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<PCシナリオノベル(シングル)>


■ 水に揺れる花嫁 ■

 そのバスルームは、目を射る白が溢れていた。
 白いタイル、白いバスタブ、白い照明。
 そこはまるで、箱庭の中に作られているかの様に、現実感がなかった。
 そしてその中心には、赤い花嫁。
 元は真白であっただろうウェディングドレスは、既に彼女自身の血によって、匠の手を以てして作られた、豪華な刺繍の様に変わっている。溜息が漏れるほど繊細なチュールで作られていた首元は、まるで彼女の肌の様に張り付いていた。
 水につかる長い髪が、彼女の周囲にふらふらと浮かんでいるも、それは何故か彼女を守るかの様に見える程に、神聖さを持っている。
 何もかもが作り物めいて美しい彼女だが、一点、醜い箇所があった。
 首の真正面についた、ぱっくりと開いた傷だ。
 明らかにそれは、生きている者に着く様な傷ではなく、それがより一層、このバスルームを現実から遠ざけている。
 全てが現実から切り離された様なここ。
 静かに水に揺られた花嫁は、ただただ、愛しい人をだけを待っていた──。



 その日、彼は草間興信所を何の気なく訪れた。
 いや、全く何も思わずと言うのは、少々間違っているかもしれない。この草間興信所には、所長の思惑に反し、様々な怪異が持ち込まれる。日頃からそう言ったことに興味を示す彼は、時間が許せばそこへと訪れ、一風変わったその依頼を受けている。
 まだ日も高い時間であるが、夏とはほど遠い季節である為、逆に彼の身体には優しい時間帯でもあった。
 まるで白夜の随に輝く星明かりの幽玄を持つ銀の髪と、穏やかな湖面を思わす青い瞳を持つ彼は、セレスティ・カーニンガムと言った。
 この草間興信所にて様々な依頼を受ける調査員と言う顔を持つも、実はアイルランドに本拠を置く、リンスター財閥総帥としての肩書きを持つ人物だ。
 そして水と近しい存在である彼の性は、人魚であった。
 彼の所有する高級リムジンを、小汚いビルの前に留め置くと、ステッキをつきつつ、ゆっくりとその興信所へと上がっていく。
 扉を前に、ブザーを押すと、けたたましい音が聞こえた。
 「せめてこれは、何とかして欲しいのですけれど…」
 そう言っても、草間が変える気がないのだから仕方ない。
 勢いよく扉が開くと、そこに立っていたのは、所長の草間武彦その人だ。
 「お、良いところに来てくれたな。まあ、入れ」
 機嫌も急角度で上向きな草間は、まるで獲物を逃がさんとしている狼の様だ。
 これはもしや、何か事件があったのではと思ったセレスティの勘は正しい。
 ソファに腰を下ろす様に進めると、自分もその前に座って煙草に火を付けた。
 「それで、どんな依頼があったのです?」
 機先を制す…と言えば大げさだろうが、セレスティは一目見れば、日干しのババアも昇天する様な笑みを浮かべて草間に言う。
 「解るか?」
 「はい。察するところ、念願の普通の事件が持ち込まれたのですか?」
 草間が喜ぶ依頼内容と言ったら、一にこれだろうとセレスティは踏んだのだが、にんまりと笑った草間は、いーやとばかりに首を振る。
 「いくらかかってもOKだそうだ。ま、さっきのそれも、なきにしもあらずってな感じだけどな」
 成程、一にキャッシュな話なのだ。そして二に普通の事件……かもしれない。
 「で、どんな依頼だったのです?」
 セレスティがそう聞くと、草間は頷いて話し始めた。



 草間興信所の所長、草間武彦は、本日何本目かも解らない様な一本を口に銜えていた。ただその一本には、火を付けてはいない。灰皿はすでに吸い殻で山盛りとなっているも、現在それを片付ける人物がいない為、そのままテーブルの上にただ置かれているからである。今ここで灰を落とす為に触るだけでも、そのバランスは崩れて、テーブルに吸い殻をまき散らしそうなのだ。
