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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


新鮮なミイラ


■霧の火曜日、夜明け前――暗中

 暗い眠りから浮上して目を開ける。
 目蓋の向こうもまた、闇だった。
 腕を伸ばすと何か、硬い物に当たった。そのまま力を込めると、軋んだ音を立てて視界が開けた。
 寝心地の悪いベッドから体を起こす。ビロードのシーツに肌がひっかかり不快な感触を残した。
 正面の窓に目をやる。
 窓の外は濃い霧に覆われていた。部屋の中もむうとした湿気が漂い、気のせいか、わずかに空気が白く曇って見える。窓は閉まっているのと言うのに、どこか少しの隙間を探り当てて霧は忍び込んでくるのだ。
 毛布を引っ張り上げようと足元に手を伸ばしたが、掴んだのは己の夜着だった。
 そうして気がつく。
 寝心地の悪いベッドだとばかり思っていたがそうではなかったことに。先ほど押し上げたのは蓋だったことに。自分が箱の中に寝かされていることに。
 その箱は――棺だということに。
 喉が震えた。恐慌して、有らん限りの悲鳴を搾り出した。
 だが、恐怖に引きつった唇からは埃っぽい空気が漏れただけで、たった一筋の声すら紡ぎ出されては来なかった。


■霧の火曜日、早朝――骨董屋

 朝から街には霧がたゆたっていた。
 朝夕の冷え込みが激しくなってくるこの時期、霧はよくある現象だ。蓮の店を筆頭に古びた洋風建築が軒を連ねるこの路地が深い霧に包まれると、さながら霧の都とでも言った風情が漂う。
 しかし、蓮にとって霧は厄介者以外の何でもない。
「まったく……。大事な商品が湿っちまうよ」
 デリケートな骨董品たちには霧のもたらす湿気は最大の敵なのである。書物や紙製品に皺など寄ってしまった日には泣くに泣けない。とは言っても、空調設備を整えていないのは蓮の怠慢以外の何者でも無いのだが。
 店先に出してある品を一通りチェックし終わり、蓮はそのまま倉庫へと向かった。
 倉庫と言うのは名ばかりで、空き部屋を物置として使用しているといった方がしっくり来るだろう。広さだけはある板張りの部屋の中には、貴重品からガラクタまでが極めて雑多に並べられている。
 見回るまでもなく異常に気づき、蓮はその場に立ち尽くした。
 その視線の先には、骨董屋にもおよそふさわしくないものが鎮座していた。
 棺である。
 黒塗りのそれは蓋を大きく開け放たれて、己の内部を惜しげもなく晒している。中には――何もない。
「……こりゃ、一体……」
 狐につままれたような顔で蓮は首をひねった。
 それもそのはず。昨夜は確かに中身があったのだ。得意先に頼み込まれてやっと探し出したものだから、何度も確認した。
 棺の中に収められていたのは、まるで「生きているかのよう」に美しい女性のミイラ。
 首を捻りがてらに部屋を見回すと、窓がひとつ大きく開いており、部屋の中に霧を招き入れて空気を白く濁らせていた。
 近寄って窓を閉め、棺と窓を見比べてぽつりと言う。
「……逃げられたのかね、これは」
 見た目通り新鮮だった、と呟いた台詞の下らなさに、蓮は思わず苦笑した。
 ともあれ、一週間後の納品の期日までに見つけ出さねばなるまい。
 窓の向こうは、蓮の視線を嫌うようにミルク色の霧が深く立ち込めていた。


■霧の火曜日、午後――骨董屋

「ね、お茶のおかわり欲しいな」
 十里楠真雄は尋常でない頻度で先ほどからアールグレイをおかわりし続けていた。蓮は差し出されたティーカップを受け取りながら苦笑する。
「そんなに飲まれちゃ茶葉が切れちまうよ」
「だって美味しいんだもん」
 真雄はにこにこと笑みを振りまく。蓮さんの淹れ方が上手いから、と女主人を持ち上げるのも忘れない。
 瀬崎耀司はそんな二人のやりとりを見るともなしに眺めていたが、
「あんたは?どうだい、もう一杯」
「ああ……じゃ、頂きます」
 蓮に促されてカップを渡した。「もう一杯」がここに来てから何度目だろうと記憶を辿ったが、よく判らなかった。腹の中はすでに紅茶の大海と化している。
 蓮は耀司のカップに琥珀色の液体を注ぎながら、壁に据えられた古い鳩時計に目をやった。
「……しかし遅いねぇ」
 待ち人は来ず、実に約束の時間から一時間と三十分が過ぎようとしているところだった。
 紅茶のおかわりラッシュも結局はそれに帰結する。要するに他にすることが無いのだ。依頼の概要は十分ほどで聞き終わってしまい、かと言って自己紹介がそう長く続くわけも無く、世間話も歳の離れた耀司と真雄ではいまいち噛み合わない。
 真雄は注がれた紅茶を一息に飲み干して、少し乱暴にカップをソーサーに置くと、
「って言うか、ホントに来るの?すっぽかされてんじゃない?」
 苛立ったように爪を弾いた。
 そんなことはない、と蓮が否定する前に耀司が口を開く。
「彼は約束をすっぽかすような人間じゃないよ。でも、少し自分の世界に入り込みやすいところがあるから」
 多分今回もそれだね、と呟くように付け加えて、耀司は紅茶に口をつける。真雄は少し驚いたように目をしばたかせた。
「瀬崎さん、知り合いなんだ?――えっと……」
 もう一人の名前が思い出せないらしく、真雄は首を傾げて蓮を見る。
「城ヶ崎、由代」
「そう。その城ヶ崎さんと?」
 耀司が頷こうとした時、入り口のドアが勢いよく開いた。ドアに吊るされた年代物のベルがくすんだ風情に似合わないけたたましい音を立てる。
「遅れました!申し訳ない!」
 噂をすれば何とやら。息を切らして飛び込んできたのは城ヶ崎由代、その人だった。
 俯いて息を整えつつ、由代は言葉を続ける。
「いや、実は、連絡を頂いたときちょうど読書の最中で。ドイツから取り寄せた魔術理論の本なんですが、これが中々面白かったもので、あと一章読んだら出かけようと思って読み進めていくうちに、ついつい、最後まで読んでしまって……」
「あー、いいよ別に。それよりこっち来て座りなよ」
 呆れ顔の蓮にさわやかな笑みを送ると、由代は他の三人の座るソファの方へと、骨董品の棚の間を縫って歩いてくる。そして、耀司に目を留めて、おや、と呟いた。
「瀬崎くんじゃないか。いつ日本に帰って来たんだい?」
「先月だよ。葉書を送っただろう?」
 ああ、と頷きながら、由代は蓮の隣に腰を下ろした。由代の前にも香り立つアールグレイが置かれる。
「あの南米のか。君はいつも南米にいるね」
「いや、この間はチベットに行ってたんだよ」
「……絵葉書は南米の景色だったじゃないか」
「余っていたのを使ったんだ」
 飄々と言い放つ耀司に由代はため息を浴びせ、側で聞いていた真雄は堪えきれずに噴き出した。
 由代が紅茶を飲み干すのを待って、蓮はさて、と一同を見回す。
「みんな揃った所で現場の倉庫を見て貰いたいんだけど、いいかい?」
「ええ、行きましょうか」
 やる気に満ちて返事をしたのは由代だけだった。
 真雄は歯切れの悪い適当な返事を返してもじもじと体を揺らし、縋るように蓮を見る。
「ごめん、蓮さん。お手洗い貸して」
 短く言って立ち上がった真雄の後を追うように、耀司も頭を掻きながらゆっくりとソファを立った。
「……僕もちょっと」
 奥のドアの向こうに消えた二人を見送って、由代は不機嫌に眉を寄せる。
「何だい、女性の前で尾篭な……」
 失礼だよ、と憤慨する元凶に蓮は複雑な表情を向けた。


