それでは、またお会い出来る事を祈っております。

むささび