 火のついていない煙草を銜えつつ、草間は現在彼の目の前に座っている依頼人に問いかけた。
 「で、気味の悪い夢と言うのは、どんな夢なんです?」
 睡眠不足が如実に表れている顔を草間に向け、彼女は力無く口を開いた。
 「はい。…眠っていると夢の中で水が、髪の毛みたいに絡み付いてくるんです。いつもいつも、怖くて、もう――」
 「髪の毛みたいに?」
 草間が聞き返すと、その女性は小さくはいと頷いた。
 確かにそれは怖かろうと、草間は思う。元々、髪と言うものは、自分が捨てたと解っていても、纏まっているものを見れば気味が悪い。それを彷彿させる様なものが絡み付くなど、全く以て頂けない。
 「そんな夢を見る、心当たりは?」
 依頼人は口元を押さえて首を振る。
 「前に住んでいたところでは、そんなことなかったんです。一ヶ月ほど前、今のところに引っ越して来てから、毎晩…」
 「その部屋には、何か事件があったと言う話は?」
 「勿論、管理人さんや不動産会社の方にもお聞きしました。でも、言葉を濁すだけで、何も仰ってくれなかったんです。半年前までは、前の方が普通に住んでいたと聞きましたから、その半年の間、何かなかったか調べたんですけど、何もありませんでした」
 調べ方が甘いとは思ったが、そんなことを素人に言っても仕方ないだろう。
 とまれ。
 彼女は涙ながらに何とかして欲しいと草間に泣きつき、渋い顔をしていた草間も『お金はいくらかかっても構いません』と言う一言に、その依頼を受けることを快諾した。



 「ま、こんな感じだ」
 「成程…」
 しかしこれだけでは、その二の部分が出てきていない。
 「草間さんは、もう手を付け始めているのですか?」
 「本当に、さわり程度だがな」
 「成程、そこに二がある訳ですね…」
 「二?」
 怪訝な顔をして聞く草間に、いえ、こちらの話でとセレスティは微笑んで誤魔化した。
 「依頼人が帰ってから、まだあんまり経ってないから、それほどは進んでないけどな。半年しか調べてないらしかったんで、取り敢えず範囲を広げて調べてみた訳だが、……するとあったんだよ」
 にんまりと草間は笑う。
 「五年程前、その依頼人の住んでいたマンション…、まあワンルームマンションなんだが、そこで殺人事件があったんだ」
 「殺人事件ですか…」
 さしずめ、彼女の夢に出ているのは、その殺された人間と言うことだろう。
 「ああ。若い女性が殺されたらしいんだ」
 「もしや犯人はまだ?」
 亡くなった者が夢に出ると言うのは、何か心残りがあるか、もしくは犯人を探してくれと言っているか、一番最悪なケースとしては、そこにいる者を自分の元へと引きずり込んでやろうとしている場合だろう。
 「いや、犯人は逮捕されている。彼女の婚約者だそうだ」
 「婚約者に殺されたのですか…」
 セレスティは溜息を吐く。愛する者を殺してしまうと言う心理は、何も珍しい話ではないだろう。けれどあまり心愉快になる話ではないことも、確かなことだ。
 「取り敢えずは、そう言うことになってる」
 「取り敢えず?」
 草間の言葉にも表情にも、何かありありな雰囲気が漂っているのを感じつつ、セレスティは再度聞いた。
 「ああ、その婚約者な、自分はやってないと言ってたらしい。そして最後は、ブタ箱で死んじまったらしい。一応そこで、事件は終了となってるな」
 「そう言うことですか。…で、草間さん、本当の犯人の目星はついてるんですか?」
 「流石はセレスティ。話が早い」
 あのフリがあったのだから、それは解るだろう。
 要は冤罪であった可能性を、草間は感じたのだ。
 「まあ、目星までは行ってないが、どうにも婚約者を犯人と断定するのは、可笑しいってことは解った」
 「つまり冤罪であるかもしれない、と仰るのですね」
 「そう言うことだ。セレスティ、手伝ってくれるな? もしかして花嫁は、真犯人を捜して欲しいのかも知れない」
 勿論、セレスティに否やはなかった。



 まずセレスティは、依頼人の住んでいるワンルームマンションを見たいと思った。