■霧の火曜日、午後――骨董屋倉庫

 黴臭く埃っぽい、と言う倉庫のセオリーに漏れず、アンティークショップ・レンの倉庫も進んで足を踏み入れたい場所ではない。しかも、扉を開けてすぐに大きな棺が転がっているのが目に入るとあれば、余計に。
「いなくなったミイラは白人の女の子で……そうだね、二十歳にもなってない感じだった。中世の頃のヨーロッパ人だそうだよ。病気で若くして亡くなったんで、両親が遺体を綺麗なまま残したがって、魔術師に依頼して加工させたって触れ込みだけど」
 どこまで本当やら、と呟き、蓮は先頭に立って倉庫に足を踏み入れた。三人がその後に続くと一歩進むたびに埃が舞い上がったが、どう言う技術なのか、蓮が埃を踊らせることはない。
 棺の側に立って部屋を見回し、蓮はいつものように煙管を咥えた。
「ここは今朝から何もいじってないよ、そのまま――。……ああ、窓は閉めたね。そこの窓が開いてたんだ」
 蓮が指差した先の窓は、よじ登って外に出ることも十分可能だろうと思われる大きさだ。倉庫のドアの鍵は外側からしか開けられないタイプだが、窓は内側から鍵の開閉が自由になる。
「ここから出て行ったのかな……」
 真雄はそう呟いて窓に近寄って行く。古風な差込式の鍵を外して窓を開け放つと、霧の残滓が部屋に流れ込んで空気を一段重くした。
「……あれ?」
 古びた窓枠の下辺に、小さなゴミが引っかかっていた。紙かな、と何の気なしに摘み上げる。それは真雄の指の間で、くにゅ、と嫌な弾力を見せた。
「…………」
 馴染み深い感触。医術に携わる者ならばそれが何かすぐに判る。
 人間の、皮膚だ。

 一方、由代と耀司は蓮に許可を取り、棺の内部を調べ始めていた。
 古風な外見とは裏腹に、ビロードの内張りの下には湿度管理の機材が仕込まれているという手の込みように、耀司は感心してため息をついた。
「凄いですね。これは蓮さんが?」
「いや、元から。適度な湿気がないと駄目になるらしいよ」
 高い機材なんだろうねえ、と蓮は目を光らせる。調べるのはいいが壊したら許さない、と言うわけだ。判っていると肩をすくめ、耀司は棺に頭を突っ込んでいる由代の肩を叩いた。
「だってさ、由代さん。壊さないでくれよ」
「判ってるさ」
 湿気でぺたりと指に吸い付くビロードを撫で回しながら、
「まるで『生きているよう』なミイラ、か……。考古学者の視点から見て、どう思う?」
 由代は視線だけを動かして耀司を見た。耀司は首を捻りながら顎を撫でる。
「そうだね、例がないことはないよ。一頃話題になった、中国の馬王堆漢墓で出土した女性の遺体なんかがそうだね。まあ、あれは厳密にはミイラではないし、見た目も少し人間離れしているが……」
 人差し指でとんとんとこめかみを叩く。
「ヨーロッパなら有名なパレルモのミイラがあるね。二歳で亡くなった少女で、父親がミイラにしたそうだけど、こちらは本当に生きているようなミイラだよ。まあ何にせよ、遺体を生前のような姿で保つと言うのは、技術的には出来ないことじゃない。原理の解明はなされていないにしてもね。今回の問題はそこじゃなく」
「ひとりでに動いていなくなった、というところだね」
 決めの台詞をまんまと由代に奪われ、耀司は面白くなさそうにつるりと顎を撫でた。
「そう言う由代さんの見解は?」
「そうだな、棺に何だか違和感があるが、今ひとつはっきりとはね……。出来れば内張りの布を剥がしてみたいけど」
 これ見よがしに由代は蓮に視線を送る。蓮は苦りきった顔で煙管を噛んだ。しばらく考えて、諦めたようなため息と共に紫煙を吐く。
「仕方ない。あんまり派手に破ったりはしないでおくれよ」
 判っていると頷き、由代は器用に指先を動かして空中に小さな魔法陣を描き始めた。図形は完成すると同時に光を放ち、そこから鋭い爪を持った小鬼が現れる。
 小鬼が由代の命を受けてビロードの内張りを器用に切り裂いていくのを耀司はさも珍しげに眺め、便利なものだね、と感心したように呟いた。
「――で、どうだい?」
「待ってくれ、ここに何か……」
 蓋の内側、布を切り裂いて現れた板には、何で記したものか、赤黒く掠れた線で魔法陣と思われる図形が描かれていた。積もり積もった劣化に加え、昨夜からの霧で湿気が酷いせいだろうか、一部の塗料が剥がれ落ち、陣は形を成さなくなっていた。
 由代は片眉を吊り上げる。
 期待していた未知の魔術ではない。ありふれた封印の陣だった。