 理由は簡単。
 水と髪の毛とくれば、妥当な線で風呂場だろうと思った為、実際の現場を見る必要があると考えたのだ。
 まあ、キッチンや洗面所などもあるだろうが、キッチンで髪がぞろぞろ出て来ることはまずないだろうし、昨今洗面所でもシャンプードレッサーと言った小洒落たもの出ているものの、ワンルームマンションのそれは知れている。何も無理矢理こじつける必要はないだろう。
 もっとも、どのみち現場を見ると言うことは、依頼人の家に行くと言うことになるのだが。
 セレスティは初対面である為、身元の保証と言うことから草間とともに依頼人の家に来ていた。
 何処にでもある、一般的なワンルームマンションだ。
 作りつけのクローゼットにベッドなども着いていて、どうやら家具付きの部屋らしい。部屋自体は清潔で、また家具付きと言っても依頼人の好みに合わせて色々と工夫が凝らされてはいる。室内は淡いピンクで統一され、小物一つ取っても、依頼人がここで新しい生活を楽しもうとしていたのが良く解る。
 なのにいきなりこれでは、気味悪い上に落ち込みもするだろう。
 「どうぞ…」
 そう言ってセレスティと草間に紅茶を出した。
 若い女性らしい趣味のカップだと思う。紅茶は普通のティパックだが。
 「お気を使わずに」
 にっこりセレスティが微笑むと、何処か頬に赤みが差している。ほっとした様に見えるのは、目の錯覚ではないだろう。
 「早速ですが、本日こちらへと参りましたのは、お願いがあったからなのです」
 流石のセレスティ、いや、遠慮とは無縁の草間であっても、いきなり『風呂を見せてくれ』と言うのは言い辛い。風呂とトイレとキッチンは、女性にしてみればとても気を遣うところだろう。特に男性に見せるとなれば、なおさらのこと。
 「何でしょう?」
 何処か探る様な瞳で彼女は二人を見つめた。
 「とても言い辛いことなのですが…。バスルームを見せては頂けないでしょうか?」
 「え?」
 流石に依頼人は、面食らった顔をしている。
 だが、暫し考えた後、彼女は二人に問いかけた。
 「それが今回のことに、何か関係があるのでしょうか?」
 「ええ…」
 草間とは、最初の内は殺人事件があったことは内緒にしておこうと話は付いている。
 下手に言って、依頼人を不安にさせることはない。最終的な決着が着く時に、話す方が良いだろう。
 「水と髪と言えば、やはりすぐに浮かぶのはバスルームですから。少々拝見したいと思いまして…」
 なかなかに苦しい言い訳だ。だが、言ったのがセレスティであったことが幸いしたのだろう。彼女は考えつつも、解りましたと頷いた。
 案内を受け──と言っても、扉を示されただけだが──その中にセレスティが一人で入った。草間は最初の打ち合わせ通り、セレスティと依頼人の顔合わせだけして、風呂を見る段になると、ちょっと用があると言って出て行く。この後草間は、昨日会えなかった人物に会いに、警察へと行く予定になっているのだ。
 一歩中に入り、セレスティの形の良い眉が顰められる。彼女が背後にいるのは幸いだろう。セレスティのその顔を見れば、ここに何かあると解ってしまう。
 清潔感溢れるバスルームは、オフホワイトでまとめられ、四隅の一角、ドアの右側にシャンプーや洗顔と言ったものがまとめてコーナー棚に置かれている。
 そこから右に折れ、シャワーヘッドが壁からかかり、ドアの真正面がバスタブだった。バスタブ側の壁上部には、外に面した小さな灯り取りの窓がある。
 排水溝がバスタブの横にあり、きちんとそこも掃除はされていた。
 けれどバスルームには、何か空気が籠もっている。湿気と言ったものではなく、何か未練の様な、重い気配だ。
 セレスティは膝をつくと瞼を閉じ、バスタブにそっと手を置いた。



 脳裏に広がるのは、何時の光景だろうか。
 水の張られたバスタブは、ゆらゆらと照明を受けて輝いている。
 まるで無声映画の様に、景色だけが動いていた。
 純白のウェディングドレスを纏った女性が、怯えた様に後ずさっている。彼女はいやいやと言う様に首を振り、ゆっくりと追いつめられていった。バスタブに、彼女の手が付き、身体が半分バスタブに沈みかかる。何処か泣いている様な、けれど諦めている様な彼女は、自分を襲う犯人を見ていた。彼女の瞳を、まるで真夏の日差しの様な刃物の煌めきが鋭く焼く。
 ずぶりと飲み込まれるそれ。
 ぐずぐずと喉元から、血が溢れ出す。左から右へと、ゆっくりと、けれど確実に彼女の首を裂いて行った。
 ぐるりと視点が変わる。
 そこに見えたのは──。
 血の涙を流す鬼女だった。



 「何ともまあ、お粗末な話だ」
 依頼人のマンションを辞し、草間興信所へと戻って来ていたセレスティは、草間の苦虫を噛み潰した様な顔を見ている。
 興信所内は、何時もの様に少しくたびれており、けれど何処か安心した雰囲気を醸し出していた。既に何度も腰を下ろしているソファセットへと、草間と向かい合わせで、セレスティは座っている。
 彼は警察関係の知り合いの紹介で、五年前に起こったその事件について話を聞いていたのだ。
 「もう五年も前で、更に犯人と言われていた婚約者も死亡したと言うことで、事実上捜査チームは解散してた。だからその話を出して、当時の捜査員を紹介してもらったんだが、かーなりイヤな顔されたぞ」
 「まあ、…もしも草間さんが、それを冤罪であると証明してしまったら、警察側としては可成り都合の悪いことになりますからね」
 警察と言うのは、メンツと自己保身の固まりの様な場所だ。それを知っているセレスティは、思わず苦笑する。
 これは冤罪なのだ。
 あの時、犯人を見たセレスティには解っている。ただ、それがどう言った立場の人間であるかが解らない。草間の話を聞けば、きっと出てくるだろう。
 「まあな。で、だ。まず、俺が婚約者が犯人でない可能性があると思った根拠の説明をしていなかったから、そっちからするとだな、その今回の事件の資料を回してもらった時に、検死結果ってのが入ってた訳だ。そこに書かれていたのは、被害者の死因とか、まあそう言ったもんだな。死因は失血死。首を正面から、右から左へと切られてたんだが、それが可笑しいんだ。その婚約者は右利きらしい。通常なら、右利きの人間は、右から左へ薙ぐんじゃなくて、その逆になる筈だ。これがまず、可笑しいんじゃないかと思い始めた切っ掛けだ」
 「利き腕ですか…」
 一概にそうとは言えないのだが、セレスティはその現場を疑似体験したのだ。
 確かに、見えたのは男性ではない。
 つまり婚約者ではあり得ないのだ。
 「お前の気にしてた身長とかも聞いたぞ」
 いや、もうそれすら意味がないことを、セレスティは自分が見た光景から知っていた。
 「本当に真正面から、…まあ真上から切られたか、殆ど同じ身長のヤツに切られたかって感じみたいだな」
 「そうでしょうねぇ…」
 ぽつりと呟くセレスティに、草間が怪訝な顔をしたが、すぐさま思い当たったと言う顔をする。
 「見えたんだな?」
 「はい」
 セレスティは静かに言った。
 「じゃあ、そっちの結果から言うか?」
 「いえ、草間さんの方をお話して下さい」
 セレスティがそう促すと、草間は解ったと短く呟いた。
 「後聞けたのは、婚約者を犯人とした根拠だな。これは、被害者の会社での友人、知人の証言の様だな。友人が、被害者が何だか浮かない顔をしていたから訳を聞くと、結婚することに疑問を持っていたと言う話を聞いたそうだ。更に他の知人から、最近喧嘩が絶えないと言う証言もあったらしい」
 「それだけですか?」
 「後は凶器に使われたナイフだ。これに婚約者の指紋もついていたらしく、まあ、犯人と断定したらしいな」
 無茶苦茶な話だと、セレスティは思う。
 状況証拠と、後は付いていても可笑しくはないものに、指紋が付いていたことが証拠と言われても、首を傾げるばかりだった。