 一通り調べ終わり、誰ともなしに棺の周りに集まってくると、さて、と耀司が切り出す。
「これからの行動方針を決めようか。僕らは専門も違うし、第一、どこに行ったか判らないミイラを探すのだから、ばらけて行動したほうが効率がいいと思うのだが、どうかな?」
 視線を送られ、真雄と由代はそれぞれ頷いた。
「ねえ、これ見て。あそこで見つけたんだ」
 真雄は片手で窓を指差し、もう片手は掌を上にして差し出して見せる。その手の上には、白っぽく透明度の高い紙のようなものが乗っている。
「何だい、これは?」
「皮膚だよ。ヒトの」
 由代は触れようと伸ばしかけた手をぴたりと止め、そろそろと元の位置に戻した。
「下の窓枠の、出っ張ってる釘に引っかかってたんだ。調べてみないと正確なことはわからないけど、多分ミイラの皮膚だと思う」
 真雄は皮膚をぺらりとつまみ上げ、明かりにかざして見せる。
「もしかしたら逃げたんじゃなくて盗まれたんじゃないかって思ってたけど、これでその線は消えたね」
 こんな証拠を残す泥棒はいない、と、真雄はそこで言葉を切って一同の反応を伺った。促されるように由代が口を開き、
「僕は、ミイラが動くのは魔術によるものだと思っているから、その方面から追えるだけ追ってみるよ」
「僕もミイラを探しつつ、古今の資料を当たってみるくらいだね」
 耀司がそう締めくくる。
 随時連絡を取ることだけを決め、三人は骨董屋を後にした。


■霧の火曜日、夕刻――暗中

 足取りはふらふらとおぼつかず、意識もぼやけて焦点が定まらない。辺りを覆う霧に頭の中まで浸食されたかのようだ。
 空はいつしか橙に染まり、それももう暗い青に追い立てられ始めている。夜がやってくるのだ。昇った太陽を煙る霧の向こうに見た気がするが、いつの間に一日が過ぎ去ったのか判らない。記憶が、意識が混乱している。
 ざり、と足を引き摺って手近な壁に手を付く。そのまま足からは力が抜け、壁に体を預けて崩れ落ちてしまった。
 霧が濃くなる。体を抱きこんで、頭の中にまで入り込んで何も判らなくさせる。
 目を閉じると、暗闇に落ちた。


■曇りの水曜日、午後――骨董屋倉庫

 由代の指先が描き出した大きめの印章が光を放つと同時に、ぐにゃりとゆがんだ空間を通り抜けて一匹の黒い犬が現れた。もっとも、犬に似ているだけで本当の犬ではない。いわゆる使い魔だ。
「便利なもんだねえ」
 召喚の一部始終を眺めていた蓮が感心した声を漏らす。
 由代は再びアンティークショップ・レンを訪れ、店主とともに倉庫にいた。足元には相変わらず黒い棺が横たわっている。
「しかし、犬にその――ミイラの匂いを追わせようってのかい?」
 無理だろうと言わんばかりに苦笑した蓮に、由代は余裕の笑みを向けてみせる。
「匂いを追わせるのはその通りですよ。でも、ミイラの匂いじゃない」
「……? 他に何の匂いがあるんだい?」
 由代は棺の蓋を指差す。そこには、赤黒い塗料で描かれた魔法陣が一つ。
「魔法陣?」
「そうです。正確には、魔術を行使した際に残る『ずれ』――自然の摂理を捻じ曲げるために起こる場の変容ですけれどね。魔術はひとつひとつ、その『ずれ』の具合が違うんですよ。動くミイラ……いわゆるアンデッドの場合は、存在そのものが世界の法則に反していますから、波長が特定できれば足取りが追えるはずです」
 自信たっぷりに言い切った由代に呼応して、使い魔が一声吠える。蓮は感心したようにへえ、と漏らした。
 実際はこの魔法陣とミイラに施されている魔術が別物である可能性も無きにしも非ずなのだが、まあ、それはわざわざ言うことでもあるまい。
「ところで、蓮さん?」
 と、由代は穏やかに微笑む。
「ご存知だったら、ミイラの生前のことや、ミイラをご所望のお得意先について聞かせていただきたいんですが?どこから手がかりが転がり出てくるか判りませんし」
 すっと蓮の目が細くなる。唇は三日月のように開かれて微笑んでいるが、目は決して笑っていない。
「お得意さんについちゃあ、知らなくても仕事には大して差し支えないさね。ま、特に縁者ってわけじゃないとだけ言っとくよ」
「そうですか」
 由代は軽く肩をすくめただけでさして落胆した様子もない。蓮の反応は大抵いつもこうだからだ。客の情報をかたくななまでに守る。「いわくつき」の商品を扱う店の主ともあれば当然のことなのかもしれない。
 引き揚げ時か、と棺を嗅ぎ回る使い魔の骨ばった首筋を撫でていると、蓮が思い出したように指先で煙管を回した。
「ああ、でもミイラは、名前なら判るよ。確か――エミリアって言ったはずさ」