 友人、知人の証言は、結婚に悩んでいたり喧嘩が絶えないと言う被害者の話を聞いたとは言え、所謂マリッジブルーの可能性もある訳だ。結婚も間際に不安になり、そのことで喧嘩するカップルなど、それこそ掃いて捨てる程いるだろう。
 また、ナイフについた指紋だって、そこで普通に料理や洗い物をしている時に触れれば、付いていても可笑しくはないだろう。結婚を控えた者同士、仲良くキッチンに立っていても、可笑しな光景ではない。
 「そう言えば、『婚約者の指紋も』と仰いましたが、他に被害者本人だけではなく、付いていたと言うことでしょうか?」
 「いや、後は被害者の妹の指紋みたいだな。婚約者が捕まった時、呆然としていたらしいぞ。何で? って具合だったみたいだ。ちなみにその妹ってのが、被害者のたった一人の肉親だそうだ。両親は被害者の亡くなる三年前に他界している」
 成程、とセレスティは思う。
 「草間さん、関係者の写真などは、お借りできましたか?」
 「ああ」
 コピーだがと言いつつ、セレスティに見せたそれは、果たして。
 「犯人が、確定しましたよ」
 セレスティがバスルームで見たのは、その彼女の妹と言う女性だった。



 二日後、依頼人に今までの事情を全て説明し、協力を仰いだ。
 勿論話したのは、今日で全てのカタを付けるつもりであるからだ。
 依頼人は、あの夢を見なくて済む様になるのならと言うことで、有難くも了承してくれた。
 そしてセレスティと草間は、被害者の妹、つまり犯人をそのマンションへと呼んだ。
 最初は渋っていたものの、取り敢えずは来ることを納得させて、今依頼人のマンション内で、四人は顔をつきあわせていた。
 犯人は、一見大人しそうな二十代半ばの女性だ。
 落ち尽きのない様子なのは、いきなり知らない人間に囲まれているからなのか、はたまた自分が罪を犯した場所に来ていると言うことからなのか。
 「一体なんなんですか? 来たくないのにここに呼ばれて、更に何にもご用件を仰って下さらないなんて、馬鹿にしてるわ」
 いきなりそう来たか。そうセレスティは思う。
 どうやら彼女は開き直る、もしくはシラを切るつもりらしいと悟った。ならば遠慮はいらないだろうと、草間と二人で肯きあう。
 「そうですね。そろそろ本題に入りましょうか」
 「そうして頂戴」
 依頼主は、その応酬を見て、はらはらとしている。
 「五年前、君のお姉さんが殺されると言う事件がここでありましたが、勿論覚えていますね?」
 セレスティはゆっくりとそう切り出した。
 依頼人には、勿論そのことは話している。いきなり驚かれて、台無しになっても困るのだ。ちなみにその話を聞いて、この日が来るまで、依頼人は部屋で眠ることが出来ず、友人宅に泊まることになったのだが。
 「そうよ。なのにそんなところに呼び出すなんて、どうかしてるわ」
 「そんなところ、とは、どう言う意味でしょうか?」
 「どう言う意味って……」
 突っ込まれて言葉を濁す彼女に、セレスティはたたみかけた。
 「生々しい事件を思い出すからですか?」
 「そうよ。姉が殺された場所なのよ。私、確認だってしたんです。それを思い出してしまうのが普通でしょ?」
 「ええ、そうでしょうね。しかし、それ以上に、君はそのお姉さんを殺したことを、思い出すのではありませんか?」
 セレスティのその言葉に、犯人は絶句した。
 しかし即座に体勢を立て直し、唇を噛みつつ反論する。
 「失礼ね。殺したのは、お姉さんの婚約者なんでしょ? 警察がそう言って捕まえたのよ。間違っているとでも?」
 「婚約者を犯人としたのは、友人や知人の証言があったからだたそうだな。決定的な証拠と言えば、凶器についた指紋だけだ」
 草間がそう、口を挟んだ。
 「ええ、指紋が付いてたのよ。だったら普通、彼が犯人なんじゃないの?」
 「犯人であれば、指紋くらい消すだろう。消さないってことは、つまりのところ消す必要のなかった人間ってことだろ?」
 「それが私と言いたいんですか? 馬鹿馬鹿しいわ」
 話にならなとばかりの彼女の反応は、当然予測の範囲内だ。
 愚にも付かないことを言い、相手の油断を誘っておく。
 「さあ、それは何とも、私の口からは申せません。ただ私は、見てしまっただけなので」
 意味深なセレスティの言葉に、彼女は訝しげな表情を浮かべたかと思うと、即座に笑い出す。
 「見た? 何を見たの? 私が姉さんを殺すところを見たとでも? そんなことあり得ないわよね」
 「何故です?」
 「何故って…」
 セレスティの瞳が、すうっと細められる。
 「それは、君が、君以外、誰もいなかったことを、知っているから…ですね?」
 ゆっくり、ゆっくりと彼女の瞳を覗き込む。
 その心の奥底、封じ込めたくとも封じ込めることが出来なかった出来事。過去。過ち。
 それを全て吐き出せる様に、セレスティは彼女の心を取り込んだ。
 目の前にいる女性は、既にセレスティの手の中だ。
 「さあ、君が見たことを、行ったことを、……そしてその内に秘めた思いを、ここで言っておしまいなさい」



 「ずっと、ずっと好きだったのよ。私、あの人だけを見ていたのに、何で選んだのは姉さんなの? 可笑しいじゃない。私の方が、ずっとあの人を好きだった。私の方が、ずっとあの人を幸せに出来たわ。それに姉さんだって知ってたのよ。私があの人を好きだって、ずっとずっと知ってたクセに、知らないフリして言ったのよ」
 セレスティに、心の奥底にかけていたタガを外された彼女は、今まで口にしたくても出来なかった思いを、怒濤の様に語り出す。
 草間と依頼人はそれを聞き、そしてその様子を見、何処か哀れむ様に彼女を見ている。
 「『結婚するの、私達』…ってね。許せなかった。絶対に。でもね、私言ったのよ。おめでとうってね。笑顔でそう二人に言ったわ。だってねぇ…」
 焦点の合わない瞳で、にやりと彼女は笑った。
 「「そうでもしなければ、あの人は一生手に入らない」」
 セレスティが彼女と寸分違わぬ言葉を呟く。
 そう。彼女が祝福したのは、姉を亡き者にすると決めたからだ。
 姉を殺し、そして自分がその姉の位置へと居座ろうと決めたからだ。
 「そんなことしても、無理でしょう…」
 依頼人は疲れた様にそう呟いた。
 「無理? どうして無理なの? 姉さんがいなくなって、私があの人を慰めてあげようと思った。そうしたら、あの人だって、私のことをもう一度見ようとするかと思ったのに…。捕まったのよ」
 だから彼女は呆然としていたのだ。
 自分の姉を殺した犯人が、その婚約者だと言う理由ではなく、ただ、横から警察にかっさらわれた形になったと言うことに。
 あまりにも自分勝手だと思う。
 そしてそんなことしか考えられない彼女が哀れだ。
 「信じられない。あの人が捕まった時、私にくれたの。二人の結婚指輪になる筈だったって」
 見て、とばかりに彼女はそれをテーブルへと置く。
 飾り気のないプラチナの指輪だ。内側を見ると、良くある細工ではあるが、二人のイニシャルと思しきものが掘られている。
 「こんなもの残して、あの人は死んだの。私に見せつける様に、こんなものだけ置いていったわ。そうよ、姉さんは死んだのに、あの人まで死んじゃうなんて…。私は何の為に、姉さんを殺したの?」
 本当にそう思っているのだろう。彼女の顔は、当時を思い出しているかの様に、呆然としていた。
 「そもそも、その思考からして可成り無理があるな…」
 草間は、セレスティにしか聞こえないくらいの小さな声でそう言った。
 しかし小さな声で言う必要はなかったのかもしれない。
 彼女は既に、何も聞いてはいなかったからだ。
 徐々に顔を歪ませ、それは泣き笑いの様になっている。
 「でもねぇ…、あの人、自分で死んじゃったのよ。ねえ、自殺した人は、天国に行けないって言うのね。知ってる?」
 既に言葉すら、嗚咽で聞き取ることすら容易ではない。
 けれど誰も彼女が話すことを、邪魔はしなかった。ただ一言も聞き漏らすまいと、じっと耳を傾けている。