■曇りの水曜日、午後――暗中

 目覚めると霧は晴れていた。
 天候と連動したかのように頭の中も霧が晴れて、多少はすっきりしている。だが依然、手足は石のように固く重かった。
 石壁に縋りついて何とか立ち上がる。もつれる足を引き摺って歩き出すと、生ぬるい風が肌をなぶった。
 ふらふらとおぼつかない足取りで歩き出す。
 足裏に当たる固い感触で初めて、自分が裸足だと気が付いた。思わず立ち止まる。
 ふと脇に目を移すと、大きなガラスの嵌まった窓があった。中には洋服や靴が並んでいたが、そんなものは目に入らなかった。
 土気色の肌。干からびた髪。生気なくどろりと濁った、瞳。
 ガラスに映った己は死に装束をまとって、亡者のように立ち尽くしている。
 ひゅう、と喉から不吉な音が漏れた。もとより、声にはならなかった。


■曇りの水曜日、深夜――南向きの部屋

 モニタの明かりだけが光源の薄暗い部屋に、カチカチとマウスのホイールを回す音が響く。右手でマウスを操りながら真雄は欠伸を噛み殺した。
 ミイラの皮膚は昨日のうちに鑑定に回してある。自分でやっても良かったのだが、機材を借り入れるのも面倒だし、何より依頼は「いなくなったミイラを見つけ出すこと」なのだ。鑑定に時間をとられて捜索がおろそかになっては本末転倒だ。
 ふぁ、と噛み殺せなかった欠伸が漏れる。真雄は気だるそうに目を擦った。
 かちりとマウスをクリックすると、ブラウザの画面がおどろおどろしい赤と黒に染まる。そして女の叫び声のBGM。ギミックに凝ってはいるが多少子供っぽい、と真雄は、今日一日で数多のオカルトサイトを巡って肥えた目で70点の判定を下した。
 真雄が季節外れなオカルトサイト巡業などしているのは、動くミイラの目撃談でも拾えないかと思ってのことである。蓮の店がある一角は辺鄙な場所ではあるが、人通りが少ないわけではない。夜中から朝にかけてのこととは言え、一人ぐらい目撃者がいてもおかしくないはずだ。
 しかし、昨日の今日と言うこともあってか、どこの掲示板にもそれらしい書き込みは見られない。
 今日はそろそろ終わりにしようと思い、最後に関東圏最大のオカルトサイト――ゴーストネットOFFの掲示板を開く。ホイールを転がして画面をスクロールしていくと、
「……!」

 Subject:なんか死人みたいな顔色の女とすれ違ったんだけど

 中ほどあたりに、そんな記事を見つけた。
 真雄は本文に目を移す。
 朝刊配達のバイトをしていて、おかしな女とすれ違ったこと。女は白人らしいが酷く顔色が悪く、中世じみた服を纏っていたこと。
 白人女性、中世――蓮に聞いたミイラの特徴と一致する。
 ぺろりと唇を舐め、真雄はマウスを離してキーボードに細い指を添える。カタカタと慣れた調子でキーを叩き、その記事にレスをつけ始めた。

 『へえ、面白いね。ゾンビだったりして。それってどこで見たの?』


■雨の木曜日、午後――駅前通り

 曇天は回復することなく、今日は朝から冷たい雨が降り続いている。差しかけた番傘に溜まった水滴を振るい落としながら、耀司は重い空を見上げてため息をついた。ついていないな、と思う。まだしも午前のうちなら雨足も緩かったのだが、論文の推敲に手間を取られて結局出発が遅れてしまったのだ。
 フィールドワークは考古学者の本領だ。上手くすれば足跡でも追えるかと思っていたが、この雨ではそれも流れてしまっただろう。加えて、いつもは賑わう駅周りも今はほとんど人影がなく、聞き込みをするにも状況は恵まれているとは言えなかった。
「やれやれ……」
 二度目のため息は背後から聞こえてきた慌ただしい足音にかき消される。何気なく振り向くと、見知った顔があった。
「あれ、瀬崎さん?」
 大きな目をさらに丸くしてこちらを見上げているのは、書類ケースのような銀色の鞄を頭上にかざした真雄である。鞄はまるで雨よけの役目を果たしていず、真雄の身体を絶えず水滴が打つ。
 耀司が入れと言うより先に真雄は傘に入ってきた。よかった、と息をついて、濡れて張り付いた前髪を鬱陶しそうに掻き分ける。
 懐紙を渡して顔を拭くように促し、耀司は傘を少し真雄のほうに傾けた。
「どうしたんだね、こんな日に傘も持たないで」
「持ってたんだけど、コンビニ寄ってたら盗られたみたい」
 水滴を拭い終えて人心地ついたのか、真雄は肩の力をふわりと抜き、改めて耀司を見た。
「そういう瀬崎さんは?蓮さんとこ行くの?」
「いや、僕はミイラの足取りが追えないかと思って来たんだ」
「なーんだ、奇遇。一緒だね」
 じゃあ旅は道連れ、などと上機嫌に言って、真雄はさっさと歩き出す。それが当然ででもあるかのように傘持ちは耀司だ。腑に落ちないものを感じつつも、この細っこい少年をこれ以上雨の下に晒すのも気の毒で、耀司は黙って後に続いた。


■雨の木曜日、午後――暗中

 雨だ。雨だ。冷たい雨だ。
 水が乾いた肌にしみる。体の芯までしみとおる。
 雨がもたらすものは癒しではなく、絶望だった。
 水を含んだ夜着が重く足にまとわり付く。
 ――いや、夜着ではなかった。死に装束、だ。
 自嘲して笑うが、声の変わりに漏れ出たのは、埃。
 ああ、一体、どうしてしまったのだろう。
 自分は死んでいるのかいや今こうして動いて考えているのだから死んでいるはずはないのだけれどこの体はまるで亡者。
 ああもう、なにもわから、ない。