 「姉さんは私が殺しちゃったし、あの人は自分で死んじゃった。殺された人と、自分で死んだ人はね、…同じところに行けないの。そうよ、一生、二人は…離れ離れ。二人はね、死んだって…会えないのよ。会いたいと願った人同士が、会えないの。ざまぁ…みろよ…」
 慟哭だ。
 彼女は既に、何度も何度も心の中で繰り返していたに違いない。
 自分が殺した。自分が二人を引き裂いた。
 だからそれを後悔してはいけない。いや、していない、する筈がないと、何度も何度も言い聞かせていた。何故ならそう思い続けていないと、彼女は今まで生き延びてくることが出来なかったのだろう。
 自ら死ぬことすら出来ず、ただただ、毎日を言い聞かせることで生きてきた。
 セレスティは、彼女の心の底にある言葉を聞いた気がする。
 「君の気持ちは良く解りました。それでは、私が最後の仕上げをして差し上げましょう」



 泣きはらした顔をしているが、彼女はセレスティに言われるがまま、バスルームへと移動した。そこには草間も、また草間の元へとやって来た依頼人もいる。セレスティが先頭に立ち、そのすぐ後ろに彼女が、そして草間と依頼人が並んで立っている。
 「どうするつもりなんです?」
 セレスティの手には、被害者の婚約者が残したと言う指輪がある。
 「まあ、見ていらっしゃい」
 バスタブには、たっぷりの水が張ってあった。そこに指輪をそっと落とし込むと、不思議なことに、その指輪は沈まなかった。
 そして…。
 「嘘…」
 依頼人と被害者の妹の瞳が、丸く見開かれた。
 指輪の中心から、ごぼごぼと水が呼吸をし、そこから何かが徐々に見え始める。
 最初は小さな泡が、次第に大きさを増し、今ではすでに噴水の様に水が吹き出ていた。その中に影が見える。
 「まさか…」
 呆然とした風に、妹が囁いた。
 その影は、次第に色づき始めると、二人の人型へと変わる。
 純白の花嫁と、対を成す様に立っている白い花婿だ。
 「姉さん…」
 止まった筈の涙が、瞳からまたもや溢れているのを、セレスティははっきりと知る。
 『私、知ってたわ。貴方があの人のことを好きだったって。それでも譲れないことはあるの。だから、ごめんって、何度もごめんって思ったわ。身勝手だって、解ってたの。でも、ごめんね…』
 こんなに近くにいるのに、何処か遠い場所から聞こえてくる様な花嫁の声。
 顔を伏せてしまった妹は、何度も頭を振りつつ小さくごめんと呟いていた。
 『私、この子を恨みきれなかった…。この子の気持ちが解るから…』
 まっすぐセレスティの瞳を見て、花嫁がそう呟く。
 『お願い。私の声を聞くことの出来た貴方。この子を救ってあげて』
 そう言う花嫁に、セレスティは深く頷くと、次に花嫁のたった一人の妹へと問いかける。
 「君はお姉さんの幸せを、願うことが出来ますか?」
 彼女は、何度も何度も頷いた。
 嗚咽を漏らしつつ、それでもしっかりと彼女は言う。
 「私、……本当に後悔してるわ。だからお願い。姉さんとあの人を、もう二度と離れ離れにさせないで…」
 その言葉を聞き、凄絶なまでの笑みを浮かべ、セレスティが宣言する。
 「その願い、私が叶えて差し上げましょう」
 セレスティの指先がゆっくりと踊る。
 それに合わせ、バスタブの水が揺れたかと思うと、刹那。
 そこにある全ての水が立ち上がり、二人を包んだ。
 二人を中心に円を描くと、その周囲を回り、水が舞う。
 灯り取りの窓から降り注ぐ日の光を浴び、中心の二人は、まるでオーロラの中に漂う夢の様に見えた。
 「さあ。この水の祝福を受け、お二人で歩いてお行きなさい」
 不意に妹が顔を上げ、輝く水を纏う二人を見た。
 「結婚、おめでとう…。幸せに…、幸せになってね」
 囁く声を耳にした花嫁は、儚げに笑って頷いた。
 『貴方も、幸せに…』
 その声を聞いたセレスティは、その何者をも魅了する美貌にて、寄り添う二人に永久(とこしえ)の幸せを贈る。
 「せめて、この世の向こう側で、お幸せになって下さい」
 水の中に消えゆく花嫁の瞳に、七色の涙が輝いていた。

Ende