■雨の木曜日、午後――黒犬の導いた先

 由代の眉の釣り上がり具合に反比例して、犬の耳と尾は情けなく垂れ下がっていく。最終的には主人の睨みに耐え切れなくなり、犬は哀れっぽく鳴いて、濡れるのも気にせずぺたりと地面に伏せた。
 洋風建築の立ち並ぶ路地の一角、由代の背後には「アンティークショップ・レン」の名が記された看板が掲げられている。ミイラ捜索の始点であり、また終点でもある場所だ。
「……はぁ」
 思わず漏れたため息は思いのほか盛大なものだった。
「判らないなら、正直に判らないと言いなさい」
 湧き上がる脱力感に負けじと気力を振り絞って、犬――使い魔に噛んで含めるように言い聞かせる。
 結局、棺の魔法陣とミイラにかけられているであろう術とは全く別物だったようだ。使い魔はぐるぐるとこのあたりの入り組んだ路地を徘徊した末、ここに戻ってきてやっと判らなかったのだと告げた。悪気はなく、久しぶりの仕事で張り切りすぎただけなのだろうが、それで無駄足を踏まされる身としてはたまったものではない。しかもこの雨の中、だ。
 媚びるように細い鳴き声を上げ続ける使い魔の頭を軽く撫で、怒っていないと力なく笑ってみせる。実際怒る気力もなかった。使い魔の額の辺りでくるくると指を動かし、
「……とりあえず、もうお帰り」
 召還の印章を描き上げると、使い魔の輪郭はぐにゃりと歪んで雨に吸い込まれるように消えていった。
 さて、と息をつき、由代は襟を正した。傘の内側を見上げつつ歩き出す。
 魔術の痕跡から追うことが出来ない以上、憶測で詰めていくより仕方がない。ミイラの行きそうな場所は、と考えを巡らせる。
 中世の人間が現代に放り出された場合、まずは風景の変化に戸惑うだろうか。
「……いや、最初に目にしたのがこのあたりの路地なら……」
 特に違和感は感じないだろうな、と、さながらヨーロッパの町並みのような建物群を見回して由代は頷いた。
 ミイラはまだこの界隈から出ていない、という可能性はかなり高いと思われる。今さっき、犬に連れまわされて一回りしてみても痕跡がなかったことを考えると、どこかに隠れるなりしているのかもしれない。
 公園や開放施設を当たってみよう、と方針を変更し、一度傘を開きなおして水滴をはじくと、由代はゆっくり踵を返した。


■雨の木曜日、午後――石畳の路地

 雨は降り続いている。雨足は増して激しくなっているようだ。相合傘を続けるには少し厳しくなってきた天候を恨みながら、耀司は水を含んだ袖を振った。隣の真雄は細身が幸いして、傘に入ってからはほとんど濡れていない。
「――それで、その書き込みした人に色々聞いてさ。そしたら、ミイラを見た場所が蓮さんの店からそう離れてないとこだったから」
「貴重な目撃談だが……それは昨日の話だろう?まだこのあたりにいるとは限らないんじゃないかな?」
 雨音に吸い込まれて聞こえにくいので、必然的に話す声も大きくなる。
「でも、昨日は夜中ごろから雨だったでしょ。そんな中、歩き回ったりするかな」
「雨宿りしてるわけか。なるほど」
 くすくすと耀司は笑う。馬鹿にされたと感じたのか、一瞬険しい表情を見せた真雄に、そうではないと首を振って、
「いやいや、一理あるなと感心したんだよ。うん、隠れていると言うのにね。僕はむしろ人の多いところにいるかと思っていたが、考えてみれば中世そのままの格好をしているわけだからね。原宿あたりならともかく、他では目立ちすぎるな」
 そう、一人で何度も頷く。
「とすると、探すべきは人が隠れられそうな場所か……」
 耀司が首を傾げた拍子に傘が傾き、溜まっていた雨がざあと流れ落ちて袖をますます水浸しにする。思考に没頭してそれに気付いていないらしい耀司に、真雄は呆れ顔でため息をついた。
「……服、すごい濡れてるけど」
「ん?……ああ、本当だ」
 気が付いてももう絞る気もないのか、ため息をついただけで済ませ、耀司はくるりと傘を回して残った水滴を飛ばす。
「しかし、ひどい雨だな。これじゃミイラ探しなんてとてもじゃない」
「蓮さんのところで雨が止むまで休――」
 真雄が言い終わる前に、空から大地へ向けて一閃、稲妻が走った。
 思わず肩をすくめた真雄と、目を見開いた耀司の耳に、すぐに空気が轟く音が届き鼓膜を振るわせた。余韻が後を引いて雨に流れていく。
「……雷、落ちたのかな」
「多分ね。近そうだ」
 二人は顔を見合わせる。
 何も言わずとも、歩き出した足はアンティークショップ・レンへと向かっていた。


■雨の木曜日、午後――暗中

 突然、空が裂けた。轟音が轟く。
 恐怖を呼び覚まされ、弾かれたように駆け出していた。
 あれは裁きだ。邪悪なるもの、不浄なものをすべて焼き尽くす、神の裁きだ。
 ――そうだ、神さまが。
 ああどうか、助けて。神さま。
 神さま――。
 闇雲に走り、気がつくと、目の前に十字架のついたドアがあった。まるで導かれたかのようだ。
 ドアを潜るのに、迷いがあるはずもなかった。


■雨の木曜日、午後――石畳の路地

 突然の雷に少なからず驚き、由代は空を見上げた。厚い雲の向こうでまだゴロゴロと唸っているのが判る。
「……まいったね」
 小走りで近くの建物の軒先に非難し、傘をたたむ。先ほどの雷はどこに落ちたのか、ときょろきょろ見回していると、十字架が目に入った。
 日本ではなかなか珍しい本格的なカトリックの教会だ。こういった場所まであるとは、ますますヨーロッパじみている、と笑い、
「…………」
 その後ではたと思い当たって、由代は十字架をまじまじと見つめた。
 中世といえばキリスト教が絶大な力を誇った時代。もちろん、民衆の信仰も厚い。そして、当のミイラは中世ヨーロッパの頃の人間だ。教会にいたとしても何の不思議もない。むしろ、周りの変化に気がついて不安を掻き立てられたのなら、神に縋ろうとするのではないか……。
 我ながら、中々当を得た推論に思える。
 由代は多少雷を気にしつつ再び傘を開き、教会に向かって歩いていった。

 近づいてみれば、建物自体は思っていたより小さかった。僧坊から少し離れたところに礼拝堂があり、こちらは随時開放されているようだったが、雨のせいか、さすがに今は人影がない。
 足跡は付く側から流されてしまって何も判らないが、礼拝堂の軒下――ドアの下あたりに、引き摺ったような水の跡が付いていた。
 傘を閉じ、ドアの前に立って中の気配を伺うが、判らなかった。雨の音が邪魔で音はろくに聞こえない。そもそも、ミイラは気配を発するものなのかどうか。
「……よし」
 意を決して、十字架の付いた質素な作りのドアを引く。音もなく開いたドアの向こうの冷たい空気と、外の湿った空気の混じり合う境目に立って、由代は中を覗き込んだ。
 水の跡はそのままドアからまっすぐ続き、十字架に貼り付けられた救世主が憂いに満ちた目で見下ろす地点で一際大きい水溜りを作っていた。
 そして、そこに頭を垂れてうずくまる人影が一つ。
 古びた白いドレスは泥で汚れ、ぐっしょりと濡れて細い体に張り付いている。袖から除く腕はまるで土気色で、水を含んでふやけて膨れていた。もとは豊かに波打っていただろう金の髪は細く痩せ、見る影もない。
 声は聞こえないが、どうやら祈りを捧げているようだった。
 由代はどう声をかけるか少し逡巡した後、ただ一言だけを口にした。
「――エミリア」
 すなわち、彼女の名を。
 人影はびくりと体を震わせた。それから、そろそろと顔を上げ、振り向く。
 土気色の顔は頬がこけ、瞳は白く濁っていたけれど。それでも、美しい少女だった。


■雨の木曜日、午後――暗中

「――エミリア」
 誰かがそう呼んだ。
 エミリア。
 それは誰。
 聞き覚えがある。
 ――ああそうか。
 それは、私、だ。
 エミリアは、私。
 それを認識した途端に、頭の奥深くから記憶が次々と駆け出してきた。同時に急激な痛みも沸き起こる。ずきずきと痛む頭の中でさまざまな場面が浮かんで消える。
 父様、母様、婆やとメイドたち。応接間のシャンデリア、冷たい階段の手すり、お気に入りの帽子、テラスからの風景――。
 思わず祈るのをやめて顔を上げた。名前を呼んでくれた人の顔を見たいのに、動きの鈍い身体がもどかしい。
 やっとの思いで振り返る。入り口に立つ人は逆光で影のように見えた。
 その残像を目の端に焼き付けたまま、頭痛が頂点に達して意識が焼き切れた。


■雨の木曜日、午後――骨董屋

 部屋にはキーマンの甘い香りが満ちている。
 乾いたタオルで水気を取り去って人心地ついた真雄と耀司は、雨で失った体温を取り戻そうとでも言うかのように、熱い紅茶を次から次へと流し込む。蓮は呆れ気味の笑顔で、それでも文句は言わずに給仕に徹していた。
「……はー、やっとあったまった」
 満足げに息をついて、真雄は背中を仰け反らせる。
 僕はもう一杯、と耀司が差し出したカップに紅茶を注いでやりながら、蓮は尋ねた。
「雨の中ご苦労だったみたいだけど、見つかったのかい?」
「いやぁ、それがまだでしてね」
 苦笑しながら耀司が答える。
「雨で痕跡が流れてしまっているのでね。探すにはまだ時間がかかるでしょう」
「そんな悠長なこと言ってる場合かい。来週頭には納品なんだから、さっさと見つけてもらわないと困るんだけどね」
 じろりと睨まれ、耀司は肩をすくめてカップを口に運んだ。
 蓮はひとつため息をついて、傍らの煙草盆から煙管を取り上げると葉を詰めて火をつけた。つんと刺激のある香りがキーマンの甘さに混じる。
 一口喫ってさも美味そうに煙を吐き出すと、ぽつりと言った。
「そういやあ、由代はどうしてるんだろうねえ……」
 それに耀司が何か言おうとした時、入り口のドアが開いた。古びたベルがカラカラと、歯切れの悪い音を上げる。ドアを振り返って蓮は微笑む。
「ああ何だい、随分タイミングがいいね。丁度あんたの話をしてたんだよ」
 戸口に姿を現したのは由代だった。傘は差しているが、随分と雨に濡れている。
 由代は額を伝う水滴を拭い、
「見つけました」
 それだけ言って位置を横にずれた。由代の後ろからのそりと、ライオンほども大きい黒い犬が現れる。その背中には、小柄な少女が――少女のミイラが乗せられていた。


■晴れの金曜日、午前――骨董屋倉庫

 昨日の雷が雨雲を払いのけてくれたものか、この日は朝から気持ちのいい快晴となった。出来るなら散歩にでも出たいところだが、生憎それは許されていない。
 蓮に頼み込まれて、耀司はミイラの修繕に当たるところなのだった。こんな日にまで埃っぽい倉庫で死体と向き合うのは、考古学者と言えど勘弁してほしいものだ。
 少女のミイラは損傷が酷かった。もともと厳重な湿度管理の下で長年保管されてきたものが、いきなり霧やら雨に晒されたのだから、当然といえば当然の結果だ。「生きているかのよう」に美しかった外見は見るも無残にひび割れて、断然ミイラの様相を濃くしていたが、それでもエジプトのミイラなどよりはずっと肉々しいので、死体をいじりまわしているのだと言う感覚が離れない。
 医学の知識があるのなら、と真雄に手伝いを頼んだのだが、エンバーミングは専門外だと断られてしまい、出来たのは器具を借りることだけだった。由代は元よりミイラにかけられていた術のほうに気が行っていて、猫の手にすらならない。
 もちろん、保存状態のいいミイラを間近に調べられるのは学術的探求心を大いに満たすことが出来るので歓迎すべきところなのだが。
「……一対一と言うのがね……」
 一抹の不気味さはどうしても拭えない。
 さっさと済ませてしまおうと、掛けた襷の位置を直し、窓からのぞく晴れ渡った空を横目に耀司は作業を始めた。


■晴れの金曜日、午前――骨董屋

「何か、死臭がする」
 ミイラの修繕を終えて倉庫から出てきた耀司に真雄が浴びせた第一声はこれだった。耀司は苦笑して襷を外す。
「そりゃあ、死体をいじってたんだから当然だよ。それより、これ」
 ありがとう、と医療用具の入ったケースを差し出すと、真雄は頷いて受け取った。ケースを大事そうに抱えたまま、倉庫のほうへ向かう。
「見に行くのかい?」
「うん。ちゃんと顔見ておきたいしね」
「それはいいが、あんまり触らないように」
「はぁい」
 やる気のない返事を返した真雄の背中を呆れ顔で見送って、耀司はソファに座る由代に目を移した。うなだれて何か考え込んでいる風な由代の隣に腰を下ろし、わざとぱん、と音を立てて袖を整える。
「終わったよ、修繕」
 由代はちらとだけ視線を寄越し、また下を向く。その注意を引き戻すようにゆっくりとした口調で耀司は続けた。
「ミイラのここにね――」
 と、自分の鎖骨の下あたりを指で突付く。
「肉を削り取られた跡があった。ごく最近つけられたものだ」
「…………」
「由代さんなのかい?」
 由代は答えない。しばらく待ったが沈黙が続くばかりだ。これ以上続けても反応は得られないと思ってか、耀司は顎をつるりと撫でて唐突に喋りだした。
「しかし、不思議だよ。あのミイラ、加工は全く普通だった。と言うより下手な部類だな。臓腑の下処理は不十分だし、体表に防腐加工すらしていない素人仕事だ。一年で骨になっていてもおかしくないのに、なぜ今まで持ったのか……不思議だね。やはり魔術がかかっていたからなのかい」
 うめく様にああ、と頷き、由代はこめかみを押さえた。
「……いわゆる、反魂の術だよ」
「反魂と言うと、西行法師の?」
「ああ、方法論が違うだけで、やっていることはどっちも同じだ」
 修行中、孤独に耐えかねた西行が人の骨を集めて反魂の術を行い、人間を作ったと言う話がある。しかし、西行は失敗し、出来たのは人の心のない空っぽの人間だった。
 耀司が考えていることを見越して由代は続ける。
「空の肉体に魂を引き戻す、という原理は一緒なんだ。ただ、西行はその引き戻す魂を選べるほどの力がなかったから失敗した。ちゃんとした肉体に、本人の霊魂や、そうでなくとも意識を保っている霊魂を宿らせることが出来れば蘇る」
「……じゃあ、あのミイラは便宜的には生きているってことかい?」
「いや――」
 由代はふっと、自嘲するような笑みを浮かべた。
「もう生きていないよ。今はただのミイラだ。君の言うとおり、一年たったら骨になるかもしれない。術は僕が駄目にしてしまったから」
 はは、と乾いた笑いを漏らす。
 そう聞いても、耀司はさほど驚きはしなかった。予想はついていたからだ。
「……反魂の術が成功するためには健全な空の肉体と、健全な魂が必要なんだ。あのミイラの場合、魂は問題なかったが、肉体がすでに――」
「ミイラ化してた、ってわけか。それも下手な加工で」
 由代は耀司と目を合わせないまま頷いた。
「肉体のほうが魂を処理し切れないのさ、ああいう場合は。だから記憶が混濁したり、運動能力が低下したりする。彼女の場合はきっともう、生前の記憶なんて無きに等しかったんだろう」
「由代さんはその、ミイラと喋ったのかい?」
「いや、僕は彼女の名前を呼んだだけだ。――でも、自分の名前が判ったところで一気に記憶が噴出してきてしまったんだろうな。身体がついていけなくなったようで、倒れてしまった」
 そこで一息ついて、由代は紅茶のカップを手に取った。蓮が淹れてくれた時分からだいぶ立っているので、既にぬくもりは欠片もない。
「自分が誰だかも思い出すことが許されないなんてあんまりだろう?だから、身体に記されていた魔法陣を削ったんだ」
 彼女の魂が開放されるように――。
 反論を許さない強い語気でそう言いきり、由代は一息に冷めた紅茶を飲み干した。


■晴れの金曜日、午前――骨董屋倉庫

 ミイラの少女は静かに横たわっている。まるで眠っているかのような穏やかな表情だ。顔立ちは整っていて、生前はさぞ美しかったろうと思わせる。
 棺に、死者の安息の寝床にようやく戻ってきた少女の側に立ち、真雄はゆっくり目を閉じた。
 57、161、7、18、101101。
 頭の中に次々と、幾つものデジタルな数字が浮かんで飛び交う。数字は最終的に、四桁一つと二桁が二つに収束され、今現在の日付から過去へと、カシャカシャと音を立てながら逆カウントし始めた。
 真雄の能力、「時執環」――「タイマー」である。時を遡り対象の過去を視ることの出来る、いわば精神のみのタイムスリップだ。過去の事物に対して物理的な影響を及ぼすことも可能だが、酷い精神疲労を招くし、もしかしたら歴史を変えてしまうことも有り得るので、大抵は見ているのみに留める。
 しかし今回は、場合によっては力を行使することも辞さない構えでいた。
 耀司の作業が終わるのを待つ間、少女にかけられた魔術のことを由代から聞いた。その上で、どうしても事情を確かめずにはいられなくなったのだ。
 ミイラ化やその他の処置が、少女が望んだことだとは思えない。もし、施術者の実験材料にされたなどと言うことがあれば、迷わずに制裁を加えるつもりだ。
 頭の中のタイマーは回り続けている。二百年以上遡ったところで、回りは緩やかになり、しばらく一日ずつカウントした後でカチリと停止した。
 ふわりと意識が浮遊し、他の感覚はすべて遮断され、視覚だけが明瞭になる。
 暗闇の中にぼう、と幾つか蝋燭が点った。
 現れた人間は三人。憔悴した様子の男女と、ローブを身にまとった魔術師。男女のほうが少女の両親だろうか。魔術師に必死に何か訴えかけているが、知らない言葉なので何を言っているかは判らない。
 おそらく少女が亡くなった後で、魔術師に遺体保存の加工を頼んでいるのだろう。
 魔術師はなかなか首を縦に振らなかった。姑息に謝礼金を吊り上げようと言うのではなく、本気で渋っているようだ。だが、両親の再三の懇願にとうとう折れ、金貨を受け取った。
 そこでふっと蝋燭は消え、別の一方にまた灯る。
 今度は魔術師が少女の遺体を目の前にしている場面だった。鋭利なナイフを少女の腹にあてがうが、結局ためらって離す。それを何度も繰り返している。
 たっぷり三十分は逡巡した後で、魔術師はようやくナイフに力を込めた。
 そしてまた場面は変わる。
 加工の済んだ少女の遺体を受け取って、両親は嬉しそうにしている。
 自分の屋敷に帰ると、驚いたことに、両親は少女の遺体を着替えさせ、食事に同席させ、生前と同じように扱い始めたのだった。
 温度も湿度もかまわず連れまわされるものだから、遺体はすぐに劣化していった。
 蝋燭が消え、少し遠くで灯る。
 今度はまた魔術師だ。
 始めのミイラ化の時よりも土気色の増した少女に向かって、何やら呪文を唱えている。低い声で唱和しながら、指先に赤黒い塗料を取って、少女の鎖骨の下あたりに魔法陣を記していく。
 陣が出来上がると少女の身体がぴくりと動いた。ゆっくりとが目蓋持ち上がる。魔術師は慌てたように、別の紙に描かれた魔法陣を少女の身体に乗せる。すると、動きは止まり、目蓋もしっかりと閉じられて動くことはなくなった。
 魔術師は肩を落として息をつき、唇の動きだけで何事か呟いた。
 ――蝋燭はもう灯らない。これで終わりだった。
 引き摺り下ろされるような感覚とともに、視覚以外の感覚も戻ってくる。目を開けると、元通りのアンティークショップ・レンの倉庫だ。
 真雄は脱力したようにため息を付いた。
「どっちかって言うと、元凶は親っぽいな……」
 娘の遺体をそのまま残したい、手段は問わない。大方そんなことを魔術師に言ったのだろう。親心か親のエゴかと問われたら明らかに後者だが、気持ちは真雄にも判らなくはない。
 もし大切な人間が、突然死と言う現象で自分の目の前からいなくなってしまったら。
「……ボクもきっと悪あがきするんだろうな」
 頼りない姉の顔を思い浮かべて、真雄は少しだけ笑った。


■晴れの金曜日、正午――骨董屋

 真雄が倉庫のドアを開けると、耀司が立っていた。遅いから様子を見に来たんだと目を細める。真雄が大丈夫だと返すと、
「もう全部いいのかい」
 見透かしたようにそんなことを言い、つるりと顎を撫でた。
「いいなら、労働の対価を受け取って帰るとしようじゃないか。由代さんも、もういいね?」
 由代が頷いたのを見ると、耀司はカウンターの奥で帳簿と睨めっこをしている蓮に声をかけた。
「これで依頼達成でしょう、蓮さん?」
「ああ……、でも、ちょっと待っとくれよ」
 ぱらぱらと帳簿をめくり、何度か算盤を弾くのを繰り返した後、蓮は大げさに頭を抱えるジェスチャーをしてみせる。
「ミイラのドレスやら棺やらが駄目になっちまったから、その分の支出がね……。……報酬減額、って言ったら――」
「ご冗談を」
「ダメ」
「契約違反ですよ」
 三者三様の言葉が同時に飛び出し、蓮を凹ませる。
 煙管を齧りながら計算をし直し始めた蓮を後目に三人は、報酬で何か美味いものでも食べて帰ろうという話になっている。
 陽光がさんさんと差し込む店内は、打って変わって明るく見えた。窓の外には、どこまでも青空が広がっている。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 42歳 / 魔術師】
【4487 / 瀬崎・耀司 / 男性 / 38歳 / 考古学者】
【3628 / 十里楠・真雄 / 男性 / 17歳 / 闇医者(表では姉の庇護の元プータロ)】


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■         ライター通信          ■
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 ご参加有難うございました。青猫屋リョウです。
 怪談はしばらくご無沙汰していたので気合を入れて書こうと思ったところ、やたらと長くなってしまいました。PCさんが生き生きしていらっしゃるのでつい色々やって欲しくなり、調子に乗ってしまうのです……。

■城ヶ崎由代様
 またのお付き合い、有難うございます。
 やはり本職の魔術師でいらっしゃるので、ミイラ探索のメインを張って頂きました。魔力の残滓を鼻のきく悪魔に追わせる、と言うのがとても面白いです。それに絡めてもっと色々と魔術理論を語って欲しかったのですが、私の知識不足は否めず……。精進いたします。

■瀬崎耀司様
 初めまして。今回はご参加有難うございました。
 相関のほうを拝見しましたら、城ヶ崎様とご友人とのことで、これは絡んでもらうしかない!と思いました(笑)。飄々としたイメージを受けたので、一歩引いたところから全体を見ているようなまとめ役になって頂きましたが、如何でしょうか。

■十里楠真雄様
 初めまして、ご参加有難うございました。
 お言葉に甘えて、かなり私の好き勝手に動かしてしまいましたが、お気に召して頂けたら幸いです。個人的に口調と性格がとても好みなので、楽しかったです(笑)。タイマーの能力は便利ですね。使い方次第で色々と面白そうだと思います。

 それでは、今回は本当に有難うございました。何か問題がございましたらお申し付けください。
 また機会がありましたらお声をかけて頂ければ幸いです。